非西洋的医療システム:その強みと弱点
Notes on George M. Foster and Barbara G.
Anderson'
Medical Anthropolpgy, 1978
解説:池田光穂
目次に戻る(Back to Index)医療人類学 第7章 非西洋的医療システム−その強みと弱点 問題 以上のように、第4、5、6章の三章で、我々は非西洋的医療システムの主要な特性について記してきた。そして、様々なタイプの社会の相違に連動した病因 論、治療法、治療家達の問題、ある特定の社会における様々な病気の問題について、これまで論じてきた。西欧においては、身体的疾患と精神的疾患が峻別さ れ、それに対応して医者や治療法、病院も区別される。ところが非西洋社会では、ほとんどの場合、そのような区別がない。そして、一人のシャーマンか呪術医 の技術が双方の疾患に決定的である、という点を強調してきた。 この章では、人類学者、精神医学者、その他の医者、あるいはこれらの領域外の人達の興味をそそってきた問題について論じてみたいと思っている。そもそ も、非西洋的な因果論が効果的な治療にいかにしっかりとした基礎づけを与えるのだろうか? いかにして、巧妙に痛みを鎮め、異常な行動を減じ、病床の患者 を看護し、彼らを身体的にも精神的にも回復させるのだろうか? 諸家の意見は実にまちまちであり、その評価は全くのにせものと見なすものから、実に効果 的、あるいは原科学的、合理的、単に試行錯誤の医療と全く一致していない。 この非西洋的医療に対する二つの異なった態度を示す人々の論点を挙げると次のようになる。懐疑派にとっては、シャーマンの手品師のような素速い、うさん くさい手つき、患者の身体から血まみれの水晶体−これが病気の対象なのである−を吸い上げる時の詐欺師めいたやり方、そして、今さらいうまでもないシャー マン社会の平均寿命の低さ、若死、そして罹患率の高さ等々は非西洋型医療の未熟さを示す何よりの証拠である。支持派は、未開医療の薬草の知識が西洋の薬物 処方に大いに貢献したことを述べ、シャーマンの行う医療的儀式は、患者や、患者の世話をしているその社会の成員達にしばしば確とした信念を与え、その心理 的社会的サポートこそ、非西洋型医療が西洋世界に大きく示唆する点であり、それをいかに可能にするか、ということがヘルス・ケアニーズの場においては、主 要な役割を果たすべきだ、と述べる。 非西洋的医療の効果に関する論証はアカデミックなものとはほど遠い。しかし、今日、世界保健機構や国際開発局においては、非西洋的治療法や魔法の一部 と、西洋医療との統合が国家的な健康プランのために真剣に討議されている。この事実をふまえて懐疑派の言い分を認めると、このような動きは無駄金を使い、 結局は高くつくものであるにしかすぎない、ということになる。支持派の意見がもし正当であるならば、何十年もの間増え続けてきたヘルス・ケアのコスト抑制 につながり、プライマリー・ヘルス・ケアの拡張のための確かな第一歩を踏み出した、ということになる。この問題については、第14章で詳述するつもりであ る。ここでは、この医療の強みと弱点、施術の危険な側面、あるいは効果的な面を明確にさせるために、非西洋的医療を精細に調べることにする。 測定の困難さ 医療システムの有効さを評価するのは容易なことではない。つまり、このような対象を測定するための一般的に了解された基準などというものはありえない し、評定する人の個人的な物差しや考え方によって大きく変動しうるからである。どのようなものが判定されるべきか、それすらも一致していない。アメリカで は、医療システムは法律、宗教、社会等と比較的切り離されたものとして考えられている。それゆえ、このシステムの成功、非成功の評定はこれらの制度とは余 り関係がない。我々は、診断技術の正確さや、治療効果、免疫、手術の腕、慢性病治療等々をつい例に選んで、これらとの関連からその評定を下そうとする。さ らにもっと広く考えても、我々は医療技術の科学的裏づけ、あるいは個々の食餌療法、運動、肥満や喫煙の危険といったものに興味の対象が移る。換言すれば、 我々はかなり狭い病理学的見地から判断しようとする傾向があるのである。すなわち、平均寿命の上昇、死亡率や罹患率の低下、ガン、心臓病の手術後の余命率 等の数字を医学の進歩の証しとする。こうした基準から、我々の医療システムは素晴らしいと判断するのである。 しかし、ここで逆説を持ち出すと、今まで挙げてきたような例の全てが目指す窮極的な基準−つまりこのシステムを利用する側の満足−によって判断すると、 この医療システムは必ずしも素晴しいとはいえない。少なくとも昔、医者は皆に尊敬され、愛されるファミリー・カウンセラーの役を自己に認じてきた。だが、 これは今日の医者のイメージとはほど遠い。医事訴訟の数はうなぎ昇りであるし、信仰治療、有機肥料野菜、自然分娩等を推奨する代替医療に転じる人々も増加 の一途をたどっている。さらに広い観点、人間生活の心理社会的文脈から考えると、明らかに我々はもっと種々、学ばねばならぬものを抱えこんでいる。 それに反し、多くの非西洋的社会は、医療と、宗教、法律、社会等との区別はそれほど明瞭ではない。こうした社会では、宗教と医療は、あるいは、原因論的 観点と社会統制とは、同じ制度的文脈の中で複雑に絡みあっている可能性がある。したがって、これらの社会における医療システムの有効性論議は、病気の治療 や健康の維持といった見地から遠く隔った観点から、すなわち、その社会における役割をいかにうまく果たせるか否か、といった能力によって測定されなければ ならない。マレツキーはこの点に関して、次のような一般的原則を記している。「健康という概念にどのようなラベルが貼りつけられようと、それは共同体の成 員である個人の条件であり、のみならず、その共同体全体、社会システムの条件でもある」(Maretzki 1973:135)。例えば、ナバホ族の場合、患者が再び自然や社会とうまくやっていけることが、症状の軽減よりも、その医療の有効性の強力な「証し」と なる。同じように、ハロウェルが記しているオブジワ族の場合、広く点在して居住するこの部族のメンバー間で、仲たがいをうまく解消し、生き生きとした社会 的関係を維持することが、病院論的観点の価値を測る物差しとなる。西洋と非西洋の医学体系において評価されなければならない差異は、治療者の異なる役割に よってさらに強調されなければならない。アランドが既に指摘しているように、「非西洋諸国の医療専門家達は、医療とは関係のない要求をも組み込んだ社会的 コンテクストの中で行為する。つまり、彼らは社会的調停者であり、宗教的調停者でもあり、彼らの職務は、人間関係をうまく調整し、人間と超自然的なものと の橋渡し役をも兼ねる。それゆえ、彼らは病気を治すというよりも、社会的原因を治療するのである」(Aland 1970:128)(1)。 西洋的医療と非西洋的医療システムの役割におけるこうした対立に関して、次のような提言ができるように思われる。そのシステムの有効性の測定のための一 つのポイントは、システムを利用する人々側の期待をどの程度まで満足させることができるか、という点である。ところが、利用者サイドの期待というものは大 きく変動するので、異なったシステムの間での有効性の比較は厳密には不可能である。それはいかにしてりんごとオレンジを加えるか、といった問題を考えるの とやや似ている。 非西洋的医療の有効性の問題に関する人類学者のいささか軽薄な評定は、我々のデータによってさらに複雑化してきている。我々のデータは膨大なものである が、必ずしも答えを出さねばならない問いかけに適したものとはいえないからである。例えば、我々は、いかに病因論やシャーマンの役割がソーシャル・コント ロールの一つの型として役立っているか、という点に関して詳しく述べてきた。しかし、これらの点は人類学者によってすでに構築されたモデルであり、どの程 度まで、意識上、意識下を問わず、これらのモデルに人類学者が説明しようと企んでいる人々の行動が参入しているのか、我々には全く確信が持てない。言い換 えると、我々はこれらの諸機能と非西洋的医療システムのための仮説として提示した。これは正しいと自負している。しかし、実際これらはいろいろ変化するも のであり、臨床的に妥当な証拠と信じなければならない。 非西洋的医療システムを評定する際の二番目の混乱のもとは、特定の治療法の有効性に関する限り、そのデータが極度に少ない、という点である。我々の判断 の大部分が、たった一つか、たかだか数個の観察記録に依っているというお粗末さなのである。統計的方法、二重盲検法、試行錯誤の積み重ね等々、科学的医学 が有効性を証明する際に欠くべからざるものとされているこれらの方法のデータが全く欠如しているのである。 これらの精緻なデータに代わるものは、往々にして逸話なのである。ある時、我々のうちの一人が(フォスター)、メキシコのチンツンツァンでひどい風邪に かかった。彼がその村で寝泊まりしていた家族の人達はその病気を「上がってきた熱」のせいにした。そして、彼の寝室の冷たいコンクリートの床を裸足で歩き まわる不注意な習慣のためだと言った。家族の人達は彼に薬効があるというテプサの葉を飲ませ、胸のあたりにまで身体を熱くしている風邪を追い出すために、 彼の足の裏に油を塗った。そして熱いヤシ油を飲ませて寝かせた。以上のことが完了すると彼はぐっすり眠った。翌朝、風邪はほとんど治っていた。 民間療法の効果の「証し」はこの程度の妥当性である。この問題の解答を得る前に、もっと完全なデータ、とりわけ分析と結論を得るのに高度に適したいい諸 実例を我々は何よりも欲している。医療関係以外の多くの研究題目については、今や我々は優れたデータを収集し、例えば結婚の規範、政治的機構、架空の親戚 関係、農作物生産高その他についてはかなりの科学的精度で、それらを「事実」と見なしていいほど、語ることができる。しかし、医療に関する資料のほとんど は、インフォーマントが喋ったことや、今述べた逸話のような平凡な観察であるにしかすぎない(2)。 このような我々が直面している明らかな障壁を承知の上で、非西洋的医療システムのプラス面とマイナス面について考察してみることにする。 非西洋治療のプラス面 非西洋医療システムの強みは、便宜上心理社会的支持療法、あるいは臨床的、治療的行為、ことにその地方に特有の薬草知識といったカテゴリーで考えられて いる。しかしこの問題に関心を持つ人類学者や非西洋諸国の人々と一緒に働いたことのある多くの精神医学者達は、非西洋医療が有効であるのは前者の心理社会 的療法であって、後者の臨床的治療行為ではない、と口をそろえて述べている。伝統的社会では、疾病(少なくとも重篤な疾病)は患者の身体の機能失調だけで なく、社会との関連、あるいは社会そのものの内部の機能失調によっても起こる、という考え方が西洋より浸透しているからである。 その好例が、ナバホ族の場合である。「ナバホ族の健康概念は実に奇異である。彼らにとって健康とは、人間とその人間を取り囲むものとの正しい関係を現す 徴候なのである。この取り囲むものとは、その超自然的な《環境》、彼の周りの身近な世界、そして彼の仲間達である。健康は、善、神の恵み、美と連同してい る。そして、こうしたものは人生において明らかな価値を持っている。かたや疾病は、この絶妙のバランスを失った故だと確信される」(Adair et al.1969:94)。 そして、非西洋諸国の多くの人々の疾病概念の背景をなす、この人間−環境モデルこそが、なぜシャーマンや呪術医が西洋の医者より強力な役割を果たすこと ができるのか、その疑問に答えるものなのである。ふつう治療師は単なる治し屋ではない。病気の症候にうまく対処しながら、彼は人間と社会と環境との間の調 和を維持するように働きかけるのである。例えばコロンビアのツカー族のシャーマンは、狩猟動物の「マスター」との超自然的な交流を通じて、病気になりうる 空間と時間をいかにうまく統御し、区別するか我々は実際に見たことがある。このようにして、微妙に調和のとれた生態学的システムの中で、不適切な歪みを回 避するのである。あるいはまた、オーストラリアのアボリジンたちの場合は、その土地の治療師は社会的、法的な仲裁者でもある。我々はいかに彼が仲間に社会 的不適合という見地から病気の可能性を注意し、そうすることによって、大きな社会的混乱を招きかねない社会的緊張を緩和し、処理するかを見てきた。 西洋と非西洋の間のこのような疾病観の基本的な相違は、古くからその土地に住んでいる人々の間でだけ行われる公的な治療儀式の—少なくとも“確立され た”医療がかかわる限り—いくつもの重要性を説明するのに役に立つ。時として、公衆の役割は単に素晴らしい見せ物を興味深く楽しんで見ている観客のような ものでしかない。しかししばしば、当事者の親戚や仲間は儀式において重要な役目を負わされている。例えば、ナバホ族の場合、その集団内の病人達のための治 療儀礼を指導する“歌い手”を育てた家族の人達は、時として九晩も続く全儀式に最後まで出席する。「親戚や友人達は儀式にやって来て、呪術医や助手の指導 によって吟唱や祈りの重要な役を担う。この協力によって、彼等は明らかに利益を得、一方、患者にとっては、こうした家族や友人の存在は、自分の健康回復の ために皆が一生懸命やってくれていると確信させる力となる」(Adair et al.1969:95-96)。治療へのこうした共同体全体の関与は、故クライド・クラックホーン(1938)によっても指摘されており、彼はこう述べて いる。「ナバホ族の人々は、全時間の約四分の一から三分の一を、このような儀式に費やしている。ただ、女性の関与はやや少ない」(Kluckhohn 1944:94)。 時として、ヒューロン・インディアンのアンダクワンダーの儀式—男女の儀式化された性交渉—の場合のように、公的関与がもっと進んでいるものもある。こ の儀式のニードは、何らかの不調、不快を訴えている更年期障害の婦人に夢の中で啓示を与え、狡猾なシャーマンがその夢の隠された意味を明らかにする。性的 関心を顕示することがうるさく非難される文化では、アンダクワンダーの儀式は珍しいことではない。そしてその時には年齢、地位を問わず、その村民の全部が その村の規範に背くことが許されるのである。だがこのように寛容的であっても、飲めや歌えの無礼講ではなく、ちゃんと社会的規範に沿っている。個々人は欲 求不満の状態にあってもただ一人とり残されているのではなく、特定の男性や女性に向けての性的関心の表現は恥ずかしいことではない、と示唆し、社会的共感 が浸透するようにチャンネルが合わされているのである(Trigger 1969:115-119)。 精神疾患に限定していえば、カーステアーズは次のような立場をとっている。「心霊治療は全く無根拠な病気因果説にのっとって行われているようである。し かし、科学的根拠による身体的治療をはるかに凌駕する二つの利点がある。一つは、出たばかりの向精神薬の副作用に悩まされる心配がないこと、第二に、心霊 治療は患者のみならずその他の人々の参加を必要とし、それゆえ、精神疾患の患者とその彼を疎んじていた人々を再統合する助けとなることである」 (Carstairs 1969:409)。 その他の、未確立の治療技術、例えば公開告解は、どの程度の患者の異常行動が、患者のみならず社会に危険を生じると信じられているかを教えてくれる。そ してさらに、感情のカタルシスや罪の分配によって、告解は辛い経験からの救済を導き出す(浄化作用)。これは、そのこと自体が治療的でありうる (Torrey 1972:64-66)(3)。 患者を心理社会的脈絡から支えるという点に関しては非西洋医学はしばしば非常に効果的だという事実上の了解が、人類学者の間にはある。アデールらはナバ ホ族の歌についてこう記している。「ナバホの人々が強く信じているこの治療儀式は、明らかに患者にサイコ・セラピーとして効果を与える。いくつかの儀式に 用いられる水浴療法やボディ・マッサージも、有益な身体療法として作用することは確かである」(Adair et al. 1969:96)。 エチオピアのアムハラ族については、ヤングが述べている。「実際的、功利的な観点から考えると、それら(伝統的な医療的信念や手段)は有用であると考え られている。それらは約束通りのことをしてくれるからである。社会的観点から見ると、これから先、続けて起こってはならない破壊的、変則的な出来事を社会 的に是とされた方法で処理するがゆえに必要であり、道徳的命令ともなる。認識論的観点から見ると、それらは現実世界に関する重大な思想を共有できるし、医 療的実践を通して、この世界観を固め、保存するための手段を与えるがゆえに、有意味である」(Young 1974-1975:88)。 この共同体志向の治療体系の価値は、ホートンによれば、純粋に心理的な意味を越えているという。彼はアフリカにおける医術を生態学的−進化的文脈の中で 把えようとする。「ある与えられた人々と、それに対する諸疾病の集合は何世代にもわたって、ともに存在してきた。自然淘汰はマラリア、チフス、天然痘、赤 痢等の疾病に対する抵抗力を高めるのに大きな役割を担ってきた」。その上、死亡率の高い幼年時代を生き残った人々は、これらの疾病に対して、恐らく、さら に抵抗力をつけていく。その結果、西洋医学の助けがなければヨーロッパ人にとっては確実な死を意味するような状況にさらされても、彼らは生き残るチャンス が十分ある。「こうした状況においては、患者の社会的立場を悪くしている障害を暴き出し、それをなくそうとすることによって病的状態と対抗しようとする伝 統的治療師の企ては多分非常に適切なものである。この企ては、ニヴァキンのびんを片手に持ち、マラリアのヨーロッパ人外来患者を扱う西洋の病院医にとって は笑い飛ばしたくなるほどの重要性しかないように見えるかもしれない。しかし、こうしたことは、ニヴァキンのびんがなく、また、かなりの程度のマラリアへ の抵抗力がある場合には実に重要なのである」(Horton 1967:56-57)。 伝統的社会における多くの疾病は、(とりわけ、個人的病因論が優位を占める場合)精神的症候と身体的症候の区別が明確でなく、心理社会的−宗教的な広い 文脈の中で、患者も治療師も病気を把握するがゆえに、その地方に独得な精神療法がしばしば卓効を奏するのも別に驚くべきことではない。アベジと呼ばれるタ ンザニアのヘヘ族の治療師について、その具体的方法を解説してみよう。多くの非西洋諸国の治療師のように、アベジの力は二週間もの間「完全に意識のない」 状態のあとの幻覚—私には見えないが声が聞こえる—に一部は依っている(Edgerton 1971:261)。アベジは患者とその病気を全体的な社会的文脈の中で取り扱う。だが、彼は薬草治療には非常な重要性を置いている。アベジは巧みに社会 的プレッシャーをかける。極端な場合、彼は患者を隣人達から離して、遠くの親戚に長期間滞在することを勧告したりする。エジャートンは、アベジの治療技術 は、「しばしば、あるいは多分いつも、その病気の症候の緩和によって報酬を受ける」と観測している(同書、269)。 クラパンツァーノも、モロッコ地方の緩やかに統合された宗教的同胞団—悪魔に憑依された犠牲者の治療にかかわる—のメンバーである、ハマードーシャ (Hamadsha)という治療師集団の成功について特記している。「ハマードーシャは単なる治療師達のグループではなく、社会のメンバーとして認めら れ、かつ現代医療者集団からも成功を収めている治療社集団である」(Crapanzano 1973:4)。彼らは、麻痺、おし、盲目、重症のうつ病等に随伴する不安反応の緩和を、時としてドラマチックといえるほどうまく治療する。「ハマードー シャはそれなりに最高の診断家」であり、例えばてんかんのように、西洋医学では器質的疾患とされているものは、巧みに自分達の治療対象から外してしまう (同書、5)。 非西洋治療の最も珍しい、一見して最も効果のある実例は、メッシングによって記された、エチオピアのアムハラ族の場合である。ツァー霊を持っていると患 者は、(極度の無関心、けいれん性発作、不妊、病気や事故が起こりやすい、等で確認される)患者と同じ神霊の所持者ではあるが、その神霊によって他の人達 の病気を治す力を持っているとされているツァー崇拝の治療師によっていやされる。ツァー霊の犠牲者は、主に下層階級に属し、田舎に住む既婚の婦人で、男性 社会では見向きもされず、コプト教会も区別し、わずかに親戚の人達の温情によって支えられている人達である。最初の治療に続いて、患者はツァー信仰の会に 「入会させられ」、そこで彼女達は同じような境遇の女達の同情と支えを受ける。ツァー霊はふつう、はらい清められて追い出されたりはしない。彼女達は一 生、その神霊とともに生きる。そのメンバー同士の連帯が症状を緩和し、病気の再発を防止する、とメッシングは信じている(Messing 1958)。このツァー崇拝はエジプトでも同様に知られ、そこでもエチオピアと同じような治療的役割を果たしている(Nelson 1971)。 同様の調子で、トリーも、非西洋社会の治療の有効性論議に関する逸話的な不確かさにもかかわらず、「呪術師が精神科医と同じような治療効果を上げている という指摘には、私もほとんど同意見である」と述べている(Torrey 1972:102)。 公平を期するために、治療的目的のみならず、宗教的、法的、社会的、心理的機能から判断しても、呪術師は何らかの効果を上げているものと考えられてい る。多くの人類学者の検討によって、非西洋医療システムは、関連社会の安寧を促進させるという意味でその文化に適応した文化的制度と同じように、かなり意 味のあることがわかってきた。 非西洋治療のマイナス面 非西洋医療の特殊的な臨床的側面(治療行為と薬剤)に目を転じると、人類学者(その他)の間でもその有効性については様々に議論が分かれている。非西洋 医療は臨床的側面についても有効な治療方法である、と信じる強硬派の意見は、民族学者であり医者でもあったアッカークネヒトに多くを負っている。彼はこう 記している。「原住民が薬草に使っている草、樹皮、根は、非常に高い割合で、その割合はランダム・サンプリングの数学的蓋然性をはるかに越えているが、今 日においてもなお変わらぬ、(中略)客観的な医学的価値を持っているものが多い。(中略)現代の薬草学は大きくこの原住民の薬草知識に負っている」 (Ackerknecht 1971:17)。彼はその例に、キニーネ、(一般的意見に反して、南アメリカのインディオではマラリアの特効薬としては使われなかった)(4)。ピクロ トキシン(強力な呼吸中枢刺激剤)、ストロファンチン(心臓薬)、エメチン(アメーバ赤痢の特効薬)、コカ(アメリカ・インディオが古くから使ってい た)、リューマチのためのサリチル酸調剤(ホッテントット由来)、阿片、ハシシ、大麻、その他非常に多数の薬を挙げている(同書,17,128)。この アッカークネヒトの挙げたリストに、ウァールは、エフェドリン、ストリキニーネ、クラレ、大風子油(以前は癲の治療に使用された)、降圧剤、トランキライ ザーとして、印度蛇木等を追加している(Huard 1969:216)。 ラーフリンも同様の結論に達し、「未開医療は経験的知識の貯蔵庫である。雑多な技術の集成ではあるが、手順や信念は、人間全体の安寧の保持と維持のため の実際的な方法、比較テスト、効果的な治療法等を現している。我々人間という種の勝利は、医学的問題がこのように各地方独特の方法で解決されていた、とい うことに少なからず負っている」(Laughlin 1963:116)。 このように積極的に非西洋医療の効果を認める派に対して、例えば疫学者のイヴァン・ポルーニンの次のような冷静な指摘があることに注意を喚起したい。 「全ての伝統的治療は何らかの正当な根拠があり、有効であるはずだ、という意見に私は疑いを持っている。この伝統的医療については、私は『創傷には−かび のはえたパンを−のせろ−抗生物質が−あるんだから』式の理論と呼んでもいいのではないかと思う。正当な根拠に裏づけられた有効な医療とは、求められた効 果が、その方法に内在する固有の特性でもって発揮されること、そういう意味を持つと私は思う。しかしながら、この正当性の論議とは別に、プリミティブな医 療の心理的、社会的利点についてまで否定するつもりは毛頭ない」(Polunin 1976:120)。 ルードンも同様の意見を披瀝している。「科学的医学に立脚したカテゴリーで観察する懐疑派の見解と、その土地固有の知恵は、前科学的薬草治療の中から蒸 留されて不純物を取り除かれ、原始的な癒しのテクニックにカプセルづめされていると主張する一派との間には、非常に大きな違いがある。素朴で善意の弁護者 がその治療師の明らかな技術を認めたということをたてにとって弁論したのは、もうずっと昔のことである」(Loudon 1976:39)。 ヒプラーとシュタインは、さらに強硬である。「医療人類学者(医療外が専門の人類学者も含む)の研究における、その文化的相対主義概念を尋常を逸するほ ど、正当な理由もない領域にまで拡延する奇妙な悪癖(中略)に私は注目してきた。ことに、非西洋の、つまり《プリミティブな》または《依頼人の》人々は決 まって《気持のいい奴》であり、医療的エスタブリッシュメントはいつも《冷酷》といった暗黙の仮定は、その最も単純な形の《疾病志向型の西洋医学モデル》 を使用するのと同じほど、その理論や実践的援助を発展させるのに、あまり適切な方法ではない」(Hippler 1977:18)。ヒプラーはまた、地方の医療システムを評価するのに、重大な事実が時として見落とされていることに我々の注意を促している。「我々は、 病的−有機体、拮抗−作用、化学−療法、器質的といった概念は真実であるということを忘れてはならない。これらの意味を否定したり、軽視するのは、単に、 青春時代の無意味な反抗主義と同然である……」(同書)。 シュタインはかくも単純に、こう言ってのける。「人類学者は、西洋の(非人間的な)医学を悔蔑するのに、全く病的といっていいほどびくびくしてきた。西 洋文明を軽視し、患者偏重主義に傾き、人類学者お気に入りのプリミティブなもの(患者、部族、伝統的治療師)に感情移入するだけでは、西洋医学専門職やそ の制度を攻撃するのは不可能だと私は思う。(中略)呪術的な民間療法に疑いを差しはさんだり、あるいはまた、西洋の保健ケア提供システムは、単にイヴァ ン・イリッチの《医療の復讐》にしかすぎないのではないかと考えたりする以前に、もっと徹底して研究し、調査することがあるのではないか、と私は心配して いる」(H.Stein 1977:16)。 多くの人類学者は、ヒプラーやシュタインですらも、土着の薬物処方の細目について、そこに特別な治療的価値を認め、治療師の巧みな腕については疑いを抱 いてはいない。しかし同時に、システムとしての非西洋薬物処方が、科学的医学の訓練を積んだ医者が処方する抗生物質やその他の薬剤と比較すると、その効果 において劣ることはどうしても否めない事実である。それに、民間療法の全てがプラスの価値を持っているとはいい難い。ゴンザレスはグァテマラの民間療法に ついて、次のように記している。「下痢、便秘、痛み、熱等に多くの土着民間療法がある程度効果的であることはわかっている。しかし、このような症状の場合 に対しても西洋医療の方がより有効である。このことはそれを実際に試みた人ならほとんどの場合、容認する紛れもない事実である」(Gonzalez 1966:124 傍点筆者)。 オプラーは、伝統的なアパッチ族の治療法について言及し、さらに厳しい意見を述べている。「器質的病変に関する限り、呪術師の貢献は大部分、否定的なも のである。彼が何もしなければしないほど、患者の状態は良くなる」(Opler 1936:1374 傍点筆者)。 確かにこのような、民間の薬草処方の効果を過度に信じる主張に対する懐疑派の意見は非常にもっともらしく思える。だが信頼すべき口調でそれを評価する、 また違った意見もある。例えば、医者で人類学者であり、かつ疫学者でもあり、専門的訓練を身につけ、熱帯地方のフィールド経験も種々積み重ねたフレデリッ ク・ダンはこう結論している。つまり、原始社会の多くの薬草は有益な効果を期待できるように思われる、と。彼はこの論をさらに進め、どのようにして、この 有益な発見がなされたかを次のように仮定している。「この療法の慣習的使用は無数の試行錯誤−つまり、人体実験−から発展した。伝統的な薬草師の採る研究 方法は、現代の化学療法的研究が採用する方法と質的にはそう変わらない。この相違は主として、時間にある」。原始的な薬草師はテストのために何十年も、何 世代も時間が必要なのである(Dunn 1976:136)。伝統的な薬草師は、あるいは数世代続いた薬草師の血統者達は「何十年も薬草で患者達を治療した経験を通して、一つの治療法に対して結 論を得たのである。そして、この経験に対するコントロール(対照実験)は、同様の障害の患者で、他の治療を受けた者や、全く治療を受けなかった者である」 (同書、136)。 「ナチュラリスティク」システムと我々が呼んでいる医療家にとっては、これは確かに可能である。結局、古典的体液病理学、アユルベーダ医学、古代中国漢 方医学は、教養のある人が作った伝統であり、少なくとも、こうした医療を実践できる人は、読み書きができ、記録をまとめることができる。しかし、「パーソ ナリスティクな」医療の実践家—このカテゴリーには人類学的記述を多く含む—にとっては、ダンの指摘は、妥当な意見ではない。ダンの観点は、科学的合理主 義の行き過ぎを、伝統的薬草師のせいにしている。これは基本的には、呪術的、儀式的、個人的な病気のアプローチとは簡単には調和しないのである。呪術的な 医療は記録を保存する手段を持たず、「コントロール(対照実験)」や統計的推理の理解に欠けている。だが以上の方法は、経験的アプローチにとって必要欠く べからざるものである。 アランドは、医学的探究における非西洋的アプローチと科学的アプローチのこの基本的二項対比について、次のように述べている。「西洋文化のある特殊な形 態は、外的志向であり、技術や科学に経験的に基づいている。これが成功を収めた主な要因は、科学的方法とコード化された方法的規則の首尾一貫したセットと して発展してきたものであった。これが病気や医学に適用されると、特に技術を高度に組み込んだ時、この方向性は当然避け難く、合理的、効果的な医学の発展 を導いてきたに違いない。このようなメソドロジーがなければ、外的世界の出来事の原因を記述したり、効果的な治療法の発見のために役立つ糸口はひどい雑音 にかき消され、曖昧なものになってしまう。この雑音は、内的条件が、曖昧な身体的症状しか呈示しない場合や、ある症候群が他の症候群と区別することが非常 に難しい場合の診断の困難さのもととなる。そしてこの雑音は、治療の介入いかんにかかわらず、大部分の人が結局は回復する、という事実によって漸次高まっ ていく。……もちろん、この雑音は慎重に組み立てられ、コントロールされた実験を通して弱められうる。しかし、これは、厳密にいうと、非西洋医学が多くの 場合に要求されている客観主義や経験論的志向の基準以下になり下がってしまうことを意味する」(Alland 1970:127-128)。 ナチュラリスティク医学システムですら、ダンの仮説に抗して、西洋的、非西洋的医学の研究方法の間には質的にはそう異ならない、との確信がある。現代医 学とアユルベーダ医学との統合が有望だと感じているカール・テイラーは、この問題を、温−冷の二項対立の文脈において指摘している。「温かい食物と冷たい 食物に関する信念はインドで非常に浸透しているので、この種のパターンには何かある統合性がありうると考えるのは理にかなっているように思われる。食事の パターンは、夏に温かい食物、冬に冷たい食物を摂ると危険であり、熱や下痢、リューマチと結びつく、という考えと関連しているように思われる」。しかしな がら、「ドラマチックな地理学的差異が明らかになってきた。北部で温かい食物と考えられている多くの食物は、南部では冷たい食物と考えられていたのであっ た。温かい食物、冷たい食物という概念の根底にあるいかなる経験的妥当性の可能性も実体化することはできないのである」(C.E.Taylor 1976:293 傍点筆者)。 伝統的薬草師のとる探究方法は今日の医学的研究の方法と質的にそう変わらない、という仮定は、もう一つの他の理由によって不満足である。それは同じ程度 の、医学的知識の協力と分与ということを前提としているからである。しかし、アザンデ族の間では、医学的知識と呪術的呪文は商業的取り引きという手段で他 の人に伝達されるべき特性であって、つまり蓄積された知識をたやすく「分け与えること」はルール違反と考えられている。十七世紀末、英国で、医者のチェン バレン一族は非常に改良された産科用の鉗子を内密に保持したという理由で強く非難された。結局、臨床家は時間に追われているので、体系的な研究のための時 間があまりない。そして、過去300年の間に我々が偉大な発見をなしとげたと賞讃している人達の多くは、仕事の合間の時間を文字通り盗んでこつこつ一人で やってきた人々であることを、歴史が示している。時間がなかったばかりでなく、研究者は、患者のことも余り顧みなかったが、素人や仲間達から批判されると いうことはなかったのである(Shryock 1969:47)。それゆえに、非文字社会の薬草療法と現代医学の「研究方法」とを比較することは誤解を招くように思われる。 確かに、かなり多く民間薬物療法が西洋の薬物学に流入している。この点に関しては、一般的了解を得ている。しかし、そのような療法に関する数や特性につ いて問いかけることは正当な問いかけではない。これらの特性のどれほど多くが単一の民間医療システムに使われ、どの程度まで特殊的なケースに適用されて使 われているか、という問いかけが正しいのである。特殊的な個々の医療システムの有効性の証左として、全世界の人々の薬理学的活性のある療法を枚挙して例に 挙げることは、太平洋を越えて民族交流があったということの証明として、アジアの言葉と類似性が認められる土着のアメリカ・インディアンの言葉を全て挙げ て表にするのと似ている。 非西洋療法−実例と危険性 研究者の中には、非西洋療法は全部が有効ではないとしても、少なくとも無害だから、精神面での必要性を満たす時には、その利用を推めるべきだと主張する 者もいる。しかしながら、この方針が受け入れがたいことを証明する危険な療法の実例も十分な数だけ挙げることができる。カール・テイラーは、「インドや他 のアジア諸国では、民間薬は無害である」という宣伝文句に警告して、次のように書いている。「これらの薬物のいくつかが正しく用いられないために、多くの 過誤が行われつつある。例えば、アユルベーダ医学やイスラム医学で多用される水銀やその他の重金属類はきわめて危険である」(C.E.Tayler et al . 1973:308)。同じ文献の中でレスリーは、「インドとパキスタンの民間医療に紛れ込んだけしによって引き起こされる緑内障」の例を挙げている。けし がメキシコから伝わって以来、これがアユルベーダのテキストに掲げられた植物と間違われたためである(同書、312)。 アフリカからも同じように危険な療法が報告されている。ナイジェリアのイバダンでは、アグボ−チュチュ(Agbo tutu)という水薬は、幼児の痙攣に対する最良の薬として広く知られており、しばしば痙攣の予防薬としても使われる。この薬は緑色の煙草の葉を人尿か牛 の尿に漬けたものに、その他の薬草を加えたもので、一方には「ゴードン・ジンを加えるのが必要か無用かという論争」も起きている。この最終産物は強力なニ コチン溶液で、多量では脳の活動を抑制する。「この薬を多量に与えられた後に病院に運びこまれた子供はしばしば昏睡状態に陥っている」(Maclean 1971:84)。 別の伝統的療法は、これから述べるペルーでの三つの例のように、それほど恐ろしいものではないが、多分科学的医学に慣れ親しんだ患者がまず選ぶものでは ないだろう。 黄疸には、凍った芋の粉に三匹のシラミと黒牛の尿を混ぜて、毎週火曜日と金曜日に服用する(Valdizan and Maldonado 1922:㈼:1932)。 丹毒には、雄鶏のとさかを切り落とし、患部にその血を塗りつける(同書、475)。 チフスおよびチフス様の発熱には、黒犬の腹の線に沿って切り裂き、まだ温かい血だらけの切り口を患者の胃の上にのせる(同書、515) インドのラクノウ地方のキナウラという村ではもっと複雑な療法が報告されている。ここでは犬に咬まれた人は、家から一五マイル離れた川で日曜日とそれに 続く火曜日に水浴に行く。この時、その人は川の土手に住む犬に小麦粉とジャッガリー(パーム椰子の砂糖)の焼き菓子を与える。傷口に粘土を塗りつけて、両 日とも、川を七回往復する。その時、祈祷師が、適切な呪文を唱えながら、鉄の棒を傷のまわりに七回横切らせて、犬の咬み傷の毒を取り除く(Hasan 1967:160)。咬みついた犬が狂犬病にかかっていなければ、患者はこれでも多分回復するだろう。しかし狂犬病の場合にはパスツールの療法の方が望ま しいようである。 リベリアのマノ族の間で一五年間医療活動を行った、アメリカ人医師、ジョージ・ウェイ・ハーレイについては、前にも引用したが、彼は浣腸、湿布、骨折時 の副木のあて方などに多くの「合理的な」民間療法を見出しながらも、時々は自らの忍耐心が試されていると思わざるをえなかった。「痙攣を伴う発熱を起こし た、役人の家のある混血のマノ族の赤ん坊は次のように治療された。赤ん坊はまず沼の泥の中で水浴させられ、ついで水浴のたらいから水と一緒に捨てられ、そ の時に泥水を無理やりに飲まされる。アサフェチダが頭にすり込まれ、口から煙草の煙が吹き込まれ、顔は香の強い薬草でこすられた。それからマンディンゴの 医者が呼ばれて、コーランの聖なる詩を書きつけた木の板を洗い流して作ったインク溶液を飲ませた。これが済んでから、ある緑色の葉をすりつぶしてできた粉 をその子の鼻に吹きつけてくしゃみを起こさせた。そして子供の服を十字路で焼いた。最後に白人の医者がキニンの皮下注射をするのが許された」 (Harley 1941:44)。少々の畏怖の念をこめて、ハーレイはこう短くつけ加えている。「この患者は回復した」。 これらのぺージで、我々の意図することは西洋の「科学的」な伝統もつい最近までは、癒しへのアプローチは驚くほど非西洋の治療技術と似ていたことを想い 出すことで、これを笑いものにすることではない。例えば、アングロサクソンの医学は、少々進歩していたとしても、これらの現代の原始部族や農耕民をほとん ど越えていなかった。ボンサーは、冬の間を塩漬け肉と干した豆ですごしてきた人々にとって、春に緑草を多食するのは壊血病に対しての効果があっただろうと 認めている。しかし、そのほかの圧倒的多数の療法には、病気の気やすめとしての有効性しかなかっただろうと、彼は確信している。有効性に対する疑いが、当 時の医者や患者自身にも全く欠けていたわけではないことは、ある処方が最後に、「神の助けによって、彼にはいかなる痛みもやってこないだろう」という文句 で終わることに示されている(Bonser 1963:9)。 ボンサーは、それぞれの処方に用いられるおびただしい数の薬物についても記しているが、このことは、ヒポクラテス学派の療法と著しい対照をなしている。 アングロサクソンの薬物リストには、多数の古典的な薬物が挙がっているが、実際に経験した効果によってより、むしろそれらの起源の持つ魔力によって選ばれ ている。いくつかの場合には、明らかに薬物自体よりその名前の方が効き目を持っていた。蛇の咬み傷に対する解毒剤の一つの処方は、「天国から現れた」木の 皮を食べることである。ここでアングロサクソンの記録者は大まじめに注釈を加えている。「これを手に入れるのは困難であろう」(同書,9)。「賢く医術に 秀でた」アレストロビウス善王の処方の一つは29種類の植物の種を等量ずつ、微粉になるまでひいて、冷たいブドウ酒に入れて、起床時に飲むというもので あった。この薬はとりわけ、頭痛、肺病、黄疸、眼のかすみ、胸やけ、腹部膨満、小腸の痛み、かゆみ、毒物、そして「すべての虚弱体質と悪霊の誘惑」から保 護する効力があった(同書、307)。さらに別の処方には37の草の名が挙げられ、58種以上のものさえあった。 ある時、薬草に詳しい、チンツンツァンのドナ・アンドレア・メヒナはメキシコに広く見られるビリスという病気についてこう語った。「この病気は、怒り、 嫌な経験、恐れ、驚き、また時には喜びからも起きることがある。胆嚢が胆汁でいっぱいになり、黄色い胆汁があふれて血管に入り、全身を黄色くする。これは 熱い病気である」。ここで、しばらく息をついでから彼女はこう続けた。「これを治すには、三個の苦いオレンジと、何枚かのオレンジの葉、十字に切った三個 の小さな緑色のライム、シナモン、ライムの根、野生のゼニアオイの根、マンルビオの根、その枝の先を一つかみ、苦いスペインエニシダの“葉”を三枚、プロ ディジオソの枝の先を一つかみ、トマトの皮とベツリアの花とライムの花とバジルの葉とトロンジルの葉をそれぞれ一つまみ、タイムの葉を三枚、これから作っ た胆汁のような水薬を飲めばよい。材料はたっぷりの水でよく煮つめて、二リットルの液体にする。別の新しいつぼに、半キロの白砂糖と半キロの黒砂糖、小さ なカップ一杯のはちみつ、二〇センタボ(五分の一ペソ)分のシナモン、四分の一リットルのアルコールを入れる。それから、後ろに下がって、火のついた長い 棒でアルコールに点火し、それが燃えつきるまでよくかきまぜる。これとはじめに作ったものを混ぜ、かきまわしてから漉し、四分の一リットルのアルコールを 加え、びんに詰めて枕元に置いておく。起床時と食前と就寝前に一口ずつ服用する。ビリスは夜の間に胃に集まるので、朝に服用すると患部がすっきりする」。 ドンナ・アンドレアはまた全ての成分に、寒熱の性質を与えていた。 ドンナ・アンドレアは非常に成功した薬草師で、その治療は有名で、愛され、尊敬される人柄を持っていた。だから彼女が引き受けた患者は誰でも、すぐに回 復するという確信が持てた。しかしながら、彼女の療法も、ボンサーの述べたイギリスのアングロサクソンの療法も、何世代にもわたって、成分をつけ加えた り、取り除いたりしながら観察した結果が集積していくといった、半科学的な試行錯誤の方法で完成されたものではない。むしろ我々の扱っているプロセスは次 々と付加されていくものである。標準的な療法から、ほとんど何もなくならないが、時代につれて多くのものが加わっていく。多分ある時はすぐに手に入らない ものの代用として、またある時は、同じような病気に効果のあった成分が想い出されて、新しいものが加わったのであろう。このようにして、原始的な薬は、成 分が入手できるかぎりは、治療者の記憶の限界までその複雑さを増していく傾向を持つ。 現代のアメリカ医療の欠点 科学的医療が、非西洋医療と比較すると、著しく優れていることを述べるにあたっては、この優越性はほんの一世紀かそこら前に獲得されたことを認めなくて はならない。さらに、我々は臨床的な技術と能力が向上したかわり、アメリカ医療の別の面に問題が生じていることにも注意する必要がある。国内の貧困層への 医療が不十分であること、医者・患者関係から生ずる諸問題、ここ何年来の相対的な「触れあい」の減少といったことを考えれば、科学的医療が十分に満足なも のではないことがわかる。近代医学は臨床上に劇的な成果を上げているし、一回の注射や、少しの薬でしばしば患者の健康が取り戻せるので、我々は、患者が精 神的なサポートや「全てのことがうまくいっている」といった安心も必要としていることを忘れがちである。 つい最近まで、アメリカ医療はこうした安心感を与えてきた。50年前には、同情、配慮、患者やその家族に与える心理的支持のセンスといった「ベッドサイ ド・マナー」によって家庭医が評価されていた。家庭医が往診の時に語る希望に満ちた元気づけの言葉や、患者に対して表す強い個人的な関心は、確かに患者の 回復に貢献していた。抗生物質が発見される前には、しばしばよいベッドサイド・マナーが医者の自由に使える最強の武器でもあった。今日では、対照的に、我 々の言葉から表現の工夫といったものはほとんど消えてしまった。現代の医学については、治療の科学として大きく進歩したが、そうすることでいやす術を見 失ってしまったともいわれている。 今日では、病む者と彼をいやしたいと思う者の関係という以前のイメージがどれほど大きく変化したかについて、医師や看護婦も時には十分正しく理解してい ないように見える。キャロル・テイラーは、現代医療の「有効性の信仰」は、医師と看護婦が患者のケアとしてしようと思っていること—時にはやっていると思 い込んでいること—の中に重大な過ちを紛れ込ませるので、この誤解を生み出したかなりの責任を負っていると、示唆している。一つの病棟を預かるある婦長 は、テイラーに次のように語った。「患者は人間であるというのが、最も重要なことです。私のねらいは、『今朝はお加減いかがですか』という紋切型のアプ ローチを廃止して、私の病棟の患者が全員個人としてケアされるように目を配ることです」。ところが、彼女がこう言ったすぐ後に、病棟づきの看護婦がドアを ノックして入ってくると、彼女の態度は次のように変わっていた。 病棟づき看護婦「604号室のD夫人が痛み止めを欲しがって、私の手に負えません」。 婦長「彼女にプラシーボを渡しなさい。604号室が片づいたら、615号室の人工肛門患者に座浴をさせてください」(C.Taylor 1970:12)。 西洋における治療法の歴史を振り返ると、我々は18世紀や19世紀には、敗血症の感染と病院熱で悪名高いヨーロッパの病院に収容されるのは、実質的な死 の宣告だったことを思い出す(Burnet and White 1972:186)。熟練した医者の注意を引かずにすんだアメリカやヨーロッパの患者はそれでも多分ずっとましであった。すさまじい放血処置、下剤、砒 素、水銀、アンチモンその他の毒物の多用は、今から見れば、あのリベリアのマノ族の赤ん坊への治療と全く同じほどに身の毛のよだつものだし、ドンナ・アン ドレア・メジナのビリスの治療より比較にならないほどひどいものである。 そして、過去において、また、非西洋医療システムの行われる地域において独占的に存在する危険な治療法を思い出すことは、今日においても、十分に現実的 である。伝統的な療法家の行った薬物の誤用や乱用は、確かに現代の西洋医療の中にも見出せる。この中には、妊婦への鎮静剤として使われて何千人もの奇形児 を生み出したサリドマイドや、相互作用で毒性を現す薬の処方のように、適正な副作用の評価をしそこなった場合も含めるべきだろう。流産の危険のある妊婦に 与えてこれを抑えるいくつかの薬は、二〇回以上使用された場合、流産から救われて現在出産可能な年齢に達している女児の間に、明白に子宮癌を増加させてい る。 十分に治療の結果が出る前に無制限に放射線照射、ペニシリン、ビタミン、ホルモン、栄養を与えること、不必要な手術(麻酔その他の危険を含めてみて)、 生理学的な役目がないと考えられた器官を子供のうちに切除すること等々の医学療法も遅ればせながら危険性が認識された。例えば、過去何十年もの間、扁桃腺 とアデノイドの切除は、これらの器官によって風邪をひきやすくなるという非現実的な考えに基づいて実施され、西洋の医者のケアを受ける多くの患者にとって 決まりきったものであった。(西洋医療によってもたらされた人口増加に関係する)今日の傾向では、長期間での効果について知られていない子宮内装具と、経 口避妊薬の使用と輸出がある。経口避妊薬の使用に関連して、短期間の予測できない作用として、血栓塞栓症の頻度の増加と偏頭痛が最近明らかにされた。 しかしながら、非西洋医学の限界といき過ぎの始まる点と西洋医学のそれとの間に、重大な違いがあるように思える。伝統的な医学体系の欠点は、(西洋人の 見方では)生理学と病因論の無知と結びついているが、科学的医学の欠点は主に、生理学的な過程のコントロールと疾患の根絶の過大評価によるように見える。 今まで見てきたように、パーソナリスティク体系においてはとりわけ、病因の呪術的な方向づけへの大きな信頼が、感染症と生理学上の慢性疾患に対する効果的 な治療の限界であった。科学的な体系では、臨床的あるいは外科的解決に没頭するあまり、時には予期しない(予期できた場合も)生化学要因や生態学的要因に よるある種の「治療過剰の死」を引き起こすことがある。 多くの劇的な発見の結果もたらされた科学の進歩が、進歩しなければ存在しなかった新しい医療問題を起こすのは皮肉なことである。バーネットとホワイトは 次のように述べる。「ほとんど例外なしに、我々はこれらの作用の長期にわたる影響を予測しそこない、しばしば望ましくない結果が起きる。長期の影響による 問題点や偶然の事故を考慮せずに、我々が成果を評価できる医学の進歩は、感染症に関するかぎり今までほとんどなかった」(Burnet and White 1972:186)。彼らの感染症の歴史の最新版では、院内感染と医原病(これらはほかの疾患や病態の治療にもあたっている医師によって偶然に引き起こさ れる)だけをとりあげる新しい一章が設けられている。これらのほとんどは、標準的な病院の機構での治療組織下では、抗生物質抵抗性細菌株の院内確立下で は、また輸血によって伝染する以上は(血清肝炎が一番有名である)、また、癌の化学療法や臓器移植での免疫抑制剤使用といった危険性の高い技術を使う以上 は、「どうしても避けられない結果」と見なされている。これらの問題は人為的なエラーが全くない場合でさえ発生することにも注意しなければならない。実際 にはこれらは、避けえない結果などではなく、医学の進歩の致命的な産物なのである。この興味ある著作の中で、彼らは次のような指摘をしている。例えば、多 くの人が信じているように、癌が(そのうち一部分でも)ウィルスによって起きるのならば、その特異で致死的な遅延型ウィルスを住まわせるために、人体を長 期の「高級住宅」に改良した科学的医学の成功も癌の病因となるであろう。 医学の進歩の複雑な反響への「非難」は多分より正しくは西洋の進歩それ自体の性格が受けるべきであろう。より詳しくいうと、医療の科学(と技術)からは 全く離れた、あるいはわずかに接する程度の分野である生物工学の発達と関連している。その結果として、今まで見たように、デカルト流の心身二元論や、人間 を文化的−生態学的な複合体として考慮しないことに見られる医療の非人間化に最も頻繁に向けられる諸批判が噴き出している。強調しておかねばならないの は、患者を、家族や友人や義務や恐れを持った人間として扱うかわりに「615号室の人工肛門患者」としてしまうような傾向が、深刻な健康状態をもたらすこ とである。つまり、これは医学療法の効果に影響するのである。乳房切除術後の患者が、我々の学生の一人に、医者に対する恨みをこめて、彼は私のことを見事 な手術による作品としてしか見ていないと話した。このケースでは、医者は乳房切除術の肉体面にしか責任を感じていなかった。しかし彼は感情面を無視するこ とで、患者に、医者である彼自身への恨みをうえつけて、自分の患者が正常で健康な生活に迅速に復帰するのを妨げてしまった。医者の指示に従わない、次回の 診察の約束を守らない、病気とその治療に関係した恐れと不安で無気力になる、患者に心身症を引き起こすフラストレーションなどの問題は、全て疾病の治療に マイナスの影響を与え、また、人々が言うところの医者−患者関係の非人間化に関連して起きている。 そして、医学技術が全世界を、医療費を増大させ、深刻な倫理上、法律上の問題を引き起こす人類の根源的なジレンマに直面させる時に、どのように相対的有 効性を評価するのだろうか。例えば、今日、合衆国では腎透析患者の費用は年間で三万ドルにのぼっている。この資源を最も有効に利用するための評価にはどん なファクターを使うべきだろうか。年齢か、将来の生産性か、それとも医学的知見への貢献度だろうか。また、もし栄養水準向上と、産前産後の診察に予算を使 うとすれば、個人としての生活を向上すると、村全体での生活を向上させるのでは、どちらが有効なお金の使い方になるのだろうか。こうした疑問を取り上げる 時には、これが西洋の科学的な医学に対する審問であって、たとえどんなに困難でもこのような選択が存在するのは、西洋医療だけであることを忘れてはならな い。 要約 非西洋医学の有効性についての我々の見解をまとめると、最初に、それが存在している社会において期待されているたくさんの機能について判断し、さらにこ うした社会に対する体系的な医学調査の限界を考慮するならば、自然発生的にも見えるこの伝統的な医療システムは驚くほど成功してきたということができる。 それは何千年間も生き残り、病者に希望と安心をもたらし、社会的な病気を上手に取り扱い、世界の人口をゆっくりと増加させることにも貢献してきた。しかし また、我々は科学的な医療と比較する時、予防と臨床の両面において、科学的医療の持つヘルス・ケアの分配の欠陥にもかかわらず、非西洋医療は、現代人の健 康への要求を満たすにはより劣った方法である。このことは我々の勝手な判断ではなく、最終的な審判である自分達の医療と科学的な医療との選択の機会の増し てきた伝統的医療の消費者の評決である。第14章で見るように、彼らの票は前者より後者にますます有利になっている。 原註 (1) ハルウッドによってニューヨークにおけるセントロ(centro)と呼ばれるプエルトリコの心霊術者の医療以外の役割が記述されている。「セント ロは家族の外で最も重要な仲間となり、世界各地の都市移民のための自発的な組織で多くの役割を果たしている。……それは職探しのネットワークとして働き、 危機にあるメンバーへの援助を提供する。それはまた、メンバー内部でのゴシップという形や組織内のより公式の規則という形、また会合の際の霊媒の儀式的権 威という形をとって社会統制の代理人としても機能する」(Harwood 1977:179)。最も重要なのは、セントロとその主霊は、メンバーを都市に適応するように社会化している機能である。明らかに、この精霊師のような代 替的な医療システムの有効性は、医師の治療を評価する時に用いるのと同じ狭い範囲では判断できない。 (2) クレインマンは最近民間療法の有効性を評価する、より精確な方法を要求している。「今までのところ、医療人類学の研究はこの質問に体系的に答える ことなしに、土着の癒しの体系は効果があると仮定してきた。臨床主導型の研究が示すように、『どのシンボルが癒すのか』といった質問からはこれから先、ほ とんど何も得られないだろうし、治療行為の精神的、社会身体的な特定のメカニズムを調べ、適当な対照群を用いる研究が本質的になるであろう」 (Kleinman 1977:13)。 (3) 公的な告解は、当然合衆国における多くの信仰療法の儀式の一部をなす。告解聴開席や精神分析医の部屋での「私的」な告白が、強力な治療的価値を持 つことは広く認められている。 (4) 緻密な論理を組んだ論文によって、ダンは、コロンブスの時代以前には、西半球ではマラリアは知られていなかったと力説している。マラリアの特効薬 であるキニーネをつくるシンコナ皮の価値は、十七世紀のヨーロッパ人によって偶然に発見された(Dunn 1965)。 |
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医療人類学
第7章 非西洋的医療システム−その強みと弱点
問題
以上のように、第4、5、6章の三章で、我々は非西洋的医療システムの主要な特性について記してきた。そして、様々なタイプの社会の相違に連動した病因
論、治療法、治療家達の問題、ある特定の社会における様々な病気の問題について、これまで論じてきた。西欧においては、身体的疾患と精神的疾患が峻別さ
れ、それに対応して医者や治療法、病院も区別される。ところが非西洋社会では、ほとんどの場合、そのような区別がない。そして、一人のシャーマンか呪術医
の技術が双方の疾患に決定的である、という点を強調してきた。
この章では、人類学者、精神医学者、その他の医 者、あるいはこれらの領域外の人達の興味をそそってきた問題について論じてみたいと思っている。そもそ も、非西洋的な因果論が効果的な治療にいかにしっかりとした基礎づけを与えるのだろうか? いかにして、巧妙に痛みを鎮め、異常な行動を減じ、病床の患者 を看護し、彼らを身体的にも精神的にも回復させるのだろうか? 諸家の意見は実にまちまちであり、その評価は全くのにせものと見なすものから、実に効果 的、あるいは原科学的、合理的、単に試行錯誤の医療と全く一致していない。
この非西洋的医療に対する二つの異なった態度を示 す人々の論点を挙げると次のようになる。懐疑派にとっては、シャーマンの手品師のような素速い、うさん くさい手つき、患者の身体から血まみれの水晶体−これが病気の対象なのである−を吸い上げる時の詐欺師めいたやり方、そして、今さらいうまでもないシャー マン社会の平均寿命の低さ、若死、そして罹患率の高さ等々は非西洋型医療の未熟さを示す何よりの証拠である。支持派は、未開医療の薬草の知識が西洋の薬物 処方に大いに貢献したことを述べ、シャーマンの行う医療的儀式は、患者や、患者の世話をしているその社会の成員達にしばしば確とした信念を与え、その心理 的社会的サポートこそ、非西洋型医療が西洋世界に大きく示唆する点であり、それをいかに可能にするか、ということがヘルス・ケアニーズの場においては、主 要な役割を果たすべきだ、と述べる。
非西洋的医療の効果に関する論証はアカデミックな
ものとはほど遠い。しかし、今日、世界保健機構や国際開発局においては、非西洋的治療法や魔法の一部
と、西洋医療との統合が国家的な健康プランのために真剣に討議されている。この事実をふまえて懐疑派の言い分を認めると、このような動きは無駄金を使い、
結局は高くつくものであるにしかすぎない、ということになる。支持派の意見がもし正当であるならば、何十年もの間増え続けてきたヘルス・ケアのコスト抑制
につながり、プライマリー・ヘルス・ケアの拡張のための確かな第一歩を踏み出した、ということになる。この問題については、第14章で詳述するつもりであ
る。ここでは、この医療の強みと弱点、施術の危険な側面、あるいは効果的な面を明確にさせるために、非西洋的医療を精細に調べることにする。
測定の困難さ
医療システムの有効さを評価するのは容易なことではない。つまり、このような対象を測定するための一般的に了解された基準などというものはありえない
し、評定する人の個人的な物差しや考え方によって大きく変動しうるからである。どのようなものが判定されるべきか、それすらも一致していない。アメリカで
は、医療システムは法律、宗教、社会等と比較的切り離されたものとして考えられている。それゆえ、このシステムの成功、非成功の評定はこれらの制度とは余
り関係がない。我々は、診断技術の正確さや、治療効果、免疫、手術の腕、慢性病治療等々をつい例に選んで、これらとの関連からその評定を下そうとする。さ
らにもっと広く考えても、我々は医療技術の科学的裏づけ、あるいは個々の食餌療法、運動、肥満や喫煙の危険といったものに興味の対象が移る。換言すれば、
我々はかなり狭い病理学的見地から判断しようとする傾向があるのである。すなわち、平均寿命の上昇、死亡率や罹患率の低下、ガン、心臓病の手術後の余命率
等の数字を医学の進歩の証しとする。こうした基準から、我々の医療システムは素晴らしいと判断するのである。
しかし、ここで逆説を持ち出すと、今まで挙げてき たような例の全てが目指す窮極的な基準−つまりこのシステムを利用する側の満足−によって判断すると、 この医療システムは必ずしも素晴しいとはいえない。少なくとも昔、医者は皆に尊敬され、愛されるファミリー・カウンセラーの役を自己に認じてきた。だが、 これは今日の医者のイメージとはほど遠い。医事訴訟の数はうなぎ昇りであるし、信仰治療、有機肥料野菜、自然分娩等を推奨する代替医療に転じる人々も増加 の一途をたどっている。さらに広い観点、人間生活の心理社会的文脈から考えると、明らかに我々はもっと種々、学ばねばならぬものを抱えこんでいる。
それに反し、多くの非西洋的社会は、医療と、宗 教、法律、社会等との区別はそれほど明瞭ではない。こうした社会では、宗教と医療は、あるいは、原因論的 観点と社会統制とは、同じ制度的文脈の中で複雑に絡みあっている可能性がある。したがって、これらの社会における医療システムの有効性論議は、病気の治療 や健康の維持といった見地から遠く隔った観点から、すなわち、その社会における役割をいかにうまく果たせるか否か、といった能力によって測定されなければ ならない。マレツキーはこの点に関して、次のような一般的原則を記している。「健康という概念にどのようなラベルが貼りつけられようと、それは共同体の成 員である個人の条件であり、のみならず、その共同体全体、社会システムの条件でもある」(Maretzki 1973:135)。例えば、ナバホ族の場合、患者が再び自然や社会とうまくやっていけることが、症状の軽減よりも、その医療の有効性の強力な「証し」と なる。同じように、ハロウェルが記しているオブジワ族の場合、広く点在して居住するこの部族のメンバー間で、仲たがいをうまく解消し、生き生きとした社会 的関係を維持することが、病院論的観点の価値を測る物差しとなる。西洋と非西洋の医学体系において評価されなければならない差異は、治療者の異なる役割に よってさらに強調されなければならない。アランドが既に指摘しているように、「非西洋諸国の医療専門家達は、医療とは関係のない要求をも組み込んだ社会的 コンテクストの中で行為する。つまり、彼らは社会的調停者であり、宗教的調停者でもあり、彼らの職務は、人間関係をうまく調整し、人間と超自然的なものと の橋渡し役をも兼ねる。それゆえ、彼らは病気を治すというよりも、社会的原因を治療するのである」(Aland 1970:128)(1)。
西洋的医療と非西洋的医療システムの役割における こうした対立に関して、次のような提言ができるように思われる。そのシステムの有効性の測定のための一 つのポイントは、システムを利用する人々側の期待をどの程度まで満足させることができるか、という点である。ところが、利用者サイドの期待というものは大 きく変動するので、異なったシステムの間での有効性の比較は厳密には不可能である。それはいかにしてりんごとオレンジを加えるか、といった問題を考えるの とやや似ている。
非西洋的医療の有効性の問題に関する人類学者のい ささか軽薄な評定は、我々のデータによってさらに複雑化してきている。我々のデータは膨大なものである が、必ずしも答えを出さねばならない問いかけに適したものとはいえないからである。例えば、我々は、いかに病因論やシャーマンの役割がソーシャル・コント ロールの一つの型として役立っているか、という点に関して詳しく述べてきた。しかし、これらの点は人類学者によってすでに構築されたモデルであり、どの程 度まで、意識上、意識下を問わず、これらのモデルに人類学者が説明しようと企んでいる人々の行動が参入しているのか、我々には全く確信が持てない。言い換 えると、我々はこれらの諸機能と非西洋的医療システムのための仮説として提示した。これは正しいと自負している。しかし、実際これらはいろいろ変化するも のであり、臨床的に妥当な証拠と信じなければならない。
非西洋的医療システムを評定する際の二番目の混乱 のもとは、特定の治療法の有効性に関する限り、そのデータが極度に少ない、という点である。我々の判断 の大部分が、たった一つか、たかだか数個の観察記録に依っているというお粗末さなのである。統計的方法、二重盲検法、試行錯誤の積み重ね等々、科学的医学 が有効性を証明する際に欠くべからざるものとされているこれらの方法のデータが全く欠如しているのである。
これらの精緻なデータに代わるものは、往々にして 逸話なのである。ある時、我々のうちの一人が(フォスター)、メキシコのチンツンツァンでひどい風邪に かかった。彼がその村で寝泊まりしていた家族の人達はその病気を「上がってきた熱」のせいにした。そして、彼の寝室の冷たいコンクリートの床を裸足で歩き まわる不注意な習慣のためだと言った。家族の人達は彼に薬効があるというテプサの葉を飲ませ、胸のあたりにまで身体を熱くしている風邪を追い出すために、 彼の足の裏に油を塗った。そして熱いヤシ油を飲ませて寝かせた。以上のことが完了すると彼はぐっすり眠った。翌朝、風邪はほとんど治っていた。
民間療法の効果の「証し」はこの程度の妥当性であ
る。この問題の解答を得る前に、もっと完全なデータ、とりわけ分析と結論を得るのに高度に適したいい諸
実例を我々は何よりも欲している。医療関係以外の多くの研究題目については、今や我々は優れたデータを収集し、例えば結婚の規範、政治的機構、架空の親戚
関係、農作物生産高その他についてはかなりの科学的精度で、それらを「事実」と見なしていいほど、語ることができる。しかし、医療に関する資料のほとんど
は、インフォーマントが喋ったことや、今述べた逸話のような平凡な観察であるにしかすぎない(2)。
このような我々が直面している明らかな障壁を承知の上で、非西洋的医療システムのプラス面とマイナス面について考察してみることにする。
非西洋治療のプラス面
非西洋医療システムの強みは、便宜上心理社会的支持療法、あるいは臨床的、治療的行為、ことにその地方に特有の薬草知識といったカテゴリーで考えられて
いる。しかしこの問題に関心を持つ人類学者や非西洋諸国の人々と一緒に働いたことのある多くの精神医学者達は、非西洋医療が有効であるのは前者の心理社会
的療法であって、後者の臨床的治療行為ではない、と口をそろえて述べている。伝統的社会では、疾病(少なくとも重篤な疾病)は患者の身体の機能失調だけで
なく、社会との関連、あるいは社会そのものの内部の機能失調によっても起こる、という考え方が西洋より浸透しているからである。
その好例が、ナバホ族の場合である。「ナバホ族の健康概念は実に奇異である。彼らにとって健康とは、人間とその人間を取り囲むものとの正しい関係を現す
徴候なのである。この取り囲むものとは、その超自然的な《環境》、彼の周りの身近な世界、そして彼の仲間達である。健康は、善、神の恵み、美と連同してい
る。そして、こうしたものは人生において明らかな価値を持っている。かたや疾病は、この絶妙のバランスを失った故だと確信される」(Adair et
al.1969:94)。
そして、非西洋諸国の多くの人々の疾病概念の背景 をなす、この人間−環境モデルこそが、なぜシャーマンや呪術医が西洋の医者より強力な役割を果たすこと ができるのか、その疑問に答えるものなのである。ふつう治療師は単なる治し屋ではない。病気の症候にうまく対処しながら、彼は人間と社会と環境との間の調 和を維持するように働きかけるのである。例えばコロンビアのツカー族のシャーマンは、狩猟動物の「マスター」との超自然的な交流を通じて、病気になりうる 空間と時間をいかにうまく統御し、区別するか我々は実際に見たことがある。このようにして、微妙に調和のとれた生態学的システムの中で、不適切な歪みを回 避するのである。あるいはまた、オーストラリアのアボリジンたちの場合は、その土地の治療師は社会的、法的な仲裁者でもある。我々はいかに彼が仲間に社会 的不適合という見地から病気の可能性を注意し、そうすることによって、大きな社会的混乱を招きかねない社会的緊張を緩和し、処理するかを見てきた。
西洋と非西洋の間のこのような疾病観の基本的な相 違は、古くからその土地に住んでいる人々の間でだけ行われる公的な治療儀式の—少なくとも“確立され た”医療がかかわる限り—いくつもの重要性を説明するのに役に立つ。時として、公衆の役割は単に素晴らしい見せ物を興味深く楽しんで見ている観客のような ものでしかない。しかししばしば、当事者の親戚や仲間は儀式において重要な役目を負わされている。例えば、ナバホ族の場合、その集団内の病人達のための治 療儀礼を指導する“歌い手”を育てた家族の人達は、時として九晩も続く全儀式に最後まで出席する。「親戚や友人達は儀式にやって来て、呪術医や助手の指導 によって吟唱や祈りの重要な役を担う。この協力によって、彼等は明らかに利益を得、一方、患者にとっては、こうした家族や友人の存在は、自分の健康回復の ために皆が一生懸命やってくれていると確信させる力となる」(Adair et al.1969:95-96)。治療へのこうした共同体全体の関与は、故クライド・クラックホーン(1938)によっても指摘されており、彼はこう述べて いる。「ナバホ族の人々は、全時間の約四分の一から三分の一を、このような儀式に費やしている。ただ、女性の関与はやや少ない」(Kluckhohn 1944:94)。
時として、ヒューロン・インディアンのアンダクワ ンダーの儀式—男女の儀式化された性交渉—の場合のように、公的関与がもっと進んでいるものもある。こ の儀式のニードは、何らかの不調、不快を訴えている更年期障害の婦人に夢の中で啓示を与え、狡猾なシャーマンがその夢の隠された意味を明らかにする。性的 関心を顕示することがうるさく非難される文化では、アンダクワンダーの儀式は珍しいことではない。そしてその時には年齢、地位を問わず、その村民の全部が その村の規範に背くことが許されるのである。だがこのように寛容的であっても、飲めや歌えの無礼講ではなく、ちゃんと社会的規範に沿っている。個々人は欲 求不満の状態にあってもただ一人とり残されているのではなく、特定の男性や女性に向けての性的関心の表現は恥ずかしいことではない、と示唆し、社会的共感 が浸透するようにチャンネルが合わされているのである(Trigger 1969:115-119)。
精神疾患に限定していえば、カーステアーズは次の ような立場をとっている。「心霊治療は全く無根拠な病気因果説にのっとって行われているようである。し かし、科学的根拠による身体的治療をはるかに凌駕する二つの利点がある。一つは、出たばかりの向精神薬の副作用に悩まされる心配がないこと、第二に、心霊 治療は患者のみならずその他の人々の参加を必要とし、それゆえ、精神疾患の患者とその彼を疎んじていた人々を再統合する助けとなることである」 (Carstairs 1969:409)。
その他の、未確立の治療技術、例えば公開告解は、 どの程度の患者の異常行動が、患者のみならず社会に危険を生じると信じられているかを教えてくれる。そ してさらに、感情のカタルシスや罪の分配によって、告解は辛い経験からの救済を導き出す(浄化作用)。これは、そのこと自体が治療的でありうる (Torrey 1972:64-66)(3)。
患者を心理社会的脈絡から支えるという点に関して は非西洋医学はしばしば非常に効果的だという事実上の了解が、人類学者の間にはある。アデールらはナバ ホ族の歌についてこう記している。「ナバホの人々が強く信じているこの治療儀式は、明らかに患者にサイコ・セラピーとして効果を与える。いくつかの儀式に 用いられる水浴療法やボディ・マッサージも、有益な身体療法として作用することは確かである」(Adair et al. 1969:96)。
エチオピアのアムハラ族については、ヤングが述べ ている。「実際的、功利的な観点から考えると、それら(伝統的な医療的信念や手段)は有用であると考え られている。それらは約束通りのことをしてくれるからである。社会的観点から見ると、これから先、続けて起こってはならない破壊的、変則的な出来事を社会 的に是とされた方法で処理するがゆえに必要であり、道徳的命令ともなる。認識論的観点から見ると、それらは現実世界に関する重大な思想を共有できるし、医 療的実践を通して、この世界観を固め、保存するための手段を与えるがゆえに、有意味である」(Young 1974-1975:88)。
この共同体志向の治療体系の価値は、ホートンによ れば、純粋に心理的な意味を越えているという。彼はアフリカにおける医術を生態学的−進化的文脈の中で 把えようとする。「ある与えられた人々と、それに対する諸疾病の集合は何世代にもわたって、ともに存在してきた。自然淘汰はマラリア、チフス、天然痘、赤 痢等の疾病に対する抵抗力を高めるのに大きな役割を担ってきた」。その上、死亡率の高い幼年時代を生き残った人々は、これらの疾病に対して、恐らく、さら に抵抗力をつけていく。その結果、西洋医学の助けがなければヨーロッパ人にとっては確実な死を意味するような状況にさらされても、彼らは生き残るチャンス が十分ある。「こうした状況においては、患者の社会的立場を悪くしている障害を暴き出し、それをなくそうとすることによって病的状態と対抗しようとする伝 統的治療師の企ては多分非常に適切なものである。この企ては、ニヴァキンのびんを片手に持ち、マラリアのヨーロッパ人外来患者を扱う西洋の病院医にとって は笑い飛ばしたくなるほどの重要性しかないように見えるかもしれない。しかし、こうしたことは、ニヴァキンのびんがなく、また、かなりの程度のマラリアへ の抵抗力がある場合には実に重要なのである」(Horton 1967:56-57)。
伝統的社会における多くの疾病は、(とりわけ、個 人的病因論が優位を占める場合)精神的症候と身体的症候の区別が明確でなく、心理社会的−宗教的な広い 文脈の中で、患者も治療師も病気を把握するがゆえに、その地方に独得な精神療法がしばしば卓効を奏するのも別に驚くべきことではない。アベジと呼ばれるタ ンザニアのヘヘ族の治療師について、その具体的方法を解説してみよう。多くの非西洋諸国の治療師のように、アベジの力は二週間もの間「完全に意識のない」 状態のあとの幻覚—私には見えないが声が聞こえる—に一部は依っている(Edgerton 1971:261)。アベジは患者とその病気を全体的な社会的文脈の中で取り扱う。だが、彼は薬草治療には非常な重要性を置いている。アベジは巧みに社会 的プレッシャーをかける。極端な場合、彼は患者を隣人達から離して、遠くの親戚に長期間滞在することを勧告したりする。エジャートンは、アベジの治療技術 は、「しばしば、あるいは多分いつも、その病気の症候の緩和によって報酬を受ける」と観測している(同書、269)。
クラパンツァーノも、モロッコ地方の緩やかに統合 された宗教的同胞団—悪魔に憑依された犠牲者の治療にかかわる—のメンバーである、ハマードーシャ (Hamadsha)という治療師集団の成功について特記している。「ハマードーシャは単なる治療師達のグループではなく、社会のメンバーとして認めら れ、かつ現代医療者集団からも成功を収めている治療社集団である」(Crapanzano 1973:4)。彼らは、麻痺、おし、盲目、重症のうつ病等に随伴する不安反応の緩和を、時としてドラマチックといえるほどうまく治療する。「ハマードー シャはそれなりに最高の診断家」であり、例えばてんかんのように、西洋医学では器質的疾患とされているものは、巧みに自分達の治療対象から外してしまう (同書、5)。
非西洋治療の最も珍しい、一見して最も効果のある 実例は、メッシングによって記された、エチオピアのアムハラ族の場合である。ツァー霊を持っていると患 者は、(極度の無関心、けいれん性発作、不妊、病気や事故が起こりやすい、等で確認される)患者と同じ神霊の所持者ではあるが、その神霊によって他の人達 の病気を治す力を持っているとされているツァー崇拝の治療師によっていやされる。ツァー霊の犠牲者は、主に下層階級に属し、田舎に住む既婚の婦人で、男性 社会では見向きもされず、コプト教会も区別し、わずかに親戚の人達の温情によって支えられている人達である。最初の治療に続いて、患者はツァー信仰の会に 「入会させられ」、そこで彼女達は同じような境遇の女達の同情と支えを受ける。ツァー霊はふつう、はらい清められて追い出されたりはしない。彼女達は一 生、その神霊とともに生きる。そのメンバー同士の連帯が症状を緩和し、病気の再発を防止する、とメッシングは信じている(Messing 1958)。このツァー崇拝はエジプトでも同様に知られ、そこでもエチオピアと同じような治療的役割を果たしている(Nelson 1971)。
同様の調子で、トリーも、非西洋社会の治療の有効
性論議に関する逸話的な不確かさにもかかわらず、「呪術師が精神科医と同じような治療効果を上げている
という指摘には、私もほとんど同意見である」と述べている(Torrey 1972:102)。
公平を期するために、治療的目的のみならず、宗教的、法的、社会的、心理的機能から判断しても、呪術師は何らかの効果を上げているものと考えられてい
る。多くの人類学者の検討によって、非西洋医療システムは、関連社会の安寧を促進させるという意味でその文化に適応した文化的制度と同じように、かなり意
味のあることがわかってきた。
非西洋治療のマイナス面
非西洋医療の特殊的な臨床的側面(治療行為と薬剤)に目を転じると、人類学者(その他)の間でもその有効性については様々に議論が分かれている。非西洋
医療は臨床的側面についても有効な治療方法である、と信じる強硬派の意見は、民族学者であり医者でもあったアッカークネヒトに多くを負っている。彼はこう
記している。「原住民が薬草に使っている草、樹皮、根は、非常に高い割合で、その割合はランダム・サンプリングの数学的蓋然性をはるかに越えているが、今
日においてもなお変わらぬ、(中略)客観的な医学的価値を持っているものが多い。(中略)現代の薬草学は大きくこの原住民の薬草知識に負っている」
(Ackerknecht
1971:17)。彼はその例に、キニーネ、(一般的意見に反して、南アメリカのインディオではマラリアの特効薬としては使われなかった)(4)。ピクロ
トキシン(強力な呼吸中枢刺激剤)、ストロファンチン(心臓薬)、エメチン(アメーバ赤痢の特効薬)、コカ(アメリカ・インディオが古くから使ってい
た)、リューマチのためのサリチル酸調剤(ホッテントット由来)、阿片、ハシシ、大麻、その他非常に多数の薬を挙げている(同書,17,128)。この
アッカークネヒトの挙げたリストに、ウァールは、エフェドリン、ストリキニーネ、クラレ、大風子油(以前は癲の治療に使用された)、降圧剤、トランキライ
ザーとして、印度蛇木等を追加している(Huard 1969:216)。
ラーフリンも同様の結論に達し、「未開医療は経験 的知識の貯蔵庫である。雑多な技術の集成ではあるが、手順や信念は、人間全体の安寧の保持と維持のため の実際的な方法、比較テスト、効果的な治療法等を現している。我々人間という種の勝利は、医学的問題がこのように各地方独特の方法で解決されていた、とい うことに少なからず負っている」(Laughlin 1963:116)。
このように積極的に非西洋医療の効果を認める派に 対して、例えば疫学者のイヴァン・ポルーニンの次のような冷静な指摘があることに注意を喚起したい。 「全ての伝統的治療は何らかの正当な根拠があり、有効であるはずだ、という意見に私は疑いを持っている。この伝統的医療については、私は『創傷には−かび のはえたパンを−のせろ−抗生物質が−あるんだから』式の理論と呼んでもいいのではないかと思う。正当な根拠に裏づけられた有効な医療とは、求められた効 果が、その方法に内在する固有の特性でもって発揮されること、そういう意味を持つと私は思う。しかしながら、この正当性の論議とは別に、プリミティブな医 療の心理的、社会的利点についてまで否定するつもりは毛頭ない」(Polunin 1976:120)。
ルードンも同様の意見を披瀝している。「科学的医 学に立脚したカテゴリーで観察する懐疑派の見解と、その土地固有の知恵は、前科学的薬草治療の中から蒸 留されて不純物を取り除かれ、原始的な癒しのテクニックにカプセルづめされていると主張する一派との間には、非常に大きな違いがある。素朴で善意の弁護者 がその治療師の明らかな技術を認めたということをたてにとって弁論したのは、もうずっと昔のことである」(Loudon 1976:39)。
ヒプラーとシュタインは、さらに強硬である。「医 療人類学者(医療外が専門の人類学者も含む)の研究における、その文化的相対主義概念を尋常を逸するほ ど、正当な理由もない領域にまで拡延する奇妙な悪癖(中略)に私は注目してきた。ことに、非西洋の、つまり《プリミティブな》または《依頼人の》人々は決 まって《気持のいい奴》であり、医療的エスタブリッシュメントはいつも《冷酷》といった暗黙の仮定は、その最も単純な形の《疾病志向型の西洋医学モデル》 を使用するのと同じほど、その理論や実践的援助を発展させるのに、あまり適切な方法ではない」(Hippler 1977:18)。ヒプラーはまた、地方の医療システムを評価するのに、重大な事実が時として見落とされていることに我々の注意を促している。「我々は、 病的−有機体、拮抗−作用、化学−療法、器質的といった概念は真実であるということを忘れてはならない。これらの意味を否定したり、軽視するのは、単に、 青春時代の無意味な反抗主義と同然である……」(同書)。
シュタインはかくも単純に、こう言ってのける。 「人類学者は、西洋の(非人間的な)医学を悔蔑するのに、全く病的といっていいほどびくびくしてきた。西 洋文明を軽視し、患者偏重主義に傾き、人類学者お気に入りのプリミティブなもの(患者、部族、伝統的治療師)に感情移入するだけでは、西洋医学専門職やそ の制度を攻撃するのは不可能だと私は思う。(中略)呪術的な民間療法に疑いを差しはさんだり、あるいはまた、西洋の保健ケア提供システムは、単にイヴァ ン・イリッチの《医療の復讐》にしかすぎないのではないかと考えたりする以前に、もっと徹底して研究し、調査することがあるのではないか、と私は心配して いる」(H.Stein 1977:16)。
多くの人類学者は、ヒプラーやシュタインですら も、土着の薬物処方の細目について、そこに特別な治療的価値を認め、治療師の巧みな腕については疑いを抱 いてはいない。しかし同時に、システムとしての非西洋薬物処方が、科学的医学の訓練を積んだ医者が処方する抗生物質やその他の薬剤と比較すると、その効果 において劣ることはどうしても否めない事実である。それに、民間療法の全てがプラスの価値を持っているとはいい難い。ゴンザレスはグァテマラの民間療法に ついて、次のように記している。「下痢、便秘、痛み、熱等に多くの土着民間療法がある程度効果的であることはわかっている。しかし、このような症状の場合 に対しても西洋医療の方がより有効である。このことはそれを実際に試みた人ならほとんどの場合、容認する紛れもない事実である」(Gonzalez 1966:124 傍点筆者)。
オプラーは、伝統的なアパッチ族の治療法について 言及し、さらに厳しい意見を述べている。「器質的病変に関する限り、呪術師の貢献は大部分、否定的なも のである。彼が何もしなければしないほど、患者の状態は良くなる」(Opler 1936:1374 傍点筆者)。
確かにこのような、民間の薬草処方の効果を過度に 信じる主張に対する懐疑派の意見は非常にもっともらしく思える。だが信頼すべき口調でそれを評価する、 また違った意見もある。例えば、医者で人類学者であり、かつ疫学者でもあり、専門的訓練を身につけ、熱帯地方のフィールド経験も種々積み重ねたフレデリッ ク・ダンはこう結論している。つまり、原始社会の多くの薬草は有益な効果を期待できるように思われる、と。彼はこの論をさらに進め、どのようにして、この 有益な発見がなされたかを次のように仮定している。「この療法の慣習的使用は無数の試行錯誤−つまり、人体実験−から発展した。伝統的な薬草師の採る研究 方法は、現代の化学療法的研究が採用する方法と質的にはそう変わらない。この相違は主として、時間にある」。原始的な薬草師はテストのために何十年も、何 世代も時間が必要なのである(Dunn 1976:136)。伝統的な薬草師は、あるいは数世代続いた薬草師の血統者達は「何十年も薬草で患者達を治療した経験を通して、一つの治療法に対して結 論を得たのである。そして、この経験に対するコントロール(対照実験)は、同様の障害の患者で、他の治療を受けた者や、全く治療を受けなかった者である」 (同書、136)。
「ナチュラリスティク」システムと我々が呼んでい る医療家にとっては、これは確かに可能である。結局、古典的体液病理学、アユルベーダ医学、古代中国漢 方医学は、教養のある人が作った伝統であり、少なくとも、こうした医療を実践できる人は、読み書きができ、記録をまとめることができる。しかし、「パーソ ナリスティクな」医療の実践家—このカテゴリーには人類学的記述を多く含む—にとっては、ダンの指摘は、妥当な意見ではない。ダンの観点は、科学的合理主 義の行き過ぎを、伝統的薬草師のせいにしている。これは基本的には、呪術的、儀式的、個人的な病気のアプローチとは簡単には調和しないのである。呪術的な 医療は記録を保存する手段を持たず、「コントロール(対照実験)」や統計的推理の理解に欠けている。だが以上の方法は、経験的アプローチにとって必要欠く べからざるものである。
アランドは、医学的探究における非西洋的アプロー チと科学的アプローチのこの基本的二項対比について、次のように述べている。「西洋文化のある特殊な形 態は、外的志向であり、技術や科学に経験的に基づいている。これが成功を収めた主な要因は、科学的方法とコード化された方法的規則の首尾一貫したセットと して発展してきたものであった。これが病気や医学に適用されると、特に技術を高度に組み込んだ時、この方向性は当然避け難く、合理的、効果的な医学の発展 を導いてきたに違いない。このようなメソドロジーがなければ、外的世界の出来事の原因を記述したり、効果的な治療法の発見のために役立つ糸口はひどい雑音 にかき消され、曖昧なものになってしまう。この雑音は、内的条件が、曖昧な身体的症状しか呈示しない場合や、ある症候群が他の症候群と区別することが非常 に難しい場合の診断の困難さのもととなる。そしてこの雑音は、治療の介入いかんにかかわらず、大部分の人が結局は回復する、という事実によって漸次高まっ ていく。……もちろん、この雑音は慎重に組み立てられ、コントロールされた実験を通して弱められうる。しかし、これは、厳密にいうと、非西洋医学が多くの 場合に要求されている客観主義や経験論的志向の基準以下になり下がってしまうことを意味する」(Alland 1970:127-128)。
ナチュラリスティク医学システムですら、ダンの仮 説に抗して、西洋的、非西洋的医学の研究方法の間には質的にはそう異ならない、との確信がある。現代医 学とアユルベーダ医学との統合が有望だと感じているカール・テイラーは、この問題を、温−冷の二項対立の文脈において指摘している。「温かい食物と冷たい 食物に関する信念はインドで非常に浸透しているので、この種のパターンには何かある統合性がありうると考えるのは理にかなっているように思われる。食事の パターンは、夏に温かい食物、冬に冷たい食物を摂ると危険であり、熱や下痢、リューマチと結びつく、という考えと関連しているように思われる」。しかしな がら、「ドラマチックな地理学的差異が明らかになってきた。北部で温かい食物と考えられている多くの食物は、南部では冷たい食物と考えられていたのであっ た。温かい食物、冷たい食物という概念の根底にあるいかなる経験的妥当性の可能性も実体化することはできないのである」(C.E.Taylor 1976:293 傍点筆者)。
伝統的薬草師のとる探究方法は今日の医学的研究の 方法と質的にそう変わらない、という仮定は、もう一つの他の理由によって不満足である。それは同じ程度 の、医学的知識の協力と分与ということを前提としているからである。しかし、アザンデ族の間では、医学的知識と呪術的呪文は商業的取り引きという手段で他 の人に伝達されるべき特性であって、つまり蓄積された知識をたやすく「分け与えること」はルール違反と考えられている。十七世紀末、英国で、医者のチェン バレン一族は非常に改良された産科用の鉗子を内密に保持したという理由で強く非難された。結局、臨床家は時間に追われているので、体系的な研究のための時 間があまりない。そして、過去300年の間に我々が偉大な発見をなしとげたと賞讃している人達の多くは、仕事の合間の時間を文字通り盗んでこつこつ一人で やってきた人々であることを、歴史が示している。時間がなかったばかりでなく、研究者は、患者のことも余り顧みなかったが、素人や仲間達から批判されると いうことはなかったのである(Shryock 1969:47)。それゆえに、非文字社会の薬草療法と現代医学の「研究方法」とを比較することは誤解を招くように思われる。
確かに、かなり多く民間薬物療法が西洋の薬物学に
流入している。この点に関しては、一般的了解を得ている。しかし、そのような療法に関する数や特性につ
いて問いかけることは正当な問いかけではない。これらの特性のどれほど多くが単一の民間医療システムに使われ、どの程度まで特殊的なケースに適用されて使
われているか、という問いかけが正しいのである。特殊的な個々の医療システムの有効性の証左として、全世界の人々の薬理学的活性のある療法を枚挙して例に
挙げることは、太平洋を越えて民族交流があったということの証明として、アジアの言葉と類似性が認められる土着のアメリカ・インディアンの言葉を全て挙げ
て表にするのと似ている。
非西洋療法−実例と危険性
研究者の中には、非西洋療法は全部が有効ではないとしても、少なくとも無害だから、精神面での必要性を満たす時には、その利用を推めるべきだと主張する
者もいる。しかしながら、この方針が受け入れがたいことを証明する危険な療法の実例も十分な数だけ挙げることができる。カール・テイラーは、「インドや他
のアジア諸国では、民間薬は無害である」という宣伝文句に警告して、次のように書いている。「これらの薬物のいくつかが正しく用いられないために、多くの
過誤が行われつつある。例えば、アユルベーダ医学やイスラム医学で多用される水銀やその他の重金属類はきわめて危険である」(C.E.Tayler
et al .
1973:308)。同じ文献の中でレスリーは、「インドとパキスタンの民間医療に紛れ込んだけしによって引き起こされる緑内障」の例を挙げている。けし
がメキシコから伝わって以来、これがアユルベーダのテキストに掲げられた植物と間違われたためである(同書、312)。
アフリカからも同じように危険な療法が報告されて
いる。ナイジェリアのイバダンでは、アグボ−チュチュ(Agbo
tutu)という水薬は、幼児の痙攣に対する最良の薬として広く知られており、しばしば痙攣の予防薬としても使われる。この薬は緑色の煙草の葉を人尿か牛
の尿に漬けたものに、その他の薬草を加えたもので、一方には「ゴードン・ジンを加えるのが必要か無用かという論争」も起きている。この最終産物は強力なニ
コチン溶液で、多量では脳の活動を抑制する。「この薬を多量に与えられた後に病院に運びこまれた子供はしばしば昏睡状態に陥っている」(Maclean
1971:84)。
別の伝統的療法は、これから述べるペルーでの三つの例のように、それほど恐ろしいものではないが、多分科学的医学に慣れ親しんだ患者がまず選ぶものでは
ないだろう。
黄疸には、凍った芋の粉に三匹のシラミと黒牛の尿 を混ぜて、毎週火曜日と金曜日に服用する(Valdizan and Maldonado 1922:㈼:1932)。
丹毒には、雄鶏のとさかを切り落とし、患部にその 血を塗りつける(同書、475)。
チフスおよびチフス様の発熱には、黒犬の腹の線に 沿って切り裂き、まだ温かい血だらけの切り口を患者の胃の上にのせる(同書、515)
インドのラクノウ地方のキナウラという村ではもっ と複雑な療法が報告されている。ここでは犬に咬まれた人は、家から一五マイル離れた川で日曜日とそれに 続く火曜日に水浴に行く。この時、その人は川の土手に住む犬に小麦粉とジャッガリー(パーム椰子の砂糖)の焼き菓子を与える。傷口に粘土を塗りつけて、両 日とも、川を七回往復する。その時、祈祷師が、適切な呪文を唱えながら、鉄の棒を傷のまわりに七回横切らせて、犬の咬み傷の毒を取り除く(Hasan 1967:160)。咬みついた犬が狂犬病にかかっていなければ、患者はこれでも多分回復するだろう。しかし狂犬病の場合にはパスツールの療法の方が望ま しいようである。
リベリアのマノ族の間で一五年間医療活動を行っ た、アメリカ人医師、ジョージ・ウェイ・ハーレイについては、前にも引用したが、彼は浣腸、湿布、骨折時 の副木のあて方などに多くの「合理的な」民間療法を見出しながらも、時々は自らの忍耐心が試されていると思わざるをえなかった。「痙攣を伴う発熱を起こし た、役人の家のある混血のマノ族の赤ん坊は次のように治療された。赤ん坊はまず沼の泥の中で水浴させられ、ついで水浴のたらいから水と一緒に捨てられ、そ の時に泥水を無理やりに飲まされる。アサフェチダが頭にすり込まれ、口から煙草の煙が吹き込まれ、顔は香の強い薬草でこすられた。それからマンディンゴの 医者が呼ばれて、コーランの聖なる詩を書きつけた木の板を洗い流して作ったインク溶液を飲ませた。これが済んでから、ある緑色の葉をすりつぶしてできた粉 をその子の鼻に吹きつけてくしゃみを起こさせた。そして子供の服を十字路で焼いた。最後に白人の医者がキニンの皮下注射をするのが許された」 (Harley 1941:44)。少々の畏怖の念をこめて、ハーレイはこう短くつけ加えている。「この患者は回復した」。
これらのぺージで、我々の意図することは西洋の 「科学的」な伝統もつい最近までは、癒しへのアプローチは驚くほど非西洋の治療技術と似ていたことを想い 出すことで、これを笑いものにすることではない。例えば、アングロサクソンの医学は、少々進歩していたとしても、これらの現代の原始部族や農耕民をほとん ど越えていなかった。ボンサーは、冬の間を塩漬け肉と干した豆ですごしてきた人々にとって、春に緑草を多食するのは壊血病に対しての効果があっただろうと 認めている。しかし、そのほかの圧倒的多数の療法には、病気の気やすめとしての有効性しかなかっただろうと、彼は確信している。有効性に対する疑いが、当 時の医者や患者自身にも全く欠けていたわけではないことは、ある処方が最後に、「神の助けによって、彼にはいかなる痛みもやってこないだろう」という文句 で終わることに示されている(Bonser 1963:9)。
ボンサーは、それぞれの処方に用いられるおびただ しい数の薬物についても記しているが、このことは、ヒポクラテス学派の療法と著しい対照をなしている。 アングロサクソンの薬物リストには、多数の古典的な薬物が挙がっているが、実際に経験した効果によってより、むしろそれらの起源の持つ魔力によって選ばれ ている。いくつかの場合には、明らかに薬物自体よりその名前の方が効き目を持っていた。蛇の咬み傷に対する解毒剤の一つの処方は、「天国から現れた」木の 皮を食べることである。ここでアングロサクソンの記録者は大まじめに注釈を加えている。「これを手に入れるのは困難であろう」(同書,9)。「賢く医術に 秀でた」アレストロビウス善王の処方の一つは29種類の植物の種を等量ずつ、微粉になるまでひいて、冷たいブドウ酒に入れて、起床時に飲むというもので あった。この薬はとりわけ、頭痛、肺病、黄疸、眼のかすみ、胸やけ、腹部膨満、小腸の痛み、かゆみ、毒物、そして「すべての虚弱体質と悪霊の誘惑」から保 護する効力があった(同書、307)。さらに別の処方には37の草の名が挙げられ、58種以上のものさえあった。
ある時、薬草に詳しい、チンツンツァンのドナ・ア ンドレア・メヒナはメキシコに広く見られるビリスという病気についてこう語った。「この病気は、怒り、 嫌な経験、恐れ、驚き、また時には喜びからも起きることがある。胆嚢が胆汁でいっぱいになり、黄色い胆汁があふれて血管に入り、全身を黄色くする。これは 熱い病気である」。ここで、しばらく息をついでから彼女はこう続けた。「これを治すには、三個の苦いオレンジと、何枚かのオレンジの葉、十字に切った三個 の小さな緑色のライム、シナモン、ライムの根、野生のゼニアオイの根、マンルビオの根、その枝の先を一つかみ、苦いスペインエニシダの“葉”を三枚、プロ ディジオソの枝の先を一つかみ、トマトの皮とベツリアの花とライムの花とバジルの葉とトロンジルの葉をそれぞれ一つまみ、タイムの葉を三枚、これから作っ た胆汁のような水薬を飲めばよい。材料はたっぷりの水でよく煮つめて、二リットルの液体にする。別の新しいつぼに、半キロの白砂糖と半キロの黒砂糖、小さ なカップ一杯のはちみつ、二〇センタボ(五分の一ペソ)分のシナモン、四分の一リットルのアルコールを入れる。それから、後ろに下がって、火のついた長い 棒でアルコールに点火し、それが燃えつきるまでよくかきまぜる。これとはじめに作ったものを混ぜ、かきまわしてから漉し、四分の一リットルのアルコールを 加え、びんに詰めて枕元に置いておく。起床時と食前と就寝前に一口ずつ服用する。ビリスは夜の間に胃に集まるので、朝に服用すると患部がすっきりする」。 ドンナ・アンドレアはまた全ての成分に、寒熱の性質を与えていた。
ドンナ・アンドレアは非常に成功した薬草師で、そ
の治療は有名で、愛され、尊敬される人柄を持っていた。だから彼女が引き受けた患者は誰でも、すぐに回
復するという確信が持てた。しかしながら、彼女の療法も、ボンサーの述べたイギリスのアングロサクソンの療法も、何世代にもわたって、成分をつけ加えた
り、取り除いたりしながら観察した結果が集積していくといった、半科学的な試行錯誤の方法で完成されたものではない。むしろ我々の扱っているプロセスは次
々と付加されていくものである。標準的な療法から、ほとんど何もなくならないが、時代につれて多くのものが加わっていく。多分ある時はすぐに手に入らない
ものの代用として、またある時は、同じような病気に効果のあった成分が想い出されて、新しいものが加わったのであろう。このようにして、原始的な薬は、成
分が入手できるかぎりは、治療者の記憶の限界までその複雑さを増していく傾向を持つ。
現代のアメリカ医療の欠点
科学的医療が、非西洋医療と比較すると、著しく優れていることを述べるにあたっては、この優越性はほんの一世紀かそこら前に獲得されたことを認めなくて
はならない。さらに、我々は臨床的な技術と能力が向上したかわり、アメリカ医療の別の面に問題が生じていることにも注意する必要がある。国内の貧困層への
医療が不十分であること、医者・患者関係から生ずる諸問題、ここ何年来の相対的な「触れあい」の減少といったことを考えれば、科学的医療が十分に満足なも
のではないことがわかる。近代医学は臨床上に劇的な成果を上げているし、一回の注射や、少しの薬でしばしば患者の健康が取り戻せるので、我々は、患者が精
神的なサポートや「全てのことがうまくいっている」といった安心も必要としていることを忘れがちである。
つい最近まで、アメリカ医療はこうした安心感を与 えてきた。50年前には、同情、配慮、患者やその家族に与える心理的支持のセンスといった「ベッドサイ ド・マナー」によって家庭医が評価されていた。家庭医が往診の時に語る希望に満ちた元気づけの言葉や、患者に対して表す強い個人的な関心は、確かに患者の 回復に貢献していた。抗生物質が発見される前には、しばしばよいベッドサイド・マナーが医者の自由に使える最強の武器でもあった。今日では、対照的に、我 々の言葉から表現の工夫といったものはほとんど消えてしまった。現代の医学については、治療の科学として大きく進歩したが、そうすることでいやす術を見 失ってしまったともいわれている。
今日では、病む者と彼をいやしたいと思う者の関係 という以前のイメージがどれほど大きく変化したかについて、医師や看護婦も時には十分正しく理解してい ないように見える。キャロル・テイラーは、現代医療の「有効性の信仰」は、医師と看護婦が患者のケアとしてしようと思っていること—時にはやっていると思 い込んでいること—の中に重大な過ちを紛れ込ませるので、この誤解を生み出したかなりの責任を負っていると、示唆している。一つの病棟を預かるある婦長 は、テイラーに次のように語った。「患者は人間であるというのが、最も重要なことです。私のねらいは、『今朝はお加減いかがですか』という紋切型のアプ ローチを廃止して、私の病棟の患者が全員個人としてケアされるように目を配ることです」。ところが、彼女がこう言ったすぐ後に、病棟づきの看護婦がドアを ノックして入ってくると、彼女の態度は次のように変わっていた。
病棟づき看護婦「604号室のD夫人が痛み止めを 欲しがって、私の手に負えません」。
婦長「彼女にプラシーボを渡しなさい。604号室 が片づいたら、615号室の人工肛門患者に座浴をさせてください」(C.Taylor 1970:12)。
西洋における治療法の歴史を振り返ると、我々は 18世紀や19世紀には、敗血症の感染と病院熱で悪名高いヨーロッパの病院に収容されるのは、実質的な死 の宣告だったことを思い出す(Burnet and White 1972:186)。熟練した医者の注意を引かずにすんだアメリカやヨーロッパの患者はそれでも多分ずっとましであった。すさまじい放血処置、下剤、砒 素、水銀、アンチモンその他の毒物の多用は、今から見れば、あのリベリアのマノ族の赤ん坊への治療と全く同じほどに身の毛のよだつものだし、ドンナ・アン ドレア・メジナのビリスの治療より比較にならないほどひどいものである。
そして、過去において、また、非西洋医療システム の行われる地域において独占的に存在する危険な治療法を思い出すことは、今日においても、十分に現実的 である。伝統的な療法家の行った薬物の誤用や乱用は、確かに現代の西洋医療の中にも見出せる。この中には、妊婦への鎮静剤として使われて何千人もの奇形児 を生み出したサリドマイドや、相互作用で毒性を現す薬の処方のように、適正な副作用の評価をしそこなった場合も含めるべきだろう。流産の危険のある妊婦に 与えてこれを抑えるいくつかの薬は、二〇回以上使用された場合、流産から救われて現在出産可能な年齢に達している女児の間に、明白に子宮癌を増加させてい る。
十分に治療の結果が出る前に無制限に放射線照射、 ペニシリン、ビタミン、ホルモン、栄養を与えること、不必要な手術(麻酔その他の危険を含めてみて)、 生理学的な役目がないと考えられた器官を子供のうちに切除すること等々の医学療法も遅ればせながら危険性が認識された。例えば、過去何十年もの間、扁桃腺 とアデノイドの切除は、これらの器官によって風邪をひきやすくなるという非現実的な考えに基づいて実施され、西洋の医者のケアを受ける多くの患者にとって 決まりきったものであった。(西洋医療によってもたらされた人口増加に関係する)今日の傾向では、長期間での効果について知られていない子宮内装具と、経 口避妊薬の使用と輸出がある。経口避妊薬の使用に関連して、短期間の予測できない作用として、血栓塞栓症の頻度の増加と偏頭痛が最近明らかにされた。
しかしながら、非西洋医学の限界といき過ぎの始ま る点と西洋医学のそれとの間に、重大な違いがあるように思える。伝統的な医学体系の欠点は、(西洋人の 見方では)生理学と病因論の無知と結びついているが、科学的医学の欠点は主に、生理学的な過程のコントロールと疾患の根絶の過大評価によるように見える。 今まで見てきたように、パーソナリスティク体系においてはとりわけ、病因の呪術的な方向づけへの大きな信頼が、感染症と生理学上の慢性疾患に対する効果的 な治療の限界であった。科学的な体系では、臨床的あるいは外科的解決に没頭するあまり、時には予期しない(予期できた場合も)生化学要因や生態学的要因に よるある種の「治療過剰の死」を引き起こすことがある。
多くの劇的な発見の結果もたらされた科学の進歩 が、進歩しなければ存在しなかった新しい医療問題を起こすのは皮肉なことである。バーネットとホワイトは 次のように述べる。「ほとんど例外なしに、我々はこれらの作用の長期にわたる影響を予測しそこない、しばしば望ましくない結果が起きる。長期の影響による 問題点や偶然の事故を考慮せずに、我々が成果を評価できる医学の進歩は、感染症に関するかぎり今までほとんどなかった」(Burnet and White 1972:186)。彼らの感染症の歴史の最新版では、院内感染と医原病(これらはほかの疾患や病態の治療にもあたっている医師によって偶然に引き起こさ れる)だけをとりあげる新しい一章が設けられている。これらのほとんどは、標準的な病院の機構での治療組織下では、抗生物質抵抗性細菌株の院内確立下で は、また輸血によって伝染する以上は(血清肝炎が一番有名である)、また、癌の化学療法や臓器移植での免疫抑制剤使用といった危険性の高い技術を使う以上 は、「どうしても避けられない結果」と見なされている。これらの問題は人為的なエラーが全くない場合でさえ発生することにも注意しなければならない。実際 にはこれらは、避けえない結果などではなく、医学の進歩の致命的な産物なのである。この興味ある著作の中で、彼らは次のような指摘をしている。例えば、多 くの人が信じているように、癌が(そのうち一部分でも)ウィルスによって起きるのならば、その特異で致死的な遅延型ウィルスを住まわせるために、人体を長 期の「高級住宅」に改良した科学的医学の成功も癌の病因となるであろう。
医学の進歩の複雑な反響への「非難」は多分より正 しくは西洋の進歩それ自体の性格が受けるべきであろう。より詳しくいうと、医療の科学(と技術)からは 全く離れた、あるいはわずかに接する程度の分野である生物工学の発達と関連している。その結果として、今まで見たように、デカルト流の心身二元論や、人間 を文化的−生態学的な複合体として考慮しないことに見られる医療の非人間化に最も頻繁に向けられる諸批判が噴き出している。強調しておかねばならないの は、患者を、家族や友人や義務や恐れを持った人間として扱うかわりに「615号室の人工肛門患者」としてしまうような傾向が、深刻な健康状態をもたらすこ とである。つまり、これは医学療法の効果に影響するのである。乳房切除術後の患者が、我々の学生の一人に、医者に対する恨みをこめて、彼は私のことを見事 な手術による作品としてしか見ていないと話した。このケースでは、医者は乳房切除術の肉体面にしか責任を感じていなかった。しかし彼は感情面を無視するこ とで、患者に、医者である彼自身への恨みをうえつけて、自分の患者が正常で健康な生活に迅速に復帰するのを妨げてしまった。医者の指示に従わない、次回の 診察の約束を守らない、病気とその治療に関係した恐れと不安で無気力になる、患者に心身症を引き起こすフラストレーションなどの問題は、全て疾病の治療に マイナスの影響を与え、また、人々が言うところの医者−患者関係の非人間化に関連して起きている。
そして、医学技術が全世界を、医療費を増大させ、
深刻な倫理上、法律上の問題を引き起こす人類の根源的なジレンマに直面させる時に、どのように相対的有
効性を評価するのだろうか。例えば、今日、合衆国では腎透析患者の費用は年間で三万ドルにのぼっている。この資源を最も有効に利用するための評価にはどん
なファクターを使うべきだろうか。年齢か、将来の生産性か、それとも医学的知見への貢献度だろうか。また、もし栄養水準向上と、産前産後の診察に予算を使
うとすれば、個人としての生活を向上すると、村全体での生活を向上させるのでは、どちらが有効なお金の使い方になるのだろうか。こうした疑問を取り上げる
時には、これが西洋の科学的な医学に対する審問であって、たとえどんなに困難でもこのような選択が存在するのは、西洋医療だけであることを忘れてはならな
い。
要約
非西洋医学の有効性についての我々の見解をまとめると、最初に、それが存在している社会において期待されているたくさんの機能について判断し、さらにこ
うした社会に対する体系的な医学調査の限界を考慮するならば、自然発生的にも見えるこの伝統的な医療システムは驚くほど成功してきたということができる。
それは何千年間も生き残り、病者に希望と安心をもたらし、社会的な病気を上手に取り扱い、世界の人口をゆっくりと増加させることにも貢献してきた。しかし
また、我々は科学的な医療と比較する時、予防と臨床の両面において、科学的医療の持つヘルス・ケアの分配の欠陥にもかかわらず、非西洋医療は、現代人の健
康への要求を満たすにはより劣った方法である。このことは我々の勝手な判断ではなく、最終的な審判である自分達の医療と科学的な医療との選択の機会の増し
てきた伝統的医療の消費者の評決である。第14章で見るように、彼らの票は前者より後者にますます有利になっている。
原註
(1) ハルウッドによってニューヨークにおけるセ ントロ(centro)と呼ばれるプエルトリコの心霊術者の医療以外の役割が記述されている。「セント ロは家族の外で最も重要な仲間となり、世界各地の都市移民のための自発的な組織で多くの役割を果たしている。……それは職探しのネットワークとして働き、 危機にあるメンバーへの援助を提供する。それはまた、メンバー内部でのゴシップという形や組織内のより公式の規則という形、また会合の際の霊媒の儀式的権 威という形をとって社会統制の代理人としても機能する」(Harwood 1977:179)。最も重要なのは、セントロとその主霊は、メンバーを都市に適応するように社会化している機能である。明らかに、この精霊師のような代 替的な医療システムの有効性は、医師の治療を評価する時に用いるのと同じ狭い範囲では判断できない。
(2) クラインマンは最近民間療法の有効性を評価 する、より精確な方法を要求している。「今までのところ、医療人類学の研究はこの質問に体系的に答える ことなしに、土着の癒しの体系は効果があると仮定してきた。臨床主導型の研究が示すように、『どのシンボルが癒すのか』といった質問からはこれから先、ほ とんど何も得られないだろうし、治療行為の精神的、社会身体的な特定のメカニズムを調べ、適当な対照群を用いる研究が本質的になるであろう」 (Kleinman 1977:13)。
(3) 公的な告解は、当然合衆国における多くの信 仰療法の儀式の一部をなす。告解聴開席や精神分析医の部屋での「私的」な告白が、強力な治療的価値を持 つことは広く認められている。
(4) 緻密な論理を組んだ論文によって、ダンは、 コロンブスの時代以前には、西半球ではマラリアは知られていなかったと力説している。マラリアの特効薬 であるキニーネをつくるシンコナ皮の価値は、十七世紀のヨーロッパ人によって偶然に発見された(Dunn 1965)。
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