はじめにかならずよんでください

民族精神医学

Ethnopsychiatry

解説:池田光穂

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医療人類学:Notes on George M. Foster and Barbara G. Anderson' Medical Anthropolpgy, 1978

第5章 民族精神医学 (Ethnopsychiatry)

 部族あるいは農民社会での疾病の原因論は、既述のように、科学的医学の特徴とはいくつかの非常に基本的な点で異なっている。これまで、おもに、世界の人 々の生命を最も多くうばってきた急性の感染性、衰弱性の疾患というコンテクストにおける前者の信条体系のいくつかのあらわれを見てきた。しかし、民族医学 という分野はまた伝統的社会が精神疾患をどのようにとらえ、取り扱うかを研究する分野でもある。この章では、民族医学のこの二番目に大きな関心分野に我々 の注意を向けよう。この領域は通常、「トランス文化精神医学」(transcultural psychiatry)(例えば、Kiev 1972)とか「民族精神医学」(ethnopsychiatry)とか呼ばれている。我々は後者を用いることにする。

 身体的な病いと精神的な病いとの区別を明瞭にする 必要性は、ナチュラリスティクまたはパーソナリスティクな信条体系に根ざす社会の志向というよりもむし ろ、西洋社会の合意の反映である。前者の社会では、病因論は身体的状態と感情的状態の分離よりもむしろ、両者の融合をうながす。もし我々が疾病の原因作用 についての伝統的な説明を思い出すならば、このような姿勢は驚くに値しない。神、祖先、悪魔、呪術師がその犠牲者に侵入し、魂を抜き取り、犠牲者を通して 語り、彼らの意志を思い通りにすることによって病気をもたらすとされるところでは、錯乱、発熱および感情的、身体的苦痛をひき起こすことも予期できる。同 じように、病気は身体、精神、本来の自然な平衡が失われたことの結果であるところではそれらの中に適切に存在すべき調和の回復によってのみ健康に復帰でき るのである。非西洋世界では、異常な行動が純粋に身体的な病気とは質的に異なる何かとして認知されたりはしない、あるいは分類されないと言うことではな い。(西洋でも精神身体的な病気が知られていない訳ではないように)。反対に、異常な行動はどこにおいても「ラベルを貼ら」れる。すなわち、その異常行動 に付与される行動の是否についての判断を反映するようなひとつまたは複数の名前をもつように思える。精神疾患が、注意の的となるコンテクスト、それに与え られる深刻さ、それに直面した際に適切とみなされる行為の手順−これらは通文化的にみて多様である。このことを以下にみてみよう。

   民族精神医学の始まり

 精神疾患についての人類学者の初期の興味は民族医学という領域から遠くかけ離れていた。人類学者の初期の興味は、人格に作用し人格を形成する文化的諸力 と、文化との関係を理解しようとする関心に発していた。その中で特に重要なのはフロイト仮説の検証という関心であった。つまり、エディプス・コンプレック スは普遍的か否か、個人の生活史における「口唇」「肛門」「性器」「潜在」の各発達期は、普遍的なものか、それとも特定の社会だけに限定されたものかの決 定である。1920年代のマリノフスキーが豊富なフィールド資料からそれらの仮説をテストした最初の人類学者であるが、いわゆる「文化とパーソナリティ」 学派−現在民族精神医学、通文化精神医学、あるいはトランス文化精神医学などいろいろな名で知られているものの発展における第一のステップ−は合衆国にお いて形成された。1930年代初期までに、マーガレット・ミード、エドワード・サピア、ルース・ベネディクトは文化とパーソナリティの関係に関心を持ち、 いくつかの社会からの資料から問題を立て、仮説を検証した。1936年から40年の間に、精神科医アブラム・カーディナーはコーラ・デュボイス、ラルフ・ リントン、エドワード・サピア、ルース・ベネディクトらを含む人類学者のグループと共同して文化とパーソナリティについてのセミナーを開いた。

 このセミナーで議論されていた理論を検証するため に特に計画された最初の主要な研究、コーラ・デュボイスの『アロールの人々』に刺激を与えた。しかし、 既存のデータはこの研究には不十分であった。デュボイスの言うように、「私達は私達の考えを徹底的に論じ尽くした。そして、野外調査のみがその手続きを検 証することができた」(DuBois 1961 : viii)。インドネシアのアロール島の野外研究は彼女のことばによると、「グループ内の大人のパーソナリティと彼らの住む社会文化的環境に実証可能な関 係」があるかどうかを発見するために計画された。「もしそのような関係が存在することが見出されるならば、最も初期の子供の養育の実践と関係から大人の制 度と社会的役割の強化的な効果に至るまでの人生経験の一貫性の中に、このことの説明が求められると予想された」(同書、xviii)。

 同じような性質の他の主要な研究は、北アメリカ・ インディアンの集団のいくつかと近代的国家に住む人々の間で行われた(Singer 1964 : 14)。それらの研究は1930年代から五〇年代のずっと後まで及んだが、研究者達の第一の関心は今日の研究者のもの−「正常」と「異常」、様々な社会に おける病気の定義とその取り扱い、精神疾患の人口統計学など−とは異なり、むしろ、(カーディナーの用語を用いれば)「基礎的パーソナリティの構造」や (デュボイスの用語を用いれば)「最頻的パーソナリティ」が問題であった。このことを覚えておくのは大切である。「民族精神医学」「通文化的精神医学」 「トランス文化精神医学」といった用語はいまだ知られてなかった。しかし、精神疾患と文化の関係についての我々の現在の関心が生まれてきたのは、ほぼカー ディナー、リントン、デュボイスなどの戦争の直前および直後の研究で行われた調査からであった。心理学的人類学のこの時代についての歴史とその当時注目を 集めた話題についてはシンガーによって十分に描かれており、この時代を要約することは本章の範囲を超えている(Singer 1961)。
 医療人類学者として、我々は次のような点に関する一連の問題に興味を持っている。通文化的背景からみた「正常」と「異常」の概念、土着の精神医学的障害 についての概念や治療の様式、その他の関連する話題である。これらの点については、我々は「文化とパーソナリティ」学派の資料と理論に大いに基づいている が、しかし、当然のことながら、時間の経過とともに調査と関心は、この先駆的時期を遠く越え出ている。特に、人類学者が取り扱ってきた問題の種類のいくつ かは次のごとくである。

 1 「正常」と「異常」の文化的定義と、我々以外 の社会で精神疾患がどのように認知され定義されているか。人類学者は次のように問う、「世界の様々な社 会で精神の疾患を構成すると考えられている行動はどのような種類の行動であるか」、そして「我々が認知している主要な種類の精神疾患をさす西洋の用語は、 全てのあるいは多くの社会で適用可能か」と。つまり、全く文化ということを別にして、我々は世界の全てまたはほとんどの社会で(臨床的に定義された)同種 の症候群を見つけるだろうか。
 2 精神疾患の非西洋的説明。我々が身体疾患の非西洋的病因論を研究できるのと同じように、精神疾患について同じことができる。
 3 異常と定義された逸脱行動を取り扱う文化的様式。人類学者は「誰が、どのように治し、そしてそのような取り扱いの基盤となる理論および目標は何か」 と問う。また彼らは、シャーマンの場合のように、社会的に望まれた役割を通して精神的に逸脱した行動を「活用する」(harness)ことについての問題 に特に興味を持つ。
 4 様々な複雑さの社会における精神疾患の発生。例えば、精神の疾患は、単純で不変な社会では相対的にまれであり、ストレスがより大きいと予想される都 市ではより普通に見られるだろうか。急激な文化変容はこれを経験しつつある人々の間で精神疾患の発生を有意に増加させるだろうか。
 5 精神疾患の人口誌。「北極ヒステリー」(arctic hysteria)や「走るアモック」(running amok)は、初期の民族誌の報告に現れる精神異常である。ラター(latah)やコロ(koro)などという精神状態もその後記載された。それら文化に 特異的な病いは、人類学的な興味を引いてきた、原因、頻度、発症のきっかけとなる状況に関する一連の問題を提供する。それらの問題は精神疾患の重要な生物 文化的次元をしばしばきわだたせてきた。

 以下のページで、これらの話題に関する主要な発見 や視点のいくつかを議論しよう。

   正常と異常の文化的定義

 西洋の精神科医によって精神疾患だと認められている多くの異常行動は非西洋社会でも広く見られている。我々が知っている全ての種類が、ほかのあらゆる社 会にも見られるとは限らないし、いくつかの文化においては、(アメリカ精神医学会が用意した『精神障害の診断的、統計的マニュアル』のような)我々の分類 体系にはない症候群(行動のクラスター)が記載されている。この章の後半で我々はより詳細にこれらの症候群のいくつかを検討する。しかし、単一の種として 我々が共有する認知的、情動的、生理的な機能のパラメータの範囲で、我々は、異常行動の限定された可能性だけについて取り扱い、そのあらわれの文化的多様 性を全く別にしているように思われる。

1 「ラベリング理論」の事例

 それにもかかわらず、西洋、非西洋を問わず、世界の様々な社会に、症候群というクラスターとそれに付与される名前に非常な多様性があることから、幾人か の行動科学者達は次のように主張する。精神の疾患は「神話」であり、社会学的現象である。それは、仲間の一部が異常または危険な行動、ときには単に自分た ちの行動と「異なっている」行動をするのを説明し、制裁し、統制する装置が必要だと感じている「まっとうな」人間集団がつくり出したものである。この考え に従う人達は「ラベリング理論家」(labeling theorist)として知られている(Becker 1963, Lemert 1951 ; 1967, Scheff 1974, Schur 1971, Szasz 1961)。逸脱行動というレッテルがいったん貼られると、その徴候がいかに軽微で、一時的なものであったとしても、逸脱者はステレオタイプ化され、烙印 を押されるというのがラベリング理論家の議論の要点である。彼の仲間は、彼から特別なかたちの行動を期待しながら逸脱者をそのような形で取り扱う。また逸 脱社自身もそれらの期待に添うような形で逸脱者を最も適応的に行動することを発見する。

 この種のラベリングの実態とそれに内在する危険は ローゼンハンの実験があり、そこに描き出された実態は寒気をもよおさせるものがある。彼と他の七人の 「ニセ患者」はそれぞれ別の精神病院で診察をうけ、入院を求めた。「ニセ患者」は、よく聞き取れないが、「空っぽだ」「穴」「ドサッ」と言っているような 「声が聞こえる」と訴えた。そしてその声に聞き覚えはないが、自分と同性の声であると。これらの「徴候」以外に、それに彼らの名前や職業や職場のほかは、 履歴、状況をいつわらなかった。彼らの生活歴はありのままに述べられた。誰もひどく病的ではなかった。病棟に入った後、彼らは徴候をまねるのを全くやめ、 確かに彼らにあったにちがいないあるイライラを除けば、完全に正常に振る舞った。結果は、一例を除いて、全員が精神分裂病として入院させられ、平均する と、入院後19日後に、精神分裂病の「寛解」状態として退院となった。治療者の誰も彼らがニセ患者ではないかと疑うことはないようだった。しかし、相当数 の患者はこの志願者たちは何かをいつわっているのではないかと感じていた。

 このことからローゼンハンは次のように結論してい る。「精神医学のレッテルはひとつの生き物であり、レッテルそのものに影響力がある。患者が分裂病であ るという印象がいったん形成されると、彼はずっと分裂病的であり続けると期待される」。一定期間、徴候がなければ、患者は「寛解状態にある」とされ、退院 のできる状態だとみなされるかもしれない。「しかし、彼らは再び精神分裂病者のように行動するだろうという確証されていない期待を伴ったレッテルに、退院 後も甘んじなければならない(Rosenhan 1973 : 253)。このように、精神科的「レッテル貼り」は、患者、患者の家族、友人達にとって、しばしば、自己完結的な予言になる。結局、患者もまた診断と、そ れに伴う期待の全てを受け入れ、その期待に従って振る舞うのである(同書、245)。

2 ラベリングに反対する論議

 ラベリング理論は精神疾患を理解し、それを取り扱うひとつのアプローチとして興味をそそるかもしれないが、通文化的な場で仕事をしている人類学者達には 広くは受け入れられてこなかった。例えば、エジャートンは病いを同定するための独自の生命をもつ精神医学的レッテルという考えには満足してはいない。彼に よると、異常性に意味をふき込むのは集団であって、貼り札ではない。精神疾患の認知および命名は「取り引き」(negotiation)、つまり共同体の 中での幅広い合意を含む社会的交渉の過程の産物なのである。エジャートンはアフリカの四つの社会において、精神疾患のラベリングの際に患者、治療者、親 類、および友人の間での取り引きの過程について調査した。そして、「社会的取り引きの力ゆえに、結果的にレッテルを貼ることなしに、精神疾患の知覚は容易 にありうるし、行為なしのラベリング、さらにそのような知覚なしにでも精神病はありうる」と結論した(Edgerton 1969 : 70)。適用されたレッテル、ひき続く行為、行為に先立つ知覚、これらは道徳的法律的なものを組み入れた社会過程全体の産物である。彼によると、ラベリン グはローゼンハンの研究が信じさせるほど、気まぐれなものではないし、単一の次元のものでもなかった。

 タンザニアのへへ族、ケニアのカンバ族、ポコット 族、ウガンダのセベイ族のインフォーマント達は精神病者の特徴とされる文化的に定義された行動につい て、述べることができた。また、当該の知覚的および行動的な症候群については一般的合意が存在する。エジャートンは次のように結論する。「このように見る と精神疾患は単なる《神話》でもなく、また単なる《社会問題》でもない。思考、感情および行動に医療管理を必要とする真の障害は存在する。精神医学的診断 は本質的に症状や徴候を分類して、将来科学的な分類医学にする誠実で経験的な努力である」(同書、70)。

 これは広く普及している人類学的な視点である。 ジョン・ケネディはいくつかの人類学的研究を引用して「この主題を詳しく研究している現代の学者の間に は、頻度や形態にはおそらく重要な差異があるが、西洋精神医学で知られている主要な精神病のパターンは世界中で見られる、という点で意見が一致している」 ということを指摘している(J.Kennedy 1973 : 1139)。同様にマーフィとレイトンは、セント・ローレンス島のエスキモーでの主要な研究に基づいて、語彙の差異はあっても、「[西洋]精神医学で同定 された主なタイプの異常の全範囲に合致するような、障害を我々の被調査者は認識している」ことを発見した(Murphy and Leighton 1965 : 97)。ナイジェリアのヨルバ族で研究を行ったマーフィは「様々に異なる文化的環境的状況のもとで、西洋世界で用いられるのと非常によく似た手がかりに よって、正気と狂気は区別されているように思われる」(Murphy 1976 : 1019 傍点筆者)と結論している。その行動を文化的にどう定義しようと、彼らの間ではっきり常軌を逸脱したり、障害、脅威を与える、あるいは奇怪な行動をとる場 合、文化などはないのは明らかである。

 レイトンが明らかにしているように、西洋と非西洋 における精神疾患の類似と差異をめぐるかなりの混乱と不一致は、我々研究者が当該の社会の成員によって 認められた診断カテゴリーを用いて考える傾向があったことによる。非西洋の病因論は、通常、西洋的説明とは全く相違するので、診断というラベリングの過程 は、どんな特定の文化の内部から研究されるときも、観察者を誤らせる。しかし、レイトンは言う。「もし、診断のカテゴリーよりも徴候のパターンの比較に注 意が限定されるならば、通文化的研究に伴う障害の多くはなくなる」と(Leighton 1969 : 185)。言い方を換えれば、徴候についての調査は、精神疾患に関する西洋のカテゴリーの再現性や実証可能性の調査に先立って行わなければならない。これ は容易な仕事ではないと、J・エジャートンは東アフリカにおける精神病の多様な概念についての彼の報告の中で述べている。にもかかわらず、徴候のカタログ は、「西洋の徴候学、とくに精神分裂病のそれとは著しく異なっている訳ではない」(Edgerton 1966 : 420)。彼は「文化の至高の力」または精神疾患の共通の核を実証しようとする努力はどちらも不十分であると結論する。彼の信じるところによると、同じ データをどちらの立場を主張するようにも簡単に操作できる。

非西洋の精神疾患の病因論

 民族誌では調査したグループのメンバーが身体の病いをどう説明するかについての記述は多く、ここ数年は、この本の第4章で述べたものも含めて、因果性の 幾つかの類型論も作られている。これと比べて、非西洋の人々がどのように精神疾患を説明するのかについての我々の知見は、体系化がそれほど進んでいない。 少なくともひとつには、これは彼らが身体と精神の疾病の病因論の間に明確な線を引かないからである。例えば、南メキシコ、テネヤパのラディノ(すなわちメ スティソ)の小さな町では、「[精神的障害の]原因は……それ以外のタイプの病気の原因とは異なるものとは判別されない」(Fabrega 1974 : 243)。我々が一般化できる限りでは、非西洋の精神の過半がナチュラリスティクな用語よりも、幽霊、精霊、神などが患者の体にとりついた、タブー侵犯に 対する懲罰、呪術といったパーソナリスティックな用語で説明されているように思える。以下は、精神疾病の病因論を、わずかではあるが、例示している。

 レイトンによると、ヨルバ族の人々は精神疾患を、 次のような理由で説明する。タブー侵犯や儀礼についての義務の怠慢によって神、精霊そして幽霊から受け る超人的攻撃、あるいは妖術、遺伝、感染(すなわち、精神と感情のいくつかの疾患は病者との交際によって「罹る」)、宇宙の力、頭への殴打や出血のような 身体的外傷、「非常に苦痛な経験」などである(Leighton 1969 : 184-185)。ヨルバ族と同様に、ナバホ族もまた精神障害の原因を以下のものに帰する。タブーの侵犯、呪術師との接触、さらに身体的外傷、ナバホ族以 外の女性との結婚、矢で食物をかき回すこと、火かき棒を火にさしたままにすること、賭博の「やり過ぎ」である(D.A.Kennedy 1961 : 414)。また、犬が後産の胎盤を食べたり、母親の妊娠中に父親がクマを見たり、水牛の尻尾のガラガラを作り終えたりすると、その子供は精神薄弱として生 まれると信じられている。特に危険とされるのは、近親相姦のタブーを破ることであり、狂気は近親相姦の関係に対する超自然的懲罰と考えられている(同書、 415)。

 文化変容のセント・ローレンス島のエスキモーで は、憑霊はシャーマニズムと関係しているが、主要な精神医学的障害とは関係がない。しかし、その他のあま り文化変容を受けていないエスキモーでは両者は相互に関係している。そして、魔術や呪術は「心配しすぎる」、「簡単に驚く」などと記述されるようなストレ ス要因と同じように、説明に用いられる。遺伝的要因は、インフォーマントが言う「憶えが遅い」(slow to learn)という症候群においては、家族の中でひろがるという形で示唆される。また、タブー侵犯も、近親相姦を含めて狂気の原因としてよく挙げられる (Murphy and Leighton 1965)。

 これらの例より、多くの精神疾患の原因は、引き金 となる社会的コンテクストが学習されたときにのみ推し量られること−しばしば消去法によって獲得される 知識−は明らかである。カウテはオーストラリアのアボリジニーズによってテストされる仮説のいくつかをまとめている。

 「病気を願うものの呪文によって体の中に《歌い》 込められる異物の挿入から来る邪術か。……または、アボリジニーズは非常に多数の精霊を認めているが、 その精霊の憑依あるいは、彼らは一群の悪魔性の動物を知っているが、その動物の憑依か。……社会的報復者、すなわち報復的制裁を行う、年長者によって任命 される匿名で不可視な執行者か……人間の魂と対をなす精霊か」(Cawte 1974 : 37)。

 最後の可能性についてはワルビリ部族の信条という コンテクストでのみ理解することが可能である。この部族によると、全ての人が、彼を注視し、もし彼が神 聖なものの冒涜、あるいは姦通を犯したならば、彼を罰する、目には見えない双子の兄弟を持つ。土着の医師は、彼の部族の人々の中で起こる出来事の流れを察 知して、この対の双子(ミレルバ millelba)によって引き起こされた罪、良心の呵責、抑うつを診断し、その状態の処置や一般的な治療をすることができなければならない(同書、 34)。

 我々がすでに見てきたように、医学についての信条 体系と他の信条体系との習合は多くの非西洋文化の特色であり、それは西洋人の観察者にとって重大な分析 的問題を提起する。医療、宇宙論、法は、オーストラリア・アボリジニーズ社会では重層化しており、このことは多くの調査者が、他の体系から医療体系−そし て、特に精神疾患の症候群−だけを切り取って研究しており、これは大きな問題である。「私は、医療、あるいは法が単独に研究できるかどうか疑わしく思う」 とカウテは言う。「一つの混成体、よく知った現代のものとは異なる一つのカテゴリーを研究するのだ」(Cawte 1974 : xxi)。精神疾患の研究の補助として、彼は適応不全のいくつかの「主題に応じた」分類を力説しているが、それらはそれぞれの特定の目的に役立つ。その中 には、文化変容の問題を劇的に表現する口語体の枠組みや、邪術や精霊の侵入などの疾病の概念に基づく土着の分類があり、疑わしい行為によって、邪術がより 小さな諸カテゴリーへと細分化することもあり、あるいは標準疾病分類(Standard Nomenclature of Disease)を基にした精神疾患についての現代の臨床分類も含む。「この分類は一般的にみて人類学者達を落胆させる。なぜなら、病因と現象がごた混ぜ であり、原因と徴候がごた混ぜだからである。しかし、医療従事者はこれに慣れ親しんでおり、これが我々が有する最上のものなのだ」(同書、173)。

 もし我々が西洋と非西洋の精神疾患の病因論の差異 について一般化するとしたら、非西洋においては、心理学的要因、人生経験、そしてストレスは西洋に比べ るとあまり重要な役割を果たしていないと考えられている。「カルンブルの人々は病人の気質や彼の精神的葛藤について議論しようとしないだろうし、また議論 することができない」(Cawte 1974 : 47)。ヨルバ族は病人との交際、宇宙の力、身体的外傷(例えば頭部殴打、あるいは出血)や「ひどく苦痛な経験」などから、いくつかの精神と感情の病気に 「罹る」ことがあると信じているけれども、結局のところは、心理学的な説明は、異常行動を説明するのには極めて小さな役割しか果たさない (Leighton 1969 : 184-185)。精神疾患における個人的要素という要因は、西洋精神医学ではかなりの重要性を与えられているが、伝統的体系の内部では、限られた重要性 しかないか、あるいはほとんど重要性は認められていない。

精神疾患の取り扱いの文化的様式

1 誰が治すのか

 すでに指摘したように、逸脱行動の多くの形態は普遍的にみえるけれども、逸脱の取り扱いの方法、逸脱行動に時折与えられる社会的価値、それにその処置の 様式は多様である。人類学者達はシャーマンの心理学的、社会的特色にとりわけ興味を持ってきた。シャーマンという言葉はシベリアのツングース語起源である が、人類学者が使うときには、通常精霊による「召命」(すなわち、重篤な病気を引き起こす最初の憑依とそれに続くゆっくりとした回復)によって得られた超 自然的力と精霊との接触を有する治療者という、一般的な意味で用いられる。治療に際して、シャーマンは通常、病いを診断するために守護霊と交信すべくトラ ンス状態に入る。極端な文化相対論者は、精神疾患と呼ばれるものが文化特異的であるとする議論の主要な支柱にシャーマニズムの事例を用いる。つまり、文化 相対論の主張によれば、西洋でなら、シャーマンの心理的特性は本人に対する脅威、そしておそらく社会全体に対する脅威であると分類され、必ずや施設収容に 至るだろうが、多くの非西洋社会では、同じ行動が高く評価され、推賞される。例えばアッカークネヒトは、シャーマンは彼の社会によく適応しており有用な機 能を果たしているので、精神病理学的意味で異常とみなすことはできない、と議論している(Ackerknecht 1971 : 73)。デベローはこの見解には反対の立場から、「シャーマンを重い神経症、さらには精神病として考えないということにいかなる根拠も弁明も存在しない」 と主張する(Devereux 1956:28)。

 しかし問題は単に、シャーマンが(必要な役割を果 たしているので)「正常」なのか、それとも、彼の社会の成員からそのようにレッテルを貼られているから 「異常」なのかということではない。むしろ、程度の問題なのである。マーフィは最近の論文で、セント・ローレンス島のエスキモーの用語、 nuthkavihakは「気が狂っている」と訳することができる。この用語は、自分に話しかける、存在しない人物に向かって叫ぶ、呪術師が子供または夫 を殺したとほかの誰もそうは思わないのに信じる、自分は動物であると信じる、走って逃げる、道に迷う、尿を飲む、犬を殺す、等々の異常な行動形態を三つあ るいは四つ同時に示す人々に対してのみ用いられると指摘している。この用語は決して単一の徴候には用いられない。

 他方、他人には見えないものを見たり予言する能力 は「やせ」と呼ばれている。これは極めて高く評価される属性であり、ちょっとした占い師を特徴づけ、 「シャーマンの最も顕著な特性である」。そして「やせ」の人はだれもnuthkavihakと呼ばれることはない。治療の際のトランス状態にあるシャーマ ンの行動は(ある例では)犬の行動をまねたのだが、その行動は西洋では好ましいものとはおよそ考えられないだろうが、あるインフォーマントによると、 「シャーマンが治療しているとき正気を失ってはいるが、彼は気が狂ってはいない」(Murphy 1976:1022)。言い換えれば、とマーフィは言う。シャーマンの行動がコントロールされ、治療のために用いられるとき、その行動が行われる社会では 正常と見なされる。しかし、それが複数の形態をとり、コントロールされていないと、その個人は気が狂っているというレッテルを貼られる。

 多くの人類学的報告の示唆するところによると、 シャーマンは妄想に悩まされたり、服装倒錯や同性愛であったり精神的に不安定な人であることが多いとい う。しかし、精神的不安定が文化的に建設的形態へと水路付けられるとき、その個人は、同じような行動をするにもかかわらず、社会の成員から明らかに異常で あると分類され、治療儀礼を受けさせられる人とは区別される。マーフィはこの状況をうまく要約して、次のように述べている。「精神的に病んでいる人に対す る可能な対応の共通の範囲が存在することは明らかである。特定の個人に対して、そのうちのどの部分の行動がとられるかは、精神疾患のレッテルを貼られてい るものなら何でも、規格化された形で反応する既存の文化的セットよりも、むしろその個人の行動の性質によって、決定されるのである」(同書、1025傍点 筆者)。

2 精神疾患の処置

 多くの非西洋社会では、異常行動を示す人々の大多数は、もし非暴力的であったなら、しばしば彼らの共同体内で自由を許される。つまり、彼らの要求は家族 によって満たされる。ランボーによるとアフリカの共同体では、重篤の精神病者や精神薄弱者でさえ、もし彼らがあるレベルまでは十分に自分で何とかやってい けるならば、共同体の機能的な一員としてその場を与えられる(Lanbo 1962)。オズボーンはその許容の限界についてより明確に記している。彼によると、「ヨルバ族は彼ら自身を非常に大切にし、運命の予定や運についての彼 らの考えと一致して、自分自身の家族の成員を追い出すことは難しいと考えている」(Osborne 1969:192)。ヨルバ族の大人なら、誰でも自分の部屋を持っているので、「重い病人は……一家のルーティンや共同体をこわすようなことはほとんどな しに家の中で養ってもらうことができる」。「狂気の」男が村を歩き回ることは許されている。もし彼の障害があまりにも重くなれば、彼は数日間、藪の中の小 村落に移されるか、彼の部屋の中に閉じ込められる。彼に食物を差入れるために家の中に巧妙なドア(二フィート平方)が取り付けられて、「外側の」ドアから は共同体に往き来できるようになっている。にもかかわらず、まともなケアに反応を示さない精神疾患の人々は、村から力ずくで放逐されることはないけれど も、「生きるために働いたり、物乞いしたり、あるいは盗みをしたりして」その地を歩き回るままにほっておかれる。もし彼らが自発的に家を出ないときは、時 々家族の方が家を放棄してしまう(同書)。

 明らかに精神疾患が呪術、あるいは憑依とされてい るところでは特に、障害のある人はその集団にとっての脅威とみなされ、始めから残酷に取り扱われること がある。例えばフィジーやニュー・ヘブリデス諸島では、悪霊に憑かれた人はしばしば生き埋めにされた。シゲリストによると、コンゴのベンガラ族では、呪術 の犠牲者は決まって殺された(Sigerist 1951:156)。

 民族集団、農民集団の間では、障害者はしばしば同 情を受け気づかわれる。例えばクン・シェンの台湾人村落に住む人のうち少なくとも三人は「アメリカ社会 だったら当然施設に収容されたほど障害が重い」と判断された(Diamond 1969: 104 )。しかし彼らが落ちついている間は可能な限り日常生活の中に自由に参加してもよい。「彼らはしばしば笑いの対象にはなるが、恐れられることはめったにな い」。一人の女性は、彼女が自活でき、隣人や親類とおしゃべりしている、三ヶ月に及ぶ期間は正気であった。しかし、別のとき、彼女は食事を拒否し、長い間 泣き、人々に汚水を投げつけることも時折あった。彼女の二人の息子(既婚)は彼女を世話したが、「彼女は他人に対して全く危険ではないことは明らかなの で、入院のような特別のケアは必要ないというのが共通の気持ちであった」(同書)。

 村では人々はお互いに知り合いであるか、あるいは 少なくとも顔見知りである。そして錯乱した人または病人は都市より無難に徘徊することができる。あるい は、道に迷った老人を家族のところに連れて帰ってくれる人がいつもいる。合衆国の民族共同体でも時折類似の状況がみられる。そこでは、自分達自身の「差 異」に対する感受性が集団のかなり異常な成員に対してさえも差別することを妨げることに役立つことがある。

 しかし、伝統的な人々の間においても、いくつかの 精神疾患、特に暴力そのものや暴力のおそれを伴うものにはより公式的な処置の様式が必要とされる。その 処置は(当該の社会のコンテクストから見た場合)完全に専門的なものであることも時にはあるが、その他の場合には、どちらかというと「自宅療養」の性質を 帯びる。このことはニューギニアのグルルンバ族についてのニューマンの記述した事例に示されている。グルルンバ族の人々にとって、「幽霊の憑依」はある状 態であり、個人にとっても集団にとっても危険なものである。ニューマンはその認知と処置の事例を記述している。男たちの一団が野生のパンダヌスの実をさが しに山の森林に分け入っていった。そこで彼らのうちの数人が木のぼりカンガルーを狩猟することに決めた。ハンターの一人ボン・ギレは皆とはぐれ、夜遅くに キャンプに駆け込んできた。彼は鼻血を出し、体じゅうにひどいひっかき傷があった。野営地の火に駆け寄ると、彼はしばらくの間黙って立っていた。すると彼 は突然激しく叫び出し、まわりの人々を攻撃した。それは彼がおさえつけられ、あき地のはしに立っている木にしばりつけられるまで続いた。彼らはこの異常な 行動を幽霊の憑依と解釈した。煙を起こすために、キャンプファイアがつくられ、湿った葉でおおわれた。ボン・ギレは手足を縛られ棒に吊され、嘔吐するまで 煙でいぶられた。この処置を五分くらい続けた後、彼は正常な声で煙から出してくれと叫び出した。これは、彼に憑いた幽霊が除かれ、彼は再び正常に戻ったこ とを示していた(P.L.Newman 1958:84)。

 プリンスはナイジェリアのヨルバ族のより入念な専 門的処置について述べている。精神病の患者は平均約三、四ヶ月間治療者と共に「生活する」。そして彼ら の面倒は患者と一緒に留まる家族の誰かが見るのである。一般的に、最初の数週間患者は、逃げ出さないと信用できるようになるまで足かせか何かで縛りつけら れる。様々な薬草が用いられる。さらに、最初に動物の供犠が行われることもある。患者がそこから解放されてよい状態と考えられれば、「解放の儀式」 (discharge ceremony)が河の土手で行われることもある。血の供犠、患者の病気からの象徴的浄化など、おそらく象徴的な死と新しい生命への再生が儀式によって 示される(Prince 1974)。

 ちょうど伝統的治療者が身体疾患へのアプローチの 点で西洋の医師と大きく異なるように、精神疾患の処置についても顕著な差異が見られる。ジョン・ケネ ディは最近、いつもとは限らないが、しばしば見受けられる主要な対比点を要約している。第一に、身体疾患のための主要な治療儀式の場合と同じように、精神 疾患の主要な処置もまた公開の儀礼となることが多い。そこでは、治療者は補助者を従え、公衆が重要な役目を担うこともある。おそらく、より際立っている点 は、非西洋ではふつう象徴がとくに強調されるが、それは劇的な技法を通して達成される(J.Kennedy 1973:1170)。これは、西洋の精神分析医の診療室の、うす暗い明かり、循環している空気の中の聞こえるか聞こえないかの「シューッ」という音、慎 重に選択された家具や美術品とは明らかに好対照をなしている。

 西洋と伝統的社会の治療者の行動においても際立っ た対照が見られる。前者の治療者は患者に個人的に巻き込まれてはならないが、彼(あるいは彼女)は同情 的で批判がましくなく、温かく、人間的であることを期待される。このような行動は転移の現象を通して患者が治療者に巻き込まれていくことにつながる。西洋 の分析医は患者へのアプローチの仕方が通常の医師とは明らかに異なる。それと対照的に、主要治療儀礼に関与する非西洋の精神疾患の治療家は身体疾患を取り 扱うときと同じようにふるまう。彼は「力に満ち満ちた非人格的役割で自分自身を覆い」、権威とカリスマと、それにしばしば手品の芸当を行う。「彼は患者を 熟知しているかもしれないが、治療のあいだ、彼は非人格的役割の次元へ移行し」、あるとしてもめったに「転移」現象に出会うことはない (J.Kennedy 1973: 1173-1174)。

3 治療の目標

 二つの体系での治療の目標もまた大きく異なっている。西洋の療法の目標はチックや恐怖症のような症候の治療から「徹底的なパーソナリティの精査」 (J.Kennedy 1973:1174)にまで至る。西洋の治療はある意味では、基本的には再教育である。つまり患者はより以上の自尊の感情を伴う、新しい自己像を発展させ るように勧められる。また、痛み、不安、ストレスなどの主観的感情から解放され、さらに、おそらくより一層の独立性を獲得し、社会の中でより効果的に機能 するように勧められる(同書)。それとは対照的に、非西洋の治療は再教育や自我の強化、パーソナリティの変容を取り扱うことはほとんどない。むしろ、非西 洋の治療はアプローチの点で実用主義的であり、即座の結果をめざす。つまり、患者を治療者のもとへ連れてくる原因となった異常な徴候を軽くしたり、なくす ることをめざす。儀礼が数日間続いたり、いくつかの社会では患者が有名な治療者と共に数週間ないし数ヶ月過ごすことはあるが、治療は一般に短期であり、身 体疾患の場合とほとんど同じくらい短い。ここでも、西洋の治療においては、療法家と患者の間のことばの交流が根本的なものであるが、ほとんどの非西洋社会 では、療法家と霊の間で多くのことばが交わされる。患者に直接に関わるときでも、療法家と霊の会話は直接患者に向けられるが、必ずしも返答を求めることは ない。もちろん、西洋と非西洋でことばの点で類似点がある。特に告白はいくつかの非西洋社会では主要な要素であり、これは西洋の患者の、過去の痛ましいそ れも、しばしば恥ずかしい経験を打ちあけ、療法家と議論することの必要にたとえられる。しかしながら、一般に非西洋の治療は西洋のそれとは異なっている点 の方が目立つ。しかし、これらの差異や、多くの西洋の療法家が非西洋の精神療法の背後にあると信じている謬見にもかかわらず、多くの人類学者や西洋の療法 家は、シャーマン、他の伝統的治療師達が精神疾患を取り扱う際に、しばしば著しく良い結果を出すことを発見している。

様々な社会における精神疾患の頻度の比較

 以下のパラグラフでは、我々の関心を互いに関連する二つの問題に向ける。(1)科学技術的に単純な社会では、しばしば一般に信じられているように、複雑 な社会よりもより本来的にストレスが少なく、それゆえ精神疾患の発生数が少ないのであろうか。(2)西洋の精神科医によって認められている異常行動の主要 なパターンは世界中で見出されるだろうか。そして、もしそうなら、形態と頻度の点で、それらはどの程度異なるだろうか。

1 ストレスのない「未開の」生活という神話

 単純な社会は文明によって堕落させられておらず、そこでは人々はお互いに「自然な」関係のもとに暮らし、その関係は愛と協力と相互扶助をその特徴とする と、西洋人は長い間信じてきたし、また信じたいと思ってきた。ストレスのレベルは論理的には、そのような社会では低いにちがいないので、ストレスの多い生 活からくる精神疾患もまたまれなはずである。未開の生活のこの「高貴な野蛮人」というステレオタイプは民族誌の事実によってかなり前に否定されている。し かし、そのイメージは生き続けており、精神疾患に対する我々の見解を彩ってきた。単純な社会には歴史的に見て文明によるストレスがなかったことは確かであ るが、執念深い神、幽霊、妖術師、邪術師、さらに恐れる隣人や妬み深い親類などの住む世界は我々の世界以上にストレスが多い。恐怖は確かにストレスである が、それは多分、近代生活よりもそれらの社会での方がより普通の経験である。

 伝統的社会の諸民族を調査してきた人類学者や精神 科医は、精神を病んだ人がケアを受ける仕方によって問題の程度が軽減されるように思えるということで意 見が一致している。また、急激な社会文化的変化のストレスが全くないにもかかわらず、これらの社会が異常行動を知らないわけでは決してないという点でも意 見が一致している。人類学者や精神科医は精神疾患が文明化のために支払わねばならない一つの代価であると仮定してはならないと感じている。フィールドが言 うように、「精神的ストレスと精神疾患が《文明化され過ぎた》社会の特典であり、単純な野蛮人は十二指腸虫症を患うことはあっても、不安を抱くことはあり えないし、さらに、彼は無知から隣人が自分に対して悪魔術を行っていると信じるかもしれないが、熟睡することができるという考えがいまだに続いている」 (Field 1960:13)。彼女が強調するように、これほど真実からかけはなれたものはない。「田舎のアフリカ人は以前よりも−ちょうど身体疾患の領域では性病や インフルエンザが増加したように−精神疾患が多くなったかどうかは別問題である。しかし、精神疾患は、しかもその多くは、古代の伝統に根ざしたものであ る」(同書)。同様に、レヴィとクニッツは、居留地のナバホ族とホピ族の不適応のパターンの多くは、彼らが西洋文明と接触する以前の逸脱のプロフィールに 根ざしていることを発見している。「ホピ族の飲酒スタイルと彼らの高い死亡率には、道徳的混乱や葛藤の結果としてよりも、抑圧され、表には出ないが攻撃的 な人々の飲酒の機会への反応として説明するのが最上であろう」(Levy and Kunitz 1971:117)。アメリカ領サモアでも、ストレスが伝統的生活に固有のものであるという証拠がある。というのは、いくつかのストレス病は北米の中流の 白人よりも多いらしいからである(Mackenzie 1978)。そして、いうまでもなく、現代の農場生活は都市の気違いじみたテンポにかわる最適の代替策ではない。精神疾患とアイルランド文化の分析でシー パー−ヒューズは次のような仮説を立てている。精神分裂病は田舎のアイルランドの生活における禁欲的な要求、つまり、独身、社会的孤立、相対的な経済的剥 奪と特に関係があるらしいと(Scheper-Hughes 1978)。

2 異常行動の主要なパターンの多様性

 西洋の精神科医によって認められた異常行動の主要なパターンが世界中で見られるという精神科医や人類学者の見解に(すでに定義されたコンテクストの内部 では)我々は同意する。しかし我々はまた、この行動の様態、頻度、分布、社会的合意の点でかなりの多様性があることにも同意している。例えばレイトンは、 ヨルバ族の患者が示す徴候のパターンの大多数は精神医学で知られている徴候であることを見出している。しかしまた、重要な相違、特にヨルバでは強迫や恐怖 の徴候がほとんどないことも発見している。うつ病の徴候も、この症候群の構成要素、例えば、ある人生への関心の喪失、極度の心配、活力の減退などが他のコ ンテクストで現れることはあるが、うつ病症候群としては見られなかった。精神生理学的、精神神経症的、人格的、社会病理的障害の徴候、老衰による変化は触 れられなかったが、これらの徴候はあるかと尋ねられると、インフォーマントは一致して、それらの徴候は存在するが、一般に「病気」のレッテルを貼るほど深 刻なものとは考えられないと答えた(Leighton 1969:164-165)。

 同様にレヴィが研究したタヒチの人々は「西洋の診 断カテゴリーに容易にあてはまる」。「悪い頭を持つ」といわれる原住民の行動は、西洋で病院に収容され た分裂病者の行動に極めてよく似ていた(Levy 1973:407) 。他方、「ヒステリー様」の状態は、幻覚に比べて極めてまれであるらしいと報告されている(同書、398)。

 精神障害の形態の通文化的比較の試みは一般的に いって成功していない。その理由の一つは、調査の現段階では、「第一次的徴候」から「第二次的徴候」と考 えられるものを選り分けることが困難だからである。例えば、第一次的徴候−うつ病にとって基本的な第一次的徴候−は初期に発症して、この障害の本質をな す。第二次的徴候は病気に対する個人の反応の一部と見なされている。つまり、個人が変容された行動と折り合おうと試みることから、第二次的徴候は発展する (Murphy, Wittkower, and Chance 1970:476)。第二次的徴候は患者の社会的文化的背景に特別に依存していると考えられるから、患者の世界に慣れ親しんでいない西洋で訓練された精神 科医はどの徴候を優先すべきか見分けることが難しいと感じることがある。例えばカウテの信ずるところでは、オーストラリアのカイアディルト族の患者を診て いる西洋の専門医達は、邪術への恐怖からくる自殺傾向や深い哀しみといったうつ病の徴候を分裂病と診断する誤りをときどき犯す。彼の主張に従うと、そうで はなくて、有害な魔術の作用に関するカイアディルト族の信仰から見ると、(この文化によく見られる)邪術に関する訴えは、強制移住、社会的役割の喪失、家 庭内の不和という大きなストレスに対する反応からくる慢性的なうつ状態として把えるのがより正確である(Cawte 1974:97)。

 非西洋社会における精神障害の頻度に関する証拠 は、おもに、信頼しうるデータを得る実行可能な方法がないという理由から、立ち遅れている (Dohrenwend and Dohrenwend 1965)。多くの研究が病院統計を基礎になされてきた。しかし、精神衛生サーヴィスが貧弱な第三世界の国々では、入院は罹患率を代表するものと見なすこ とはほとんどできない。例えば、フィールドによると、うつ病はアフリカでよく見られるが、しかしうつ病を患っているアフリカ女性はヨーロッパ式の病院に行 くことは少ないようだ。だから、報告されている症例はごくまれである(Field 1960:149)。サンプルへのインタビューをもとにした研究も同様にその価値が疑わしいと思われる。というのは、そこでは、未発見の症例を含む、考え に入れるべきだが、調査されていない変数があまりに大きくて、そのような調査結果を疑わしいものにするからである。

精神の病いと変化

 もし、いろいろな程度の複雑さを持つ諸社会におけるいろいろなタイプの精神疾患の相対的な頻度に関する証拠があまり確かなものでないとしても、人類学者 と何人かの精神科医は、急激な社会文化的変化の結果に関しては立派な証拠があるということでは意見が一致している。その証拠によれば、そのような変化は平 均して発病率を高める。例えば、沖縄の人達は、本島での精神疾患の発病率が比較的低いことで知られているが、彼らは、ハワイへの移住が極めてストレスに満 ちたものであると考えていたことは明らかである。新しい居住地において精神病の率が沖縄諸島の他の主要な住民に比べて有意に高かった(Moloney 1945:391-399, Wedge 1952:255-258)。同じようなことはオーストラリア原住民の間でも起こっているらしい。カウテは「ブルース」−うつ病に至る内罰的態度−が安定 した社会よりも変化しつつある社会に目立って多く出現するという観察を劇的に表すのに「ブルースの誕生」という歌のタイトルを借用した。彼の発見による と、完全な徴候は、拡大家族が西洋式の夫婦家族に強制的に置き代えられること、患者の自尊心やアイデンティティを支える対象の喪失、親しんできた道徳律の 禁圧、およびストレスという危機における一般的な罪責感の産物である(Cawte 1973:11)。同様に、トリニダードとスリナムにおけるインドからの移民を調べたアングロシノは、家族および民族共同体の繋がりと、「外側の」現代的 共同体の中で何らかの役割を果たしたいという欲望の間に人を無能にさせるほどの葛藤が存在することを見つけた。周期的に現れるうつ病と自殺傾向の期間を伴 う激しいアルコール依存症は、家族−宗教的義務の複合体に対する反抗と結びつくようになった(Angrosino 1974:129-131)。

 急激な社会文化的変化を経験している人々の間での 精神疾患の発生の増加を記録する際には、少し前に指摘したごとく、我々は、かつての全く精神疾患がな かった状態というゼロ基点から数えているわけでは絶対ないということはよく銘記しておくべきである。したがって、文化変容のストレスのもとで精神障害が増 加していることを示す「証拠」は、もし発病率の変化を表す真の数字を決めねばならないとしたら、文化変容が起こる以前の状況についての一般の証拠と比較さ れねばならない。いくつかの伝統的、民俗的な文化は一見すると最少の変化の要求に直面しても、ほとんど心理的防備をしないで個人に提供する。デビッド・ ルーフは、アパラチア地方の精神疾患と社会化の実践の間の相互関係を明らかにしている。彼は、安全を守るための非常に限られた資源への過剰な依存が人をだ めにするほどの親近性をはぐくんでいること、また、伝統と結合した閉鎖的家族システムが子供に慣れ親しんでいないもの全てに対する病的な恐怖をうえつける ことを明らかにしている。その結果、ひどい「学校恐怖症」や谷を離れることに対する恐怖が広がっており、この過程はついには谷の古くからの親族の外では競 争することのできない人々の高慢と私生活主義へと至る。しかもこれは、あまねく存在する過酷な貧困に直面してもそうなのである(Looff 1971:x)。大人も同様に、彼らの非常に限られた経験を越えたやり方にさらされると、圧倒的で長く続く恐怖を引き起こすことがある(同書、18)。

 このような悲惨な事例とは対照的に、変動という状 況での非常な逆境に直面しても、ストレスを吸収し、代わりの機会を提供する驚くべき能力を発揮する社会 も存在する。例えば、第二次大戦中のカリフォルニアの日本人収容所では「民族共同体と家族−その構造、機能、価値およびその《文化》−はキャンプ生活に耐 え、精神的崩壊を最小にすることを可能にするような力の源となった」(Kitano 1969:269)。しかし、日本人がより文化変容を受け、他のアメリカ人とより同じようになっていくにつれて、多くの種類の病的現象が増加していったと いう証拠がある(同書、260-261).

文化特異的な障害  

 精神疾患の分野では、いわゆる文化特異的な病い(すなわち、初期の旅行家や伝道師の報告以来特定の人種や民族集団と結びつけて覚えられるようになった症 候群)ほど人類学者の興味をそそる話題はなかった。これらの「疾病」の中で最もよく知られているものには次のものがある。「北極ヒステリー」(エスキモー のあいだではピブロクトク(pibloktoq)として知られている)、ウィンディゴ(windigo)は北米の北東部のインディアンに見られる食人強 迫、走るアモック(running amok)はマレーシア男性に見られる逆上して殺人にふけること、ラター(latah)は北極ヒステリーのシベリア型に似たヒステリー的模倣反応、コロ (koro)というのは中国男性に見られるペニスが体の中に吸い込まれるという恐怖、スストはラテン・アメリカの多くの地方で見られる抑うつ的不安であ る。ただし、以上のうち最後のススト(スペイン語で「恐怖」を表す語)はこのリストに入れるべきではないのかもしれない。というのは、スストは、多くの種 類の身体的および精神的な病い、特にビリス(bilis 肝臓の不調)として知られ、ラテン・アメリカの人々の間に広く見られる民俗的病いの原因と考えられているものという方が適切だからである。最近では、マル グリ(malgri)という、眠気と腹痛を特色とする脱力を伴う不安症候群がウェレズレイ諸島に特有に見られるものとして記述されている。この障害には、 その中心的なテーマとして、特定の食物のタブーを破ることに対する恐怖症的心配がある(Cawte 1974:106-119)。しかしながら、スストと同じようにこの場合も、心理的な原因をもつ症候群が生理的な異常、この場合は胃腸の障害に関連してい るように見える。

 文化特異的な病いについての文献やそれらを解説す るために提出された種々の説はジョン・ケネディによって見事にまとめられている(J.Kennedy 1973:1152-1169)。しかし、これらの状態に関する簡単な議論すら紙面の都合上割愛しなければならない。文化特異的な病いについての考察から 出てくる第一の問題は、かく名づけられた状態は実際臨床的に他とは異なる症候群なのか、あるいは、精神科医によって認知された、ふつうの精神医学的症候群 の変異形ないしそれらの組み合わせなのかという問題である。後者の見解は、現代の研究者の間では優勢であるが、病いのエピソードを起こりやすくする役割を 果たすことがある栄養不良、(しばしば)きびしい環境条件、そして極端な社会的心理学的圧力といった点から、当然これらの病いの本質と原因についてのより 詳細な研究が必要となることを示唆する十分な証拠がある。北極ヒステリーのエスキモー版であるピブロクトクを例にとって、いかにして生物学的、文化的研究 がこの劇的な状況のより確かな理解へと我々を導いていくのかを示してみたい。その際、おもに医師で人類学者であるファウルクスのモデル的研究に基づいて話 をしよう(Foulks 1972)。

 北極ヒステリーは西はラップ族から東はグリーンラ ンドのエスキモーに至るまでの極地周辺の諸民族の間で見られる。ファウルクスは二つの主要な症候群を認 めている。その一つは、思慮分別のない模倣狂であり、これはシベリア地方でのみ見られる。他の一つはひどく興奮した人格分離状態であり、これは全ての北極 地周辺のグループに見られる。両方の形態とも(通常)短期間の奇怪な行動が現われ、続いて急性の徴候が中断し、正常に戻ることによって特徴づけられる。ピ ブロクトクにかかっている者は自分の衣服を引き裂き、しばしば他者とけんかするが、そのとき信じられないような力を発揮し、雪原に身を投げ出し、鳥や動物 の鳴きまねをする。西洋の観察者達は非常にしばしばその徴候をヒステリーのそれにたとえてきた。それに与えられた説明は、伝統的な精神分析的解釈から、冬 期の食物に対する強度の不安を引き起こす環境条件にまで至る。しかし、幾人かの観察者はピブロクトクのありうべき説明として栄養の欠乏、特に血中カルシウ ム・レベルの低下を挙げてきた。数年前にウォレスは、この仮説を最も明確なかたちで述べた。彼は、ピブロクトクは低カルシウム血症、すなわち、エスキモー の食事のカルシウム源の不足と、正常なカルシウムレベルを維持するのに必要な生化学的プロセスであるビタミンDの合成の、陽光のない冬期における低下の結 果であると主張した(Wallace 1961b:266-270)。カルシウム仮説は興味をそそるものである。というのは、カルシウムは神経インパルスの化学的伝達に必須の要素であり、カル シウムの生理学的機能の異常は、極地ヒステリーに見られるヒステリー様の発現形態も含めた、異常行動の様々な形態を生み出すことがあるということが実証さ れているからである。

 ウォレスの生徒の一人、ファウルクスは最近この仮 説を検証した。彼は1969年から70年にかけてフェアバンクスの州の精神衛生部の北部地区診療所で現 役の精神科医として、数多くのエスキモーに精神医学的治療を行った。その中には、ピブロクトク行動を示す一〇例の患者が含まれていた。このサンプルを用 い、他の研究者の高度な栄養学的、血清学的研究技術をかりて、彼はピブロクトクの徴候は低カルシウム症と診断すべきだと結論した(Foulks 1972:70)。さらに、多くのエスキモーの食事は実際にカルシウムが不足しているらしかった。それにもかかわらず、多数のサンプルによるいくつかの研 究の示すところでは、食物中のカルシウムの利用可能性が明らかであるにもかかわらずほとんどのエスキモーは血清中のカルシウムのレベルを正常に保っている のである。同様に、先の一〇人のサンプルから繰り返し採集された血液のサンプルも、そのうち数人は正常範囲内の低い値を示していたが、ただ一回のテストを 除いて全て、年間を通して血清カルシウムのレベルが十分に保たれているらしいことを示していた。つまり、最初の仮説は明らかに成り立たなかった。

 ファウルクスはそこで別の点、つまり生体の生化学 的過程における「概日性」(circadian)、すなわち、日周期の可能性ということに注目した。地 球の温帯域では人間の生理は昼と夜に応じた活動と休息という一日のサイクルに適応してきた。多くの人間の生理学的機能は一日の時間に従って大きく変化す る。例えば、血圧、体温、脈拍数、呼吸、血糖量、ヘモグロビン量、アミノ酸などがそうである。しかし、昼と夜の時間が大雑把にいって同じくらいの熱帯と温 帯地方では規則的に現れる明暗への同調ということが、北極地方では冬でも夏でも困難である。ファウルクスは何人かの研究者を引用して次のように指摘する。 これらの日周リズムのいくつかは二四時間の睡眠と労働のサイクルの正常な位相からはずれて「暴走」(free run)し始めている。さらにそれらの同調が失われることは中枢神経系に影響を与え、さらにこれが個体にいらいらと興奮の素因を作りうる。カルシウムのリ ズムはこのように脱同調化されうるものの一つである。ファウルクスは一人のケース(先の一〇人の一人ではない)をテストして、そこにカルシウム代謝の同調 の欠除を発見した。彼はこれがピブロクトクを形成する唯一のものであるとは信じてはいないが、カルシウム以外の要因によって不安発作の素因をもつ者や、脳 に病変を持っている人は、このカルシウム脱同調によって境界点を越えて発症に至るということは十分にありうると指摘している(同書、86)。

 彼の言うところでは、この仮説を検証するために は、ピブロクトク行動の徴候を示す彼の一〇例の患者にもこの状態特有の発作を導く脳の病変があることを実 証する必要がある。彼らのケース記録を注意深く見返したところ、わずか三人が、発作に関与するような脳の病変があるという証拠を示した。そこでファウルク スは、彼の一〇例の患者を特徴づける心理社会的要因に目を向けた。この点で、共通に見られた要素とは全員が「社会的に満足を与える生活様式を維持すること ができそうにない、あるいは実際にできない」ということであった(同書、108)。全員が、ある時点で自分の村の他者が受け入れてくれるような生活様式を 維持できないという不安を経験していた。彼らは社会での自らのアイデンティティと場所について不確かであった。「彼らは不全感を強く感じていたし、他人も 同じように自分の欠点を見ているのではという不安を持っていた。彼らは人生の《意義のある》生活様式に従って生きることができないことを恥じていた」(同 書、109)。言い換えれば、彼らは最上の環境下でも心理的問題を起こしやすい人々であった。
 ファウルクスの慎重な研究から学ぶべき主要な教訓は、複雑な現象を単一原因という観点から解釈しようと試みる危険性である。彼の場合、厳しい環境と気候 条件、栄養問題、脳に影響を与える、特別の疾病におちいる危険性、そして社会的条件と圧力といったいくつかの要因が結びつくことで、ある個人に、ずっと以 前に「北極ヒステリー」と名づけられた徴候をときどき示すような素因を作り出すのである。「この研究の根本的に提起するところは、人間の行動は多元的に決 定され、単一で直線的な因果説には理解を促したり、予測を可能にする点で価値がないということであった」(同書、13)と結論している。

結論

 ファウルクスの結論は、前進のための重要な一歩である。というのは、ウォレスが批判するように、ほとんどの人類学者は精神疾患を説明する方法として初期 の文化−と−人格モデルに無批判に従い、知られている多くの器質的損傷が心理社会的機制によって形成されることがある徴候群と本質的に区別不可能な徴候群 を作り出すという事実を認めないという誤りを犯してきたからである。精神疾患の研究においては、生理学的準拠枠組よりもむしろ心理社会的枠組のほうが、当 然のことながら、人類学者の性に合っている。なぜなら、後者が用いる、行動を「説明」する研究方法−とりわけ、観察−とデータそのものは、人類学者が最も 親しんでいるものだからである。ウォレスはこの明白な無知を歴史的な観点から説明する。1927年のサピアの論文「社会における行動の無意識的型どり」 (Mandelbaum 1949)以来、人類学者達が最初に行動と個人を本格的に探究し始めたとき、精神医学的理論、そして特にフロイト理論は十分に発展していたが、行動への関 係という点で、遺伝的、生化学的構造についての我々の知見はあまり発展していなかったので、理論展開に対して重要な影響を残すことはなかったのである (Wallace 1961b:258)。

 それ以後、脳の化学が謎の解明において大きく前進 した。最近の研究の多くは、神経伝達物質、いわゆるアセチルコリン、ドーパミン、ノルエピネフリンと呼 ばれる物質に集中している。これらの物質は、何十億という脳細胞が、お互いに交信するのに用いる「化学的メッセンジャー」である。重い精神病のいくつかの タイプは、現在では神経伝導の過程の機能異常のせいであるとされている。例えば、ノルエピネフリンがあまりに少ないとうつ病のいくつかの形態が出やすくな ることがある。この数年間で、精神分裂病は生化学的な単数あるいは複数の障害によって引き起こされ、維持されるという証拠が挙がってきた(例えば Wallace 1969:76)。最近の研究はこれらの障害の正確な性質を説明し始めている。「エンドルフィン」(生体内の、それ自身が作り出すモルヒネという意味であ る)として知られている蛋白質の一部分は1973年に発見されたが、それをラットの脳内に注入すると、緊張病性精神分裂病に似た硬直を引き起こす。「ラッ トはヒゲを一本動かすことなく、鼻先で一時間逆立ちさせられたり、首と尻尾を二つのブックエンドのそれぞれにのせて体を支えることができる。これらのこと 全てが、精神分裂病がエンドルフィンの不均衡のせいではないかということを暗示している」(Shaffer 1977)。

 明らかに、生理学的要因は、かつて信じられていた よりはるかに大きな役割を精神疾患において果たしている。それと同時に、文化というものは、遺伝的−生 理学的傾向とそれへの反応を所与として、多くの精神疾患において、発症を促すという重要な役割を担っている。生活が生み出すストレスの種類は様々な文化的 な圧力に応じて変化する。しかし、ストレスはあらゆる社会における生活の事実であり、ちょうどそれが器質的な病いの発病を促すのと同様に、精神疾患も生み 出すことがある。遺伝的、生理学的、心理文化的要因は全て、精神疾患を説明する際に、何らかの役割を果たす。研究の目標は、そのうちのどの要因が優勢であ るかを決定することではなく、それらの相互に結びついた関係について洞察を得ることである。

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他山の石(=ターザンの新石器)

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医療人類学

第5章 民族精神医学 (Ethnopsychiatry)

 部族あるいは農民社会での疾病の原因論は、既述のように、科学的医学の特徴とはいくつかの非常に基本的な点で異なっている。これまで、おもに、世界の人 々の生命を最も多くうばってきた急性の感染性、衰弱性の疾患というコンテクストにおける前者の信条体系のいくつかのあらわれを見てきた。しかし、民族医学 という分野はまた伝統的社会が精神疾患をどのようにとらえ、取り扱うかを研究する分野でもある。この章では、民族医学のこの二番目に大きな関心分野に我々 の注意を向けよう。この領域は通常、「トランス文化精神医学」(transcultural psychiatry)(例えば、Kiev 1972)とか「民族精神医学」(ethnopsychiatry)とか呼ばれている。我々は後者を用いることにする。
 身体的な病いと精神的な病いとの区別を明瞭にする必要性は、ナチュラリスティクまたはパーソナリスティクな信条体系に根ざす社会の志向というよりもむし ろ、西洋社会の合意の反映である。前者の社会では、病因論は身体的状態と感情的状態の分離よりもむしろ、両者の融合をうながす。もし我々が疾病の原因作用 についての伝統的な説明を思い出すならば、このような姿勢は驚くに値しない。神、祖先、悪魔、呪術師がその犠牲者に侵入し、魂を抜き取り、犠牲者を通して 語り、彼らの意志を思い通りにすることによって病気をもたらすとされるところでは、錯乱、発熱および感情的、身体的苦痛をひき起こすことも予期できる。同 じように、病気は身体、精神、本来の自然な平衡が失われたことの結果であるところではそれらの中に適切に存在すべき調和の回復によってのみ健康に復帰でき るのである。非西洋世界では、異常な行動が純粋に身体的な病気とは質的に異なる何かとして認知されたりはしない、あるいは分類されないと言うことではな い。(西洋でも精神身体的な病気が知られていない訳ではないように)。反対に、異常な行動はどこにおいても「ラベルを貼ら」れる。すなわち、その異常行動 に付与される行動の是否についての判断を反映するようなひとつまたは複数の名前をもつように思える。精神疾患が、注意の的となるコンテクスト、それに与え られる深刻さ、それに直面した際に適切とみなされる行為の手順−これらは通文化的にみて多様である。このことを以下にみてみよう。

   民族精神医学の始まり

 精神疾患についての人類学者の初期の興味は民族医学という領域から遠くかけ離れていた。人類学者の初期の興味は、人格に作用し人格を形成する文化的諸力 と、文化との関係を理解しようとする関心に発していた。その中で特に重要なのはフロイト仮説の検証という関心であった。つまり、エディプス・コンプレック スは普遍的か否か、個人の生活史における「口唇」「肛門」「性器」「潜在」の各発達期は、普遍的なものか、それとも特定の社会だけに限定されたものかの決 定である。1920年代のマリノフスキーが豊富なフィールド資料からそれらの仮説をテストした最初の人類学者であるが、いわゆる「文化とパーソナリティ」 学派−現在民族精神医学、通文化精神医学、あるいはトランス文化精神医学などいろいろな名で知られているものの発展における第一のステップ−は合衆国にお いて形成された。1930年代初期までに、マーガレット・ミード、エドワード・サピア、ルース・ベネディクトは文化とパーソナリティの関係に関心を持ち、 いくつかの社会からの資料から問題を立て、仮説を検証した。1936年から40年の間に、精神科医アブラム・カーディナーはコーラ・デュボイス、ラルフ・ リントン、エドワード・サピア、ルース・ベネディクトらを含む人類学者のグループと共同して文化とパーソナリティについてのセミナーを開いた。
 このセミナーで議論されていた理論を検証するために特に計画された最初の主要な研究、コーラ・デュボイスの『アロールの人々』に刺激を与えた。しかし、 既存のデータはこの研究には不十分であった。デュボイスの言うように、「私達は私達の考えを徹底的に論じ尽くした。そして、野外調査のみがその手続きを検 証することができた」(DuBois 1961 : viii)。インドネシアのアロール島の野外研究は彼女のことばによると、「グループ内の大人のパーソナリティと彼らの住む社会文化的環境に実証可能な関 係」があるかどうかを発見するために計画された。「もしそのような関係が存在することが見出されるならば、最も初期の子供の養育の実践と関係から大人の制 度と社会的役割の強化的な効果に至るまでの人生経験の一貫性の中に、このことの説明が求められると予想された」(同書、xviii)。
 同じような性質の他の主要な研究は、北アメリカ・インディアンの集団のいくつかと近代的国家に住む人々の間で行われた(Singer 1964 : 14)。それらの研究は1930年代から五〇年代のずっと後まで及んだが、研究者達の第一の関心は今日の研究者のもの−「正常」と「異常」、様々な社会に おける病気の定義とその取り扱い、精神疾患の人口統計学など−とは異なり、むしろ、(カーディナーの用語を用いれば)「基礎的パーソナリティの構造」や (デュボイスの用語を用いれば)「最頻的パーソナリティ」が問題であった。このことを覚えておくのは大切である。「民族精神医学」「通文化的精神医学」 「トランス文化精神医学」といった用語はいまだ知られてなかった。しかし、精神疾患と文化の関係についての我々の現在の関心が生まれてきたのは、ほぼカー ディナー、リントン、デュボイスなどの戦争の直前および直後の研究で行われた調査からであった。心理学的人類学のこの時代についての歴史とその当時注目を 集めた話題についてはシンガーによって十分に描かれており、この時代を要約することは本章の範囲を超えている(Singer 1961)。
 医療人類学者として、我々は次のような点に関する一連の問題に興味を持っている。通文化的背景からみた「正常」と「異常」の概念、土着の精神医学的障害 についての概念や治療の様式、その他の関連する話題である。これらの点については、我々は「文化とパーソナリティ」学派の資料と理論に大いに基づいている が、しかし、当然のことながら、時間の経過とともに調査と関心は、この先駆的時期を遠く越え出ている。特に、人類学者が取り扱ってきた問題の種類のいくつ かは次のごとくである。
 1 「正常」と「異常」の文化的定義と、我々以外の社会で精神疾患がどのように認知され定義されているか。人類学者は次のように問う、「世界の様々な社 会で精神の疾患を構成すると考えられている行動はどのような種類の行動であるか」、そして「我々が認知している主要な種類の精神疾患をさす西洋の用語は、 全てのあるいは多くの社会で適用可能か」と。つまり、全く文化ということを別にして、我々は世界の全てまたはほとんどの社会で(臨床的に定義された)同種 の症候群を見つけるだろうか。
 2 精神疾患の非西洋的説明。我々が身体疾患の非西洋的病因論を研究できるのと同じように、精神疾患について同じことができる。
 3 異常と定義された逸脱行動を取り扱う文化的様式。人類学者は「誰が、どのように治し、そしてそのような取り扱いの基盤となる理論および目標は何か」 と問う。また彼らは、シャーマンの場合のように、社会的に望まれた役割を通して精神的に逸脱した行動を「活用する」(harness)ことについての問題 に特に興味を持つ。
 4 様々な複雑さの社会における精神疾患の発生。例えば、精神の疾患は、単純で不変な社会では相対的にまれであり、ストレスがより大きいと予想される都 市ではより普通に見られるだろうか。急激な文化変容はこれを経験しつつある人々の間で精神疾患の発生を有意に増加させるだろうか。
 5 精神疾患の人口誌。「北極ヒステリー」(arctic hysteria)や「走るアモック」(running amok)は、初期の民族誌の報告に現れる精神異常である。ラター(latah)やコロ(koro)などという精神状態もその後記載された。それら文化に 特異的な病いは、人類学的な興味を引いてきた、原因、頻度、発症のきっかけとなる状況に関する一連の問題を提供する。それらの問題は精神疾患の重要な生物 文化的次元をしばしばきわだたせてきた。
 以下のページで、これらの話題に関する主要な発見や視点のいくつかを議論しよう。

   正常と異常の文化的定義

 西洋の精神科医によって精神疾患だと認められている多くの異常行動は非西洋社会でも広く見られている。我々が知っている全ての種類が、ほかのあらゆる社 会にも見られるとは限らないし、いくつかの文化においては、(アメリカ精神医学会が用意した『精神障害の診断的、統計的マニュアル』のような)我々の分類 体系にはない症候群(行動のクラスター)が記載されている。この章の後半で我々はより詳細にこれらの症候群のいくつかを検討する。しかし、単一の種として 我々が共有する認知的、情動的、生理的な機能のパラメータの範囲で、我々は、異常行動の限定された可能性だけについて取り扱い、そのあらわれの文化的多様 性を全く別にしているように思われる。

1 「ラベリング理論」の事例

 それにもかかわらず、西洋、非西洋を問わず、世界の様々な社会に、症候群というクラスターとそれに付与される名前に非常な多様性があることから、幾人か の行動科学者達は次のように主張する。精神の疾患は「神話」であり、社会学的現象である。それは、仲間の一部が異常または危険な行動、ときには単に自分た ちの行動と「異なっている」行動をするのを説明し、制裁し、統制する装置が必要だと感じている「まっとうな」人間集団がつくり出したものである。この考え に従う人達は「ラベリング理論家」(labeling theorist)として知られている(Becker 1963, Lemert 1951 ; 1967, Scheff 1974, Schur 1971, Szasz 1961)。逸脱行動というレッテルがいったん貼られると、その徴候がいかに軽微で、一時的なものであったとしても、逸脱者はステレオタイプ化され、烙印 を押されるというのがラベリング理論家の議論の要点である。彼の仲間は、彼から特別なかたちの行動を期待しながら逸脱者をそのような形で取り扱う。また逸 脱社自身もそれらの期待に添うような形で逸脱者を最も適応的に行動することを発見する。
 この種のラベリングの実態とそれに内在する危険はローゼンハンの実験があり、そこに描き出された実態は寒気をもよおさせるものがある。彼と他の七人の 「ニセ患者」はそれぞれ別の精神病院で診察をうけ、入院を求めた。「ニセ患者」は、よく聞き取れないが、「空っぽだ」「穴」「ドサッ」と言っているような 「声が聞こえる」と訴えた。そしてその声に聞き覚えはないが、自分と同性の声であると。これらの「徴候」以外に、それに彼らの名前や職業や職場のほかは、 履歴、状況をいつわらなかった。彼らの生活歴はありのままに述べられた。誰もひどく病的ではなかった。病棟に入った後、彼らは徴候をまねるのを全くやめ、 確かに彼らにあったにちがいないあるイライラを除けば、完全に正常に振る舞った。結果は、一例を除いて、全員が精神分裂病として入院させられ、平均する と、入院後19日後に、精神分裂病の「寛解」状態として退院となった。治療者の誰も彼らがニセ患者ではないかと疑うことはないようだった。しかし、相当数 の患者はこの志願者たちは何かをいつわっているのではないかと感じていた。
 このことからローゼンハンは次のように結論している。「精神医学のレッテルはひとつの生き物であり、レッテルそのものに影響力がある。患者が分裂病であ るという印象がいったん形成されると、彼はずっと分裂病的であり続けると期待される」。一定期間、徴候がなければ、患者は「寛解状態にある」とされ、退院 のできる状態だとみなされるかもしれない。「しかし、彼らは再び精神分裂病者のように行動するだろうという確証されていない期待を伴ったレッテルに、退院 後も甘んじなければならない(Rosenhan 1973 : 253)。このように、精神科的「レッテル貼り」は、患者、患者の家族、友人達にとって、しばしば、自己完結的な予言になる。結局、患者もまた診断と、そ れに伴う期待の全てを受け入れ、その期待に従って振る舞うのである(同書、245)。

2 ラベリングに反対する論議

 ラベリング理論は精神疾患を理解し、それを取り扱うひとつのアプローチとして興味をそそるかもしれないが、通文化的な場で仕事をしている人類学者達には 広くは受け入れられてこなかった。例えば、エジャートンは病いを同定するための独自の生命をもつ精神医学的レッテルという考えには満足してはいない。彼に よると、異常性に意味をふき込むのは集団であって、貼り札ではない。精神疾患の認知および命名は「取り引き」(negotiation)、つまり共同体の 中での幅広い合意を含む社会的交渉の過程の産物なのである。エジャートンはアフリカの四つの社会において、精神疾患のラベリングの際に患者、治療者、親 類、および友人の間での取り引きの過程について調査した。そして、「社会的取り引きの力ゆえに、結果的にレッテルを貼ることなしに、精神疾患の知覚は容易 にありうるし、行為なしのラベリング、さらにそのような知覚なしにでも精神病はありうる」と結論した(Edgerton 1969 : 70)。適用されたレッテル、ひき続く行為、行為に先立つ知覚、これらは道徳的法律的なものを組み入れた社会過程全体の産物である。彼によると、ラベリン グはローゼンハンの研究が信じさせるほど、気まぐれなものではないし、単一の次元のものでもなかった。
 タンザニアのへへ族、ケニアのカンバ族、ポコット族、ウガンダのセベイ族のインフォーマント達は精神病者の特徴とされる文化的に定義された行動につい て、述べることができた。また、当該の知覚的および行動的な症候群については一般的合意が存在する。エジャートンは次のように結論する。「このように見る と精神疾患は単なる《神話》でもなく、また単なる《社会問題》でもない。思考、感情および行動に医療管理を必要とする真の障害は存在する。精神医学的診断 は本質的に症状や徴候を分類して、将来科学的な分類医学にする誠実で経験的な努力である」(同書、70)。
 これは広く普及している人類学的な視点である。ジョン・ケネディはいくつかの人類学的研究を引用して「この主題を詳しく研究している現代の学者の間に は、頻度や形態にはおそらく重要な差異があるが、西洋精神医学で知られている主要な精神病のパターンは世界中で見られる、という点で意見が一致している」 ということを指摘している(J.Kennedy 1973 : 1139)。同様にマーフィとレイトンは、セント・ローレンス島のエスキモーでの主要な研究に基づいて、語彙の差異はあっても、「[西洋]精神医学で同定 された主なタイプの異常の全範囲に合致するような、障害を我々の被調査者は認識している」ことを発見した(Murphy and Leighton 1965 : 97)。ナイジェリアのヨルバ族で研究を行ったマーフィは「様々に異なる文化的環境的状況のもとで、西洋世界で用いられるのと非常によく似た手がかりに よって、正気と狂気は区別されているように思われる」(Murphy 1976 : 1019 傍点筆者)と結論している。その行動を文化的にどう定義しようと、彼らの間ではっきり常軌を逸脱したり、障害、脅威を与える、あるいは奇怪な行動をとる場 合、文化などはないのは明らかである。
 レイトンが明らかにしているように、西洋と非西洋における精神疾患の類似と差異をめぐるかなりの混乱と不一致は、我々研究者が当該の社会の成員によって 認められた診断カテゴリーを用いて考える傾向があったことによる。非西洋の病因論は、通常、西洋的説明とは全く相違するので、診断というラベリングの過程 は、どんな特定の文化の内部から研究されるときも、観察者を誤らせる。しかし、レイトンは言う。「もし、診断のカテゴリーよりも徴候のパターンの比較に注 意が限定されるならば、通文化的研究に伴う障害の多くはなくなる」と(Leighton 1969 : 185)。言い方を換えれば、徴候についての調査は、精神疾患に関する西洋のカテゴリーの再現性や実証可能性の調査に先立って行わなければならない。これ は容易な仕事ではないと、J・エジャートンは東アフリカにおける精神病の多様な概念についての彼の報告の中で述べている。にもかかわらず、徴候のカタログ は、「西洋の徴候学、とくに精神分裂病のそれとは著しく異なっている訳ではない」(Edgerton 1966 : 420)。彼は「文化の至高の力」または精神疾患の共通の核を実証しようとする努力はどちらも不十分であると結論する。彼の信じるところによると、同じ データをどちらの立場を主張するようにも簡単に操作できる。

非西洋の精神疾患の病因論

 民族誌では調査したグループのメンバーが身体の病いをどう説明するかについての記述は多く、ここ数年は、この本の第4章で述べたものも含めて、因果性の 幾つかの類型論も作られている。これと比べて、非西洋の人々がどのように精神疾患を説明するのかについての我々の知見は、体系化がそれほど進んでいない。 少なくともひとつには、これは彼らが身体と精神の疾病の病因論の間に明確な線を引かないからである。例えば、南メキシコ、テネヤパのラディノ(すなわちメ スティソ)の小さな町では、「[精神的障害の]原因は……それ以外のタイプの病気の原因とは異なるものとは判別されない」(Fabrega 1974 : 243)。我々が一般化できる限りでは、非西洋の精神の過半がナチュラリスティクな用語よりも、幽霊、精霊、神などが患者の体にとりついた、タブー侵犯に 対する懲罰、呪術といったパーソナリスティックな用語で説明されているように思える。以下は、精神疾病の病因論を、わずかではあるが、例示している。
 レイトンによると、ヨルバ族の人々は精神疾患を、次のような理由で説明する。タブー侵犯や儀礼についての義務の怠慢によって神、精霊そして幽霊から受け る超人的攻撃、あるいは妖術、遺伝、感染(すなわち、精神と感情のいくつかの疾患は病者との交際によって「罹る」)、宇宙の力、頭への殴打や出血のような 身体的外傷、「非常に苦痛な経験」などである(Leighton 1969 : 184-185)。ヨルバ族と同様に、ナバホ族もまた精神障害の原因を以下のものに帰する。タブーの侵犯、呪術師との接触、さらに身体的外傷、ナバホ族以 外の女性との結婚、矢で食物をかき回すこと、火かき棒を火にさしたままにすること、賭博の「やり過ぎ」である(D.A.Kennedy 1961 : 414)。また、犬が後産の胎盤を食べたり、母親の妊娠中に父親がクマを見たり、水牛の尻尾のガラガラを作り終えたりすると、その子供は精神薄弱として生 まれると信じられている。特に危険とされるのは、近親相姦のタブーを破ることであり、狂気は近親相姦の関係に対する超自然的懲罰と考えられている(同書、 415)。
 文化変容のセント・ローレンス島のエスキモーでは、憑霊はシャーマニズムと関係しているが、主要な精神医学的障害とは関係がない。しかし、その他のあま り文化変容を受けていないエスキモーでは両者は相互に関係している。そして、魔術や呪術は「心配しすぎる」、「簡単に驚く」などと記述されるようなストレ ス要因と同じように、説明に用いられる。遺伝的要因は、インフォーマントが言う「憶えが遅い」(slow to learn)という症候群においては、家族の中でひろがるという形で示唆される。また、タブー侵犯も、近親相姦を含めて狂気の原因としてよく挙げられる (Murphy and Leighton 1965)。
 これらの例より、多くの精神疾患の原因は、引き金となる社会的コンテクストが学習されたときにのみ推し量られること−しばしば消去法によって獲得される 知識−は明らかである。カウテはオーストラリアのアボリジニーズによってテストされる仮説のいくつかをまとめている。
 「病気を願うものの呪文によって体の中に《歌い》込められる異物の挿入から来る邪術か。……または、アボリジニーズは非常に多数の精霊を認めているが、 その精霊の憑依あるいは、彼らは一群の悪魔性の動物を知っているが、その動物の憑依か。……社会的報復者、すなわち報復的制裁を行う、年長者によって任命 される匿名で不可視な執行者か……人間の魂と対をなす精霊か」(Cawte 1974 : 37)。
 最後の可能性についてはワルビリ部族の信条というコンテクストでのみ理解することが可能である。この部族によると、全ての人が、彼を注視し、もし彼が神 聖なものの冒涜、あるいは姦通を犯したならば、彼を罰する、目には見えない双子の兄弟を持つ。土着の医師は、彼の部族の人々の中で起こる出来事の流れを察 知して、この対の双子(ミレルバ millelba)によって引き起こされた罪、良心の呵責、抑うつを診断し、その状態の処置や一般的な治療をすることができなければならない(同書、 34)。
 我々がすでに見てきたように、医学についての信条体系と他の信条体系との習合は多くの非西洋文化の特色であり、それは西洋人の観察者にとって重大な分析 的問題を提起する。医療、宇宙論、法は、オーストラリア・アボリジニーズ社会では重層化しており、このことは多くの調査者が、他の体系から医療体系−そし て、特に精神疾患の症候群−だけを切り取って研究しており、これは大きな問題である。「私は、医療、あるいは法が単独に研究できるかどうか疑わしく思う」 とカウテは言う。「一つの混成体、よく知った現代のものとは異なる一つのカテゴリーを研究するのだ」(Cawte 1974 : xxi)。精神疾患の研究の補助として、彼は適応不全のいくつかの「主題に応じた」分類を力説しているが、それらはそれぞれの特定の目的に役立つ。その中 には、文化変容の問題を劇的に表現する口語体の枠組みや、邪術や精霊の侵入などの疾病の概念に基づく土着の分類があり、疑わしい行為によって、邪術がより 小さな諸カテゴリーへと細分化することもあり、あるいは標準疾病分類(Standard Nomenclature of Disease)を基にした精神疾患についての現代の臨床分類も含む。「この分類は一般的にみて人類学者達を落胆させる。なぜなら、病因と現象がごた混ぜ であり、原因と徴候がごた混ぜだからである。しかし、医療従事者はこれに慣れ親しんでおり、これが我々が有する最上のものなのだ」(同書、173)。
 もし我々が西洋と非西洋の精神疾患の病因論の差異について一般化するとしたら、非西洋においては、心理学的要因、人生経験、そしてストレスは西洋に比べ るとあまり重要な役割を果たしていないと考えられている。「カルンブルの人々は病人の気質や彼の精神的葛藤について議論しようとしないだろうし、また議論 することができない」(Cawte 1974 : 47)。ヨルバ族は病人との交際、宇宙の力、身体的外傷(例えば頭部殴打、あるいは出血)や「ひどく苦痛な経験」などから、いくつかの精神と感情の病気に 「罹る」ことがあると信じているけれども、結局のところは、心理学的な説明は、異常行動を説明するのには極めて小さな役割しか果たさない (Leighton 1969 : 184-185)。精神疾患における個人的要素という要因は、西洋精神医学ではかなりの重要性を与えられているが、伝統的体系の内部では、限られた重要性 しかないか、あるいはほとんど重要性は認められていない。

精神疾患の取り扱いの文化的様式

1 誰が治すのか

 すでに指摘したように、逸脱行動の多くの形態は普遍的にみえるけれども、逸脱の取り扱いの方法、逸脱行動に時折与えられる社会的価値、それにその処置の 様式は多様である。人類学者達はシャーマンの心理学的、社会的特色にとりわけ興味を持ってきた。シャーマンという言葉はシベリアのツングース語起源である が、人類学者が使うときには、通常精霊による「召命」(すなわち、重篤な病気を引き起こす最初の憑依とそれに続くゆっくりとした回復)によって得られた超 自然的力と精霊との接触を有する治療者という、一般的な意味で用いられる。治療に際して、シャーマンは通常、病いを診断するために守護霊と交信すべくトラ ンス状態に入る。極端な文化相対論者は、精神疾患と呼ばれるものが文化特異的であるとする議論の主要な支柱にシャーマニズムの事例を用いる。つまり、文化 相対論の主張によれば、西洋でなら、シャーマンの心理的特性は本人に対する脅威、そしておそらく社会全体に対する脅威であると分類され、必ずや施設収容に 至るだろうが、多くの非西洋社会では、同じ行動が高く評価され、推賞される。例えばアッカークネヒトは、シャーマンは彼の社会によく適応しており有用な機 能を果たしているので、精神病理学的意味で異常とみなすことはできない、と議論している(Ackerknecht 1971 : 73)。デベローはこの見解には反対の立場から、「シャーマンを重い神経症、さらには精神病として考えないということにいかなる根拠も弁明も存在しない」 と主張する(Devereux 1956:28)。
 しかし問題は単に、シャーマンが(必要な役割を果たしているので)「正常」なのか、それとも、彼の社会の成員からそのようにレッテルを貼られているから 「異常」なのかということではない。むしろ、程度の問題なのである。マーフィは最近の論文で、セント・ローレンス島のエスキモーの用語、 nuthkavihakは「気が狂っている」と訳することができる。この用語は、自分に話しかける、存在しない人物に向かって叫ぶ、呪術師が子供または夫 を殺したとほかの誰もそうは思わないのに信じる、自分は動物であると信じる、走って逃げる、道に迷う、尿を飲む、犬を殺す、等々の異常な行動形態を三つあ るいは四つ同時に示す人々に対してのみ用いられると指摘している。この用語は決して単一の徴候には用いられない。
 他方、他人には見えないものを見たり予言する能力は「やせ」と呼ばれている。これは極めて高く評価される属性であり、ちょっとした占い師を特徴づけ、 「シャーマンの最も顕著な特性である」。そして「やせ」の人はだれもnuthkavihakと呼ばれることはない。治療の際のトランス状態にあるシャーマ ンの行動は(ある例では)犬の行動をまねたのだが、その行動は西洋では好ましいものとはおよそ考えられないだろうが、あるインフォーマントによると、 「シャーマンが治療しているとき正気を失ってはいるが、彼は気が狂ってはいない」(Murphy 1976:1022)。言い換えれば、とマーフィは言う。シャーマンの行動がコントロールされ、治療のために用いられるとき、その行動が行われる社会では 正常と見なされる。しかし、それが複数の形態をとり、コントロールされていないと、その個人は気が狂っているというレッテルを貼られる。
 多くの人類学的報告の示唆するところによると、シャーマンは妄想に悩まされたり、服装倒錯や同性愛であったり精神的に不安定な人であることが多いとい う。しかし、精神的不安定が文化的に建設的形態へと水路付けられるとき、その個人は、同じような行動をするにもかかわらず、社会の成員から明らかに異常で あると分類され、治療儀礼を受けさせられる人とは区別される。マーフィはこの状況をうまく要約して、次のように述べている。「精神的に病んでいる人に対す る可能な対応の共通の範囲が存在することは明らかである。特定の個人に対して、そのうちのどの部分の行動がとられるかは、精神疾患のレッテルを貼られてい るものなら何でも、規格化された形で反応する既存の文化的セットよりも、むしろその個人の行動の性質によって、決定されるのである」(同書、1025傍点 筆者)。

2 精神疾患の処置

 多くの非西洋社会では、異常行動を示す人々の大多数は、もし非暴力的であったなら、しばしば彼らの共同体内で自由を許される。つまり、彼らの要求は家族 によって満たされる。ランボーによるとアフリカの共同体では、重篤の精神病者や精神薄弱者でさえ、もし彼らがあるレベルまでは十分に自分で何とかやってい けるならば、共同体の機能的な一員としてその場を与えられる(Lanbo 1962)。オズボーンはその許容の限界についてより明確に記している。彼によると、「ヨルバ族は彼ら自身を非常に大切にし、運命の予定や運についての彼 らの考えと一致して、自分自身の家族の成員を追い出すことは難しいと考えている」(Osborne 1969:192)。ヨルバ族の大人なら、誰でも自分の部屋を持っているので、「重い病人は……一家のルーティンや共同体をこわすようなことはほとんどな しに家の中で養ってもらうことができる」。「狂気の」男が村を歩き回ることは許されている。もし彼の障害があまりにも重くなれば、彼は数日間、藪の中の小 村落に移されるか、彼の部屋の中に閉じ込められる。彼に食物を差入れるために家の中に巧妙なドア(二フィート平方)が取り付けられて、「外側の」ドアから は共同体に往き来できるようになっている。にもかかわらず、まともなケアに反応を示さない精神疾患の人々は、村から力ずくで放逐されることはないけれど も、「生きるために働いたり、物乞いしたり、あるいは盗みをしたりして」その地を歩き回るままにほっておかれる。もし彼らが自発的に家を出ないときは、時 々家族の方が家を放棄してしまう(同書)。
 明らかに精神疾患が呪術、あるいは憑依とされているところでは特に、障害のある人はその集団にとっての脅威とみなされ、始めから残酷に取り扱われること がある。例えばフィジーやニュー・ヘブリデス諸島では、悪霊に憑かれた人はしばしば生き埋めにされた。シゲリストによると、コンゴのベンガラ族では、呪術 の犠牲者は決まって殺された(Sigerist 1951:156)。
 民族集団、農民集団の間では、障害者はしばしば同情を受け気づかわれる。例えばクン・シェンの台湾人村落に住む人のうち少なくとも三人は「アメリカ社会 だったら当然施設に収容されたほど障害が重い」と判断された(Diamond 1969: 104 )。しかし彼らが落ちついている間は可能な限り日常生活の中に自由に参加してもよい。「彼らはしばしば笑いの対象にはなるが、恐れられることはめったにな い」。一人の女性は、彼女が自活でき、隣人や親類とおしゃべりしている、三ヶ月に及ぶ期間は正気であった。しかし、別のとき、彼女は食事を拒否し、長い間 泣き、人々に汚水を投げつけることも時折あった。彼女の二人の息子(既婚)は彼女を世話したが、「彼女は他人に対して全く危険ではないことは明らかなの で、入院のような特別のケアは必要ないというのが共通の気持ちであった」(同書)。
 村では人々はお互いに知り合いであるか、あるいは少なくとも顔見知りである。そして錯乱した人または病人は都市より無難に徘徊することができる。あるい は、道に迷った老人を家族のところに連れて帰ってくれる人がいつもいる。合衆国の民族共同体でも時折類似の状況がみられる。そこでは、自分達自身の「差 異」に対する感受性が集団のかなり異常な成員に対してさえも差別することを妨げることに役立つことがある。
 しかし、伝統的な人々の間においても、いくつかの精神疾患、特に暴力そのものや暴力のおそれを伴うものにはより公式的な処置の様式が必要とされる。その 処置は(当該の社会のコンテクストから見た場合)完全に専門的なものであることも時にはあるが、その他の場合には、どちらかというと「自宅療養」の性質を 帯びる。このことはニューギニアのグルルンバ族についてのニューマンの記述した事例に示されている。グルルンバ族の人々にとって、「幽霊の憑依」はある状 態であり、個人にとっても集団にとっても危険なものである。ニューマンはその認知と処置の事例を記述している。男たちの一団が野生のパンダヌスの実をさが しに山の森林に分け入っていった。そこで彼らのうちの数人が木のぼりカンガルーを狩猟することに決めた。ハンターの一人ボン・ギレは皆とはぐれ、夜遅くに キャンプに駆け込んできた。彼は鼻血を出し、体じゅうにひどいひっかき傷があった。野営地の火に駆け寄ると、彼はしばらくの間黙って立っていた。すると彼 は突然激しく叫び出し、まわりの人々を攻撃した。それは彼がおさえつけられ、あき地のはしに立っている木にしばりつけられるまで続いた。彼らはこの異常な 行動を幽霊の憑依と解釈した。煙を起こすために、キャンプファイアがつくられ、湿った葉でおおわれた。ボン・ギレは手足を縛られ棒に吊され、嘔吐するまで 煙でいぶられた。この処置を五分くらい続けた後、彼は正常な声で煙から出してくれと叫び出した。これは、彼に憑いた幽霊が除かれ、彼は再び正常に戻ったこ とを示していた(P.L.Newman 1958:84)。
 プリンスはナイジェリアのヨルバ族のより入念な専門的処置について述べている。精神病の患者は平均約三、四ヶ月間治療者と共に「生活する」。そして彼ら の面倒は患者と一緒に留まる家族の誰かが見るのである。一般的に、最初の数週間患者は、逃げ出さないと信用できるようになるまで足かせか何かで縛りつけら れる。様々な薬草が用いられる。さらに、最初に動物の供犠が行われることもある。患者がそこから解放されてよい状態と考えられれば、「解放の儀式」 (discharge ceremony)が河の土手で行われることもある。血の供犠、患者の病気からの象徴的浄化など、おそらく象徴的な死と新しい生命への再生が儀式によって 示される(Prince 1974)。
 ちょうど伝統的治療者が身体疾患へのアプローチの点で西洋の医師と大きく異なるように、精神疾患の処置についても顕著な差異が見られる。ジョン・ケネ ディは最近、いつもとは限らないが、しばしば見受けられる主要な対比点を要約している。第一に、身体疾患のための主要な治療儀式の場合と同じように、精神 疾患の主要な処置もまた公開の儀礼となることが多い。そこでは、治療者は補助者を従え、公衆が重要な役目を担うこともある。おそらく、より際立っている点 は、非西洋ではふつう象徴がとくに強調されるが、それは劇的な技法を通して達成される(J.Kennedy 1973:1170)。これは、西洋の精神分析医の診療室の、うす暗い明かり、循環している空気の中の聞こえるか聞こえないかの「シューッ」という音、慎 重に選択された家具や美術品とは明らかに好対照をなしている。
 西洋と伝統的社会の治療者の行動においても際立った対照が見られる。前者の治療者は患者に個人的に巻き込まれてはならないが、彼(あるいは彼女)は同情 的で批判がましくなく、温かく、人間的であることを期待される。このような行動は転移の現象を通して患者が治療者に巻き込まれていくことにつながる。西洋 の分析医は患者へのアプローチの仕方が通常の医師とは明らかに異なる。それと対照的に、主要治療儀礼に関与する非西洋の精神疾患の治療家は身体疾患を取り 扱うときと同じようにふるまう。彼は「力に満ち満ちた非人格的役割で自分自身を覆い」、権威とカリスマと、それにしばしば手品の芸当を行う。「彼は患者を 熟知しているかもしれないが、治療のあいだ、彼は非人格的役割の次元へ移行し」、あるとしてもめったに「転移」現象に出会うことはない (J.Kennedy 1973: 1173-1174)。

3 治療の目標

 二つの体系での治療の目標もまた大きく異なっている。西洋の療法の目標はチックや恐怖症のような症候の治療から「徹底的なパーソナリティの精査」 (J.Kennedy 1973:1174)にまで至る。西洋の治療はある意味では、基本的には再教育である。つまり患者はより以上の自尊の感情を伴う、新しい自己像を発展させ るように勧められる。また、痛み、不安、ストレスなどの主観的感情から解放され、さらに、おそらくより一層の独立性を獲得し、社会の中でより効果的に機能 するように勧められる(同書)。それとは対照的に、非西洋の治療は再教育や自我の強化、パーソナリティの変容を取り扱うことはほとんどない。むしろ、非西 洋の治療はアプローチの点で実用主義的であり、即座の結果をめざす。つまり、患者を治療者のもとへ連れてくる原因となった異常な徴候を軽くしたり、なくす ることをめざす。儀礼が数日間続いたり、いくつかの社会では患者が有名な治療者と共に数週間ないし数ヶ月過ごすことはあるが、治療は一般に短期であり、身 体疾患の場合とほとんど同じくらい短い。ここでも、西洋の治療においては、療法家と患者の間のことばの交流が根本的なものであるが、ほとんどの非西洋社会 では、療法家と霊の間で多くのことばが交わされる。患者に直接に関わるときでも、療法家と霊の会話は直接患者に向けられるが、必ずしも返答を求めることは ない。もちろん、西洋と非西洋でことばの点で類似点がある。特に告白はいくつかの非西洋社会では主要な要素であり、これは西洋の患者の、過去の痛ましいそ れも、しばしば恥ずかしい経験を打ちあけ、療法家と議論することの必要にたとえられる。しかしながら、一般に非西洋の治療は西洋のそれとは異なっている点 の方が目立つ。しかし、これらの差異や、多くの西洋の療法家が非西洋の精神療法の背後にあると信じている謬見にもかかわらず、多くの人類学者や西洋の療法 家は、シャーマン、他の伝統的治療師達が精神疾患を取り扱う際に、しばしば著しく良い結果を出すことを発見している。

様々な社会における精神疾患の頻度の比較

 以下のパラグラフでは、我々の関心を互いに関連する二つの問題に向ける。(1)科学技術的に単純な社会では、しばしば一般に信じられているように、複雑 な社会よりもより本来的にストレスが少なく、それゆえ精神疾患の発生数が少ないのであろうか。(2)西洋の精神科医によって認められている異常行動の主要 なパターンは世界中で見出されるだろうか。そして、もしそうなら、形態と頻度の点で、それらはどの程度異なるだろうか。

1 ストレスのない「未開の」生活という神話

 単純な社会は文明によって堕落させられておらず、そこでは人々はお互いに「自然な」関係のもとに暮らし、その関係は愛と協力と相互扶助をその特徴とする と、西洋人は長い間信じてきたし、また信じたいと思ってきた。ストレスのレベルは論理的には、そのような社会では低いにちがいないので、ストレスの多い生 活からくる精神疾患もまたまれなはずである。未開の生活のこの「高貴な野蛮人」というステレオタイプは民族誌の事実によってかなり前に否定されている。し かし、そのイメージは生き続けており、精神疾患に対する我々の見解を彩ってきた。単純な社会には歴史的に見て文明によるストレスがなかったことは確かであ るが、執念深い神、幽霊、妖術師、邪術師、さらに恐れる隣人や妬み深い親類などの住む世界は我々の世界以上にストレスが多い。恐怖は確かにストレスである が、それは多分、近代生活よりもそれらの社会での方がより普通の経験である。
 伝統的社会の諸民族を調査してきた人類学者や精神科医は、精神を病んだ人がケアを受ける仕方によって問題の程度が軽減されるように思えるということで意 見が一致している。また、急激な社会文化的変化のストレスが全くないにもかかわらず、これらの社会が異常行動を知らないわけでは決してないという点でも意 見が一致している。人類学者や精神科医は精神疾患が文明化のために支払わねばならない一つの代価であると仮定してはならないと感じている。フィールドが言 うように、「精神的ストレスと精神疾患が《文明化され過ぎた》社会の特典であり、単純な野蛮人は十二指腸虫症を患うことはあっても、不安を抱くことはあり えないし、さらに、彼は無知から隣人が自分に対して悪魔術を行っていると信じるかもしれないが、熟睡することができるという考えがいまだに続いている」 (Field 1960:13)。彼女が強調するように、これほど真実からかけはなれたものはない。「田舎のアフリカ人は以前よりも−ちょうど身体疾患の領域では性病や インフルエンザが増加したように−精神疾患が多くなったかどうかは別問題である。しかし、精神疾患は、しかもその多くは、古代の伝統に根ざしたものであ る」(同書)。同様に、レヴィとクニッツは、居留地のナバホ族とホピ族の不適応のパターンの多くは、彼らが西洋文明と接触する以前の逸脱のプロフィールに 根ざしていることを発見している。「ホピ族の飲酒スタイルと彼らの高い死亡率には、道徳的混乱や葛藤の結果としてよりも、抑圧され、表には出ないが攻撃的 な人々の飲酒の機会への反応として説明するのが最上であろう」(Levy and Kunitz 1971:117)。アメリカ領サモアでも、ストレスが伝統的生活に固有のものであるという証拠がある。というのは、いくつかのストレス病は北米の中流の 白人よりも多いらしいからである(Mackenzie 1978)。そして、いうまでもなく、現代の農場生活は都市の気違いじみたテンポにかわる最適の代替策ではない。精神疾患とアイルランド文化の分析でシー パー−ヒューズは次のような仮説を立てている。精神分裂病は田舎のアイルランドの生活における禁欲的な要求、つまり、独身、社会的孤立、相対的な経済的剥 奪と特に関係があるらしいと(Scheper-Hughes 1978)。

2 異常行動の主要なパターンの多様性

 西洋の精神科医によって認められた異常行動の主要なパターンが世界中で見られるという精神科医や人類学者の見解に(すでに定義されたコンテクストの内部 では)我々は同意する。しかし我々はまた、この行動の様態、頻度、分布、社会的合意の点でかなりの多様性があることにも同意している。例えばレイトンは、 ヨルバ族の患者が示す徴候のパターンの大多数は精神医学で知られている徴候であることを見出している。しかしまた、重要な相違、特にヨルバでは強迫や恐怖 の徴候がほとんどないことも発見している。うつ病の徴候も、この症候群の構成要素、例えば、ある人生への関心の喪失、極度の心配、活力の減退などが他のコ ンテクストで現れることはあるが、うつ病症候群としては見られなかった。精神生理学的、精神神経症的、人格的、社会病理的障害の徴候、老衰による変化は触 れられなかったが、これらの徴候はあるかと尋ねられると、インフォーマントは一致して、それらの徴候は存在するが、一般に「病気」のレッテルを貼るほど深 刻なものとは考えられないと答えた(Leighton 1969:164-165)。
 同様にレヴィが研究したタヒチの人々は「西洋の診断カテゴリーに容易にあてはまる」。「悪い頭を持つ」といわれる原住民の行動は、西洋で病院に収容され た分裂病者の行動に極めてよく似ていた(Levy 1973:407) 。他方、「ヒステリー様」の状態は、幻覚に比べて極めてまれであるらしいと報告されている(同書、398)。
 精神障害の形態の通文化的比較の試みは一般的にいって成功していない。その理由の一つは、調査の現段階では、「第一次的徴候」から「第二次的徴候」と考 えられるものを選り分けることが困難だからである。例えば、第一次的徴候−うつ病にとって基本的な第一次的徴候−は初期に発症して、この障害の本質をな す。第二次的徴候は病気に対する個人の反応の一部と見なされている。つまり、個人が変容された行動と折り合おうと試みることから、第二次的徴候は発展する (Murphy, Wittkower, and Chance 1970:476)。第二次的徴候は患者の社会的文化的背景に特別に依存していると考えられるから、患者の世界に慣れ親しんでいない西洋で訓練された精神 科医はどの徴候を優先すべきか見分けることが難しいと感じることがある。例えばカウテの信ずるところでは、オーストラリアのカイアディルト族の患者を診て いる西洋の専門医達は、邪術への恐怖からくる自殺傾向や深い哀しみといったうつ病の徴候を分裂病と診断する誤りをときどき犯す。彼の主張に従うと、そうで はなくて、有害な魔術の作用に関するカイアディルト族の信仰から見ると、(この文化によく見られる)邪術に関する訴えは、強制移住、社会的役割の喪失、家 庭内の不和という大きなストレスに対する反応からくる慢性的なうつ状態として把えるのがより正確である(Cawte 1974:97)。
 非西洋社会における精神障害の頻度に関する証拠は、おもに、信頼しうるデータを得る実行可能な方法がないという理由から、立ち遅れている (Dohrenwend and Dohrenwend 1965)。多くの研究が病院統計を基礎になされてきた。しかし、精神衛生サーヴィスが貧弱な第三世界の国々では、入院は罹患率を代表するものと見なすこ とはほとんどできない。例えば、フィールドによると、うつ病はアフリカでよく見られるが、しかしうつ病を患っているアフリカ女性はヨーロッパ式の病院に行 くことは少ないようだ。だから、報告されている症例はごくまれである(Field 1960:149)。サンプルへのインタビューをもとにした研究も同様にその価値が疑わしいと思われる。というのは、そこでは、未発見の症例を含む、考え に入れるべきだが、調査されていない変数があまりに大きくて、そのような調査結果を疑わしいものにするからである。

精神の病いと変化

 もし、いろいろな程度の複雑さを持つ諸社会におけるいろいろなタイプの精神疾患の相対的な頻度に関する証拠があまり確かなものでないとしても、人類学者 と何人かの精神科医は、急激な社会文化的変化の結果に関しては立派な証拠があるということでは意見が一致している。その証拠によれば、そのような変化は平 均して発病率を高める。例えば、沖縄の人達は、本島での精神疾患の発病率が比較的低いことで知られているが、彼らは、ハワイへの移住が極めてストレスに満 ちたものであると考えていたことは明らかである。新しい居住地において精神病の率が沖縄諸島の他の主要な住民に比べて有意に高かった(Moloney 1945:391-399, Wedge 1952:255-258)。同じようなことはオーストラリア原住民の間でも起こっているらしい。カウテは「ブルース」−うつ病に至る内罰的態度−が安定 した社会よりも変化しつつある社会に目立って多く出現するという観察を劇的に表すのに「ブルースの誕生」という歌のタイトルを借用した。彼の発見による と、完全な徴候は、拡大家族が西洋式の夫婦家族に強制的に置き代えられること、患者の自尊心やアイデンティティを支える対象の喪失、親しんできた道徳律の 禁圧、およびストレスという危機における一般的な罪責感の産物である(Cawte 1973:11)。同様に、トリニダードとスリナムにおけるインドからの移民を調べたアングロシノは、家族および民族共同体の繋がりと、「外側の」現代的 共同体の中で何らかの役割を果たしたいという欲望の間に人を無能にさせるほどの葛藤が存在することを見つけた。周期的に現れるうつ病と自殺傾向の期間を伴 う激しいアルコール依存症は、家族−宗教的義務の複合体に対する反抗と結びつくようになった(Angrosino 1974:129-131)。
 急激な社会文化的変化を経験している人々の間での精神疾患の発生の増加を記録する際には、少し前に指摘したごとく、我々は、かつての全く精神疾患がな かった状態というゼロ基点から数えているわけでは絶対ないということはよく銘記しておくべきである。したがって、文化変容のストレスのもとで精神障害が増 加していることを示す「証拠」は、もし発病率の変化を表す真の数字を決めねばならないとしたら、文化変容が起こる以前の状況についての一般の証拠と比較さ れねばならない。いくつかの伝統的、民俗的な文化は一見すると最少の変化の要求に直面しても、ほとんど心理的防備をしないで個人に提供する。デビッド・ ルーフは、アパラチア地方の精神疾患と社会化の実践の間の相互関係を明らかにしている。彼は、安全を守るための非常に限られた資源への過剰な依存が人をだ めにするほどの親近性をはぐくんでいること、また、伝統と結合した閉鎖的家族システムが子供に慣れ親しんでいないもの全てに対する病的な恐怖をうえつける ことを明らかにしている。その結果、ひどい「学校恐怖症」や谷を離れることに対する恐怖が広がっており、この過程はついには谷の古くからの親族の外では競 争することのできない人々の高慢と私生活主義へと至る。しかもこれは、あまねく存在する過酷な貧困に直面してもそうなのである(Looff 1971:x)。大人も同様に、彼らの非常に限られた経験を越えたやり方にさらされると、圧倒的で長く続く恐怖を引き起こすことがある(同書、18)。
 このような悲惨な事例とは対照的に、変動という状況での非常な逆境に直面しても、ストレスを吸収し、代わりの機会を提供する驚くべき能力を発揮する社会 も存在する。例えば、第二次大戦中のカリフォルニアの日本人収容所では「民族共同体と家族−その構造、機能、価値およびその《文化》−はキャンプ生活に耐 え、精神的崩壊を最小にすることを可能にするような力の源となった」(Kitano 1969:269)。しかし、日本人がより文化変容を受け、他のアメリカ人とより同じようになっていくにつれて、多くの種類の病的現象が増加していったと いう証拠がある(同書、260-261).

文化特異的な障害  

 精神疾患の分野では、いわゆる文化特異的な病い(すなわち、初期の旅行家や伝道師の報告以来特定の人種や民族集団と結びつけて覚えられるようになった症 候群)ほど人類学者の興味をそそる話題はなかった。これらの「疾病」の中で最もよく知られているものには次のものがある。「北極ヒステリー」(エスキモー のあいだではピブロクトク(pibloktoq)として知られている)、ウィンディゴ(windigo)は北米の北東部のインディアンに見られる食人強 迫、走るアモック(running amok)はマレーシア男性に見られる逆上して殺人にふけること、ラター(latah)は北極ヒステリーのシベリア型に似たヒステリー的模倣反応、コロ (koro)というのは中国男性に見られるペニスが体の中に吸い込まれるという恐怖、スストはラテン・アメリカの多くの地方で見られる抑うつ的不安であ る。ただし、以上のうち最後のススト(スペイン語で「恐怖」を表す語)はこのリストに入れるべきではないのかもしれない。というのは、スストは、多くの種 類の身体的および精神的な病い、特にビリス(bilis 肝臓の不調)として知られ、ラテン・アメリカの人々の間に広く見られる民俗的病いの原因と考えられているものという方が適切だからである。最近では、マル グリ(malgri)という、眠気と腹痛を特色とする脱力を伴う不安症候群がウェレズレイ諸島に特有に見られるものとして記述されている。この障害には、 その中心的なテーマとして、特定の食物のタブーを破ることに対する恐怖症的心配がある(Cawte 1974:106-119)。しかしながら、スストと同じようにこの場合も、心理的な原因をもつ症候群が生理的な異常、この場合は胃腸の障害に関連してい るように見える。
 文化特異的な病いについての文献やそれらを解説するために提出された種々の説はジョン・ケネディによって見事にまとめられている(J.Kennedy 1973:1152-1169)。しかし、これらの状態に関する簡単な議論すら紙面の都合上割愛しなければならない。文化特異的な病いについての考察から 出てくる第一の問題は、かく名づけられた状態は実際臨床的に他とは異なる症候群なのか、あるいは、精神科医によって認知された、ふつうの精神医学的症候群 の変異形ないしそれらの組み合わせなのかという問題である。後者の見解は、現代の研究者の間では優勢であるが、病いのエピソードを起こりやすくする役割を 果たすことがある栄養不良、(しばしば)きびしい環境条件、そして極端な社会的心理学的圧力といった点から、当然これらの病いの本質と原因についてのより 詳細な研究が必要となることを示唆する十分な証拠がある。北極ヒステリーのエスキモー版であるピブロクトクを例にとって、いかにして生物学的、文化的研究 がこの劇的な状況のより確かな理解へと我々を導いていくのかを示してみたい。その際、おもに医師で人類学者であるファウルクスのモデル的研究に基づいて話 をしよう(Foulks 1972)。
 北極ヒステリーは西はラップ族から東はグリーンランドのエスキモーに至るまでの極地周辺の諸民族の間で見られる。ファウルクスは二つの主要な症候群を認 めている。その一つは、思慮分別のない模倣狂であり、これはシベリア地方でのみ見られる。他の一つはひどく興奮した人格分離状態であり、これは全ての北極 地周辺のグループに見られる。両方の形態とも(通常)短期間の奇怪な行動が現われ、続いて急性の徴候が中断し、正常に戻ることによって特徴づけられる。ピ ブロクトクにかかっている者は自分の衣服を引き裂き、しばしば他者とけんかするが、そのとき信じられないような力を発揮し、雪原に身を投げ出し、鳥や動物 の鳴きまねをする。西洋の観察者達は非常にしばしばその徴候をヒステリーのそれにたとえてきた。それに与えられた説明は、伝統的な精神分析的解釈から、冬 期の食物に対する強度の不安を引き起こす環境条件にまで至る。しかし、幾人かの観察者はピブロクトクのありうべき説明として栄養の欠乏、特に血中カルシウ ム・レベルの低下を挙げてきた。数年前にウォレスは、この仮説を最も明確なかたちで述べた。彼は、ピブロクトクは低カルシウム血症、すなわち、エスキモー の食事のカルシウム源の不足と、正常なカルシウムレベルを維持するのに必要な生化学的プロセスであるビタミンDの合成の、陽光のない冬期における低下の結 果であると主張した(Wallace 1961b:266-270)。カルシウム仮説は興味をそそるものである。というのは、カルシウムは神経インパルスの化学的伝達に必須の要素であり、カル シウムの生理学的機能の異常は、極地ヒステリーに見られるヒステリー様の発現形態も含めた、異常行動の様々な形態を生み出すことがあるということが実証さ れているからである。
 ウォレスの生徒の一人、ファウルクスは最近この仮説を検証した。彼は1969年から70年にかけてフェアバンクスの州の精神衛生部の北部地区診療所で現 役の精神科医として、数多くのエスキモーに精神医学的治療を行った。その中には、ピブロクトク行動を示す一〇例の患者が含まれていた。このサンプルを用 い、他の研究者の高度な栄養学的、血清学的研究技術をかりて、彼はピブロクトクの徴候は低カルシウム症と診断すべきだと結論した(Foulks 1972:70)。さらに、多くのエスキモーの食事は実際にカルシウムが不足しているらしかった。それにもかかわらず、多数のサンプルによるいくつかの研 究の示すところでは、食物中のカルシウムの利用可能性が明らかであるにもかかわらずほとんどのエスキモーは血清中のカルシウムのレベルを正常に保っている のである。同様に、先の一〇人のサンプルから繰り返し採集された血液のサンプルも、そのうち数人は正常範囲内の低い値を示していたが、ただ一回のテストを 除いて全て、年間を通して血清カルシウムのレベルが十分に保たれているらしいことを示していた。つまり、最初の仮説は明らかに成り立たなかった。
 ファウルクスはそこで別の点、つまり生体の生化学的過程における「概日性」(circadian)、すなわち、日周期の可能性ということに注目した。地 球の温帯域では人間の生理は昼と夜に応じた活動と休息という一日のサイクルに適応してきた。多くの人間の生理学的機能は一日の時間に従って大きく変化す る。例えば、血圧、体温、脈拍数、呼吸、血糖量、ヘモグロビン量、アミノ酸などがそうである。しかし、昼と夜の時間が大雑把にいって同じくらいの熱帯と温 帯地方では規則的に現れる明暗への同調ということが、北極地方では冬でも夏でも困難である。ファウルクスは何人かの研究者を引用して次のように指摘する。 これらの日周リズムのいくつかは二四時間の睡眠と労働のサイクルの正常な位相からはずれて「暴走」(free run)し始めている。さらにそれらの同調が失われることは中枢神経系に影響を与え、さらにこれが個体にいらいらと興奮の素因を作りうる。カルシウムのリ ズムはこのように脱同調化されうるものの一つである。ファウルクスは一人のケース(先の一〇人の一人ではない)をテストして、そこにカルシウム代謝の同調 の欠除を発見した。彼はこれがピブロクトクを形成する唯一のものであるとは信じてはいないが、カルシウム以外の要因によって不安発作の素因をもつ者や、脳 に病変を持っている人は、このカルシウム脱同調によって境界点を越えて発症に至るということは十分にありうると指摘している(同書、86)。
 彼の言うところでは、この仮説を検証するためには、ピブロクトク行動の徴候を示す彼の一〇例の患者にもこの状態特有の発作を導く脳の病変があることを実 証する必要がある。彼らのケース記録を注意深く見返したところ、わずか三人が、発作に関与するような脳の病変があるという証拠を示した。そこでファウルク スは、彼の一〇例の患者を特徴づける心理社会的要因に目を向けた。この点で、共通に見られた要素とは全員が「社会的に満足を与える生活様式を維持すること ができそうにない、あるいは実際にできない」ということであった(同書、108)。全員が、ある時点で自分の村の他者が受け入れてくれるような生活様式を 維持できないという不安を経験していた。彼らは社会での自らのアイデンティティと場所について不確かであった。「彼らは不全感を強く感じていたし、他人も 同じように自分の欠点を見ているのではという不安を持っていた。彼らは人生の《意義のある》生活様式に従って生きることができないことを恥じていた」(同 書、109)。言い換えれば、彼らは最上の環境下でも心理的問題を起こしやすい人々であった。
 ファウルクスの慎重な研究から学ぶべき主要な教訓は、複雑な現象を単一原因という観点から解釈しようと試みる危険性である。彼の場合、厳しい環境と気候 条件、栄養問題、脳に影響を与える、特別の疾病におちいる危険性、そして社会的条件と圧力といったいくつかの要因が結びつくことで、ある個人に、ずっと以 前に「北極ヒステリー」と名づけられた徴候をときどき示すような素因を作り出すのである。「この研究の根本的に提起するところは、人間の行動は多元的に決 定され、単一で直線的な因果説には理解を促したり、予測を可能にする点で価値がないということであった」(同書、13)と結論している。

結論

 ファウルクスの結論は、前進のための重要な一歩である。というのは、ウォレスが批判するように、ほとんどの人類学者は精神疾患を説明する方法として初期 の文化−と−人格モデルに無批判に従い、知られている多くの器質的損傷が心理社会的機制によって形成されることがある徴候群と本質的に区別不可能な徴候群 を作り出すという事実を認めないという誤りを犯してきたからである。精神疾患の研究においては、生理学的準拠枠組よりもむしろ心理社会的枠組のほうが、当 然のことながら、人類学者の性に合っている。なぜなら、後者が用いる、行動を「説明」する研究方法−とりわけ、観察−とデータそのものは、人類学者が最も 親しんでいるものだからである。ウォレスはこの明白な無知を歴史的な観点から説明する。1927年のサピアの論文「社会における行動の無意識的型どり」 (Mandelbaum 1949)以来、人類学者達が最初に行動と個人を本格的に探究し始めたとき、精神医学的理論、そして特にフロイト理論は十分に発展していたが、行動への関 係という点で、遺伝的、生化学的構造についての我々の知見はあまり発展していなかったので、理論展開に対して重要な影響を残すことはなかったのである (Wallace 1961b:258)。
 それ以後、脳の化学が謎の解明において大きく前進した。最近の研究の多くは、神経伝達物質、いわゆるアセチルコリン、ドーパミン、ノルエピネフリンと呼 ばれる物質に集中している。これらの物質は、何十億という脳細胞が、お互いに交信するのに用いる「化学的メッセンジャー」である。重い精神病のいくつかの タイプは、現在では神経伝導の過程の機能異常のせいであるとされている。例えば、ノルエピネフリンがあまりに少ないとうつ病のいくつかの形態が出やすくな ることがある。この数年間で、精神分裂病は生化学的な単数あるいは複数の障害によって引き起こされ、維持されるという証拠が挙がってきた(例えば Wallace 1969:76)。最近の研究はこれらの障害の正確な性質を説明し始めている。「エンドルフィン」(生体内の、それ自身が作り出すモルヒネという意味であ る)として知られている蛋白質の一部分は1973年に発見されたが、それをラットの脳内に注入すると、緊張病性精神分裂病に似た硬直を引き起こす。「ラッ トはヒゲを一本動かすことなく、鼻先で一時間逆立ちさせられたり、首と尻尾を二つのブックエンドのそれぞれにのせて体を支えることができる。これらのこと 全てが、精神分裂病がエンドルフィンの不均衡のせいではないかということを暗示している」(Shaffer 1977)。
 明らかに、生理学的要因は、かつて信じられていたよりはるかに大きな役割を精神疾患において果たしている。それと同時に、文化というものは、遺伝的−生 理学的傾向とそれへの反応を所与として、多くの精神疾患において、発症を促すという重要な役割を担っている。生活が生み出すストレスの種類は様々な文化的 な圧力に応じて変化する。しかし、ストレスはあらゆる社会における生活の事実であり、ちょうどそれが器質的な病いの発病を促すのと同様に、精神疾患も生み 出すことがある。遺伝的、生理学的、心理文化的要因は全て、精神疾患を説明する際に、何らかの役割を果たす。研究の目標は、そのうちのどの要因が優勢であ るかを決定することではなく、それらの相互に結びついた関係について洞察を得ることである。

ch05-FosterAnderson_MA_All1978-5.pdf
このページは、かつてリブロポートから出版されました、フォスターとアンダーソン『医療人類学』の改訳と校訂として、ウェブ上においてその中途作業を公開 するものです。

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