14■独立期
・シモン・ボリーバル(1783-1830)
・ホセ・デ・サン・マルティン(1778-1850)
・独立運動のアイロニー:ナポレオンのイベリア半島侵攻と、スペイン王室(カルロス4世とその子フェルナンド7世)の王位蜂起、に対する、王室への忠誠と
ナポレオン支配への反抗から始まる。その後、スペイン王室とペニンスラールへの「失望」が、クリーオジョの独立機運を育むが、それは継続しなかった。
・アングロアメリカの独立後に、イベロアメリカの独立派が活気づく。
・要因の列挙:「ヨーロッパ啓蒙運動に由来するイデオロギー、ペニンスラールに対するクリオーリョの敵意、「アメリカ人」という独特な自己認識の段階的な
発展、権威主義的でありながら腐敗した帝国支配、それに、必要とされたことをじゅうぶんに満たさず、さらなる変化への要求を募らせる結果になったブルボン
王朝の改革がある」(ギブソン 1981:225)。
・「革命はスペインの圧政に対する自然発生的な民衆の反乱ではなかった。民衆――インディオ、黒人、メスティソ、ムラト、その他あらゆる下層階級の人びと
――は、反乱を指導する白人に命じられた時だけ戦った。それゆえ、指導者が革命派ではなく、むしろ王党派であった場合、指導者につき従う民衆も国王に仕え
る兵士となった」(ギブソン 1981:225)。
・イスパノアメリカの独立は、クリーオジョの勝利であったが、社会制度――とりわけ徴税、経済制度――には一切変化がなく、民衆にとっては、支配者が替
わったにすぎなかった。
・そもそも統一した王国領域がなかったために、7つの地域単位による独立国が誕生し、分裂していった――連邦制の夢の崩壊、立憲主義や民主主義の欠如、そ
の後にあらわれる独裁政治。このことは、後の時代の社会科学者による、イスパノアメリカ地域の「後進性」の理由づけに使われている。
・革命軍の将校たちは、後に「カウディージョ」になる(ギブソン 1981:231)。