35■植民地期におけるクレオール差別の実態
「南北アメリカにおいては、傾向はひじょうにはっきりしている、スペイン領アメリカで1813年までに副王に任命された170名のうち、クレオールはわず
か四名しかいなかった。この数字がどれほど驚くべきものかは、1800年当時(1370万人の原住民を支配した)西帝国の「白人」クレオール320万人に
対し、スペイン生まれのスペイン人はその5パーセント以下であったことからうかがわれよう。メキシコ革命前夜、この副王領のクレオールと半島人の比率は
70対1という圧倒的なものであったにもかかわらず、クレオールの司教は一人しかいなかった。そして、言うまでもなく、クレオールがスペインにおいて重要
な官職に昇るなどということは、ほとんど考えられないことであった」(アンダーソン 1997:102)。