20110607
臨床コミュニケーション1
担当:西村ユミ
病いを知ること/知らずにいること

〔授業目標〕


1.「病い」をめぐる問題をそれぞれの関係者の立場から考えてみる。
2.「知らないでいる不安」と「知ってしまう恐怖」について検討してみる。

〔グループワークの課題〕


1. 健一さんたち当事者が、D病の「発症前」に、遺伝子をもっていることを知ること=「診断を受ける」ことを、どのように捉えていたのかを整理して下さい。
2. 発症前診断をしない、あるいは、しても結果を聞かないという例もあります。知ること/知らずにいることについて、グループの考えをまとめて下さい。また、 そのように考えた理由も述べて下さい。

〔診断できるが治療方法がない病気について〕


□例――神経難病(ハンチントン病、脊髄小脳変性症など)
□ハンチントン病――発症前遺伝子診断のモデルとされる
 (疾患についての情報)
  ・舞踏運動、精神症状、行動異常、認知機能の低下などを臨床像の特徴とする常染色体優性遺伝型式をとる神経変性疾患。
  ・原因は、脳の特定の部分(大脳基底核や前頭葉)の神経細胞の変性脱落による萎縮
――CTやMRI等の画像検査によって診断可能。
・これらの症状はいつのまにか始まり、緩徐ながら進行する。
  ・平均発症年齢は35-44歳、男女差はない。
・発症頻度は、欧米で人口10万人あたり4〜8人、日本では、0.1-0.7人。
・臨床診断は、下記に基づく
――舞踏様運動に代表される進行性の運動障害
――認知機能の低下,人格変化,抑うつ症状といった精神障害
――常染色体優性遺伝に合致する家族歴
  ・1993年に原因遺伝子が同定される分子遺伝学的検査=発症前遺伝子診断が可能になる、
――HTT遺伝子上で3塩基CAG反復配列の36回以上の伸長の検出
――HTT遺伝子の変異を1つ持つ患者の子がそれを受け継ぐ確率は50%(at risk person)
  ・治療法――薬物療法(対症療法:定型・非定型神経弛緩薬、抗パーキンソン薬、向精神薬、抗てんかん薬など)を行っているが、治療法はまだない。
  ・発症前診断にあたっては、治療法がまだないことを踏まえて慎重に対応する必要がある。
――遺伝カウンセリングの実施が推奨されている。

〔発症前断を取り巻く意見〕(玉井2006より)


  ・21ヶ国100ヶ所の施設でハンチントン病の発症前診断を受けた4527人のうち、自殺者が5人、自殺未遂が21人、入院治療が必要なほど精神のバ ランスを崩した人が18人=0.97%に何らかの「破滅的な出来事」があった。(Almqvist, EW, et al, 1999)
  ・発症前診断を受けても長期的に見れば悪影響はなく、むしろ結果が「陽性」であっても、どっちつかずの状態にくらべれば心理的状態は良くなる。 (Wiggins, S, et.al, 1992)
・発症前診断が可能であることを知っても、それを受ける人は少ない。
  ・わが国においても、神経難病の領域での発症前診断については依然として賛否両論。
  ・発症前診断を希望する人を拒否することの方が非倫理的だ(Chapman, MA, 1990)
  ・予見的遺伝子診断の危険性(古川哲雄、1996)
   「予防法、治療法のない病気の発症を前もって知ることは意義あることであろうか」
   「人間誰しも未来に不安は持っている。しかし、未来を予見することは、この不安を恐怖に変えることである」
   「予見的診断が不可能な場合には、当たっていない可能性にしがみついて生きるすべがあった。しかし、確率が100%に近づくほど逃げ場はなくなって いく。」
  ・発症前診断、とりわけ神経難病のそれが安易に行われるべきではないことは言うまでもなく、どんなに慎重であっても慎重でありすぎることはない。一 方、当事者からの強い希望があってもそれに応じないという姿勢だけで、問題が解決するわけではない。
  ・その他、下記も参照
   Gene Reviews Japan: http://grj.umin.jp/grj/huntington.htm

〔発症前診断を受けた兄弟へのインタビューから〕


 兄:健一さん(27歳)、弟:祐二さん(26歳)(仮名)
母親がD病という神経難病を患っている。D病は、脊髄小脳変性症(30〜40%が遺伝性)と呼ばれる病気の一種で、優性遺伝をする病気である。(「歩き方 がおかしい、首がぐらつく、怒りっぽくなった等の症状から病院を受診して診断された。現在、ほぼ寝たきりの状態であり、S病院で療養している。)子どもの うちに発症する人もいれば、成人してから発症する人もいる。(10万人に数人)
 兄弟のうち、まず兄の健一さんが発症前診断(遺伝子検査)を受けるかどうか悩み始めた。きっかけは妻の妊娠だった。それを聞いて、弟の祐二さんも考え始 めた。祐二さんは未婚で、「自分の将来について考えたい」と思っている。

(病気が遺伝性であること、発症前診断ができることを知った経緯)
2年ほど前、母親の確定診断をした病院で、母親の主治医から聞いた。父親・弟とともに説明を聞いた際、病名を告げられた。同時に「遺伝性がある」とも言わ れた。わたしは医師から「結婚をしているのか? 子どもはいるのか?」とたずねられ、遺伝する病気だからそんなことを聞くのだとうろうかと不安に思った が、結婚はしているが子どもはまだいないことを伝えると、医師はそれ以上何も話そうとせず、黙ってしまった。医師に対してその場で質問することもしなかっ た。

母親の病名が確定したあとで、おじ(母親の弟)といとこ(母親の弟の子ども2人)のうちのひとりが、同じ病気で発症していることを父親から聞い た。母親の病名は父親を介しておじ夫婦にも伝えられた。おじの妻(おば)は、母親の診断が確定したことを知ると、わたしたち夫婦に対して「病気のことを もっと知りたいか? 知りたければあらためて子ども(いとこ)の主治医に聞いてくる」と言った。わざわざ「病気のこともっと詳しく知りたいか?」と聞くと いうことは、知ってしまったらショックを受けるようなおそろしい病気なのかとも思った(妻)が、それでも知らないままでいるよりはいいと思い、いとこの主 治医に聞いてきてほしいとおばに頼んだ。そして、おばから、50パーセントの確率で遺伝すること、治療法がないこと、いつ発症するかわからない……などの 病気の特徴に加え、遺伝子を調べれば発症前診断ができることなどを聞いた。おばからは「遺伝子の検査を受けてみたら」とすすめられた。いずれも母親の病名 を知った直後のことだった。

(発症前診断を受けてみようと考えた動機と考えたこと)


遺伝性であっても確率が50パーセントという具体的なことは何も知らなかったので、おばから聞かされたときはかなりショックだった。同時に、そんなに高い 確率で伝わるなら、やはり発症前診断を受けてみようかとも思った。その一方で、病気の遺伝子をもっているということがわかってしまうのは怖いとも思い、す ぐに発症前診断を受ける気にはならなかった。子どもを作る前までには必ず調べようと夫婦で話し合っていたが、なかなか踏み切れないままでいた。その状態で 1年が経過した。そうこうするうちに妻が予定外で妊娠したため、…T病院を受診して医師に相談し、そこで遺伝外来を紹介された。子どもに病気を背負わせる わけにはいかない、そのためにはまず自分のことをはっきりさせておかなければと思った。
父親に発症前診断を受けることにしたと報告した。父からは「行くなら祐二も連れていけ」と言われた。それまで弟とはじっくり話したことはなかったが、 「(発症前診断を)受けなきゃしょうがない」と言っていたので、いずれ受けるつもりなのだとうと思った。
妻―自分の母親に相談したが、「健一くんはきっと大丈夫」を言われた。深刻さがよくわかっていないのかもしれないと思ったが、心配をかけたくなかったので それ以上は何も言わなかった。「陽性」という結果だったら、そのときは詳しく話そうと思っていた。

(将来その病気になることを予め知ることについて考えたこと)


子どもに病気を出したくないと思った。結婚する前だったら、検査を受けて「陽性」であれば結婚しなかったかもしれない。母親やおじ、そしていとこを見てい るので、子どもが同じ病気になったらかわいそうだと思った。「陽性」であったら、子どもはあきらめようと思っていた(受診時、妻妊娠6週)。
検査のことを知っているのに、何も調べないで生むのは無責任ではないかと思った(妻)。リスクが50パーセントの子どもを、それとわかっていてこの世に送 り出すわけにはいかないと思った(健一)。
「陽性」であれば、あらためて出生前診断を希望していたかもしれないが、あまり具体的には考えてなかった。自分の結果がどう出るかを考えるだけで精一杯 だったことで、出生前診断のことを具体的に考えられないでいるうちに自然流産(妊娠8週)ということになってしまった。流産していなければどうしていた か、今、考えてもよくわからない。発症するまでは、一生懸命働いてお金を貯めなければ、発症したら妻に養ってもらうことになるかもしれない、まだ家のロー ンも残っている。生命保険にも入れないかもしれないので、地道にお金を貯めようと思う。ある程度お金が貯まったら、夫婦で好きなことをやって暮らすのもい いかもしれない。すごく深刻な気分になるときと、妙にのんきに何とかなるさという気持ちになるときとがある。発症前診断ができることを知らないでいたのな らともかく、できることを知ってしまった以上、知らないでいたときの状態にはもどれない。

□その他の例


〔発症前診断を受けない選択をした人〕


 その女性の母親は病気が主な理由で離婚を余儀なくされ、幼い頃に母親と引き離されていた。そしてその後、母親が亡くなる寸前まで会うことはなかった。彼 女は「発症前診断によって陰性という結果が出たら、病気から解放されたような気持ちになるかもしれない。でも自分は、むしろ解放されたくない。彼女にとっ て、自分の母親が冒された病気と繋がっていることは、母親の存在と繋がっていることに等しかったのだろう。

〔発症前診断の結果を聞かない選択をした人〕


…彼女の父と姉は遺伝性の神経難病で、すでに他界していた。姉が亡くなったとき、「こんな病気じゃ、恥ずかしくてお葬式も出せない」と自分が思ったこと を、今は許せないと唇をかむ。血のつながった姉の死を、どうしてそんなふうにしか受け止められなかったんだろう、と彼女は考え、紆余曲折を経て発症前診断 を受けることにした。
彼女は遺伝外来に通いはじめた当初、こうやって相談にのってくれる人が見つかったのだから、発症前診断の結果を聞いてもいいかなと一度は思ったという。夫 は、結果を聞くことを彼女にすすめていた。しかしその後、「中途半端な自分に自信をもってもいいかなと思う」と語りはじめた。彼女は、結果を聞かないとい う選択をしたわけではない。結果を聞くか聞かないか、どちらかに決めなければならないという土俵そのものからいったん降りる選択をしたのである。

■「陰性」と診断されても精神的なバランスを崩す人がいる


 1)介護負担感(義務感)
 2)サバイバーズ・ギルド(生存者罪悪感)
 3)過剰な期待と激しい落胆
 4)結果を信じない

■文献

玉井真理子『遺伝医療とこころのケア』NHKブックス、2006
信州大学医学部遺伝診療部 http://genetopia.md.shinshu- u.ac.jp/genetopia/basic/basic2.htm