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散骨は自然葬ではない!

Newly emerging human bone ash scattering is NOT "natural" burial

池田光穂

英語のほうのnatural  burial は、ecological sustainable burial の意味で使っているようです。

他方、日本の散骨の[習慣の]ほうは、私なりに定義 すると、「散骨(ash scattering)とは、火葬した骨を《自然環境》に撒き散らして処分する方法」というのが言葉の意味において正しい定義になり、それ を「自然葬(natural  burial)」と僭称するのは間違いになります。しかし、このような用語法の混乱をしても、それがいいのだと信じる「散骨マニア」あるいは「プロ散骨 派」は、自然=正しいという価値観をもつ人たちだということになります。

したがって、ウィキ(日本語)の、自然葬は「狭義に とらえると散骨と同義であり、広義にとらえると風葬、鳥葬、水葬、火葬、土葬、樹木葬、冷凍葬など、自然に回帰するような葬り方全般を指すというとらえ方 もある」ということのなかにある〈自然〉の概念は矛盾に満ちたものになります。なぜなら、〈自然であること〉を〈良いこと〉や〈健康であること〉だと一義 的に解釈すると〈死は自然な現象〉という経験的事実から〈死もまた良いこと〉だという結論を導いてしまっておかしなことになる、という哲学者ジョージ・ ムーアの指摘どおり、先の自然葬の定義をした「プロ散骨派」は、基本的に散骨は、人工的ではなく、自然に適ってよいことだという自分たちの前提の矛盾点に 気づかないことになります。そもそも散骨の骨を得るために、人工的な炉の中で沢山の副葬品と高温で燃焼するためにダイオキシンこそ含まれないものの、実際 の日本の火葬場の燃焼骨には、さまざまな重金属が含まれていて、火葬場には高度な集塵装置があり、骨拾いをした後の、遺灰は、汚染の危険性のある産業廃棄 物として処理されます。また、地方の自治体では、景観保全や近隣住民への配慮から散骨を禁止する条例を設けているケースもあります。

そのような人工的な手続きにまみれた散骨を「自然 葬」と呼ぶのは大変問題のある表現であるというのが、私現在の見解です。

こまったことですので、ここらで、日本の文化人類学 者は、きちんとその概念を整理して、散骨も文化的にオリエテーションされた人為的な埋葬の概念であり、言葉の正しい意味での「自然葬」と言うときにはさま ざまな留保が必要だと、日本に在住の市民の皆さんにアドバイスしてもよろしいかと思います。

文献

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