はじめにかならずよんでください

Notes on George M. Foster and Barbara G. Anderson' Medical Anthropolpgy, 1978

解説:池田光穂

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医療人類学
第8章 病い行動

序論

 前の4つの章で我々は医療と保健に関する様々なテーマを扱ったが、それらは、全てというわけではないが、主に非西洋世界の民族誌の報告に描かれているも のであった。我々は伝統的な社会に見出される主な病因論を要約し、これを医療体系の他の側面と相互に関係づけた。また、世界各地の社会における精神疾患の 性質を考察し、その発祥と関連する問題のうち、人類学者の関心を引いたものをいくつか検討した。さらにシャーマンと呪術医(which doctors)の特性と役割を探究し、彼らの行動が西洋で彼らに相当する者の行動と似ている点と異なっている点に注目した。最後に、診断とそれに続く治 療の伝統的な様式の長所と短所に関係する証拠を検討した。
 この章と次の三章では我々は主な焦点を非西洋世界から米国に移す。しかしながら、それは議論の方向を180度変えるということではない。前の諸章では、 比較という視点を与えるために西洋からのデータを取り入れて考えると都合のよい場合が時々あった。それと同じように、この章でも、民族誌の記録からのデー タが現代世界を特徴づけるパターンを照らし出すと思われる時には、そのデータを考察する。この比較という姿勢は病い行動についてのこの章で特に有益なもの となる。

病い行動、病気の役割、そして患者の役割

 病い行動を研究する時、フォン・メーリングの言うように、次の点に留意することが大切である。「病んだ人間存在の適切な研究は、心身的、医学的および社 会的側面において、それぞれの個人が疾病の症状と結果の双方とともに、生きていることを想定する。疾病の軽減を試みる時、病者は様々な特定あるいは非特定 の、内的および外的な問題解決過程に関与する」(Von Mering 1970:272-273)。当然ながら、行動科学者はこの問題解決過程の社会的および精神的な側面に、そしてとりわけ病の社会的役割に関心を寄せてき た。
 病いの社会的な側面(あるいは状態)は、その身体的、精神的、そして医学的な側面と同様に、時間的継起を示す。最初のかすかな症状の知覚に始まり、次に 社会的および生理的な過程に進展し、回復あるいは死による終結がある。「病いの経過」を通じて多くの点で、状況の現実に適合するように医学的および社会的 な決定がなされ、役割が再調整され、態度が変容されなければならない。医療社会学者は、これら一連の行為を記述するために病い行動 (illness behavior) という用語を作りだし、さらに、分析の助けとなるような役割モデル─(sick role) と (patient role)─を発展させた。
 これらの用語のうち最も一般的な用語である病い行動は、「何らかの痛み、不快、あるいはその他の機能不全の症状を認知する人によって、症状が知覚され、 評価され、働きかけられる仕方」(Mechanic and Volkhart  1961:52)と定義されている。病い行動は、病気の役割や患者の役割が生じていない時でも生じることがある。目が覚めると喉の痛む大人は病い行動をと る。彼はアスピリンを飲んでよくなるのを待つか、それとも医師に見せるかを決めなければならない。しかし、これは病人役割行動ではない。病人役割行動と は、病いが人を通常の役割の一部あるいは全部から引き離すほど十分に重いと定義され、そのため彼のまわりの人々の役割行動に対する要求を変更し、かわりに 追加の要求をなす場合のみである。ジェイコーの言うように、「病いに関連する行動が社会的役割へと組織化される時、病気の役割は、社会が病気の存在とその 潜在的な危険に反応し対処する有意味な様式となる」(Jaco 1972:93)。
 患者の役割の概念は病気の役割の概念よりも限定されている。もし喉の痛む大人が家族の者が食事を運んでくれることを期待して、ベッドに休んで一日を過ご すことに決めたとしたら、病気の役割についたことになる。ところが、その大人が医師に相談し、医師の指示に従って行動する場合にのみ、患者の役割が生じる のである。このように、患者の役割は病気の役割拡大の特別な場合である。「より広い社会がその成員にたいして病気の正当な基準を定義する(すなわち、病気 の役割を正当化することができる)。これに対して、病気の人がケアと処置を受ける治療的および組織的な場面が社会体系内における病者の患者としての役割の 基準を設定する」(Jaco 1972:92)。換言すれば、患者の役割はフォーマルな医学的正当化すなわち医師による補助資源を用いての援助に対する病者の従属を必要とする。キャロ ル・テイラーは二つの役割の相違を簡潔にまとめている。「病気の人が入院する時、彼は患者に変えられなければならない」(C.Taylor 1970:76)。もちろん病気の役割と患者の役割の概念のは理念型である、両者の間に絶対的な区別を設けるのは生産的ではない。それらは有効的な分析装 置だけれども、病者の行動の研究ではかなりの重複は避けられないだろう。
 病い行動と病気の役割と患者の役割は社会階級や民族的および文化的差異などの要因に、強く影響される。その結果、(臨床的には)同一の健康への脅威が、 これらの多様性に応じて、患者の間で非常に異なった反応を引き起こすことがある。例えばクースは、他の点では同質的な人口の内部において、社会的および経 済的な階級に従って病い行動が有意に違ってくることを実証している。彼は、自分の研究したニューヨーク州北部の成員よりも特定の症状を病いの徴候と解釈し やすく、そのため医師の治療を求めやすいことを発見した(Koos 1954:32-33)。
 病い行動の文化的な差異はおそらく社会経済的な差異よりもっと顕著であろう。スボロウスキはニューヨーク市の退役軍人病院で行った研究で、痛みへの反応 という点でユダヤ人やイタリア人の方が北ヨーロッパ人より一段と情緒的であることを発見した(Zborwski 1952:21-22)。医師の中には前者のグループの成員の方が他のグループの成員よりも痛み閾値が低いに違いないと考えたけれども、その差異はほぼ疑 いなく文化的なものである。ユダヤやイタリア文化は「言葉、音声、そして身振りによる感情と情緒の自由な表出を許容している。このため、イタリア人とユダ ヤ人の両方とも気軽に自分の痛みについて話をし、それを訴え、うめいたり唸ったり泣いたりすることによって自分の苦しみを外に表す。彼らはこのような感情 表出を恥ずかしく思わない。それどころか、痛い時には大いに訴え、近くの社会的環境の他の成員から助けを求め、同情と援助を期待することを進んで認める (同書、262)。
 これと対照的に、「オールド・アメリカン」*1はできるかぎり冷静に「痛みの性質、位置、持続時間などを定義する最も適切な方法」を見出そうと努力して ながら痛みについて「報告する」傾向がある。「被面接者は、訴えたり、うめいたり、唸ったりなどしても無意味である、なぜなら『それは誰の助けにもならな い』からだと繰り返し述べる。しかしながら、彼らも痛みが訴え難いときには強く反応し、泣いたりさえすることがあることはすぐに認める。けれども、彼らが そうするのは、自分一人きりの時が多い。人前からひっこむことは強い痛みへのよくある反応のように思われる」(同書、24-25)。
 人類学者も病い行動、病気の役割、そして患者の役割の概念を使用し始めている。これらの用語は確かにあれこれの社会に適用できる。例えば、病いの「社会 的役割」という問題を考察する時、我々は最も啓発的な例のいくつかが民族誌の記録から得られることに気づく。それと同時に、我々自身の社会以外の社会での 病い行動についての明示的な報告がかなりまれであることも認めなければならない。非西洋社会での治療者─患者間のコミュニケーションと同じく、この問題も 今まで見過されていたテーマであり、いわば発掘されるのを待っている調査の鉱脈である。米国の文化と大きく異なる文化における病い行動についての数少ない 真に優れた報告の一つで、ケニーは我々に次のことを教えてくれる。スペインでは、「病いであるためには大声で訴えることを必要とする─それはアングロサク ソン的な自己統制ではなく、ラテン的な自然さの発揮である─そして、このことが、病者自身の考えでは、彼の状態を明らかに軽減するのである。病者は自分の 仲間か、あるいは彼が(母親に対するように)しばしば懇願する神のどちらかに聴いてもらう必要がある。彼は生活上の他の経験と同じように病いに全身全霊を 傾ける。彼が自分はおそらく類似の苦境にある三万人のうちのただの一人にすぎないと考えることで自らを慰めることはめったにない」(Kenny 1962-63:284)。これと対照的に、アリゾナ州セルズのパパゴ・インディン病院での痛みの反応についての観察から看護婦の一人が次のように述べて いる。「パパゴ人が痛みを訴えるか、あるいは投薬を要求する時にはすぐさま手当てをしなければならない。というのは、そういう時のパパゴ人はふつう重態だ からである。このことを我々は経験から学んだ」(Christopherson 1971:36)。

病いの社会的役割

病いを研究する行動科学者が自分の観察する行動を形づくるという点での文化の役割に注意しなければならないことは明らかである。また、病者の個人心理と意 識的および潜在意識的な目標との役割に留意しなければならない。たいていの人々は病いより健康を好むか、あるいは自分ではそうだと信じている。「全ての人 が健康を望んでいる」というのが、公衆衛生計画を正当化するために何十年にもわたって必ず持ち出されてきた理由であった。ほとんどの社会学的分析がそれと 同じ仮定に基づいている。すぐ後で見るように、「パーソンズ流の」病気の役割のモデルは患者のよくなろうとする欲求を大前提としている。
 ある意味でこの前提は正しい。我々のほとんどが病いより健康を好む。けれども、この仮定を無批判に受け入れると、保健行動の最も重要な側面のいくつかを 見落とすことになる。健康は生活上望まれるその他の事物と同じく、各人の個人的な優先尺度上にその位置を占めている。ある人々にとっては、それは最高位近 くにある。他の人々にとっては、それは、もっと下の方にある。すなわち、あらゆる犠牲を払ってでも健康を望む人はいるとしてもごくわずかだし、健康の享受 がいろいろな楽しみをひどく削ることになる場合には特にそうである。喫煙が肺癌、気腫、そして心臓病の可能性を非常に高めるという証拠は圧倒的であるよう に思われる。けれども、何千万というアメリカ人が喫煙という現在の満足のために将来の不健康という危険を冒している。そのような人々にとって健康は絶対的 な優先事項ではない。また別のアメリカ人は、より優先権を持つと思われる他の事柄で「あまりに忙しい」ために、定期検診を延ばしたり無視したりする。一つ の優先事項として健康が健康以外の全ての優先事項と競合していること、それゆえ個々人の保健行動は人生の諸目標というこのより広いコンテクストでのみ理解 可能であることに留意しなければならない。
 個人的優先事項の話は全く別にして、病いはしばしば積極的な適応的機能を持つ。ほとんど全ての人がストレスの多い状況からの一時的な解放として病いをあ る時点で歓迎する。このように、病気の役割は対処の機制として、すなわち個人の生活戦略全体のなかの一つの有効な要素として理解することができる。人生の 初期に人々は病んでいることが特別の権利をもたらすことを学ぶ。幼い子供は風邪と喉の痛みを使って、登校したりしなかったりを操作できることをほどなく発 見する。成人期を通じてしばしば、全ての人が軽い風邪か、あるいは「流感気味」で一日か二日ベッドで休むことを歓迎するが、そのどちらの場合も通常の日課 からの社会的に是認された離脱を可能にする。
 ほとんどの人々にとっては、「一時的解放としての─病気の─役割」は適応的行動の合理的形態を表している一方で、少数の人々にとっては、患者の役割は積 極的に、求められ、さらに満足をもたらす生活様式となるかもしれない。外科医で作家のノーレンはこのような人々を描いているが、そのような人は全ての医師 に知られている。「不健康を享受することは彼らの趣味であり、仕事であり、唯一の関心事である。彼らは、症状、通院、入院のまわりに自分の全生活を築き上 げる」(Nolen 1974:294)。つまり、次のいくつかの例が示しているように病いは社会的役割を果たすことがあるということである。

1 病いは耐えがたい圧力からの解放を提供する

 カリフォルニアに住む、6人の子供を持つメキシコ系アメリカ人の夫婦が深刻な家計上の問題に直面した。というのは夫の兄弟とその妻と5人の子供がすでに 長期にわたって彼らの家に滞在しているからだった。その滞在はその兄弟が職を見つけるまで続きそうだった。15人の人々が3部屋の家に住み、一人の働き手 の資金で全ての支出を賄った。食料雑貨店のつけがかさみ、店はとうとう掛け売りを断わった。メキシコの社会規範では(アングロの基準で測れば)極端に長い 他家への滞在が許容される。そのため妻は夫の親類に食住を提供する義務があると感じた。しかし同時に、彼女は自分の子供が飢えるのではないかと心配した。 まもなく彼女は息切れ、発汗、そして頻脈に苦しみ始めた。彼女の姉妹と2人の「コマドレ(comadres)」との相談の結果、それはメキシコのありふれ た民俗的な病い、ススト(susto 驚愕)であると診断された。地域のクランデラ (curandera)がその診断を検証した。それから患者の親類と「コマドレ」は義理の兄弟とその家族に、その病気に苦しんでいる女性は余分の人々の世 話まではできないことは明らかだから家を出て行くようにと頼んだ。それは、その地域コミュニティの目から見れば完全に正当な行為であった。「滞在していた 親類が去るや否や患者の不安が和らぎ、症状が消えた。彼女の素速い回復はその地域のクランデラによって行われた治療の優秀さによるものであるとされた」 (Clark 1959b: 154-155)。
 少なくとも潜在意識的には、メキシコ系アメリカ人のコミュニティのクランデラと成員は「もし人間が病気と定義されるならば、彼が通常の機能を果たせない ことは『彼の責任ではなく』、そして彼は免除とケアの権利を与えられる」(Parsons and Fox 1952:32-33)ことを承認した。その結果、強い社会的圧力に直面して、病いは「じれったいほど魅力的な《解決》を提供する」。というのは、病気の 役割は「引きこもりの半正当的な回路であり─社会的行為者を成人の責任から免除し、彼にあえて他者の世話を受けるようにと命じるからである」(同書、 34)。

2 病いは個人的失敗を説明するのを助ける

 病いを用いて圧倒的な圧力からの一時的な解放を提供することはおそらく健全な安全弁であり、人に困難な問題に改めて立ち向かう余裕を与えるために全ての 社会によって提供されるめったにない幸運である。しかし、何人かの人々にとってその戦略は永続的な生活様式となる。それはほんの些細なことの言いわけに用 いられ、最後には自己の失敗についての自己および他者に対する正当化の手段へと発展する。「西洋社会で病いは失敗に対処する一つの方法である。病気である ことは、課業を果たすことが不可能であることと責任の回避の容認を含意している。人は失敗に気づいたら、病いの結果として遂行することができなかったとい うことで、自分自身あるいは重要な準拠集団に対してこの失敗を正当化できる」(Shuval et al. 1973 : 260)。おそらく全ての人が、比喩的な意味でも文字どおりの意味でも、「不健康を享受している」人々を知っているだろう。幸か不幸か「ふざけた」膝ある いは偏頭痛がありながら、このような状態に伴うハンディキャップにもかかわらず何とかうまくやってふつうの生活を送っている人々もいれば、同じ状態にあり ながら、それと同じことを明らかに期待できない多くの人々もいる。

3 病いは配慮を得るために用いられることがある

 文化的慣習は、病者に特別の配慮を注ぐよう命じる。すなわち、患者の容体を気遣っての、それでいて希望を喚起するような質問、特別の食物、お湯の入った びん、柔らかい枕、背中をさすることなどである。したがって、孤独で、他者に受け入れられるかどうかに自信がなく、仲間はずれだと感じている人々にとっ て、病いは配慮を得るための魅力的な装置となる。バリントはロンドンにおいてこのことに注目している。そこでは、特に都市化の結果として、多くの人々が自 分の伝統的な基盤を失っている。そこでの生活は孤独で寂しい。たとえ面倒が持ち上がったとしても、これらの人々には忠告や慰めを得るための手段、あるいは 同情的な聞き手に心中を打ち明けるためだけの手段すらほとんどない。このような原因から生じる精神的、情緒的な緊張はしばしば身体的症状を生み出すので、 「そのように困った状態で__頻繁に用いられるはけ口は医師のところにちょっと立ち寄り、そこで苦痛を訴えることである」(Balint 1966 : 282)。バリントはいくつかのケース・ヒストリーを載せているが、それらは配慮と愛情への患者の明瞭な要求を大変はっきりと示している。
 このような行動は西洋社会に限られてはいない。例えば、ナバホ族の間では、妖術にかかった(つまり病い)の症状を示すことは配慮を得る一つの方法であ る。「《スクウォー・ダンス》や他の大きな集会の時に突然《失神》したり、半トランス状態に陥る人々の大半は、かなり疎んじられているか、あるいは低い地 位を占めている男女である」(Kluckhohn 1944 :83-84)。17のこのようなケースのサンプルのうち、13は威信が最低の人々だった。これと対照的に裕福な人々は家庭という人目につかないところ で、呪術の犠牲者であることを自ら告げるか、あるいはそのことを診断家に発見される傾向がある」(同書、84)。

4 入院は休暇ともなりうる

 伝統的社会の女性は、診療所か病院での分娩を含む母子のヘルス・ケアを初めて紹介されるとき、出産についての伝統的習わしやタブーに違反するおそれがあ るにもかかわらず、病院での分娩の方を喜んで受け入れる。それは病院に体する彼女らのいつもの態度からすると多分驚くべきことでろう。4、5日間ベッドで 休み、上等の食事をとり、他の子供と家事についての心配事から解放されることは、気晴らし、そしてある意味では休暇と見なされるのである。
 同様に、ノーレンはニューヨーク市の大きな公立ベレヴュ病院への入院を繰り返しているジョージという人物について語っている。「その金持ちは毎年2月に 2、3週間マイアミへ行くが、ジョージはベルヴュへ来て手術を受ける。それはこつを知っていれば難しいことではなかった。ある年ジョージは鼠蹊部の激しい 痛みと《こぶ》を訴えた。彼はそれがヘルニアであることをインターンに確信させ、それを治すために入院となった」。その次の冬は痔疾切除手術であり、その ため彼は3週間の入院をした。その次の年はまたヘルニアで、今度のは反対側にあった。「その時には私は彼のやり口に精通しており、彼がそれを認めるかどう か試してみようと思った。しかしジョージもまぬけではなかった。彼のヘルニアが治り、そろそろ退院という時に、私はジョージの脚を検査すると強く主張し た。
「『ジョージ』と私は言った。『君はここに2、3ヵ所静脈瘤がある。我々は多分それを治した方がいいと思う。君はどう思うかね』。
「『いいえ結構です、先生』と彼は答えた。
「『ほんとうに、ジョージ。治療となるともう2週間入院することになるだろうよ』。
「ジョージはほほえんで言った。『ねえ先生、私はこの2週間かなり十分に休養しました。1日に3度の食事と暖かいベッド。もうすぐ春ですから私は来年の冬 まで何とかやっていけます。とにかくありがとうございました。けれどもその静脈は来年の2月にとっておきます』。
「はたして、次の年の2月にジョージが戻って来た。もちろん我々は彼の静脈の手術をした」(Nolen 1972 :52)。
 ノーレンによれば、ほとんどの私費患者が気持ちのいいベッドとステーキの夕食とマティーニのある自宅治療を好む。しかし、もし家庭がなかったらどうだろ う。もし暖い時には戸口で眠り、寒い時には安宿で眠るとしたらどうだろう。もし次の食事がどこから出てくるか全くわからず、慰めてくれる家族がないとした らどうだろう。このような境遇では、ジョージの行動は完全に合理的なのである。

5 病いは社会統制の装置として用いられることがある

 アメリカ社会における病いを用いる操縦のステレオタイプは夫をなくした母親である。彼女は自分の望むことを確実に子供がしてくれるように子供の罪を感情 に訴える慢性の病人である。その極端なケースは、母親を《献身的に》世話し(そして同時に憎み)、自分もそのまま孤独な老年を迎えて、一生涯独身のままで いる娘の場合である。
 息子もまた「ママの坊や」の役割を演ずる。彼は「あの女はおまえにあまりふさわしくないから」結婚しないでほしいという母親の願いに従い、その老女が死 ぬや否や、見苦しいほど急いで結婚する。メキシコのチンツンツァンでは、初期の米国への移民の多くは、年老いて病んだ母親の懇願によって故郷へ連れ戻され たが、一旦村へ戻るとほとんどがふたたび脱出できなかった。
 クラークは、病いが他者の行動を統制する装置として使用される仕方についての古典的な例を提供している。メキシコ系アメリカ人のコミュニティで「最初の 子供を身ごもったいた若い女性が、ある夜夫が酔っ払って帰宅したことに腹を立てた。彼女がこのことで夫を徹底的に叱責すると、夫は彼女をなぐりつけ、雨が 降っていたにもかかわらず家から追い出してしまった。彼女は数区画先の母親の家まで歩いていき、そこで自分のつらい体験を語った、彼女の親類は治療のため に彼女を女性治療者クランデラのもとへ連れて行った。というのは、彼女のお腹の子供が、胎児期の影響の結果、のちにススト、すなわち驚愕に苦しむのではな いかと心配されたからである。
 「この若い妻は自分が夫からひどく虐待されたと感じた。ふつうなら、彼女が自分をなぐったことで夫を公然と非難するのは正当とは考えられなかっただろ う。友達と一緒に酔っぱらうことはコミュニティのほとんどの男性が自らの特権と見なす娯楽の一つなのである。だが、結局は彼女は友達と一緒に酔っぱらった ことで夫を叱責し、侮辱した。しかしながら、妻は妊娠していたので、民俗で定義されている疾患、スストに訴えることで全交際範囲の同情と支持を獲得したの である。彼女の不運な経験についてのニュースはすぐに近隣中に広がり、公然の批判が自分の将来の子供の生命を脅かした冷酷な夫に向けられた。集団圧力に よって、夫はとうとう自分のやり方が間違っていたことを認めさせられ、必要な弁解と約束をし、かくして夫婦はうまく仲直りをした」(Clark 1959b : 154)。
 病いはまた、望まれてはいるが稀少な報酬の獲得を統制するための装置をしても用いられることがある。上等の住宅、望ましい仕事、社会福祉の給付金やその 他の類以の事物が不足している時、それらの配分の基礎を決定するために何らかの機制が考案されなければならない。イスラエルで、人々の中には病いがそのよ うな配分の道具であることに気づいている者もいる。そのため、イスラエルの医師は、依頼人の病いが本物であること、そして依頼人には切望している物件を獲 得する権利があることを示す「証明書」を書いてくれとせがまれることがよくある(Shuval  et  al.  1973:260)。

6 病いは罪の感情を償うための装置ともなりうる

 第3章で見たように、西洋と非西洋の多くの人々が病いを、罪を犯したことの結果、もしくは何らかの仕方で自分達の神々を怒らせたことの結果と見なす。特 にユダヤ─キリスト教的伝統について、シゲリストは次のように述べている。「神は神の法律を啓示した。それを敬虔に守る者は全てこの世で祝福されるだろ う。その法律を破る者は全て罰せられるだろう。全ての病いが懲罰である。全ての患いが罪ゆえの─すなわちその個人自身の、彼の両親の、あるいは彼の親類の 罪のゆえの患いである。・・・・・この懲罰としての疾患という考え方の結果、病者はあるスティグマを押されることになった。彼は罪のない犠牲者ではなかっ た。確かに彼hは患っているが、それは彼が犯したことの当然の報いなのである。病気によって罪は一般の人々の知るところとなる」(Roemer 1960 :14)。
 意識的であれ潜在意識的であれ、このような考えを抱く人々にとっては、病いが罪の償いを可能にする。そのような道徳の粘土がきれいに剥ぎとられるなら ば、患っている人は健康を要求する正当な権利を再び手に入れることになる。我々はみな、慢性の患いに苦しみながらほとんど一人よがりに「私は十字架を背 負っている」と公言してはばからない人々を知っている。もし消毒薬がぴりっと舌を刺さないなら、もし薬が苦くないなら、そしてもし皮下注射が痛くないな ら、それは効き目がないという感情─あるアメリカ人のあいだではいまだに普及している─がある。この感情は、罪の償いというコンテクストで考えれば、人間 は罪に対して患いで償いをしなければならないという確信の反映ではないかと思われる。

特定の病いの進化

 バリントは、人が特定の意図があろうとなかろうと、個人的な目標を正当化するのに病いを用いようとする時に特定の《戦略》を展開する仕方を説明する有効 なモデルを提示している。患者は、医師の手間に対する自分の権利を正当化するために、そして、彼が希望するように、自分の苦労を聞いてもらえる同情的な聞 き手を得るために、いろいろの病いを「提案」あるいは「提議」する。疑いをかけない医師─すなわち多くの病いの心理的次元に気がつかない医師─は「提議」 を額面通りに受け取り、症状を説明する器質的な原因を念入りに探る。そして、おそらく最後にはしつこい患者を一連の専門医のもとに送ることだろう。患者の 「提案」は少しずつ却下、すなわち一連の否定的な報告によって無用なものとされたり、あるいは医師の代替案によって反対されたりする。そのような報告や不 満足な反対案が提出されるたびに、患者は新しい、あるいは修正された一組の症状を提議しなければならない。それは、「医師と患者の間で合意に達し、その結 果両者がそのように提案される病いの一つを正当なものとして受け入れるようになるまで」(Balint 1966 : 286)続けなければならない。バリントは互いに同意できる病いの定義を探し求める過程を、患者の側での「病いの組織化」として記述している。医師と患者 の双方がおそろしくまじめなゲームに従事するのだが、しばしばどちらも何が起こっているかを完全には察知していない。
 ここまでを要約しよう。病い行動と病気の役割と患者の役割を研究する行動科学者は、社会的、民族的、そして文化的要因に注意するだけではなく、いかに潜 在意識的であろうと、患者が自分の状態を操縦のための装置として負の価値だけでなく正の価値すら有していることにも注意しなければならない。これらの点に 留意すれば、我々は病気の役割と病い行動の概念のさらに詳細な検討に向かうことができる。

病気の役割のパーソンズ流のモデル

 社会学者のパーソンズは、行動科学者によって最も広く用いられている病気の役割のモデルを提示している。(1) 彼は病いを「生物学的システムとしての有機体の状態と個人的および社会的調整の状態の双方を含む」個人の正常な機能作用の撹乱として正確に認識しているけ れども、そのモデルは病いの社会的および文化的な側面しか扱っていない。パーソンズによれば、病いは、日常生活の要求とストレスから引きこもる、社会的に 承認され制度化された方法を提供する逸脱行動の一形式である。病気の役割を占めるという個人の主張が(西洋社会ではふつう医師がその個人を患者として受け 入れるということによって)正当化されると、患者は2つの主要な(あるいは期待)を獲得する。

 1 通常の社会的役割の責任からの免除。
 2 回復するまでのケア。彼は決断や意志の行いによって、援助なしで「力をふるい起こす」ことを期待されない。さらに、彼は自らの状態に責任があるとは 見なされない。
 患者はまた2つの主要な(あるいは責任)を持つ。
 
 1 病気の役割を望ましくないことと認め、できるだけ早くよくなる義務があると感じること。
 2 専門的に有能な援助(すなわち、医師の援助)を求め、よくなるようにこの援助者と協力すること(Parsons 1951:428-479)。

 このモデルは、ふつう完全な回復が期待できる、急性の一時的な疾患に苦しんでいる人々に適用される場合最も有効であることがわかっている。それは、病気 は通常状態であるという仮定に基づいている。しかし、一時的な状態では、完全な回復が不可能な、慢性で進行性の疾患に適用される場合、そのモデルはそれほ ど有効ではなかった (Kassebaum and Baumann 1965, McKinlay 1972を参照せよ)。このような場合、病気の役割は決して放棄されないかもしれない。それに、回復が不可能な場合に回復を試みるよう患者に勧告するのは 不合理である。さらに、多くの慢性の病いは通常の役割の遂行を完全に妨げることはない。心臓疾患は、激しい身体活動を制限するかもしれないが、通常の、あ るいはほぼ通常の社会的役割や仕事上の役割なら許される。その上、慢性の病いは人口中にランダムに分布していない。それは年齢と相関している。老齢はそれ 自体で、パーソンズのモデルの役割期待の中のいくつかによって特徴づけられている。「したがって、役割期待の基礎として病いと老齢の間に区別を設けないこ との失敗は、患者の治療と医師─患者関係の双方にとって逆機能的な結果をまねくだろう」(Kassebaum  and  Bauman  1965: 19)。
 パーソンズ流のモデルはまた精神病に関しても弱点があることがわかっている。シーガルは最近、この問題に関心のある若干の調査者の調査結果を要約してい る。医師のところへいく身体的疾患患者と同様に、精神的な状態に対する精神医学的援助を求める人も回復のために努力しなければならない。けれども、身体的 に病んでいる人はふつう病のためにスティグマを貼られることはない。また、すでに見たように、通常の社会的役割の義務を中断するよう期待される。それに対 して精神病の患者は、その病いのためにスティグマと、そしておそらく拒絶に直面することを覚悟しなければならない。さらに、多くの治療においては、精神病 の患者の社会的責任の全部を免除することののが最良であると考えられている。身体に病んでいる患者は受動的、従属的、そして依存的にふるまうよう期待され ている。それに対して、精神的に病んでいる患者は、治療者との関係で、活動的、独立的、そして自己志向的に振る舞うよう期待されている。「このように、医 学的な病気の役割のモデルと精神医学的な病気の役割のモデルのそれぞれが内包している医師と患者の間の相互的関係はかなりタイプの異なったものである」 (Segall 1976:164)。
 最後に、この問題は社会学者によってほとんど議論されていないけれども、我々は、パーソンズのモデルが患者自らの状態に責任があるとは見なされないとし ている点であまりに単純化されているように思う。
 実際、アメリカ人は健康に対するかなりの程度の責任を本人自信に帰属させる。個人は病いを避けるための(道徳的な力とまではいわなくとも)知識を有して おり、もし病いに斃れることがあれば、それは本人の責任であると仮定されている。もし責任という感情がないとしたら、以前の時代に肺結核、癌、そして癲癇 が最もよくそうであったような「恥ずべき疾患」などというものも存在しないだろう。今日ではこのような態度はほぼなくなっていて、人はほとんど全ての病に ついておおっぴらに話をする。にもかかわらず、恥、あるいは少なくとも憐れみの感情の名残りがいまだにいくつか病いの文脈における婉曲的用語法などに見出 される。例えば、著名な人物が「長い病いの末に」死んだという表現を読む時、それはきっと癌で死んだのだと思って間違いない。
 アメリカ社会では、アルコール中毒者と性病に苦しむ者はその状態について自ら責めを負うべきだという感情がいまだに残っている。前者は道徳的弱さを反映 し、医学的手当てではなく意志力で治すものであると考えている人がいる。後者は厳格な道徳律の侵犯に対する懲罰と考えられている。
 名残りとして、そしてほとんど潜在意識的にだが、病いに対する道徳的責任の承認が言語表現の中に見られる。我々はいまだに、ちょうど罪人が神の恩寵から 落ちこぼれ(falls from divine grace)、あるいは、以前のより単純な時代に、気まぐれな少女が「堕落した女」(fallen  woman)になるように、「病いで落ちぶれ」(come down with 病気になる)たり「病いに陥っ」(fall  ill 病気になる)たりする。健康の喪失を恩寵の喪失と等置に見なすことはまた、我々が、禁酒しようと苦闘するが成功しないアルコール中毒者について、「彼は (散水)車から落っこちた」(he fell off the [water] wagon)という時にも暗示されている。同様に、母親の子供への叱り方も責任の感情を反映している。子供は「もっと着込みなさい」 (Bundle  up)とか「レインコートを着なさい」(Wear  your  rubbers)とか「自分自身を大切にしなさい」(Take  good  care  of  yourself)とかいわれる。これらの表現は、いわれた通りにしないと病いになる、それは不注意な生徒の当然の報いであるということをそれとなく思い 起こさせる。さらに、我々が腕ら脚にギブスをはめている友人に「君に何が起こったんだい」(What  happened  to  you ?) ではなく「君は君自身に何をしたんだい」( What  did  you  do  to  yourself ? )という時、運命ではなく彼が実際の原因であるとほのめかしている。「私は風邪を捕まえた」( I  caught  cold)ということは(潜在意識的に)自らの不快に対する責任を自認することになる。それはちょうど「彼は自分の足首を捻挫させた」 (He  sprained  his  ankle)とか「彼は自分自身を切った」( He  cut  himself) 「彼は自分の脚を折った」( He broke his leg)とか、あるいは「彼は」(He)伝染病を「拾い上げた」(picked  up)とかいう表現が責任の所在明確にしているのと同じである。このようなアメリカの一般的表現は、メキシコの村落のスペイン語の用法とおもしろい対照を なしている。チンツンツァンでは、人は病いに「なる」(becomes)が病いに「陥る」(fall)ことはない。Que  te  paso (「君に何が起こったのか」)が適切な表現で、「君は君自身に何をしたのか」ではない。人は風邪に「ぶつけられる」(struck)が、風邪を「捕まえ」 (catch)たり「拾い上げる」(pick up)ことはない。私の脚が折られることはあっても、私が自分の足を折ることはない。多くの他の状況と同様に、病いにおいても言語の形式が責任の所在を犠 牲者から離れた「外のところ」に位置づける。

病いの諸段階

 人類学者と社会学者は、病いの経過が分析的に区別可能ないくつかの段階によって特徴づけられると考える。おそらく最も広く用いられる社会学的図式はサッ チマンの図式であろう。彼は「医療ケアの将来のコースに関する新たな決定を含む主要な移行点となる・・・・・医療上の出来事の系列」を5つの段階に区分で きると考える(Suchman  1965)。人類学者も類似の段階を認める。しかしながら、人類学者の強調点はかなり異なっている。社会学者にとっては役割と決定の問題が中心となるよう に思われる。これに対して、人類学者はより記述的でより普遍的(すなわち、通文化的で比較的)ではあるが、それほど厳密に分析的ではないようだ。以下の ページでは、サッチマンの5つの段階と、彼がそれに与えた名称が、人類学者と社会学者が病いの系列をどのように捉えるのかを例証するための基礎として用い られる。

1 症状体験の段階(「」)

 身体的不快、痛み、外見の変化、あるいは衰弱などは生理的にどこかがおかしいと思わせるが、この時、医療のドラマの最初の段階が始まる。サッチマンによ れば、「これらの症状は医学的診断カテゴリーによってではなく、それらの症状による日常的な社会的機能の妨害という観点から認知され、定義される」 (Suchman  1965 :115)。症状が認知されると、次にそれが解釈され、その意味が追求されなければならない。人は軽い症状が何かより重大なことの前兆ことを知っているの で、認知と解釈の双方が恐怖という情緒的反応を引き起こす。
 人類学者もこれらの点に同意する。しかしながら、ほとんどの人類学者は、さらに進めて、人々が病いの存在を認知し、受容する仕方を問題にする。この点で は西洋および非西洋の多くの民族の間に質的な差異が存在する。双方のグループの成員とも、病いの証拠として身体的症状に優先権を与える。けれども、西洋の 患者はまた、次のことも信じることができる。すなわち、外に現われた徴候がなくとも、検査室でのテストや医師の検診によって治療が必要であるという病理学 的証拠が明らかになる場合もあるということを。我々のうちの何人かは「毎年の定期検診」に比較的素直に従うが、それは疾患の発生はその症状の近くに先行す るという西洋の仮定からである。我々は症状がない時でも医師による証拠の解釈を信頼して処置を始める。これと対照的に、非西洋の民族は、痛みと現実の不快 がなければ病いなどありえないと信じる傾向がある。彼らは健康を「気分のいいこと」、あるいは「症状の欠如」と定義する。したがって、この考え方を共有し ているエジプトの農民の間では、住血吸虫病 (biharziasis) やその他の寄生虫による伝染病には手当てがなされない。なぜなら、これらの状態は個人を弱らせはするが、はっきりした痛みを引き起こさないからである (Read  1966:26)。また、インド中央部の避暑地、パクマリ (Pachmarhi) は、比較的多数の人々が甲状腺腫の徴候を示す。しかし、この状態は能力を損なわないので、病いとは分類されず、それに対して何もなされない (J.Ramakrishna からの私信)。
 科学的な医療ケアを伝統的世界に導入するという立場から見れば、「気分のいいこと」という健康の定義は、重大な否定的結果をもたらす。そのような人々 は、外に現われた症状がない場合には、検査室での診断を疾患の証拠として受け入れたがらない。それだけでなく、処置が進んで症状が消えてしまうと、患者は もう指示された医学的摂生を続ける意欲をほとんど失っている場合がしばしばである。例えば、コーパス・クリスティのドゥリスコル財団児童病院で心臓手術を したメキシコ系アメリカ人の子供の両親に、投薬と運動のプログラムを適切に監視するために定期的な術後検診が必要であることを納得させるのはむずかしい。 というのは、両親の目から見れば、退院は完全な回復に等しいからである。非常にしばしばあることだが、両親に「元気な」子供の医学的な配慮を続ける必要が あることを納得させるのは─時々手遅れになっているが─重症の再発、すなわち現実の心臓の衰弱だけなのである。

2 病人役割状態の想定(「、」)

 もし症状に苦しむ者が第一段階の症状を病いの徴候と解釈すれば、彼は第2段階に入ることになる。この段階で彼は忠告とケアを求める。最初、ケアは家庭で の治療と自己治療に限られており、忠告は「しろうとの参照システム」( lay  referral  system )の内部で(すなわち、親類や友人との症状についての議論を通して)求められる。この段階で非常に重要なことは病医を主張することが親類と友人によって 「暫定的に正当化されること」である。これが人を他者に対する通常の義務から一時的に免除する。「個人のしろうとの相談相手がその個人の症状にどのように 反応するか、そしてその個人の社会的機能作用の何らかの障害を容認するかどうかが、その個人が病気の役割に入ることができるかどうかに大きく関わってい る」(Suchman  1965 : 115)。苦しむ者の主張に対して家族と両親が懐疑を示す場合よりも、全般的に支持的である場合の方が、苦しむ者は第3段階に進みやすい。
 人類学者は自分の研究する民族でのこの第2段階を、病いに名前をつけることに強調が置かれる段階と見なす傾向がある。病いに名前をつけることは2つの理 由で重要である。第1に、既知のものは未知のものほど恐ろしくないように、名づけられない病いと一緒に生活するより、名のあるものとのほうが楽である。第 2に、病いに名前をつけることによってその病因、すなわち原因が決定される。原因は医師が処置をするのに必要な情報を提供する。シローは、中東で治療者が 患者の病床に呼ばれた時に病いの正体を同定する有様を記述している。「これを行うことは、即刻にそれを定義し、制限し、おとなしくさせ、弱めることであ る。診断は患者に未知の痛みが征服されたという安堵感を与え、それが治療家にとって一つの医学的治療となる」(Shiloh  1961 :285)。たとえ診断が健康への非常に重大な脅威を意味する時ですら、ほとんどの人は医師がどこが悪いのかを決定すると安堵する。なぜなら、診断によっ てほとんどの病いがおそらくどのように進行するかが示されるからである。今や医師と患者は何を当然期待できるのかを知っているのである。

3 医療ケアとの接触の段階(「」)

 この段階で、自分は病気ではないかと疑う人は、患者になることへの道のりを相当に進んでいることになる。彼は2つのことを求めている。すなわち、まず以 前にしろうとの相談相手によって与えられた病気の役割の「暫定的正当化」の権威による確証。そして、もしそのような確証が得られるならば、医学的診断と、 健康的な状態に回復させるように計画された処置の方針の提案を期待する。もし医師が、それほど悪いところは全くないと主張することで、病気の役割の主張を 否定するなら、彼は安心して通常の活動に戻るかもしれない。しかしながら、また別の医師のところへ行き、病いであるという主張を受け入れてくれる人を見つ けるまで、「医者あさり」の過程を続けることもしばしばである(例えばBalint  1957)。
 第3段階の決定をする仕方は社会によって非常に様々である。立派な医療施設を利用できるアメリカ人はふつう医師と相談して、そしておそらく夫か妻の立ち 合いのもとに医学的処置についての決定を行う。すなわち、医療についての基本的な決定は、たとえそれが重大なものであっても、ふつうごく少数の人々のグ ループによってなされる。その決定はとりわけ社会的決定というわけではない。
 これと対照的に、伝統的社会と部族社会では、医療についての決定に到るのは、ずっとゆっくりと、そしてもっと大勢の人々による討議の後でのみである。ク ラークは、カリファルニアのメキシコ系アメリカ人の居住地で、人々が医療の状況において孤立した個人として行為しない有様を記述している。「生活の他の側 面と同じく、病いという点でも彼らは親類と親友からなる集団の成員である。個人は集団に対して自分の行動についての責任を負っており、集団に支持と社会的 制裁を依存している。医療ケアは患者の親類と友人による時間とエネルギーの消費を必要とする。医師と薬のための費用は、家族の共同資金から支払われる。病 気の人の義務の多くは病いの期間中、社会集団の他の成員によって遂行される。病いはただ個人の有機的組織の生物学的障害というだけではない─それは人々の 集団全体にとっての社会的危機であり、そして再調整の期間でもある。
 「したがって、個人が医学的処置を獲得する手筈を整える前に、自分の症状を親類と友人に提示して、彼らの評価を求めるのが慣例となっている。患者一人 に、自分が病いかどうかを決定する権限が与えられているわけではない。たとえ彼自身は自分が特別の手当てを受けるに値するほどの病気であると確信している としても、彼に親しい人々もまた彼の患いが重症であることを納得させられなければならない。換言すれば、個人は自分の主張が自分に関係する人々によって 《正当化》されて初めて社会的に病気の人と定義されたことになる。親類と友人が彼の状態を病いとして承認する時にのみ、彼は通常の日々の課業の遂行からの 免除を主張することができるのである。
「その上、医療従事者との関係でいえば、患者は自分の健康に関する即座の、そして最後の決定を勝手に行うことはできない。彼は個人でなく、家族のメンバー として活動する」(Clark  1959a : 203-204)。
マルタという夫人が学校医から、地域の公衆衛生クリニックで出産前期ケアを始めるように勧められた。しかし、その勧めに従うかどうかの決定は基本的にはマ ルタ自身のものではなかった。第1に、もし彼女が入院するとなったら、その前に“コマドレ(comadre)”が彼女の他の子供たちの世話をしてくれるこ とを確かめておかなければならなかった。それから、彼女は、お金、薬、搬送を引き受けることになる夫の承認を得なければならなかった。「『そう、マルタ、 あなたは病気だからクリニックに行くべきだよ』と夫と「コマドレ」が言った後でのみ─その時にのみ彼女は自分の医療のプランについて威厳をもって語ること ができた」(同書、204)。

4 依存的患者の役割の段階(「、、」)

 最初の3つの段階では、病いのは何がなされるのかということにほとんど関係がない。しかし、第4段階になるとこのことが重要な問題となる。回復を当然期 待できる患者は、回復が不可能な慢性の病いに苦しんでいる患者とは全く異なった仕方で反応するだろう。前者の患者の自分の役割に対する見方はしばしば両義 的である。まず、自分の状態が医師によって認知されたこと、そして特定の方針の処置によって回復するはずだということからの安堵感。そして、自分から意思 決定の権利の多くを定義上奪ってしまう依存関係を受け入れたくないという気持。この2つの感情が組み合わさっている。
 後者のカテゴリーの患者が診断の完全な意味─回復は不可能であり、リハビリテーション、すなわち慢性的状態の進行を遅くすることが望みうる最良のもので あること─を認知する時、彼らの反応は前者の患者とは非常に異なったものとなるだろう。多かれ少なかれ彼らは永続的な「患者の役割」をむりやり採用させら れる。その役割はたびたびの通院、おそらくは定期的な入院、そして身体的能力の不可避的な喪失を伴っている。したがって、医師との依存関係は不可避であ る。しかも、多くの慢性の患者は、その関係を嫌悪するどころか、その関係の中に安心すら見出す。というのは、その関係によって彼らの心配はもう一人の人物 と共有されることになるからである。その人物は慢性患者を以前の健康状態に回復させるような奇跡を知っていると常に考えられている。
 このような2つの状況の相違がガッソウによって巧みに表現されている。急性で短期の病いに苦しむ人はそれほど─遠くない─将来の─死か、あるいは、もっ とありそうなことだが、以前の─状態への─復帰のどちらかを予期する。これに対して、「慢性疾患に苦しむ人々は、無能であることに関連するあらゆることに 長期にわたって巻き込まれ、社会的、対人関係的、そして精神的などいくつかのレベルでの機能作用の調整、適応、そして変形を迫られる。変化と変更はさらに 永続的な性質を帯びる。それは人生設計の多かれ少なかれ持続的な再調整を伴っている」(Gussow  1964 : 179)。短期の病いによって引き起こされる役割の変更はふつうわずかなものと考えられる。これに対して、慢性的状態によって引き起こされる役割の変更 は、患者と、彼の病いによって最も影響を受ける彼のまわりの人々の双方における以前の生活様式の大幅な再組織化を必要とする。
慢性の病いに苦しむ人々の問題は、これらの状態が他者から見て病者にスティグマを負わせるものである場合に、さらに悪化する。すなわち、肺結核、癌、ある いは癲病などのいくつかの慢性の病いにかかっている人々や、事故あるいは先天的な要因によってひどく形態がかわった人々は、他者に過度の恐怖感や嫌悪感、 心理的不快感などの感情を生じさせることがある。精神疾患もまた、それに苦しむ人々に長い間スティグマを負わせてきた。ひどい心理的問題のために一度入院 させられたか、集中的な処置を受けたことのある人は完全に正常な状態には絶対にもどれないと多くの人々が信じている。これらの病いのうち、おそらく癲病の スティグマが最大であろう。癲病は、もし早期に処置すれば、伝染性がそれほど高くないし、ひどく変形することもない。そのような事実にもかかわらず、癲病 は他の疾患とは比べものにならないほどの反感を引き起こす。ガッソウとトレイシーは、ルイジアナのカーヴィル公衆衛生局癲病院の患者に面接して、生活に立 ち向かう時に用いられる対処の機制を発見している。二人はスティグマを貼られていることに対する適応の一様式として ( career  patient  status) という概念を提示している。実際、その地位にあるものはかなり特殊なタイプの保健教育者になる。
 「これらの患者は、癲病についての一般の人々の抱くイメージが自分たちの生活上のおとしめられた地位と苦境の主要な責任であると考えており、 一般の人々に癲病についての専門的な情報を提供する教育者の立場を引き受ける」(Gussow  and  Tracy 1968 : 322)。もちろん、この役割は、ひどく変形しておらず、しかも伝染しないことを医学的に証明された癲病者にのみ開かれている。さらに、この種の教育への 「需要」が比較的限られているので、この特殊な職業的患者の地位につく機会は制限されている。我々は、職業的患者の地位という概念はスティグマを負わせる ような他の疾患にまで、そして慢性および進行性の疾患に苦しむ人々によって用いられる対処の機制のいくつかにまで有効に拡張しうる概念だと思う。
 慢性の病いについてのほとんどの調査は、効果的な臨床的、予防的ケアが人間の寿命を非常に長くしている技術的に複雑な社会において行われている。伝統的 な社会では、幼年期と成人期の危機を生き延びて、変性的疾患が一般的になる年齢層まで生き延びる人がほとんどいない。したがって慢性の病いは比較的まれで ある。その結果、人類学者は自分の研究する社会におけるこの問題にほとんど注意を払ってこなかった。しかし、今や多くの発展途上国で近代医学によって人間 の寿命が非常に長くなりつつある。これらの国で慢性の病いに対処するためにどのような新しい方法が作り出されているのかを調べるのは興味深いことだろう。

5 回復あるいはリハビリテーションの段階(「」)

 先ほど考察した理由で、慢性の病いに対する第5段階の適用可能性はきわめて限定されている。リハビリテーションは、事故や卒中の犠牲者が何事もなされな い場合によりもうまく生活に対処できる助けとなるかもしれない。そして、その結果患者の役割がある程度放棄されるかもしれない。しかし、この放棄もせいぜ い相対的なものである。慢性の状態に苦しむ人々は、患者の役割が常に身近に迫っていることをしっている。しかし、その他の患者にとっては、第5段階はまさ に現実のものである。先ほどまで患者だった人が通常の役割に再びついたこと、あるいは今まさにつきつつあることを証明する儀礼と象徴的行為がすべての社会 に存在する。
米国では、回復の証明は手当てをする医師の言葉にほとんと基づいている。患者がもう全て大丈夫であることを友人に得心させるふつうの方法は、「先生が私 に、したいと思うことはもうなんでもしていいと言った」と告げることである。メキシコのツィンツゥンツァン(Tzintzuntzan) では、最近まで病いだった人は、「私はもう入浴した」と告げることで同じ目的を達成する。そこでは、入浴が病者にとって最も危険なことだと信じられてい る。入浴は、最初の症状が現われた時に禁止され、加減の悪いことのあらゆる証拠がなくなった時にのみ再び許される。おおっぴらに「私は入浴した」と述べる ことは、完全な回復を表明する決定的な方法である。また別の社会では、そのような儀式はさらに手が込んでいる。ナイジェリアから、精神疾患からの回復を象 徴するために行われる儀式についての記述が送られている。その儀礼では患者が、病いのあいだ身につけていた着物を着て川へ連れて行かれる。その川で彼の頭 の上でいけにえにされ、その鳩の血で彼は洗われる。それから、彼の古い着物と鳥の死体が流れに投げ入れられ、そして、着物と死体は流れに運び去られる。そ の間、祭司が次のように歌う。

川が絶対にうしろへ流れないように、
この病いも絶対に戻ることはない。

 かつての患者は、今度は最上の着物を着て新たに回復した健康を祝うための祝宴に集まった親類と会う( Maclean  1971 : 79-80 )。おそらく患者と家族の双方がこの儀礼から利益を得るだろう。患者は、親類が彼を通常の役割に再び迎え入れることを保証される。家族は、彼が通常の役割 活動を果たすのを当てにできることを祭司から保証される。著者によれば、この儀礼は西洋社会の場合と著しい対照をなしている。西洋社会では、以前の精神疾 患の患者は「自らの病いの痕跡を持って」退院する。「その痕跡は彼のまわりにいつまでもまといつき、絶対に払い落とすことのできないスティグマとなる」 (同書、79)。
 この章の始め近くで指摘したように、そして我々が挙げた諸例からも明らかなように、病い行動については非西洋的民族の研究の中で十分に記述されていな い。我々は、調査の条件からこの人類学的関心の明白な欠如をかなりの程度説明できるのではないかと思う。アメリカの病院で研究している行動科学者は10人 から100人くらいの患者からなる手ごろなサンプルを手に入れることができるので、多くの時間を病い行動の研究に当てることができる。しかし、一人ぼっち の人類学者は、小屋の中の病気の人の傍で、彼に何がなされ彼がそれにどう反応するかを観察しながら、彼が回復するかあるいは死ぬかするまで一日中座ってい ることなどとうていできない。そんなことをしたら、他の全ての調査を放棄することになる。けれども、人類学者が非西洋社会(例えば、インドとインドネシ ア)の病院の研究を始めているので、米国の病院からの報告に匹敵する、病い行動に関する報告を期待できる。これらの報告は、遠く離れた部族社会における病 気の人々についての詳細な観察には及ばないだろう。このような集団から包括的なデータを期待するとしたら、おそらく過大な要求というものであろう。けれど も我々自身の文化と根本的に異なる文化での患者行動についての病院研究は、病い行動と病気の役割と患者の役割についてなされる一般化の有効性を大幅に高め ることだろう。

原註
 ⑴ この章の始めで定義された用語の意味に従えば、パーソンズは病気の役割ではなく、患者の役割を記述していることになる。しかし、パーソンズ自身が 「病気の役割」という表現を用いているので、彼のモデルを検討する時には彼の用語法に従うことにする。

訳註
 *1 ニュー・イングランド地方に来た初期開拓者達、およびその子供。

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医療人類学
第8章 病い行動

序論

 前の4つの章で我々は医療と保健に関する様々なテーマを扱ったが、それらは、全てというわけではないが、主に非西洋世界の民族誌の報告に描かれているも のであった。我々は伝統的な社会に見出される主な病因論を要約し、これを医療体系の他の側面と相互に関係づけた。また、世界各地の社会における精神疾患の 性質を考察し、その発祥と関連する問題のうち、人類学者の関心を引いたものをいくつか検討した。さらにシャーマンと呪術医(which doctors)の特性と役割を探究し、彼らの行動が西洋で彼らに相当する者の行動と似ている点と異なっている点に注目した。最後に、診断とそれに続く治 療の伝統的な様式の長所と短所に関係する証拠を検討した。
 この章と次の三章では我々は主な焦点を非西洋世界から米国に移す。しかしながら、それは議論の方向を180度変えるということではない。前の諸章では、 比較という視点を与えるために西洋からのデータを取り入れて考えると都合のよい場合が時々あった。それと同じように、この章でも、民族誌の記録からのデー タが現代世界を特徴づけるパターンを照らし出すと思われる時には、そのデータを考察する。この比較という姿勢は病い行動についてのこの章で特に有益なもの となる。

病い行動、病気の役割、そして患者の役割

 病い行動を研究する時、フォン・メーリングの言うように、次の点に留意することが大切である。「病んだ人間存在の適切な研究は、心身的、医学的および社 会的側面において、それぞれの個人が疾病の症状と結果の双方とともに、生きていることを想定する。疾病の軽減を試みる時、病者は様々な特定あるいは非特定 の、内的および外的な問題解決過程に関与する」(Von Mering 1970:272-273)。当然ながら、行動科学者はこの問題解決過程の社会的および精神的な側面に、そしてとりわけ病の社会的役割に関心を寄せてき た。

 病いの社会的な側面(あるいは状態)は、その身体 的、精神的、そして医学的な側面と同様に、時間的継起を示す。最初のかすかな症状の知覚に始まり、次に 社会的および生理的な過程に進展し、回復あるいは死による終結がある。「病いの経過」を通じて多くの点で、状況の現実に適合するように医学的および社会的 な決定がなされ、役割が再調整され、態度が変容されなければならない。医療社会学者は、これら一連の行為を記述するために病い行動 (illness behavior) という用語を作りだし、さらに、分析の助けとなるような役割モデル─(sick role) と (patient role)─を発展させた。

 これらの用語のうち最も一般的な用語である病い行 動は、「何らかの痛み、不快、あるいはその他の機能不全の症状を認知する人によって、症状が知覚され、 評価され、働きかけられる仕方」(Mechanic and Volkhart  1961:52)と定義されている。病い行動は、病気の役割や患者の役割が生じていない時でも生じることがある。目が覚めると喉の痛む大人は病い行動をと る。彼はアスピリンを飲んでよくなるのを待つか、それとも医師に見せるかを決めなければならない。しかし、これは病人役割行動ではない。病人役割行動と は、病いが人を通常の役割の一部あるいは全部から引き離すほど十分に重いと定義され、そのため彼のまわりの人々の役割行動に対する要求を変更し、かわりに 追加の要求をなす場合のみである。ジェイコーの言うように、「病いに関連する行動が社会的役割へと組織化される時、病気の役割は、社会が病気の存在とその 潜在的な危険に反応し対処する有意味な様式となる」(Jaco 1972:93)。

 患者の役割の概念は病気の役割の概念よりも限定さ れている。もし喉の痛む大人が家族の者が食事を運んでくれることを期待して、ベッドに休んで一日を過ご すことに決めたとしたら、病気の役割についたことになる。ところが、その大人が医師に相談し、医師の指示に従って行動する場合にのみ、患者の役割が生じる のである。このように、患者の役割は病気の役割拡大の特別な場合である。「より広い社会がその成員にたいして病気の正当な基準を定義する(すなわち、病気 の役割を正当化することができる)。これに対して、病気の人がケアと処置を受ける治療的および組織的な場面が社会体系内における病者の患者としての役割の 基準を設定する」(Jaco 1972:92)。換言すれば、患者の役割はフォーマルな医学的正当化すなわち医師による補助資源を用いての援助に対する病者の従属を必要とする。キャロ ル・テイラーは二つの役割の相違を簡潔にまとめている。「病気の人が入院する時、彼は患者に変えられなければならない」(C.Taylor 1970:76)。もちろん病気の役割と患者の役割の概念のは理念型である、両者の間に絶対的な区別を設けるのは生産的ではない。それらは有効的な分析装 置だけれども、病者の行動の研究ではかなりの重複は避けられないだろう。

 病い行動と病気の役割と患者の役割は社会階級や民 族的および文化的差異などの要因に、強く影響される。その結果、(臨床的には)同一の健康への脅威が、 これらの多様性に応じて、患者の間で非常に異なった反応を引き起こすことがある。例えばクースは、他の点では同質的な人口の内部において、社会的および経 済的な階級に従って病い行動が有意に違ってくることを実証している。彼は、自分の研究したニューヨーク州北部の成員よりも特定の症状を病いの徴候と解釈し やすく、そのため医師の治療を求めやすいことを発見した(Koos 1954:32-33)。

 病い行動の文化的な差異はおそらく社会経済的な差 異よりもっと顕著であろう。スボロウスキはニューヨーク市の退役軍人病院で行った研究で、痛みへの反応 という点でユダヤ人やイタリア人の方が北ヨーロッパ人より一段と情緒的であることを発見した(Zborwski 1952:21-22)。医師の中には前者のグループの成員の方が他のグループの成員よりも痛み閾値が低いに違いないと考えたけれども、その差異はほぼ疑 いなく文化的なものである。ユダヤやイタリア文化は「言葉、音声、そして身振りによる感情と情緒の自由な表出を許容している。このため、イタリア人とユダ ヤ人の両方とも気軽に自分の痛みについて話をし、それを訴え、うめいたり唸ったり泣いたりすることによって自分の苦しみを外に表す。彼らはこのような感情 表出を恥ずかしく思わない。それどころか、痛い時には大いに訴え、近くの社会的環境の他の成員から助けを求め、同情と援助を期待することを進んで認める (同書、262)。
 これと対照的に、「オールド・アメリカン」*1はできるかぎり冷静に「痛みの性質、位置、持続時間などを定義する最も適切な方法」を見出そうと努力して ながら痛みについて「報告する」傾向がある。「被面接者は、訴えたり、うめいたり、唸ったりなどしても無意味である、なぜなら『それは誰の助けにもならな い』からだと繰り返し述べる。しかしながら、彼らも痛みが訴え難いときには強く反応し、泣いたりさえすることがあることはすぐに認める。けれども、彼らが そうするのは、自分一人きりの時が多い。人前からひっこむことは強い痛みへのよくある反応のように思われる」(同書、24-25)。

 人類学者も病い行動、病気の役割、そして患者の役 割の概念を使用し始めている。これらの用語は確かにあれこれの社会に適用できる。例えば、病いの「社会 的役割」という問題を考察する時、我々は最も啓発的な例のいくつかが民族誌の記録から得られることに気づく。それと同時に、我々自身の社会以外の社会での 病い行動についての明示的な報告がかなりまれであることも認めなければならない。非西洋社会での治療者─患者間のコミュニケーションと同じく、この問題も 今まで見過されていたテーマであり、いわば発掘されるのを待っている調査の鉱脈である。米国の文化と大きく異なる文化における病い行動についての数少ない 真に優れた報告の一つで、ケニーは我々に次のことを教えてくれる。スペインでは、「病いであるためには大声で訴えることを必要とする─それはアングロサク ソン的な自己統制ではなく、ラテン的な自然さの発揮である─そして、このことが、病者自身の考えでは、彼の状態を明らかに軽減するのである。病者は自分の 仲間か、あるいは彼が(母親に対するように)しばしば懇願する神のどちらかに聴いてもらう必要がある。彼は生活上の他の経験と同じように病いに全身全霊を 傾ける。彼が自分はおそらく類似の苦境にある三万人のうちのただの一人にすぎないと考えることで自らを慰めることはめったにない」(Kenny 1962-63:284)。これと対照的に、アリゾナ州セルズのパパゴ・インディン病院での痛みの反応についての観察から看護婦の一人が次のように述べて いる。「パパゴ人が痛みを訴えるか、あるいは投薬を要求する時にはすぐさま手当てをしなければならない。というのは、そういう時のパパゴ人はふつう重態だ からである。このことを我々は経験から学んだ」(Christopherson 1971:36)。

病いの社会的役割

病いを研究する行動科学者が自分の観察する行動を形づくるという点での文化の役割に注意しなければならないことは明らかである。また、病者の個人心理と意 識的および潜在意識的な目標との役割に留意しなければならない。たいていの人々は病いより健康を好むか、あるいは自分ではそうだと信じている。「全ての人 が健康を望んでいる」というのが、公衆衛生計画を正当化するために何十年にもわたって必ず持ち出されてきた理由であった。ほとんどの社会学的分析がそれと 同じ仮定に基づいている。すぐ後で見るように、「パーソンズ流の」病気の役割のモデルは患者のよくなろうとする欲求を大前提としている。

 ある意味でこの前提は正しい。我々のほとんどが病 いより健康を好む。けれども、この仮定を無批判に受け入れると、保健行動の最も重要な側面のいくつかを 見落とすことになる。健康は生活上望まれるその他の事物と同じく、各人の個人的な優先尺度上にその位置を占めている。ある人々にとっては、それは最高位近 くにある。他の人々にとっては、それは、もっと下の方にある。すなわち、あらゆる犠牲を払ってでも健康を望む人はいるとしてもごくわずかだし、健康の享受 がいろいろな楽しみをひどく削ることになる場合には特にそうである。喫煙が肺癌、気腫、そして心臓病の可能性を非常に高めるという証拠は圧倒的であるよう に思われる。けれども、何千万というアメリカ人が喫煙という現在の満足のために将来の不健康という危険を冒している。そのような人々にとって健康は絶対的 な優先事項ではない。また別のアメリカ人は、より優先権を持つと思われる他の事柄で「あまりに忙しい」ために、定期検診を延ばしたり無視したりする。一つ の優先事項として健康が健康以外の全ての優先事項と競合していること、それゆえ個々人の保健行動は人生の諸目標というこのより広いコンテクストでのみ理解 可能であることに留意しなければならない。

 個人的優先事項の話は全く別にして、病いはしばし ば積極的な適応的機能を持つ。ほとんど全ての人がストレスの多い状況からの一時的な解放として病いをあ る時点で歓迎する。このように、病気の役割は対処の機制として、すなわち個人の生活戦略全体のなかの一つの有効な要素として理解することができる。人生の 初期に人々は病んでいることが特別の権利をもたらすことを学ぶ。幼い子供は風邪と喉の痛みを使って、登校したりしなかったりを操作できることをほどなく発 見する。成人期を通じてしばしば、全ての人が軽い風邪か、あるいは「流感気味」で一日か二日ベッドで休むことを歓迎するが、そのどちらの場合も通常の日課 からの社会的に是認された離脱を可能にする。

 ほとんどの人々にとっては、「一時的解放としての ─病気の─役割」は適応的行動の合理的形態を表している一方で、少数の人々にとっては、患者の役割は積 極的に、求められ、さらに満足をもたらす生活様式となるかもしれない。外科医で作家のノーレンはこのような人々を描いているが、そのような人は全ての医師 に知られている。「不健康を享受することは彼らの趣味であり、仕事であり、唯一の関心事である。彼らは、症状、通院、入院のまわりに自分の全生活を築き上 げる」(Nolen 1974:294)。つまり、次のいくつかの例が示しているように病いは社会的役割を果たすことがあるということである。

1 病いは耐えがたい圧力からの解放を提供する

 カリフォルニアに住む、6人の子供を持つメキシコ系アメリカ人の夫婦が深刻な家計上の問題に直面した。というのは夫の兄弟とその妻と5人の子供がすでに 長期にわたって彼らの家に滞在しているからだった。その滞在はその兄弟が職を見つけるまで続きそうだった。15人の人々が3部屋の家に住み、一人の働き手 の資金で全ての支出を賄った。食料雑貨店のつけがかさみ、店はとうとう掛け売りを断わった。メキシコの社会規範では(アングロの基準で測れば)極端に長い 他家への滞在が許容される。そのため妻は夫の親類に食住を提供する義務があると感じた。しかし同時に、彼女は自分の子供が飢えるのではないかと心配した。 まもなく彼女は息切れ、発汗、そして頻脈に苦しみ始めた。彼女の姉妹と2人の「コマドレ(comadres)」との相談の結果、それはメキシコのありふれ た民俗的な病い、ススト(susto 驚愕)であると診断された。地域のクランデラ (curandera)がその診断を検証した。それから患者の親類と「コマドレ」は義理の兄弟とその家族に、その病気に苦しんでいる女性は余分の人々の世 話まではできないことは明らかだから家を出て行くようにと頼んだ。それは、その地域コミュニティの目から見れば完全に正当な行為であった。「滞在していた 親類が去るや否や患者の不安が和らぎ、症状が消えた。彼女の素速い回復はその地域のクランデラによって行われた治療の優秀さによるものであるとされた」 (Clark 1959b: 154-155)。

 少なくとも潜在意識的には、メキシコ系アメリカ人 のコミュニティのクランデラと成員は「もし人間が病気と定義されるならば、彼が通常の機能を果たせない ことは『彼の責任ではなく』、そして彼は免除とケアの権利を与えられる」(Parsons and Fox 1952:32-33)ことを承認した。その結果、強い社会的圧力に直面して、病いは「じれったいほど魅力的な《解決》を提供する」。というのは、病気の 役割は「引きこもりの半正当的な回路であり─社会的行為者を成人の責任から免除し、彼にあえて他者の世話を受けるようにと命じるからである」(同書、 34)。

2 病いは個人的失敗を説明するのを助ける

 病いを用いて圧倒的な圧力からの一時的な解放を提供することはおそらく健全な安全弁であり、人に困難な問題に改めて立ち向かう余裕を与えるために全ての 社会によって提供されるめったにない幸運である。しかし、何人かの人々にとってその戦略は永続的な生活様式となる。それはほんの些細なことの言いわけに用 いられ、最後には自己の失敗についての自己および他者に対する正当化の手段へと発展する。「西洋社会で病いは失敗に対処する一つの方法である。病気である ことは、課業を果たすことが不可能であることと責任の回避の容認を含意している。人は失敗に気づいたら、病いの結果として遂行することができなかったとい うことで、自分自身あるいは重要な準拠集団に対してこの失敗を正当化できる」(Shuval et al. 1973 : 260)。おそらく全ての人が、比喩的な意味でも文字どおりの意味でも、「不健康を享受している」人々を知っているだろう。幸か不幸か「ふざけた」膝ある いは偏頭痛がありながら、このような状態に伴うハンディキャップにもかかわらず何とかうまくやってふつうの生活を送っている人々もいれば、同じ状態にあり ながら、それと同じことを明らかに期待できない多くの人々もいる。

3 病いは配慮を得るために用いられることがある

 文化的慣習は、病者に特別の配慮を注ぐよう命じる。すなわち、患者の容体を気遣っての、それでいて希望を喚起するような質問、特別の食物、お湯の入った びん、柔らかい枕、背中をさすることなどである。したがって、孤独で、他者に受け入れられるかどうかに自信がなく、仲間はずれだと感じている人々にとっ て、病いは配慮を得るための魅力的な装置となる。バリントはロンドンにおいてこのことに注目している。そこでは、特に都市化の結果として、多くの人々が自 分の伝統的な基盤を失っている。そこでの生活は孤独で寂しい。たとえ面倒が持ち上がったとしても、これらの人々には忠告や慰めを得るための手段、あるいは 同情的な聞き手に心中を打ち明けるためだけの手段すらほとんどない。このような原因から生じる精神的、情緒的な緊張はしばしば身体的症状を生み出すので、 「そのように困った状態で__頻繁に用いられるはけ口は医師のところにちょっと立ち寄り、そこで苦痛を訴えることである」(Balint 1966 : 282)。バリントはいくつかのケース・ヒストリーを載せているが、それらは配慮と愛情への患者の明瞭な要求を大変はっきりと示している。

 このような行動は西洋社会に限られてはいない。例 えば、ナバホ族の間では、妖術にかかった(つまり病い)の症状を示すことは配慮を得る一つの方法であ る。「《スクウォー・ダンス》や他の大きな集会の時に突然《失神》したり、半トランス状態に陥る人々の大半は、かなり疎んじられているか、あるいは低い地 位を占めている男女である」(Kluckhohn 1944 :83-84)。17のこのようなケースのサンプルのうち、13は威信が最低の人々だった。これと対照的に裕福な人々は家庭という人目につかないところ で、呪術の犠牲者であることを自ら告げるか、あるいはそのことを診断家に発見される傾向がある」(同書、84)。

4 入院は休暇ともなりうる

 伝統的社会の女性は、診療所か病院での分娩を含む母子のヘルス・ケアを初めて紹介されるとき、出産についての伝統的習わしやタブーに違反するおそれがあ るにもかかわらず、病院での分娩の方を喜んで受け入れる。それは病院に体する彼女らのいつもの態度からすると多分驚くべきことでろう。4、5日間ベッドで 休み、上等の食事をとり、他の子供と家事についての心配事から解放されることは、気晴らし、そしてある意味では休暇と見なされるのである。

 同様に、ノーレンはニューヨーク市の大きな公立ベ レヴュ病院への入院を繰り返しているジョージという人物について語っている。「その金持ちは毎年2月に 2、3週間マイアミへ行くが、ジョージはベルヴュへ来て手術を受ける。それはこつを知っていれば難しいことではなかった。ある年ジョージは鼠蹊部の激しい 痛みと《こぶ》を訴えた。彼はそれがヘルニアであることをインターンに確信させ、それを治すために入院となった」。その次の冬は痔疾切除手術であり、その ため彼は3週間の入院をした。その次の年はまたヘルニアで、今度のは反対側にあった。「その時には私は彼のやり口に精通しており、彼がそれを認めるかどう か試してみようと思った。しかしジョージもまぬけではなかった。彼のヘルニアが治り、そろそろ退院という時に、私はジョージの脚を検査すると強く主張し た。

「『ジョージ』と私は言った。『君はここに2、3ヵ 所静脈瘤がある。我々は多分それを治した方がいいと思う。君はどう思うかね』。
「『いいえ結構です、先生』と彼は答えた。
「『ほんとうに、ジョージ。治療となるともう2週間入院することになるだろうよ』。
「ジョージはほほえんで言った。『ねえ先生、私はこの2週間かなり十分に休養しました。1日に3度の食事と暖かいベッド。もうすぐ春ですから私は来年の冬 まで何とかやっていけます。とにかくありがとうございました。けれどもその静脈は来年の2月にとっておきます』。
「はたして、次の年の2月にジョージが戻って来た。もちろん我々は彼の静脈の手術をした」(Nolen 1972 :52)。
 ノーレンによれば、ほとんどの私費患者が気持ちのいいベッドとステーキの夕食とマティーニのある自宅治療を好む。しかし、もし家庭がなかったらどうだろ う。もし暖い時には戸口で眠り、寒い時には安宿で眠るとしたらどうだろう。もし次の食事がどこから出てくるか全くわからず、慰めてくれる家族がないとした らどうだろう。このような境遇では、ジョージの行動は完全に合理的なのである。

5 病いは社会統制の装置として用いられることがある

 アメリカ社会における病いを用いる操縦のステレオタイプは夫をなくした母親である。彼女は自分の望むことを確実に子供がしてくれるように子供の罪を感情 に訴える慢性の病人である。その極端なケースは、母親を《献身的に》世話し(そして同時に憎み)、自分もそのまま孤独な老年を迎えて、一生涯独身のままで いる娘の場合である。

 息子もまた「ママの坊や」の役割を演ずる。彼は 「あの女はおまえにあまりふさわしくないから」結婚しないでほしいという母親の願いに従い、その老女が死 ぬや否や、見苦しいほど急いで結婚する。メキシコのチンツンツァンでは、初期の米国への移民の多くは、年老いて病んだ母親の懇願によって故郷へ連れ戻され たが、一旦村へ戻るとほとんどがふたたび脱出できなかった。

 クラークは、病いが他者の行動を統制する装置とし て使用される仕方についての古典的な例を提供している。メキシコ系アメリカ人のコミュニティで「最初の 子供を身ごもったいた若い女性が、ある夜夫が酔っ払って帰宅したことに腹を立てた。彼女がこのことで夫を徹底的に叱責すると、夫は彼女をなぐりつけ、雨が 降っていたにもかかわらず家から追い出してしまった。彼女は数区画先の母親の家まで歩いていき、そこで自分のつらい体験を語った、彼女の親類は治療のため に彼女を女性治療者クランデラのもとへ連れて行った。というのは、彼女のお腹の子供が、胎児期の影響の結果、のちにススト、すなわち驚愕に苦しむのではな いかと心配されたからである。
 「この若い妻は自分が夫からひどく虐待されたと感じた。ふつうなら、彼女が自分をなぐったことで夫を公然と非難するのは正当とは考えられなかっただろ う。友達と一緒に酔っぱらうことはコミュニティのほとんどの男性が自らの特権と見なす娯楽の一つなのである。だが、結局は彼女は友達と一緒に酔っぱらった ことで夫を叱責し、侮辱した。しかしながら、妻は妊娠していたので、民俗で定義されている疾患、スストに訴えることで全交際範囲の同情と支持を獲得したの である。彼女の不運な経験についてのニュースはすぐに近隣中に広がり、公然の批判が自分の将来の子供の生命を脅かした冷酷な夫に向けられた。集団圧力に よって、夫はとうとう自分のやり方が間違っていたことを認めさせられ、必要な弁解と約束をし、かくして夫婦はうまく仲直りをした」(Clark 1959b : 154)。

 病いはまた、望まれてはいるが稀少な報酬の獲得を 統制するための装置をしても用いられることがある。上等の住宅、望ましい仕事、社会福祉の給付金やその 他の類以の事物が不足している時、それらの配分の基礎を決定するために何らかの機制が考案されなければならない。イスラエルで、人々の中には病いがそのよ うな配分の道具であることに気づいている者もいる。そのため、イスラエルの医師は、依頼人の病いが本物であること、そして依頼人には切望している物件を獲 得する権利があることを示す「証明書」を書いてくれとせがまれることがよくある(Shuval  et  al.  1973:260)。

6 病いは罪の感情を償うための装置ともなりうる

 第3章で見たように、西洋と非西洋の多くの人々が病いを、罪を犯したことの結果、もしくは何らかの仕方で自分達の神々を怒らせたことの結果と見なす。特 にユダヤ─キリスト教的伝統について、シゲリストは次のように述べている。「神は神の法律を啓示した。それを敬虔に守る者は全てこの世で祝福されるだろ う。その法律を破る者は全て罰せられるだろう。全ての病いが懲罰である。全ての患いが罪ゆえの─すなわちその個人自身の、彼の両親の、あるいは彼の親類の 罪のゆえの患いである。・・・・・この懲罰としての疾患という考え方の結果、病者はあるスティグマを押されることになった。彼は罪のない犠牲者ではなかっ た。確かに彼hは患っているが、それは彼が犯したことの当然の報いなのである。病気によって罪は一般の人々の知るところとなる」(Roemer 1960 :14)。

 意識的であれ潜在意識的であれ、このような考えを 抱く人々にとっては、病いが罪の償いを可能にする。そのような道徳の粘土がきれいに剥ぎとられるなら ば、患っている人は健康を要求する正当な権利を再び手に入れることになる。我々はみな、慢性の患いに苦しみながらほとんど一人よがりに「私は十字架を背 負っている」と公言してはばからない人々を知っている。もし消毒薬がぴりっと舌を刺さないなら、もし薬が苦くないなら、そしてもし皮下注射が痛くないな ら、それは効き目がないという感情─あるアメリカ人のあいだではいまだに普及している─がある。この感情は、罪の償いというコンテクストで考えれば、人間 は罪に対して患いで償いをしなければならないという確信の反映ではないかと思われる。

特定の病いの進化

 バリントは、人が特定の意図があろうとなかろうと、個人的な目標を正当化するのに病いを用いようとする時に特定の《戦略》を展開する仕方を説明する有効 なモデルを提示している。患者は、医師の手間に対する自分の権利を正当化するために、そして、彼が希望するように、自分の苦労を聞いてもらえる同情的な聞 き手を得るために、いろいろの病いを「提案」あるいは「提議」する。疑いをかけない医師─すなわち多くの病いの心理的次元に気がつかない医師─は「提議」 を額面通りに受け取り、症状を説明する器質的な原因を念入りに探る。そして、おそらく最後にはしつこい患者を一連の専門医のもとに送ることだろう。患者の 「提案」は少しずつ却下、すなわち一連の否定的な報告によって無用なものとされたり、あるいは医師の代替案によって反対されたりする。そのような報告や不 満足な反対案が提出されるたびに、患者は新しい、あるいは修正された一組の症状を提議しなければならない。それは、「医師と患者の間で合意に達し、その結 果両者がそのように提案される病いの一つを正当なものとして受け入れるようになるまで」(Balint 1966 : 286)続けなければならない。バリントは互いに同意できる病いの定義を探し求める過程を、患者の側での「病いの組織化」として記述している。医師と患者 の双方がおそろしくまじめなゲームに従事するのだが、しばしばどちらも何が起こっているかを完全には察知していない。
 ここまでを要約しよう。病い行動と病気の役割と患者の役割を研究する行動科学者は、社会的、民族的、そして文化的要因に注意するだけではなく、いかに潜 在意識的であろうと、患者が自分の状態を操縦のための装置として負の価値だけでなく正の価値すら有していることにも注意しなければならない。これらの点に 留意すれば、我々は病気の役割と病い行動の概念のさらに詳細な検討に向かうことができる。

病気の役割のパーソンズ流のモデル

 社会学者のパーソンズは、行動科学者によって最も広く用いられている病気の役割のモデルを提示している。(1) 彼は病いを「生物学的システムとしての有機体の状態と個人的および社会的調整の状態の双方を含む」個人の正常な機能作用の撹乱として正確に認識しているけ れども、そのモデルは病いの社会的および文化的な側面しか扱っていない。パーソンズによれば、病いは、日常生活の要求とストレスから引きこもる、社会的に 承認され制度化された方法を提供する逸脱行動の一形式である。病気の役割を占めるという個人の主張が(西洋社会ではふつう医師がその個人を患者として受け 入れるということによって)正当化されると、患者は2つの主要な(あるいは期待)を獲得する。

 1 通常の社会的役割の責任からの免除。
 2 回復するまでのケア。彼は決断や意志の行いによって、援助なしで「力をふるい起こす」ことを期待されない。さらに、彼は自らの状態に責任があるとは 見なされない。
 患者はまた2つの主要な(あるいは責任)を持つ。
 
 1 病気の役割を望ましくないことと認め、できるだけ早くよくなる義務があると感じること。
 2 専門的に有能な援助(すなわち、医師の援助)を求め、よくなるようにこの援助者と協力すること(Parsons 1951:428-479)。

 このモデルは、ふつう完全な回復が期待できる、急性の一時的な疾患に苦しんでいる人々に適用される場合最も有効であることがわかっている。それは、病気 は通常状態であるという仮定に基づいている。しかし、一時的な状態では、完全な回復が不可能な、慢性で進行性の疾患に適用される場合、そのモデルはそれほ ど有効ではなかった (Kassebaum and Baumann 1965, McKinlay 1972を参照せよ)。このような場合、病気の役割は決して放棄されないかもしれない。それに、回復が不可能な場合に回復を試みるよう患者に勧告するのは 不合理である。さらに、多くの慢性の病いは通常の役割の遂行を完全に妨げることはない。心臓疾患は、激しい身体活動を制限するかもしれないが、通常の、あ るいはほぼ通常の社会的役割や仕事上の役割なら許される。その上、慢性の病いは人口中にランダムに分布していない。それは年齢と相関している。老齢はそれ 自体で、パーソンズのモデルの役割期待の中のいくつかによって特徴づけられている。「したがって、役割期待の基礎として病いと老齢の間に区別を設けないこ との失敗は、患者の治療と医師─患者関係の双方にとって逆機能的な結果をまねくだろう」(Kassebaum  and  Bauman  1965: 19)。

 パーソンズ流のモデルはまた精神病に関しても弱点 があることがわかっている。シーガルは最近、この問題に関心のある若干の調査者の調査結果を要約してい る。医師のところへいく身体的疾患患者と同様に、精神的な状態に対する精神医学的援助を求める人も回復のために努力しなければならない。けれども、身体的 に病んでいる人はふつう病のためにスティグマを貼られることはない。また、すでに見たように、通常の社会的役割の義務を中断するよう期待される。それに対 して精神病の患者は、その病いのためにスティグマと、そしておそらく拒絶に直面することを覚悟しなければならない。さらに、多くの治療においては、精神病 の患者の社会的責任の全部を免除することののが最良であると考えられている。身体に病んでいる患者は受動的、従属的、そして依存的にふるまうよう期待され ている。それに対して、精神的に病んでいる患者は、治療者との関係で、活動的、独立的、そして自己志向的に振る舞うよう期待されている。「このように、医 学的な病気の役割のモデルと精神医学的な病気の役割のモデルのそれぞれが内包している医師と患者の間の相互的関係はかなりタイプの異なったものである」 (Segall 1976:164)。

 最後に、この問題は社会学者によってほとんど議論 されていないけれども、我々は、パーソンズのモデルが患者自らの状態に責任があるとは見なされないとし ている点であまりに単純化されているように思う。
 実際、アメリカ人は健康に対するかなりの程度の責任を本人自信に帰属させる。個人は病いを避けるための(道徳的な力とまではいわなくとも)知識を有して おり、もし病いに斃れることがあれば、それは本人の責任であると仮定されている。もし責任という感情がないとしたら、以前の時代に肺結核、癌、そして癲癇 が最もよくそうであったような「恥ずべき疾患」などというものも存在しないだろう。今日ではこのような態度はほぼなくなっていて、人はほとんど全ての病に ついておおっぴらに話をする。にもかかわらず、恥、あるいは少なくとも憐れみの感情の名残りがいまだにいくつか病いの文脈における婉曲的用語法などに見出 される。例えば、著名な人物が「長い病いの末に」死んだという表現を読む時、それはきっと癌で死んだのだと思って間違いない。

 アメリカ社会では、アルコール中毒者と性病に苦し む者はその状態について自ら責めを負うべきだという感情がいまだに残っている。前者は道徳的弱さを反映 し、医学的手当てではなく意志力で治すものであると考えている人がいる。後者は厳格な道徳律の侵犯に対する懲罰と考えられている。

 名残りとして、そしてほとんど潜在意識的にだが、 病いに対する道徳的責任の承認が言語表現の中に見られる。我々はいまだに、ちょうど罪人が神の恩寵から 落ちこぼれ(falls from divine grace)、あるいは、以前のより単純な時代に、気まぐれな少女が「堕落した女」(fallen  woman)になるように、「病いで落ちぶれ」(come down with 病気になる)たり「病いに陥っ」(fall  ill 病気になる)たりする。健康の喪失を恩寵の喪失と等置に見なすことはまた、我々が、禁酒しようと苦闘するが成功しないアルコール中毒者について、「彼は (散水)車から落っこちた」(he fell off the [water] wagon)という時にも暗示されている。同様に、母親の子供への叱り方も責任の感情を反映している。子供は「もっと着込みなさい」 (Bundle  up)とか「レインコートを着なさい」(Wear  your  rubbers)とか「自分自身を大切にしなさい」(Take  good  care  of  yourself)とかいわれる。これらの表現は、いわれた通りにしないと病いになる、それは不注意な生徒の当然の報いであるということをそれとなく思い 起こさせる。さらに、我々が腕ら脚にギブスをはめている友人に「君に何が起こったんだい」(What  happened  to  you ?) ではなく「君は君自身に何をしたんだい」( What  did  you  do  to  yourself ? )という時、運命ではなく彼が実際の原因であるとほのめかしている。「私は風邪を捕まえた」( I  caught  cold)ということは(潜在意識的に)自らの不快に対する責任を自認することになる。それはちょうど「彼は自分の足首を捻挫させた」 (He  sprained  his  ankle)とか「彼は自分自身を切った」( He  cut  himself) 「彼は自分の脚を折った」( He broke his leg)とか、あるいは「彼は」(He)伝染病を「拾い上げた」(picked  up)とかいう表現が責任の所在明確にしているのと同じである。このようなアメリカの一般的表現は、メキシコの村落のスペイン語の用法とおもしろい対照を なしている。チンツンツァンでは、人は病いに「なる」(becomes)が病いに「陥る」(fall)ことはない。Que  te  paso (「君に何が起こったのか」)が適切な表現で、「君は君自身に何をしたのか」ではない。人は風邪に「ぶつけられる」(struck)が、風邪を「捕まえ」 (catch)たり「拾い上げる」(pick up)ことはない。私の脚が折られることはあっても、私が自分の足を折ることはない。多くの他の状況と同様に、病いにおいても言語の形式が責任の所在を犠 牲者から離れた「外のところ」に位置づける。

病いの諸段階

 人類学者と社会学者は、病いの経過が分析的に区別可能ないくつかの段階によって特徴づけられると考える。おそらく最も広く用いられる社会学的図式はサッ チマンの図式であろう。彼は「医療ケアの将来のコースに関する新たな決定を含む主要な移行点となる・・・・・医療上の出来事の系列」を5つの段階に区分で きると考える(Suchman  1965)。人類学者も類似の段階を認める。しかしながら、人類学者の強調点はかなり異なっている。社会学者にとっては役割と決定の問題が中心となるよう に思われる。これに対して、人類学者はより記述的でより普遍的(すなわち、通文化的で比較的)ではあるが、それほど厳密に分析的ではないようだ。以下の ページでは、サッチマンの5つの段階と、彼がそれに与えた名称が、人類学者と社会学者が病いの系列をどのように捉えるのかを例証するための基礎として用い られる。

1 症状体験の段階(「」)

 身体的不快、痛み、外見の変化、あるいは衰弱などは生理的にどこかがおかしいと思わせるが、この時、医療のドラマの最初の段階が始まる。サッチマンによ れば、「これらの症状は医学的診断カテゴリーによってではなく、それらの症状による日常的な社会的機能の妨害という観点から認知され、定義される」 (Suchman  1965 :115)。症状が認知されると、次にそれが解釈され、その意味が追求されなければならない。人は軽い症状が何かより重大なことの前兆ことを知っているの で、認知と解釈の双方が恐怖という情緒的反応を引き起こす。

 人類学者もこれらの点に同意する。しかしながら、 ほとんどの人類学者は、さらに進めて、人々が病いの存在を認知し、受容する仕方を問題にする。この点で は西洋および非西洋の多くの民族の間に質的な差異が存在する。双方のグループの成員とも、病いの証拠として身体的症状に優先権を与える。けれども、西洋の 患者はまた、次のことも信じることができる。すなわち、外に現われた徴候がなくとも、検査室でのテストや医師の検診によって治療が必要であるという病理学 的証拠が明らかになる場合もあるということを。我々のうちの何人かは「毎年の定期検診」に比較的素直に従うが、それは疾患の発生はその症状の近くに先行す るという西洋の仮定からである。我々は症状がない時でも医師による証拠の解釈を信頼して処置を始める。これと対照的に、非西洋の民族は、痛みと現実の不快 がなければ病いなどありえないと信じる傾向がある。彼らは健康を「気分のいいこと」、あるいは「症状の欠如」と定義する。したがって、この考え方を共有し ているエジプトの農民の間では、住血吸虫病 (biharziasis) やその他の寄生虫による伝染病には手当てがなされない。なぜなら、これらの状態は個人を弱らせはするが、はっきりした痛みを引き起こさないからである (Read  1966:26)。また、インド中央部の避暑地、パクマリ (Pachmarhi) は、比較的多数の人々が甲状腺腫の徴候を示す。しかし、この状態は能力を損なわないので、病いとは分類されず、それに対して何もなされない (J.Ramakrishna からの私信)。

 科学的な医療ケアを伝統的世界に導入するという立 場から見れば、「気分のいいこと」という健康の定義は、重大な否定的結果をもたらす。そのような人々 は、外に現われた症状がない場合には、検査室での診断を疾患の証拠として受け入れたがらない。それだけでなく、処置が進んで症状が消えてしまうと、患者は もう指示された医学的摂生を続ける意欲をほとんど失っている場合がしばしばである。例えば、コーパス・クリスティのドゥリスコル財団児童病院で心臓手術を したメキシコ系アメリカ人の子供の両親に、投薬と運動のプログラムを適切に監視するために定期的な術後検診が必要であることを納得させるのはむずかしい。 というのは、両親の目から見れば、退院は完全な回復に等しいからである。非常にしばしばあることだが、両親に「元気な」子供の医学的な配慮を続ける必要が あることを納得させるのは─時々手遅れになっているが─重症の再発、すなわち現実の心臓の衰弱だけなのである。

2 病人役割状態の想定(「、」)

 もし症状に苦しむ者が第一段階の症状を病いの徴候と解釈すれば、彼は第2段階に入ることになる。この段階で彼は忠告とケアを求める。最初、ケアは家庭で の治療と自己治療に限られており、忠告は「しろうとの参照システム」( lay  referral  system )の内部で(すなわち、親類や友人との症状についての議論を通して)求められる。この段階で非常に重要なことは病医を主張することが親類と友人によって 「暫定的に正当化されること」である。これが人を他者に対する通常の義務から一時的に免除する。「個人のしろうとの相談相手がその個人の症状にどのように 反応するか、そしてその個人の社会的機能作用の何らかの障害を容認するかどうかが、その個人が病気の役割に入ることができるかどうかに大きく関わってい る」(Suchman  1965 : 115)。苦しむ者の主張に対して家族と両親が懐疑を示す場合よりも、全般的に支持的である場合の方が、苦しむ者は第3段階に進みやすい。

 人類学者は自分の研究する民族でのこの第2段階 を、病いに名前をつけることに強調が置かれる段階と見なす傾向がある。病いに名前をつけることは2つの理 由で重要である。第1に、既知のものは未知のものほど恐ろしくないように、名づけられない病いと一緒に生活するより、名のあるものとのほうが楽である。第 2に、病いに名前をつけることによってその病因、すなわち原因が決定される。原因は医師が処置をするのに必要な情報を提供する。シローは、中東で治療者が 患者の病床に呼ばれた時に病いの正体を同定する有様を記述している。「これを行うことは、即刻にそれを定義し、制限し、おとなしくさせ、弱めることであ る。診断は患者に未知の痛みが征服されたという安堵感を与え、それが治療家にとって一つの医学的治療となる」(Shiloh  1961 :285)。たとえ診断が健康への非常に重大な脅威を意味する時ですら、ほとんどの人は医師がどこが悪いのかを決定すると安堵する。なぜなら、診断によっ てほとんどの病いがおそらくどのように進行するかが示されるからである。今や医師と患者は何を当然期待できるのかを知っているのである。

3 医療ケアとの接触の段階(「」)

 この段階で、自分は病気ではないかと疑う人は、患者になることへの道のりを相当に進んでいることになる。彼は2つのことを求めている。すなわち、まず以 前にしろうとの相談相手によって与えられた病気の役割の「暫定的正当化」の権威による確証。そして、もしそのような確証が得られるならば、医学的診断と、 健康的な状態に回復させるように計画された処置の方針の提案を期待する。もし医師が、それほど悪いところは全くないと主張することで、病気の役割の主張を 否定するなら、彼は安心して通常の活動に戻るかもしれない。しかしながら、また別の医師のところへ行き、病いであるという主張を受け入れてくれる人を見つ けるまで、「医者あさり」の過程を続けることもしばしばである(例えばBalint  1957)。

 第3段階の決定をする仕方は社会によって非常に様 々である。立派な医療施設を利用できるアメリカ人はふつう医師と相談して、そしておそらく夫か妻の立ち 合いのもとに医学的処置についての決定を行う。すなわち、医療についての基本的な決定は、たとえそれが重大なものであっても、ふつうごく少数の人々のグ ループによってなされる。その決定はとりわけ社会的決定というわけではない。

 これと対照的に、伝統的社会と部族社会では、医療 についての決定に到るのは、ずっとゆっくりと、そしてもっと大勢の人々による討議の後でのみである。ク ラークは、カリファルニアのメキシコ系アメリカ人の居住地で、人々が医療の状況において孤立した個人として行為しない有様を記述している。「生活の他の側 面と同じく、病いという点でも彼らは親類と親友からなる集団の成員である。個人は集団に対して自分の行動についての責任を負っており、集団に支持と社会的 制裁を依存している。医療ケアは患者の親類と友人による時間とエネルギーの消費を必要とする。医師と薬のための費用は、家族の共同資金から支払われる。病 気の人の義務の多くは病いの期間中、社会集団の他の成員によって遂行される。病いはただ個人の有機的組織の生物学的障害というだけではない─それは人々の 集団全体にとっての社会的危機であり、そして再調整の期間でもある。

 「したがって、個人が医学的処置を獲得する手筈を 整える前に、自分の症状を親類と友人に提示して、彼らの評価を求めるのが慣例となっている。患者一人 に、自分が病いかどうかを決定する権限が与えられているわけではない。たとえ彼自身は自分が特別の手当てを受けるに値するほどの病気であると確信している としても、彼に親しい人々もまた彼の患いが重症であることを納得させられなければならない。換言すれば、個人は自分の主張が自分に関係する人々によって 《正当化》されて初めて社会的に病気の人と定義されたことになる。親類と友人が彼の状態を病いとして承認する時にのみ、彼は通常の日々の課業の遂行からの 免除を主張することができるのである。

「その上、医療従事者との関係でいえば、患者は自分 の健康に関する即座の、そして最後の決定を勝手に行うことはできない。彼は個人でなく、家族のメンバー として活動する」(Clark  1959a : 203-204)。
マルタという夫人が学校医から、地域の公衆衛生クリニックで出産前期ケアを始めるように勧められた。しかし、その勧めに従うかどうかの決定は基本的にはマ ルタ自身のものではなかった。第1に、もし彼女が入院するとなったら、その前に“コマドレ(comadre)”が彼女の他の子供たちの世話をしてくれるこ とを確かめておかなければならなかった。それから、彼女は、お金、薬、搬送を引き受けることになる夫の承認を得なければならなかった。「『そう、マルタ、 あなたは病気だからクリニックに行くべきだよ』と夫と「コマドレ」が言った後でのみ─その時にのみ彼女は自分の医療のプランについて威厳をもって語ること ができた」(同書、204)。

4 依存的患者の役割の段階(「、、」)

 最初の3つの段階では、病いのは何がなされるのかということにほとんど関係がない。しかし、第4段階になるとこのことが重要な問題となる。回復を当然期 待できる患者は、回復が不可能な慢性の病いに苦しんでいる患者とは全く異なった仕方で反応するだろう。前者の患者の自分の役割に対する見方はしばしば両義 的である。まず、自分の状態が医師によって認知されたこと、そして特定の方針の処置によって回復するはずだということからの安堵感。そして、自分から意思 決定の権利の多くを定義上奪ってしまう依存関係を受け入れたくないという気持。この2つの感情が組み合わさっている。

 後者のカテゴリーの患者が診断の完全な意味─回復 は不可能であり、リハビリテーション、すなわち慢性的状態の進行を遅くすることが望みうる最良のもので あること─を認知する時、彼らの反応は前者の患者とは非常に異なったものとなるだろう。多かれ少なかれ彼らは永続的な「患者の役割」をむりやり採用させら れる。その役割はたびたびの通院、おそらくは定期的な入院、そして身体的能力の不可避的な喪失を伴っている。したがって、医師との依存関係は不可避であ る。しかも、多くの慢性の患者は、その関係を嫌悪するどころか、その関係の中に安心すら見出す。というのは、その関係によって彼らの心配はもう一人の人物 と共有されることになるからである。その人物は慢性患者を以前の健康状態に回復させるような奇跡を知っていると常に考えられている。

 このような2つの状況の相違がガッソウによって巧 みに表現されている。急性で短期の病いに苦しむ人はそれほど─遠くない─将来の─死か、あるいは、もっ とありそうなことだが、以前の─状態への─復帰のどちらかを予期する。これに対して、「慢性疾患に苦しむ人々は、無能であることに関連するあらゆることに 長期にわたって巻き込まれ、社会的、対人関係的、そして精神的などいくつかのレベルでの機能作用の調整、適応、そして変形を迫られる。変化と変更はさらに 永続的な性質を帯びる。それは人生設計の多かれ少なかれ持続的な再調整を伴っている」(Gussow  1964 : 179)。短期の病いによって引き起こされる役割の変更はふつうわずかなものと考えられる。これに対して、慢性的状態によって引き起こされる役割の変更 は、患者と、彼の病いによって最も影響を受ける彼のまわりの人々の双方における以前の生活様式の大幅な再組織化を必要とする。

慢性の病いに苦しむ人々の問題は、これらの状態が他 者から見て病者にスティグマを負わせるものである場合に、さらに悪化する。すなわち、肺結核、癌、ある いは癲病などのいくつかの慢性の病いにかかっている人々や、事故あるいは先天的な要因によってひどく形態がかわった人々は、他者に過度の恐怖感や嫌悪感、 心理的不快感などの感情を生じさせることがある。精神疾患もまた、それに苦しむ人々に長い間スティグマを負わせてきた。ひどい心理的問題のために一度入院 させられたか、集中的な処置を受けたことのある人は完全に正常な状態には絶対にもどれないと多くの人々が信じている。これらの病いのうち、おそらく癲病の スティグマが最大であろう。癲病は、もし早期に処置すれば、伝染性がそれほど高くないし、ひどく変形することもない。そのような事実にもかかわらず、癲病 は他の疾患とは比べものにならないほどの反感を引き起こす。ガッソウとトレイシーは、ルイジアナのカーヴィル公衆衛生局癲病院の患者に面接して、生活に立 ち向かう時に用いられる対処の機制を発見している。二人はスティグマを貼られていることに対する適応の一様式として ( career  patient  status) という概念を提示している。実際、その地位にあるものはかなり特殊なタイプの保健教育者になる。

  「これらの患者は、癲病についての一般の人々の抱くイメージが自分たちの生活上のおとしめられた地位と苦境の主要な責任であると考えており、 一般の人々に癲病についての専門的な情報を提供する教育者の立場を引き受ける」(Gussow  and  Tracy 1968 : 322)。もちろん、この役割は、ひどく変形しておらず、しかも伝染しないことを医学的に証明された癲病者にのみ開かれている。さらに、この種の教育への 「需要」が比較的限られているので、この特殊な職業的患者の地位につく機会は制限されている。我々は、職業的患者の地位という概念はスティグマを負わせる ような他の疾患にまで、そして慢性および進行性の疾患に苦しむ人々によって用いられる対処の機制のいくつかにまで有効に拡張しうる概念だと思う。
 慢性の病いについてのほとんどの調査は、効果的な臨床的、予防的ケアが人間の寿命を非常に長くしている技術的に複雑な社会において行われている。伝統的 な社会では、幼年期と成人期の危機を生き延びて、変性的疾患が一般的になる年齢層まで生き延びる人がほとんどいない。したがって慢性の病いは比較的まれで ある。その結果、人類学者は自分の研究する社会におけるこの問題にほとんど注意を払ってこなかった。しかし、今や多くの発展途上国で近代医学によって人間 の寿命が非常に長くなりつつある。これらの国で慢性の病いに対処するためにどのような新しい方法が作り出されているのかを調べるのは興味深いことだろう。

5 回復あるいはリハビリテーションの段階(「」)

 先ほど考察した理由で、慢性の病いに対する第5段階の適用可能性はきわめて限定されている。リハビリテーションは、事故や卒中の犠牲者が何事もなされな い場合によりもうまく生活に対処できる助けとなるかもしれない。そして、その結果患者の役割がある程度放棄されるかもしれない。しかし、この放棄もせいぜ い相対的なものである。慢性の状態に苦しむ人々は、患者の役割が常に身近に迫っていることをしっている。しかし、その他の患者にとっては、第5段階はまさ に現実のものである。先ほどまで患者だった人が通常の役割に再びついたこと、あるいは今まさにつきつつあることを証明する儀礼と象徴的行為がすべての社会 に存在する。

米国では、回復の証明は手当てをする医師の言葉にほ とんと基づいている。患者がもう全て大丈夫であることを友人に得心させるふつうの方法は、「先生が私 に、したいと思うことはもうなんでもしていいと言った」と告げることである。メキシコのツィンツゥンツァン(Tzintzuntzan) では、最近まで病いだった人は、「私はもう入浴した」と告げることで同じ目的を達成する。そこでは、入浴が病者にとって最も危険なことだと信じられてい る。入浴は、最初の症状が現われた時に禁止され、加減の悪いことのあらゆる証拠がなくなった時にのみ再び許される。おおっぴらに「私は入浴した」と述べる ことは、完全な回復を表明する決定的な方法である。また別の社会では、そのような儀式はさらに手が込んでいる。ナイジェリアから、精神疾患からの回復を象 徴するために行われる儀式についての記述が送られている。その儀礼では患者が、病いのあいだ身につけていた着物を着て川へ連れて行かれる。その川で彼の頭 の上でいけにえにされ、その鳩の血で彼は洗われる。それから、彼の古い着物と鳥の死体が流れに投げ入れられ、そして、着物と死体は流れに運び去られる。そ の間、祭司が次のように歌う。

川が絶対にうしろへ流れないように、
この病いも絶対に戻ることはない。

 かつての患者は、今度は最上の着物を着て新たに回復した健康を祝うための祝宴に集まった親類と会う( Maclean  1971 : 79-80 )。おそらく患者と家族の双方がこの儀礼から利益を得るだろう。患者は、親類が彼を通常の役割に再び迎え入れることを保証される。家族は、彼が通常の役割 活動を果たすのを当てにできることを祭司から保証される。著者によれば、この儀礼は西洋社会の場合と著しい対照をなしている。西洋社会では、以前の精神疾 患の患者は「自らの病いの痕跡を持って」退院する。「その痕跡は彼のまわりにいつまでもまといつき、絶対に払い落とすことのできないスティグマとなる」 (同書、79)。

 この章の始め近くで指摘したように、そして我々が 挙げた諸例からも明らかなように、病い行動については非西洋的民族の研究の中で十分に記述されていな い。我々は、調査の条件からこの人類学的関心の明白な欠如をかなりの程度説明できるのではないかと思う。アメリカの病院で研究している行動科学者は10人 から100人くらいの患者からなる手ごろなサンプルを手に入れることができるので、多くの時間を病い行動の研究に当てることができる。しかし、一人ぼっち の人類学者は、小屋の中の病気の人の傍で、彼に何がなされ彼がそれにどう反応するかを観察しながら、彼が回復するかあるいは死ぬかするまで一日中座ってい ることなどとうていできない。そんなことをしたら、他の全ての調査を放棄することになる。けれども、人類学者が非西洋社会(例えば、インドとインドネシ ア)の病院の研究を始めているので、米国の病院からの報告に匹敵する、病い行動に関する報告を期待できる。これらの報告は、遠く離れた部族社会における病 気の人々についての詳細な観察には及ばないだろう。このような集団から包括的なデータを期待するとしたら、おそらく過大な要求というものであろう。けれど も我々自身の文化と根本的に異なる文化での患者行動についての病院研究は、病い行動と病気の役割と患者の役割についてなされる一般化の有効性を大幅に高め ることだろう。

原註
 ⑴ この章の始めで定義された用語の意味に従えば、パーソンズは病気の役割ではなく、患者の役割を記述していることになる。しかし、パーソンズ自身が 「病気の役割」という表現を用いているので、彼のモデルを検討する時には彼の用語法に従うことにする。

訳註
 *1 ニュー・イングランド地方に来た初期開拓者達、およびその子供。

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このページは、かつてリブロポートから出版されまし た、フォスターとアンダーソン『医療人類学』の改訳と校訂として、ウェブ上においてその中途作業を公開 するものです。

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他山の石(=ターザンの新石器)

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