41■もし私がオランダ人なら……
・もし私がオランダ人なら……(ス
ワルディ・スルヤニングラッド[キ・ハジャル・デワントロ])
・歴史的背景:1913年バタヴィ
アにおける(フランス帝国主義からの)オランダ「国民解放」100周年の祝典行事。植民地下の「原住民(=ジャワ・イン
ドネシア人)」も参加、寄附をおこなうことが命令された。それに抗議する、ナショナリストであるスワルディ・スルヤニングラッドが、オランダ語で新聞に
「もし私がオランダ人であったならば」という論説を書く。アンダーソンはその文章をそのまま引用する。
・ポイントは、植民地政府たるオラ
ンダが抑圧からの解放を祝うとすれば、オランダが抑圧統治しているジャワ・インドネシア人に「解放を祝う」ことを強制す
るメンタリティは信じがたい。なぜならば、解放された自分たちが祝賀する気分を、抑圧している当の「原住民」に要求することは、倒錯している。すなわち抑
圧された原住民の気持ちを理解した上で、原住民自身が祝賀をおこなう気分になれないことは誰でもが理解できるからだ。
・「私の考えでは、もし我々が(こ
こでは私は依然として想像上オランダ人なのであるが)原住民に対して我々の独立を祝うようにすすめるならば、それはたん
に不適切だというばかりでなく、見苦しいことでもある。まずなによりも我々はかれらの名誉心を傷つけることになる。なぜなら、我々は、現に我々が支配して
い
る国で我々の独立を祝うからである。我々は、百年前に我々が外国人の支配から解放されたことを歓喜の念で迎えようとしている。そしてそれをいま、我々が支
配している人々の目前で行おうとしている。かれらもまた我々と同様、かれら自身の独立を祝福する時が訪れることを待ち望んでいるのではないだろうか。それ
とも、我々は、これらすべての原住民は我々の統治の結果、その精神をまったく喪失させてしまったとでも考えているのであろうか。もしそう考えているのだと
したら、我々は自己欺踊をおかしていることになる。なぜなら、すべての共同体(コ
ミュニティ)はたとえいかに未開であるとしても、すべての植民地支配を拒
否するものだからである。もし、私がオランダ人であったならば、私は我々自身がその独立を剥奪している国で独立の祝典を行うことはないであ
ろう」(アン
ダーソン 1997:192-193)。
リンク
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文献
・アンダーソン,ベネディクト(1997)想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ), NTT出版;
〔増補版〕版 (1997/05).