太田好信「ベネディクト論」(2008)ノート
池田光穂
クレジット:太田「ベネディクト論」(2008)
ノート
【文献】ルース・ベネディクトと文化人類学のアイデンティティ:『菊と刀』から『文化のパターン』へと遡行する読解の試み,出典:太田好信『亡霊としての
歴史:痕跡と驚きから文化人類学を考える』Pp.159-183, 脚注(Pp,224-234)、人文書院、2008年
章立て
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凡例:
※引用やサマリーのテキストは、各章(n章)の各段落(n段落)ごとに、n.n という整理番号をつける。註釈は(注:01)などと付ける。
(注:01):慶田勝彦「未完のフィールドワーク」太田好信・浜本満編『メイキング文化人類学』Pp.137-160、世界思想社、2005年とは、異な
るアプローチをとることを宣言する。ベネディクト(→ルース・フルトン・ベネディクト)
の著作を「歴史的資料」という観点から解放することを目論む、ことは確かである。
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1.はじめに
1.1
■太田の立場
「現在では理論的影響力を失い、その意義は歴史資料
という以外には見出せない「過去となってしまったテクスト」のなかに、再び生命を見出し、それを次世代
へと継承する(広義の)「翻訳」作業をおこなう者」(太田 2008:159)。
■ベンヤミン:翻訳者の使命
「異質な言語の内部に呪縛されているあの純粋言語を みずからの言語のなかで救済すること、作品のなかに囚われているものを/言語置換[改作]のなかで解放 することが、翻訳者の使命にほからない」(ちくま文庫版 2:407-408)
1.2
※とりあげられるのはベネディクトの『菊と刀』と『文化のパターン』である(p.160)
■現代という時代はどういう時代か?
「文化人類学とは何かという問いへの解答が、いまで は論争の対象になっている時代」
1.3
Cofigurationalism
"Any theory that stresses the whole rather than the parts, especially
gestalt theory. In anthropology, associated with the ideas of Ruth
benedict, who saw cultures as having coherent “personalities” whose
configurations could be analyzed. The notion has been criticized but
has echoes in some later writers, such as Clifford geertz. See also
culture and personality and compare holism." Concise Dictionary of
Social and Cultural Anthropology. Morris, Mike (ed). Blackwell
Publishing, 2012.
■マリノフスキーとベネディクト
Bronislaw Kasper Malinowski, 1884-1942/Ruth Fulton Benedict, 1887-1948
Fuctionalism / Cofigurationalism
Fieldwork [methodology] founder / Poor fieldworker
・浜本満のフィールドワーク論が参照される:「村のなかのテント:マリノフスキーと機能主義」太田好信・浜本満編『メイキング文化人類学』Pp.67- 89、世界思想社、2005年
・Poor fieldworkerのベネディクトは、「現地語を習得していない」ことで評される(注:03)
・ベネディクトの思想において、すでに使命を終えたものが2点あげられる(注:05):(1)ボアズと共同でおこなった人種主義批判は、今日でもつづく人
種[差別]思想への有効な反駁とはなりえない――生物学的定義/文化的定義の二元論と、生物学的に根拠を持たないことの指摘にあるように思われる。(2)
戦争や紛争を文化をめぐる誤解から生じるという学説。
"In any case, the culture concept to which I adhere has neither
multiple referents nor, so far as I can see, any unusual ambiguity: it
denotes an historically transmitted pattern of meanings embodied in
symbols, a system of inherited conceptions expressed in symbolic forms
by means of which men communicate, perpetuate, and develop their
knowledge about and attitudes toward life." Religion As a Cultural
System(Geertz 1973:89).
2.フィールド調査なき文化人類学
2.1
■〈現地にいけば対象社会を誰もが理解できるようになる〉観批判
・素朴実証主義批判
・アフリカにいけば、アフリカのなにが分かるのか?という浜本の批判(2005:71)は、ギルバート・ライル流の「オックスフォード大学を知っている」 とは何を意味するのかという批判に似ている。
Naive Positivism
”Interestingly, in reducing all risk determinants to social structures,
cultural relativists share a common error, reductionism, with the naive
positivists.69 Just as the cultural relativists attempt to reduce risk
evaluations to sociological constructs, ignoring their objective,
scientific content, the naive positivists attempt to reduce them to
scientific rules, minimizing their ethical content.70 The cultural
relativists overemphasize values in risk evaluation and assessment,
whereas the naive positivists underemphasize them. Other positivists,
such as Hempel, maintain a defensible, objective, empiricist approach
without espousing this reductionism.[71]” Source:http://bit.ly/1G2fKp2
2.2
■ベネディクトのフィールドワーク論
「ベネデイクトは、フィールド調査の重要性を認めつ
つも、その結果と文化人類学的知識とを同一視しない。一方で、マリノフスキーが膨大に集積する情報に秩
序を与えることに腐心し、その情報の客観性について疑っていないのに対して、他方で、ベネディクトはフィールド調査での情報の客観性の根拠とは何かという
疑問をも同時に考察している。つまり、その情報が対象社会の成員にとり、いかにして意味を持つようになるのか――いわば、対象社会での「解釈」の過程を想
定しているーーについて考えると同時に、今度は文化人類学者がその解釈の結果をいかにして/知識として成立させるのか――「解釈の解釈」――についても考
慮に入れた視点の構築を目指している。文化人類学を特徴づげるのは、対象社会について集積される客観的知識そのものだけではなく、その知識を成り立たせて
いる「枠組み」への反省――知識とは事実の生産であること――をも含めるという再帰性なのである」(太田 2008:161-162)。
※太田は、脚注にて、この知的態度を、彼女の師のボアズから受け継いだとして、ボアズの後任者の(客観主義者=フィードにいけば事実に出会えるという信念
の持ち主)ラルフ・リントンとの確執のなかにもとめ、その根拠のカフリーの文献からの引証をおこなう(Caffrey 1989:271, 277)。
2.3
■デリダ論(2.3)
・ベネディクトを甦らせる責務の確認行為
『マルクスの亡霊たち』――マルクス・エンゲルスの「共産主義者宣言」の妖怪=亡霊論。
※デリダのマルクス論が出てくるのは、この箇所と、本論文末である。
(注:08)デリダ(2007:218)――亡霊は時間を脱節して、過去から回帰する。――どうもこれは、これから起こり得る「革命」の現前性の予言もま
た、時間的秩序に抗うものである。それを「反時間性」と呼ばれる。
・亡霊なるものを相続する=使命
2.4
・日本人が『菊と刀』を読むことの特権性の確保=インフォーマントから読むこと(Pp.162-163)
・ネイティブ人類学者という存在を、転倒させること(=政治的行為?)
2.5
「いいかえれば、『菊と刀』に対する日本人論内の正典という了解済みの認識を改め、それを文化人類学のアイデンティティを開示しているテクストとして捉え なおせば、ののテクストの読解をとおして、わたしたちはインフォーマントとして……文化人類学への参加を要請されていることになる」(太田 2008:163)。
・「受容の政治学」(注:09)――「研究対象者が民族誌を読み批判する、あるいはその資料を継承し、文化復興に役立てるという現象」は「人類学の成立基
盤が複雑な歴史を背景にしていることだけではなく、民族誌というジャンルの書物が持つ、予測不能な可能性をも示唆」するという(太田
2008:226)。
2.6
※テキストには、それが書かれた歴史という「牢獄」に閉じこめる力に対して闘わねばならないから……
「したがって、『菊と刀』の読解は『文化のパターン』の読解を前提として初めて成立する」太田 2008:164)。
2.7
・「菊と刀」と「文化のパターン」のこれまでの理論的貢献は「文化とパーソナリティ論」の領域に限定されてきた。
2.8
「『菊と刀』と『文化のパターン』に連続性を発見し、この両者が文化人類学的知識の特徴とは何か、という問いへの解答を提供している書物として解釈した
い。すなわち、それらの書物は文化人類学の学問としでのアイデンティティを示している」(太田 2008:164)。
2.9
・文化人類学=フィールドワークの科学という、ステレオタイプに抗して。そして、それはもはや「満足のいく答えではない」(太田 2008:164)。
2.10
■フィールドワークの「物神化」の呪縛より解放されること
※フィールドワークが「物神化」されるのは、そこか ら得られる「データ」の信憑性という神話があるから?(浜本が批判する素朴実証主義?)
・カフリー説(Caffery 1989:215)によると『文化のパターン』は「二〇年代から始まる文化人類学のアイデンティティをめぐる闘争の産物」(太田 2008:164)。
・『菊と刀』は、フィールド調査の結果生まれなかったゆえ、「その著作は「文化人類学はフィールド調査の学問」だという画一化されたアイデンティティには 拘束されていない」(太田 2008:164)。――フィールドワークをしていないう「実証」が、逆にそのステレオタイプから外れるという「利点」を獲得したということなのか?
■フィールドワーク不要論だという想定批判に再反論 する
「わたしは、フィールド調査が不必要だ、という主張
しているのでない。いまでも、文化人類学の知識形成において、フィールド調査は重要であると考えてい
る。ただフィールド調査の資料をどう考えるか、フィールドでの経験をどう理論化するか、という再帰性を無視してしまうことには反対である。フィールド調査
中に、調査者の分析枠組みや理論を変更させないまま、収集した資料を自らの分析枠組みに当てはめるという研究スタイルは、きわめて非人類学的であるとも考えている」(太田 2008:227)
3.『菊と刀』における文化概念
3.1
・文化概念をもっとも精緻に考察した書物――ミードの回想(Mead 1974:64)
"Culture, then, is a name anthropologists give to the taken-for-granted
but powerfully influential understandings and codes that are learned
and shared by members of a group."(Peacock 1986:7)
3.2
■ベネディクトの擁護
「国家単位で文化の境界を設定している彼女の主張
は、ナショナリズムを無批判に再生産していると批判されてもしかたがないだろう。けれども、ベネディクト
の目標は、国家と文化とを同心円で捉え客観的に描写する乙とではない。彼女の関心は、後述するが、分析をとおして読者をそのような同心円から解放すること
にある」(太田 2008:166)。
3.3
「日本という国を日本人の固にしているものが、日本人が持つ「生活の営み方に関する前提」であり、それは自明なものとされている。太田によると、彼女は 「世界の国々の誤解が紛争や戦争を生み、それは国々の生活の前提への知識不足に起因」という(太田 2008:167)。
3.4
・この「前提」が文化である。:彼女は「実際に観察される行動は、「お互いに何らかの体系的関係を持っている」と考えてもいたので、それらは「総合的なパ ターン」を形成するという。日本人の行動は、パターン化されている」(太田 2008:167)。
※知っていることは、自明であり、あえて説明しないことである(注:20)
3.5
・「日本人の行動は、他の社会に生活する人びとの日常と同じように、互いに関連づげられ体系化されており、いわば「生活のデザイン」をつくりだす。そのデ ザインは、日本の文化が選んだものである」(太田 2008:167-8)。
※「文化とパターン化された行動との間にある概念的差異は、1960年代後半からギアツやシュナイダーらが牽引した「解釈人類学」や「象徴人類学」におい て、繰り返し主張されてきたことである。サーリンズ(Sahlins 1975)も『文化と実践理性』において、この差異を前提して議論を構築している」(太田 2008:228)。
3.6
・文化を把握するのに、統計はいらない。誰でも知っていることに何人も聞く必要はなく、市井の人から話を聞けばよい。
3.7
・ただし、市井の人は自己分析をしない。
・2つの文化にまたがった人が、相互に理解しよう/させようとしない限り両者の文化の理解はない=人類学者のミッション(?)
・「文化人類学者がおこなう分析者としての仕事とは、まさにふたつの暗黙の了解に関係性を築くこと――「二重の解釈」――なのである」(太田
2008:168-169)。
3.8
・文化=レンズ、文化人類学者=眼科医
・レンズをかけている人は、自分のレンズの処方せんなどは知らない。それと同じように、人びと(=国民)が自らの世界観を分析しようとすることはありえな
い。レンズをかけているひとは、そのレンズに気づかない。同様に、自文化のレンズをかけているひとは、自文化のことを知ろうとはしない。――眼科医として
の文化人類学者の役目
3.9
・日本社会の階層性(→日本人のレンズ)
3.10
・米国の平等主義が、それと対比的に存在する。
・ギアツも指摘するように、彼女の修辞的特徴は「日本では、しかしアメリカでは」という手法で、他者性に刻印されていた日本を親和化し、逆に、米国の社会
の自明性(=アメリカのレンズ)を脱中心化する。
4.『文化のパターン』への遡行
4.1
・1980年代にとってのアメリカへの価値=(ベネディクトにみられる)「統合」
4.2
『文化のパターン』からの2つの疑問へのアプローチ:(1)文化の変化、(2)相対主義と文化批判の可能性
4.3
「人間は文化により媒介された世界を生きているという認識」(太田 2008:172)。
・「人間が文化により媒介された存在であるのなら、その媒介があるために理解への可能性が開けること、そして同時に、そのために理解が困難になるとと、最
後に、文化人類学をおこなうのは、この矛盾した関係を辛抱強く生きることになる、という点である」(太田 2008:172)。
4.4
■人類学者と調査対象の人びとは「文化の媒介性」をよく理解している
・この文化の媒介性をよく理解しているのは、文化人 類学者ともにその研究対象である「未開社会の人びと」である。
「その理由は、「未開人」たちは西洋文明の圧倒的な力を前に、自らの慣習を放棄し、他の生活パターンを受容しなければならなかった。その結果、人間の生き 方の多様性を、経験をとおして知っていたからである」(太田 2008:172-173)。
※【コメント】これを、レンズをかけていることを知らない研究対象の人びとと、眼科医としての人類学という〈「菊と刀」のテーゼ〉と、どのように調停する のか?
4.5
■文化人類学者の(認識論的?)特権
「文化――ベネディクトは、「慣習
(custom)」ということばを使うが――についての社会科学がなかなか進歩しなかったのは、「慣習〔文化〕が社会科
学者たちの思考そのものであったからである。つまり、それをはずせば見ることができなくなってしまうレンズそのものだったのである」(Benedict
1934:9)。ここでもレンズの比喩が登場している。「誰だって、世界を原初的眼で〔無媒介に〕見るわけではない。人間は、さまざまな思考の方法、制度
や慣習により脚色された世界を見ているにすぎない」と、ベネディクト(Benedict
1934:2)はレンズの比喩をとおして、文化の媒介性について言及しているが、それは『菊と刀』での分析視点と同一の視点であることが読み取れる」(太
田 2008:173)。
4.6
・(1)「文化の変化」(承前)に戻る。
・ゲシュタルト心理学からのメタファーを借りる:形状=configuration
・「文化は個人のようにある一貫した「行動と思考のパターン」を有する。文化がパターン化されるのは、ある社会の文化はデザインを持っており、それにそっ て(無意識のうちに)パターン化がおこなわれるからである」(太田 2008:174)。
4.7
・ベネディクトへの想定される批判:調和した総体の過度の強調
4.8
・ベネディクトの反論:その文化にも不適応者がおり、文化は調和という均衡点をもたなくなる。個人は文化から完全に自立しているわけではなく、両者は互酬 関係にある。(アルフレッド・クローバーは、文化の個人からの自立性を強調する点で対比的)
・完全に調和しない個人が文化の変容を促す。
4.9
・逸脱は、文化相対的なので、ある文化での異常が、別の文化ではそうではないものとなる。
・「不適合者は、ある文化のパターンから逸脱するが、そのパターン自体は相対的なため、ある社会における不適合者は、他の社会では問題がない個人になる。 たとえば、ズニ社会における雄弁な語り手は妖術師とみなされかねないが、個人的権威の誇示に高い評価を下す平原インディアンの諸社会では、同一人物は指導 者になりうる(Benedict 1934:262)」(太田 2008:174-175)。
・「文化間比較をとおして正常と異常の定義がいかに相対的かという事実を指摘しただけではない。その定義が絶対的ではないという意味は、同一文化において も時間の経過によって、それが大きく変化しうることを示しているのである。同一社会内でも、文化の変化は不可避なのである(Benedict 1934:36)」(太田 2008:175)。
4.10
・「菊と刀」における内面からの変化の可能性を示唆――終戦時の状況を踏まえて
4.11
・(2)文化相対主義と文化批判の可能性(承前)について
・ベネディクトの文化相対主義は、極端な非人道主義にはあまりにも無力で、無責任という批判があった――現在でも同様
4.12
・しかし、ベネディクトは、相対主義から文化批判を導く
・相対主義がニヒリズムを招くことは、彼女も承知していた。
4.13
・ベネディクトがボアズから学んだことは、異文化の研究は、人間を自由にする教育的に有益な方法だということだった(太田 2008:176)。――カフリーを引用(Caffery 1989:118)
4.14
・文化について意識的になること(culture couscious)は、ボアズの弟子ウィスラー(Wissler, Clark., 1870-1947)の間で主張されていた。
・文化にとって最も意識的になる必要があるのは米国人である、というテーゼ:
■文化批判としての人類学
「「もっとも批判的にならなければならない点におい て、もっとも批判的になることが難しい」と、ベネディクト(Benedict 1934:249)は主張している。つまり、文化相対主義は、当時よくいわれていたような「絶望の教義(doctrine of despair)」ではなく、米国民が自らの価値観や生活のパターンを自明視すること――自らの文化拘束性を否定することーーから生まれる「独善性 (self-righteousness)」への批判である。彼女は、その批判をとおして、社会を改良しようという価値観を持っている(Caffery 1989:59)。相対主義はニヒリズムではなく、「その内部に独自の価値を保持」しているのだ(Benedict 1934:278)」(太田 2008:177)。
4.15
■ベネディクトによる〈文化の脱自然化要求〉
「『菊と刀』における日本と米国とを対比する修辞 は、まず、第一読者である米国人に文化を意識させ、次にそのうえで日本文化について言及するという、ふた つの文化を相関する作業の結果なのでる。日本文化だけを自律した対象として客観的に描写できないのである。両方の文化は、それぞれの当事者にとってはごく 自然であるため、その位置からは相手の文化は異様な様相を呈する。ベネディクトは、文化の脱自然化を要求していたのである」(太田 2008:177)。
4.16
・フィンケルクロートやKuper(1999, Culture. Harvard UP.)に代表される文化相対主義批判は、「文化的媒介」なき、批判的俯瞰が可能であるという根拠のない認識論的前提にたつと、太田は逆に批判する。
4.17
■ベネディクト評価の新解釈?
「彼女の相対主義的発想をフィールド調査の指針とし
て再解釈」せよと太田はいう
5.ベネディクトによるフィールド調査の再定義
5.1
「対象は変化したとしても、ベネディクトが理論化した視点には、いまだにフィールド調査と節合しうる可能性が残されている」(太田 2008:179)。
5.2
■調査者の暗黙の前提を認め、理論が無効であることを自覚する作業:驚きの自覚化/組織化?
「クリフォードがいうように、研究対象は体系を保持
した文化とローカルとグローバルが、古いものと新しいものが複合的に連結する「状況
(conjuncture)」になっている。そんな状況に直面した文化人類学者は、恣意的な基準で何かを「場違いなもの」として排除しないかぎり、この状
況に驚くしかない。ベネディクトが繰り返して主張していた再帰性に基づいた視点に従えば、調査者は、フィールドで直面する現実が奇異である場合、ある現象
を少なくとも奇異に見せている調査者側の暗黙の前らの分析枠組みや理論の方が無効であるということを知るのである」(太田 2008:179)。
■「データの前にひれ伏す(surrender to the data)」(ベネディクトのモットー)ことの意味
「あれだげ文化の媒介性に拘泥していた彼女だからこ
そ、実証主義とは反対に、対象を前にして驚き、その結果自らの視点や分析枠組みの限界を悟り、自らの理
解の地平を根底から開いてゆく、という意志表明としても解釈」されうる(太田 2008:179)。
5.3
■想定される反論への予備反駁
「フィールドの現実を前にして驚くという姿勢は、こ
れまで文化人類学において自明視されてきた「文化的差異」を再び強調しているにすぎないのではないか、
さらに極論すれば、フィールドにおげる「他者性の物象化」ではないのか、と。そうかもしれない。だが、差異への敏感な反応は、他者性の物象化とは限らな
い。クリフォードは、画一化が急速に進行する世界では、差異に拘泥する姿勢は、支配的なシステムには織り込まれていない過剰な部分を見つけ、もっとも支配
的なイデオロギー編成においてさえも、その外部が存在することを示すためには不可欠だという。もちろん、クリフォードは、うまくフィットしないモノ、記憶
や再想起される選択肢などの、創発的現場のなかに、社会変革のための実践やヴィジョンを見出すのである。混沌を整序することを暗黙のうちに前提としてきた
文化人類学のこれまでの姿勢を逆なでるように」(太田 2008:180)。
■例証:「マヤ暦が現代グアテマラの政治状況に奇妙に節合する」
「グアテマラのマヤ系先住民であり、政治家ならびに 文化人類学者であるV ・モンテホによれば、一九九〇年以降高まりを見せている先住民たちによる政治運動は、マヤ暦サイクルの最終単位「13バクトゥン」の時間の流れにあるとい う。さらに、チマルテナンゴ県のあるマヤ司祭は、「カクチケル王国の最後の指導者であるカヒィ・イモッシユが、数年前に再び生まれた」という話をしてくれ た」(太田 2008:180)。
「先住民を前近代的存在という理由で市民社会から排除し、虐殺対象としてきた歴史を持つ国において、近代国家の政治体制内部に亡霊のようにとりつく先住の 姿は、驚愕に値する」(太田 2008:181)。
・他に、マイケル・タウシグの(プトマヨ先住民殺戮に関する)ケースメント報告における功利主義的解釈への異論、保苅のオーストラリア先住民グリンジの人
の白人の祖先「ジャッキー・バンダマラ」に関する語りを抑圧するアカデミズム歴史学への批判など【脚注にて】(太田 2008:232)。
6.おわりに
6.1
■民族誌的知識の不確定性
「『菊と刀』と『文化のパターン』の再読は、文化人 類学のアイデンティティとして重要な「フィールド調査」の特徴を再考することを迫った。フィールド調査 は、図式化された方法論ではない」(太田 2008:181)。
・「世界に対して、自分自身を開き続けること」。「そうして生まれる知識は、暫定的にならざるを得ない。確定的なことは、いえないのである」(太田 2008:181)。
6.2
ギアーツの、亀の挿話(=文化分析はやればやるほど不完全になる逆説)
"There is an Indian story -- at least I heard it as a n Indian story --
about an Englishman who, having been told that the world rested on a
platform which rested on the back of an elephant which rested in turn
on the back of a turtle, asked (perhaps he was an ethnographer; it is
the way they behave), what did the turtle rest on? Another turtle. And
that turtle? "Ah, Sahib, after that it is turtles all the way
down."(Geertz 1973:28-29)
6.3
・文化人類学は(白黒決着をつける)法廷にはなじまない知識.
・社会変革を担うアクティヴィストの役割も担うようになってきた。
■太田の審問
・「そういう文化人類学者は、フィールド調査の結果
は現地の人びとに還元されるべきだという。けれども、誰でも利用
できる再帰性を欠いた情報など、フィー
ルド調査からは生まれないのではないか。あるいは、誰
でも利用できる知識は、どれだけ文化人類学的といえるのだろうか」(太田 2008:182)。
6.4
・「多くのことが忘れ去られる時代である。前を向いていなげれば、進歩からは取り残される。そんな時代には、思い出すことによって、過去に立ち返るととに
よって、ようやく現状に対する批判的姿勢を確保できるのではなかろうか」(太田 2008:182)。
■憑在論テーゼ
・「次のパラドクスを先鋭化しなければならない。革 命的危機のなかに新しいものが闖入するほど、時代が危機にあるほど、すなわち《out of joint》となるほど、人は古いものを呼び出し、古いものから「借用する」必要に迫られるというパラドックスを。「過去の霊たち」からの遺産相続は、い つもながら、借りることに存する。借用をめぐる文彩(フィギュール)の数々、借り物の形象(フィギュール)の数々、借用の形象としての形象性。しかも、借 用は語るのだ。借用の言語、借用の名と、マルクスが言うように」(デリダ 2007:233)――ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』増田一夫訳、藤原書店、2007年
・「ベネディクトのテクストと対陣する経験は、そんな方法論の具践のひとつなのである」(太田 2008:183)。
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