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保健普及員
On health promoters in Central America, 1980s-1990s

池田光穂

保健普及員

保健普及員の制度は、プライマリヘルスケア主導の保健行政の流れのなかで一九八〇年代以降、急速に低開発諸国の政府や非政府組織の間で採 用されるようになった。この章では中央アメリカの保健普及員の制度について紹介し、さらに衛生教育を通して住民に伝えられる健康の概念について検討する。

ここで言う保健普及員とは、現地でプロモーター(promotor)、ボランティア(voluntario)、協力者 (colabarador)、曹長(brigada)などの名称で呼ばれ、英語では保健ボランティア(health volunteer)と呼ばれているものに相当する。保健普及員の活動の内容はそれぞれの国、地域、実行している団体により様々な形態があり、現地の住民 から選ばれ、簡単で自主的な保健活動を、無償奉仕で行い、住民と制度的な保健サービス機関の間を媒介する役割を担うとされている点で共通である。またこの 普及員養成とよく似た制度に、伝統的な出産介助者を保健地域の末端の簡易保健所で基本的な講習会を受けさせ、彼女たちを通して村落レベルでの出産の状態を 調査する「訓練された出産介助者」(partera adiestrada )がある。いづれも、政府には雇用されないボランティアであり、政府の医療政策の最末端に位置している。もちろんボランティアといえども、講習会への参加 には旅費や食費など支給があり、簡単な業務報告の義務もある。

中央アメリカの村落部でのプライマリーヘルスケアに関する保健活動には次のようなものがあげられる。(1)母子保健、特に五歳未満の幼児 と妊婦に対する予防接種。(2)伝統的医療の把握の統轄、特に伝統的出産介助者に対する講習会の実施および登録管理や薬草の知識の収集など。(3)環境衛 生、簡易上水道および簡易便所の設置、マラリアなどの媒介動物病の対策である。

もちろんこのような活動がすべて円滑におこなわれているわけではない。母子保健に関しては簡易保健所における診療や予防接種のほかに、年 に数回の保健地域における予防接種の一斉キャンペーンがあり、それぞれの村落を回り簡単な診療と予防接種をおこなうが、徒歩ないしは馬による移動をともな い接種率は極めて悪い。伝統的医療に関する情報の収集は、保健省と提携した非政府組織か大学の研究室との協力関係によっておこなわれ、その実施の規模は小 さく、計画そのものの知名度も低い。環境衛生や簡易上水道は所轄官庁が保健省ではなく、またODAあるいは非政府組織の援助を受けており、総合的な保健施 策の一環であるということは、政府高官にもまた末端の職員にも認識されていない。

保健普及員の養成

普及員の養成は次のような手順が踏まれる。まず最初に保健省が養成計画を立てられる。その計画にもとづいて各地域の保健事務所は、看護婦 や保健所のスタッフが農村部で地元民からなる普及員を養成できるように短期間の講師養成講座を開催する。つまり、普及員を養成する講習会を運営するための 講師を内部のスタッフから要請する。

講師養成のための研修の内容は、WHOや他の医療援助機関が作成した内容に準拠している。したがって教科書のレベルではそれぞれの国や地 域による社会環境や文化の違いについて特段配慮されることはない。この研修は、将来住民が普及員として養成されるのと同じ方法によって、医療スタッフもま た保健普及員になるという一種の加入儀礼的な側面と、地元民への講習の際に必要なさまざまな教育技法の伝授という実際的な側面という二つの性格をもってい る。

加入儀礼としての講習に用いられる方法は、ロールプレイイング、共同作業による問題解決などの集団啓発にもとづくものである。また研修自 体が参加者にとって退屈にならないように、作業の合間にはディナミカ(dinamica)とよばれる簡単なリクレーション・ゲームが行なわれる。医療ス タッフを講師として養成するための教育技法の伝授であるということは、それぞれの個々の研究内容が終了した際に、これらの手法の意義や効用の解説などでわ かる。つまりそこではそのような教育技法のねらいや非協力などの少数意見の吸収の方法など具体的な対応について学ぶことに主眼がおかれる。講習の最終目的 は、住民に対する啓発を通して健康を向上させることであることが主張されるのである。

この医療スタッフに対する研修が終了した後、彼らはそれぞれの村落にある職場、つまり簡易保健所に戻り、今度は実際に住民の一部に対して 普及員の研修をおこなう。医療スタッフは研修を始める前に、住民からその候補者を選択する。多くのマニュアルには「普及員は住民の互選によって選ばれる」 という条項があるが、現実には、ある程度の教育を受けていて、外向的で、対人関係において問題のない住民がスタッフたちによって選ばれることが多い。その 際、役人や小学校教師など現地の公的機関に働く人々と相談して候補者が決定されることもしばしばだ。普及員の候補者達には文書や口頭で、研修参加のメリッ ト、旅費の支給、ディプロマ(diploma)と呼ばれる修了書が研修の終了に送られることなどが伝えられる。そのようにして周辺の村落や村落内の各地区 からそれぞれ一人ずつ選ばれた、およそ一〇名から二〇名程度の住民に研修が行われる。研修は一週間を最小の単位の期間として設定され、保健所か小学校など でおこなわれる。そこでは保健所のスタッフを指導者として、様々な保健知識の講義、例えば下痢や結核についての知識、予防接種の概念、昆虫などが引き起こ すマラリアなどの病気、衛生教育、つまり簡易上水道や便所と病気の関係などが講義される。研修はイラストの入ったパンフレット(folleto)、紙芝居 風の教材(rotafolio)が用いられる講義と、グループ学習や共同討論の発表などから構成されている。研修の最終日には簡単な茶話会があり、和やか ななかに参加者とスタッフよる総括がおこなわれる。最後に修了書と身分証明書に似た登録書が渡されて研修は終わる。

定着の実態

保健普及員の日常的な活動は地域の保健計画によって相違はあるが、いくつかの共通する活動があり、およそ次のようなものである。(1)一 日のうち空いている時間を訪問した患者の応急手当や投薬などの簡単な保健活動に費やす、(2)保健省の予防接種のプログラムに参加する、(3)現地で医療 スタッフが衛生教育の集会を開催するときに住民の窓口となって協力すること、などである。保健普及員と保健省の間には恒常的な雇用関係はなく、日常の活動 は無料のボランティア活動でおこない、またその活動に関して報酬は原則として受け取らないことになっている。この理念は研修期間中にもたびたび強調され、 「保健普及員は病気の無い社会を作り上げるために保健省のスタッフと協同して、社会的な奉仕に参加し人々の模範となるべきだ」とくり返し主張される。もっ とも、これは現実にはそれがおこなわれていないことの反映であることも考えられる。なぜならばこのような研修を数多く手がけてきた医療スタッフは、医薬品 の隠匿や転売あるいは、家族や親類縁者への譲渡などの不正使用があることを指摘している。もっともそのようなことがないように、簡易保健所は普及員には、 必要最小限の機材や薬品を手渡されないばかりが、実際にはそのような機材そのものが行き渡らないこともしばしばである。もちろん普及員の制度は、別の見方 からすれば政府主導の保健思想の普及に主眼が置かれており、あくまでも医療の最末端である簡易保健所に患者を受診させることにあると理解されるからであ る。

普及員制度の現地への定着は、プロジェクト評価という行政的な尺度と、社会学的な尺度の二つの点から評価をおこなうことが可能である。行 政的な観点とは、普及員に配布される医薬品などが適正に使われているか、衛生教育の実施に際して彼らが現実に参加しているかという測定可能な尺度で医療ス タッフが判断するものである。いっぽう、社会学的な観点とは、実際に現地の人々から普及員の制度が認知され、それが具体的に利用され、社会のなかで機能し ているかという点が問われることである。

行政的な観点からは、普及員の制度がしばしば、その理念から逸脱する行動が生じるという問題がある。とくに普及員の活動が活発であるとこ ろにはより顕著にみられる。それは普及員が、無料で配布するはずの医薬品を有料で、あるいは決められた値段の医薬品をさらにマージンをつけて売る、無償で 行なうという条件で提供された医薬品についての知識を用いて、今度は彼ら自身が「治療者」として営業をはじめる、といった問題である。通常このような問題 が発生すると保健省などは事実関係を調査して医薬品の提供を停止するとか、普及員の登録書を取り上げるという措置を行なう。これは行政側の判断としてきわ めて正当な処置である。しかし、村落の住民が身の回りにある制度を利用して小さなビジネスチャンスを切り開こうとしていると解釈すれば、行政側の対処にも 異なった方策を盛り込む必要も生じてくる。つまり、普及員に対する適切な動機づけとして彼らが取得するマージンを正当な報酬として位置づけることである。 小農民たちは立派な資本主義的な精神を持ち合わせているとすることも可能なのである(Tax 1972)。行政が普及員に再三再四にわたって主張する「社会な奉仕の精神」が、人びとの理念ばかりに訴えて、彼らの生活感覚にうまく適合していないので ある。他方、このような経済的動機づけが手放しで喜ばしいものだと言えない側面もある。というのは、この現実的な保健普及員の制度の改善は、保健省が普及 員に対して小銭を稼ぐという動機づけをおこない、村落の人びとの保健にいたるまで資本主義化することでもあるからだ。

社会学的な観点からは、普及員が制度として定着したか否かにある。しかし、普及員の制度はあくまでも基本医薬品が彼らのところまで供給さ れているか否かということでその正否が決まる。実際に、普及員に配布される医薬品が限られたり、その供給が不規則な地域では普及員の活動が低調で、医薬品 の供給と普及員の監督が比較的うまくいっているところは、その活動が維持されていた。ということは、普及員の制度は、人びとの生活を制度的医療に円滑に組 み込むためのものであり、自らの保健を自らの手で守るというプライマリヘルスケアの高邁な精神とは裏腹に、基本医薬品の流通が途絶えれば、自然消滅する運 命にあったのである。

イデオロギーの供給

保健普及員制度をその定着過程や定着の要因の分析から研究することは、この制度の存続に欠かせない視点である。しかし、この制度が人々に もたらす文化的社会的影響について考えることもまた重要である。なぜなら、保健普及員は村落の医療の改善するための制度であると同時に、健康を通して村落 を開発するという外部から介入しつつある社会制度でもあるからだ。保健普及員は近代医療の普及において現地の窓口として利用されるとともに、近代医療の多 様な意味を伝達する存在なのである。保健普及員の教育教材やラジオを使った政府広報から、その伝達される意味について考えてみよう。

ホンジュラスの普及員養成の教材【図1】(Manual t<cnico para la utilizaci<n del rotafolio de patricipaci<n comunitaria,Ministerio de Salud P<blica,Honduras,1985.)をみてみよう。これは日常の村落生活において改善が必要な状態をトータルに描いたものであるが、同 時に改善すべき個々の問題を講習を受ける者が指摘できるように配慮されていることがわかる。ここでは、現地では問題とされることの少ない特定の衛生条件を 人びとが発見的に指摘するように指導される。ここでは、放し飼いにしている豚、泥遊びをする子供、野糞をひる子供などが病気を引き起こす原因であり、これ を参加者は指摘することを通して学習する。これは同じ教材の別の図における整った衛生環境、つまり豚を柵で囲い、衣類と靴をつけた子供がオモチャで遊んで いる状況と対比されることを前提にして、病的状態への意識はさらに強化される【図2】。このような二つの対比は研修のあいだ繰り返えされ、劣悪な環境と は、どのようなものであるかということが住民自身が発見できるようになるまで教育される。環境の劣悪さは整った清潔な環境との比較のなかで認知され、発見 されなければならない。しかし二つの絵を比較すれば明らかなように、病気と健康の対比はそれ自体で完結するようなものではない。病気と健康はそれらをもた らす科学的な因果関係の連鎖にとどまらず、社会が定義する病気と健康の因果関係の連鎖の中に回収されるのである。例えば、図1の劣悪な環境の絵には、茅葺 きの屋根に泥の漆喰(bajareque)でできた家屋の前で裸足の妊娠した女が立っている。この絵は、図2の健康な家族と対比することによって、父親と おぼしき男が不在であることがわかる。この教材が用いられる村落の状態を知る者にとって泥の漆喰の家は貧者の住まいを、土れんが(adobe)の家は有力 者や金持ちの住まいの対比は明らかである。妊婦を男性抜きで表象することは、その女性が婚外性交で妊娠し、かつ男性中心主義社会の中で経済的優位性から疎 外されていることを含意する。つまりマチョ(精力旺盛な男)に孕まされた不幸な女である。さらに履物や衣類、あるいは子供の玩具といった小道具という細部 に眼を凝らすと、この差は重要な意味を持っている。つまり、この対比は実は単なる病気発生の環境条件の対比だけではなく、実は、家庭のようす、その経済的 条件、物資の所有など多様な次元で、幸福なものと不幸なものの対比になっているからである。近代医療が持ち込もうとしている意味を教育教材に見いだすこと は極めて容易である。結核の予防キャンペーンにおいて咳が長期化することを放っておくこと、家族計画のキャンペーンにおいて不用意に子どもを産み続けるこ とは、どこれもこれも病気や貧困、あるいは家庭不和を生むということになると暗示するのである。

どのようなテキストにも不幸の因果論ともいえる説明が込められている。それは、病気と健康が社会性をもつものであるという観点からは、非 科学的な説明ではあるが、経験的感覚にはきわめて妥当な説明になっている。近代医療は要素還元主義に走り、病気と健康の社会性を問わないという皮相的な批 判に我々は常につきまとわれているが、ここでは病気はあらゆる不幸の始まりであるという社会的事実を正直に表象しているのである。しかし、問題はそのよう な病気と健康の社会化がいつも同じではないという点にある。そのような教訓を、ホンジュラスの隣国にあるニカラグアの事例をとりあげて考えてみよう。

ニカラグアは革命初期には識字と保健衛生の改善に著しく成果を上げた。社会主義混合経済をめざしていたサンディニスタ政権期(一九七九− 九〇年)の医療の教育教材(4)では、サングラスを懸けて日光浴をしている太った男の前で子供が元気に遊んでいるところと、貧困者が住む病気の子どもに満 ちたスラムの光景が対比されている【図3】(Donahue 1986)。あるいは下痢になった子どもに経口補水療法を受けさせにゆく母親であるフロールさんが同じ社会階級である男の質問に慌てながらも答えているの に、画面での垂直の上方に位置づけられた金持ちとおぼしき男は独白している【図4】。ちなみに金持ちの男のもつ新聞(La Prensa)の社主は九〇年の大統領選挙で勝利し、サンディニスタ政党を政権から追放した。ホンジュラスの教材とは異なり、ここでは健康と病気の因果関 係は政治経済的関係に還元されるように読み解くようにあらかじめ水路づけられている。ブリガーダ(brigada)とよばれるニカラグアの保健普及員は、 多くの病気は政治経済的な不公平を解消することによって治されると教育する。そして、そのためには人々の献身的な協力が不可欠であるとみなすのである。む ろんこのような対比が過度に強調されるべきではない。教育教材には、そのような日常生活のイデオロギーの介入の度合いの低いものも多くあるからだ。しか し、ある種の社会的表象を通して健康を病気が対比されるときに、ホンジュラスとサンディニスタのニカラグアに期せずして著しい違いが出たことは事実であ る。

中央アメリカの両国の資料を比較すると、ともに病気はネガティブなイメージを付与され、解決されることが待ち望まれる社会の問題として取 り扱われていることに気づく。しかし、病気という不幸の原因追究はホンジュラスにおいては家庭レベルでの対応に止まっているのに対して、ニカラグアの事例 では社会的経済的構造のレベルに展開されている。この場合、ホンジュラスの説明原理がブルジョア的で、ニカラグアの場合はプロレタリア的なのだと述べるこ とは可能であるが、それは単に原因追究のレベルが異なることを言い替えたにすぎず、その違いがなぜなのかを説明しない。両方とも、現状の改善ないしは変革 によって、将来に健康が成就されるという図式が見て取れる。この予防の意味は病気という「不幸」を説明する二つの<疫学>の相違にもとづく。これは日常的 に生起するプロセスとしての病気、あるいは病気になってからはじめて治療が追求されるというごく一般的な病気の治療観とは一線を画している。それらの病気 にたいして提示される具体的な処方箋とは、一方の<疫学理論>によれば、幼児の下痢による脱水症状を防ぐために経口補水療法を行う、簡易上水道や簡易便所 を設置する、家族計画に参画する、結核予防の喀痰検査を受けることなのであり、他方の<疫学理論>によればそのような具体的な医療の実践が社会における経 済的な格差の解消を伴わなければならないとするものである。

保健普及員の候補者が選ばれる基準、研修で用いられる集団啓発法、そこで主張される社会奉仕の精神、研修の終わりに授与される修了書や登 録書、自宅に持って帰り日々の活動に使われる医薬品やイラストの入ったパンフレット類。これらのことから、近代医療概念が共同体に入ってくる際に、それは 単に近代医療制度が移転されるのではなく、全体的な文化として進入してくるのである。そしてその文化的な媒介者の役割を担うのが保健普及員なのである。

保健普及員と村落社会

エリック・ウルフは、複合社会としての国家と村落共同体の統合の役割を果たしている人間の集団をブローカーとして把握する(Wolf 1956)。ではどのような人たちの間で何を仲介しているのかというと、国家と地域社会の「文化」を仲介しているという 。文化のブローカーは、例えば共同体と国家という二つの文化を理解し、その文化間の媒介者として振舞う人間集団のことをさしている。ブローカーたる人間 は、その二つの文化つまり共同体に根ざした土着文化と国民文化がそれぞれに規定する両方の行動をとることができるために、地方と国家が社会活動のどの部分 で関係をもつかということに関して有利な視点をとれるばかりでなく、政治的および経済的に上手く振る舞うことによって有益な利益を引き出すこともできる権 力的な位置にもつくことになる。文化のブローカーには、政治家、教師、保健所の職員、外国からのボランティアなどが含まれるが、その意味で、保健普及員も またブローカーの一員ということはできる。

しかし、ブローカーとしての保健普及員の存立基盤は極めて脆弱である。まず政府保健省が彼/彼女らに授ける知識はきわめて限られたもので あり、また無料で支給される医薬品も権力を発生させるにはあまりにも微々たるものだ。そして最大の問題は十分な供給そのものがないことである。また普及員 の養成プログラムは同一地方では数年間に一度程度なので、普及員そのものの存在が地域の住民はおろか、養成した保健省の職員においてすら忘れられることも しばしばである。したがって、保健省の末端の出先機関である簡易保健所のさらに末端にあり、ほとんど制度的医療の権力がほとんどゆき渡らない部分に保健普 及員が位置づけられているからである。プライマリヘルスケアの住民の自助努力の精神にもとづく住民の「協力」が成立している状態とは、まさに医療施策を遂 行する保健省が正当性を得ている状態であると言える。しかし、現実には養成者数の実績が中央官庁に報告され統計的な資料になるだけで、地元の協力そのもの は認められない、つまり保健省は末端において正当性を確保しているとは言いがたい。

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文献

その他の情報

 


Copyright Mitsuho Ikeda, 1999