医療援助される側の論理
コミュニケーションの齟齬を超えて
コミュニケーションの齟齬を超えて
中央アメリカ・ホンジュラス共和国の村落(一九八四−八七年)では、政府・公衆衛生省などがイニシアチブをとりプライマリヘルスケア戦略 に基づくコミュニティ参加の保健活動がおこなわれていた。だが現実の政府の保健施策は、コミュニティ参加に偏重したというものではなく、むしろ近代医療施 設の拡充にも熱心であった。保健行政における政策決定に関して発言権をもつのは、保健省職員のなかでも都市出身の人びと、地方においては比較的裕福な家庭 の出身者に限られており、村落に勤務する医師の多くも、地味なコミュニティ参加の施策よりも先端医療に絶大な関心と信頼をよせている。
しかしながら政策担当者は人口の七割を占める村落部に配慮しないわけにはいかない。都市部においても周縁部にあるスラム(barrio) に代表される中央の支配的な福祉サービスから疎遠な居住地区では、コミュニティ参加の方法論に基づく保健政策が推進されていた。
コミュニティ参加の医療は、七〇年代の半ばまでは、住民全体を村落における医療の担い手として位置づけていたのではなく、保健センターを 中心とする医療システムにいかに上手に組み込み、保健省が主導する活動を補助させるかということに重点が置かれていた。保健普及員の活動はこの方法の典型 である。この方法は、結果的にコミュニティの一部分の人びとだけを巻き込んだだけで、その活動は基本的に地味で村落全体を巻き込むようなかたちには展開し なかった。
しかしながら、八〇年代以降の保健医療プロジェクトは、外部からコミュニティに人や物資が伴うようになり、村落全体を巻き込む運動に転換 した。環境衛生施策では村落における簡易水道や簡易便所の普及、母子保健施策では乳幼児や妊産婦への予防接種の推進、特定の疾患対策では下痢の乳幼児に対 する経口補水塩の普及という、より具体的で全体的なコミュニティへの介入という戦術が登場してきたのである。それに伴って、さまざまなタイプの普及員が村 落部で量産されるようになってきた。
この章では、外部からもたらされるさまざまなプロジェクトに対する村落の人びとの拒絶の実態と、その背景にある論理について考える。もち
ろん、そのような拒絶は援助をおこなう側にも人びとの側にも一枚岩の論理で構成されているわけではない。もちろん、そのような拒絶の前に手をこまねいてい
るということも好ましくない。私はどこかに対話の糸口を見つけたいのである。
二つのコミュニティ概念
看護助手が常駐する村落の簡易保健所が、たんなる薬の提供場所として機能していた七〇年代の中ごろまではさしたる問題も出なかった。人び とは小学校や電信施設とともに近代化の象徴である保健所の開設を享受した。また、そのような状況の変化が人びとの身体観や病気観を急速に変容させたという わけでもない。八五年の当時においては、人びとは病気には「保健所や医師の薬で治る病気」と「それでは治らない病気」があると主張していたし、近代医薬と 民間療法という、それぞれに治療法が使い分けられていた。住民にとって、保健所は自分たちの治療選択のオプションのひとつに過ぎなかった。
ところが1980年代以降(★時期をより明確に)プライマリヘルスケアの拠点として保健所が改めて位置づけられたときから、保健所のスタッフ は新たな問題を抱え込むことになった。つまりコミュニティ参加の窓口として保健所を位置づけ、プロモーションを行ってもプロジェクトにおいて当初予想され たような活動の中心にはならなかったのだ。
その齟齬の例。各家庭への個別訪問あるいは保健所に母子を集めて予防接種がおこなわれ、また同時に母子保健の講習会が開催された。子供の 病気は、保健所ですぐ診るという宣伝をしたために、母親は病気になった子供たちを連れて来た。ところが看護助手は子供の身体を洗って出直してくるようにと 述べて、診療や薬の投与を始めない。しかしながら母親たちは、病気になったら子供には水浴させないという慣習を変えてまで、保健所に子供をつれてゆく気持 ちにはなれなかった。子供でも大人でも、弱った身体で水浴すると「アイレ」や「フリオ」が身体に入るといわれ、そのことを皆が嫌がったためである。このア イレやフリオとは一種の悪い「気」のようなものであるが、「風邪を引く」という意味も同時に合わせ持つ。
別の例である。保健所に注射薬を手にした年配の女性が訪れ、それを注射してほしいと懇願した。その薬は彼女の家族がよく効くと町の薬店で 奨められ購入したアンプルだった。しかし、保健所の看護助手は、それを処方箋なしで購入されたことを理由に注射を拒否した。看護婦の判断は妥当なもので あったが、結局、彼女は保健所の外で注射をうってくれる人を探すことになる。実際、そのような技術的――筋肉内注射の――要求に少額のお金で応じる人がい る。また薬の内容次第では、看護助手は保健所の外部でそのような注射に応じることもある。
中央政府の医療関連予算の削減や官僚主義による物資供給の滞りなどによって、簡易保健所に医薬品が枯渇した時には、すでにその威信は完全 に失われていた。
また、村落共同体や都市周辺にあるスラムの居住民において、「コミュニティ」(comunidad)という概念をめぐって医療スタッフと 住民との間で意味のすれ違いをみることもしばしばである。
村落開発などプロジェクトを企図する人たちによる理念としてのコミュニティは次のような見解である。つまり彼らのコミュニティは一枚岩的 で、中央との連絡系統が整備されれば、村落民との行動が均質にかつ順次に変容してゆくものであるという見方である。しかし、村落民が理解する現実のコミュ ニティは多元的でかつ錯綜したものだ。コミュニティは、世帯の集合としての共同体(comunidad local)であり、兄弟を中心とする父系的連帯を協調する大家族的な連合(familia)であり、近隣の人びと(vecinos)や、行政区としての 町(municipio)や集落(barrio)、教区や守護聖人を共有する人びと(parroquia)なのである。それらは、しばしば相互に糾合した り離合したりして決して一枚岩とは言えなかった。
保健省は「コミュニティ参加」を公共的な概念でとらえ「健康の達成」を市民
vecinos
の義務ないしは、社会的正義を助長し実現した際に得られる所産とみなしている。しかし、コミュニティ参加の概念が導入された時、人びとはむしろコミュニ
ティを「共同の利益を享受する集団」として解釈しなおす。また、コミュニティに住み、そこを活動の拠点にしている保健省末端の職員もその解釈の上にたっ
て、プロジェクトが住民に対してなんらかの利益をもたらすだろうという含みをもって働きかける。そのため外部から来る富をめぐって、村落はそれぞれの「見
えないコミュニティ」に分裂する危険性に曝されることになる。
二つの勢力
度重なる「社会調査」とそこで吹聴されるプロジェクトのバラ色の設計図に「騙される」ことに飽き飽きしていることを人びとはしばしば表明 する。プロジェクトを計画立案する政府あるいは民間の援助団体はプロジェクト実施の前にいろいろな地域を巡って、コミュニティの「診断」のための実態調査 をおこなう。それをもとに、いくつかの計画が採用されるわけであるが、調査官などは村びとの調査協力を得るために、そのコミュニティに対してあたかもプロ ジェクトが行なわれるかのように人びとに吹聴する傾向がある。しかし、実現されるのはそのうちの一部にしか過ぎない。村落部では、このような外界からの期 待の「裏切り」、とくに政府機関が関与するそれに対する警戒心が防衛的に形成されている。人びとにとって、そのような文脈のなかで話される役人のことばは 戯言以外のなにものでもない。
私も住民の健康状態の調査のために集落の全部を悉皆調査したことがあるが、その調査の主旨を説明した後で、家の主人から「役人が言ってい ることはまるで意味のない戯言だ、お前もその一味だろ!」と浴びせかけるように言われたことがある。
衛生教育のルーティンでは、住民が自発的に行動を起こすような水路づけのテクニックが利用される。つまり、いろいろな質問をぶつけてみ て、多様な回答から教育担当者にとって「より好ましい答え」が選ばれ、それを強化するために「具体的な」質問が追加してなされ、最終的に教育する側にとっ て都合のよい論理が、あたかも参加者のコンセンサスであるかのように提示されるのである。
住民教育の担当者は、人びとに優しく分かりやすく住民を組織するために、1人称複数のことば「私たち nosotros/私たちの nuestros」を使って語りかける。担当者は、住民の中にある公的な社会の大義を否定する態度やエートスを批判する。つまり「無責任」や「エゴイズ ム」を克服すると私たちは健康を成就できるのだいうのである。
このようなパフォーマンスは実際の講習の最中には結構盛り上がるが、人びとがいったん教室の外に出れば、そのような興奮は醒めやり彼らは
もとの日常生活に戻ってゆく。人びとの表面的な同意とは裏腹に、保健省と住民の間の溝はいよいよ深まるばかりである。それは、過激な反発という形態こそ取
らないものの、彼らにとって外来の権力に対する抵抗としてのサボタージュであると言っても過言ではない。
貧困と病気の因果論
村落において、「この一週間に家族の一員が何か病気をしましたか?」という質問調査をおこなうと、家にいた女性のほとんどから「私たちは いつも病気よ」という答えが返ってくる。その理由を訊ねると、判で押したように「貧乏で薬を買えないから」という返事を得る。
村落民が日常の生活感覚において、病気と一体になって生活しているのか?、あるいは、私の調査が薬を供給するためのプロジェクトの事前調 査であると誤解され、健康の状態いかんにかかわらず、外部の人間に対してそのような答が発せられた結果であったのかは分からない。彼らは病気になったと言 い、実際に身体の不調を日常的に抱えているにもかかわらず―少なくとも私の感覚では―けっこう「健全」に暮らしているように見える。WHOの健康 の定義では「たんに身体的ばかりでなく、精神的・社会的に健全だ」というが、彼らにおいてはその順序は倒立している。彼らはまず必要とされる身体的健康に は問題を抱えながら、社会的・精神的には健全という、近代医学からみると些か不可解な健康の中に暮らしている。
他方、首都で私が援助協力の専門家と共に保健省の政府高官を訊ねた時のことである。医療援助の話題になると、彼の口から出るのは「私たち の国は中米でいちばん貧しい国であり、病気の罹患率も高い。そのためには、あなたたちの援助が必要なのです」という常套句である。
保健省の高官たちが「罹患率の高さ」を「貧困」に関連づけて語ることは明かに対他的な政治パフォーマンスである。健康で病気のないことは 人間の基本的なニーズ(Basic Human Needs)であり、先進国が開発途上国に対して援助を行なうことは、我々にとってもこの国の行政組織で働く人たちにとっても「常識」なのである。その常 識の文脈のなかに、援助する側とされる側が席を同じくしているのであるから、そのような発話が出ることは当然である。ただし、貧困に起因する不健康さを改 善するために必要なものは、政府の高官にとって、―村落民やスラムの住人の言うような「貨幣の隠喩」としての―「薬」ではない。それは財源不足ゆ えに、購入できない医療機材であり、資金であり、最近ではプロジェクトを企画するシステムそのものなのである。
もっとも、要求される中の最後の「システム」のほうは、政府高官と末端の職員との間にはその評価をめぐって差異がある。外国人ボランティ アーや専門家と一緒に働く必要のある中間管理職や現場の労働者からは、外国主導のプロジェクトにおいて外国(人)から個々の業務内容について指南されるこ とを嫌う声を聞くことができる。
例えば、欧米による医療プロジェクトでは、必ず現地に外国人の管理者を派遣し、現地人労働者の管理を徹底する。これには資材の不適切な流 用や不正な横流しの防止という目的もある。金も出すが、口も出すというわけである。「協力」という言葉は耳に心地よいが、その現場においては様々な文化的 な齟齬や身体的な次元での葛藤が生じる。他方日本の援助は、機材や施設建設など我が国の企業に利益が還流するようなプロジェクトになりがちで、専門家など の人間を派遣しないあるいは派遣できない。ところが皮肉なことに、現地の中間管理職や労働者の間では、日本は口をださずに、機材だけをくれて「気前がい い」と評価されるのである。その援助機材の利用に関して(少なくとも表面的には)外国人が干渉していないことは、彼らにとって実際大きな解放感を与えるよ うだ。
以上のことから、現地の人びとは施す側≠ゥら引き出せる利益を最大にするために協力するのであり自助努力の理念によってそれをおこなっ ているのではない、ことが明らかである。もしこれが公平な見解でないとすれば、こう言い換えられてもよい。彼らの自助努力を促進するために、「自助努力の イデオロギー」や資材を供与するという我々「施す側」が孕んでいる矛盾が、彼らの行動のなかにも見られるのである。
援助としてのプライマリヘルスケアの理念の最終的な目標は、人びとが自分たちで健全さを達成し、援助を申し出る側もそれを受諾する側も、 共に援助をする必要性を感じなくなることである。しかしながら、このような希望的な観測を述べるだけの勇気が私にはない。
では、どうすればよいのか?
この種の問題に普遍的な解決策というものはない。ケース・バイ・ケースで対処していかなければならない。しかし、それでもなお援助を提供 する側の意識の改善を通して、そのような問題の悪化をくい止めることは可能である。以下の3つの提案をおこないたい。
1.医療の技術水準が「低く未熟なもの」から「高度で最先端なもの」に展開し、援助というものは後者から前者への知識とその実践の移行で ある、という考えをただすこと。
現代医療のなかに、低く未熟な医療はより高度に発達させなければならないという拭い難い信仰がある。しかしながらそれは常にどこにでも通 用するものではない。開発途上国における人びとの健康の水準を上げるマラリアを含めた寄生虫病対策、予防接種、母子保健、低栄養対策、安全な飲料水の確保 などの基本的な方法・技術の大半は既に確立されているものである。にもかかわらずそれが実行できていないのは、高度医療がよきものであるという信仰に目を 奪われ、基本的保健衛生の方法の意義・運用が過小評価されてきたからである。この種の弊害の例は、日本において優秀な生物医学の専門家は多数育ったが、プ ライマリヘルスケアの専門家の数が他の先進国に比べても極端に低いことを挙げれば十分である。日本の医療協力に問題があるとすれば、それは特異な発展を遂 げてきた我が国の医療制度全体の問題でもあるのだ。
2.医療援助協力における民族学・人類学知識がもたらす影響について我々は配慮せねばならない。
まず援助の倫理に関する問題がある。例えば、現地の人たちの身体観を社会調査によって理解することが、効果的な予防接種を遂行することに 貢献したとしよう。だが、それは果して「かれらの利益」になるのだろうか? 免疫を付与された彼らは感染症で亡くなる危険性が低くなったから、かれらの社 会のあるいは個人の利益になると言えるのだろうか? 先進国の学童集団への予防接種をめぐる公益性論争の問題と類似した問題を孕んでいる。何よりも「医療 援助される側」の<同意>がなければ、「援助する側」の正当性・倫理性は保証され得ない。
次に社会的経済的インパクトである。アクションリサーチ研究において、固有の人たちに独占されていた現地の薬草の知識を引き出して目録を 完成し、薬草の栽培プロジェクトを実施するという試みがある。収穫された薬草は、その需要がある都市の市場に出荷される。収益性があれば、プロジェクトに 参加する現地の人たちの雇用が促進される。だがこれだけでも、薬草知識の収集と知識の所有権問題、中央市場経済への組み込みの功罪、プロジェクトの雇用と いう新たな賃労働の導入という事態に対応しなければならない。(実際の多くのプロジェクトでは、その収益性は低く、NGOなどの援助で栽培の手当などが支 給されており、このような問題が表面化することは少ないにもかかわらず)。
3.援助に役に立つ技術としての「文化理解」ではなく、民族学・人類学を通して現在の世界をどのように理解するかということや、その学問 の社会的機能を問うこと。
民族学・人類学は<他者>理解の学問であり、その作業は常に具体的なエンカウンター(遭遇)を基礎にしておこなわれる。だが このエンカウンターという表現上の比喩は、政治・経済・文化―人類学者はそれらを含む人間がつくりあげる諸々の事象を総合して<文化>と 呼ぶ―における地球規模化(グローバリゼーション)の中で生起している現象の記述にこそふさわしい。それゆえに人類学者は<文化>のグ ローバリゼーションに無関心でいるわけにはいかない。
人類学者の社会的機能も問われなければならない課題だ。医療プロジェクトを効果的に推進するために動員される人類学なのか? 社会的文化 的インパクトについて顧慮していると外部から評価されるために人類学者や社会学者が動員されるのか? あるいは人類学者がプロジェクトの中止ないしは縮小 を勧めるとすれば、はたしてプロジェクトはその意見を受容することができるのだろうか?
これらの問いの背景には、複合する領域のプロジェクトにおいて学問領域間のヘゲモニー対立が事実厳然としてあるということだ。異なる領域 の研究者たちがお互いの領域を相互に侵犯し批判するとき、そこにはパラダイム上の対立以上に、それを遂行する上での利害が絡んでいる。従って、異なる研究 者たちが研究分担上の棲み分けをし相互の研究の独自性を誉め称える、あるいは研究そのものの総合性を強調するとき、そこには何らかの研究戦略上の利害の一 致があると見なすべきなのである。これは研究者個人のモラルや理想とは無関係に別の次元で働く論理と言えよう。
医学と文化人類学の知的営為の総合という課題は、このような様々な利権が交錯する現代社会においては、想像以上に困難さを伴う。それゆえ
にこの挑戦への抗し難い誘惑が存在するのである。
リンク
文献
その他の情報
(c) Mitzub'ixi Quq Chi'j. Copyright 1999-2009