50■原初的本源への回帰としての言語/クレオールにおけるスペイン語の採用
・新大陸のナショナリズムのヨーロッパへのスピンオフにみられるパラレリズム、およびヨーロッパにおける国民と言語の決定的な隠喩的結びつき(アンダーソ
ン 1997:321)。しかし、新大陸では事情が違った。
・「南北アメリカでは問題は別のやり方で設定された。一方では、国民的独立はほとんどどこでも1830年代までに国際的に承認された。国民的独立はこうし
て遺産となり、ひとつの遺産として、家系(ジェネオロジカル・シリーズ)に入ることをよぎなくされた。しかし、〔アメリカでは〕ヨーロッパで当時発展しつ
つあった手段はすぐには役に立たなかった。アメリカの国民主義運動において言語は決して争点にならなかった。すでに見た/ように、本国と共通の言語(そし
て共通の宗教、共通の文化)を共有すること、これが最初の国民的想像力を可能にしたのだった。たしかに「ヨーロッパ的」思考といったものがすでに作用して
いると認められる事例もいくつかないわけではない。たとえば、ノア・ウェブスターの1828年版(すなわち「第二世代」)『アメリカ英語辞典』は、英語と
は違う系譜をもつアメリカ語に公許の印を与えることを意図していた。パラグアイでは、グアラニ語を使用する一八世紀イエズス会の伝統によって、ホセ・ガス
パール・ロドリゲス・デ・フランシアの長い排外的独裁政治(1814-1840)
の下で、スペイン語とはまったく違うこの「現地」語が国語となることができた。しかし、概していえば、言語的手段によって国民性に歴史的奥行きを与えよう
といういかなる試みも克服し難い困難にぶつかった。事実上すべてのクレオールは、制度的に(学校、印刷メディア、行政的慣行、等々によって)土着のアメリ
カのことばではなくヨーロッパのことばにみずからを委ねていた。あまりに言語的系譜を強調することは、まさに「独立の記憶」をあいまいにする危険があり、
決定的に重要なことはこの記憶を維持することであった」(アンダーソン 1997:322-323)。