ストリートキッズの戦争に関する課題や質問
池田光穂
【課題 1】
A.映画で表象されているブラジルのストリート・チルドレンの問題とはなにか?次の3つの立場から指摘せよ。
(1)ブラジルの行政担当者
(2)商店経営者を含むブラジルのいわゆる“一般市民”
(3)ストリートチルドレンと呼ばれる当事者たち
B.このような問題群が生じるのはなぜか? 君が考える原因を多角的に論じてください
C.このような問題群に、あなたが行政担当者(ないしは地域ボランティア)として参加するならば、あなたはどのような施策(ないしは運動)に着手するか?
【課題 2】
1. サンドラ・ウェルネック制作『路上の子供たち(A Guerra dos Meninos)』――原作ジルベルト・ディメンスタイン『子供たちに対する戦争』(邦訳名:風みたいな、ぼくの生命:ブラジルのストリート・チルドレン、現代企画室、1992)――をみて、ブラジルにおけるストリート・キッズの現状についての概観を把握する。
2. 社会問題としてのストリート・キッズが、ブラジルの人びとにどのように捉えられているか考える。
3. ブラジルのストリート・キッズが、ウェルネックやディメンスタインらによって、どのように表象されているか考える。
4. このような「問題」を見る我々は、そこから何を学び、どのようにして、彼ら/彼女らとの関係をもつべきなのかを考える――あるいは社会科学研究を通して「もつべき」という表現や主張(imperative)のあり方そのものについて考える。
実際にあった質問です
(文章は変えてあります)
しつもん1
(1)本やウェッブページによって、ストリートチルドレンと書いてある場合とストリートキッズと書いてあるものがあったのですが、それらは同じ意味なのでしょうか?
(2)先進国のストリートチルドレンについて調べたいのですが、なぜ先進国ではストリートチルドレンが少ないのでしょうか?
おこたえ
ストリートチルドレンとキッズは同じです。前者のほうが先に登場したように記憶しています。
なぜ2つの言い方があるのかわかりません(ポルトガル語が英語に翻訳されたことと関係しているかもしれません)。また、キッズのほうが口語的つまり親しみやすいので、冷たく突き放すチルドレンよりもキッズという呼び方がこのましいのではないかという考えが登場したのかもしれません。
先進国にストリートキッズが少ないのは、先進国では児童を保護する社会保障システムが発達しているからです。
日本でも半世紀前には戦災孤児というストリートキッズが多くいました。ただし、これは経済のひずみによるだけものでありませんでしたが……。また、社会が豊かになり、かつ親たちが自分の子供たちを深夜遅くまで外出させる――時には外泊させる――という現在の状況は、ブラジルとは異なった意味でのストリートキッズの誕生を意味しています。また、将来、子供たちの非行に対して、一般市民や取り締まり当局が、法的手続きによらない非人道的処置を加えるようになる事態がおこれば、日本はブラジルの都市部で経験したことと同じことになります(つまり潜在的可能性をもちます)。
ここでは 「日本にはストリートキッズがいない(いなかった)」という言い方は、正確ではないということを理解してください。
ストリートキッズの問題は、それだけが問題の根源ではなく、社会や経済のひずみが、社会的弱者である子供に現れる人権侵害、つまり虐待としてみることが重要です。先進国には、概ねストリートキッズが発生しないような児童福祉の法的な整備が進んでいるからです。しかし、児童の虐待は先進国でも途上国でもつねに解決が求められている重要な問題です。したがって、きみが研究テーマにあげた「先進国にいるストリートチルドレン」の研究それ自体を調べてみることはそれほど意味はなく、子供への人権侵害という観点から考察することを通して、どう子供の問題なのか、というポイントが明らかになります。
むしろ、先進国では発生しにくくて、なぜ途上国に多いのか、また途上国においてもストリートキッズが発生しない地域や国家もあります。その違いはなぜか、について調べるほうがよいでしょう。
勉強の成果がでたらコピーでも送って下さいね。
しつもん2
映像の中で、昼間子供たちを受け入れる施設があっても、夜の売春には相変わらず従事しているような映像がありましたが、これは保護にはあたらないのではないでしょうか?
授業の中での先生の方策に、子供たちにコンドームを配布し、その使い方を教えることも重要であるという話がありましたが、そもそも子供たちの間でのセックスや児童売春を廃絶すべきではないのでしょうか?
おこたえ
保護には当たらないとも言えますし、保護の一種であるとも言えます。ストリートキッズを救済するのは、子供たちに避難場所を与え、教育を授け、最終的に自立した市民生活をおくってもらうということです。
近代国家や比較的豊かな宗教的団体では、ストリートキッズを収容し、教育を施し、自立させるプログラムをもっていますが、そのようなことがいきなり望めない場合、我々はどう対処すべきでしょうか。
政府や宗教団体に働きかけることは重要ですが、まず市民が行えることからはじめるべきです。ストリートキッズとは、誰なのか、子供たちはどのような状況にあるのか、ということを把握するためには、収容して管理という発想ではダメです。
そこで重要になるのは、リハビリテーションという考え方です。リハビリテーションは、あくまでも立ち直る人が自覚をもたない限り成功しません。またリハビリテーションをサポートする人たちは、立ち直る人たちの精神上や健康状態の把握が必要です。そしてなによりも、サポーターは立ち直る人のよき理解者であること以上に、対等な立場から助言できなくてはなりません。
したがって、資金やマンパワーのないところでは、まず、デイケア(日中だけ一時的来て貰い支援のネットワークに加入する)からはじめます。
そこで大切なことは教育ですが、それ以上大切なことは、子供たちが生き延びることです。HIV感染という危機にさらされている子供たちがサバイバルするには、コンドームの配布だけなく、なぜそれが必要なのか、サバイバルに繋がるのかということを理解し、コンドームの利用を習慣づけることが何よりも重要になるのです。
「児童売春そのものをくい止めることが重要であり、コンドームの配布はそのシステムの延命に繋がる」という批判をすることはたやすい。しかし、その批判が浸透し実際に廃絶される前に、たくさんの子供たちがHIV感染の犠牲になっています。
したがって、児童虐待のシステムの廃絶を訴えることと、子供たちにコンドームの使い方を教えることは、決して矛盾しないのです。