はじめにかならずよんでください

Notes on George M. Foster and Barbara G. Anderson' Medical Anthropolpgy, 1978

解説:池田光穂

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医療人類学
序文


 この『医療人類学』で、我々は多くのテーマについて論じるが、これらは、ここ30年ほどの間に関心の的を健康と病気に向け始めた生物学的人類学者及び、 社会人類学者の興味を引きつけているものでもある。我々のここでの目的は、今日までの全ての業績を包括的に取り扱うことではない。というのは、そのような 作業が可能だとしても(我々は可能だと思わないが)、できあがった著作は退屈なものになるに違いないからである。それにかえて、研究や専門的活動や教育か ら直接知ることのできる題材と、学生達が興味を持てると思われる題材とに問題を集中させ、医療人類学の分野について我々が取っていると同じ概観を示すこと で、我々は満足したいと思う。
 読者は多分気がつかれると思うが、我々は決して医療人類学の、より純粋な生物学的側面の重要性を、無視したり低く評価したりするわけではない。しかしな がら、ここで展開されるほとんどの章の社会的文化的な志向は、我々の立場が、親密な分野である医療社会学に大きく依拠していることを明らかにするであろ う。医療人類学と医療社会学との間には、対象事柄や概念的枠組、そして調査方法などにおいてはっきりとした違いが存在し、またそれぞれ個々の独立した分野 としての有効性についても疑問の余地はない(Foster 1974, Olesen 1974 参照)。しかし、両者の間には、重要な類似性と共通基盤もまた存在する。健康と病気の社会的及び文化的次元に興味を持つ人類学者は、生物学的人類学からの データやモデルを無視できないのと同様に、社会学からのデータやモデルも無視できない。
 本文では、二つの基本的な人類学的視点が提示される。まず最初に、西洋諸国でも第三世界諸国でも、また過去も現在も、健康に関連した行動は「適応」の傾 向があると、我々は考える。意識的にも、無意識的にも、それらの行動はそれぞれの社会の構成員の生存と増加を推進するように意図されている。我々は保健行 動もまた、病いの原因と見なされたものに対する(世界観、つまり全ての集団の構成員の認知的方向性によって与えられた)合理的反応と見なしている。第二 に、人類学の比較研究法は保健行動の構造とダイナミクスの分析に深い洞察力を与えるものと我々は考える。したがって、それぞれの文化の文脈に関係なく、医 療システムの全ての局面の根底に存在する共通の要素を強調して、通文化的視座に重点をおく。この意味において、西洋文化に独自の医療制度と、世界の他の文 化の医療制度との間には、はっきりした差異が存在しており、このことは西洋社会を中心に扱う章においても暗黙の前提としている。
 各章の構成にあたり、折衷的ではあるが、これらの視点を強調する。 
 第1部では、初めに、医療人類学の新しい分野としての特徴について考察する。次に、特に古病理学の成果を引用しながら、人類進化に影響を与えたであろう 疾病と文化の関係について考察する。疾病と文化と人間行動との関係に続いて、人類学者たちが関心を持っている生態学の主題となるようなテーマについて論ず る。その後、医療システムについて言及し、医療システムは疾病がもたらす生物学的脅威に対する適応的反応であると指摘する。この医療システムお概念は、ま た後半の章に適切な理論的背景を与えることになる。なぜなら、医療人類学者の研究のほとんど全てが、どのみち最終的には特定の医療システムと関わるもので あるからである。
 第2部では、おもに、完全ではないが、民族誌的研究から伝統社会の題材を扱う。これらの題材は、病いの本質と原因に対する考え方、非西洋社会の精神病 (特にピブロクトク pibloktoq*1のようないわゆる文化特有の疾病)、土着の治療者の行為と役割、そして伝統的医療システムの長所と短所などである。
 第3部では関心を西洋に切り替えて、医療社会学者と医療人類学者が興味を持っている重要な題材について考察する。患者、医師、看護婦、その他の医療従事 者間の相互関係の中に示される役割行動と象徴的相互作用、小社会としての病院、専門職の問題、などである。ここでは、記述的、理論的に焦点をしぼる。
 第4部では医療人類学の応用的側面に力点をおく。これは、我が国と開発途上の世界との両方において、健康への要求(ヘルスニーズ)への解決策を見出すの に人類学者が援助する(したかもしれない)際の役割である。ここの各章には、それぞれ少しずつ違った意味ではあるが、変化という概念が根底にある。始めの 4章で展開される我々の方法は、合衆国の応用人類学の伝統によっており(つまり、技術−変化−の−社会的−局面モデル)、これの論証として、ソーンダース の『文化的差異と医療ケア』(1954)や、ポール『健康、文化、集団』(1955)などの古典的著作や、「ヒューマン・オ−ガナイゼーション」や「サイ エンス」やその他の雑誌に掲載された広範囲の論文を取りあげる。最後の章では、合衆国医療の建設的批判者としての医療人類学者の役割が提起される。それ は、我が国の医師支配型の医療提供システムや、科学と技術が我々につきつけている倫理的ジレンマを問題にする役割である。我々は、そう複雑でない他の社会 での慣習を観察することで、誕生、老い、死などについて学ぶべき教訓があるのではないか熟考してみる。
 ここで専門的な批判に対しては、前もって断っておかねばならないことがある。我々は一般論を論じているのであり、つまり太い筆で描いているということで ある。紙数が限られた中で広範囲にわたって書くには、他の方法ではやりようがないのである。「ボンゴ・ボンゴ族*2」が我々の包括的記述法で完全に説明で きるとは思っていないし、またかれらの特色を全て認識できるとも思っていない。にもかかわらず、木を見て森を見ずという人類学共通のあの病気よりは、外見 上は過大な単純化と見なされるほうを我々は選ぶ。通文化的に観察された保健行動の中に、他の全ての種類の行動におけるのと同様に、それぞれの独自性を越え た共通のパターンと傾向と規則性を見出す。小さな差異に、一つ一つの脚註を加えて確かめていく方法よりは、共通のパターンを探し出す方法のほうが学び取る ものが多いと我々は信じている。我々が行き過ぎだと思う読者は、疑問と思うことを、余白にでも書き入れていただきたい。例えば「もちろん、ボンゴ・ボンゴ 族においては、例外なのだが…」のように。こうすることは、決して我々の方法の意義を不当に低く評価することにはならないだろうし、我々にとっては、その ほうがよりうれしい。
 編集に関していうと、引用したものは全て完全な形で文献を表示する方針をとった。科学的文章は、多くの文章の中でもとりわけ、興味を持った読者をさらな る資料へ導き、かつ著者が提示した他の人達の意見について正確な検討を可能にすべきであると我々は考えている。特に引用註なしの例証は、我々のフィールド 調査に基づいている。メキシコのミコアカンの農村、チンツンツァンや、他のラテン・アメリカの地域、スペイン、そしてインドネシアなどの例は、フォスター の研究したものである。ヨーロッパ(特にフランスとデンマーク)、アフリカ(特にモロッコ)、そしてインドに関する引用註のないのは、アンダーソンの フィールド観察によるものである。
 性差別が意識されている時代であるので、人称代名詞の使い方は、しばしば、難しい。文中で総称的な意味で「彼」が使われる時、読者は「彼女か彼か、もし くは両方」と読み取ってくれることを期待したい。
 多くのグループや個人の方々が、我々に援助を与えて下さったが、特に草稿の段階で読んで批判をいただいた。まず、この本のいくつかの章は、カリフォルニ ア大学バークレー分校の人類学部の社会人類学スタッフによる月例会議に発表され検討された。また、バークレー分校の博士号取得候補者の、アン・マックォー リー、パメラ・メイヤー、ジェニー・ジョー、ジーン・ケイサー、バーバラ・コーニッヒ達には、下書きを読んで批判してもらった。サザン・メソジスト大学で はこの役目を医療人類学コースの教官と大学院生にお願いした。医療人類学の博士号取得候補者である、ナンシー・ハザン、コーレン・クレーマー、デブラ・ シャーマン達には、研究と執筆のあらゆる面において、特にお世話になった。サザン・メソジスト大学の教官のデビッド・スチュアートには、この本の索引作製 の骨のおれる作業を手伝っていただいた。そして、ヘイワードのカリフォルニア州立大学の教授会は夏休み中も原稿作製を継続することに、便宜をはかってくれ た。膨大な下書きに、熱心に取り組んでくれた秘書の方々、とりわけジェーン・ティラーソンとジェーン・ジラードには、彼女達の技能と、我々に対する忍耐と に、心から感謝の意を表したい。
 ジョージ・M・フォスター
 バーバラ・ガラチン・アンダーソン

訳註
*1 エスキモーに見られる文化結合症候群としての精神病。極地ヒステリーとして知られる。本文第5章参照。
*2 この文章は、文化人類学者たちが自分たちが民族誌調査を通じて精通している民族のことをことさら特権化することを皮肉った文章である。ボンゴ・ボン ゴ族とは架空の未開民族で当然のことながら存在しない。


このページは、かつてリブロポートから出版されました、フォスターとアンダーソン『医療人類学』の改訳と校訂として、ウェブ上においてその中途作業を公開 するものです。

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ささ医療人類学
序文


 この『医療人類学』で、我々は多くのテーマについて論じるが、これらは、ここ30年ほどの間に関心の的を健康と病気に向け始めた生物学的人類学者及び、 社会人類学者の興味を引きつけているものでもある。我々のここでの目的は、今日までの全ての業績を包括的に取り扱うことではない。というのは、そのような 作業が可能だとしても(我々は可能だと思わないが)、できあがった著作は退屈なものになるに違いないからである。それにかえて、研究や専門的活動や教育か ら直接知ることのできる題材と、学生達が興味を持てると思われる題材とに問題を集中させ、医療人類学の分野について我々が取っていると同じ概観を示すこと で、我々は満足したいと思う。

 読者は多分気がつかれると思うが、我々は決して医療人類学の、より純粋な生物学的側面の重要性を、無視したり低く評価したりするわけではない。しかしな がら、ここで展開されるほとんどの章の社会的文化的な志向は、我々の立場が、親密な分野である医療社会学に大きく依拠していることを明らかにするであろ う。医療人類学と医療社会学との間には、対象事柄や概念的枠組、そして調査方法などにおいてはっきりとした違いが存在し、またそれぞれ個々の独立した分野 としての有効性についても疑問の余地はない(Foster 1974, Olesen 1974 参照)。しかし、両者の間には、重要な類似性と共通基盤もまた存在する。健康と病気の社会的及び文化的次元に興味を持つ人類学者は、生物学的人類学からの データやモデルを無視できないのと同様に、社会学からのデータやモデルも無視できない。

 本文では、二つの基本的な人類学的視点が提示される。まず最初に、西洋諸国でも第三世界諸国でも、また過去も現在も、健康に関連した行動は「適応」の傾 向があると、我々は考える。意識的にも、無意識的にも、それらの行動はそれぞれの社会の構成員の生存と増加を推進するように意図されている。我々は保健行 動もまた、病いの原因と見なされたものに対する(世界観、つまり全ての集団の構成員の認知的方向性によって与えられた)合理的反応と見なしている。第二 に、人類学の比較研究法は保健行動の構造とダイナミクスの分析に深い洞察力を与えるものと我々は考える。したがって、それぞれの文化の文脈に関係なく、医 療システムの全ての局面の根底に存在する共通の要素を強調して、通文化的視座に重点をおく。この意味において、西洋文化に独自の医療制度と、世界の他の文 化の医療制度との間には、はっきりした差異が存在しており、このことは西洋社会を中心に扱う章においても暗黙の前提としている。

 各章の構成にあたり、折衷的ではあるが、これらの視点を強調する。 

 第1部では、初めに、医療人類学の新しい分野としての特徴について考察する。次に、特に古病理学の成果を引用しながら、人類進化に影響を与えたであろう 疾病と文化の関係について考察する。疾病と文化と人間行動との関係に続いて、人類学者たちが関心を持っている生態学の主題となるようなテーマについて論ず る。その後、医療システムについて言及し、医療システムは疾病がもたらす生物学的脅威に対する適応的反応であると指摘する。この医療システムお概念は、ま た後半の章に適切な理論的背景を与えることになる。なぜなら、医療人類学者の研究のほとんど全てが、どのみち最終的には特定の医療システムと関わるもので あるからである。

 第2部では、おもに、完全ではないが、民族誌的研究から伝統社会の題材を扱う。これらの題材は、病いの本質と原因に対する考え方、非西洋社会の精神病 (特にピブロクトク pibloktoq*1のようないわゆる文化特有の疾病)、土着の治療者の行為と役割、そして伝統的医療システムの長所と短所などである。

 第3部では関心を西洋に切り替えて、医療社会学者と医療人類学者が興味を持っている重要な題材について考察する。患者、医師、看護婦、その他の医療従事 者間の相互関係の中に示される役割行動と象徴的相互作用、小社会としての病院、専門職の問題、などである。ここでは、記述的、理論的に焦点をしぼる。

 第4部では医療人類学の応用的側面に力点をおく。これは、我が国と開発途上の世界との両方において、健康への要求(ヘルスニーズ)への解決策を見出すの に人類学者が援助する(したかもしれない)際の役割である。ここの各章には、それぞれ少しずつ違った意味ではあるが、変化という概念が根底にある。始めの 4章で展開される我々の方法は、合衆国の応用人類学の伝統によっており(つまり、技術−変化−の−社会的−局面モデル)、これの論証として、ソーンダース の『文化的差異と医療ケア』(1954)や、ポール『健康、文化、集団』(1955)などの古典的著作や、「ヒューマン・オ−ガナイゼーション」や「サイ エンス」やその他の雑誌に掲載された広範囲の論文を取りあげる。最後の章では、合衆国医療の建設的批判者としての医療人類学者の役割が提起される。それ は、我が国の医師支配型の医療提供システムや、科学と技術が我々につきつけている倫理的ジレンマを問題にする役割である。我々は、そう複雑でない他の社会 での慣習を観察することで、誕生、老い、死などについて学ぶべき教訓があるのではないか熟考してみる。

 ここで専門的な批判に対しては、前もって断っておかねばならないことがある。我々は一般論を論じているのであり、つまり太い筆で描いているということで ある。紙数が限られた中で広範囲にわたって書くには、他の方法ではやりようがないのである。「ボンゴ・ボンゴ族*2」が我々の包括的記述法で完全に説明で きるとは思っていないし、またかれらの特色を全て認識できるとも思っていない。にもかかわらず、木を見て森を見ずという人類学共通のあの病気よりは、外見 上は過大な単純化と見なされるほうを我々は選ぶ。通文化的に観察された保健行動の中に、他の全ての種類の行動におけるのと同様に、それぞれの独自性を越え た共通のパターンと傾向と規則性を見出す。小さな差異に、一つ一つの脚註を加えて確かめていく方法よりは、共通のパターンを探し出す方法のほうが学び取る ものが多いと我々は信じている。我々が行き過ぎだと思う読者は、疑問と思うことを、余白にでも書き入れていただきたい。例えば「もちろん、ボンゴ・ボンゴ 族においては、例外なのだが…」のように。こうすることは、決して我々の方法の意義を不当に低く評価することにはならないだろうし、我々にとっては、その ほうがよりうれしい。

 編集に関していうと、引用したものは全て完全な形で文献を表示する方針をとった。科学的文章は、多くの文章の中でもとりわけ、興味を持った読者をさらな る資料へ導き、かつ著者が提示した他の人達の意見について正確な検討を可能にすべきであると我々は考えている。特に引用註なしの例証は、我々のフィールド 調査に基づいている。メキシコのミコアカンの農村、チンツンツァンや、他のラテン・アメリカの地域、スペイン、そしてインドネシアなどの例は、フォスター の研究したものである。ヨーロッパ(特にフランスとデンマーク)、アフリカ(特にモロッコ)、そしてインドに関する引用註のないのは、アンダーソンの フィールド観察によるものである。

 性差別が意識されている時代であるので、人称代名詞の使い方は、しばしば、難しい。文中で総称的な意味で「彼」が使われる時、読者は「彼女か彼か、もし くは両方」と読み取ってくれることを期待したい。

 多くのグループや個人の方々が、我々に援助を与えて下さったが、特に草稿の段階で読んで批判をいただいた。まず、この本のいくつかの章は、カリフォルニ ア大学バークレー分校の人類学部の社会人類学スタッフによる月例会議に発表され検討された。また、バークレー分校の博士号取得候補者の、アン・マックォー リー、パメラ・メイヤー、ジェニー・ジョー、ジーン・ケイサー、バーバラ・コーニッヒ達には、下書きを読んで批判してもらった。サザン・メソジスト大学で はこの役目を医療人類学コースの教官と大学院生にお願いした。医療人類学の博士号取得候補者である、ナンシー・ハザン、コーレン・クレーマー、デブラ・ シャーマン達には、研究と執筆のあらゆる面において、特にお世話になった。サザン・メソジスト大学の教官のデビッド・スチュアートには、この本の索引作製 の骨のおれる作業を手伝っていただいた。そして、ヘイワードのカリフォルニア州立大学の教授会は夏休み中も原稿作製を継続することに、便宜をはかってくれ た。膨大な下書きに、熱心に取り組んでくれた秘書の方々、とりわけジェーン・ティラーソンとジェーン・ジラードには、彼女達の技能と、我々に対する忍耐と に、心から感謝の意を表したい。

 ジョージ・M・フォスター

 バーバラ・ガラチン・アンダーソン

訳註
*1 エスキモーに見られる文化結合症候群としての精神病。極地ヒステリーとして知られる。本文第5章参照。
*2 この文章は、文化人類学者たちが自分たちが民族誌調査を通じて精通している民族のことをことさら特権化することを皮肉った文章である。ボンゴ・ボン ゴ族とは架空の未開民族で当然のことながら存在しない。

他山の石(=ターザンの新石器)

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