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マルクス・ユダヤ人問題翻訳の異同

池田光穂

(原文)

Wir sagen also nicht mit Bauer den Juden: Ihr könnt nicht politisch emancipirt werden, ohne euch radikal vom Judenthum zu emancipiren. Wir sagen ihnen vielmehr: Weil ihr politisch emancipirt werden könnt, ohne euch vollständig und widerspruchslos vom Judenthum loszusagen, darum ist die politische Emancipation selbst nicht die menschliche Emancipation. Wenn ihr Juden politisch emancipirt werden wollt, ohne euch selbst menschlich zu emancipiren, so liegt die Halbheit und der Widerspruch nicht nur in euch, sie liegt in dem Wesen und der Kategorie der politischen Emancipation. Wenn ihr in dieser Kategorie befangen seid, so theilt ihr eine allgemeine Befangenheit. Wie der Staat evangelisirt, wenn er, obschon Staat, sich christlich zu dem Juden verhält, so politisirt der Jude, wenn er, obschon Jude, Staatsbürgerrechte verlangt. - Karl Marx: Zur Judenfrage. In: Deutsch-Französische Jahrbücher, Paris: Bureau der Jahrbücher, 1844, Seite 198.

(1)「だからわれわれは、バウアーのようにユダヤ 人に対してこうはいわない。諸君たちが政治的に解放されえるのは、ユダヤ教から徹底して解放されるときであると。むしろユダヤ人にこういおう。諸君たちの 政治的解放など、ユダヤ教から矛盾なく、完全に解放されてなくとも可能であるがゆえに、政治的解放などそれ自体人間的解放ではないと。諸君たちユダヤ人 が、自ら人間的に解放されるととなく、ただ政治的に解放されたいと望むなら、その中途半端さと矛盾は諸君たちの中にはなく、政治的解放の本質とカテゴリー の中にある。諸君たちがとのカテゴリーに囚われているとすれば、諸君たちは一般的な偏見を共有していることになる。国家が国家であるにもかかわらず、ユダ ヤ人に対してキリスト教的に関係しようとするとき、国家が福音化するように、ユダヤ人は、ユダヤ人であるにもかかわらず国家市民という権利を要求すると き、政治化しているのである」——的場昭弘訳(2013)

(2)「バウアーはユダヤ人に、「君たちは、ユダヤ 教から根本的に解放されなければ政治的に解放されることはできない」と語るのだが、こうした理由でわたしたちはこれに同意しないのである。わたしたちはむ しろユダヤ人にこう語るだろう。「君たちは、ユダヤ教から完全かつ首尾一貫した形で解放されなくても、政治的に解放されることはできる。だから政治的な解 放は、人間的な解放とは違うものなのだ。君たちユダヤ人は、人間的に解放されることなしに、政治的に解放されることを望んでいる。これは中途半端で矛盾し た望みだが、それが中途半端で矛盾したものである原因は、君たちだけのうちにあるのではない。政治的な解放というものの本質やカテゴリーのうちに、その原 因がある。君たちはこのカテゴリーのうちに捉えられていることで、一般的な捉われのうちにあるのである」と。/国家が国家でありながら、ユダヤ人にたいし てキリスト教的な国家としてふるまうならば、そのときに国家は福音的な国家となっているのである。それと同じように、ユダヤ人がユダヤ人でありながら、国 家の公民としての権利を要求するならば、ユダヤ人は政治的な人間となっているのである」——中山元訳(2014)

(3)「そういうわけでわれわれは、ユダヤ人に向 かってバウアーが言うことには同調しない。彼は言う。「君たちは、自分たちをユダヤ教から根本的に解放しないかぎり、政治的に解放されることもありえない のだ」と。だがわれわれはむしろ彼らにこう言う。「君たちは自分を完全かつ首尾一貫した形でユダヤ教から絶縁しなくても、政治的に解放されうるのだ。それ ゆえ政治的解放そのものは人間的解放ではないのだ。君らユダヤ人がもしも人間的に自分を解放することなしに政治的に解放されることを欲しているとすれば、 その中途半端さと矛盾とは、たんに君たちの中だけにあるのではなく、政治的解放というカテゴリーとその本質のうちにあるのだ。君たちがこのカテゴリーのう ちに捉われて狭くなっているとすれば、君たちは一般的なとらわれと狭さを分け持っているのだ」。国家が、国家で/ありながら、ユダヤ人に対してキリスト教 的にふるまうとすれば、そういう国家は福音色を強めていることになるが、それと同じように、ユダヤ人が、ユダヤ人でありながら、種々の公民権を要求すると き、ユダヤ教徒は政治のカテゴリーで考えているのである」——徳永恂訳(Pp.207-208)

文献

    1. (1)新訳初期マルクス : ユダヤ人問題に寄せて/ヘーゲル法哲学批判--序説 / カール・マルクス著 ; 的場昭弘訳・著、作品社 (2013)
    2. (2)ユダヤ人問題に寄せて ; ヘーゲル法哲学批判序説 / マルクス著 ; 中山元訳、東京 : 光文社 , 2014.9. - (光文社古典新訳文庫
    3. (3)デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異 ; ヘーゲル法哲学批判 : 序説 ; ユダヤ人問題によせて ; 経済学・哲学草稿 / カール・マルクス著 ; 中山元 [ほか] 訳、東京 : 筑摩書房 , 2005.6. - (マルクス・コレクション / カール・マルクス著 ; 1)
    4. 《原文》Karl Marx, Zur Judenfrage, 1843(ウィキソース)

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