55■メシア的時間メモ
中世の人びとのメシア的時間(ベンヤミン)/同時性
「メシアはたしかに解放者として来るのだが、それだけではない、彼はアンティクリストの克服者としてやってくるのだ」――ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」
IV
「歴史は構成の対象であって、この構成の場を成すのは均質で空虚な時間なのではなく、現在時(Jetztzeit)によって満たされた時間である」――ベ
ンヤミン「歴史哲学テーゼ」XIV
「歴史主義は歴史のさまざまな要素の因果関係を確立することで満足する。しかし、いかなる事実も、それがなにかの原因だとしても、そのことだけですでに歴
史的事実なのではない。それは、死後の生において、何千年も隔てられているやもしれぬもろもろの出来事によって、歴史的事実となったのだ。このことから出
発する歴史家は、数珠を爪繰(つまぐ)るようにもろもろの出来事の連なりをたどることをやめる。自分自身の時代が以前のある特定の時代と出会っている状況
布置(コンステラツィオーン)を、彼は把握する。そのようにして彼は現在の概念を、メシア的な時間のかけらが混じりこんでいる〈現在時〉として根拠づける
のである」(ベンヤミンコレクション1:664)。
「周知のように、未来を探ることはユダヤ人には禁じられていた。律法と祈祷は、その代わりに、彼らに想起を教えている。占師に予言を求める人びとが囚われ
ている未来の魔力から、想起はユダヤ人を解放した。しかしそれだからといって、ユダヤ人にとって未来が、均質で空虚な時間になったわけではやはりなかっ
た。というのも、未来のどの瞬間も、メシアがそれを潜り抜けてやってくる可能性のある、小さな円だったのだ」(ベンヤミンコレクション1:664)。