はじめにかならずよんでください

シャーマン、呪術医 (witch doctor) と他の治療者

Notes on George M. Foster and Barbara G. Anderson' Medical Anthropolpgy, 1978

解説:池田光穂

医療人類学

第6章 シャーマン、呪術医 (witch doctor) と他の治療者

   治療的インタビュー

 この章ではとくに非西洋的治療者の役割、行動、パーソナリティ特性について考える。民族誌的文献によると、非西洋の治療者はふつう彼らがかかわっている 文化や医療体系の文脈の中で描くことができる。ある特定の社会の構造−機能分析においてこれは適切である。しかしこのようなアプローチは、どの社会におい ても一つ、あるいはそれ以上の形態をもつ専門職の治療者の普遍的な性格そのものをどうしても曖昧にする。この『医療人類学』での我々のデザインは通文化的 なものであり、かつ我々の関心は一般的なパターンを描くことであるので、通常「治療的インタビュー」と呼ばれるもの(例えば、自分が病気であることを疑う か、または知っている人と、病気から救う資格を持つと当該の文化から認められている個人の間で起こる形式的な相互作用)に我々は焦点をあてて、非西洋の治 療者の問題について検討していく必要がある。ウィルソンの言うように、この相互作用は「医学の核心」(R.Wilson 1963:273)であり、それによって全ての医療体系をつなぐ普遍項でもあると我々は信じる。そのようなわけで、これが頻繁に行われるドラマであり、か つ、保健ケアの質について我々にかなりの情報を提供するので、このインタビューが相当な生産的な研究の焦点になることは明らかである。しかし、第一に種々 の社会での治療的インタビューについての研究はエスキモー、コロンビアの村落、合衆国で指摘されたような紹介を除いてはわずかしか報告されていない。

 原始的生活の時代に、体調不良が続いていた一人のエスキモーの男が「患者を求めて歩き回っていた」シャーマンに相談した。シャーマンは「彼をあらゆる角 度から調べた。そこでシャーマンは患者の《痛み》がある部分に触れた。彼は患者の腕を舐め、痛みの部分をマッサージした。シャーマンの中には患部に口で風 を吹きつけ、もしそこが[異物の]侵入といったものであると診断されたなら、最初は試しにそこを口で吸う者もいる。……それらの準備が完全になった時、そ のシャーマンは歌を歌い始める」(Spencer 1959:306)。

 コロンビア、アリタマのスペイン語を話すメスティソの村では治療者、すなわちクリオーソ(curioso)は病気が長びいている時に呼ばれる。「病気に なったとされる患者の種々の外敵について簡単な質問をとり行った後で施術者は患者が過去数日から数週の間の食物、幻覚、重労働、あるいは太陽、風、水など にさらされたことなどについての細かな質問について多くの時間を費やし、脈を取り、もし鼓動が速いなら《熱い》病気と診断され、その逆は《冷たい》病気と される。顔面の表情は注意深く調べられる……スペシャリストの中には尿を調べる者もいる……目の瞳孔……は調べられ便、痰、吐物は時折調べられる」。それ から治療者は処方する (Reichel-Dolmatoff, G.&A.1962: 289)。
 合衆国では中流階級の男性が、彼が消化不良以上の何かであると疑うほどの腹部の痛みに数日苦しめられた後、医者にアポイントメントを取る。医者は忙しい スケジュールに「その男を組み入れ」彼を診察する。彼の胃の部分を押し、痛みがどの部分かを確かめ、血液をカウントした。結果が陽性とでれば虫垂切除術が 施行されるのである。

 エスキモーのシャーマン、コロンビアのクリオーソ、アメリカ人の医師の行動が彼ら自身、および社会における彼らの地位についての彼らの考え方の点で、そ して、彼らの専門的役割の遂行という点で、非常に異なっているように見えていても、実は非常によく似ているのである。我々の主たる非西洋的な治療者に関心 があるのであるが、合衆国や西洋で行われているような治療的インタビューを含めてできるだけ正確にそれらの類似性(と差異)を解明するのが、我々の通文化 的研究においては好都合であると思う。

 一般に合意されているように、治療的インタビューは、そのドラマにおける医者と患者の両方の演者を特徴づけるような役割関係、行動の規範、および承認さ れた期待という観点から、最もよく分析される。しかし、ウィルソンも指摘するように、医学的処置という限られたコンテクストにおけるこれらの役割関係のみ を考慮することだけでは不十分である。「《医者の役割》や《患者の役割》という言葉でまとめられる一群の行動や期待は……真空状態では生起しない。むしろ これらの役割は、文化的価値、医療外の活動、それらをとり囲む共同体のテンポと傾向といった環境的枠組に対してとても敏感である。健康や病いがそのような 顕著な人間の問題であるゆえに、医者−患者の相互作用を通じて、健康や病気に対処していくという努力は、その努力が行われる時と場所の影響を特に受けるこ とになる」(R.Wilson 1963:278)。どの治療的インタビューについての十分な正しい認識は、それが埋め込まれている文化的背景と、個々の行為者がそれに対してもたらす期 待についての知識を必要としている。

   医者と患者の役割についてのいくつかの特徴

 医者と患者の役割は、あらゆる役割が個々が他方を必要とするように、相補的であり、相互依存的である。患者なしにはどのような医者の役割も存在しない し、医者なしには患者の役割も存在しない。しかし、この相互依存性を越えて、2つの役割は明確に区分された4つの組の基本的次元、つまり限定的/普遍的、 恒久的/一時的、優位/劣位、自発的/非自発的によって分析される。限定的/普遍的次元では、どんな社会においても治療を行うことができると認められてい る人間の数は非常に限定されている一方で、それとは対照的に、人の一生のうちにいずれは病気に陥り、患者になることを道理上、誰もが予想できる。このこと は治療者の役割が厳しく制限されている一方で患者の役割は普遍的であることを示している。恒久的/一時的次元では、多くの治療者にとってその役割は生涯の ものであるのに対して、多くの患者にとってその状態は一時的であることを示唆する。優位/劣位の関係でいえば、どのような社会における医者−患者関係でも 明らかに支配/服従の序列を示している。治療者は責務を課せられている。決定を下し、手段を構じるのは治療者の責任だからである。患者は従わなくてはなら ず、ほとんど受け身の状態であり、もし患者がある治療者の注意を自分に向けさせたいなら、彼は治療者の指示に従わなくてはならない。

 自発的/非自発的について見ると、その対比は他の次元のように明白に特徴付けられない。患者の役割が続く限り、通常それは非自発的に見えるのである。あ る人々は事故や病気をこうむりがちであり、患者の役割が時には魅力のあるものであるにもかかわらず、大抵の病いは非自発的で望まれるべきものでないように 思われる。多くの非西洋社会では治療者の役割も非自発的なものであり、彼の力に合致するような精霊によって不本意ながらもある個人が治療者に仕立て上げら れる。ガブリエル・ミル(132頁参照)の話はこの精霊による「召命」のパターンというものが示されており、それは通常、シャーマンと精霊治療者および信 仰治療者の全ての形態において見られる特色である。しかし別の状況では治療者の役割は自発的であり、社会から提供される人生の選択肢の中からそれを意識的 に選んだ人々によって積極的に求められるものである。西洋の医者も当然このカテゴリーの中に入る。しかしアフリカの呪術医にもこのパターンが同じようにあ てはまる。授業料を支払う学生として受け入れる先輩の専門家について訓練を受け、勉強にはげむ。また、非西洋社会におけるほとんどの産婆 (midwife)、マッサージ師、整骨師、薬草師の場合もそうである。これらの技能は、奇跡的に与えられるものではなく、学習されるものである。

 文化の一般化を伴う事例では、ほぼ常にそうなのだが、例外を見つけることは可能である。このように歴史的に見て病いは通常一時的状態と考えられてきたが −患者が治るか死ぬかのどちらかだった−近年の感染症の制御と除去はますます多くの人々の生命を救っているが、彼らは後年慢性病の犠牲者となる。したがっ て、多くの患者の役割は恒久性によって特徴づけられる。また優位/劣位関係は進行中の医者−患者関係を特徴づけているのにもかかわらず、その権威の程度は 絶対的なものであるとはいえない。例えばカリフォルニア州の都市バリオ[スペイン語を日常語とする人々の居住区:訳者]であるサル・シ・プェデスのスペイ ン語を話す人々にとって治療者の役割は権威主義的ではない。「治療者は助言するかもしれない。しかしそれは命令ではない。患者の側の社会集団の権力のある 成員による裁定があった時にのみ、医学的な助言が受け入れられるだろう」(Clark 1959a:213)。

   治療役割における普遍性

 疾病理論の体系間における差異は質的なものである。例えば科学的概念はいうまでもなく、パーソナリスティク及びナチュラリスティクな因果論的概念はほと んど比較することができない。しかし、これは保健ケアの提供システムにはあてはまらない。この体系が依拠している原因についての仮定にもかかわらず、専門 家の前提条件、その自己イメージ、一般大衆との関係の様式という点で類似性を発見できる。注目すべきことはほとんどの社会において医者は明らかに医者であ り、彼の属する集団の他の人々と混同されることはまれである。通文化的視点に立てば、医者が共通性を示す重要な点としては、専門化、選抜と訓練、専門家に ついてのイメージ、報酬への期待、自己の力量への信念のようなことが含まれている。また、ほとんどの社会で、医者は一般大衆によって多少なりとも両義的な ものとして見られている。我々は順を追い、これらの共通の特徴について考察していこう。

1 特殊専門化

 西洋社会では医学の専門化はますます通例になりつつある。つまり内科、外科(それ自身多くの専門分野を含む)、心臓学、神経学、検眼、小児科学−このよ うなリストは毎年毎年増えている。さらに確立した医学の内部に専門化があるのみならず、第4章で述べたような精霊信仰、信仰治療、民俗医療のような代替的 な形態も存在している。伝統的社会において専門化の程度はそれほどでもないが、明確な治療の役割が認められないのは貧しい共同体である。例えば、フィリピ ンの農村地区では産婆(mananabang)、マッサージ師、あるいは整骨師(manghihilot)、および一般開業医(mananambal)が いる(Leiban 1962b:512)。それらの専門家を支える論理とは現代医学のものと本質的に同じである。

 別の社会では、シャーマンあるいは呪術医−よく訓練されていて通常は超自然的にその力を授けられる−と薬草師−自然法則には明るいが地位や行動において 専門的要素が少ない−との間に基本的な二分法が存在する。例えばナイジェリアのヨルバ族では、イファ・カルトの聖職者で占いと心理療法にすぐれているババ ラオ(babalawo)と薬草師オニシェグン(onishegun)の2つを我々は見ることができる。実際においてかなりの重複があるにもかかわらず 「全体的にはオニシェグンはババラオに比べて尊敬されることはなく、前者は普通の、より容易に見分けることができる異常を取り扱い、後者はより難しい診断 上の問題を受け持ち、患者に対してより根本的な養生法を指示する、ということが真相であろう」(Maclean 1971:75)。同様に(南アフリカのトランスケイTranskei族のコーサXhosa支族の一つである)ボンバナ(Bonvana)族においても治 療者に2つのタイプ、つまり占い師と薬草師がいる。超自然の媒介者である前者はまずもって診断家としての仕事をし、一人の患者はたった一度しか訪問しな い。薬草師はそれとは対照的に精霊との交流はなく、主要な治療者であり、治療のために自分の小屋に患者を宿泊させるが、それは3ヶ月にもおよぶ (Jansen 1973:35)。

 この基本的な二分法はケニアのカンバ(Kamba)族について記しているトマスによって明瞭に示されている。「占い師すなわち宗教的−医療専門家(ムン ドゥムエ mundumue)を他の専門家、すなわち薬草師や産婆から区別するよう特徴は、病気やその他の不幸の問題を解決するのにムンドゥムエが特徴的にウェ (ue)[超自然的力]を使用することができる点である。それに対して薬草師(ムキミ・ワ・ミティ mukimi wa miti)の役割はより狭く伝統的薬剤師−彼らは胃痛やリューマチのような特定の病気のために単数あるいは複数種の薬草を処方する−の役割に限定されてい る。薬草師は診断と治療の過程で超自然的力を利用することは主張しない」。ムンドゥムエとは異なり、薬草師は薬草(miti)を呪術的物質へ変化させるこ とはしない。「むしろ彼の専門は自然の状態で薬草を薬として処方することにあると考えられている」(Thomas 1975:270)。

 超自然力を持ったシャーマンや呪術医、薬草師、整骨師、産婆といったカテゴリーは非西洋社会では最もごく普通の専門家達といえよう。そして西洋において 医療の専門家達が威信の点で格付けされているように、他の社会でも地位の序列があり、超自然的能力を持つ治療者は他の治療者より上にランクされている。

2 選抜と訓練

 どのような社会でもごく一部の人々が所有する、あるいは所有すると信じられている治療技術がある。それらの技術(力というほうが適切な時もある)は取得 されなければならないし、取得する方法はそれぞれの社会で多様である。西洋社会では医学を勉強すること、つまり医者になることの決定はふつう個人的な選択 にまかされる。個人的選択と同時に親の選択が反映するにもかかわらず、より強力な「召命」がその決定の要因になることはほとんどない。長いトレーニングの 期間と彼が専門的な内容を習得したか否かの最終的な審査の後ではじめて新しい医者は患者を診察することを認められる。ある医者は他の医者よりも高度な技術 を持った者として認められるが、その差異が超自然的または呪術的力にどれだけ接近できるかの違いによるものとは考えられることはない。治療の能力は他の専 門職で得られるのと同様な方法で獲得される。そして、知性と一生懸命働く意欲が仕事に従事するための必要な資質になるのである。

 伝統的社会においても、すでに見たように、このような個人による決定がしばしば医療従事者になるきっかけとなる。例えば、薬草師や産婆は彼らの母親や他 の近親者からその技術を得る。興味を持って観察するうちに、薬草師は近くに生育している様々な植物、市場町の沿道に並んだ薬店で手に入れることのできる様 々な植物について学ぶこともある。彼らは患者に対する食物や薬草の効力に目を留め、そして同じような技術を持った人達と情報交換することもある。このよう な方法で彼らは身近な家庭治療者としての名声を築いてゆき、子供によくある病気、下痢、風邪、リューマチなどの治療を頼まれる。

 さらに高度に訓練された専門家達もまた、最初に合理的な決定を下してその道に入るかもしれない。スーダンのアザンデ族では呪術医になりたいと熱望してい る若者は名を成した年長の治療者にその旨を告げる。もしそれが受け入れられると、彼はその治療者について長期間にわたって勉強し、その授業料として頻繁に 値打ちのある贈り物をする。全ての他の財産と同じように呪術も売買されねばならない。呪術医になる際に、イニシエーションの重要な部分は呪術的な物につい ての知識と他の治療法の、師から弟子への伝授であり、それは授業料と引きかえに行われる。師より薬草や他の護符を含む呪術的な食物が弟子にふるまわれ、そ れを見習の弟子が食べる時に、知識と力が獲得される(Evans-Prichard 1937:202-215)。

 西洋、非西洋両方の民族の間で、超自然的要素は誰が治療者になるのかを決める点で一定の役割を果たす。スペインで最も重要な民俗治療者サルダドール (saludador)(「人を健康にする人」の意で、salud=「健康」に由来する)は、神の特別の恩寵であるグラシアを受けているが、これは出生の 状況から明らかとなる。この「恩寵」を受ける人とはまだ母親の子宮にいた時に泣き叫んだ人々であり(そして、母はその時にそのことを誰にも告げない)、幸 運な日、特に洗足木曜日(Maundy Thursday)と聖金曜日(Good Friday)生まれであり、そして同一の女性より生まれた第7子である。そのようなカテゴリーに入る人々は十字か、聖キャサリンの輪[周囲にスパイクの ある車輪:訳者]のしるしを、彼らの硬口蓋に持つと信じられている。双子もまた恩寵を持つものと考えられ、手のひらを置くことで治癒される特別な力を持つ のである(Foster 1953a:213)。

 カトリックの国々では、キリストと聖人は治癒させる、あるいは現世の人間に治癒させる能力を与える特別の力があると信じられている。これらの国々のよう な伝統的社会での治療役割の超自然的「選抜」や治療者の個人的資質をめぐる状況は、しばしばシャーマン的要素が加わってくる。メキシコの治療者で最も有名 なものの一つであるエル・ニーニョ・フィデンシオ(「子供、フィデンシオ」)はヌエボ・レオンという北部の州に住む。多くのスペインの治療者のように彼は 硬口蓋に十字のしるしを持っているという噂だった。シベリアのシャーマンと同様に、彼は女装して群衆を避け、ゆったりとしたガウンを着、調理したり、家を 掃除したりしていた。フィデンシオが子供の時に、彼は自分の弟に対して完全な責任を負うことになった。つまり弟が病気になり、彼が思案に暮れた時、一人の 男が戸口のところに現れて、自分が手にしている本には薬草の処方が書いてあり弟を治せる、と彼に告げた。彼は薬草を探してきて弟を救い、戸口に立っていた 男がイエスの聖心の像のように見え、疑いもなくそれはキリスト自身であると思った(Macklin 1967:532)。時とともに治療者としての彼の名声が高まり、とうとう人気のある「聖者」になった。今日彼の神殿は治療を求めるために出かけてくる巡 礼者の拝所となっている(Macklin 1974b)。

 最もドラマティックなのはグァテマラの都市でエスパント(espanto 恐怖)を治すインディアンの指導的な治療者、ガブリエル・ミルがどのようにして力を獲得するに至ったかという物語であろう。彼の出生の状況は奇蹟的であっ た−彼の母が陣痛の最中に空に火の玉が現れたのである−にもかかわらず、32歳になるまで彼の人生に何ら変わったことはなかった。それから一連の破局的な 打撃を受けることになる。すなわち彼の妻と5人の子供達は流行病で死ぬ。そして彼自身も何ヶ月もの間瀕死の状態で過ごした後、かろうじて生き延びることが できた。彼を世話してくれる女性もおらず、また彼自身働けなかったので、彼は町のはずれの丸太小屋で、汚らしい中で、隣人のわずかの慈悲に頼って生活して いた。彼はあまりにも衰弱していたので、水を求めて共同の泉に出かけていくこともできなかった。ある暗い夜、彼が棚状のベットで横になっていた時に、戸口 のところにかすかな輝きがあることに彼は気づいた。そして戸の外には、はためく青色のローブを着、小さな冠をかぶった約4フィートの身長の人間が現れた。

 サン・アントニオ(ガブリエルは家の祭壇の葉書からこの人物の名前がわかった)は、「アベ・マリア」と言った。「ラ・グロリアに近しい私の息子よ、おま えはずっと病気であった。私はおまえに頼もうとしてやって来たのだ。私は一人の病人を知っている。彼の病気がどのようなものか私に教えてほしい」。ガブリ エルは自分には治療することができないと言った。「おまえにはできる。拒否するでない」。その時サン・アントニオはスペイン語ではなくインディアンの言葉 で話していた。ガブリエルは眼には見ることができなかったが、子供のやつれた腕を感じた。子供の脈を見て、彼は言った。「この子供はエスパント(恐怖)に かかっている……彼は川にはまったのです」。サン・アントニオはガブリエルの肩を叩いて、「私の息子よ、これよりおまえは治療を始めるのだ」と述べたが、 しかし、ガブリエルは治療することを望みはしなかった。「待ってください、待ってください。サン・アントニオ、聖なる父よ。私は治療をやることを望まな い。この義務から解いてくれ。そんなもの持って帰ってくれ」。しかし、サン・アントニオと子供の腕だけが戸口まで空中を漂って行って、そして消えてしまっ た。「神の聖なる母よ、私は力を求めてはいない」とガブリエルは大声で叫んだ。そこには眼もくらむほどの閃光があり、ガブリエルは自分がベッドの隅に座っ ており、汗ぐっしょりになって心臓が波打ち、さらに早期の陽光がそそぎ込んでいるのに気がついた。

 その時以来、彼の力は再びよみがえってきた。一週間、あるいはそれ以上の間、毎夜サン・アントニオが戻って来て彼に対してその天職の基礎的な技術を教え た。自信が序々についてくるに従って、ガブリエルの反発は少なくなっていった。それから、彼は毎夜毎夜訪れなくなり、訪問の間隔が次第に長くなっていっ た。しかしガブリエルは、サン・アントニオが決してどこか遠くへ去ってしまったわけではないことを知っており、彼は時おり新しい技術を教えに帰って来るの だった。これ以来ガブリエルはエスパントの偉大な治療者になった(Gillin 1956)。

 キリスト教徒のイメージでおおい隠されているが、ガブリエルの経験(とその経験におけるインディアン的血統)は、アメリカやシベリアの土着民の間に広く 分布する治療能力の獲得の未開的パターンと一致する。これは強力な精霊による強制的な「選抜」であり、その精霊は人間の抵抗にうち勝って、その人が治療者 になるべきであると主張するのである。選抜のしるしはほとんどいつも重い病気であり、その病気は将来の治療者を死の淵まで追いやり、そして長くてゆっくり とした治癒の後に、その間に治癒の秘密が明らかにされるのだが、その治癒の後で初めて訓練は完了する。シベリア語起源のシャーマンという用語は「選抜さ れ」、重い病気にかかり、自分の精霊に対して親密な接触を維持している治療者のタイプについて記述する時に幅広く用いられる。シベリアのシャーマンでは治 療の最中に精霊に憑依される。

 北カリフォルニアのインディアンの間では、多くのシャーマンは女性であり、治療力が「痛み」の中に存在しており、それは治療者を選抜した精霊によって、 小さな無生物の物体がその治療者の体にうち込まれたものだとされている。シャスタ族では、シャーマンだった女の先祖が出てくる夢が選抜の合図となる。初心 者は毎夜そのような夢を見続けている間は、食肉を見たり、嗅いだりすることを避けた。つまり肉を食べたり、夢の意味の理解を拒否することは死につながると 信じられていた。この超自然的な連続的過程の次のステップは、彼女が目覚めている生活において、彼女の心臓に矢を向け、彼女に歌うことを命じる精霊が出現 することである。その初心者は発作を起こして地面に倒れ、その間に精霊は彼女に歌を教える。晩になって目覚めると、彼女は自分の歌を大きな声で歌い、舞 い、口から血を吹く。彼女は精霊の名と棲家を教わる。それからダンスがあと3日続いた後で、痛みがその初心者にうち込まれ、さらに再び硬直性の発作の後に 意識を戻し、痛みを自分の体からぬき取り、それが彼女の力の証しとしてその場にいた人々に示される。それに続く夜に、別の精霊が彼女に対して4、5回にも わたってさらに痛みをうち込む。彼女はそれを自分の体の中にたくわえておくが、自由に取り出すことができる。それでも見習いとして、彼女は治療のための装 備をためるために一年あるいはそれ以上の年月を費やし、その後に再び古参のシャーマン達の前で踊った。それから、彼女は完全な資格を備えたシャーマンと なった(Kroeber 1925:301-302)。

 フィリピンのネグロス・オリエンタルのシブランというキリスト教徒の農村地域では、多くの治療者の技術というものは、他の治療者の観察や教育によって学 ばれるが、治療者の中で最高の力を持つマナナンバル(mananambal)の場合は、能力を与えるのは「超自然的なものとの特別の結合」である。マナナ ンバルになれという召命は通常夢の中に現れる精界の中の誰かによって行われる。ある見習はこれに抵抗したかったが、その強制力は圧倒的である。リーバンは 一人の男性があらゆる単純な医療を実践してきたにもかかわらず、一人前のマナナンバルになることを望まなかったことについて述べている。ある時彼は友人の 病いを治療することを拒否した。自分にはその資格がないと感じたからだ。その夜、夢の中である声が彼に治療せよと命じ、もしそうしないとその病いを彼にう つすとおどした。しかし彼は拒んだ。3日目の夜、彼は同じような夢を見たが、依然彼は拒否し続けた。そうすると彼は夢に、処女マリアが川のほとりを漂って いる情景が見え、最初の夢の声が、もし彼が明朝河原を訪れなかったら彼自身が病気になるだろうと告げた。彼は言いつけを守り、夢で見たように実際にマリア が川に浮かんでいるのを見た。彼女は彼に微笑みかけた後消えたのである。このことが彼にとって自分がマナナンバルになるべき人だという確信をさせ、友人に 治療をし、回復させた(Lieban 1962b:512-513)。

 治療者になるという決定がなされるにもかかわらず、西洋の医師と同様に、土着の医師は、ふつう長期の訓練を経る。サラワク(ボルネオ)のイバン族では 「マナング(manang)になるための訓練はパート・タイムの勉強のために8年間を要することもある。彼は莫大な量の伝承、歌、呪文を学ばねばならな い。さらに重要なことは自分自身の守護霊を理解し操作する能力を持つようになねばならぬことである」(Torrey 1972:95)。イバダンの100人のヨルバ族の治療者達の研究では、40歳以下の者は僅か6人しかおらず、「独立して業を営むだけの資格があるという 自信がつくまでには、全員が相当長い期間にわたる弟子入りあるいは訓練を経ていた」(Maclean 1971:76)。他の事例では、ヨルク・インディアンのシャーマンで2年から、ブラックフット・インディアンやナイジェリアのババラオ (babalawo)医の7年に及ぶ訓練期間などがある(Torrey 1972:52)。

 非西洋社会と同様、治療が高度の技術にまで発達している非西洋社会でも、徒弟や見習治療者は、訓練のうちの古参の専門家による部分に対して料金を支払う べきものと期待されている。時にはそれは訓練そのものに対して支払われるように思われることもあるし、時には北アラスカ・エスキモーのように、シャーマン がよく使う必要な歌と呪文の所有に対する支払いと考えられることもある(Spencer 1959:302)。歌やその他の呪文に固有の力というものは、相続あるいは購入によって獲得することができるような売買可能な商品であった。アフリカの アザンデ族では、呪術的力は先生から若い徒弟に対してふつう支払いと引きかえに伝えられる。エヴァンス−プリチャードは、経験豊富な同僚の敷地内に集めら れた7、8人もの生徒が訓練を受けているのを見たと報告している(Evans-Pritchard 1937:206)。

3 資格授与

 現代西洋社会では、科学的に訓練された医者達は、医療を始める前に資格を得なければならない。法的な資格が州からおりるにもかかわらず、この権威は究極 的には、医療専門職の成員の評価に基づいており、彼らが新しい医師の能力を保証する。しかし、法的な資格というものが相対的に最近の概念であることを忘れ てはならない。アメリカの多くの州で、南北戦争後かなり後まで「医師」とは、自らそう名のりたい全ての人のことだったのである!

 いつもというわけではないが、しばしば非西洋社会の見習治療者は、訓練期間を完了した後古参のシャーマンによって儀礼的に治療者として認定される。この 「加入札」は、踊りや儀礼的葬儀を含むが、アザンデ族のそれが報告されている(Evans-Pritchard 1937:239-242)。カリフォルニアのシャスタ・インディアンでは、右に述べたような選抜と訓練の後、訓練期終わりに友人をダンスに招き、女 シャーマンは彼女が完全に専門的能力を有していることを宣言した。「ダンスが行われている間、彼女に精霊が再び現れ、彼女があらかじめ用意していた呪具を 検査した。3日間のダンスの後に、その見習は完全な資格を備えたシャーマンとなった」(Kroeber 1925:302)。
 
4 専門職のイメージ

 どのような社会でも、治療者は、自分達の専門に関するイメージ、役割、社会における位置について強い意識を持っている。行動、服装、それ以外の装具を通 して、彼らはふつう、この専門のイメージを強化するよう努力する。ちょうどシベリアのシャーマンが精霊を呼ぶタンバリンなしでは途方にくれるように、西洋 の医者は白衣と聴診器なしでは専門家ではないように感じる。西洋の医者達の間でさえ専門科目に応じてイメージの差がある。例えば、精神科医は「他の医学の 専門科目の同業者とはかけ離れた位置に立つ。彼らは異なった着こなしをし、あごひげを生やし、外科医か小児科医と混同される危険はほとんどない」 (Torrey 1972:51)。非西洋の諸民族の間で、入念に仮面によって変装し、踊ることによって悪霊を取り去る呪術医の漫画的ステレオタイプは誇張ではあるが、 (産婆や薬草師と比較して)超自然的力を持つ専門的治療者は羽根、ガラガラ、ドラム、トウモロコシのひげなどのような共同体の他の成員から彼らをはっきり と際立させる儀礼的用具を持っている。

 治療者はコスチュームや行動などの点で彼らの専門外の友人とは際立って異なっており、明瞭な心理学的特徴によっても特徴づけられる。シベリアとアラスカ のシャーマンの調査をしている民族学者達は一致して、神経症的または精神病的ですらあるような性格特徴を持つ個人は治療者の候補者となることが最も多い、 ということを認めている。実際、西洋社会で危険な逸脱者という烙印を押されるようなパーソナリティ特性が非西洋社会では有能な治療者の経歴へ進むための必 要条件と考えられている。そして、それらの性格が若い年齢時に子供の中に現れると、グループのメンバーは非常に幸運なことだと感じる。

 神経症や精神病的気質が合衆国では医療という経歴へ進むための特別の資質と見なされることがほとんどないにもかかわらず、医者は大きなストレス、他のほ とんどの専門職の成員のストレスよりも大きなストレスのもとで生きていることが知られている。勤務時間は長く、しばしば不規則であり、さらに多くの決定が 文字通り、生と死の事柄だということを常にわきまえておくといった一定の緊張が存在する。多分、このような状況が理由となって合衆国の医者の自殺率は、素 人のそれに比べて高く、何人かはアルコールや麻薬の脅威に常にさらされている。精神科医もまた大きなストレスの状況下で仕事をしている。(患者の)抑うつ と不安という場面で彼らは専門家的生活を送っているだけでなく、しばしば同一の患者を数ヶ月あるいは数年間も診なければならないにもかかわらず、その「治 療」の証拠は、例えば虫垂切除術後の回復に比べてあやふやなものである。どのような理由にせよ、精神科医の自殺率は、それ以外の医師の2倍であり、さらに 薬物嗜癖の比率が比較的高いのである(Torrey 1972:40)。

5 支払いに対する期待

 多くのアメリカ人の間で、とりわけ「体制」(establishment)医学にかわって「代替的」(alternate)治療体系に目を向ける人々の 間で、非西洋の治療者は金のことにはほとんど執着しないと広く信じられている。西洋的な医師の特徴として金にうるさいことが挙げられ、未開の治療者と比較 される。未開社会の治療者は人間の福祉に対して西洋的な医師よりも大きな関心を寄せると思われている。ほとんどのステレオタイプと同様に、これらのことは 真実からはほど遠い。あらゆる社会で治療者は何らかの形の代償を受ける。つまり部族や農耕民族というものは、むしろかなり現実主義的で、同胞のためという それだけの理由で治療者が治療してくれると期待することはない。支払いの種類やその量は非常に多様であり、当然のことながら専門家としての訓練の時間と費 用、どれだけ能力が神の「恩寵」に由来しているのか、市場が何を提供しているかといった要因に左右される。

 薬草師、メキシコのクランデーロー(curanderos)、そしてしばしばエチオピアのザール崇拝の司祭者のようなより専門化した治療者 (Torrey 1972:94) の間では、治療費は患者が希望する額であればいくらでもよい。特にキリスト教社会では人類の幸福のために僅かの選ばれた人々に対して神が特別の力を授けら れるという強い信仰が存在する。そのように選ばれた人がその力を用いた援助の見返りとしてお金を請求することで私腹を肥やしたならば、その能力は神によっ て取り去られてしまうとされている。しかしこの関係を悪用する患者はまれである。というのは、もし患者が何らかの形の返礼をしないならば、彼にはそれ以後 はその患者を受け入れる義務はないからである。おそらく、少額の料金を支払うというのが実情である場合の方が多いであろう。チンツンツァンのドニャ・ナ ティビダト・ペーニャは子供のエンパチョ(empacho)、とりわけ6月ごろ採れる未熟な桃を食べたために起こるとされている便秘の治療に優れた技術を 持つと評判がある。それで、6月にはしばしば6人あるいはそれ以上の母親達が玄関で治療の順番を待っている姿が見られる。「まるで医者の診療室のようだ わ」と彼女は笑って言う。1974年では彼女の施術の標準料金は5ペソ(40セント)であった。

 よくあるステレオタイプと一致する民俗医療の治療者像がマーガレット・クラークによって描かれている。彼女はカリフォルニアのメキシコ系アメリカ人居住 区(enclave)のクランデラ(curandera)のパウラと彼女の患者達について述べている。「パウラが病人を診るように頼まれた時……彼女はク ランデラとしてと同時に友人として呼ばれるのである。人々は彼女が自分達の一員であり、彼らに起こったことを本当に心配し、彼らの福祉を心から願っている ことを知っている。……患者は彼女の家へ連れてこられて、彼女は自分の台所で患者とあいさつを交す。その台所には彼女の商売道具−ミント、ローズマリー、 シナモン、コリアンダー−の香がほのかに漂っている。パウラのマナーは彼女の台所兼診療所のように温かで友好的である。彼女は必要な礼儀を守り、いつも自 分のクライアントが礼儀正しいと思うように振舞う……[彼女が他家を訪問する時は]彼女が家族とともに腰かけ、一杯のコーヒーを飲んで、仕事にとりかかる 前に簡単なおしゃべりをすることが期待されていることを知っている。……礼儀正しく育ちの良い人は物事の核心に単刀直入に入らない……《上品な》間隔を置 いてから、病気について話をし、患者を診ることが許される」(Clark 1959a:208)。

 パウラの診断は患者についての予備知識、隣人のゴシップ、患者の眼を見ること、脈診、患者の腹部やふくらはぎの触診を基礎にして行われる。「診断はふつ う、患者と彼の家族にはよく知られているものである。−患者はススト(susto)やエンパチョ(empacho)あるいはビリス(bilis)にかかっ ているとか、アイレ(aire)やマル・オホ(mal ojo)に悩まされているとかである」(同書)。

 治療は複雑ではない。つまり局所治療や家族でのケアの指示である。親類縁者は自由に指示をしてよく、パウラは何かせよと命令しない。彼女は自分のサー ヴィスに対して全く、あるいはほとんど報酬を要求しない。もし患者の容態が重いものであれば、彼女は、やさしくてあまり金のかからない医者に診てもらうよ う勧める。クラークの言うところでは、処置にかかわらず、患者はほとんどの病気から回復するので「パウラの療法はしばしば有効に働き、彼女は感謝深く熱心 なクライアントを得ている」(同書、209)。

 おそらく、素人や人類学者の中には非西洋の治療者の患者に対するアプローチをセンチメンタルに扱う傾向が存在する。治療者は−パウラのように−いつも暖 かく、親切でかつ援助的であるという仮定がそれである。しかし、パウラは全て、あるいは大部分の伝統的治療者の典型であると考えるのは誤りである。実際に は、非西洋の治療者に見られる人格、患者に対する態度、専門家としての作法の範囲は少なくともアメリカの医者の間で見られる範囲と同じほど大きい。アメリ カの医者でも、病床で暖かく患者を扱うものから症例の臨床所見のみにしか興味を抱かないような、高給取りの専門医まで様々のタイプがある。ほとんどの冷淡 なアメリカの医者と同じくらいに、非西洋の治療者は時には近づきがたいこともある。例えば、合衆国において、いったいどれくらいの人々が次の数行に述べら れているアパッチの治療者のような医師を求めるであろうか。「シャーマンの助けを求めるアパッチ族の者は、もし自分が施術者の手に自らを無条件にゆだねる という覚悟がなければおよそ耐えがたいようなところまでへり下って見せなければならない。病者かその代理の親類は最も卑屈な方法で彼に近づかなければなら ない。シャーマンが実際の親類であるなしにかかわらず彼は親族用語でシャーマンを呼ばねばならず、シャーマンの足もとに儀礼用のタバコを置き、シャーマン の力がどれだけ必要か、特定のシャーマンの儀礼に対して絶対服従をする旨を告げなければならない。『あなただけが私を救う。今、私を見捨てないで』は、嘆 願の結びである。シャーマンはそう言われて思案する。彼は以前の患者の忘恩や義務の重圧についてぶつぶつ不平を述べる。十分にもったいぶった間をおいてか ら、シャーマンはばか丁寧にかがみこんでタバコを拾い上げ、吸う。それは、そのケースを引き受けるという合図である」(Opler 1936:1375)。
 パウラの気軽で援助的なマナー、最低の料金とは対照的に、シャーマンや呪術医(伝統的世界の真の専門家)の間では、治療はしばしば冷たく打ち解けないば かりか、値段も現代のアメリカの標準に照らしても驚くほど高い。北アラスカのエスキモーでは「支払いとして、セックスの相手として妻や娘を差し出すことが 認められている……うまくいった治療に対する平均的な支払いはウミアク(umiak)(女のボート)といわれ、原住民の文化から見ると相当に高い謝礼であ る」(Spencer 1959:308)。いくつかの社会では治療者は患者を診る前に実際に料金を支払うよう要求する。これは多くのアメリカの病院での入院手続と驚くほど似て いる。カリフォルニアの原住民ユキ・インディアンの医師が呼ばれた時、患者の家屋内で一本のロープが張られ、そこにビーズ、毛布、籠などの高価な品がかけ られた。もし彼の治療が成功したら、これらのものは全て彼のものになる。差し出された品物が彼にとって不満であれば、それは、患者を診ることを拒否する根 拠となる(Foster 1944:214)。アパッチのシャーマンは患者に全霊を傾ける前に、自己の「力」に対する支払いとして四つの儀礼的贈り物を要求する。代表的な「贈り 物」として、花粉の入った袋、疵のないシカ皮、柔らかい鷲の羽毛、トルコ石一個がある(Opler 1936:1375)。

6 力への信仰

 どのような社会でも力を持つと認められた治療者には大きな威信が与えられる。医学の実践は(歴史的に外科の場合を除いて)、ほとんど常に高い地位と関連 している。また、どのような社会でも、ほとんどの治療者達は自分達の力を信じている。シャーマンが正直であるということはしばしば西洋の批評家からは疑問 視されてきた。なぜなら手品や他の形のトリック−彼らの技術では重要な付属品なのであるが−は西洋社会では医者によって用いられる時、非専門的な行為と見 なされる。侵入してきた病気の実体である「痛み」を診断するカリフォルニアのシャーマンは、正しい診断と治療の成功の証拠として血まみれの水晶の結晶を取 り出す。実は彼は口に水晶を含み、血を出すために頬の内側を噛んだのである。彼は香具師か、山師だろうか。そうではないというのが一致した意見である。医 者は患者の心を落ち着かすのによいと思う時には偽薬を使うことを躊躇しないからである。

 サラワクのイバン族のマナングを評してトレイは他の類似のケースについてもほぼあてはまると思われる結論に達している。「彼らの中の3人との会話によっ て、彼らは絶対にトリックを用いないわけではないが、彼らはしかし患者を扱うという信念からそれを使っていることを私は確信した。彼らは患者の魂が消失し たことを絶対に疑わないし、それを取り戻すのに助けとなるものはなんでも不正直ではないと信じている」(Torrey 1972:97)。(西洋社会と同様)未開および農耕社会でもある種の欺瞞、つまり、利潤のために仲間の欺されやすさをたてにとる無節操な土着の治療者が 存在するのは確かだが、多くの治療者は、自己の能力を完全に信じているように思われる。すなわち、人がほぼ意志の力でトランス状態に入ることができるとこ ろでは、人の魂が離れた所へ旅行し、盗まれた魂をその所有者、すなわち患者に返すために、それが捕われている場所を捜し出すという信仰に欺瞞的なところは 全くないように思われる。誰もが多くの種類の精霊を信じているような社会では、夢、トランス、あるいは発作の中で、それらと交流することが可能であるため に、自己欺瞞は必要ではない。科学的な訓練を受けた医師が訓練を受けていない仲間以上に、治療科学を駆使できると思っているのと同じように、ほとんどの土 着の治療者も自己の能力に揺るぎない信念を持っているのである。

7 公衆の態度

 もう一つの点でも、強力なシャーマンや呪術医は西洋社会の医師に似ている。彼らはしばしばクライアントから両義的な感情をもって見られる。全ての社会 で、我々は困った時に彼らに頼る。つまり、彼らが我々の最後の望みなのだ。彼らが他の人々よりも優れており、能力があり、技術に熟練していてほしいと我々 は思う。合衆国では、医師が、自分達を神様と混同しているんじゃないかと我々は批判するが、それでも危機的な時には我々は彼らに神を演ずるように強く要求 する。その役割を我々は彼らに押しつける。しかし同時に、我々は、これらの「神々」を批判することがある。おそらく、彼らがどのようにして−他の人の!− 治療をしくじったかを聞いて我々は歪んだ満足すら覚えることもある。著者達が多年にわたる授業で得た学生のコメントから判断するならば、アメリカの医者の 自己イメージ、すなわち温情主義で親切で、困った人は誰でも常に喜んで救い、必要な人ならば誰でも良い治療を受けることができると純粋に信じている家庭医 というものは決して真実ではない。「医師の仕事がますます単調で事務的なものになるにつれて、彼は患者の絶対的な信頼を要求する権威を失い、それによって 彼の成功の本質的要素を失っていくことは、ありうることだし、その可能性は高い」(Myerhoff and Larson 1965:191)。

 現代アメリカ、カリフォルニアの土着民、北アラスカのエスキモーといった、色々な社会で、医師に対する態度が両義的感情を特徴とするのはなぜか。その答 えが医者の力の統制や行使に関係しているように思われる。どんな社会でも、人々は、潜在的なものであれ現実のものであれ、自分たちに力を振う人々に対し て、恐れ、したがって嫌悪、不信の感情を示す。時に、平均的な人がこの力の本質について不完全な知識しか持ち合わせていない時には、なおさらである。

 多くの非西洋社会でシャーマンや呪術医が恐れられている理由は、悪意のある邪術師と正義の治療者の役割が区別されていないことである。例えば北アラスカ のエスキモーのシャーマンは治療者と医師の役割を果たす。しかし同時に、彼が病気を起こすことができた−そしてまた、起こした−という理由から、彼の存在 は「恐れと不安を生む」ものであった。「人々は、どこまで彼を怒らせると、彼の復讐を招くかを知らなかった。さらに、彼は自分が病気を治してそこから利益 を上げるために病気を引き起こすこともできた」(Spencer 1969:299)。カリフォルニア土着民であるヤクート族と西モノ族シャーマンについても同じようなことが見られた。「良い目的のためにも、悪い目的の ためにも超自然的要素を操作することができるとされる彼の能力は、彼自身を曖昧な位置に置くことになった。医者は恐れられると同時に尊敬されもした。要 は、彼が恐れられるよりも尊敬されるのか、あるいはその逆であるのかは、全く彼の個人的性格に依存するのだった」(Gayton 1930:388)。

 中央および南部カリフォルニアの諸部族はシャーマン的力を情け深いものにも悪意のあるものにも、どちらにもなりうるものと見なしていた。「所与のシャー マンが死をもたらすかあるいは死を妨げるかは単に気質の問題である。この彼の力はどちらの方向にあっても同等である。大部分というわけではないが多くの病 気は敵意か悪意のあるシャーマンによって引き起こされる。つまり、呪術と医者の力は分離することなく結びついているのである」(Kroeber 1925:203)。普通の人々は呪術に対しては絶対的に無防備なのではなく、あまりにも多くの失敗を起こしていると思われる治療者は一般の人々の復讐の 標的になることもある。クラックホーンはナバホ族の状況について次のように言う。この状況は多くの他の民族にもあてはまる。「歌手(=現地の治療者)に対 する感情はいつもいくらか両義的な傾向を持つ。一方では彼らが高い威信を与えられており、その需要も多く、多額の金を受け取ることもある。他方、彼らは恐 れられており、いつ生じるかもしれない不信の瀬戸際にいつも立たされている。歌手はあまりにも多くの患者を失ってはならないのだ」(Kluckohn 1944:120傍点筆者)。同様にカリフォルニアのシャスタ・インディアンでも「繰り返し不成功に終わっているシャーマンはお決まりの運命、つまり正当 化された暴力による死を与えられる」(Kroeber 1925:303)。

 当然のことながら、土着の医師が呪術師にもなりうると見なされるところでは、医者はケースの選択をする際には注意深くなる。例えばアパッチ族では、 「シャーマンは全く希望が無くともあらゆる患いの治療を引き受けるほど、自己の超自然な力への自信と誇りに欺される間抜けではない。そのような無節操な施 術者はすぐに名声とクライアントをなくした自分を見出すことになる。熟練したシャーマンは抜け目なくそして用心深い人間であり、彼は重篤な器質的障害を発 見するのに十分なほど病気や死を目撃してきているのだ。そして、彼はたびたびそのようなものの治療の責任を引き受けることをとても嫌がる。多くの場合、 シャーマンは患者に『あなたは私を呼ぶのがあまりにも遅すぎた』とか『あなたの中の徳はすでにもうほとんど死んでいます。私はあなたを救うことができませ ん』と告げて去るのである」(Opler 1936:1372-1373)。

 チアパスのあるマヤ人の村でも、クランデーローはやはり用心深い。家族に付き添われてきた患者は治療者の家へ酒、チョコレート、パンを持ってくる。その 患者を引き受ける前に、治療者は患者の脈を診て、病気の重さを評価する。もし患者の病気が進行しすぎて治すことができないと感じたら、彼は治療を拒否す る。例えば、麻疹の場合はしばしば拒否される。ほとんどの治療の一部をなす水浴の技法がしばしば死をもたらすように思われるからである(Nash 1967:132-133)。

 ほとんどの病気が呪術のせいだとされる社会では、呪術を統制し、それと戦うことのできる専門家が、自分の必要にかなう場合は自身が呪術を行うのに必要な 知識を持っていると人々が考えるのは当を得たことである。同じ理屈で、病気が自然の原因の結果であると信じられている時は、治療者の役割がより恩恵を与え るものと見られるのは当然である。ヒポクラテスの誓いは、新しく医者になる者が自分の患者を決して傷つけず、患者の最善のみを心に抱いて仕事をするという 誓いであるが、それは、疾病が悪人や悪霊によるものではなくて、自然の原因の産物であると、歴史上初めて理解することのできた知的世界の産物なのである。

治療・公共性・プライベート

 これまで我々は、西洋社会および伝統的社会の両方の治療者とその医療の実践を特徴づけると思われる共通の要素を強調してきた。しかしそこにはまた重要な 差異もあり、患者が処置される社会的雰囲気という点での差異ほど顕著なものはない。西洋では「日常の診療はプライベートに行われる。医者以外の確立された 専門職では、仕事は、オフィスで行われるのと同じくらいしばしば法廷、教会、講堂といった公共の場で行われる。しかし医者の仕事は閉じられた診察室か病室 の中で行われるのがその特徴である。さらに、医者は通常、集会やクラスに対するよりもむしろ個人に対する個人的サーヴィスを行う」(Freidson 1972:91)。ウィルソンは医者−患者関係を司祭−教区民(priest-parishoner)関係にたとえながら、「2つの関係におけるプライバ シー」に関して同じ気持ちを述べている。「救済を扱うにせよ癒しを扱うにせよ親密な契約が必要だと想定されている。魂あるいは自我のいかなる探究にも不可 欠の自己開示は保護された状況を必ず必要とする。医師の診察室は、中世の大聖堂のような犯し難い聖域の現代版としてふさわしいといえるだろう」 (R.Wilson 1963:289)。科学的な訓練を受けた医者の診る患者は病の治療においてプライバシーを要求し期待する。例えば、教育病院ではプライバシーの権利はと きどき疑問の余地があるように思われるが、それでも誰も−医学校の教授も患者も−治療が公開のショーであることを期待しない。

 非西洋社会でもプライバシーは優先していることがある。しかし、おそらくしばしば診断や治療には、西洋流のやり方とは非常に異なった公共的な側面があ る。例えばハーパーは南インドのマイソール州のシャーマン的な降霊会について完全な記述をしているが、その会には寺院のベルとドラを鳴らして集められた 35人ぐらいの人が参加した。そのうちほとんどが健康問題に関係していたが、その19例がシャーマンに提示されると、彼は集まった会員を見渡しながら、治 療を処方する(Harper 1957)。西洋のパターンとこれ以上対照的な事例を想像することはほとんどできない。アザンデ族の状況もこれに似ている。つまり「太鼓によって先ぶれさ れ、伴奏される、公共の場で催される」降霊会において呪術医は診断を下す。「それらの公共の催し物はその地方の重要な出来事であり、近隣に住んでいる者達 は、それらがちょっと出かけるに値するような興味をそそる見世物であると見なしている」(Evans-Pritchard 1937)。ナバホ族でも同様に、人気のある歌謡が多くの人々を引きつける。それらの歌謡は冬期に催され、2、3夜続けて行われるので、訪問者達は自分の 寝具を用意してくるのである(Reichard 1963:120)。

 南インド、アザンデ族、ナバホ族でのような公的な治療儀礼は単なる文化的伝統以上のものを反映している。我々が見てきたように多くの非西洋社会では、病 いはふつうに科学的病因論の一部とは思えないような社会的次元によって特徴づけられている。患者は彼らの自然的および社会的環境との調和を失ったのかもし れず、彼らの病いはしばしば社会の網の目の中でのストレスや悲哀を反映しているものと解釈される。したがって、治療の目的は病人を健康な状態に回復させる という限られた目標を超えて、はるかにそれ以上のことにまで及ぶ。それは集団全体の社会的治療を構成し、病いを引き起こした対人関係上のストレスが癒され つつあることを全ての目撃者に再認させる。病いがパーソナリスティクな立場から、神、幽霊、精霊、呪術者の怒りを原因とすると説明されるような社会でも、 治療者の力を公共の場で示すことは見物者達に次のことを再認させる。悪に向かう現世の力と超自然的力に対して自己を守る方法を人間は持たないわけではない ということを。

 他の状況では公的あるいは半公的な治療はそれ以外の目的を反映していることもあるし、あるいは医者と患者の便宜以外のいかなる目的も反映していないのか もしれない。ナイジェリアのイバダン族の場合はまさにそうであろう。そこでは「ハウサの床屋外科医(barber-surgeons)は通行人からまる見 えの戸外で古くからの商売に精を出す」。手術台は木陰の藺草のマットであり、手術道具は袋の中の剃刀のセットと吸角療法のための大小とりそろえた角である (Maclean 1971:65)。メキシコの農村や小さな町では、ナイジェリアほどではないが、やはり公開的な面がある。患者の友人や親戚が決まって手術室に入ることを 許される。しかしこの実践の理論的根拠はインド、ナバホ族、アザンデ族の公開の見世物形式とは著しく異なる。後者の場合、シャーマンや歌い手の力と献身は ほとんど問題にならない。メキシコの農村では治療の証拠が論争の余地のないものとなるまでは、他人−特に知らない者−の技能と動機に対して好ましい評価を 差し控えるのは思慮深いことだと考えられているので、外科医やそのチームが完璧にそして効果的に働いたかどうか、手抜きをせず、患者の生命を救うためにで きるかぎりのことをしたかどうかを、医療関係者以外の者が手術室へ行って、患者の弁護人として調べることが許される。そして、患者の回復が完全な時には、 このような人達はその外科医の歩く宣伝マンになるのである。これと同じ文化的背景において、患者は家庭でも病院でも、決して一人で放っておかれることはな い。部屋に押しかける善意の人々の数は患者の容態の重さに直接比例して変化する。ひどい場合は、死に行く人の離れ行く魂が多勢の人々の混雑の中で自分の道 を見つけるのは、部外者には、奇跡と思われるほどである。

治療的インタビューでの役割行動

 キングは治療的インタビューでの医者−患者関係の本質をとらえて、次のように指摘している。患者は医者が検査する受動的存在ではなく、また、そこで微生 物が生育する不活発な宿主でもなく、さらに、部品が機能不良になったり消耗してしまうような機械でもない、と。むしろ患者は能動的存在であり、医者は病気 を処置する時にはこの患者とともに、そしてこの患者を通して仕事をするのだ。「生物学的機能不全と分かちがたく結びついているのは患者の疾病や傷害に対す る情緒的反応であり、それはあらゆる意味での社会的な規範、価値、期待によっておおわれている。疾病の処置とは……社会的相互作用の過程なのである」 (King 1962:207傍点筆者)。

 治療的インタビューは多くの異なる社会で観察されてきており、そこで発見されたパターンは驚くほど似ていることがわかっている。注目されているこの種の 相互作用は、文化的マトリクスの中にのみ基礎を持つのではなく、関係それ自体の中に固有のもののように思われる。全ての文化的に型取られた社会的相互作用 におけるように、患者と医者の両方がこの場面でどのように振舞うべきかについて明瞭な考えを持っており、また相手がどう振舞うべきかについても同様に明瞭 な考えを持っている。中流上層のアメリカ人の患者と彼らの医師のように、これらの役割期待が本質的に一致している時、医者−患者の面接は相互の期待がかな り異なっている時よりもかなりお互いが満足すべきものになりやすく、治療の成功へとつながりやすい。患者と医者が、社会的階級、民族所属、文化的自己帰属 の点で異なる場合のように、役割期待が一致していないと、医師−患者関係はよりお互いの満足や、治療の成功が少ないということが明らかになっている。

 その問題は次のような一連の問いにより解き明かすことが可能である。つまり「合衆国での医師と患者の相互の期待とは何か。非西洋ではどうか。これらの異 なる期待が、科学的に訓練された医者と(科学という点では)ソフィスティケートされていない患者を含む治療場面でぶつかったとき、そこで何が起こるだろう か」。過度の単純化の危険はあるが、社会的経済的階層の上端に位置する患者を取り扱う時、アメリカの医者は患者との関係が続き、その中で患者の信用を保 て、患者が彼の指示を注意深く守ることを期待する。彼はまた、患者が不平を言わずに支払いをすることを期待し、そしておそらく、自分の仕事に患者がある程 度の感謝の念を持つことを期待する。医師は、患者に関する記録をずっとつけ、診断の助けになる数多くの質問をし、必要に応じて患者を診察し、その必要があ れば、臨床検査やX線検査に患者をまわすことを期待する。患者の期待も同じであり、患者はそれらの行為の全てが合理的であると考えている。

 当然のことながら、このモデルは極端に単純化されている。内科医から必要に応じて患者を送りつけられることのある外科医、整形外科医、その他の専門医の 場合より、(昔の家庭医の現代版である)内科医のほうがこのモデルにうまく合致する。非西洋社会でも、医者−患者の期待についてのいかなるモデルも極端に 単純化されているに違いない。しかし、西洋での実践にたとえられるような基本的な対照がある。(薬草師とは対照的に)シャーマンまたは呪術医の期待は、我 々がすでに見たように、多くの点で科学的医師のそれと大した差はない。しかし、前者は引き続いて西洋の医師による治療を受けられるよう患者にとりはからう ことがないという点では、差異は大きい。シャーマンは患者から服従を、彼の指示を守ることを、さらにそのサーヴィスに対する支払いを期待する。少なくと も、多くの社会で、シャーマンは患者が時折自分のところへ戻ってくることを当然想定してもよい。差異が大きいのは、本来の関係という点よりむしろ診断の領 域においてである。つまり、患者の症状、それが見られた期間、病気の原因と性質を決定することに関係があるかもしれない全ての情報についての詳細な説明を 患者に求めることはシャーマンや呪術医の場合はまれである。クジを引くといった占いやトランス状態での超自然との交流を通して、シャーマンは、何が問題な のか、より適切には、既述のように、誰があるいは何が病気の原因かを自分自身で発見することが期待されている。なぜなら治療は症状に向けられているという よりも、原因のほうに向けられているからである。結局、その種の技能に対してシャーマンは支払いを受けるのである。

 したがって、今述べたような期待を抱いた患者が、彼のとはかなり異なる期待を持った医者に相談したら、よくて混乱、悪くて信頼の完全な喪失が起こるだろ う。ジャンセンは、治療的インタビューに関してボンバナ・コーサ族の医療での問題を詳細に描いている。その土地固有のパターンに従い、病人とその仲間は占 い師の家まで一列をなして歩いていくが、その時手に長い棒を持ち、頭に一束の衣服をのせる。そのことで彼らの目的を示す。「占い師が面接を始める時彼はあ て推量から始める。彼は患者/親類とのインタビューによって《病歴》を聴取するものとはされていない。反対に、彼の方が患者とその病気の原因についての全 ての質問に答えなければならない」(Jansen 1973:43)。「部族の人々は、自分の病気について十分な説明ができるように、施術者達から訓練されてはいない。反対に、コーサ族の占い師はウク−ヴ ミサ(uku-vumisa)[占い]の過程で患者の隠れた苦痛について述べ、ついで診断と解釈へ移る」(同書、84)。

 治療者の役割にこのような期待を抱いている患者にとっては西洋医学の質問は難しく混乱させられるものである。「部族の医学においてはインタビューは知ら れていない」とジャンセンは言う。コーサ族においてはインタビューは裁判に関する事柄、家畜の登録、税、その他の、彼らの政治的服従という位置において、 疑惑をもって見られるような話題に関係している。ジャンセンは次のようにつけ加える。西洋医学では、歴史は我々の思考における一つの根本的概念であり、我 々の歴史的に構造化された思考の一つの反映である。かくして、病いは、少なくとも潜在意識的には、一部には歴史的取り扱いを必要とする[歴史的]出来事と して見なされている。それに対して、「(コーサ族の)占い師の神話的アプローチは、西洋の直線的時間概念とは反対の循環的時間体験の一部として人生を見て おり、病気を人の人生における歴史的出来事として理解しているのではない」(同書、73)。

 これら全ての理由から、助ける前に多数の質問をしなければならない西洋医学の医者は深い疑いをもって見られるのである。「あなたのお名前は」という単純 な質問でさえ、しばしば相手に不信を引き起こす。それは部族民の日常生活では「常ならぬ」質問であり、幾人かの年長の患者はこれに関する情報さえ言うこと を控えるのである。ジャンセンが「どこが悪いのですか」という質問で面接を始めた時には、「私ではなく医師がこの質問に答えねばならないのではないか」と いう答えが返ってくることがしばしばだった(同書、81)。

 ジャンセンはまた、治療者がどれくらい患者と過ごさなければならないのかということについての医者−患者の見解の相違からくる問題についても指摘してい る。西洋的な時間感覚のないボンバナの患者はのんびりした面接を期待している。ここでは効率は治療の過程における要素とはならない。それに対して、医師は 自分の時間を効率的に使うことを訓練されており、この期待は、待合室の長蛇の列を見ると、基本的な必要事項として再認識される。「たぶん、我々はボンバナ の患者と話す際にしばしば誤りを犯してきたのだろう。それは我々が彼らにとってあまりにも早いギアで彼らとのコミュニケーションを進めるという誤りを」。 しかし、彼は次のように付け加えているが、この点ではただ彼に同情するのみである。「忙しい診療の日々は、我々の西洋のペースをボンバナの生活ののろいテ ンポにもっと合わせるのに理想的な時間ではない。不幸にも、約100人の患者の一群が我々の出張所の一つで医者に診てもらうのを待っていた時、《急ぐ》の はほぼ避けられないことである」(同書、77)。

コミュニケーション

 治療的インタビュー、西洋および非西洋という背景、通文化的医療の実践で出会う全ての困難のうち、医師−患者のコミュニケーションに関連する問題がおそ らく最も普遍的であろう。この問題の本質は、小話、それも、もし恐ろしくまじめなものでなかったとしたら、ほとんど滑稽話といってよいものの中で捉えられ ている。カリフォルニアのアングロ系のある公衆衛生医は、メキシコの一人の母親に、最も洗練された患者ですら理解に苦しむような言葉で、どのようにして幼 児の離乳をさせるかをアドヴァイスした。「強度の胸部帯を適用し、水分摂取を抑制しなさい」(Apply a tight pectoral binding and restrict your fluid intake)(Clark 1959a:220)。彼女は少しばかり英語を理解したけれども、この言葉は彼女の常識の理解を越えており、彼女はプライドや恥ずかしさで、説明を求める ことができなかった。

 合衆国や外国の証拠からすると、医師は、(1)患者が、何を言われているか、そしてそれが処置や以後のケアにどういう意味を持つのかということを実際以 上に理解する力があるとしばしば仮定し、(2)面接時の患者の個々の行動について全く不正確なステレオタイプ化した見方を持っていることが示唆されてい る。第一の例として、臨床医療における214人の患者とその医師についての研究があり、それによると、患者についての医学的質問事項のうちその情報の 82%は患者達自身が知っているはずだと医者は信じている。しかし、実際に患者が理解しているのはそのうちの55%であり、高校卒業生でさえその事項の3 分の2だけしか理解できなかった(Pratt et al.1958:225)。

 同じような発見がインドでの研究から得られている。そこでは医者がふつうに使っている25の単語を定義することを50人の女性患者に求めた。そのうち、 患者が意味を把握していることを示すと考えることのできる答えはわずかに5分の3弱であった。注射、かゆみ(itch)、月経 (menstruation)、腫脹(swelling)は最もよく理解された単語であり、血液、腺(glands)、手術は一番理解できていない言葉で あった。この単語のリストは2つのグループの言葉からなっていた。一つは医者によって患者の語彙から拾い出されたものであり、他の一つは医者はふつうに使 いそれが患者に採り入れられるようになった専門用語からなっていた。「前者のグループの単語群は最もよく理解されているように思われる」(Anand and Rao 1963:153)。医者は患者の使う単語やその意味を学ぶことの重要性、さらにできる限り治療の場でそのような言葉を使うことに気を配るべきであると、 著者達は結論している。 別の状況下では、患者は単語を完全によく理解しているかもしれない。しかしその単語の含みが患者の行動にも影響を及ぼしているか もしれない。南部からデトロイトへ移住した一組の夫婦の子供が頭に大怪我をして縫合のためにある大病院の救急室に運ばれてきた。その父親は抜糸のために一 週間後にもう一度来院するように言われたが、父親は爪切りで子供の抜糸を行ってしまった。一つには、彼は救急に対する22ドルの支払いに反抗していたので ある。しかし、もっと重要なことは抜糸のために「外科」(surgery)へ来るようにと指示したという事実である。全くこれはぞっとさせられることで あった。「伝統的に南アパラチア地方出身の人は医師に対する根本的な不信の理由の一つとして、医者は『彼に切りかかる』、または手術をするという考えをよ く抱いている」(Stekert 1970:130)。

 幸いにも、次のアメリカ人の子供の例が示しているように、明確な言葉によるコミュニケーションは治療的出会いを成功させるのに必ずしも本質的なことでは ない。英語の話せるデンマーク人医師がその子供に「深く呼吸しなさい」(respire profoundly)と要求したところ、その子供は、聴診が体に触れるのを手掛かりにして、わけのわからない命令があるごとに深く息を吸いこんだとのこ とである。医師の診療室で自分達に何を期待されているかということについての患者の知識が疑いなく、多くの同じような状況を円滑化する一方、例えば次の、 親と一緒にミッション・ドクターを訪れたボンバナ・コーサ族の4歳の子供の場合のようにしばしば奇妙な結果に終わることもある。この少年はとうとう好奇心 を押さえることができなくなった。彼はこう尋ねたのだった。「この医者はいつダンスを始めるの」(Jansen 1973:142-143)。つまるところ、人は医療行為について劇的に異なる解釈に出会うためにアフリカなんか行く必要はない。テキサスのある医者が バーナーに火をつけ、その上で、検査室にふさわしい儀礼的方法で、咽の粘膜のスライドを前後にあぶっていると、あるキッカポー・インディアンの老婆の患者 は、謙遜を示す前屈の姿勢をとりながら歌い踊り始めた(ラファエル・トレド医師よりの私信)。

 ロス・アンジェルス児童病院の小児科クリニックにおける最近の研究は、医者が患者達に、どのように見られているかについての医者の把握が時にはいかに間 違っているかを例証している。この研究では、母親達が子供が受けるケアについて一番好ましくないと思っていることは医師の効率的で、非人格的で、一見無関 心のように見える行動であった。しかし、医者に対する800例のインタビューでは、医者のほとんどが自分達は物ごしがおだやかであると信じているのに対し て、「患者」(つまり母親)の半数以下しかこのような印象を持っていないことがわかった(Korch and Negrete 1972:72)。調査に参加した医師は、自分達のインタビューの録音を聞いた後、自分達が母親以上に話をしていたことに驚いた。「患者が受け身のまま で、ほとんど質問しない場合よりも、患者が医師と活発な交流をした時のほうが、そのセッションの結果がうまくいくという傾向があった」(同書、73)とい う事実を考えると、これは重要な発見である。

 76%の母親は医師の診療に「非常に」あるいは「まあまあ」満足しており、わずか24%が不満であるという発見はほっとさせるものであるが、にもかかわ らず、半数近くの母親は最後まで子供の病いの原因は何だろうかと疑問を抱きながら、医師の診察室を去る(同書、69)。最も興味深い発見の一つは、一般に 信じられているのとは逆に、面接の時間の長さと、患者の満足とはほとんど関係がなかったということである。「我々が調査した800の来院は、その長さが2 分から45分にまで及んでいたが、セッションの長さと(1)患者の満足度、あるいは、(2)子供の病いの診断における明確さの間には有意な相関はなかっ た」(同書、71)。母親が理解できる用語を使った友好的な医者は短い時間内で効果的な面接を行った。「不満を持つ母親の最も激しく最もよくある不平と は、医師が子供に関する母親の大きな関心事にほとんど興味を示さなかったということであった。クリニックにやってくる母親の期待の中でも、医師が子供だけ でなく、心配している親に対しても友好的で同情的であってほしいという期待は強かった。しかし、記録によると、医師との会話のうち、個人的で友好的な性質 のものは5%もなかった」(同書、72)。

結論 

 治療的インタビュー像の通文化的スケッチを比較するためには、我々はかなりしっかりした基礎を持っている。合衆国での医師−患者の相互作用についての データもかなりある。それに、西洋の医師や科学的医学で訓練された医者が伝統的共同体において、医者の役割行動への期待が医者とは異なっている患者を診療 する時に、持ち上がる問題についても多くの報告がある。民族誌の記録もまた、単一の伝統的社会内部のシャーマン的な降霊集会や他の医師−患者関係に関する 限りは良い資料がある。
 しかし、我々が特にコミュニケーションの問題−医者は何をコミュニケートしたいのかを患者はどのくらいよく理解しているのか−に目を向けると、記録はあ まりない。特定の医学用語を定義するよう求める質問項目や患者が医師の指示を理解したか否かをそのまま問う質問事項を使った調査は、西洋、あるいは、アナ ンドとラオの場合のように、非西洋の国々の科学的医学というコンテクストに限られている。しかし、伝統的社会に関する同じようなデータはない。そこの患者 に、次のような質問を体系的にした人類学者はいなかったように思われる。シャーマンの言うことを理解しましたか。薬草師の言うことがわかりましたか。あな たは最後まで答えてもらえない質問が残りましたか。治療者のところに行って、どういう点が気に入って、どういう点がいやでしたか。お互いに異なる文化や社 会階層出身の医師と患者を含むような治療的インタビューを特徴づける頻繁な誤解に注目しながら、我々は、同じ患者が、彼の社会のシャーマン、呪術医、薬草 師を、彼らが医師にかわって選ばれる時は十分に理解するだろうと我々は仮定してきた。しかし、我々に確かなことはわからない。これはより多くの民族医学的 調査を必要とするトピックである。

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医療人類学
第6章 シャーマン、呪術医 (witch doctor) と他の治療者


   治療的インタビュー

 この章ではとくに非西洋的治療者の役割、行動、パーソナリティ特性について考える。民族誌的文献によると、非西洋の治療者はふつう彼らがかかわっている 文化や医療体系の文脈の中で描くことができる。ある特定の社会の構造−機能分析においてこれは適切である。しかしこのようなアプローチは、どの社会におい ても一つ、あるいはそれ以上の形態をもつ専門職の治療者の普遍的な性格そのものをどうしても曖昧にする。この『医療人類学』での我々のデザインは通文化的 なものであり、かつ我々の関心は一般的なパターンを描くことであるので、通常「治療的インタビュー」と呼ばれるもの(例えば、自分が病気であることを疑う か、または知っている人と、病気から救う資格を持つと当該の文化から認められている個人の間で起こる形式的な相互作用)に我々は焦点をあてて、非西洋の治 療者の問題について検討していく必要がある。ウィルソンの言うように、この相互作用は「医学の核心」(R.Wilson 1963:273)であり、それによって全ての医療体系をつなぐ普遍項でもあると我々は信じる。そのようなわけで、これが頻繁に行われるドラマであり、か つ、保健ケアの質について我々にかなりの情報を提供するので、このインタビューが相当な生産的な研究の焦点になることは明らかである。しかし、第一に種々 の社会での治療的インタビューについての研究はエスキモー、コロンビアの村落、合衆国で指摘されたような紹介を除いてはわずかしか報告されていない。
 原始的生活の時代に、体調不良が続いていた一人のエスキモーの男が「患者を求めて歩き回っていた」シャーマンに相談した。シャーマンは「彼をあらゆる角 度から調べた。そこでシャーマンは患者の《痛み》がある部分に触れた。彼は患者の腕を舐め、痛みの部分をマッサージした。シャーマンの中には患部に口で風 を吹きつけ、もしそこが[異物の]侵入といったものであると診断されたなら、最初は試しにそこを口で吸う者もいる。……それらの準備が完全になった時、そ のシャーマンは歌を歌い始める」(Spencer 1959:306)。
 コロンビア、アリタマのスペイン語を話すメスティソの村では治療者、すなわちクリオーソ(curioso)は病気が長びいている時に呼ばれる。「病気に なったとされる患者の種々の外敵について簡単な質問をとり行った後で施術者は患者が過去数日から数週の間の食物、幻覚、重労働、あるいは太陽、風、水など にさらされたことなどについての細かな質問について多くの時間を費やし、脈を取り、もし鼓動が速いなら《熱い》病気と診断され、その逆は《冷たい》病気と される。顔面の表情は注意深く調べられる……スペシャリストの中には尿を調べる者もいる……目の瞳孔……は調べられ便、痰、吐物は時折調べられる」。それ から治療者は処方する (Reichel-Dolmatoff, G.&A.1962: 289)。
 合衆国では中流階級の男性が、彼が消化不良以上の何かであると疑うほどの腹部の痛みに数日苦しめられた後、医者にアポイントメントを取る。医者は忙しい スケジュールに「その男を組み入れ」彼を診察する。彼の胃の部分を押し、痛みがどの部分かを確かめ、血液をカウントした。結果が陽性とでれば虫垂切除術が 施行されるのである。
 エスキモーのシャーマン、コロンビアのクリオーソ、アメリカ人の医師の行動が彼ら自身、および社会における彼らの地位についての彼らの考え方の点で、そ して、彼らの専門的役割の遂行という点で、非常に異なっているように見えていても、実は非常によく似ているのである。我々の主たる非西洋的な治療者に関心 があるのであるが、合衆国や西洋で行われているような治療的インタビューを含めてできるだけ正確にそれらの類似性(と差異)を解明するのが、我々の通文化 的研究においては好都合であると思う。
 一般に合意されているように、治療的インタビューは、そのドラマにおける医者と患者の両方の演者を特徴づけるような役割関係、行動の規範、および承認さ れた期待という観点から、最もよく分析される。しかし、ウィルソンも指摘するように、医学的処置という限られたコンテクストにおけるこれらの役割関係のみ を考慮することだけでは不十分である。「《医者の役割》や《患者の役割》という言葉でまとめられる一群の行動や期待は……真空状態では生起しない。むしろ これらの役割は、文化的価値、医療外の活動、それらをとり囲む共同体のテンポと傾向といった環境的枠組に対してとても敏感である。健康や病いがそのような 顕著な人間の問題であるゆえに、医者−患者の相互作用を通じて、健康や病気に対処していくという努力は、その努力が行われる時と場所の影響を特に受けるこ とになる」(R.Wilson 1963:278)。どの治療的インタビューについての十分な正しい認識は、それが埋め込まれている文化的背景と、個々の行為者がそれに対してもたらす期 待についての知識を必要としている。

   医者と患者の役割についてのいくつかの特徴

 医者と患者の役割は、あらゆる役割が個々が他方を必要とするように、相補的であり、相互依存的である。患者なしにはどのような医者の役割も存在しない し、医者なしには患者の役割も存在しない。しかし、この相互依存性を越えて、2つの役割は明確に区分された4つの組の基本的次元、つまり限定的/普遍的、 恒久的/一時的、優位/劣位、自発的/非自発的によって分析される。限定的/普遍的次元では、どんな社会においても治療を行うことができると認められてい る人間の数は非常に限定されている一方で、それとは対照的に、人の一生のうちにいずれは病気に陥り、患者になることを道理上、誰もが予想できる。このこと は治療者の役割が厳しく制限されている一方で患者の役割は普遍的であることを示している。恒久的/一時的次元では、多くの治療者にとってその役割は生涯の ものであるのに対して、多くの患者にとってその状態は一時的であることを示唆する。優位/劣位の関係でいえば、どのような社会における医者−患者関係でも 明らかに支配/服従の序列を示している。治療者は責務を課せられている。決定を下し、手段を構じるのは治療者の責任だからである。患者は従わなくてはなら ず、ほとんど受け身の状態であり、もし患者がある治療者の注意を自分に向けさせたいなら、彼は治療者の指示に従わなくてはならない。
 自発的/非自発的について見ると、その対比は他の次元のように明白に特徴付けられない。患者の役割が続く限り、通常それは非自発的に見えるのである。あ る人々は事故や病気をこうむりがちであり、患者の役割が時には魅力のあるものであるにもかかわらず、大抵の病いは非自発的で望まれるべきものでないように 思われる。多くの非西洋社会では治療者の役割も非自発的なものであり、彼の力に合致するような精霊によって不本意ながらもある個人が治療者に仕立て上げら れる。ガブリエル・ミル(132頁参照)の話はこの精霊による「召命」のパターンというものが示されており、それは通常、シャーマンと精霊治療者および信 仰治療者の全ての形態において見られる特色である。しかし別の状況では治療者の役割は自発的であり、社会から提供される人生の選択肢の中からそれを意識的 に選んだ人々によって積極的に求められるものである。西洋の医者も当然このカテゴリーの中に入る。しかしアフリカの呪術医にもこのパターンが同じようにあ てはまる。授業料を支払う学生として受け入れる先輩の専門家について訓練を受け、勉強にはげむ。また、非西洋社会におけるほとんどの産婆 (midwife)、マッサージ師、整骨師、薬草師の場合もそうである。これらの技能は、奇跡的に与えられるものではなく、学習されるものである。
 文化の一般化を伴う事例では、ほぼ常にそうなのだが、例外を見つけることは可能である。このように歴史的に見て病いは通常一時的状態と考えられてきたが −患者が治るか死ぬかのどちらかだった−近年の感染症の制御と除去はますます多くの人々の生命を救っているが、彼らは後年慢性病の犠牲者となる。したがっ て、多くの患者の役割は恒久性によって特徴づけられる。また優位/劣位関係は進行中の医者−患者関係を特徴づけているのにもかかわらず、その権威の程度は 絶対的なものであるとはいえない。例えばカリフォルニア州の都市バリオ[スペイン語を日常語とする人々の居住区:訳者]であるサル・シ・プェデスのスペイ ン語を話す人々にとって治療者の役割は権威主義的ではない。「治療者は助言するかもしれない。しかしそれは命令ではない。患者の側の社会集団の権力のある 成員による裁定があった時にのみ、医学的な助言が受け入れられるだろう」(Clark 1959a:213)。

   治療役割における普遍性

 疾病理論の体系間における差異は質的なものである。例えば科学的概念はいうまでもなく、パーソナリスティク及びナチュラリスティクな因果論的概念はほと んど比較することができない。しかし、これは保健ケアの提供システムにはあてはまらない。この体系が依拠している原因についての仮定にもかかわらず、専門 家の前提条件、その自己イメージ、一般大衆との関係の様式という点で類似性を発見できる。注目すべきことはほとんどの社会において医者は明らかに医者であ り、彼の属する集団の他の人々と混同されることはまれである。通文化的視点に立てば、医者が共通性を示す重要な点としては、専門化、選抜と訓練、専門家に ついてのイメージ、報酬への期待、自己の力量への信念のようなことが含まれている。また、ほとんどの社会で、医者は一般大衆によって多少なりとも両義的な ものとして見られている。我々は順を追い、これらの共通の特徴について考察していこう。

1 特殊専門化

 西洋社会では医学の専門化はますます通例になりつつある。つまり内科、外科(それ自身多くの専門分野を含む)、心臓学、神経学、検眼、小児科学−このよ うなリストは毎年毎年増えている。さらに確立した医学の内部に専門化があるのみならず、第4章で述べたような精霊信仰、信仰治療、民俗医療のような代替的 な形態も存在している。伝統的社会において専門化の程度はそれほどでもないが、明確な治療の役割が認められないのは貧しい共同体である。例えば、フィリピ ンの農村地区では産婆(mananabang)、マッサージ師、あるいは整骨師(manghihilot)、および一般開業医(mananambal)が いる(Leiban 1962b:512)。それらの専門家を支える論理とは現代医学のものと本質的に同じである。
 別の社会では、シャーマンあるいは呪術医−よく訓練されていて通常は超自然的にその力を授けられる−と薬草師−自然法則には明るいが地位や行動において 専門的要素が少ない−との間に基本的な二分法が存在する。例えばナイジェリアのヨルバ族では、イファ・カルトの聖職者で占いと心理療法にすぐれているババ ラオ(babalawo)と薬草師オニシェグン(onishegun)の2つを我々は見ることができる。実際においてかなりの重複があるにもかかわらず 「全体的にはオニシェグンはババラオに比べて尊敬されることはなく、前者は普通の、より容易に見分けることができる異常を取り扱い、後者はより難しい診断 上の問題を受け持ち、患者に対してより根本的な養生法を指示する、ということが真相であろう」(Maclean 1971:75)。同様に(南アフリカのトランスケイTranskei族のコーサXhosa支族の一つである)ボンバナ(Bonvana)族においても治 療者に2つのタイプ、つまり占い師と薬草師がいる。超自然の媒介者である前者はまずもって診断家としての仕事をし、一人の患者はたった一度しか訪問しな い。薬草師はそれとは対照的に精霊との交流はなく、主要な治療者であり、治療のために自分の小屋に患者を宿泊させるが、それは3ヶ月にもおよぶ (Jansen 1973:35)。
 この基本的な二分法はケニアのカンバ(Kamba)族について記しているトマスによって明瞭に示されている。「占い師すなわち宗教的−医療専門家(ムン ドゥムエ mundumue)を他の専門家、すなわち薬草師や産婆から区別するよう特徴は、病気やその他の不幸の問題を解決するのにムンドゥムエが特徴的にウェ (ue)[超自然的力]を使用することができる点である。それに対して薬草師(ムキミ・ワ・ミティ mukimi wa miti)の役割はより狭く伝統的薬剤師−彼らは胃痛やリューマチのような特定の病気のために単数あるいは複数種の薬草を処方する−の役割に限定されてい る。薬草師は診断と治療の過程で超自然的力を利用することは主張しない」。ムンドゥムエとは異なり、薬草師は薬草(miti)を呪術的物質へ変化させるこ とはしない。「むしろ彼の専門は自然の状態で薬草を薬として処方することにあると考えられている」(Thomas 1975:270)。
 超自然力を持ったシャーマンや呪術医、薬草師、整骨師、産婆といったカテゴリーは非西洋社会では最もごく普通の専門家達といえよう。そして西洋において 医療の専門家達が威信の点で格付けされているように、他の社会でも地位の序列があり、超自然的能力を持つ治療者は他の治療者より上にランクされている。

2 選抜と訓練

 どのような社会でもごく一部の人々が所有する、あるいは所有すると信じられている治療技術がある。それらの技術(力というほうが適切な時もある)は取得 されなければならないし、取得する方法はそれぞれの社会で多様である。西洋社会では医学を勉強すること、つまり医者になることの決定はふつう個人的な選択 にまかされる。個人的選択と同時に親の選択が反映するにもかかわらず、より強力な「召命」がその決定の要因になることはほとんどない。長いトレーニングの 期間と彼が専門的な内容を習得したか否かの最終的な審査の後ではじめて新しい医者は患者を診察することを認められる。ある医者は他の医者よりも高度な技術 を持った者として認められるが、その差異が超自然的または呪術的力にどれだけ接近できるかの違いによるものとは考えられることはない。治療の能力は他の専 門職で得られるのと同様な方法で獲得される。そして、知性と一生懸命働く意欲が仕事に従事するための必要な資質になるのである。
 伝統的社会においても、すでに見たように、このような個人による決定がしばしば医療従事者になるきっかけとなる。例えば、薬草師や産婆は彼らの母親や他 の近親者からその技術を得る。興味を持って観察するうちに、薬草師は近くに生育している様々な植物、市場町の沿道に並んだ薬店で手に入れることのできる様 々な植物について学ぶこともある。彼らは患者に対する食物や薬草の効力に目を留め、そして同じような技術を持った人達と情報交換することもある。このよう な方法で彼らは身近な家庭治療者としての名声を築いてゆき、子供によくある病気、下痢、風邪、リューマチなどの治療を頼まれる。
 さらに高度に訓練された専門家達もまた、最初に合理的な決定を下してその道に入るかもしれない。スーダンのアザンデ族では呪術医になりたいと熱望してい る若者は名を成した年長の治療者にその旨を告げる。もしそれが受け入れられると、彼はその治療者について長期間にわたって勉強し、その授業料として頻繁に 値打ちのある贈り物をする。全ての他の財産と同じように呪術も売買されねばならない。呪術医になる際に、イニシエーションの重要な部分は呪術的な物につい ての知識と他の治療法の、師から弟子への伝授であり、それは授業料と引きかえに行われる。師より薬草や他の護符を含む呪術的な食物が弟子にふるまわれ、そ れを見習の弟子が食べる時に、知識と力が獲得される(Evans-Prichard 1937:202-215)。
 西洋、非西洋両方の民族の間で、超自然的要素は誰が治療者になるのかを決める点で一定の役割を果たす。スペインで最も重要な民俗治療者サルダドール (saludador)(「人を健康にする人」の意で、salud=「健康」に由来する)は、神の特別の恩寵であるグラシアを受けているが、これは出生の 状況から明らかとなる。この「恩寵」を受ける人とはまだ母親の子宮にいた時に泣き叫んだ人々であり(そして、母はその時にそのことを誰にも告げない)、幸 運な日、特に洗足木曜日(Maundy Thursday)と聖金曜日(Good Friday)生まれであり、そして同一の女性より生まれた第7子である。そのようなカテゴリーに入る人々は十字か、聖キャサリンの輪[周囲にスパイクの ある車輪:訳者]のしるしを、彼らの硬口蓋に持つと信じられている。双子もまた恩寵を持つものと考えられ、手のひらを置くことで治癒される特別な力を持つ のである(Foster 1953a:213)。
 カトリックの国々では、キリストと聖人は治癒させる、あるいは現世の人間に治癒させる能力を与える特別の力があると信じられている。これらの国々のよう な伝統的社会での治療役割の超自然的「選抜」や治療者の個人的資質をめぐる状況は、しばしばシャーマン的要素が加わってくる。メキシコの治療者で最も有名 なものの一つであるエル・ニーニョ・フィデンシオ(「子供、フィデンシオ」)はヌエボ・レオンという北部の州に住む。多くのスペインの治療者のように彼は 硬口蓋に十字のしるしを持っているという噂だった。シベリアのシャーマンと同様に、彼は女装して群衆を避け、ゆったりとしたガウンを着、調理したり、家を 掃除したりしていた。フィデンシオが子供の時に、彼は自分の弟に対して完全な責任を負うことになった。つまり弟が病気になり、彼が思案に暮れた時、一人の 男が戸口のところに現れて、自分が手にしている本には薬草の処方が書いてあり弟を治せる、と彼に告げた。彼は薬草を探してきて弟を救い、戸口に立っていた 男がイエスの聖心の像のように見え、疑いもなくそれはキリスト自身であると思った(Macklin 1967:532)。時とともに治療者としての彼の名声が高まり、とうとう人気のある「聖者」になった。今日彼の神殿は治療を求めるために出かけてくる巡 礼者の拝所となっている(Macklin 1974b)。
 最もドラマティックなのはグァテマラの都市でエスパント(espanto 恐怖)を治すインディアンの指導的な治療者、ガブリエル・ミルがどのようにして力を獲得するに至ったかという物語であろう。彼の出生の状況は奇蹟的であっ た−彼の母が陣痛の最中に空に火の玉が現れたのである−にもかかわらず、32歳になるまで彼の人生に何ら変わったことはなかった。それから一連の破局的な 打撃を受けることになる。すなわち彼の妻と5人の子供達は流行病で死ぬ。そして彼自身も何ヶ月もの間瀕死の状態で過ごした後、かろうじて生き延びることが できた。彼を世話してくれる女性もおらず、また彼自身働けなかったので、彼は町のはずれの丸太小屋で、汚らしい中で、隣人のわずかの慈悲に頼って生活して いた。彼はあまりにも衰弱していたので、水を求めて共同の泉に出かけていくこともできなかった。ある暗い夜、彼が棚状のベットで横になっていた時に、戸口 のところにかすかな輝きがあることに彼は気づいた。そして戸の外には、はためく青色のローブを着、小さな冠をかぶった約4フィートの身長の人間が現れた。
 サン・アントニオ(ガブリエルは家の祭壇の葉書からこの人物の名前がわかった)は、「アベ・マリア」と言った。「ラ・グロリアに近しい私の息子よ、おま えはずっと病気であった。私はおまえに頼もうとしてやって来たのだ。私は一人の病人を知っている。彼の病気がどのようなものか私に教えてほしい」。ガブリ エルは自分には治療することができないと言った。「おまえにはできる。拒否するでない」。その時サン・アントニオはスペイン語ではなくインディアンの言葉 で話していた。ガブリエルは眼には見ることができなかったが、子供のやつれた腕を感じた。子供の脈を見て、彼は言った。「この子供はエスパント(恐怖)に かかっている……彼は川にはまったのです」。サン・アントニオはガブリエルの肩を叩いて、「私の息子よ、これよりおまえは治療を始めるのだ」と述べたが、 しかし、ガブリエルは治療することを望みはしなかった。「待ってください、待ってください。サン・アントニオ、聖なる父よ。私は治療をやることを望まな い。この義務から解いてくれ。そんなもの持って帰ってくれ」。しかし、サン・アントニオと子供の腕だけが戸口まで空中を漂って行って、そして消えてしまっ た。「神の聖なる母よ、私は力を求めてはいない」とガブリエルは大声で叫んだ。そこには眼もくらむほどの閃光があり、ガブリエルは自分がベッドの隅に座っ ており、汗ぐっしょりになって心臓が波打ち、さらに早期の陽光がそそぎ込んでいるのに気がついた。
 その時以来、彼の力は再びよみがえってきた。一週間、あるいはそれ以上の間、毎夜サン・アントニオが戻って来て彼に対してその天職の基礎的な技術を教え た。自信が序々についてくるに従って、ガブリエルの反発は少なくなっていった。それから、彼は毎夜毎夜訪れなくなり、訪問の間隔が次第に長くなっていっ た。しかしガブリエルは、サン・アントニオが決してどこか遠くへ去ってしまったわけではないことを知っており、彼は時おり新しい技術を教えに帰って来るの だった。これ以来ガブリエルはエスパントの偉大な治療者になった(Gillin 1956)。
 キリスト教徒のイメージでおおい隠されているが、ガブリエルの経験(とその経験におけるインディアン的血統)は、アメリカやシベリアの土着民の間に広く 分布する治療能力の獲得の未開的パターンと一致する。これは強力な精霊による強制的な「選抜」であり、その精霊は人間の抵抗にうち勝って、その人が治療者 になるべきであると主張するのである。選抜のしるしはほとんどいつも重い病気であり、その病気は将来の治療者を死の淵まで追いやり、そして長くてゆっくり とした治癒の後に、その間に治癒の秘密が明らかにされるのだが、その治癒の後で初めて訓練は完了する。シベリア語起源のシャーマンという用語は「選抜さ れ」、重い病気にかかり、自分の精霊に対して親密な接触を維持している治療者のタイプについて記述する時に幅広く用いられる。シベリアのシャーマンでは治 療の最中に精霊に憑依される。
 北カリフォルニアのインディアンの間では、多くのシャーマンは女性であり、治療力が「痛み」の中に存在しており、それは治療者を選抜した精霊によって、 小さな無生物の物体がその治療者の体にうち込まれたものだとされている。シャスタ族では、シャーマンだった女の先祖が出てくる夢が選抜の合図となる。初心 者は毎夜そのような夢を見続けている間は、食肉を見たり、嗅いだりすることを避けた。つまり肉を食べたり、夢の意味の理解を拒否することは死につながると 信じられていた。この超自然的な連続的過程の次のステップは、彼女が目覚めている生活において、彼女の心臓に矢を向け、彼女に歌うことを命じる精霊が出現 することである。その初心者は発作を起こして地面に倒れ、その間に精霊は彼女に歌を教える。晩になって目覚めると、彼女は自分の歌を大きな声で歌い、舞 い、口から血を吹く。彼女は精霊の名と棲家を教わる。それからダンスがあと3日続いた後で、痛みがその初心者にうち込まれ、さらに再び硬直性の発作の後に 意識を戻し、痛みを自分の体からぬき取り、それが彼女の力の証しとしてその場にいた人々に示される。それに続く夜に、別の精霊が彼女に対して4、5回にも わたってさらに痛みをうち込む。彼女はそれを自分の体の中にたくわえておくが、自由に取り出すことができる。それでも見習いとして、彼女は治療のための装 備をためるために一年あるいはそれ以上の年月を費やし、その後に再び古参のシャーマン達の前で踊った。それから、彼女は完全な資格を備えたシャーマンと なった(Kroeber 1925:301-302)。
 フィリピンのネグロス・オリエンタルのシブランというキリスト教徒の農村地域では、多くの治療者の技術というものは、他の治療者の観察や教育によって学 ばれるが、治療者の中で最高の力を持つマナナンバル(mananambal)の場合は、能力を与えるのは「超自然的なものとの特別の結合」である。マナナ ンバルになれという召命は通常夢の中に現れる精界の中の誰かによって行われる。ある見習はこれに抵抗したかったが、その強制力は圧倒的である。リーバンは 一人の男性があらゆる単純な医療を実践してきたにもかかわらず、一人前のマナナンバルになることを望まなかったことについて述べている。ある時彼は友人の 病いを治療することを拒否した。自分にはその資格がないと感じたからだ。その夜、夢の中である声が彼に治療せよと命じ、もしそうしないとその病いを彼にう つすとおどした。しかし彼は拒んだ。3日目の夜、彼は同じような夢を見たが、依然彼は拒否し続けた。そうすると彼は夢に、処女マリアが川のほとりを漂って いる情景が見え、最初の夢の声が、もし彼が明朝河原を訪れなかったら彼自身が病気になるだろうと告げた。彼は言いつけを守り、夢で見たように実際にマリア が川に浮かんでいるのを見た。彼女は彼に微笑みかけた後消えたのである。このことが彼にとって自分がマナナンバルになるべき人だという確信をさせ、友人に 治療をし、回復させた(Lieban 1962b:512-513)。
 治療者になるという決定がなされるにもかかわらず、西洋の医師と同様に、土着の医師は、ふつう長期の訓練を経る。サラワク(ボルネオ)のイバン族では 「マナング(manang)になるための訓練はパート・タイムの勉強のために8年間を要することもある。彼は莫大な量の伝承、歌、呪文を学ばねばならな い。さらに重要なことは自分自身の守護霊を理解し操作する能力を持つようになねばならぬことである」(Torrey 1972:95)。イバダンの100人のヨルバ族の治療者達の研究では、40歳以下の者は僅か6人しかおらず、「独立して業を営むだけの資格があるという 自信がつくまでには、全員が相当長い期間にわたる弟子入りあるいは訓練を経ていた」(Maclean 1971:76)。他の事例では、ヨルク・インディアンのシャーマンで2年から、ブラックフット・インディアンやナイジェリアのババラオ (babalawo)医の7年に及ぶ訓練期間などがある(Torrey 1972:52)。
 非西洋社会と同様、治療が高度の技術にまで発達している非西洋社会でも、徒弟や見習治療者は、訓練のうちの古参の専門家による部分に対して料金を支払う べきものと期待されている。時にはそれは訓練そのものに対して支払われるように思われることもあるし、時には北アラスカ・エスキモーのように、シャーマン がよく使う必要な歌と呪文の所有に対する支払いと考えられることもある(Spencer 1959:302)。歌やその他の呪文に固有の力というものは、相続あるいは購入によって獲得することができるような売買可能な商品であった。アフリカの アザンデ族では、呪術的力は先生から若い徒弟に対してふつう支払いと引きかえに伝えられる。エヴァンス−プリチャードは、経験豊富な同僚の敷地内に集めら れた7、8人もの生徒が訓練を受けているのを見たと報告している(Evans-Pritchard 1937:206)。

3 資格授与

 現代西洋社会では、科学的に訓練された医者達は、医療を始める前に資格を得なければならない。法的な資格が州からおりるにもかかわらず、この権威は究極 的には、医療専門職の成員の評価に基づいており、彼らが新しい医師の能力を保証する。しかし、法的な資格というものが相対的に最近の概念であることを忘れ てはならない。アメリカの多くの州で、南北戦争後かなり後まで「医師」とは、自らそう名のりたい全ての人のことだったのである!
 いつもというわけではないが、しばしば非西洋社会の見習治療者は、訓練期間を完了した後古参のシャーマンによって儀礼的に治療者として認定される。この 「加入札」は、踊りや儀礼的葬儀を含むが、アザンデ族のそれが報告されている(Evans-Pritchard 1937:239-242)。カリフォルニアのシャスタ・インディアンでは、右に述べたような選抜と訓練の後、訓練期終わりに友人をダンスに招き、女 シャーマンは彼女が完全に専門的能力を有していることを宣言した。「ダンスが行われている間、彼女に精霊が再び現れ、彼女があらかじめ用意していた呪具を 検査した。3日間のダンスの後に、その見習は完全な資格を備えたシャーマンとなった」(Kroeber 1925:302)。
 
4 専門職のイメージ

 どのような社会でも、治療者は、自分達の専門に関するイメージ、役割、社会における位置について強い意識を持っている。行動、服装、それ以外の装具を通 して、彼らはふつう、この専門のイメージを強化するよう努力する。ちょうどシベリアのシャーマンが精霊を呼ぶタンバリンなしでは途方にくれるように、西洋 の医者は白衣と聴診器なしでは専門家ではないように感じる。西洋の医者達の間でさえ専門科目に応じてイメージの差がある。例えば、精神科医は「他の医学の 専門科目の同業者とはかけ離れた位置に立つ。彼らは異なった着こなしをし、あごひげを生やし、外科医か小児科医と混同される危険はほとんどない」 (Torrey 1972:51)。非西洋の諸民族の間で、入念に仮面によって変装し、踊ることによって悪霊を取り去る呪術医の漫画的ステレオタイプは誇張ではあるが、 (産婆や薬草師と比較して)超自然的力を持つ専門的治療者は羽根、ガラガラ、ドラム、トウモロコシのひげなどのような共同体の他の成員から彼らをはっきり と際立させる儀礼的用具を持っている。
 治療者はコスチュームや行動などの点で彼らの専門外の友人とは際立って異なっており、明瞭な心理学的特徴によっても特徴づけられる。シベリアとアラスカ のシャーマンの調査をしている民族学者達は一致して、神経症的または精神病的ですらあるような性格特徴を持つ個人は治療者の候補者となることが最も多い、 ということを認めている。実際、西洋社会で危険な逸脱者という烙印を押されるようなパーソナリティ特性が非西洋社会では有能な治療者の経歴へ進むための必 要条件と考えられている。そして、それらの性格が若い年齢時に子供の中に現れると、グループのメンバーは非常に幸運なことだと感じる。
 神経症や精神病的気質が合衆国では医療という経歴へ進むための特別の資質と見なされることがほとんどないにもかかわらず、医者は大きなストレス、他のほ とんどの専門職の成員のストレスよりも大きなストレスのもとで生きていることが知られている。勤務時間は長く、しばしば不規則であり、さらに多くの決定が 文字通り、生と死の事柄だということを常にわきまえておくといった一定の緊張が存在する。多分、このような状況が理由となって合衆国の医者の自殺率は、素 人のそれに比べて高く、何人かはアルコールや麻薬の脅威に常にさらされている。精神科医もまた大きなストレスの状況下で仕事をしている。(患者の)抑うつ と不安という場面で彼らは専門家的生活を送っているだけでなく、しばしば同一の患者を数ヶ月あるいは数年間も診なければならないにもかかわらず、その「治 療」の証拠は、例えば虫垂切除術後の回復に比べてあやふやなものである。どのような理由にせよ、精神科医の自殺率は、それ以外の医師の2倍であり、さらに 薬物嗜癖の比率が比較的高いのである(Torrey 1972:40)。

5 支払いに対する期待

 多くのアメリカ人の間で、とりわけ「体制」(establishment)医学にかわって「代替的」(alternate)治療体系に目を向ける人々の 間で、非西洋の治療者は金のことにはほとんど執着しないと広く信じられている。西洋的な医師の特徴として金にうるさいことが挙げられ、未開の治療者と比較 される。未開社会の治療者は人間の福祉に対して西洋的な医師よりも大きな関心を寄せると思われている。ほとんどのステレオタイプと同様に、これらのことは 真実からはほど遠い。あらゆる社会で治療者は何らかの形の代償を受ける。つまり部族や農耕民族というものは、むしろかなり現実主義的で、同胞のためという それだけの理由で治療者が治療してくれると期待することはない。支払いの種類やその量は非常に多様であり、当然のことながら専門家としての訓練の時間と費 用、どれだけ能力が神の「恩寵」に由来しているのか、市場が何を提供しているかといった要因に左右される。
 薬草師、メキシコのクランデーロー(curanderos)、そしてしばしばエチオピアのザール崇拝の司祭者のようなより専門化した治療者 (Torrey 1972:94) の間では、治療費は患者が希望する額であればいくらでもよい。特にキリスト教社会では人類の幸福のために僅かの選ばれた人々に対して神が特別の力を授けら れるという強い信仰が存在する。そのように選ばれた人がその力を用いた援助の見返りとしてお金を請求することで私腹を肥やしたならば、その能力は神によっ て取り去られてしまうとされている。しかしこの関係を悪用する患者はまれである。というのは、もし患者が何らかの形の返礼をしないならば、彼にはそれ以後 はその患者を受け入れる義務はないからである。おそらく、少額の料金を支払うというのが実情である場合の方が多いであろう。チンツンツァンのドニャ・ナ ティビダト・ペーニャは子供のエンパチョ(empacho)、とりわけ6月ごろ採れる未熟な桃を食べたために起こるとされている便秘の治療に優れた技術を 持つと評判がある。それで、6月にはしばしば6人あるいはそれ以上の母親達が玄関で治療の順番を待っている姿が見られる。「まるで医者の診療室のようだ わ」と彼女は笑って言う。1974年では彼女の施術の標準料金は5ペソ(40セント)であった。
 よくあるステレオタイプと一致する民俗医療の治療者像がマーガレット・クラークによって描かれている。彼女はカリフォルニアのメキシコ系アメリカ人居住 区(enclave)のクランデラ(curandera)のパウラと彼女の患者達について述べている。「パウラが病人を診るように頼まれた時……彼女はク ランデラとしてと同時に友人として呼ばれるのである。人々は彼女が自分達の一員であり、彼らに起こったことを本当に心配し、彼らの福祉を心から願っている ことを知っている。……患者は彼女の家へ連れてこられて、彼女は自分の台所で患者とあいさつを交す。その台所には彼女の商売道具−ミント、ローズマリー、 シナモン、コリアンダー−の香がほのかに漂っている。パウラのマナーは彼女の台所兼診療所のように温かで友好的である。彼女は必要な礼儀を守り、いつも自 分のクライアントが礼儀正しいと思うように振舞う……[彼女が他家を訪問する時は]彼女が家族とともに腰かけ、一杯のコーヒーを飲んで、仕事にとりかかる 前に簡単なおしゃべりをすることが期待されていることを知っている。……礼儀正しく育ちの良い人は物事の核心に単刀直入に入らない……《上品な》間隔を置 いてから、病気について話をし、患者を診ることが許される」(Clark 1959a:208)。
 パウラの診断は患者についての予備知識、隣人のゴシップ、患者の眼を見ること、脈診、患者の腹部やふくらはぎの触診を基礎にして行われる。「診断はふつ う、患者と彼の家族にはよく知られているものである。−患者はススト(susto)やエンパチョ(empacho)あるいはビリス(bilis)にかかっ ているとか、アイレ(aire)やマル・オホ(mal ojo)に悩まされているとかである」(同書)。
 治療は複雑ではない。つまり局所治療や家族でのケアの指示である。親類縁者は自由に指示をしてよく、パウラは何かせよと命令しない。彼女は自分のサー ヴィスに対して全く、あるいはほとんど報酬を要求しない。もし患者の容態が重いものであれば、彼女は、やさしくてあまり金のかからない医者に診てもらうよ う勧める。クラークの言うところでは、処置にかかわらず、患者はほとんどの病気から回復するので「パウラの療法はしばしば有効に働き、彼女は感謝深く熱心 なクライアントを得ている」(同書、209)。
 おそらく、素人や人類学者の中には非西洋の治療者の患者に対するアプローチをセンチメンタルに扱う傾向が存在する。治療者は−パウラのように−いつも暖 かく、親切でかつ援助的であるという仮定がそれである。しかし、パウラは全て、あるいは大部分の伝統的治療者の典型であると考えるのは誤りである。実際に は、非西洋の治療者に見られる人格、患者に対する態度、専門家としての作法の範囲は少なくともアメリカの医者の間で見られる範囲と同じほど大きい。アメリ カの医者でも、病床で暖かく患者を扱うものから症例の臨床所見のみにしか興味を抱かないような、高給取りの専門医まで様々のタイプがある。ほとんどの冷淡 なアメリカの医者と同じくらいに、非西洋の治療者は時には近づきがたいこともある。例えば、合衆国において、いったいどれくらいの人々が次の数行に述べら れているアパッチの治療者のような医師を求めるであろうか。「シャーマンの助けを求めるアパッチ族の者は、もし自分が施術者の手に自らを無条件にゆだねる という覚悟がなければおよそ耐えがたいようなところまでへり下って見せなければならない。病者かその代理の親類は最も卑屈な方法で彼に近づかなければなら ない。シャーマンが実際の親類であるなしにかかわらず彼は親族用語でシャーマンを呼ばねばならず、シャーマンの足もとに儀礼用のタバコを置き、シャーマン の力がどれだけ必要か、特定のシャーマンの儀礼に対して絶対服従をする旨を告げなければならない。『あなただけが私を救う。今、私を見捨てないで』は、嘆 願の結びである。シャーマンはそう言われて思案する。彼は以前の患者の忘恩や義務の重圧についてぶつぶつ不平を述べる。十分にもったいぶった間をおいてか ら、シャーマンはばか丁寧にかがみこんでタバコを拾い上げ、吸う。それは、そのケースを引き受けるという合図である」(Opler 1936:1375)。
 パウラの気軽で援助的なマナー、最低の料金とは対照的に、シャーマンや呪術医(伝統的世界の真の専門家)の間では、治療はしばしば冷たく打ち解けないば かりか、値段も現代のアメリカの標準に照らしても驚くほど高い。北アラスカのエスキモーでは「支払いとして、セックスの相手として妻や娘を差し出すことが 認められている……うまくいった治療に対する平均的な支払いはウミアク(umiak)(女のボート)といわれ、原住民の文化から見ると相当に高い謝礼であ る」(Spencer 1959:308)。いくつかの社会では治療者は患者を診る前に実際に料金を支払うよう要求する。これは多くのアメリカの病院での入院手続と驚くほど似て いる。カリフォルニアの原住民ユキ・インディアンの医師が呼ばれた時、患者の家屋内で一本のロープが張られ、そこにビーズ、毛布、籠などの高価な品がかけ られた。もし彼の治療が成功したら、これらのものは全て彼のものになる。差し出された品物が彼にとって不満であれば、それは、患者を診ることを拒否する根 拠となる(Foster 1944:214)。アパッチのシャーマンは患者に全霊を傾ける前に、自己の「力」に対する支払いとして四つの儀礼的贈り物を要求する。代表的な「贈り 物」として、花粉の入った袋、疵のないシカ皮、柔らかい鷲の羽毛、トルコ石一個がある(Opler 1936:1375)。

6 力への信仰

 どのような社会でも力を持つと認められた治療者には大きな威信が与えられる。医学の実践は(歴史的に外科の場合を除いて)、ほとんど常に高い地位と関連 している。また、どのような社会でも、ほとんどの治療者達は自分達の力を信じている。シャーマンが正直であるということはしばしば西洋の批評家からは疑問 視されてきた。なぜなら手品や他の形のトリック−彼らの技術では重要な付属品なのであるが−は西洋社会では医者によって用いられる時、非専門的な行為と見 なされる。侵入してきた病気の実体である「痛み」を診断するカリフォルニアのシャーマンは、正しい診断と治療の成功の証拠として血まみれの水晶の結晶を取 り出す。実は彼は口に水晶を含み、血を出すために頬の内側を噛んだのである。彼は香具師か、山師だろうか。そうではないというのが一致した意見である。医 者は患者の心を落ち着かすのによいと思う時には偽薬を使うことを躊躇しないからである。
 サラワクのイバン族のマナングを評してトレイは他の類似のケースについてもほぼあてはまると思われる結論に達している。「彼らの中の3人との会話によっ て、彼らは絶対にトリックを用いないわけではないが、彼らはしかし患者を扱うという信念からそれを使っていることを私は確信した。彼らは患者の魂が消失し たことを絶対に疑わないし、それを取り戻すのに助けとなるものはなんでも不正直ではないと信じている」(Torrey 1972:97)。(西洋社会と同様)未開および農耕社会でもある種の欺瞞、つまり、利潤のために仲間の欺されやすさをたてにとる無節操な土着の治療者が 存在するのは確かだが、多くの治療者は、自己の能力を完全に信じているように思われる。すなわち、人がほぼ意志の力でトランス状態に入ることができるとこ ろでは、人の魂が離れた所へ旅行し、盗まれた魂をその所有者、すなわち患者に返すために、それが捕われている場所を捜し出すという信仰に欺瞞的なところは 全くないように思われる。誰もが多くの種類の精霊を信じているような社会では、夢、トランス、あるいは発作の中で、それらと交流することが可能であるため に、自己欺瞞は必要ではない。科学的な訓練を受けた医師が訓練を受けていない仲間以上に、治療科学を駆使できると思っているのと同じように、ほとんどの土 着の治療者も自己の能力に揺るぎない信念を持っているのである。

7 公衆の態度

 もう一つの点でも、強力なシャーマンや呪術医は西洋社会の医師に似ている。彼らはしばしばクライアントから両義的な感情をもって見られる。全ての社会 で、我々は困った時に彼らに頼る。つまり、彼らが我々の最後の望みなのだ。彼らが他の人々よりも優れており、能力があり、技術に熟練していてほしいと我々 は思う。合衆国では、医師が、自分達を神様と混同しているんじゃないかと我々は批判するが、それでも危機的な時には我々は彼らに神を演ずるように強く要求 する。その役割を我々は彼らに押しつける。しかし同時に、我々は、これらの「神々」を批判することがある。おそらく、彼らがどのようにして−他の人の!− 治療をしくじったかを聞いて我々は歪んだ満足すら覚えることもある。著者達が多年にわたる授業で得た学生のコメントから判断するならば、アメリカの医者の 自己イメージ、すなわち温情主義で親切で、困った人は誰でも常に喜んで救い、必要な人ならば誰でも良い治療を受けることができると純粋に信じている家庭医 というものは決して真実ではない。「医師の仕事がますます単調で事務的なものになるにつれて、彼は患者の絶対的な信頼を要求する権威を失い、それによって 彼の成功の本質的要素を失っていくことは、ありうることだし、その可能性は高い」(Myerhoff and Larson 1965:191)。
 現代アメリカ、カリフォルニアの土着民、北アラスカのエスキモーといった、色々な社会で、医師に対する態度が両義的感情を特徴とするのはなぜか。その答 えが医者の力の統制や行使に関係しているように思われる。どんな社会でも、人々は、潜在的なものであれ現実のものであれ、自分たちに力を振う人々に対し て、恐れ、したがって嫌悪、不信の感情を示す。時に、平均的な人がこの力の本質について不完全な知識しか持ち合わせていない時には、なおさらである。
 多くの非西洋社会でシャーマンや呪術医が恐れられている理由は、悪意のある邪術師と正義の治療者の役割が区別されていないことである。例えば北アラスカ のエスキモーのシャーマンは治療者と医師の役割を果たす。しかし同時に、彼が病気を起こすことができた−そしてまた、起こした−という理由から、彼の存在 は「恐れと不安を生む」ものであった。「人々は、どこまで彼を怒らせると、彼の復讐を招くかを知らなかった。さらに、彼は自分が病気を治してそこから利益 を上げるために病気を引き起こすこともできた」(Spencer 1969:299)。カリフォルニア土着民であるヤクート族と西モノ族シャーマンについても同じようなことが見られた。「良い目的のためにも、悪い目的の ためにも超自然的要素を操作することができるとされる彼の能力は、彼自身を曖昧な位置に置くことになった。医者は恐れられると同時に尊敬されもした。要 は、彼が恐れられるよりも尊敬されるのか、あるいはその逆であるのかは、全く彼の個人的性格に依存するのだった」(Gayton 1930:388)。
 中央および南部カリフォルニアの諸部族はシャーマン的力を情け深いものにも悪意のあるものにも、どちらにもなりうるものと見なしていた。「所与のシャー マンが死をもたらすかあるいは死を妨げるかは単に気質の問題である。この彼の力はどちらの方向にあっても同等である。大部分というわけではないが多くの病 気は敵意か悪意のあるシャーマンによって引き起こされる。つまり、呪術と医者の力は分離することなく結びついているのである」(Kroeber 1925:203)。普通の人々は呪術に対しては絶対的に無防備なのではなく、あまりにも多くの失敗を起こしていると思われる治療者は一般の人々の復讐の 標的になることもある。クラックホーンはナバホ族の状況について次のように言う。この状況は多くの他の民族にもあてはまる。「歌手(=現地の治療者)に対 する感情はいつもいくらか両義的な傾向を持つ。一方では彼らが高い威信を与えられており、その需要も多く、多額の金を受け取ることもある。他方、彼らは恐 れられており、いつ生じるかもしれない不信の瀬戸際にいつも立たされている。歌手はあまりにも多くの患者を失ってはならないのだ」(Kluckohn 1944:120傍点筆者)。同様にカリフォルニアのシャスタ・インディアンでも「繰り返し不成功に終わっているシャーマンはお決まりの運命、つまり正当 化された暴力による死を与えられる」(Kroeber 1925:303)。
 当然のことながら、土着の医師が呪術師にもなりうると見なされるところでは、医者はケースの選択をする際には注意深くなる。例えばアパッチ族では、 「シャーマンは全く希望が無くともあらゆる患いの治療を引き受けるほど、自己の超自然な力への自信と誇りに欺される間抜けではない。そのような無節操な施 術者はすぐに名声とクライアントをなくした自分を見出すことになる。熟練したシャーマンは抜け目なくそして用心深い人間であり、彼は重篤な器質的障害を発 見するのに十分なほど病気や死を目撃してきているのだ。そして、彼はたびたびそのようなものの治療の責任を引き受けることをとても嫌がる。多くの場合、 シャーマンは患者に『あなたは私を呼ぶのがあまりにも遅すぎた』とか『あなたの中の徳はすでにもうほとんど死んでいます。私はあなたを救うことができませ ん』と告げて去るのである」(Opler 1936:1372-1373)。
 チアパスのあるマヤ人の村でも、クランデーローはやはり用心深い。家族に付き添われてきた患者は治療者の家へ酒、チョコレート、パンを持ってくる。その 患者を引き受ける前に、治療者は患者の脈を診て、病気の重さを評価する。もし患者の病気が進行しすぎて治すことができないと感じたら、彼は治療を拒否す る。例えば、麻疹の場合はしばしば拒否される。ほとんどの治療の一部をなす水浴の技法がしばしば死をもたらすように思われるからである(Nash 1967:132-133)。
 ほとんどの病気が呪術のせいだとされる社会では、呪術を統制し、それと戦うことのできる専門家が、自分の必要にかなう場合は自身が呪術を行うのに必要な 知識を持っていると人々が考えるのは当を得たことである。同じ理屈で、病気が自然の原因の結果であると信じられている時は、治療者の役割がより恩恵を与え るものと見られるのは当然である。ヒポクラテスの誓いは、新しく医者になる者が自分の患者を決して傷つけず、患者の最善のみを心に抱いて仕事をするという 誓いであるが、それは、疾病が悪人や悪霊によるものではなくて、自然の原因の産物であると、歴史上初めて理解することのできた知的世界の産物なのである。

治療・公共性・プライベート

 これまで我々は、西洋社会および伝統的社会の両方の治療者とその医療の実践を特徴づけると思われる共通の要素を強調してきた。しかしそこにはまた重要な 差異もあり、患者が処置される社会的雰囲気という点での差異ほど顕著なものはない。西洋では「日常の診療はプライベートに行われる。医者以外の確立された 専門職では、仕事は、オフィスで行われるのと同じくらいしばしば法廷、教会、講堂といった公共の場で行われる。しかし医者の仕事は閉じられた診察室か病室 の中で行われるのがその特徴である。さらに、医者は通常、集会やクラスに対するよりもむしろ個人に対する個人的サーヴィスを行う」(Freidson 1972:91)。ウィルソンは医者−患者関係を司祭−教区民(priest-parishoner)関係にたとえながら、「2つの関係におけるプライバ シー」に関して同じ気持ちを述べている。「救済を扱うにせよ癒しを扱うにせよ親密な契約が必要だと想定されている。魂あるいは自我のいかなる探究にも不可 欠の自己開示は保護された状況を必ず必要とする。医師の診察室は、中世の大聖堂のような犯し難い聖域の現代版としてふさわしいといえるだろう」 (R.Wilson 1963:289)。科学的な訓練を受けた医者の診る患者は病の治療においてプライバシーを要求し期待する。例えば、教育病院ではプライバシーの権利はと きどき疑問の余地があるように思われるが、それでも誰も−医学校の教授も患者も−治療が公開のショーであることを期待しない。
 非西洋社会でもプライバシーは優先していることがある。しかし、おそらくしばしば診断や治療には、西洋流のやり方とは非常に異なった公共的な側面があ る。例えばハーパーは南インドのマイソール州のシャーマン的な降霊会について完全な記述をしているが、その会には寺院のベルとドラを鳴らして集められた 35人ぐらいの人が参加した。そのうちほとんどが健康問題に関係していたが、その19例がシャーマンに提示されると、彼は集まった会員を見渡しながら、治 療を処方する(Harper 1957)。西洋のパターンとこれ以上対照的な事例を想像することはほとんどできない。アザンデ族の状況もこれに似ている。つまり「太鼓によって先ぶれさ れ、伴奏される、公共の場で催される」降霊会において呪術医は診断を下す。「それらの公共の催し物はその地方の重要な出来事であり、近隣に住んでいる者達 は、それらがちょっと出かけるに値するような興味をそそる見世物であると見なしている」(Evans-Pritchard 1937)。ナバホ族でも同様に、人気のある歌謡が多くの人々を引きつける。それらの歌謡は冬期に催され、2、3夜続けて行われるので、訪問者達は自分の 寝具を用意してくるのである(Reichard 1963:120)。
 南インド、アザンデ族、ナバホ族でのような公的な治療儀礼は単なる文化的伝統以上のものを反映している。我々が見てきたように多くの非西洋社会では、病 いはふつうに科学的病因論の一部とは思えないような社会的次元によって特徴づけられている。患者は彼らの自然的および社会的環境との調和を失ったのかもし れず、彼らの病いはしばしば社会の網の目の中でのストレスや悲哀を反映しているものと解釈される。したがって、治療の目的は病人を健康な状態に回復させる という限られた目標を超えて、はるかにそれ以上のことにまで及ぶ。それは集団全体の社会的治療を構成し、病いを引き起こした対人関係上のストレスが癒され つつあることを全ての目撃者に再認させる。病いがパーソナリスティクな立場から、神、幽霊、精霊、呪術者の怒りを原因とすると説明されるような社会でも、 治療者の力を公共の場で示すことは見物者達に次のことを再認させる。悪に向かう現世の力と超自然的力に対して自己を守る方法を人間は持たないわけではない ということを。
 他の状況では公的あるいは半公的な治療はそれ以外の目的を反映していることもあるし、あるいは医者と患者の便宜以外のいかなる目的も反映していないのか もしれない。ナイジェリアのイバダン族の場合はまさにそうであろう。そこでは「ハウサの床屋外科医(barber-surgeons)は通行人からまる見 えの戸外で古くからの商売に精を出す」。手術台は木陰の藺草のマットであり、手術道具は袋の中の剃刀のセットと吸角療法のための大小とりそろえた角である (Maclean 1971:65)。メキシコの農村や小さな町では、ナイジェリアほどではないが、やはり公開的な面がある。患者の友人や親戚が決まって手術室に入ることを 許される。しかしこの実践の理論的根拠はインド、ナバホ族、アザンデ族の公開の見世物形式とは著しく異なる。後者の場合、シャーマンや歌い手の力と献身は ほとんど問題にならない。メキシコの農村では治療の証拠が論争の余地のないものとなるまでは、他人−特に知らない者−の技能と動機に対して好ましい評価を 差し控えるのは思慮深いことだと考えられているので、外科医やそのチームが完璧にそして効果的に働いたかどうか、手抜きをせず、患者の生命を救うためにで きるかぎりのことをしたかどうかを、医療関係者以外の者が手術室へ行って、患者の弁護人として調べることが許される。そして、患者の回復が完全な時には、 このような人達はその外科医の歩く宣伝マンになるのである。これと同じ文化的背景において、患者は家庭でも病院でも、決して一人で放っておかれることはな い。部屋に押しかける善意の人々の数は患者の容態の重さに直接比例して変化する。ひどい場合は、死に行く人の離れ行く魂が多勢の人々の混雑の中で自分の道 を見つけるのは、部外者には、奇跡と思われるほどである。

治療的インタビューでの役割行動

 キングは治療的インタビューでの医者−患者関係の本質をとらえて、次のように指摘している。患者は医者が検査する受動的存在ではなく、また、そこで微生 物が生育する不活発な宿主でもなく、さらに、部品が機能不良になったり消耗してしまうような機械でもない、と。むしろ患者は能動的存在であり、医者は病気 を処置する時にはこの患者とともに、そしてこの患者を通して仕事をするのだ。「生物学的機能不全と分かちがたく結びついているのは患者の疾病や傷害に対す る情緒的反応であり、それはあらゆる意味での社会的な規範、価値、期待によっておおわれている。疾病の処置とは……社会的相互作用の過程なのである」 (King 1962:207傍点筆者)。
 治療的インタビューは多くの異なる社会で観察されてきており、そこで発見されたパターンは驚くほど似ていることがわかっている。注目されているこの種の 相互作用は、文化的マトリクスの中にのみ基礎を持つのではなく、関係それ自体の中に固有のもののように思われる。全ての文化的に型取られた社会的相互作用 におけるように、患者と医者の両方がこの場面でどのように振舞うべきかについて明瞭な考えを持っており、また相手がどう振舞うべきかについても同様に明瞭 な考えを持っている。中流上層のアメリカ人の患者と彼らの医師のように、これらの役割期待が本質的に一致している時、医者−患者の面接は相互の期待がかな り異なっている時よりもかなりお互いが満足すべきものになりやすく、治療の成功へとつながりやすい。患者と医者が、社会的階級、民族所属、文化的自己帰属 の点で異なる場合のように、役割期待が一致していないと、医師−患者関係はよりお互いの満足や、治療の成功が少ないということが明らかになっている。
 その問題は次のような一連の問いにより解き明かすことが可能である。つまり「合衆国での医師と患者の相互の期待とは何か。非西洋ではどうか。これらの異 なる期待が、科学的に訓練された医者と(科学という点では)ソフィスティケートされていない患者を含む治療場面でぶつかったとき、そこで何が起こるだろう か」。過度の単純化の危険はあるが、社会的経済的階層の上端に位置する患者を取り扱う時、アメリカの医者は患者との関係が続き、その中で患者の信用を保 て、患者が彼の指示を注意深く守ることを期待する。彼はまた、患者が不平を言わずに支払いをすることを期待し、そしておそらく、自分の仕事に患者がある程 度の感謝の念を持つことを期待する。医師は、患者に関する記録をずっとつけ、診断の助けになる数多くの質問をし、必要に応じて患者を診察し、その必要があ れば、臨床検査やX線検査に患者をまわすことを期待する。患者の期待も同じであり、患者はそれらの行為の全てが合理的であると考えている。
 当然のことながら、このモデルは極端に単純化されている。内科医から必要に応じて患者を送りつけられることのある外科医、整形外科医、その他の専門医の 場合より、(昔の家庭医の現代版である)内科医のほうがこのモデルにうまく合致する。非西洋社会でも、医者−患者の期待についてのいかなるモデルも極端に 単純化されているに違いない。しかし、西洋での実践にたとえられるような基本的な対照がある。(薬草師とは対照的に)シャーマンまたは呪術医の期待は、我 々がすでに見たように、多くの点で科学的医師のそれと大した差はない。しかし、前者は引き続いて西洋の医師による治療を受けられるよう患者にとりはからう ことがないという点では、差異は大きい。シャーマンは患者から服従を、彼の指示を守ることを、さらにそのサーヴィスに対する支払いを期待する。少なくと も、多くの社会で、シャーマンは患者が時折自分のところへ戻ってくることを当然想定してもよい。差異が大きいのは、本来の関係という点よりむしろ診断の領 域においてである。つまり、患者の症状、それが見られた期間、病気の原因と性質を決定することに関係があるかもしれない全ての情報についての詳細な説明を 患者に求めることはシャーマンや呪術医の場合はまれである。クジを引くといった占いやトランス状態での超自然との交流を通して、シャーマンは、何が問題な のか、より適切には、既述のように、誰があるいは何が病気の原因かを自分自身で発見することが期待されている。なぜなら治療は症状に向けられているという よりも、原因のほうに向けられているからである。結局、その種の技能に対してシャーマンは支払いを受けるのである。
 したがって、今述べたような期待を抱いた患者が、彼のとはかなり異なる期待を持った医者に相談したら、よくて混乱、悪くて信頼の完全な喪失が起こるだろ う。ジャンセンは、治療的インタビューに関してボンバナ・コーサ族の医療での問題を詳細に描いている。その土地固有のパターンに従い、病人とその仲間は占 い師の家まで一列をなして歩いていくが、その時手に長い棒を持ち、頭に一束の衣服をのせる。そのことで彼らの目的を示す。「占い師が面接を始める時彼はあ て推量から始める。彼は患者/親類とのインタビューによって《病歴》を聴取するものとはされていない。反対に、彼の方が患者とその病気の原因についての全 ての質問に答えなければならない」(Jansen 1973:43)。「部族の人々は、自分の病気について十分な説明ができるように、施術者達から訓練されてはいない。反対に、コーサ族の占い師はウク−ヴ ミサ(uku-vumisa)[占い]の過程で患者の隠れた苦痛について述べ、ついで診断と解釈へ移る」(同書、84)。
 治療者の役割にこのような期待を抱いている患者にとっては西洋医学の質問は難しく混乱させられるものである。「部族の医学においてはインタビューは知ら れていない」とジャンセンは言う。コーサ族においてはインタビューは裁判に関する事柄、家畜の登録、税、その他の、彼らの政治的服従という位置において、 疑惑をもって見られるような話題に関係している。ジャンセンは次のようにつけ加える。西洋医学では、歴史は我々の思考における一つの根本的概念であり、我 々の歴史的に構造化された思考の一つの反映である。かくして、病いは、少なくとも潜在意識的には、一部には歴史的取り扱いを必要とする[歴史的]出来事と して見なされている。それに対して、「(コーサ族の)占い師の神話的アプローチは、西洋の直線的時間概念とは反対の循環的時間体験の一部として人生を見て おり、病気を人の人生における歴史的出来事として理解しているのではない」(同書、73)。
 これら全ての理由から、助ける前に多数の質問をしなければならない西洋医学の医者は深い疑いをもって見られるのである。「あなたのお名前は」という単純 な質問でさえ、しばしば相手に不信を引き起こす。それは部族民の日常生活では「常ならぬ」質問であり、幾人かの年長の患者はこれに関する情報さえ言うこと を控えるのである。ジャンセンが「どこが悪いのですか」という質問で面接を始めた時には、「私ではなく医師がこの質問に答えねばならないのではないか」と いう答えが返ってくることがしばしばだった(同書、81)。
 ジャンセンはまた、治療者がどれくらい患者と過ごさなければならないのかということについての医者−患者の見解の相違からくる問題についても指摘してい る。西洋的な時間感覚のないボンバナの患者はのんびりした面接を期待している。ここでは効率は治療の過程における要素とはならない。それに対して、医師は 自分の時間を効率的に使うことを訓練されており、この期待は、待合室の長蛇の列を見ると、基本的な必要事項として再認識される。「たぶん、我々はボンバナ の患者と話す際にしばしば誤りを犯してきたのだろう。それは我々が彼らにとってあまりにも早いギアで彼らとのコミュニケーションを進めるという誤りを」。 しかし、彼は次のように付け加えているが、この点ではただ彼に同情するのみである。「忙しい診療の日々は、我々の西洋のペースをボンバナの生活ののろいテ ンポにもっと合わせるのに理想的な時間ではない。不幸にも、約100人の患者の一群が我々の出張所の一つで医者に診てもらうのを待っていた時、《急ぐ》の はほぼ避けられないことである」(同書、77)。

コミュニケーション

 治療的インタビュー、西洋および非西洋という背景、通文化的医療の実践で出会う全ての困難のうち、医師−患者のコミュニケーションに関連する問題がおそ らく最も普遍的であろう。この問題の本質は、小話、それも、もし恐ろしくまじめなものでなかったとしたら、ほとんど滑稽話といってよいものの中で捉えられ ている。カリフォルニアのアングロ系のある公衆衛生医は、メキシコの一人の母親に、最も洗練された患者ですら理解に苦しむような言葉で、どのようにして幼 児の離乳をさせるかをアドヴァイスした。「強度の胸部帯を適用し、水分摂取を抑制しなさい」(Apply a tight pectoral binding and restrict your fluid intake)(Clark 1959a:220)。彼女は少しばかり英語を理解したけれども、この言葉は彼女の常識の理解を越えており、彼女はプライドや恥ずかしさで、説明を求める ことができなかった。
 合衆国や外国の証拠からすると、医師は、(1)患者が、何を言われているか、そしてそれが処置や以後のケアにどういう意味を持つのかということを実際以 上に理解する力があるとしばしば仮定し、(2)面接時の患者の個々の行動について全く不正確なステレオタイプ化した見方を持っていることが示唆されてい る。第一の例として、臨床医療における214人の患者とその医師についての研究があり、それによると、患者についての医学的質問事項のうちその情報の 82%は患者達自身が知っているはずだと医者は信じている。しかし、実際に患者が理解しているのはそのうちの55%であり、高校卒業生でさえその事項の3 分の2だけしか理解できなかった(Pratt et al.1958:225)。
 同じような発見がインドでの研究から得られている。そこでは医者がふつうに使っている25の単語を定義することを50人の女性患者に求めた。そのうち、 患者が意味を把握していることを示すと考えることのできる答えはわずかに5分の3弱であった。注射、かゆみ(itch)、月経 (menstruation)、腫脹(swelling)は最もよく理解された単語であり、血液、腺(glands)、手術は一番理解できていない言葉で あった。この単語のリストは2つのグループの言葉からなっていた。一つは医者によって患者の語彙から拾い出されたものであり、他の一つは医者はふつうに使 いそれが患者に採り入れられるようになった専門用語からなっていた。「前者のグループの単語群は最もよく理解されているように思われる」(Anand and Rao 1963:153)。医者は患者の使う単語やその意味を学ぶことの重要性、さらにできる限り治療の場でそのような言葉を使うことに気を配るべきであると、 著者達は結論している。 別の状況下では、患者は単語を完全によく理解しているかもしれない。しかしその単語の含みが患者の行動にも影響を及ぼしているか もしれない。南部からデトロイトへ移住した一組の夫婦の子供が頭に大怪我をして縫合のためにある大病院の救急室に運ばれてきた。その父親は抜糸のために一 週間後にもう一度来院するように言われたが、父親は爪切りで子供の抜糸を行ってしまった。一つには、彼は救急に対する22ドルの支払いに反抗していたので ある。しかし、もっと重要なことは抜糸のために「外科」(surgery)へ来るようにと指示したという事実である。全くこれはぞっとさせられることで あった。「伝統的に南アパラチア地方出身の人は医師に対する根本的な不信の理由の一つとして、医者は『彼に切りかかる』、または手術をするという考えをよ く抱いている」(Stekert 1970:130)。
 幸いにも、次のアメリカ人の子供の例が示しているように、明確な言葉によるコミュニケーションは治療的出会いを成功させるのに必ずしも本質的なことでは ない。英語の話せるデンマーク人医師がその子供に「深く呼吸しなさい」(respire profoundly)と要求したところ、その子供は、聴診が体に触れるのを手掛かりにして、わけのわからない命令があるごとに深く息を吸いこんだとのこ とである。医師の診療室で自分達に何を期待されているかということについての患者の知識が疑いなく、多くの同じような状況を円滑化する一方、例えば次の、 親と一緒にミッション・ドクターを訪れたボンバナ・コーサ族の4歳の子供の場合のようにしばしば奇妙な結果に終わることもある。この少年はとうとう好奇心 を押さえることができなくなった。彼はこう尋ねたのだった。「この医者はいつダンスを始めるの」(Jansen 1973:142-143)。つまるところ、人は医療行為について劇的に異なる解釈に出会うためにアフリカなんか行く必要はない。テキサスのある医者が バーナーに火をつけ、その上で、検査室にふさわしい儀礼的方法で、咽の粘膜のスライドを前後にあぶっていると、あるキッカポー・インディアンの老婆の患者 は、謙遜を示す前屈の姿勢をとりながら歌い踊り始めた(ラファエル・トレド医師よりの私信)。
 ロス・アンジェルス児童病院の小児科クリニックにおける最近の研究は、医者が患者達に、どのように見られているかについての医者の把握が時にはいかに間 違っているかを例証している。この研究では、母親達が子供が受けるケアについて一番好ましくないと思っていることは医師の効率的で、非人格的で、一見無関 心のように見える行動であった。しかし、医者に対する800例のインタビューでは、医者のほとんどが自分達は物ごしがおだやかであると信じているのに対し て、「患者」(つまり母親)の半数以下しかこのような印象を持っていないことがわかった(Korch and Negrete 1972:72)。調査に参加した医師は、自分達のインタビューの録音を聞いた後、自分達が母親以上に話をしていたことに驚いた。「患者が受け身のまま で、ほとんど質問しない場合よりも、患者が医師と活発な交流をした時のほうが、そのセッションの結果がうまくいくという傾向があった」(同書、73)とい う事実を考えると、これは重要な発見である。
 76%の母親は医師の診療に「非常に」あるいは「まあまあ」満足しており、わずか24%が不満であるという発見はほっとさせるものであるが、にもかかわ らず、半数近くの母親は最後まで子供の病いの原因は何だろうかと疑問を抱きながら、医師の診察室を去る(同書、69)。最も興味深い発見の一つは、一般に 信じられているのとは逆に、面接の時間の長さと、患者の満足とはほとんど関係がなかったということである。「我々が調査した800の来院は、その長さが2 分から45分にまで及んでいたが、セッションの長さと(1)患者の満足度、あるいは、(2)子供の病いの診断における明確さの間には有意な相関はなかっ た」(同書、71)。母親が理解できる用語を使った友好的な医者は短い時間内で効果的な面接を行った。「不満を持つ母親の最も激しく最もよくある不平と は、医師が子供に関する母親の大きな関心事にほとんど興味を示さなかったということであった。クリニックにやってくる母親の期待の中でも、医師が子供だけ でなく、心配している親に対しても友好的で同情的であってほしいという期待は強かった。しかし、記録によると、医師との会話のうち、個人的で友好的な性質 のものは5%もなかった」(同書、72)。

結論 

 治療的インタビュー像の通文化的スケッチを比較するためには、我々はかなりしっかりした基礎を持っている。合衆国での医師−患者の相互作用についての データもかなりある。それに、西洋の医師や科学的医学で訓練された医者が伝統的共同体において、医者の役割行動への期待が医者とは異なっている患者を診療 する時に、持ち上がる問題についても多くの報告がある。民族誌の記録もまた、単一の伝統的社会内部のシャーマン的な降霊集会や他の医師−患者関係に関する 限りは良い資料がある。
 しかし、我々が特にコミュニケーションの問題−医者は何をコミュニケートしたいのかを患者はどのくらいよく理解しているのか−に目を向けると、記録はあ まりない。特定の医学用語を定義するよう求める質問項目や患者が医師の指示を理解したか否かをそのまま問う質問事項を使った調査は、西洋、あるいは、アナ ンドとラオの場合のように、非西洋の国々の科学的医学というコンテクストに限られている。しかし、伝統的社会に関する同じようなデータはない。そこの患者 に、次のような質問を体系的にした人類学者はいなかったように思われる。シャーマンの言うことを理解しましたか。薬草師の言うことがわかりましたか。あな たは最後まで答えてもらえない質問が残りましたか。治療者のところに行って、どういう点が気に入って、どういう点がいやでしたか。お互いに異なる文化や社 会階層出身の医師と患者を含むような治療的インタビューを特徴づける頻繁な誤解に注目しながら、我々は、同じ患者が、彼の社会のシャーマン、呪術医、薬草 師を、彼らが医師にかわって選ばれる時は十分に理解するだろうと我々は仮定してきた。しかし、我々に確かなことはわからない。これはより多くの民族医学的 調査を必要とするトピックである。


このページは、かつてリブロポートから出版されました、フォスターとアンダーソン『医療人類学』の改訳と校訂として、ウェブ上においてその中途作業を公開 するものです。

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他山の石(=ターザンの新石器)

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