はじめにかならずよんでください

Notes on George M. Foster and Barbara G. Anderson' Medical Anthropolpgy, 1978

解説:池田光穂

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医療人類学
第3章 医療システム


社会文化的適応戦略としての医療システム

 前の章では、我々は生物文化−生態学的視座から、疾病の広い問題と人間進化における疾病の役割とを、生物学的適応戦略と見て検討した。そこでの我々の着 目点は、人間個人ではなく疾病それ自体であり、またある特定の疾病の存在の有無や発生に大きく影響する人間行動の様式であった。文化的存在としての人間 は、病いによる能力喪失が引き起こす社会的あるいは他の逸脱に対応できるように、非常に発達した社会制度と病因論と治療技術を持っている。この章では、視 座を社会文化的−制度的枠組みに変えて、このような人間としての病人の問題に焦点を合わせてみたい。そして、人間進化の根底をなす生物学的適応戦略につい て述べることができると同じように、医療システムを作り出す社会文化的適応戦略についても述べることができるであろう。ここでの医療システムとは、疾病に よって引き起こされる脅威に対応して出現する、文化的に基礎づけられた行動と信条の形態のことである。この医療システムの適応的性質は、デューンの最近の 定義に明確に述べられている。それによると、医療システムとは、「健康増進のために意図的にな行動を発展させる、社会的制度と文化的習慣の形式である。そ して、それによる行動の結果が健康になるか否かにかかわらず、医療システムに含まれる」(Dunn 1976 : 135)。
 疾病は、その苦痛とともに、人間の状態の中で最もありふれたものといえる。この意味で、疾病は生物学的にも文化的にも普遍的存在である。人類出現以前の 時代では、現在の動物の間におけるのと同様に、疾病はほぼ完全に生物学的現象であった。ごくまれな例外を除けば、病気にかかった動物は、その仲間にとって は関係のない存在であり、普通、仲間達はその病者を避けたり、置き去りにしたりする。ジェーン・グッドオールは、タンザニアで、調査していたチンパンジー の集団にポリオ(小児麻痺)が流行した時の動物の行動のパターンを報告している。ポリオにより体が不自由になった一匹のチンパンジーが餌場にたどり着こう ともがいているのを、健康なチンパンジーの一団が見ていたが、結局彼らはその不具者を助けようとはしなかった。その代わり、彼らはその病者とある距離を 保って位置し、神経質にじっと病者を見つめ、恐怖の感情から歯をむき出しにし、そして安心のジェスチャーで互いに抱き合ったり叩き合ったりしていた。もう 一つの例は、麻痺がひどく死にかけていた一匹が、仲間の群れが谷間を移動して行くのに、どうにかしてついて行こうと奮闘していた例である。「しかし、腹ば いで体を引きずっても、後ろ向きにびっこを引きながら進もうとも、苦心してとんぼ返りをしても、彼は非常にゆっくりしか動けず、群の姿はすぐに彼の視界か ら消え去っていった」(Lawick-Goodall 1971 : 223)(1)。治療の技能がない場合、忌避と遺棄は、適応的行動であり、一種の予防医学でもある。この原始的「隔離」が、健康な個人が伝染性の病原菌や ウィルスにさらされる危険性を減少させるのである。
 我々の霊長類の祖先が人間に進化していく過程で、以前に抱えていた多くの疾病に加えて、新たな疾病も抱え込むことになった(Cockburn 1971 : 45-46 参照)。同時に、この過程で疾病は純粋な生物学的現象であることをやめた。すなわち、疾病も人間と同様に、社会的及び文化的次元を獲得したのである。他の 動物の生活形態と違って、人間においては、疾病は病者と仲間の生物学的安全を脅かすだけでなく、集団の社会的経済的生活をも脅かすのが、主な形態である。 他の動物の場合と同様に、感染した個人は、彼の仲間を伝染病の危険にさらすこともある。天然痘や結核やペストの病人が、病気に罹ったことのない人たちと接 触した時に、多数の人々がこれらの疾病の犠牲者となることになり、歴史はこのような事例で満ちみちている。これらの脅威から我が身を守ろうとする場合、人 間もしばしば、病人の遺棄や忌避という哺乳動物の行動パターンに従ってきた。西洋においては聖書の時代から近代まで、レプラ患者は都市の城壁の外に住むよ うに定められ、彼らに近づこうとする人々に対して「不潔!不潔!」と自ら叫んで、警告することを義務づけられていた。地球の反対側では、スマトラの原生林 に住むクブ族は、流行病の恐怖にさらされると、感染した部族の仲間を簡単に見捨て、森林のさらに奥深く移動して行く。このようにして、病人は肉体的死亡に 先だって、社会的死亡を宣告されるのである(Sigerist 1951 : 148)。
 しかしながら、それ以上に人間は病人を治すことを追求してきたのである。ラビンが記述したように「疑いなく、人間は必要にかられて、どんな時代にも、健 康と生存の問題に関わってきた。そして、人間の知識の枠の中で、人間は病いの問題の解決法を追求してきたのである」(Rubin 1960 : 785)。この病いの問題への関心は人道主義者だけのものでなく、ほとんどの社会において、病人を世話することへの衝動が存在するのである。むしろこのこ とは、新しくて、かつはっきり他の動物とは異なった人間の適応行動の形態を指し示しており、この行動は共感に基づいていると同じように論理にも基づいたも のなのである。
 群れをなして生活している行動と比較して、人間の社会における行動は、我々がいう「役割」である、年齢、性別、職業的専門性をめぐって、はるかに高度に 組織化されている。単純な社会での基本的役割とは、親、子供、夫、妻、料理人、主婦、猟師、漁師、採集者、薬草屋、宗教職、などなどである。各々がたくさ んの役割を同時に担っており、例えば、一人の夫は、また父親、子供、猟師、職人、宗教的指導者でもあり、その他様々な役割を担うかもしれない。彼の妻は、 また同時に、娘、母親、料理人、服職人、そして多分薬草屋でもある。どんな役割であろうとも、それを担う人−つまり「当職者」−は、彼(彼女)との関わる 人達から、ある定まった権利を引き受け、そしてその人達に対してある定まった形の行動を期待する。夫は、妻との関係において性的交渉を持てる特権を有して いるし、少なくとも伝統的社会においては、夫は妻に、自分自身の食事の用意や、子供の躾や、衣服の作製を期待するものである。彼女がいなかったら、彼は生 きていくことは困難であろう。同じように重要なことは、それぞれの役割の引き受け手である「当職者」は仲間に対して義務と責任を持つことであり、これはし ばしば互酬的なものである。夫は妻の性的欲求に応じなければならない(つまり、彼女もまた性的交渉の特権を保有している)し、妻や子供に肉や魚やその他の 食料を用意してやらなければならない。彼の働きがなかったら、妻や子供の生活も非常に困難なものになるだろう。役割義務と役割期待は家族内部 (primary family)にとどまらず、親族、友人、そして隣人を含めた領域にまで広がっている。要するに、技術的に最も単純な社会でも、相互援助−依存関係の連結 しているネットワークから構成されているのである。
 この援助行為のネットワークとしては、ボルネオのイバン族の例が挙げられる。ここでは、治療儀式は、病人の家族内部だけでなく、12の独立した家族を含 むロングハウス全体のものとして行われる。ロングハウスの共同住人の全てが、「その病人の問題に直接連座し、治療儀式に必要な準備に責任を持ち、しばしば 病人の回復のための儀式を伴うある種のタブーを遵守しなければならないのである。仲間にとって病人が良くなることは最大の関心事でもある。なぜなら、ロン グハウスと同様に相互依存的共同体では、どんな病気の仲間でも、いなくてはならない存在であるからである」(Torrey 1972 : 97傍点筆者)。
 明らかに、病気の人間存在は、病んでいる動物とは全く異なる面を持っている。仲間に対する普段の義務を遂行できないほどの重症の病人は、仲間達の安寧を 危機にさらすことになる。というのは、仲間は普段、彼に多くのことを依存しているからである。仲間の一人が深刻な病気の危機に瀕しているのに直面して、集 団の他のメンバー達は、何をなすべきかを決定しなければならない。分析的意味では、この場合、両極端な二つの選択が考えられる。一つの選択からは、動物と 同様に、仲間達の援助を与えないで、回復するも死亡するも彼自身の能力に任せて、病気の仲間を放置することも可能なのである。もし彼が回復できたら、彼は 以前の役割を取り返せるし、もし彼が死んでしまったら、彼の代わりの人が見つけられ、集団の生活は以前と同じように続行するだろう。もう一つの選択から は、病人が再び普段の役割義務を遂行できるために健康を回復するように、集団の仲間達がいろいろ試みることも可能なのである。人間社会においては、二番目 の選択肢が一般に選ばれるが、回復が不可能であると認識される場合−過去数世紀間のレプラのように−これのまれな例外のケースとなる。
 大切なことだが、人々は、仲間の死によって必然的に被る、大きな社会崩壊や損失を避けるためには、(病人の世話をしたり、病人の役割義務を一時的に埋め 合わせしてやったりするような)時間や資源や余分の労働負担を、喜んで引き受けるものである。しかし、富める社会においては例外も考えられるが、いつも は、ここには、「費用―便益」因子が考慮に入ってくるように思える。病人の回復に必要と見込まれる時間と他のもろもろの費用と、回復それ自体の可能性が、 意識的または無意識的に、その患者の集団に対する有用性との間で比較され、利害損失の天秤にかけられる。壮年期の父親や母親が病気になった場合、彼らが小 さい子供達を育てたり、集団の社会的経済的生活安定に貢献しているので、何とかして救おうと努力が払われるのである。しかし、家族や社会にもう限定した価 値しか持たない老人の生命を救おうとすることにはほとんど価値はおかれない。また、乳児と小さい子供達の場合、まだ両親の時間と資源の大きな浪費者であ り、かつ容易に取り替えのきく存在なので、家庭内での簡単な手当以上の治療は受けさせてもらえないかもしれないのである。
 このように、人間社会の出現が、疾病に直面した際の新しい適応戦略を開発し、この戦略は人間に疾病の予防と処置への重大な関心を強いているものである。 人間は疾病に対応することを学びながら、「知識、信条、技術、役割、規範、価値、イデオロギー、態度、習慣、儀式、シンボルなどの要素からなる巨大な複合 体を開発した。この複合体の各要素は、相互に補強したり援助したりするシステムを形成して、連動して働くのである」(Saunders 1954 : 7)。この「巨大な複合体」と、これに我々が追加したいと思う要素の全てをあわせて、「医療システム」が成り立つのである。この用語は、全ての集団の人々 の、健康に関する知識、信条、技術、行為の全体性を、適切に包括している。この用語は包括的意味で使われるべきであり、臨床的及び非臨床的活動、公的及び 非公的機関、そしていかに本題から離れているように見えても、集団の健康水準を左右し、社会の最適機能を促進する他のあらゆる活動などが、全て含まれるべ きである。
 しかしながら、多くの場合、この用語は、より狭い意味で使われている。健康問題が論じられる際に−特に「合衆国医学」が批難される時に多いのだが−、医 療システムとは、大部分が医師が患者を治療(もしくは治療に失敗)する方法により成り立っているかのような言い方を聞く。環境衛生と栄養教育と、そしてこ れらの活動の基礎にある科学的知識とが、医師の治療行為と同様に、医療システムの重要な部分であると指摘すると驚く人がいるのである。近代医療の功績をも 認めたがらないある評論家達は、平均寿命の延長や有病率の低下といった指標で表わされる医学の成功を「生活水準の向上」によるものとしている。しかし、こ の「生活水準の向上」は、歴史的には、飲用上水道、衛生的下水道と汚物処理場、地域の市場へのより豊富な種類の生鮮食糧品、戸外スポーツ、そして健康状態 に直接関わってくる様々な事項を全て含んでいるのであり、この評論家達はこの事実を認識していないのである。眼鏡、補聴器、義歯、そして義肢なども、現代 人の健康と安寧に大いに貢献しているが、これを製造し装着させる技術と知識もまた、医療システムの一部と見なされるべきなのである。
 要するに、どの医療システムも、それを受け入れている集団の構成員達の、健康増進の信条、行動、科学知識、技術の全てを包括しているものと、我々は見な しているのである。

疾病論システムとヘルス・ケア・システム

 最も広範囲なレベルで考える場合、どの社会にも適応できる単一の医療システムを概念化することが適切であり、この医療システムの概念を使って、現代の合 衆国の医療システムとか、メキシコの村の医療システムとか、ズールー族の医療システムとかをしばしば語る。全てのものを包摂する医療システムを概念化する 作業と、それぞれの医療システムを分析したり研究したりする作業とは全く別のものである。そこで、実際に医療システムを体系的に扱うには、一つの医療シス テムの中に下位システムや複数の制度を定義しなければならない。例えば、合衆国においては、公的な医療システムを、医学教育システム、医学研究システム、 ヘルス・ケア・システム、公衆衛生システム、そしてその他多くの同様なカテゴリーの構成部分に慣習的に分割する。技術がより未発達の社会では、これらの下 位システムは欠けているか、存在しても希薄なものである。病院、医学校、公的公衆衛生機関、研究所などのようなものは見出せないのである。しかし、どんな 単純な医療システムであろうとも、全ての集団の医療システムは、少なくとも次の二つの大きなカテゴリーに分解できる。すなわち、(1)「疾病論」システム と(2)「ヘルス・ケア」・システムである。
 疾病論システムは、健康の本質、病いの原因、医師によって行われる投薬やその他の治療技術などに関しての信条体系を包含する。これとは違って、ヘルス・ ケア・システムは、病人を世話したり、患者の援助のために病気の「知識」を役立てるために社会を組織化する方法に関係している。疾病論システムは因果関 係、つまり人々が健康喪失の理由づけとして与える説明理論を扱うのである。タブーの侵犯、魂の盗難、体内の温−冷バランスの崩壊、病原菌やウィルスのよう な病原体に対する人体の免疫学的防御機序の破綻などがこの種の説明理論として挙げられるであろう。このように、疾病論システムは、観念的−概念的システム であり、また知的構成物であり、集団構成員の認知的指向性の一部分でもある。そしてこれは、分類と説明と原因−結果とを扱うものでもある。どの疾病原因論 システムも、ほとんどの部分において、合理的で論理的であり、その中の治療技術は、それぞれの独自の原因に対する考え方を概念的に組織化することにより導 かれるものである。ある疾病原因論システムが非合理的なものと考えられるのは、そう考える人達が他の社会の人達で、説明理論の根底にある前提を全くあるい は部分的に事実に反するものと信じている場合に限られているのである。
 ヘルス・ケア・システムは、たくさんの人々の間の、最低でも患者と治療者の間の、相互作用を内包する社会的制度の一つである。このシステムの明白な機能 は、患者と、彼の家族と、社会のそれぞれの資源を、患者の問題に使えるように運営することである。ヘルス・ケア・システムは明らかに、それに関わってくる 疾病原因論システムの論理的哲学的性質の反映であり、このヘルス・ケア・システムの中で、疾病原因論システムが、病室のドラマの関係者に意志決定や行動を 命令するのである。しかし、この二つのシステムは互いに似ているにもかかわらず、同じものではない。分析的目的の下では、これらは分離可能であり、それぞ れの特徴と機能に関しては、お互いの直接的参照なしに研究可能である。この二つのシステムは、病人を世話する際に結びついた役割のほかに、それぞれさらに 独特の機能を果たしているのである。
 疾病論システムとヘルス・ケア・システムとを区別することは、いろいろな理由で有用である。その一つは、全体的医療システムの長所と弱点をより明らかに するのに役立つことである。今日、「合衆国医療システム」は非常に批判され、続々と多くの人達が、臨床的及び心理的健康の要求に従って、医療の「もう一つ の」(alternative)形態へと向きを変えている。臨床処置の医原病的結果と、臨床診断における不可避的誤りは、熟達した医療処置でさえも本来的 に内包していると、我々は認めている。しかし、ほとんどの場合、これらの批判は医療の臨床サイドに関するよりは、むしろヘルス・ケアに関しての不満の反映 であると、我々は考えている。
 疾病論システムとヘルス・ケアシステムの区別は、また、ある種の行為的状況においても有効性を持つ。この区別は、伝統的医療システムしか知らなかった人 達の間に、医療行為の変化を導入しようと試みる際に、より賢明により注意深く対処することを可能にしてくれる。このような社会においては、ヘルス・ケアに おける西欧的革新が周囲の関心を引きつけるようになった後でも、しばしば伝統的疾病原因観が長い間生き残ることを、我々は見てきた。しかしながら、このよ うな社会の構成員は、しばしばジレンマに直面しているのである。このジレンマとは、彼らの間に深く根づいている健康観と、多くの病いを扱う西洋医学の医師 達の明らかな成功との矛盾である。多くの医療従事者は、健康に良い行為は、これらの基礎となる科学的理論の理解に立脚しているに違いないと思っている。し かし、必ずしもそうであるとは限らないもので、このことは、発展途上の社会においての医師の能力に関する強固な証拠が挙げられる。これらの社会では、異 なった文化の対照的なシステムを、実行可能な単一の構成体に再統合する医師の能力が、医療行為において大きな力となるのである。この対照的システムからの 合成体がいかに健康を促進するかを、ナバホ族の例を出してレイトン達は指摘している。「もし、インディアンがジキタリスを毎日服用するように言われたら、 彼は多分多少のジキタリスをボリボリ食べてしまって、そしてその後、ジキタリスなど忘れてしまうであろう。しかし、もし、この緑の薬は植物のジキタリスの 葉から作ったものであり、彼の心が良い歌なしではいられないように、彼の体もこの薬なしではいられないのであり、だから毎朝東の空に最初の光が見えた時に 服用しなければならないのだと言われたら、この指示は実行される可能性が非常に大きくなるのである」(Leighton and Leighton 1941 : 523)。
 最後に、このヘルス・ケア・システムと疾病論システムの分離は、教育や研究の方策としても役に立つものである。これは、データの主要部分を、分析と通文 化的比較の両方の視点から、かわるがわる見つめることを可能にしてくれるのである。この二分法は、この章とそれ以降の章の討論の中で、暗黙のうちに使われ ることになる。

医療システムの普遍的性格

 例えば、エスキモー族の医療行為と医療観は、合衆国の大都市の住民のそれらとは、ほとんど共通点がないように見えるかもしれない。ところが、実際は、全 ての医療システムの中には、理解と研究を容易にする普遍的構造が根底に横たわっているのである。これらの普遍的性格の例が役割と義務に関してである。つま り、どんな医療システムにおいても、少なくとも患者と治療者はいるのである。このことに関しては、後の章で論じる予定である。他の普遍的性格の例は、概念 的なことになるが、病気の定義とか、健康と病気に対する態度とか、文化全体の枠組での医療の位置づけなどに関してである。これらの中から、より普遍的性格 と思われるものについて述べてみよう。

1 医療システムは文化の必須構成部分である

 どの文化においても、主要な制度は互いに関連し、その関係の中で特別な機能を果たしている。それぞれの制度は、その文化の正常な機能に不可欠なものであ り、そして逆に、それぞれの制度が持続して存在するには、互いに他の制度に依存しているのである。医療制度もこれの例外ではない。例えば多くの社会におい て、疾病観は呪術と宗教とに非常に密接に関係しており、これらを分離するのは不可能である。神話は、宇宙観と、病いをもたらすと考えられている超自然的な 神々や他の存在を説明するのに重要な役割を果たすと思われる。社会的制度は、治療者の役割や、治療者と患者や家族との関係に反映している。例えば、呪術が 関係している医療状況でも、もしシャーマンに対する支払いが経済的問題として患者にとって重要なものになるなら、病気の責任の決定に関して法的形式が関与 し始めるかもしれないのである。要するに、医療システムは、医療システム特有の表現単独では理解でないものであり、完全に理解するには、文化形態全体の一 部分として見ることを通してのみ、可能なのである。
 医療システムを文化の必須部分であるということは、それらを基本的な、しかも全く明白なレベルから見るということでもある。しかし、医療システムが文化 の部分であるのは、より抽象的レベルのことであり、医療システムは内容と形態においては、それほど明白ではない形で、文化のパターンと価値を反映するもの である。ペレグリノは、このレベルの真意をつかんで次のように述べている。「医療はどの時代でも、支配的文化の特性の、精妙で鋭敏な指標である。なぜな ら、病いの脅威と現実を目の前にした人間の行動は、彼自身と彼の世界観から形作られた考え方に必然的に基づいているからである。どの文化も、支配的な世界 観と分離不能な相互関係を持っている医療システムを発達させてきた。個人の、また集団の医療行動は、全体的文化の歴史を離れては、理解不能である」 (Pellegrino 1963 : 10)。
 例えば、メキシコのメスティソの村、チンツンツァンでは、健康は、体の内部と周りの世界に本来備わっている「熱い」と「冷たい」という力の間の平衡関係 で、定義される。またさらにこの視点は、もっと幅広い生活観まで含む特別な言説であり、健康な社会というのは、この平衡関係が行き届いている一つの場合と なる。そこにおいては、経済的にも、公平さにおいても、権力関係においても、またその他の同様なことに関しても、バランス、つまり全ての種類の利益の同等 の分配が存在するのである。ペレグリノは、伝統的中国医学において、世界観がいかに医療観と医療技術に影響しているかを述べている。そこでは、疾病は不調 和、つまり陰と陽の力の間の「干満の欠如」によるものと考えられた。人間は、木、火、土、金、水の五つの要素から成る宇宙の中の小宇宙と考えられ、これら の五要素はそれぞれ、五臓、五感、五色、五味に対応している。「人間の構造に関してのこのような確定した見方は、解剖の研究を非常に蔑ろにさせた。中国医 学は、人体解剖については、極端なまでの曖昧な概念が特徴である。ここでの治療とは、喪失した陽の要素を供給することが目指され、この要素が多く含まれて いると考えられた動物の臓器が投薬された」(同書、12)。
 医療システムと文化パターンとの一貫性は、他の方法によっても明らかにされる。例えば、多くの部族社会において、ほとんどの医療観と医療行為は、呪術的 なものである。そして、呪術が全ての不幸を説明するために採用され、また社会環境をコントロールするために使われるようなより包括的な文化パターンの下 に、これらの呪術的医療は従属しているのである。これとは対照的に、西洋諸国においては、公的な医療は主に科学的医療である。これは、これらの国々におい て過去三世紀の間に特徴づけられた、科学指向性の反映である。多くの非西洋社会において、意志決定の際に依拠する基本原理は、集団的合意である。これらの 社会において、重要な医療的決定も同じ様式となる。病人に直接的に関係のある親類や友人達の間で広範囲にわたる相談をした後に初めて、どうすべきかという 意志決定が行われるのである。個人的に独立した意志決定能力が高く評価される合衆国においては、主要な医療的決定は少数によって行われ、時には病人は医師 と相談して、たった一人で決定を下すこともある。これら両方のケースにおいても、意志決定行動は、広範囲の文化パターン背景との対比でのみ、理解可能とな るのである。

2 病いは文化的に決定される

 合衆国においては、病いを細菌とウィルスの見地から考えるのに、我々は非常に慣れている。我々は病気を、実験室での検査や、臨床検査の他の方法で確証さ れる生物学的実体、つまり病理的状態と見なしているわけである。しかし、文化的視点からは、病いは全く違ったものとなる。病いは、ある人が彼の普段の役割 を十分に果たせなくなり、そしてその状況に対して、何かがなされなければならないということに対する、社会的認知なのである。換言すれば、我々は、病理学 的概念である疾病(disease)と、文化的概念である病い(illness)とを区別しなければならない*1。例えば、我々は全く文化とは無関係に植 物や動物の疾病について言及できる。しかし人間の疾病は、生理学的機能不全が個人や社会を脅かすものと見なされ、病いと定義された時にのみ、社会的に重要 となるのである。この区別を指摘する別な言い方をするなら、医師は疾病を治療(cure disease)しようと望むが、彼は病いを治す(treat illness)のである。というのは、我々が助けを求める状態を引き起こすのは、普通は、疾病病原体の存在ではなく、機能の損傷であるからである (2)。
 社会は、それぞれの異なった様式で病いを定義し、そしてある社会で病いの証拠として受け入れられる症状も、別の社会では無視されるかもしれない。同一の 社会での定義も、また時がたつにつれ変化するかもしれない。今日、マラリアは致死的疾病の中でも、最も危険なものの一つに考えられており、1950年代初 期から世界保健機構は、マラリアを地球上から消滅させようと奮闘的努力を行っている。しかし、19世紀のミシシッピー川の上流の地域では、マラリアは非常 にありふれたもので、病的なものとは考えられなかった。開拓者が西部に進出するにつれて、森林の伐採、ボートでの河川旅行、川床への居住、不衛生、そして よどんだ水などがハマダラカの発生と、人間がハマダラカに刺される機会とを増加させた。「最初は、《寒け》は避けることのできない《順応》の必須要素とし て考えられ、そして何年間か続く《震え》を経験した後は、人々はそのことに非常に慣れてしまったので少々の《悪寒》などにはほとんど注意を払わなくなっ た。これは、客観的に危険で難儀な肉体的状況も、社会的風習によって、いかに主観的に疾病の性格が失われるかの典型的例である」(Ackerknecht 1945 : 4)。
 何が病いで、何が病いでないかを、文化がいかに決定するか示す他の例もある。前世紀のミシシッピー川上流流域と同じように、リベリアのマノ族の間でもマ ラリアが蔓延している。ここの人達の多くはマラリアに対してある程度の免疫を持っている(多分これは、マラリアに対しての顕著な抵抗性を与えると考えられ ている鎌状赤血球貧血症の遺伝子を彼らが持っているからであろう)。しかし、多数の大人達が罹患したにもかかわらず、彼らはマラリアを病いとは考えない (Harley 1941 : 44)。マノ族は、マラリアだけでなく、またフランベジアも病いと見なさない。「おや、それは病気ではないよ。だって、皆持っているもの」。彼らはこう語 るのであった(同書、21)。ギリシアの田舎においては、政府の罹病率統計に、麻疹、風疹、水痘、百日咳などは、ほとんど報告されていない。なぜなら、人 々はこれらを「義務的疾病」、つまり不可避的なものであり、多分成長過程の正常な一部分と考えているからである(Blum and Blum 1965 : 53)。

3 全ての医療システムは、予防的側面と治療的側面の両方を持っている

 合衆国においては、医療は、予防医学(公衆衛生)と治療医学(臨床医学、ほとんど私営)とに、形式的に二分できるので、この区分が認められないような単 純な社会では、予防的概念が欠けているかのように我々は思いがちである。予防医学が法的基盤(最も狭い意味での公衆衛生)に基盤を置くものとする限りにお いては、ほとんどの非西洋社会では、公衆衛生の制度を欠いているというのも事実である。部族社会や農民社会において、健康水準に因果的に関連していると知 られたり、信じられたりしている行動を、推奨もしくは禁止することができる役人を探すのは、無駄なことである。検疫や、義務的予防接種や、飲用水の最低基 準や、汚水と廃棄物の衛生的な地域規模の処理場などは、十分に発達した政治システムにのみ付随する法的機構を必要とするのである。このことは、このような システムが近代的なものであると定義されるという意味ではない。古代中国においても、公衆衛生を推進する、よく発達した制度が存在したからである。
 しかし、ほとんどの非西洋社会において、予防的医療は法的機構よりは、むしろ個人的行動から構成されている。この個人的行動は、なぜ人が病いになるかを 説明し、同時に病いを避ける為に何をするべきかを教える疾病原因概念から、論理的に導かれるのである。病いが、罪を罰しようとする怒った神々や憤慨した祖 先によるものであると、人々が考える場合、「病気を予防する明瞭な手続きとは、懺悔であったり、もっと好ましいのは社会的タブーの完全な遵守であったり、 神々や祖先に敬意を捧げる儀式と儀礼を慎重に執り行うことであったりするわけである」(Aguirre Beltran 1963 : 196)。病いを呪術のせいにする人達にとっては、もしかしたら邪術をかけてくるかもしれない隣人と喧嘩しないことが、病気予防の賢明な策となるわけであ る。病いが冷たい空気が体内に入ることで起きると考えられる場合は、慎重な人なら冷たい空気が襲ってくるような状況を避けようとするだろう。不妊の女性の 羨望の眼差しが、赤ん坊を病気にすると恐れられている所では、用心深い母親なら、邪悪な眼を避けるために乳児の首か腕に適当なお守りをつけるであろう。こ れらの例やその他の無数の同様な個人の行動は、近代的な公衆衛生の思想や計画とは全く異なったものであるが、それにもかかわらず予防医学と正当に評価でき る。なぜならば、これらは病いを避けることを目的としているからである。伝統的社会において予防医学がどこまで行われているかは、マレー人の病いを避ける 行動と儀礼を扱ったコルソンの長大な論文に例証がある(Colson 1971)。
 土着の「予防的」実践は、多くの場合迷信にすぎないが、いくつかのものは、それが説明される理由とは違ってはいるが、疑いなく有益である。例えば、多く の伝統社会において、人々は几帳面に、住居範囲から離れた所で用便をする。敵が、この排泄物を使って彼らに呪術をかけてくるのを恐れての行為であるが、こ の行為の結果として住居内でのハエは減る。これは確実に有益である。また、リベリアのマノ族の場合、彼らの保健行動の多くは、医学的視点からはとうてい理 想的なものとは言い難いが、彼らは個人の習慣の中では清潔を保っている。毎夕の日没時に風呂に入るし、食物は清潔で良く調理されているし、排便は集落の中 でなく藪の中で行われ、これらのことにより、彼らは寄生虫の被害から、ほとんど無縁である(Harley 1941 : 73-74)。

4 医療システムは多機能である

 「医療システムの機能は何であろう」。この問いの答えは、一見明白のように思える。可能なかぎり、患者を健康な状態に戻すこと−こう答えるかもしれな い。これは、確かに基本的な理由であり、最も重要なものでもある。しかし、社会内部の他の複雑な文化システムと同じように、医療システムも、それが部分を 構成している文化の安寧に欠くことのできない多数の機能を果たしている。これらの機能は、しばしばその集団の構成員自身からは認知されないこともあるが、 しかし、何らかの方法で集団の安寧を推進しているという意味で適応しているのである。ヘルス・ケアの下位システムは、患者の世話をすることに便宜を与える だけではない。第8章で論じるつもりであるが、心理的及び社会的圧力からの一時的解放として、病いの社会的役割が演じられるが、これを背景にして、この下 位システムは、また、他人の世話を得る願望や、他人の行動をコントロールする仕掛けも用意するのである。同様に、疾病論システムも、単純な病いの原因の説 明にとどまらないことについて、以下の文章で触れることにする。

 a 疾病論システムは治療に理論的根拠を与える

 もし病いが、邪術使いによる、ある物体の侵入と定義されるなら、患者が健康に戻るには、その物体を引き抜くことが治療として必要となってくる。さらに、 治療は病いが戻って来ないことを保証するために、邪術使いをなだめたり、無力にしてしまうことが目論まれることになるだろう。もし病いが、眼が覚めた時に 夢の世界から戻る時間がなくて彷徨う魂のせいだと説明されるなら、治療者は魂を捕えたり、肉体に呼び戻したりすることを試みるだろう。そして、西洋医学に おいては、咽頭粘膜培養の検査結果が、連鎖球菌感染を示したら、現代の臨床医は、適切な抗生物質を処方する。

 b 疾病論システムは「なぜ」を説明する

 どの社会でも、患者は回復を案ずる。しかし、この文脈で重要なことであるが、疾病論システムの機能は、治療指針を与えることだけではないのである。そこ にはつねにつきまとって離れない質問がある。「そんなことが、なぜ、私に、いま、ここで起こったのか」。もし、この質問に対して、うまい解答が手近に用意 されていなかったら、患者は病いの再発を恐れるだろう。それゆえに、疾病論システムは、原因を診断し、治療の論理を与えるだけでなく、それより広い範囲の 質問をもまた扱うのである。その質問とは、患者の社会的関係を妨害するような何事が起きたのか、自然の中に本来あるどのような調和が攪乱されたのか、なぜ 運命は、明らかな気まぐれのもとに、この個人に一撃を加えたのか、などというものである。伝統的社会でも、文明社会でも、人々は不確実性とともに生きるの は困難であることに気がつく。彼らは、「なぜか」を知りたがる。なぜ、雨季が来て、作物が一年で実り、翌年までかからないのか。一方では隣人達が貧乏のま までいるのに、ある村人だけが繁栄し、財産を手に入れるのはなぜか。なぜ、ある少女だけが繰り返し扁桃腺炎にかかるのに、彼女の姉妹はめったにならないの か。少なくとも伝統的社会においては、疾病原因論システムは、何が起こったかの説明にとどまっていることはなく、なぜの説明も行うものである。このように して、知ることへの人間の基本的要求を満足させるのを助けているのである。

 c 疾病論システムは、しばしば、社会的及び道徳的規範の、制裁と維持において、強力な役割を演ずる

 このことは、特に、病いの原因が、罪やタブー侵犯や他の悪業の結果に帰される場合に言えることである。ユダヤ−キリスト教の伝統においては、歴史的に病 いは人間の背徳、つまり人間の罪への、神の罰であると説明されてきた。各個人の病いは本人の罪のあらわれであったし、一方ではまた、疫病の大流行は、大き な社会的道徳違反を意味した。どちらの場合においても、神の法に対しての、悔い改めと忠誠とが、病いから回復する方法であり、また将来の病いの回避であっ た。
 認可されていない行為に対する処罰と見なされる病いは、非西洋社会には広く行き渡っている。つまり、別の言い方をすれば、社会的に受容されていない行動 の結果としての病いの脅威は、多くの社会で道徳的秩序を維持することに大きな役割を演ずるのである。コンゴのルグバラ族は、「死者は生きている人間の言葉 を聞いていて、年上の者に従わない者には、その誤りを知らしめるために病気を送ってくるのだ」と、信じている(Middleton 1970 : 54)。リーバンは、フィリピンのネグロス島の村での彼の説明の中で、イングカントス(ingkantos)のせいにされる病いの恐怖を、社会統制として 記述している。イングカントスは普段は眼に見えない霊であるが、時々人間の形を取ることもある。このような時はいつも、この霊は、肉体的には魅力的で、見 るからに金持ちで精力的な姿で登場し、そしてまた非常に危険な存在でもある。イングカントスは、村民達が村以外の世界との接触で知りえた、世界中の望まし いもの全ての象徴であり、またそれらのものは、彼らが欲しがってはいるが彼ら自身手に入らないこともわかっているものであると、リーバンは考えている。 「イングカントスに会って交流する人間は、幻想を通して、身近の人を誘惑すること、つまり自分自身に屈服させることができるようになる。しかし、このよう な体験は、危険なものと見なされ、しばしば病いや死を導くものとも考えられる。イングカントスとそれの影響に関する信念に伴われた、思考と行動パターン は、共同体の社会的平衡を維持するように思われる。それは、村の外の魅力はあるが基本的には入手できない富と権力を、渇望することは危険であるという考え 方を、劇化して表現し、強化することを通して行われるのである。このようにして、村の生活の限界を受け入れることの価値と、村の内部での各自の役割が強調 されるのである(Lieban 1962a : 309)。
 中央カナダのオジブワ・インディアンの世界観の記述から、ハローウェルは、「病気は悪い行いへの罪であるという信念によって、中心的価値が強化される」 と語っている(Hallowell 1963 : 266)。「重い病いは全て、道徳規則の違反を含む幾つかの先行する行為と関連づけられ、病いは悪い行為への罰であると説明される。人間同士の間の、もし くは人間と人間以外のものとの間の、そのどちらであろうとも、期待される相互関係のパターンからの逸脱行動の結果が、病いなのである。……このようにし て、、オジブワ族では、病いの原因は、離れた外部よりは、彼ら自身の人間関係の織物の中に求められるのである」とハローウェルは述べている(同書、 277)。オジブワ族の間での、最も重大な「悪い行為」の一つは、他人と食べ物を分け合うことの拒否やためらいである。つまり、他人を歓待することを身を もって示さないことである。狩猟−漁撈−採集社会においては、全ての家庭が毎日同じ量の食料を手に入れることができるとは限らないので、食料の互助性は、 集団の生存を保証するための生態学的に確実な戦略なのである。しかし、全ての分かち合いが、この原理に基づいていたわけではない。しばしば、ある人達は、 他人に分け前を与えるのを拒否したら、その拒否された人達によって呪術がかけられるのではないかと恐れて、他人への歓待が動機づけられた。歓待されること への拒絶は、提供者への敵意ある行動として受け取られるであろう。このようにして、怒った仲間の呪術による病いへの恐れは、広範囲の気前良さと分かち合い の規範を補強している(同書、294-296)。オーストラリア原住民の間での医療の役割が、社会的不服従に対する制裁であることに、強く驚いた精神科医 ジョン・カウテは、彼の本のタイトルを、『医療は法である』とした。彼はこう述べる。「オーストラリアの原住民社会は、疾病が社会の中に作り出す分極化を 利用する。それは、医師の権威性と患者の依存性の分極化である。この支配−服従相互関係が、原住民医師によって、社会的規範への服従への導入として利用さ れる。原住民医師は実際にこう言う。病気になるといけないから、規範に従いなさい。彼は不幸をも同じような利用のしかたをする。不幸の発生、もしくは迫り 来る不幸を利用して、意見の異なる連中を行動の妥協へと説得し、それで同族が一緒にうまくやっていけるのである。原住民医師の哲学においては、医療は法で ある……」(Cawte 1974 : xxii)。 

 d 疾病論システムは、自然保護的行為に、理論的根拠を与えうる

 いくつかの、狩猟民族、漁撈民俗、採集民族、単純な菜園農業民族の間では、疾病説明論理は、乏しい食物供給の節約の役割を果たす。コロンビアの人類学者 リカエル-ドルマトフは、コロンビア・アマゾナス地方のトゥカノ・インディアンにおけるこの種の例を挙げている。トカノ族は食料の多くをキャッサバ畑から 手に入れているが、タンパク質は狩猟動物や釣り魚から得ている。これらの狩猟動物や釣り魚は全て動物神に従属するものであり、この神は、シカ、バク、イノ シシ、テンジクネズミ、そしてその他食料資源となるような動物と魚を厳重な警戒のもとに守っている、小人の形をした霊なのである。この霊とその手下達は、 険しい岩だらけの山の中と、河の深い淵の底に住んでいる。魚を釣ったり、動物を殺したりする許可を動物神からもらうためには、狩人達は、沐浴や性的禁欲や 食物制限を含む厳しい清めの儀式に耐え忍ばなければならないのである。人間は、気が赴いた時に狩猟できるのではなく、十分に念願が込められた準備期間の後 に、初めて狩猟ができるのである。「この目的は、過剰狩猟を避けるためである」(Reichel-Dolmatoff 1976a : 313)。
 狩りの獲物とされる動物は、狩人達に病いを引き起こして復讐すると考えられている。トカノ・インディアンの中のデサナ族では、「狩りの獲物となる動物の 怨念が、病いの最大の原因と信じられている」(Reichel-Dolmatoff 1976b : 158)。しかしながら、動物達は、動物神を通してのみ、病いを引き起こせるのである。そこで、トカノ・インディアンは、トランス状態の中で動物神を訪ね るシャーマンの指導にそって行動し、動物神が許可した動物の種類と数を守って狩猟する努力をする。病いの信条は、明らかに、狩猟行為における適切な自然保 護を奨励するのである。
 本質的に同様の生態学的結果となる、大変よく似た信条が、メキシコのベラクルスのポプルカ・インディアンの間に見られるのである。この菜園農業民もま た、かなりの量のタンパク質を狩猟と漁撈から得ている。チャネコ(chaneko)として知られている三フィートの身丈の小人が動物神の役割を果たして、 狩人と釣り人に幸運を授けたり、または保留したりする。シカは、チャネコ達の「家畜」であり、彼らは家畜を昼間は放牧のために外に連れ出すが、夜は安全な 地下へ呼び戻すのである。トカノ・インディアンの場合と同様に、チャネコのお気に召すように目論まれた、念入りな清めの儀式が、幸運を射とめるには必要で ある。動物を殺しすぎたり、または傷をつけた動物を不注意で逃してしまうような狩人は、チャネコによって罰され魂を盗まれてしまう。もしチャネコが容赦し て魂を返してくれなかったら、その狩人は病気に陥り死んでしまうのである(Foster 1945 : 181)。ある神話の中に、チャネコに魂を誘拐された狩人の話が出てくる。狩人はチャネコの地下の家に連れて行かれ、そこで彼がかつて傷つけただけで殺さ なかった全てのシカを見せつけられて、「もしお前が家へ帰りたかったら、これらのシカを全部治さなければならない」と言われたのである。熱心な嘆願と、情 状酌量の余地があって、狩人はようやく解放される(同書、200)。このような神話は全ての若い狩人達に、食料が必要な時にだけ動物を殺すということが要 求されていることと、傷つけた動物は逃した後に死なれては食べられないので、決して逃がしてはいけないことを印象づけるのである。

 e 疾病論システムは、攻撃性をコントロールする役割を果たしうる

 スパイロは、ミクロネシアの小環礁イファルクの住人達に病いと不幸の原因と信じられている悪意を持った幽霊−アルス(alus)について記述している。 「アルスは、病気と死はもちろんのこと、悩み、恐れ、不安をも、もたらすのである。個人の死を引き起こすことにより、アルスは社会全体を破壊する能力もあ る。人々の立場から見れば、アルスなど、いないにこしたことはないだろう」(Spiro 1952 : 498)。しかし、なぜこのような、マイナスの機能の信条が生き残り続けているのだろうかと、スパイロは疑問を投げかけている。これへの解答は、人口統計 学、生態学、そして心理学の問題を含んでいる。攻撃的衝動というのは、多分ある程度は、どんな人間でも、性格に備わっているものである。大きくて、外部と 交流のある社会においては、顕在化した攻撃性も、ある程度までなら、共同体を脅かすことなしに吸収されてしまうものである。しかし、小さくて、閉ざされた 共同体においては、顕在化した攻撃性は、共同体の存続への耐えがたい脅威となり、そのため、その攻撃性は抑圧され、方向転換されなければならないのであ る。イファルクは、人口250人(調査当時)の環礁であり、半マイル四方の土地と、それを囲む二倍の大きさの礁湖からなる。驚くことではないのだが、イ ファルク文化は、人間相互関係において攻撃性をむき出しにすることに対しては、強い制裁を加えるのを特徴としている。しかし、攻撃的衝動は存在するので、 何らかの形でその捌け口が与えられねばならないのである。一つの可能性としては、その攻撃性を自らの内部に向けることであろうが、もちろんこれは、個人の 人格を破壊しかねないものであろう。もう一つの可能性は−イファルクで見られるものであるが−攻撃性を人間共同体の外の何ものかに移し向けることである。 イファルクの人達がアルスに対して感じる、極端な恐れと憎しみは、攻撃的衝動を人間を対象にすることから離して、文化的に是認された攻撃性の文化パターン の中に消散させるのに十分なものであると、スパイロは考えている。

 f 伝統的医学の民族主義的役割

 伝統的医学は、しばしば、民族主義的誇りの発達において、重要な役割を果たすものである。なぜなら、伝統的医学は、その国の歴史的古さと、その文化が古 い時代から発達してきた高い水準の、象徴であるからである。歴史的に裏付けのある古代の医療システムを持っている国々では、土着の医療システムを、現代の 西洋医学に対して「独立した、しかも対等の」地位に引き上げようとする要求が、頻繁に見られる。この要求の依って立つ論拠は、その国古来の医学的知識の歴 史的古さと、伝統的治療の世評による有効性との両者である。例えば、古代中国医学に関する最近の記述でも、西洋社会に出現するはるか以前から、中国医学の 中で知られ、かつ使われていた重要な医療技術に、強調のポイントが置かれている(例えば、Huard and Wong 1968)。また、南アジアにおいては、ヒンドゥー教のアユルベーダ医学や、イスラム教のウナニー医学が、政府によって認められ、援助されている (Opler 1963 : 32)。
 シゲリストは、1945年のインドでの医学史研究所設立要求の中に、民族主義のシンボルとしての伝統的医学の強力な役割を確認している。インドは、新し い生活に目覚め、未来を見つめている過渡期にいると、彼は記している。「このような歴史的瞬間においては、人々は自分達の文化的歴史を誇りを持って振り返 る。それこそ彼らが一緒に立つところの共通の基盤であるのだ」と彼は語る。そして、過去に対する関心が復活した例として、古典文学の新版での刊行、ギャン グ物に代って古代叙事詩の映画題材化、古典舞踊の再演などを、彼は指摘した。「そして、その関心が医学に向けられ時、彼らはまた彼らの歴史を思い出す。 ちょうど我々がヒポクラテスを医学の父と見なすように、彼らもまた、チャラカ、スシュルタ、ヴァグハターなどの当時の医学的伝承知識を収集保存した医学者 達を、彼ら自身の古典的大医学者と見なすだろう。……紀元前三世紀の、偉大な仏教徒の王であったアショカ王が、西洋世界には病院など一つもなかった時代 に、都市にも田舎にも病院を建設し、領国の中あまねく、金持ちにも貧者にも、医療サーヴィスを提供したことを、インド人は誇りをもって思い出す」 (Roemer 1960 : 276-277)。
 要約すると、医療システムは、多くの種類の役割と目標を提供する、バラエティに富んだ、複雑な機構である。表面的には、医療システムは疾病と病いの問題 にのみ関わっているが、これは狭義の定義にすぎなく、実際には医療システムは、それ自身を一部として含み込む文化の、基本的なパターンと価値を反映してい るのである。社会文化的環境全体の幅広い文脈の中で検討した時にのみ、あらゆる集団の構成員の保健行動が、十分に理解できることになるのである。

原註 
(1) しかし、不愉快なトゲなどを取ってやるような場合においては、同じチンパンジー達が友達の悪い歯を抜いてやったり、難儀に陥っている仲間の周囲に 群がったりするのが観察された。また、ポリオで死亡したチンパンジーの兄弟は、最初は彼を助けようと試みた。しかし、重病にかかった仲間に対する、集団全 般の対応は、ラヴィッツ−グッドオールが報告の中で述べているような形でおきた。これこそ、彼女のフィールド経験の中で観察された、最も否定的な対応で あった。
(2) 同じことを、アイゼンバーグは、最近こう言っている。「患者は《病い》を患い、医師は《疾病》を診断し治療する」(Eisenberg 1977 : 11)。

訳註
*1 このdisease-illnessの二分法は、医療人類学や医療社会学や医学哲学の分野で、よく使われるものである。diseaseには、病理学 的概念とか「客観的」概念とか、治療者(医学)側の概念とかがあてられ、illnessには、文化的概念とか、「主観的」概念とか、患う主体側の概念とか があてられることが多い。ここでは、現在一般的に使われている訳と思われる、disease−疾病、illness−病いを訳にあてておく。しかし、医療 人類学者の中でも、この訳語に関してはまちまちで、この逆の組合わせで使われる場合もある。日本語のボキャブラリーには、病気、疾病以外にも、病い、患 い、疾患などがあり、日常的にもまた医学内部においても、はっきりとした定義や区別のもとに使われることはほとんどないといえるであろう。
 原著でも、disease-illnessの二分法の定義に基づく使用は、ここの部分だけに限られ、用語の定義というよりは、概念的操作のための二分法 を紹介したものであるにとどまっていて、disease、illness、sickness、ailment などの用語が全文を通して様々に使われている。そこで日本語訳でも、右の二分法の定義にとらわれず、日本語の慣用的表現と文脈に従って、病気、疾病、疾 患、病いなどの訳をあてている。
chapter 3
Medical Systems
MEDICAL SYSTEMS AS SOCIOCULTURAL ADAPTIVE STRATEGIES

In the preceding chapter we considered within a biocultural-ecological frame of reference broad matters of diseases and some of their roles in human evolution, viewed as biological adaptive strategies. Our emphasis was on disease itself, not on people as individuals, and on the ways in which human behavior bears on the presence, absence, or incidence of specific diseases. In this chapter we turn to a sociocultural-institutional frame of reference; we focus on the problems of sick people who, as cultural beings, have over time developed social institutions, etiological theories, and therapeutic techniques to enable them to cope with the social and other dislocations occasioned by illness-induced disability. And, just as we can speak of biological adaptive strategies that underlie human evolution, so too can we speak of sociocultural adaptive strategies that bring into being medical systems, the culturally based behavior and belief forms that arise in response to the threats posed by disease. The adaptive nature of a medical system is apparent from Dunn's recent definition: "the pattern of social institutions and cultural traditions that evolves from deliberate behavior to enhance health, whether or not the outcome of particular items of behavior is ill health (Dunn 1976: 135). Disease, with its pain and suffering, is the most predictable of human conditions; it is a biological and cultural universal. In prehuman times, as among animals today, disease was almost entirely a biological phenomenon. With rare exceptions a diseased animal is of no concern to its mates; usually they shun or abandon the sufferer. Jane Goodall describes this animal pattern when a poliomyelitis epidemic struck the chimpanzee community she was studying in Tanzania. A group of healthy animals observing a cripple struggling to reach the feeding area made no attempt to help him. Instead, they kept their distance, stared nervously at the invalid, grinned in fear, and embraced and patted each other in gestures of reassurance. A second animal, badly paralyzed and dying, struggled to keep up with the troop as it moved up the valley. "But whether
he dragged himself on his belly, or hitched himself backward, or laboriously somersaulted, he could move only very slowly, and the rest of the group were
soon out of sight" (Lawick-GoodaIl1971:223). 1 In the absence of curing skills avoidance or.abandonment is adaptive behavior, a kind of preventive medicine in which a primitive "quarantine" reduces the danger of exposure of healthy individuals to contagious germs and viruses.

As our primate ancestors evolved into man, their diseases, many of which they brought along with them, and the new ones they acquired along the way (e.g., Cockburn 1971:45-46) ceased to be purely biological phenomena; they acquired social and cultural dimensions as well. For with man, unlike other fonns of animal life, disease threatens in major fashion not only the biological safety of the sufferer and his fellows but also the social and economic life of the group. As with animals, an infectious individual exposes his companions to epidemic illness, and history is replete with cases of decimation of human populations when sufferers from smallpox, tuberculosis, or plague were brought into contact with peoples who previously had not known these diseases. In attempting to protect himself from these threats, man sometimes has followed the mammalian pattern of outcasting, or flight from the sick. In the West, from Biblical until modem times, lepers were condemned to live outside city walls and to warn all who approached them with the cry "Unclean! Unclean!" On the opposite side ofthe globe the primitive forest-dwelling Kubu of Sumatra, when threatened by an epidemic, simply abandoned their afflicted fellow tribesmen and moved deeper into the forest, thus condemning them to a social death even prior to physical death (Sigerist 1951:148).

Far more often, however, man has sought to cure the sufferer. As Rubin has written, "By necessity man has undoubtedly always been concerned with questions of health and survival, and has sought, within the framework of his knowledge, solutions to problems of illness" (Rubin 1960:785). This concern is not alone humanitarian, although in most societies there is a strong urge to nurture the sick; rather, it also represents a new and distinctively human fonn of adaptive behavior, one based on logic as well as compassion.

Activities in all human societies, to a far greater extent than those of animals living in groups, are organized around age, sex, and occupational specializations
that we call "roles." Basic roles in simple societies include parent, child, husband, wife, cook, housekeeper, hunter, fisher, gatherer, herbalist, religious specialist, and the like. Every human being fills a number of roles: a husband may also be a father, a son, a hunter, a craftsman, a religious leader, or many other things. And his wife is a daughter, a mother, a cook, a clothesmaker, and perhaps an herbalist, all at the same time. Whatever the role, the person who fills it - the "incumbent" - assumes certain rights and expects certain fonns of behavior from those people with whom he or she interacts. A husband has sexual prerogatives in relation to his wife and, at least in traditional societies, he expects her to cook his food, discipline his ch ildren, and perhaps make his clothing. In her absence he would be hard put to exist. Equally important, the incumbents, the occupants of every role, have obligations, or duties, toward their fellows - and these are often reciprocal. The husband must meet his wife's sexual needs (Le., she also has sexual prerogatives), and he is to provide game, fish, or other foods for her and their children. Without his contribution life for them would be exceedingly difficult. Role obligations and role expectations also extend well beyond the primary family to include kinsmen, friends, and neighbors. In short, even the technologically most simple societies are characterized by an interlocking network of mutually supportive and dependency relationships.

This network of supportive action is well illustrated among the Iban of
Borneo, where healing ceremonies often involve not only the family of the
patient, but also the entire longhouse of as many as 12 separate family units.
All co-dwellers "become directly involved with the patient's problem, may have
responsibilities for preparations needed for the healing ceremony, and often
must observe certain taboos after the ceremony to keep the patient well. It is
also in their best interest for the patient to get well since a community as
interdependent as a longhouse misses any sick member" (Torrey 1972:97.
Emphasis added).

Clearly a sick human being signifies something quite distinct from a diseased
animal: to the extent the patient is unable to fulfill his normal obligations to
others, he jeopardizes their well-being, since they depend on him for many
things. Faced with the crisis of serious illness of one of their members, the other
members of the group must decide what to do. In an analytic sense they have
polar choices: like animals they can leave their sick comrade to his own
resources, to recover or to die without their help. If he recovers, the victim can
resume his former roles; if he dies, a substitute will be found for him, and the
life of the group will go on as before. Alternatively, the members of the group
can attempt to restore the sick person to health ~he can again fulfill his
normal role obligations. In human societies the second alternative is the one
that is usually selected, except in those rare instances - as with leprosy in past
centuries - when it is recognized that recovery is impossible.

To a point, people usually are willing to gamble time, resources, and an extra
work load (in caring for the patient and in temporarily fulfilling his basic role
obligations) in order to avoid the greater social disruption and costs that
inevitably accompany death. But, with the possible exception of the most
affluent societies, "cost-benefit" factors always seem to be considered. The
estimate of time and other expenses necessary to probable recovery and the
perceived likelihood of recovery itself are consciously and subconsciously
balanced against the perceived utility of the patient to the group that is making
the decision. Great effort will be made to save a father or mother in the prime
of life, with small children needing care, and contributing to the social and
economic well-being of other members of the group. But less value will be
placed on trying to save the life of old people, now of limited value to family
and community; and infants and small children, still major drains on parents'
time and resources and all too easily replaced, may receive nothing beyond the
simplest home remedies.

Thus we see that the emergence of human societies created a new adaptive
strategy in the face of disease, a strategy that forced on man a major concern
with the prevention and treatment of disease. In learning to treat disease man
has developed "a vast complex of knowledge, beliefs, techniques, roles, norms,
values, ideologies, attitudes, customs, rituals, and symbols, that interlock to
form a mutually reinforcing and supporting system" (Saunders 1954:7). This
"vast complex," and all of the other items we might think to add to the list,
constitutes a "medical system." The term properly embraces the totality of
health knowledge, beliefs, skills, and practices of the members of every group.
It should be used in a comprehensive sense to include all of the clinical and
nonclinical activities, the formal and informal institutions, and any other
activities that, however tangentially, bear on the health levels ofthe group and
promote optimum functioning of society.

Frequently, however, the term is used in a much narrower sense. We sometimes
hear health problems discussed - particularly when "American medicine"
is under attack - as if a medical system consisted largely of how a doctor
treats (or mistreats) his patients. Some people express surprise when it is
suggested that environmental sanitation and nutrition education and the scientific
knowledge that underlies these activities are just as much a part of our
medical system as is the physician's practice. Some critics, loath to concede
any merit in modern medical practices, give credit for indices of medical
success such as increasing longevity and lowered morbidity rates to "rising
standards of living," without realizing that rising standards of living historically
have included potable water, sanitary sewage and refuse disposal, more
numerous varieties of fresh foods in local markets, outdoor sports, and many
other things known to bear directly on health levels. The skills and knowledge
involved in manufacturing and fitting eyeglasses, hearing aids, artificial dentures,
and prosthetic devices, which contribute so greatly to the health and
well-being of contemporary peoples, must also be considered a part of a
medical system.

In short, we view every medical system as embracing all of the health-promoting
beliefs and actions and scientific knowledge and skills of the members of the
group that subscribe to the system.

DISEASE THEORY AND HEALTH CARE SYSTEMS

At this most comprehensive level it is correct to conceptualize a single medical
system for every society, and so we frequently speak of the medical system of
the contemporary United States, of a Mexican village, or of the Zulu. It is one
thing to conceptualize an all-embraCing medical system, but it is quite another
thing to analyze it and study it. In practice, therefore, we must identify
subsystems or multiple institutions within a single medical system in order to
deal with it in any systematic manner. In the United States, for example, we
customarily divide our formal medical system into component parts such as
a medical education system, a medical research system, a health care system,
a public health system, and many more similar categories. In technologically
simpler societies many of these subsystems are lacking or exist only in attenuated
form. Hospitals, medical schools, formal public health institutions,
research laboratories, and the like are not found. Yet the medical systems of
all groups, however simple some may be, can be broken down into at least two
major categories: (1) a "disease theory" system, and (2) a "health care" system.
A disease theory system embraces beliefs about the nature of health, the
causes of illness, and the remedies and other curing techniques used by doctors.
In contrast, a health care system is concerned with the ways in which societies
organize to care for the sick and to utilize disease "knowledge" to aid the
patient. Disease theory systems deal with causality, the explanations given by
people to account for loss of health, explanations such as breach of taboo, theft
of the soul, an upset in the hot-cold balance within the body, or the failure of
a human organism's immunological defenses against pathogenic agents such
as germs and viruses. A disease theory system is thus an ideational, conceptual
system, an intellectual construct, a part of the cognitive orientation of the
members of the group. It deals with classification, explanation, and cause and
effect. All disease causality systems are, in large part, rational and logical, in
that curing techniques are functions of, or stem from, a distinctive conceptual
organization of ideas about causes. Disease causality systems can be thought
of as irrational only by people in other societies who believe that the premises
underlying explanation are wholly or partly contrary to fact.

A health care system is a social institution that involves the interaction of
a number of people, minimally the patient and the curer. The manifest function
of a health care system is to mobilize the resources of the patient, his family,
and his society to bring them to bear on his problem. A health care system
obviously reflects the logical and philosophical characteristic of the disease
causality system with which it is linked, in that the latter dictates many of the
decisions that are made and the actions taken by the participants in the sick
room drama. Yet the two systems, for all their closeness, are not the same. For
analytical purposes they can be kept separate, and the characteristics and
functions of each can be studied without immediate reference to the other.
Each of the two systems fulfill specific functions beyond their joint role in
caring for the sick.

The distinction between disease theory and health care systems is useful for
a variety of reasons. For one, it helps us to see more clearly the strengths and
weaknesses of total medical systems. Today the "American medical system"
is much critiCized, and growing numbers of people are turning to "alternative"
forms of medical care to meet their clinical and psychological health needs.
Although we recognize the iatrogenic consequences of some clinical measures
and the inevitable errors of judgment inherent in even the most skillful medical
practice, we believe that in considerable measure this criticism reflects discontent
with the health care rather than the clinical side of medicine.

The distinction between disease theory and health care systems also has
advantages in certain action situations: it enables us to cope more wisely, more
sensitively, with the challenge of introducing change in medical practices
among peoples who previously have known only their traditional systems. In
such societies, we have found, traditional disease causation ideas often persist
long after Western innovations in health care become attractive. The members
of such societies are, however, often faced with a dilemma; the conflict between
their deep-seated health beliefs and the obvious success of the physician in
treating much illness. Many medical personnel feel that good health practices
must be based on comprehension of the scientific theories that underlie these
practices. Yet this does not necessarily follow, and there is strong evidence that
in developing societies the physician's ability to reintegrate contrasting systems
from distinct cultures into a single viable unit greatly aids him in his work.
The Leightons have pointed out how this synthesis of contrasting systems
promotes health among the Navaho. "If an Indian is told to take digitalis every
day he will probably munch a few tablets and then forget about them. If he
is told that his green medicine comes from the leaves of the foxglove, that his
body must never be without it any more than his mind without a good song,
and that he must take it every morning of his life when the first brightness of
the day is in the east, one stands a much better chance of having the instructions
carried out" (Leighton and Leighton 1941:523).

Finally, the separation of health care from disease theory systems is helpful
as a pedagogic and research device. It enables us to concentrate, in turn, on
major bodies of data for analysis and cross-cultural comparison. This dichotomy
is implicit in much of the discussion in this and following chapters.

SOME UNIVERSALS IN MEDICAL SYSTEMS

Although the medical practices and beliefs of, say, the Eskimo would appear
to have little in common with those of the inhabitants of a large American city
there is, in fact, an underlying structure of universals in all medical systems
that facilitates comprehension and study. Some of these universals have to do
with roles and their obligations: there are always, at a minimum, patients and
curers. These will be discussed in subsequent chapters. Other universals are
more general, having to do with things such as the definition of illness, attitudes
toward health and illness, the integration of medicine into the general
cultural framework, and the like. Some of these more common universals
follow.

1. Medical systems are integral parts of cultures

The major institutions of every culture are related to each other and fulfill
specific functions in relation to each other. Each institution is essential to the
normal functioning of the culture in which it is found and each, in tum, draws
on the others for its own continued existence. Medical institutions are no
exception. For example, disease beliefs in many societies are so intimately
related to magic and religion that it is impossible to separate them. Mythology
may be important in explaining cosmology and the supernatural deities and
other beings who are thought to bring illness. Social institutions are reflected
in the roles of curers and their relations to patients and their families. Legal
forms may come into play in determining responsibility for sickness if, for
example, witchcraft is involved, and economic factors are significant in payments
to shamans. In short, medical systems cannot be understood solely in
terms of themselves; only when they are seen as parts of total cultural patterns
can they be fully appreciated. .

To say that medical systems are integral parts of cultures is to view them
at a basic, but fairly obvious level. But medical systems are parts of cultures
at a more abstract level, in that in content and form they reflect patterns and
values that are less obvious. Pellegrino has caught the spirit of this level when
he writes that "Medicine is an exquisitely sensitive indicator of the dominant
cultural characteristics of any era, for man's behavior before the threats and
realities of illness is necessarily rooted in the conception he has constructed
of himself and his universe. Every culture has developed a system of medicine
which bears an indissoluble and reciprocal relationship to the prevailing world
view. The medical behavior of individuals and groups is incomprehensible
apart from general cultural history" (Pellegrino 1963:10).

In the Mexican mestizo village of Tzintzuntzan, for example, health is
defined in terms of an equilibrium between the "hot" and "cold" forces inherent
in the body and in the surrounding world. This view, in tum, is found to
be merely a special statement of a much broader view of life, that the healthy
community is also one in which equilibrium prevails, in which there is a
balance, an even distribution of good of all kinds, in economics, in justice, in
power, and the like. In traditional Chinese medicine, says Pellegrino, we see
how world view influenced medical ideas and practice: disease was thought due
to a disharmony or "lack of ebb and flow" between yin and yang forces. Man
was thought to be a microcosm of the universe, made up of the same five
elements - wood, fire, earth, metal, and water - which in tum correspond
to the five viscera, five senses, five colors, and five tastes. "Such an assured view
of the constitution of man," says Pellegrino, "strongly discouraged the study
of anatomy. Chinese medicine was characterized by the vaguest notions of
human anatomy. Its thereapy was directed to providing the missing Yang
element by the administration of some animal organ presumed to have a high
content of that material" (Ibid., 12).

Consistency in culture patterns is manifest in still other ways. In many tribal
societies, for exampfe, much medical belief and practice is magical, conforming
to a more comprehensive pattern in which magic is invoked to explain all
misfortune, and in which it is used to control the social environment. In
contrast, in Western countries formal medicine is predominantly scientific,
reflecting the scientific orientation that has characterized these countries during
the past three centuries. In many non-Western communities group consensus
is the basis on which decisions are made. In these societies major medical
decisions are reached in the same fashion, and only after extended consultation
among those relatives and friends who are directly affected by the illness will
the decision as to what to do be taken. In the United States, where independent
decision-making ability is highly valued, major medical decisions are made by
fewer people, sometimes by the patient alone in consultation with the doctor.
In both cases, decision-making behavior can be understood only against the
background of wider cultural patterns.

2. Illness is culturally defined

In the United States we are so accustomed to think of illness in terms of germs
and viruses that we assume it is a biological constant, a pathological condition
that is verified from laboratory tests or other forms of clinical examination.
From a cultural point of view, however, illness is quite a different thing: it is
the social recognition that a person is unable to fulfill his normal roles adequately,
and that something must be done about the situation. In other words,
we must distinguish between disease, a pathological concept, and illness, a
cultural concept. We speak, for example, of plant and animal diseases, quite
divorced from culture. But man's diseases become socially significant only
when they are identified as illness, a physiological malfunctioning that is seen
to threaten the individual and his society. Anotlier way to point out the
distinction is to say that a medical doctor wishes to cure disease but he treats
illness, for it is usually the impairment of function and not the presence of
disease pathogens that causes us to seek aid. 2

Societies define illness in different fashions, and symptoms that are accepted
as evidence of illness in one society may be ignored in the next. Definitions
within the same society may also change over time. Today malaria is recognized
as one of the most dangerous of all killing diseases and, since the early
1950s, the World Health Organization has made strenuous efforts to eliminate
it from the globe. Yet in the Upper Mississippi Valley in the nineteenth century
it was so common that it was not regarded as pathological. As the frontier was
pushed westward, the cutting of forests, travel by riverboat, settlement in river
bottoms, poor sanitation, and stagnant water increased the incidence of the
Anopheles mosquito and man's exposure to it. "In the beginning the 'chills'
were regarded as a necessary element of the inevitable 'acclimatization' and
after having 'shaken' for years people got so used to it that they hardly paid
attention to a little 'ague.' This is a classic example of how an objectively
dangerous and burdensome bodily condition can subjectively, by social convention,
even lose the character of disease" (Ackerknecht 1945:4).

Other examples also illustrate how culture defines what is and what is not
illness. As in the Upper Mississippi Valley in the last century, malaria is
prevalent among the Mano of Liberia. Although most people have some
immunity to it (presumably because they carry the sickle-cell gene that is
believed to provide significant protection), many adults suffer. Yet they do not
consider this to be illness (Harley 1941:44). Nor do the Mano view yaws as
illness: "Oh, that is not a sickness," they say. "Everybody has that" (Ibid .. 21).
In rural Greece cases of measles, mumps, chicken pox, and whooping cough
are rarely reported in government morbidity records, since they are considered
to be "compulsory diseases," an inevitable and perhaps normal part of the
process of growing up (Blum and Blum 1965:53).

3. All medical systems have both preventive and curative sides
In the United States the formal dichotomy between preventive (public health)
and curative (clinical, largely private sector) medicine tends to make us feel
.. that those simpler societies that do not recognize this division are lacking in
preventive concepts. It is true that, insofar as preventive medicine is based on
legal foundations (public health in its narrowest sense), most non-Western
peoples lack the institution of public health. Among tribal and peasant peoples
one looks in vain for public officials who can require or prohibit behavior
known or believed to be causally connected to health levels. Things such as
quarantine, compulsory immunization, minimum standards for potable water,
and communitywide sanitary disposal of sewage and waste require legal mechanisms
normally associated only with well-developed governmental systems.
This is not to say that such systems by definition are modern; in ancient China
there were well-developed institutions to promote public health.
But among most non-Western peoples preventive medicine consists of personal
acts rather than legal functions, personal behavior that follows logically
from disease causation concepts which, by explaining why a person falls ill,
simultaneously teach what must be done to avoid illness. When people believe
that illness is sent by angry gods or resentful ancestors who are punishing sin,
"the obvious procedure to prevent it is confession or, even better, the meticulous
observation of social taboos and the careful execution of rites and ceremonies
owed to the gods and the ancestors" (Aguirre Beltran 1963: 196). For those
who attribute illness to witchcraft, it is wise to avoid offending neighbors who
might resort to nefarious acts. If illness is thought to follow the entry of cold
air into the body, the cautious person tries to avoid situations in which cold
air may strike him. Where it is feared that babies will sicken because of the
envious glance of a barren woman, careful mothers place the appropriate
amulet around the infant's neck or wrist to ward off the evil eye. These and
countless similar individual acts, although quite distinct from modem public
health ideas and programs, are nevertheless properly viewed as preventive
medicine, since they aim to prevent illness. The extent to which we can speak
quite properly of preventive medicine in traditional societies is illustrated by
Colson's long monograph dealing entirely with Malay acts and rituals designed
to prevent illness (Colson 1971).

Although many indigenous "preventive" practices are little if any more than
superstition, some actions undoubtedly benefit, even if not for the reasons
assumed. Many traditional peoples, for example, keep their living areas
scrupulously free offecal matter: although they do this because of the fear that
enemies may practice sympathetic magic against them with their excrement,
the reduction in flies resulting from this practice is almost certainly beneficial.
And the Mano of Liberia, many of whose health practices are far from ideal
from a medical viewpoint, are clean in their personal habits; they take a hot
bath every evening at sunset, their food is clean and well cooked, and defecation
takes place in the bush instead of in towns, which are remarkably free of
vermin (Harley 1941:73-74).

4. Medical systems have multiple functions

At first thought the answer to the question, "What is the function of a medical
system?" is obvious: to restore the patient to health, if at all possible. This
certainly is a basic reason, and perhaps the most important of all. Yet, as with
other complex cultural systems within a society, medical systems fulfill a
number of functions essential to the well-being of the culture of which they
are a part, functions which often are not recognized by members of the group
themselves, but that are adaptive in the sense that they in some way promote
the well-being of the group. A health care subsystem serves not only to care
for the patient but also, as will be discussed in Chapter VIII, as a backdrop
against which the social roles of illness can be played out: temporary release
from psychological and social pressure, a wish to gain attention, a device to
control the behavior of others, and the like. Similarly, disease theory systems
go far beyond simple explanation of illness causality, as the following paragraphs
will show.

(a) A DISEASE THEORY SYSTEM PROVIDES A RATlONALE FOR TREATMENT

If illness is defined as due to the intrusion of an object by a sorcerer, extraction
of the object is essential to returning the patient to health. Treatment may also
be designed to placate or neutralize the sorcerer in order to ensure that the
illness will not return. If illness is explained as due to a wandering soul that
had no time to return from its dream world when its owner awakened, the
curer will attempt to trap or otherwise lure the soul back to the body. And
in Western medicine, if laboratory analysis of a throat culture reveals a streptococcus
infection, the modem physician prescribes the appropriate antibiotic.

(b) A DISEASE THEORY SYSTEM EXPLAINS "WHY"

In all societies patients are concerned about recovery. But, important as it is
in this context, the function of a disease theory system is not limited to
providing a guide to therapy. There is always the nagging question, "Why did
it happen to me, at this time, in this place?" If a good answer to this question
is not forthcoming, the patient fears the return of the illness. So a disease
theory system not only diagnoses cause and provides the logic for treatment,
but it deals with the much wider question of what has happened to disturb the
patient's social relationships, what harmony inherent in nature may have been
disturbed, and why, with apparent capriciousness, fate has dealt this individual
a blow. Both traditional and civilized people find it difficult to live with
uncertainty. They want to know "why?" Why do the rains ~ome and the crops
mature one year and not the next? Why does one villager prosper and acquire
wealth, while his neighbor remains poor? Why does one girl suffer repeatedly
from a sore throat, while her sister rarely does? In traditional societies, at least,
disease causality systems go far beyond explaining what has happened; they
also account for why, thus helping to satisfy a basic human need to know.

(c) DISEASE THEORY SYSTEMS OFTEN PLA Y A POWERFUL ROLE IN SANCTIONING AND SUPPORTING SOCIAL AND MORAL CUl TURAl NORMS

This is particularly true when illness is attributed to sin, taboo violations, and
other forms of wrongdoing. In the Judeo-Christian tradition illness historically
has been explained as God's punishment of man for his moral lapses, for his
sins. Individual illness represented personal transgressions, while great epidemics
signified major social moral failures. In either case, repentance and
adherence to God's law was the way to recovery and the avoidance of future
affliction.

Illness, seen as a penalty for disapproved conduct, is widespread in nonWestern
societies. Or, stated differently, the threat of illness as a consequence
of socially unacceptable behavior plays a major role in many societies in
maintaining the moraJ..order. The Lugbara of the Congo believe that "the dead
hear the words of the living and then send sickness to show the offender, whose
offence is that of disobedience to his elders, the error of his ways" (Middleton
1970:54). Lieban describes fear of illness as a social control in his account of
ingkantos in a village on Negros Island, in the Philippines. Ingkantos are
spirits, normally invisible, which sometimes assume human form. When they
do so they usually are physically attractive and obviously wealthy and powerful;
they are also extremely dangerous. Lieban believes ingkantos symbolize all
of the good things in the world that the villagers know about, from their
contacts with the extravillage world, that they would like to have but know
they are unlikely to obtain. "The individual who sees and interacts with
an ingkanto can, through fantasy, bring temptation within reach, or succumb
to it. However, such experiences are considered hazardous and often are
thought to lead to illness or death. This pattern of thought and behavior
associated with beliefs about ingkantos and their influence appears to support
social equilibrium in the community by dramatizing and reinforcing the idea
that it is dangerous to covet alluring, but basically unattainable, wealth and
power outside the barrios. In this way, the value of accepting the limitations
of barrio life, and one's part in it is emphasized" (Lieban 1962a:309).
Hallowell, in describing the world view of the Ojibwa Indians of central
Canada, says that their "central values are reinforced by the belief that sickness
is a penalty for bad conduct" (Hallowell 1963:266). "Any serious illness," he
writes, "is associated with some prior conduct which involved an infraction
of moral rules; the illness is explained as a penalty for bad conduct. It is a
consequence of behavioral deviation from expected patterns of interpersonal
relations, whether between human persons or between a human being and an
other-than-human person. ' .. Thus, causes of illness are sought by the Ojibwa
within their web of interpersonal relations, rather than apart from it" (Ibid.,
277). Among the Ojibwa one of the most important forms of "bad conduct"
is refusal or reluctance to share food with others, a failure to display hospitality.
In a society of hunters, fishers, and gatherers, where not all families have
access to the same amount of food every day, food reciprocity is ecologically
a sound device to ensure the survival of the group. But not all sharing, says
Hallowell, was based on this principle; often individuals were motivated to be
hospitable for fear of witchcraft from those with whom they refused to share.
Refusal of hospitality might be interpreted as a hostile act toward the supplicant.
Thus, fear of illness from witchcraft of angry fellows reinforced the norm
of widespread generosity and sharing (Ibid., 294-296).

So struck was psychiatrist John Cawte with the role of medicine as a
sanction against social nonconformity among the Australian aborigines that
he titled his book Medicine is the Law. "Aboriginal Australian societies
. . . " he writes, "take advantage of the polarization that disease creates in
society: the power of doctors and the dependency of patients. This dominationsubmission
reciprocity is exploited by native doctors as an inducement toward
social conformity. The native doctor says, in effect: conform lest you become
ill. He may take a similar advantage of misfortune, utilizing its occurrence or
threatened occurrence to persuade dissident parties toward compromised
courses of action, so that kin live better together. In the native doctor's
philosophy, medicine is the law . .. " (Cawte 1974:xxii).

(d) A DISEASE THEORY SYSTEM MA Y PROVIDE THE RA TlONALE FOR CONSER VA TlON PRACTICES

Among some hunting, fishing, and gathering, and simple horticultural peoples,
disease explanations play powerful roles in the husbanding of scarce food
supplies. The Colombian anthropologist Reichel-Dolmatoffhas described one
such case among the Tukano Indians of the Colombian Amazonas. The
Tukano derive much of their sustenance from manioc gardens, but most of
their protein comes from game animals and fish. All game animals and fish are
subject to the Master of Animals, a dwarflike spirit who jealously guards his
flocks of deer, tapir, peccary, agouti, and other animals and fish that are a food
resource. He and his charges live inside steep rocky hills and at the bottom
of deep pools in rivers. To obtain the Master's permission to catch fish or kill
game, hunters must undergo rigorous purification rites that include bathing,
sexual abstinence, and food restrictions. A man can hunt, not when the fancy
strikes him, but only after this anxiety-charged period of preparation, "the
purpose of which is to avoid over-hunting" (Reichel-Dolmatoff 1976a:313).
Game animals are thought to take revenge on hunters by causing illness and,
among one Tukano group, the Desana, "the malevolence of game animals is
believed to be the largest single cause of illness" (Reichel-Dolmatoff
1976b:158). They can cause illness, however, only through the Master. Hence
the Tukano, working under the guidance of their shaman who visits the Master
in a trance, strive to hunt only those animals, and in numbers, for which they
have the Master's permission. Illness beliefs clearly promote sound conservation
of game practices.

Remarkably similar beliefs, serving essentially the same ecological ends, are
found among the Popoluca Indians of Veracruz, Mexico. These horticultural
people also derive a significant amount of protein from hunting and fishing.
Three-foot dwarfs known as chanekos play the role of game masters, who grant
or withhold luck to hunters and fishers. Deer are their "cattle," which they
let out to graze by day, but call back at night to underground safety. As with
the Tukano, elaborate purification rites designed to obtain the favor of the
chanekos are essential to hunting luck. A hunter who kills too many animals
or who carelessly allows wounded animals to escape is punished by a chaneko
who kidnaps his soul; unless he relents and returns the soul, the hunter sickens
and dies (Foster 1945:181). One myth tells of a hunter spirited away to the
underground home of a chaneko where he was shown all of the deer he had
wounded but not killed. "If you want to return home you must cure all of these
deer," he was told. Only after much supplication and because of extenuating
circumstances, was the hunter released (Ibid., 2(0). Myths such as this impress
on all young hunters the need to kill only when food is necessary, and to make
sure that wounded animals do not escape, later to die, uneaten.

(e) A DISEASE THEORY SYSTEM MA Y SERVE TO CONTROL AGGRESSION

Spiro has described the alus -malevolent ghosts -who are believed by the
inhabitants of the tiny Micronesian atoll of Ifaluk to be causes of illness and
misfortune. "The a/us cause worry, fear, and anxiety, as well as sickness and
death; and by causing the death of individuals they can, potentially, destroy the
entire society. From the point of view of the people, it would be better if there
were no alus" (Spiro 1952:498). Why, asks Spiro, does such a dysfunctional
belief continue to survive? The answer involves demography, ecology, and
psychology. Aggressive drives, in some degree, probably characterize everyone.
In large, open societies a certain amount of overt aggression can be
absorbed without threatening the community. But in tiny, circumscribed communities,
overt aggression is an intolerable threat to the survival of the community;
it must be repressed and redirected. Ifaluk is an atoll of 250 people
(at the time of the study) occupying a square half mile of land surrounding
a lagoon double in size. Not surprisingly, Ifaluk culture is characterized by
strong sanctions against overt aggression in interpersonal relationships. But
the aggressive drives are there; they must somehow be given vent. One possibility
would be to tum them inward, which would, of course, be destructive
of the individual personality. Another possibility - that found on Ifaluk -
is to displace the aggression onto some object outside the human community.
Spiro feels that the extreme fear and hatred of the alus felt by the Ifalukans
is sufficient to displace aggressive drives away from humans and to dissipate
them in culturally sanctioned, aggressive culture patterns.

(f) THE NATIONALISTIC ROLE OF TRADITIONAL MEDICINE

Traditional medicine often plays an important role in the development of nationalistic
pride, since it may symbolize the antiquity of the country concerned, and
the high levels to which culture had evolved in ancient times. In countries with
ancient, documented, medical systems there is frequently an urge to elevate the
indigenous system to "separate but equal" status with contemporary Western
medicine, basing the argument both on the antiquity of medical knowledge in
the country concerned and the putative effectiveness of traditional treatments.
Recent descriptions of ancient Chinese medicine, for example, stress the important
medical techniques that were known and used long before they appeared
in the West (e.g., Huard and Wong 1968). And in South Asia, Hindu
Ayurvedic and Moslem Unani Tibbi medicine are recognized and supported
by national governments (Opler 1963:32).

In 1945, in urging the establishment of an Institute of the History of Medicine
in India, Sigerist recognized the powerful role of traditional medicine as
a symbol of nationalism. He noted that India was in a period of transition,
awakening to a new life, and looking into the future. "At such an historical
moment," he wrote, "the people look back with pride to their cultural history.
It is the common ground on which they stand." He pointed to the publication
of classical literature in new editions, the cinematographic use of ancient epics
instead of gangster stories, and the reenactment of old dances as examples of
a renewed interest in the past. "And when it comes to medicine, they remember
their history also. Just as we look to Hippocrates as the father of medicine,
they look to their own classics, to Caraka, Susruta, Vabhata, who collected and
preserved the medical lore of their time. . . Indians remember with pride that
in the third century B.C. Asoka, the great Buddhist Maurya king, had provided
medical services for rich and poor. . . throughout his empire, that he had
hospitals built in town and country ... at a time when there was not a single
hospital in the Wt;stern world" (Roemer 1960:276-277).

In summary, medical systems are rich and complex organizations that serve
many roles and goals. Ostensibly concerned only with the problems of disease
and illness, narrowly defined, they in fact reflect the fundamental patterns and
values of the cultures of which they are a part. Only when viewed in the broad
context of a total sociocultural milieu can the health behavior of the members
of any group be fully understood.

NOTES

1 The same chimps, however, on other occasions removed offending splinters
from one another, were observed pulling the diseased teeth offriends, and often
huddled with discomforted members of the group. Also, the brother of the
dying polio-ill chimp initially did attempt to aid him; however, the general
reaction of the group to their seriously stricken members evoked in LawickGoodall
what she reported as among the most negative reactions of her entire
field experience.

2 Or, as Eisenberg recently has said, "patients suffer 'illness'; physicians diagnose
and treat 'diseases'" (Eisenberg 1977:11).

ch03-FosterAnderson_MA_All1978-3.pdf
このページは、かつてリブロポートから出版されました、フォスターとアンダーソン『医療人類学』の改訳と校訂として、ウェブ上においてその中途作業を公開 するものです。

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他山の石(=ターザンの新石器)

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