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『サモアの思春期』とその意義

『サモアの思春期』とその作者マーガレット・ミード

解説:池田光穂

『サモアの思春期』(原題は「サモアにおいて成熟 すること」)は、たぶん世界で最もよく読まれている民族誌である。本書の副題は「西洋文明のための未開青年期の心理学的研究」となっている。彼女はサモア の少女がどのように性的に成熟するかということを、順序をおって手際よく整理解説している。本書の特徴は二つある。ひとつは民族誌上の功績であり、他のひ とつはこの民族誌がアメリカ社会に与えたインパクトである。

まず第一の点では、サモア――正確にはマヌア諸島のひとつタウ島――の少女から女性へと移りゆく思春期の女性が、社会が要求するさまざまな制約から逃れ 心理的な葛藤を上手に回避しながら、性的に奔放に成長してゆくか、ということを多角的かつ網羅的にミードが説明していることである(第一章から第一二 章)。そして、第二の点は、アメリカの社会で問題視されていた思春期独特の心理的葛藤や非行などが、サモアの少女たちにはみられない、という指摘である。 そして彼女はこのことを論拠にして、思春期の問題は社会のあり方が少年少女たちに影響を与えた産物で、アメリカ社会の親子関係や子供たちの教育を変えてゆ くことで、当時のアメリカ社会が抱えていた思春期の少年少女の心理的葛藤を軽減できるという主張をおこなっていることである。

この本の主人公であるサモアの少女たちについての叙述は、サモアの一日を具体的に描くことから始まり、育児、家族構成、年齢集団、位階組織、異性関係、 集団での踊りの意味、個性についての考え方、社会的葛藤、老齢にともなう彼女たちの社会的地位の変化など具体的な事例が幅広く紹介される。そこでは、思春 期の少女たちの性的自由の獲得の理由が一貫して記述されている。女児は、子どもの頃から子守や家事の手伝いを押しつけられ、その労働の強度は増してゆき、 思春期に最悪の時期を迎える。また、早くから女性の大人の性役割を身につけるために、さまざまな仕事を覚えなければならない。しかしながら、男性は若くし て地位や称号を得るための競争に参入し、社会の中で気ままに振る舞うことを制限されるが、思春期以降の未婚の女性は高い身分の少女を除き、気に入らねば生 家を飛び出して親類の他の家族と共に住むことを許される。それが可能になるのは、社会のみならず家族の中でも、男女間の厳格な区別とともに、年齢の長幼と 位階の高低によって秩序が保たれており、婚姻による縛りのない少女たちは、受け入れ先の家族が許せば、自由に移り住むことができるようになっているからで ある。また社会が男女に与える称号とその威信の在処は、さまざまな部分に分散しているので、人間関係の結びつきは多元的であるがゆえに人々のパーソナリ ティの独自性を尊重するように働くという。

他方で、個人が不機嫌であることを容認されるような心理状態をあらわすムス(musu)とよばれる用語と概念が確立している。例えば女性はそれまで快く 相手をしていた恋人に急に邪険になることがある。このようなとき恋人は決して怒らない。なぜなら女性がムスにかかるのは仕方がないからである。このように して、サモアの人たちは女性の不機嫌の原因について深く追求することなしに、ムスの状態を受け入れ、ただ自分の恋の相手である少女がそのようにならないこ とを祈るばかりなのだという(第九章)。従ってムスの存在は、少女の不機嫌をパーソナリティに還元せず、その心理的状態になることに社会は寛容になること を可能にする。結婚前の少女たちは、村に対する重要な制度的な関わりをもつことが少ないため、少女は比較的個性を尊重され、性的に自由に振る舞うことがで きるというのが、ミードの説明である。

このサモアの少女たちの詳しい叙述は、本書の第二番目の特色であるところの読者に対する実践的な助言と密接に関わっている。なぜなら、サモアの事情は、 アメリカの社会状況を反省的に眺め、アメリカ社会への助言が説得力をもつための重要な証拠となるからなのだ。

もちろん、未婚の彼女たちの性的な奔放さとその社会的理由を描く本書の中心的主張とは一線を画する記述も多くみられる。首長(チーフ)から称号と財を分 け与えられるタウポーとよばれる儀礼上の女主人となるべき娘には厳しい処女性が求められ、死を含む処罰すらあったこと。性的に奔放なはずの思春期の少女た ちも、個別の事例においては、複雑な恋愛関係に悩み、嫉妬に苦しんだりすること。第一一章では実際に「葛藤する少女」についての記述を費やしている。ただ し、この章の前半では一九世紀初頭以降に導入されたキリスト教道徳における貞淑の教えが、サモアの価値観と葛藤する事例として検討されていおり、後半はい わゆる不適応の例として、性的問題で「葛藤する少女」は、あくまでも特殊な例外として描かれている。ミードは普通の少女たちの気質が「驚くほど画一性がみ られる」と本書を通して主張される内容を繰り返している。

サモアの生活についての具体的な記述が、第一章と第一三章ならびに第一四章という、それ以外の章と多少趣を異にする三つの章によって挟まれている。つま り第一章「はじめに」ならびに第一三章「サモアと比べたアメリカの教育問題」ならびに第一四章「選択のための教育」では、サモアの具体的な民族誌記述より も、文化人類学の意義と「未開社会」であったサモアの生活からアメリカの人々が学ぶことという、きわめて実践的な課題についてミードのきわめて雄弁な議論 が展開されている。他の多くの章が、サモアのことを中心に描いたものから見れば、かなり異質なものであり、読者がこれらの三章を読んだときに他のメインの 部分に対して違和感を覚えるのも無理はない。もちろんこれには理由がある。なぜなら、これら最後の二章は、この本の最初の原稿には含まれておらず、アメリ カの読者にアピールするようにウィリアム・モロウ出版社がミードに要請し、彼女はそれに応えるべく新たに書き下ろしたからである。そして冒頭の第一章も、 それらの新しく加わった部分に対応するように書き直された。

この民族誌は、ミードが調査したアメリカ領サモアのうちのタウ島の調査当時(一九二五―二六年)の社会状況を描くものであり、決して後の近代化をとげた 現代の人たちのものではないことを、後年になって彼女は強調するようになる。このような主張は、たびたび繰り返され、彼女が亡くなる五年前の一九七三年版 の序文や、七六年に出版された日本語版の序文にその内容を伺い知ることができる。この彼女の言い訳がましい主張はいったい何を物語るのであろうか。

それは、若いアメリカ人女性――彼女は満二四歳の誕生日をタウ島で迎えた――が成し遂げたフィールドワークの報告書(=民族誌)に描かれたサモアの少女 たちの性的な奔放さが、近代化した社会の人々への重要な助言になりつづけた事実への、ある種の「注意書き」だからである。ミードは「正しく」フィールド ワークをやってどのような社会的関係性の中でサモアの少女たちの思春期が形成されるのかを明らかにした。しかしながら、出版社の要請に応じて、この民族誌 の社会的効用を説いた時に、ある種の単純化――サモアの思春期の少女たちはおしなべて性的放逸(フリーセックス)の状態にある――をおこない、その単純化 された論旨にあうように、民族誌記述の細部に修正を加えたからである。もちろん、たんに出版社の意見を加えて彼女の見解が変わったのではなくのではなく、 後述するように諸般の理由により、ミードがすでに抱いていたサモアのイメージが、議論の展開をスムースにいくように修正を加えられた言うほうが正確であ る。

狼がくると吹聴した少年は、狼が来なかったことで信頼を失ってしまい、本当に狼がやってきたときには誰にも信じられなかった。ミードの場合はこれと反対 である。ミードは狼がいると吹聴し、人々はその主張をそのまま受け入れた。そして、ミードが言う狼の意味をアメリカ社会への問題提起としてとらえ、真面目 に議論しだした。アメリカの人にとってはるか南太平洋にいる狼の存在を実際に確かめることなど、さほど重要ではなく、また狼の姿にもそれほど関心がなかっ たからだ。あとで、別の少年――後に触れるフリーマンがその人である――がやってきて、狼などいないのです、それは狼ではなく犬だったんです、と主張して も後の祭りである。人々はミードの著作に、アメリカの青少年の育成の問題に取り組む必要を感じ、サモアの思春期の少女をめぐる「事実」の真偽問題に、それ ほど重要な価値を見いださなかったのである。


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