ファッションとしての健康ブーム
Health Boom and/or fashionable health
健康ブームとは、人々が健康を維持する願望をもって、それに応えようとする維持法、治療 薬など具体的な実践をおこなう文化的現象のことである。我々はブーム(流行)と聞くとマスメディアの技術的発展以降の出来事のように考えがちであるが、人 類文化の歴史においてあらゆる文化を通して、人間の健康への願望がさまざまなかたちの熱狂的なブームをつくりだすことはよく知られている。ただしその形態 と展開のパターンには驚くべき多様性が見られる。
人類の歴史の大部分を占める健康を維持しようとするほとんどのブームは宗教的なものであ る。つまり聖所への巡礼、お籠もり、祈祷、護符の入手などからなる流行である。現代日本において神社仏閣への参詣の主たる理由には健康祈願というものがみ られ、宗教学や民俗学ではそれらの一連の行為を「現世利益」すなわちこの世において神仏から威徳——この場合は健康——をいただくことの一種として説明さ れることがある。この議論の前提には、貧しいこと・病気になること・人と人が争うことという3つの要素こそが人間の根源的不幸と考えているので、人間が健 康を熱狂的に希求するのは至極当然だと結論づける。流行神、聖者信仰、巡礼流行の消長などがよく研究されているのは、それぞれの事例には流行する必然性は 見つからないが、それぞれの信仰形態には一般的な共通点を見つけ出そうと努力しているからである。
しかしながら近代医学が疾病の多くを自然科学的な因果関係で説明するようになると、すな わち細菌、ウイルスなどの病原菌による説明や、免疫や内分泌のシステムの不調和などから病気の説明することが、やがて社会全体の常識になると健康維持法ば かりか健康になる人々の語り方にも変化が生じる。健康維持法を支える論理的根拠——これを健康言説という——の多くが自然現象で説明され、健康の達成のた めに科学者や医師が推奨する方法が宗教的なものにかわってより大きな比重を占めるようになった。
近代的な生活の中では、おおむね宗教が規定する(儀礼の参加や礼拝などの)聖なる活動と (教育や労働などの)世俗的な活動をより明確に分離する動きがみられる。この流れは、本来はより社会的な活動であった宗教を、個人の意識を中心とした信仰 として世俗的なものから切り離すことになった。これを信仰のアトム化という。医療は世俗的な社会活動とみなされそこに宗教的なるものを見ようとしない我々 の態度は、この近代化の過程の中で本来医療のなかに備わっていた宗教的な要素が脱色ないしは忘却された結果であると考えられる。
それゆえに、現代の多くの社会でみられる健康ブームが人々にとって熱狂的であればあるほ ど、それを冷ややかに眺める人たちから健康カルト——秘儀的で超自然的なものに信頼を多く持つ宗教的活動や集団——であり不自然なものと見なすのは、医療 的活動の中に宗教的な要素があったことをその批判者が忘れているからである。だが病気などの災厄から逃れ不死や健康を希求する医療的活動に宗教的な要素は 不可分に織り込まれており、これをバラバラに理解することは無意味である。ここでいう宗教の定義とは「人間の災厄(=病気や不幸になること)について説明 し、そこから解放されることをめざす信念と行動の体系」のことである。
さて人々が自覚的であろうとなかろうと近代的な生活の中では健康ブームのなかに宗教的説 明が占める割合が減り代わりに医学的説明が増えた。ここに潜む論理は何であろうか。例えば自然食品の有効成分、先端の栄養科学が明らかした「からだに良 い」物質を含む伝統食品、あるいは先進国の航空宇宙局により開発された有酸素運動という説明がある。これらは、健康維持ないしは増強するために、健康にな る要素を外部から取り込んだり、自らの身体の中に作り出すという、加算の論理——これを摂れば(やれば)健康が実現する——に貫かれている。他方、身体の 「毒」を除去したり、蓄積すると害になる「老廃物」を分解する食品、くすり、健康法という説明がある。これらは減算の論理と言ってもよいかもしれない。
にもかかわらず健康ブームは依然、一種の宗教として見えるために小賢しい人は、これに絡 み取られることを迷信深く幼稚なものとして貶むようだが、多くの調査研究では学歴や所得とはあまり関係なくブームに熱狂することが知られている。また当人 はブームではなく科学的だと信じる健康維持法も生物医学的にみると根拠のないものも多い。より宗教的なものが低俗とされるようだが、医学もまた先の定義に 従えば宗教であり、個々の健康維持法に貴賤の区別などはないと考えるほうがよいかも知れない。
他方で、文化人類学者は学生に講義したり市民に講演する時にしばしば「近年健康に関する 関心が高まり健康ブームが起こりつつあるが……」というクリシェ(慣用文句)を使うことがあるが、ブームと呼ばれている活動に関するメディアへの露出度、 消費動向、利用者数などの総量や総数が大幅に増大している証拠は意外と少ない。むしろ健康ブームというジャンルが社会のなかで一定のシェアを占めており、 その中での特定の健康維持法や食品などが栄枯盛衰していると理解するほうが正確である。
以上のことから、健康ブームは人間が社会生活をしている限りほとんど普遍的にみられる文 化的現象であることを説明した。健康維持法に熱狂する人間の姿を盛衰するブームの現象としてしか分析できなかったのはこれまでの文化人類学者の見落としで あった。したがって今後は健康維持法に関する文化人類学研究(=医療人類学)は益々盛んになる、つまりブームになるかも知れないが、このような直感は自文 化社会の分析に文化人類学者はしばしば盲目になるという逆説をはからずも表象している。
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