統治者の人種的聖遺物(=遺骨)に対する温度差
「20世紀のメキシコ人のクワウテモク信仰は、征服 がもたらした論争の火が今日もなおイスパノアメリカで燃えつづけているのを証明している。この信仰の最近の歴史で起きた顕著な出来事は、1949年にゲレ ロ州のイチカテオパンでクワウテモクのものと考えられる遺骨が発見されたことである。……イスパノアメリカにおいては、コロンブス、コルテス、その他大勢 の有名人の遺物は一般大衆に感動的な反応を呼びおこす。……1525年、ホンジュラスへの遠征の途中、コルテスがクワウテモクを処刑したことは知られてい る。……1949年以降、専門家の意見がイチカテオパンの発見の信憑性に数多くの疑問を投げかけた。……1世紀の間その所在が不明であったコルテスの遺骨 が1946年に再発見され、発掘され、ジャーナリズムでかなり誇大に伝えられたのである。以降3年間、征服と征服者コルテスの行為を支持する人たちは当然 のこととして白人の優越性と貴族的なイベリアの血統を支持し、抵抗もなくコルテスの遺骨を尊い信仰の対象として示すことができた。征服に敗れたインディオ たち大衆の子孫はすでに大半がメスティソとなっていたが、彼らにはコルテスの遺骨に匹敵できる信仰の対象が何ひとつなかったのである。したがって、クワウ テモクのものと考えられた遺骨の発見は信仰の対象を求めるインディオたちの必要を満たすために企まれたものであるとしばしば指摘された。1950年代、専 門の学者たちが、クワウテモクの遺骨の発見は偽わりか、少なくとも真実性に欠けると公言した時、メキシコの人びとの興奮状態は最高潮に達した。発見を擁護 する人たちは自分たちこそ唯一のメキシコの愛国者であると考え、発見に批判的な学者を国を裏切るものだと新聞を利用して告発した」(ギブソン 1981:51)。
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