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ユカギールの悲劇

Russian Yukahgir Tragedy

池田光穂

「疫病と飢餓に苦しめられ、壊滅的打撃を受けて人口 が激減した、もっとも典型的な民族はユカギル(あるいはユカギール)である。彼らの住む土地は魚の豊富な川や湖が多く、野生トナカイの数も多かった。した がって、先祖代々の生業である狩猟採集によって生活することが可能だったため、近隣のチュクチャやコリャークのようにトナカイ飼育を取り入れることもな かった。ところが、17、8世紀になって、それまで彼らの伝統的生活様式を支えてきた、自然界の均衡を破るような社会現象が生じたのである。ロシア人、ヤ クート人、エヴェン人などが彼らの土地にやってきた。とくにロシア人は数多くの犬ぞりを使用したために、犬の餌として大量の魚を消費した。やがて魚の乱獲 がた たり、あれほど豊富だった魚が急速に減り、漁網も銃もろくに持たないユカギルにとって食糧の獲得はきわめて困難になってしまった。こうして多くのユカギル が犠牲になった」。

「一例を挙げれば、1897年に第二オモロン氏族の 4家族20人のユカギルが餓死した。この年、春を待ちかねるようにして、男たちは獲物を求めてツンドラに散り、女子供と年寄りが集落に残ったが、男たちが 獲物を持ち帰るのを待てずに、餓死したものである。たまたま来合わせた一人のエヴェン(あるいはエヴェンキ)が次のような悲惨な光景を目撃している。「あ たりに人骨が散らばり、火の消えた炉の前に老婆がしゃがみこんだまま死んでいた」(B・A・トゥゴルーコフ著『ユカギルとは』モスクワ、1979年)」。

「また、ネレムノエ村のE・И・シャドリンも若いこ ろの苦しかった時代のことを記憶しているひとりであり、同じく『ユカギルとは』に次のような記述がある。「あるときのこと、すでに兄弟姉妹は力尽きて横た わっており、母親だけがかろうじて身動きできた。男は気力だけで体を起こし、狩りに出た。彼はついていた。へラジヵパ仕留めたのだ。肉をひと切れ切り取っ て家に持ち帰ると、母親がその肉でスープを作って、みんなにスプーンで飲ませた」。こうして一家は危機を脱した」。

「ユカギルはかつては北東シベリアの広大な土地のあ ちこちに住んでいた民族であり、「ユカギルの人々が囲む焚き火の明りがツンドラをくまなく照らすほど、ユカギルは多かった。オーロラはユカギルの焚き火の 明りが空に映ったものだ」といういいったえがあるほどである。ところが、現在のユカギルの人口はわずか800人にすぎない」(斎藤 1988:324-325)。

現在のユカギール:赤い部分にしか分布居住していな い(移動移民は除く):出典:http://ansipra.npolar.no/english/Indexpages/Map_index.html


Source: Soul hunters : hunting, animism, and personhood among the Siberian Yukaghirs / Rane Willerslev, p.5, Berkeley : University of California Press , c2007, same as Willerslev (2004:631)

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文献


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