書評:河合香吏『野の医療—牧畜民チャムスの身体世界—』東京:東京大学出版会、一九九八年
この民族誌は医療人類学という学問を専攻する私にとって大変印象深い本である。
同業者に対して本書を一文で紹介すると、ケニア北部の大地溝帯にあるバリンゴ湖の周辺に住む主に牧畜を生業とするチャムスと呼ばれる人たちの民 族医療= 医学(ethnomedicine)に関する民族誌となろうか。私が関心をもったのは、著者が描く人びとの身体観や病気観のユニークさがまず第一点、そし て第二点がアフリカの民族医療における病因論は「邪術」や「妖術」によるものだけではないという著者のユニークな主張である。さあ解説をはじめよう。
まず人びとの病気観がユニークである。河合が描くチャムス人——この民族誌の対象である集合的人格——は病気になった時に、例えば「ナパルセセ ンが私を つかまえたのだよ。それはルタシンに入ったものだから、身体を折っていなくてはならないんだ。枝がンジョペタをつきさしてね、それにねじれるんだよ」(河 合 1998:41)という門外漢には皆目わけの分からない説明をする。だが、それらのチャムス語は、きちんとした解剖学的部位に対応しているという。
だからと言ってチャムス人は、近代医療の施術者も顔負けのゴリゴリの論理実証主義をとるかというと、そうでもないようだ。やれ筋肉の繊維が結び 目を作っ ただの、頭が火をおこして、肝臓と脾臓がくっついたりと言いのける。あるいは催吐作用のある薬草を服用すると、体内で煙をはいたりするという表現がすぐに 口をついて出てくる。まさに古代ギリシャの詩人顔負けの隠喩の達人なのである。
天性の詩人と友達となるならともかく、人類学のインフォーマントとして彼/彼女らにお願いするとなるとつき合いにも忍耐がいる。河合は辛抱強 く、そのよ うな隠喩的表現を発生させている「病気」の語彙を六〇も見いだし、その診断を他のものから弁別する主たる症状である「決め手」により分類した(河合 1998:100)。そして、それらの病気の原因について、次の十二通りのものを列挙した。すなわち、飲食物、虫、「水・風・霞」——この三つはまとめて ひとつの範疇に分類されている、実体が不明であるもの、ンタリパ(遺伝)、ラトゥリェイ(膿みやすい体質)、ンダアレ(妊娠中の食事や行為)、ケイリャッ タ(虚弱体質)、成長、出生時・新生児の不手際、ンタサティチョ(外傷・罹患にもとづく体質)、そして「すみついた体質」である(河合 1998:113-139)。これらの「異質」なものたちの配列は、ボルヘスの伝奇に登場する「中国」の分類体系さながらの不可思議なものだ。
幸運にも——でないとさらに頭が混乱する——チャムスの病気に関する時間概念は我々と同様、通時的な時系列をとるようで、河合はそれを病気の診 断とその 説明の背景にある発症の過程として詳述する。チャムス人には「具体的にあらわれた症状を詳細に観察し、解剖学的、生理学的な知識を基盤として患部とその状 態を把握しようとする」論理整合性に長けた哲学者としての側面と、疾病論上の構成における論理不整合などを簡単に無視して「おこりうること」などと言って はばからない結果オーライな側面が共存している(河合 1998:152)。もっとも今度は我々の話だが、ゴチゴチの科学主義に独占されていると「思われている」近代医療の臨床現場でも実際には文脈いかんで は、後者のようなアバウトな事態が割と平気に起こっている。それに対して我々は、医療者がアバウトになれる要因を、病気のタイプ、重軽、予後に要求される 社会的責務の違いによって説明することができる。私はチャムス人に対して我々の経験を披瀝しながら、率直にお互いの意見を交わしたいものであると思った。
チャムス人は治療に対してもまた身体への説明と同様、「野の医療」的蘊蓄を傾け、それに対応する医療的実践を行うことが好きである。そこでは 「器官や組 織に作用して異常をもたらしたなにものかを特定したり、病名をつけたりする」のではなく「身体でなにがおこっているのかを知ること」に傾注する科学者とし てのチャムス人が登場する(河合 1998:202)。
このような多面的で多義的なチャムス人の身体と社会とそれらを取り結ぶ疾病観に関する著者の理論的論述が、論争的かつ挑発的な姿をとって最終章 である第 五章に登場する。この部分が本文の冒頭に私が指摘した本書のユニークさの第二点目である。その際、河合がエヴァンズ=プリチャード(2001 [1937])流の不幸に関する民俗理論——日本では長島信弘(1987)による「災因論」の名称で膾炙している——においてしばしば主張されてきた、病 気の原因を社会的事実に還元して説明する人類学理論を意識していることは明かである。河合は、その社会人類学のマスターナラティブに対してチャムス人がも つ民俗理論が特異体質的であることを対峙させながら、異議申し立てをおこなっているのである。
しかしながら、その現象の解釈は成功したのだろうか。私は彼女が確信犯ではないかと疑っているが、身体の生物学=医学的側面と社会的側面という 二元論を 彼女が過度に単純化したことは、すでに花渕(2001:60)が別の書評で適切に指摘しているとおり、解釈としては説得力を欠く結果を生んだ。皮肉なこと に、同章において彼女が真摯に言葉を重ねているのは、まさに身体をめぐる社会的コミュニケーションの「重層的な展開」そのものだからである。純粋な理論上 の二元論的前提にもとづくヴィジョン(=理論)が、素朴な経験的事実(=反証事象)によって論駁されるのだ。
本書にみられる、秀逸な民族誌記述と、それを追いかける継ぎ接ぎ理論の同居は、人間の病理現象を社会的事実と関連づけて理解しようとしてきたか つての医 療人類学の歴史をそのままなぞるようにも思われる(池田 2001)。解説を続けよう。
元来、非西洋医療——西洋医療の欠如を前提とした定義なので残りものは何でも入る——における病気観の理論的考察は、リヴァーズの「未開医療」 に関する 一九一四年と一五年の講義やクレメンツの病因論体系の列挙(1932)などに遡れる。しかしながら、エヴァンズ=プリチャードの一九三七年の先駆的研究 は、社会哲学者がコンテクストに対して敬意を取り戻すようになる一九七〇年代の合理性に関する論争に至るまでは閑却されたままでいた。他方で、分析される 対象の人たちが使っている用語や概念範疇から研究者が自由になり、その「外部」から独自の説明を与えようとするデュルケームの『自殺論』(1897)の系 譜上にあって広闊な議論に耐えうるような論考は、ダグラス『象徴としての身体[原題:ナチュラル・シンボル]』の公刊(1970)を待たなくてはならな かった。しかし、同書で展開されたグリッド(他者と関連づける自己の強さの度合い)とグループ(境界をもった社会単位の経験の度合い)で構成される四象限 分類と、社会統制としての妖術が重要な意味をもつか否というコスモロジー(宇宙観)との対応関係についての仮説は、未だ論争の的である。
他方、ダグラスとは全く異なった関心から出発している病因論の分類学的研究がある。この系譜はクレメンツ(1932)による非西洋病因論の枚挙 的指摘に 始まり、フォスター(1976)による「ナチュラリスティック/パーソナリスティック」という二分法とその社会形態との関連性への指摘に至り、最終的に マードック(1980)による世界的な分布パターンの解析へと展開を遂げる。マードックは自らが創設した人間関係地域ファイル(Human Relations Area Files, HRAF)を駆使して、さまざまな民族集団の疾病観と社会を構成するタイプ(地域、理想とする環境、生業、妖術、霊的な攻撃、性、罪の概念など)との統計 的分析をおこなった。しかし、結論を先取りして言えば、それらの「一般的傾向」の発見は人間の社会に対する省察に対して十分な理論的貢献をもたらすことは なかった。
こうまで書くと、読者は、はたして貧弱な理論装置をもって豊かな民族誌的現象の荒野に乗り込んでいく医療人類学者の窮状を思い浮かべるかもしれ ない。し かし諦めは早計である。河合には本書を補完するチャムスの民俗生殖理論と人びとのモラリティに関する民族誌(河合 1995)や、第五章の理論的考察をより広い社会性の文脈から再考した論考(河合 2000)がある。つまり最終章の議論は、ある種の留保と進化を伴った現在進行中のものなのである。この現在進行中の民族誌という表現は、本書の評価を先 延ばしにしたり、また著者を貶めるものとして私は使ってはいない。
強力なまでの理論整合性が見られる一方で、アバウトな説明で満足してしまうチャムスの身体の病理的現象の数々。哲学者であり科学者であり詩人で
ある他な
らぬチャムス人が、このような身体に関する主張とそれをまとめたセオリーについて、いったいどう思っているのか、チャムス人たち自身が苦悩や病気からどの
ように解放されたいと望んでいるのか、その解放への技法とセオリーとの関係、そのような記述が空白のまま残されているという意味での期待がそこにある。そ
れには完成体としての民族誌というモダン人類学の理想よりも、可能態としての民族誌という脱モダンの姿がよく似合う。可能態の民族誌においては、哲学者と
科学者と詩人であるチャムス人が相矛盾することなく自らのストーリーを語り始めることだろう。
●主要参考文献(註)
(註)これらを含む本論全体で指示した文献のリストは以下のURLにおいて公開している(→下記の「
完全参考文献リスト」と同じです)。
池田光穂 2001 「書評:河合香吏『野の医療』」(嵯峨野書院、2001年)の完全参考文献リスト」
011001biblio.html(2017年4月20日)直接クリックしてく
ださい
完全参考文献リスト
クレジット:『エスノグラフィーガイドブック』[共著]松田素二・川田牧人編、嵯峨野書院(担当箇
所:「『野の医療:牧畜民チャムスの身体世界』」)Pp.70-74,2002年1月
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