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愛と恐怖と食欲の共存について

 Canisology Manifest in Tokyo University, March 6, 2016

池田光穂

処刑をした者の身体を犬に食べさせるだけでなく、金 持ちが宴に肥やした犬を料理することが判明——オデュッセイア第17歌(290-310)

オデュッセウスの忠犬アルゴスのように犬は狩りにつ れていく友で時にであると同時に、間違われると森では食われてしまう危険で両義的な関係にあるようだ。もちろん、敵を処刑すると連れている犬に食べさせる (オデュッセイア第18歌)——戦闘では犬を敵にけしかける役割もさせるようである。その意味で犬は、人間性をもつが、同時に人間を食べる「カンニバルな 他者」でもある——オデュッセイア第22歌(474-477)。

もちろん、古代ギリシャ人は、犬に愛情をもつと同時 に食糧としても消費できるわけだから、犬にとっては、カニーバル(犬食い)でもある——オデュッセイア第22歌(474-477)。

■人犬というシングルスピーシズ(speciesは 単複同型)の謎

その心は、地球上にいる人間と犬の関係を考察すれば するほど、この世のものとは思われなくなってきたことです。それがわかったら、こんな資料を掲げる必要はなかったかもしれませんね。僕の見立てでは、マル チスピーシーズなんて、多文化主義、多自然主義などの命題をたててお遊びする上等な思考のゲームよりも、愛する種(=奴隷でもある)とここまで一緒のシン グルスピーシズ(speciesは単複同型)性が可能なのかという情動の遺伝子的起源の共有に興味があります。

マルチスピーシーズの人類学はS. EBEN KIRKSEY と STEFAN HELMREICHの"The Emergence of Multispecies Ethnography," 2010を参照

リンク

文献


(c)Mitzub'ixi Quq Chi'j. Copy&wright[not rights] 2017

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ポンペイ遺跡のモザイクから

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