中川米造先生に関するネット拾遺
Memoir on Professor Yonezo Nakagawa, 1926-1997
解説:池田光穂
中川米造先生、没後20周年——20年忌などという暗い言葉は使わない——に、ネットにおける「中川米造」検索で、当ディレクトリー以外のもの で、興味深いものを論評抜きで転載してみた。
■「1926−1997 昭和後期-平成時代の医学哲学・医史学者。大正15年3月23日朝鮮京城生まれ。昭和55年阪大教授となる。平成元年 滋賀医大教授。昭和61年日本保健医療行動科学会を結成し,会長。医の倫理を基本に医療社会学,医療人類学,環境医学など幅ひろい分野で発言した。平成9 年9月30日死去。71歳。京大卒。著作に「医の倫理」など。【格言など】医療とは人間を対象とするべきであって,病気を対象とするべきではない」(コト バンク)
■「昭和・平成期の医事評論家 大阪大学名誉教授。生年大正15(1926)年3月23日没年平成9(1997)年9月30日出生地旧朝鮮・京城出身地京都府学歴〔年〕京都大学医学部医 学科〔昭和24年〕卒学位〔年〕医学博士。経歴昭和25年京都大学附属病院耳鼻科助手、30年大阪大学医学部講師、55年教授。平成元年退官し、名誉教 授。滋賀医科大学教授、大阪国際女子大学教授を経て、8年仏教大学教授。この間、昭和45年阪大医学部の森永ヒ素ミルク中毒症追跡調査会代表を務め、訴訟 では原告側証人として因果関係を証言。43年に札幌医大で実施された日本初の心臓移植(和田移植)については告発する会を結成し、「病者のための人権宣 言」を発表。一貫して“医とは何か”を問い続けた。仏教大では学生に自分ががんであることを打ち明け、延命治療を拒否して、9年7月まで教壇に立った。著 書に「医療的認識の探求」「医の倫理」「医とからだの文化誌」「サービスとしての医療」「環境医学への道」「素顔の医者」「死にゆく者」「医学を見る眼」 などがある。日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)」(コトバンク)
■中川米造先生七十一歳の死、日本医史学会理事・長門谷洋治:http://jsmh.umin.jp/journal/44-1/140- 141.pdf
■中川 米造(立岩真也さんのページ)
■中川米造『医の倫理』(立岩真 也さんのページ)
■中川米造回顧著作展 - 滋賀医科大学 https://www.shiga-med.ac.jp/library/about/pdf/2009poster.pdf
■医学の不確実性 中川米造 あいうべ体操・ゆびのば体操の 「みらいクリニック」院長 今井一彰
■中川 米造(弘 文堂)
■友吉|唯夫「中川米造における思想形成過程について」http://www.jahbs.info/journal/pdf/vol25/vol25_3_1.pdf
■中川米造『医学の不確実性』(名和小太郎
(1931- )による短い書評) 『東洋経済』5382号(1996)
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