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日本における死の崇拝について

On Japanese Death Cult and Governmental State-craft

解説:池田光穂


日本人にとっては、死というものは非常に美化されや すいものである。日本人が、そのことを自然化して、その異様さに気付いていないという側面もある。この日本における死の美化において、もっとも極限形態を もつのが、第二次大戦中の国家ファシズム体制であると言っても過言ではない。このような極端な議論は、現代にはもはやないと主張することは容易である。し かし、日本人が、そのような死を美化する思想は、今日における映画や演劇、小説などのさまざまな「市民の想像的産物」あるいはさまざまな大衆メディアにお ける「消費産物」の中にも色濃く投影されているとは言えないだろうか?

日本における死の崇拝について:On Japanese Death Cult and Governmental State-craft


「日本のファシスト国家は他のアジア人に対して、南京大虐殺やパターンの死の行進といったような残虐行為を無数に行なってきたが、その反面、ナチスがした ような方法で少数派集団を体系的にスケープゴートにすることは実行しなかった。その代わり、日本政府は少数派集団や植民地の住民に「日本人」になる「特 権」を与え、そうすることにより彼らを戦場に送り込んだ。つまり、この「特権」は「平等に死ぬ権利」を意味したのである。さらに政府はこういった社会集団 出身の戦没兵士を「軍神」に祭り上げるといった政策をも展開している。宇宙論的(コスモロジカル)レベルで論じるならば、日本国家は、帝国主義的拡張のた め大和魂を全員に付与し、これによって「日本人」の純潔の維持に関する問題を解決したのである。

「日本の全体主義の魂」の歴史は、残酷な物語である。この歴史における魂の讃美とは、天皇のために死んだことへの報酬を意味する。国家は、日本の民間の宗 教性において死後肉体が存在しないことを利用し、死を義務化し、その代わり「この世のものでない美しさ」を備えた桜の花として魂が生まれ変わることを保証 した。国家は日本人の本質は大和魂にあると繰り返し強調し、これがあるからこそ日本人は他国民とは異なり、潔く自分を犠牲にできるのであると主張した。日 本とドイツのファシズムには共通性もあるが、この点において日本はドイツと異なる。後者にとっては、あくまでも自国の兵士の死よりも、敵を殺すことが第一 目的であった」(大貫恵美子『ねじ曲げられた桜:美意識と軍国主義』Pp.382-383、東京:岩波書店、2003年)。

While Japan's fascist state committed numerous atrocities upon other Asians, for example, the Nanking massacres and the Bataan death march, it did not engage in systematic scapegoating of its minorities in the way the Nazis did. Instead, the governments gave the "privilege" to the minorities and the colonized peoples to become "Japanese," thereby sending them all to war, that is, giving them the equal right to death. They even deployed the strategy to make fallen soldiers from these social groups "war deities." At the cosmological level, for the purpose of Japanese imperial expansion, the state solved the problem of maintaining the primordial purity of the "Japanese" by extending the Japanese soul (yamato damashii) to all.

A history of the "Japanese totalitarian soul" tells us a brutal story. It is a celebration of the soul as a reward for death for the emperor. The state used the absence of the body in the afterlife in Japanese folk religiosity to aestheticize mandatory death by the invention of "ethereally beautiful" cherry blossoms as postmortem souls. The Japanese state repeatedly emphasized that the Japanese soul was the quintessence of the Japanese, distinguishing them from all other peoples and enabling them to sacrifice without hesitancy. Despite some parallels between German and Japanese fascism, the Japanese emphasis was different even from the Germans, for whom to kill the enemy was the first order of business, rather than the death of their own soldiers.

- Ohnuki-Tierney, Emiko. 2002. Kamikaze, cherry blossoms, and nationalisms : the militarization of aesthetics in Japanese history. p. 254, Chicago: University of Chicago Press.

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文献

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 2015


図像は古代ギリシャにおける死の神(Thanatos)