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日本における朝鮮人参栽培

Panax ginseng in Japan

池田光穂

日本における朝鮮人参栽培地は、ウィキペディア日本 語「オタネニンジン」によると以下のようなところである。ただし、この記事は 現在のところ出典等明記されていないために、資料の確度は低い。

「現在、(消費量?―引用者)全体の70%以上が韓 国と中国で栽培されているが、日本でも江戸時代から栽培されている。……韓国では忠清南道錦山郡と仁川広域市江華郡、北朝 鮮では開城市が産地として有名。中国では長白山(白頭山)の麓で「長白山人蔘」として栽培される。日本では福島県会津地方、長野県東信地方、島根県松江市 大根島(旧八束町)の由志園などが産地として知られる。……韓国では忠清南道錦山郡と仁川広域市江華郡、北朝 鮮では開城市が産地として有名。中国では長白山(白頭山)の麓で「長白山人蔘」として栽培される。日本では福島県会津地方、長野県東信地方、島根県松江市 大根島(旧八束町)の由志園などが産地として知られる」との記載がある。

筆者が、2017年にベトナムのハノイ郊外を訪れた ところ、高速道路のドライブインに立派 な朝鮮人参の液漬けの商品(下の写真)が販売されていた。ベトナムにおける朝鮮人参はPanax vietnamensis Ha & Grushv. と別種と記載されている(ウィキペディア_Panax vietnamensis_を参照)。もともとローカル な伝統的薬草とみなされていたところに、(1)プライマリヘルスケアにおける地元の薬草の活用という世界保健機構によるトレンド、(2)ベトナム戦争終結 後の中国ならびに朝鮮半島への朝鮮人参需要、さらに(3)ドイモイ政策以降の韓国資本の流入(2017年当時で韓国はベトナムへの最大の投資国である)な どの要因が重なり、この類似のPanax vietnamensisの 栽培が次第に盛んになってきたようである。

Panax ginseng

さて、ここからが本題である。日本における朝鮮人参 栽培地の嚆矢として、かつ歴史 的にきちんと記録が残っているのは、栃木県日光(日光神領今市宿) における栽培である。

これも出典が明記されていないために、かなり不正確 な記述があるが、その起源は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に遡るという(文物の輸入栽培の歴史としてはあまりにもナイーブな記述だが、まずそこからはじめるしかな いだろう)。

「1592年豊臣秀吉は、高麗人参欲しさに朝鮮出兵 を行い、高麗人参の種を持ち帰ります。/秀吉の軍師である黒田官兵衛(如水)は、隠居後、高麗人参の栽培技術の研究に没頭しました。これが日本における最 初の高麗人参の栽培研究です。/官兵衛の祖父黒田重隆は、もともとは商人で、薬草から目薬を作り、それを売って財を成して出世した人でした。孫の官兵衛 は、幼少の頃、薬草刈りの手伝いをしていたので、高麗人参の栽培に興味を持ったのは当然かもしれません。/そして、少なからず、薬草栽培の知識を持ってい たと思われます。しかし、残念ながら、天才の黒田官兵衛を以てしても、高麗人参を栽培することはできませんでした。/また、秀吉の家臣蒲生氏郷も、持ち 帰った高麗人参の種子を城下の小山に植え付けました。氏郷は伊勢から陸奥国会津に城主として移ったばかりで、会津の産業発展の一つにしようと思いを込め て、高麗人参の種を播きました。/緯度が朝鮮に近く、冷涼な気候である会津は高麗人参の栽培に適しているのではないかと期待していましたが、栽培すること はできませんでした。/しかし、氏郷のこの思いは、後に会津が高麗人参の一大産地となり、会津産高麗人参が会津人参と呼ばれるに至り、成就します」 http://panaxfarmers.com/trivia-cultivation1/

より正確な記述は、田村元雄(藍水)らによる栽培勧 業からである。同サイトより。

「徳川幕府八代将軍吉宗(1684〜1751)は、 高麗人参の栽培に積極的に取り組みます。1729年に植村左源次、田村元雄(藍水)を幕府技官とし、日光御目代山口新左衛門、吹上奉行西脇重郎左衛門を高 麗人参栽培御掛として、日光神領今市宿の篤農家大出伝左衛門に、 高麗人参の苗三根が下げわたされて、高麗人参の本格的な栽培が始まりました。1738年、栽培も可能になり、吉宗は種子と栽培方法を各大名に分け与え、高 麗人参の栽培を奨励しました。幕府から下賜された人参という意味で「御種人参」と呼ばれるようになりました。現在の高麗人参の学名である「オタネニンジ ン」の由来となっています。その後、寛政年間(1789〜1801)より、幕府管理下の専売制となり、幕府の御用作として、野洲、信州、雲州、奥州が人参 栽培の中心になっていきました」http://panaxfarmers.com/trivia-cultivation1/

また、平賀源内も栽培について記述しているようであ る。

「高麗人参の栽培技術は進化していきます。平賀源内 (1728〜1780)が「温知叢書作書部類」の中に高麗人参を栽培法について書いています。若干25歳の時です。この発明により、源内はその後の活動資 金を手にします」http://panaxfarmers.com/trivia-cultivation1/

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