医療援助はなぜ成功しなかったか?
Why do not funciton
various Health-Aid-Programs all over the world?
われわれは誰しも、はじめは楽観的なのだ。これは誰しもが心理 的に都合のいいことしか考えないからで、戦争の恐怖を予想し熟考しようとする者はいないし、戦争につきものの道徳や礼儀の崩壊について考える者もいない。 そこで心理的防衛策として楽観的な想像力を行使するのである。―― ポール・ファッセル(宮崎 尊訳)『誰にも書けなかった戦争の現実』p.21,草思社、1997年
〈障碍としての文化〉対〈医療の刺激としての文化〉——1990年当時のエッセーです
●PKOを持ち出すまでもなく、我が国の国際貢献には世界の眼がそそがれてい る。とくに政府開発援助(ODA)の近年における突出は著しい。もっとも援助協力の現状の中味のほうがすべて順調であるかというと、そうではない。我が国 のODAに対して厳しい批判があることも現実である。
●他方、政府以外にも協力を行なっている国際機関やあるいはNGOを通して協 力の現場に飛び込んだり、国内にいて種々の支援をおこなっている人も多い。まさに国際協力になんらかのかたちで関わる人の数は、欧米諸国に比べて見劣りは するもののその成長からいえば決して遜色のあるものではない。
●内戦や紛争に生じる難民、深刻な干ばつによる飢饉。そのような報道に、献身 的に働く医師や看護者の姿を見つけることは困難ではない。生命の尊厳に基づく人道的な救助、とりわけ医療に携わることは何事にもかえ難い要請としてあり、 また歴史的にも重要な役割を果してきたことも否めない。
●にもかかわらず、そのような個々の「人間の基本的な要求」に応えるために医 療活動を通しての援助協力がシステムとして機能するとき、様々な問題が生じてきたことも事実である。それは個々の診療の現場における医療者と患者の齟齬か ら、プロジェクトの効果判定という援助そのものの有効性についての議論まで様々なレベルで指摘されている。
●そのような状況のなかで、医療援助協力に対する国民の関心も高まってきた。 実際、我が国の医療技術は、欧米諸国と比べても非常に高い水準にある。さらに、それは西洋医学を外部から導入し(決して平坦な道ではなかったが)現在のよ うな水準にまで高めたという特色をもっている。このような医療水準の高さや健康の達成のための医療施策を発展途上国にも移転したり役立てられないかと考え るのはきわめて当然な発想である。
●我が国は、産業分野における技術協力や道路建設、発電所やダム建設などイン フラストラクチャー整備への援助協力に比べれば見劣りがするものの、世界各地で医療技術の移転が試みられてきた。もっとも、先進諸国おこなってきた医療援 助の経験と比較すれば、量質ともに、どちらかと言えば〝後発〟の国に属している。
●さて、先進諸国において医療援助が現在にまで順調に成果を挙げてきたかとい うとそうではない。現地の社会の人びとの行動を把握していなかったり、伝統的な慣習に通じていなかったり、あるいはプロジェクトそのものを――住民による 持 続的な継承――というかたちに展開するという配慮を怠ったゆえに、数々の医療援助計画が失敗してきた。
●また、人びとに経済的な発展をもたらすと考えられている開発そのものが地域 に病気を流行させるという逆説も引き起こした。いわゆる「開発原病」である。これは、ダム建設や大規模な森林伐採によって付近の環境が急変したために、淡 水貝や昆虫など寄生虫疾患の宿主となる動物が繁殖し、住血吸虫症、ウイルス性の脳炎、マラリアなどの病気が流行することである。
●環境の急変に伴う病気の蔓延という事態はどのような開発援助においても食い 止めなければならない課題であるが、実際に起こった現象は発病(あるいはそれによって引き起こされる死亡)という数の問題だけでは終らない。人びとはその 病気を災いとして解釈し、それに対するさまざまな対処行動をとる。引き起こされた開発原病を速やかに制圧するためには、近代医学知識に基づく正確な病気の 同定や対策のみならず、住民の行動や信条についての理解にもとづく適切な助言が必要とされるのである。
●「第二次大戦以前の旧植民地時代に病院建設や寄生虫疾患対策を中心にしたプ ロジェクトが軒並に失敗した経験をもっていた医療援助の公的・私的団体は、一九五〇年代には近代医療を低開発地域で普及させるためには、現地のシステムと 近代医療システムとの間にどのような文化的な障壁があるのかを知り、それを取り除くことが不可欠と考えるようになった。そのために人々の伝統的な考え、医 薬、病気への対処行動やその理念・信条への理解が求められた。すでに開発先進国では、世界各地の伝統社会についての知識、さらに儀礼をも含む治療技術に関 する資料が人類学者たちによって収集されていた。言うまでもなく、人類学者自身は個々の現地の事情に精通している。このような歩み寄りが、医療援助プロ ジェクトに人類学者や社会学者を参加させる今日のようなスタイルの基礎となった。」
●「他方、開発先進国では技術革新を中心に展開を遂げていた近代医療が、一九 六〇年代を通して次第に行き詰まってきたと意識された。その中で西洋以外の医学体系の知識や技術の理解を通して、そのような状況を打破したいという社会的 な要請があがってきた。また人類学の学界においては、認識人類学、象徴人類学などの新しい方法と認識が登場したが、その研究素材として〝医療〟に関する事 象(健康や病気の概念、治療技術や薬草の知識、治療儀礼など)が盛んに話題として取り上げられた。社会的には後に*ホリスティク・メディスンと呼ばれた、 近代医療の相対化の運動が起こったのもこの時代である。」
●「医療人類学とは、以上のようなことを背景にして一九七〇年頃から米国を中 心にして興隆した、医療と文化に関心を抱く生態学、疫学、心理学、看護学、民族学、社会学などの複数の分野にわたる雑多な研究の集合体であった。学際的な 研究集団が、後にひとつの学問領域として名乗りを上げるように、医療人類学も八〇年代中ごろには一定の学問領域として理解されるようになった。その背景に は、学際的で応用的な可能性をひめたこのような領域を支援する公的、私的な研究費の援助、いくつかの専門雑誌の創刊と流布、先に述べた教育コースにおいて 医療人類学で学位を取得した研究者の活動などがあった。」
【学会時のメモ】
(武井13:25-)
・国際医療協力の効果の二つの側面→→①病気からのジェノサイドを防ぐ、②文化的にジェノサイドを促進する。
・調査をすれば解決するかというと、そうではない。
・土着文化の資源
・消極的な蔑視→白人は土着文化を高揚しながら、そこから学ぼうとしない。 (青木)
・PZQの投与で、陽性率が6割から2割に低下したが、プロジェクトが終ってから再び6割の水準に戻った。 (吉村)
・世界の熱帯病のチャンピョン(池田の言葉)は上位より、マラリア(2億)、住血吸虫(2億)、フィラリア(1億2千万)となり、この後に、ト リパノソーマ、ハンセン病、リーシュマニアなどが続く。 (岩淵)
・外国人の調査=外国人への警戒感
・近代医療は外国のものであり、ドゥクン(呪医)に依頼する。
・近代医療によって被害を被る。経口避妊薬の濫用、注射針の共有など、いい加減な近代医療への反感がある。
・医師と呪医の協力は可能か。
・原住民が真に必要としている手段はなにか (大塚)
・外部医療 V.S. 土着医療という構図
・途上国の医療制度そのものの問題。内部からの近代化をどのように整備すべきかという問題がある。
・近代はひとつではない。さまざまな近代化へのプロセスがある。
・衛生観念、病気観念などは、長期的には学校教育などを通して、さらに個別的な伝統との関わりのなかで形成される。 (林)
・援助に慣れっこになった住民が、飲料用の水タンクの建設費をめぐり金の分捕り合戦を展開した。
・一見自給していた[ように見える]村落に外部からの援助が入ったとき、どのようになるか?、という調査研究が必要である。
・現地からの<近代化>という現象の翻訳作業が必要。
・外部から援助の見るという視点(←プロジェクトを評価する外国人の視点)/内部から援助を見る(現地人の視点=人類学が目標とする視点)があ る。後者の視点をどのように提示するか? (松岡)
・途上国の多くの人びとには“予防”という概念がない。予防は、現地ではニーズがない。そして、この予防の概念は、言えば分かるという“知識教 育”で解決するような問題ではない。
・予防には“自分の責任で管理する、自立する”と考える枠組みが必要なのだ。
・医療化が進みやすい領域はある。
・“自分に主体がある”という考えに帰着する西洋近代的な考えは、結局は現地の人の“自身”を失わせるという結果につながるのかもしれない。 (池田)
・誰が<内部>を代表するのか?/援助される側の社会は、我々の社会が一枚岩ではないのと同様に、常に均質な社会であるとは限らない。
・医療化の推進によって、文化的なジェノサイドが起こる可能性は避けられない。問題は、誰がその医療化の文化を選択するのかというほうが重要で はないのか?
・現在までの歴史は、医療と人類学がどう補ってきたか?ではなくて、どう棲み分けてきたか?ということではなかろうか?
・国際医療協力に従事している医学者からは人類学に対する要請が生じている一方で、生物医学もまた、人類学の憂慮などお構いなしに、ばく進して いるのである。 (中村/抄)
・現地の人たちが、自分たちの生をどのようなかたちで充実させているのか?
・長期にわたるアクションプログラムが立てられるべきである
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