はじめによんでください

未開と古代を混同することを忌避する文化人類学

Kulturanthropologie, die es vermeidet, das Unzivilisierte mit dem Antiken zu verwechseln.

Image of wax dolls being given to the devil, circa 1720. Wellcome Library

Mitzub'ixi Quq Chi'j

レヴィ=ストロースは、1952年に民族 学=文化人類学という学問が醸し出している、未開や古代――古代性という概念でアルカイスムと呼ぶ――の概 念の混同や、その実体化にともなう、過度の理想化を戒めている、

「さしあたり重要なことは、民族学が「未 開」という用語になおつきまとっている哲学的残滓から解放されるよう手助けをすることである。真の未開 社会は調和的な社会であるはずである。その社会は何らかの形で自足的な社会であるから。反対に、世界中ほどんどいたるところで、いちばん真正なアルカイッ ク社会と見えるものが――われわれの研究にとって特権的な考慮を払われているものだが――すべての不調和の苦渋にみちた社会であり、そこには見まごうかた なく歴史的事件(エヴェヌマン)の刻印が押されていることをわれわれは見たのである。/時の破壊作用をくぐり抜けて生き残った無数の亀裂は、もはやもとの 鈴の音の幻想すら呼び起こすことはあるまい、かつてそこには失われた調和が鳴り響いていたのでもあろうが」(レヴィ=ストロース 1972:133)[翻訳は生松敬三、原著論文は1952][荒川幾男ほか訳『構造人類学』所収、みすず書房]。

レヴィ=ストロース、クロード「民族学に おけるアルカイスムの概念」

【提案】なぜ古代という言葉が(研究会名 称として)使えないのか?

【理由】  古代という名称が、現在の研究者の集団の名称にそぐわないため。

【補足説明】

「古代」という言葉は、辞書的にギリ シャ語の語源のなかに否定的な意味をもつから、使えないという意味ではないと思います。この言葉の問題 (会場でO先生が言及された内容にも関連しますが)は、もっと別の「現代」社会の文脈の中に位置づける必要があると思います。

いかに真摯な動機であっても、学問をす るということは、それが容認される社会の価値観と無関係ではありません。遺跡を掘ったり、遺跡に関する 学術的な議論をしたりしても、つねにその遺跡と関わっている人びと(先住民、当該遺跡の「国家や国民」など)と関わりをもつことは言うまでもないでしょ う。遺跡を語ることは、多かれ少なかれ現在の生きている人びとと関わらざるを得ません。調査対象になる遺跡や遺物を我々の時間に先行する「古代」のものと すること自体に一見なんの価値観も介在しないように思われますが、それらのデータや議論は、先の「遺跡に関わるすべての人びと」の目にふれ、知識として共 有される可能性をもつことは否定できないでしょう。

そこで問題になるのが「古代」という用 語です。現在、学術用語としての「古代」は、おしなべて西洋の学問が非西洋の遺跡を研究対象とすること で発達・洗練を遂げてきました。もちろん、考古学が一種の国学的な発展をとげた日本の考古学や革命以降の中国の「文物」考古学はここでは視野に入れませ ん。なぜなら、我々の関心の対象はアメリカ大陸にあるわけですから。もちろん、メキシコのように極東に似た形で成立した考古学・人類学などの例もあります が、ここではすべて、研究対象になった/なる人びとの立場ということを想像してください。西洋の考古学は、科学として成立する前は、ほとんど西洋人の宝物 探しと博物学的な興味がないまぜになったジャンルでした。西洋の考古学の歴史を検討すれば明らかなように、植民地から収奪してきた遺物の詳細な研究が、そ れを怪しげなジャンルから科学へと「離陸」させたのです。しかし、古代ということばは、離陸する前から使われていました。また進化主義人類学の最盛期にみ られたように、未開と古代しばしば学問的推量という名目ではなはだしい混乱をもって使われました。いまや未開社会研究会という組織がアナクロニズムだと思 われるように、早晩「古代社会研究会」もそのような批判にさらされるだろうと思います。ちなみに、実名でそのような例があり上田篤監修・古代社会研究会が 翻訳した『アメリカ先住民のすまい』の著者はL.H.モルガンですが、これが進化主義人類学の大御所であることは、たんなる偶然以上のものがあります。

もっとも古代の替わりに先史という文字 をもってきて、話がすむわけではありませんが、古代という名称をあえて忌避したということを会の名称決 定に際して会員がちゃんと明記/銘記しておけば、先史という語を、研究対象を価値下落させるために用いたのではないという確認になると思います。もし、古 代という言葉に執着されなければ、アメリカ文化研究会でもかまいません。現代のアメリカの民族誌に興味をもったり、私のように遺跡の今日的な意味について 考える研究者なども引き込んで、会を盛大にするには、かえってゆるやかなタイトル(ニックネームなど)でもかまわないと思います。

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池田蛙