20110707
臨床コミュニケーション2
担当:西村ユミ
映像の中の他者と出会う
〔授業目標〕
私たちは、日常的に様々なメディアを介して多くの映像と接しています。そして、その映像や映像に登場する人々の状態を見て、何かの想像をしたり、何らかの感情が喚起されたりしています。とても直視できないような映像であっても、見ずにいられないこともあります。直接体験していないこととして、距離を持って見ているかもしれません。
今回の授業では、他国で起こった出来事を撮影した1枚の写真を見て、その写真に何を訴えかけられているのかを考えて見たいと思います。またそれをもとに、臨床コミュニケーションの可能性について検討します。〔時間配分〕
16:20-16:40 説明
16:40-17:20 グループディスカッション
17:20-17:40 発表・質疑応答
17:40- まとめ〔背景〕
『Waiting Game for Sudanese Child』と題された写真は、ケヴィン・カーターという報道カメラマンによって撮影され、1993年3月26日付のニューヨーク・タイムズに掲載された。この写真によってニューヨーク・タイムズは1994年にピューリツァー賞(新聞等の印刷報道・文学・作曲に与えられる米国の賞)を受賞している。
「この写真はいく度も増刷され、そのコピーは、難民の食糧支援基金をつのる数多くの非政府援助組織の広告にもちいられてきた。このように、人々の道徳心に訴えて社会活動の支援をあおぐのは、以前から行われている方法である。この写真を見た者は、この子どもを守り、ハゲタカを追い払うために、何かをしたいと思わずにはいられない。あるいは、ある支援組織が述べているように、ほかの子どもたちが同じようにむごい運命にさらされるのを防ぐために、寄付をしようと思うであろう。」(クラインマン、2011)
『Waiting Game for Sudanese Child』 (スーダン)
食料センターに向かう途中に飢えのためくずおれたスーダンの少女の写真
撮影:Kevin Carter(フリーランス)
記事:スーダン南部の飢饉と内戦にかんする内容〔課題〕
1. この写真を見て、感じたことや考えたこと、疑問などを自由に報告し合って下さい。
2. 臨床コミュニケーションでは〈対人コミュニケーション〉について考えてきましたが、この写真を介して、〈皆さん〉が〈うずくまっている少女〉あるいは少女に関連する人々と出会うことが可能であれば、写真を見ることを通して対人コミュニケーションを実現することができると思います。この少女との出会いが可能であると考えるか否かについて話し合って下さい。また、その理由も報告して下さい。〔参考文献・資料〕
・【Pulitzer Prize】写真部門受賞作品一覧
http://matome.naver.jp/odai/2126404245962569601
・クラインマン,A他著、坂川雅子訳、池澤夏樹解説『他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る』みすず書房、2011年3月〔参考:クラインマン、2011より〕
※この書物では、映像の政治的・職業的・職業的・一般的流用が、遠隔地の視聴者に訴えかけるプロセスを考察しています。写真をとった人の経験へ想像を広げるのに、参考になると思います。「メディアが共同して、感傷的に英雄に仕立て上げた被害者を市場に送りだし、苦しみを矮小化したり偽善的に歪曲するとき、文化的表象と社会的経験はどういう影響を受けることになるのだろうか。」(p.xi)
「この写真は、別の疑問も生じさせる。カーターはなぜ、子どもを守ろうともしないで、ハゲタカがそれほど近づくのを放っておいたのか。写真を撮影したあと、彼はどうしたのか。これはある意味のやらせだったのではないか。子どもを助けようとはせず、効果的な写真をとろうとして数分間待っていたカーターは、ハゲタカの共犯者と言えるのではないか。(子どもが死にかけていることを考えると、その数分間がもつ意味は大きい。)
死にかけている子どもに対するカーターのかかわり方(あるいはかかわらなかったこと)にかんする倫理上の疑問は、彼が死んだことによっていっそう強まった。ニューヨーク・タイムズは、1994年7月29日(ピューリツァー賞受賞広告を出した3ヶ月後)に、ケヴィン・カーターの死亡記事を載せた。彼は33歳でみずから命を絶ったのである。そのショッキングな死亡を報じたのは、タイムズ紙ヨハネスブルク特派員のビル・ケラーであった。その記事にも、9月12日号のタイムズ紙に掲載されたスコット・マクラウドの長文の追悼記事にも、カーター自身が語ったという写真撮影の経緯とその後の経過が述べられている。……彼は、空き地に出た。かぼそいヒューヒューというような声が聞こえて、小さな女の子が食料配給所に行こうとしているのが見えた。彼が彼女の写真をとろうとしてしゃがんだとき、ハゲタカが舞い降りてきた。鳥を刺激しないように気をつけながら、彼は最もよい構図を探した。後に述べたところによると、彼はハゲタカが翼を広げるのを20分ほど待ったが、鳥がじっとしているので、ついに写真をとり、それから鳥を追い払った。それから、女の子がふたたび動き出すのを見守った。そのあと、彼は木陰にすわり、タバコに火をつけ、神に語りかけ、そして泣いた。のちに彼はふさぎこんだ……彼はずっと、自分の娘を抱きしめたいと思った、と語っていた。」(p.5-6)