はじめにかならずよんでください

Notes on George M. Foster and Barbara G. Anderson' Medical Anthropolpgy, 1978

解説:池田光穂

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医療人類学
第10章 医療における専門職:医師

序論

 非西洋における治療者と彼らに関連する人々についての報告はほとんど人類学者によるものである。それに、近年は精神医学者による報告もその数を増しつつ ある。彼らは、研究領域を定義し、まず注目すべき問題を決定し、結論を引き出す元となる大量のデータを提供している。我々自身の社会における医師と彼らに 関連する人々(特に看護婦)についての研究には、社会学者と、やや少ないが、心理学者が同等の役割を果たしている。彼らも研究領域を定義し、研究される主 要な問題を決定し、現在の仮説やモデルと同様に、それらが構成されるもとになるデータを提供している。
 人類学者と社会学者の間では、調査課題の点でいくつかの重複があるけれども、強調点の相違の方がより顕著である。人類学者は治療者の治療技術やパーソナ リティ特性、彼らの治療者としての役割、それに彼らの社会的仲裁者としての役割に第1の関心を払ってきた。それに対して、社会学者は専門家という社会的カ テゴリーのモデルとしての医師に特別の関心を払ってきた。社会学者の中には、医療ケアの構造や医師の社会全体に対する関係に関心を払っている者もいる(エ リオット・フライドソンの『専門職的支配』[1970]が思い浮かぶ)。けれども、社会学の文献のいかに多くが医学教育と専門職の特質について扱っている かは一目瞭然である。この2つがこの章で我々が特に扱いたいと思う問題である。

 専門職の概念

 エヴァレント・ヒューズが書いているように、医療が「専門職の原型」(E.C.Hughes 1956:21)であることはずっと以前から認められていた。当然ながら、社会学者は医療をアメリカ社会における職業や分業などの問題に対する彼らの幅広 い関心を探求するのに、特別に実り豊かな領域として早くから認めていた。例えば、医学校についての最初の重要な研究の一つは、1950年にコロンビア大学 に設立された専門職についての各学部交流セミナーから生まれたものである。セミナーへの参加者は、医学校の社会心理的環境についての体系的な知識の欠如や これらの環境が学習過程に影響している方法を記録している。彼らは、医学校の社会学的研究が、他の分野での類似の研究のために必要とされるモデルを提供す ることになろうと結論している。その成果が、医療の職業化についての最初の重要な研究である。あの古典的な学生医師(Student Physician) (Merton et al.1957)である。
 医師とその診療行為(と、それに看護)についての文献を考察すると、そこには、専門職についての統合的なテーマがほぼ必ず存在する。それでは、専門職と は何か、志望者はどのようにして専門家になるのであろうか。専門職の概念は、内容、クライアント、組織、統制などである。専門職は一組の専門的知識(内 容)に基づき、そのまわりに組織されている。その知識は、容易には獲得できず、その知識を資格のある専門家が用いてクライアントの必要に応えるか、あるい は彼らに奉仕している。専門職についての多くの定義が、理論的知識とこの知識を増やすための継続的な研究の中心性を強調している。もちろん、これは医療専 門職の第一特性である。
 専門職という分野の構造に関して、そこでの関係が階層構造的な官僚組織とは対照的な対等者の同僚組織(collegial organization)によって特徴づけられることに注目しよう(Coe 1970:191)。この水平的に表現された概念的平等のコミュニティを通して、専門家は自ら分野に対する統制を維持する。そのコミュニティの内部で、彼 らは協力して共通の関心を促進し、知識の独占を維持する。また、他者の侵入から自らを防衛し、専門職に加入するための資格を設定する。さらに、いつもそれ ほど熱心にというわけではないが、その集団の成員の能力と倫理について規制する。
 専門職はまた、「それがこのような地位に値するという公式の信念と、そして時には一般の人々の信念によって指示された分業上の特別の地位」 (Friedson 1972:187)として理解することが出来る。エヴァレント・ヒューズの言葉を用いれば、専門職はその仕事を実行する免許と委任された権利を有してい る。それは、一部には法律によって有効性を与えられ、一部にはその専門的地位への主張が実際に正当化されているという、社会の非公式の認可あるいは合意に よって有効性を与えられている。さらに、専門職の成員は、専門職を志望する人々が受ける訓練に対する統制を含む、彼らの業務についてのかなりの程度の自立 性を有している。最後に、ほとんどの専門家は自分の仕事を終生の専念すべき職務と考えている。

 医学教育

 専門職への―そして、もちろん医学への―加入は、志望者が同種の人々の集団あるいはクラスの成員として長期の訓練を受けることによって達成される。その 訓練では、(教師として勤める有資格の専門家の指導の元に、そして成員同士の交互の学習過程によって)その役割に不可欠の専門的知識が獲得される。同様 に、価値、アイデンティティの感覚、専門家の役割にふさわしい行動についての規範なども獲得される。コウが指摘するように、これらの中で特に重要なことは 同僚の専門家と共同作業することを学ぶことである。
 社会学者(と心理学者)が医学教育に与え続けてきた注意は、基本的問題の反映である。今まで行われた調査では、医学教育についての研究に対する2つの主 要なアプローチが注目されるであろう。すなわち、心理学的なアプローチと社会学的アプローチの2つである(Merton 1957:53)。前者の方が時代的には後者より先に行われている。それは個人に焦点を当て、個人の知覚、思考、行動、感情に影響し、あるいはそれらに反 映されるようなパーソナリティ特性を探求する。このような初期の心理学的研究の多くは実用的な性質のものであった。それは医学校の選抜委員会が医学の研究 に成功する可能性の最も高いと思われる候補者を選択するのに役立つように計画されたものである。心理学的研究はまた、医学生の専攻分野の選択とか一般診療 へ進むことの決定に影響する要因を扱っている。
 社会学的アプローチは一つの社会システムとしての医学校に第一の注意を向けている。その社会システムはその構造、機能そして過程が文化的環境内に位置し ていると見なされる。社会学者は、学生が勉学上の大きなストレスに対処するのを助ける適応装置としての学生「文化」に関心を示す。また、医学生を特徴づけ る価値と見解の変化、医学生が1年生の地位から青年医師へと進むのに伴う変化に関心を示す。マートンの指摘するように、その2つのアプローチは相補的なも のであって、対立的なものではない。それらを通して、医学教育について一方のみが与えうる以上の理解を得ることが出来る(Merton 1957:54)。医学校教育の過程についてなされた多くの研究から、我々は4つの主要なテーマを選んで議論する。その4つのテーマとは、医学校への人材 補充、学生文化、「さめた関心」と理想主義の喪失、経歴専攻である。

1 人材補充

 医学生の特性は、学校の地理的位置や彼らの出身母体人口の人種的及び宗教構成や、出身地の都市―農村人口の比率によって著しく異なる。ニューヨーク市の 医学校は、中西部のプロテスタントの支配的な農村地区に置かれた州立医科大学よりも入学するユダヤ人学生の割合がかなり高い。けれども、医学生の大まかな 特性について考察する時には、差異よりも類似の方が顕著である。彼らは高いIQを持ち、我々の社会の社会経済的に上層から補充される傾向がある。また、事 業や専門職に従事している大学卒業者の子弟の割合が高い。選抜過程の民主化は進んでいるけれども、医学生はいまだにおそらくこの国のいかなる学生の集団よ りも社会経済的レベルが高いのである。ブルームは、14の医学校からなるサンプルにおいて、大学卒業の父親は全体の26から54パーセントに及び、「大学 以上の」訓練(すなわち大学院あるいは専門職の訓練)を受けた父親は18から38パーセントに及んでいたと報告している(Bloom 1973: 65)。ニューヨーク市にあるニューヨーク州立大学州南部医学センターにおいて、ブルームは、学生の3分の2が専門職、管理職、あるいは資産 家の家庭の出身であることを発見した(同書、62)。
 医学生の背景についてのその他の研究でも、社会経済的地位の定義は地域によって異なるが、ブルームの調査結果と一致している。例えば、ベッカーとその共 同研究者は、1950年代後半にカンサス大学の医学生の「大多数」が「若くて、白人で、男性で、プロテスタントで、小都市出身のカンサス人」 (Becker et al. 1961:59)であることを発見した。それは、州南部医学センターで見いだされた集団と全く異なっているけれども、カンサス人というコンテクストでは恵 まれた人々である。
 社会学者はまた学生が医学という経歴を求めるのに影響する要因にも関心を払ってきた。ホールは初期の論文で「野心を生み出す」(Hall 1948:327)過程について語っている。彼は、医学という経歴への関心を呼び起こす点だけでなく、激励や日々の勉学の援助や勉学を容易にする個人的自 由の提供などの支持的行動によってそのような経歴を可能にする点でも、ほとんどの場合家族と友人が支配的な役割を果たしていることを発見した。医学生のか なりの部分が専門職(と他の社会経済的上層)という背景の出身なのは驚くべきことではない。というのは、彼らは他のグループより「医学への野心を生み出 し、育てる規制」(同書。328)を持っているからである。これとは対照的に、社会経済的レベルの下層の家族は医学への野心を刺激することはあっても、そ の野心を支持的行動を通して保存し強化するのに必要な手段と理解を欠いている、
 その後、ペンシルヴァニア大学医学部の6つの連続したクラスの約750名の学生についての研究が行われた。その研究では、これらの学生を医学を選択する ように導いた要因とその選択の決定をしたときの彼らの年齢が分析された。16歳より前に決定に到った者は20パーセント未満であったが、これらの学生は 16歳以後に決定した者よりも決定の正しさに対して疑うことが少なく、医学が自分を満足させることの出来る唯一の経歴であるという感情を表明することが多 いということが発見された。早期の決定者の選択においては父親が大きな役割を果たしていた。それに対して後期の決定者においては、当然ながら、仲間集団の 成員と特にすでに医学部に入学している友人がより重要な役割を果たしていた。最後に、早期の決定者は、後期の決定者より人道主義的な要因、すなわち人々を 助け、彼らの感謝を受けたいという欲求に動機づけられていた。後者は相対的に、知的な医学的問題の方に比較的魅力を感じていた(Rogoff 1957)。

2 学生の文化

 医学校についての社会学的研究は、いまだに十分には解決されていない、大きな理論的及び実際的な問題、すなわち医学生の地位という問題を提起している。 「彼は最も本質的には知的な試練を強調する通過儀礼において自分自身を試すことを要求される学生なのだろうか。それとも彼は訓練中の―医師、すなわち医療 専門職の年少の同僚であり、したがって、徐々に増加して卒業段階で最高に達するような、その専門職の成員資格に伴う権利と特権の部分的な受益者なのであろ うか」(Bloom 1965:152)。最も重要な医学校研究のうちの2つの研究のタイトルが、この問題を如実に示している。カンサス研究において、ベッカーとその共同研究 者は『白衣の青年』を研究し、ニューヨーク・コーネル研究でマートンとその共同研究者は『学生―医師』に関心を払った。
 この対照的な見解は、モデルが解釈にどのように影響するかということの実例である。学生と教師は多くの共通の関心を持つけれども別々の生活を持つ、はっ きりと区別された2つの地位であることは明らかである。人類学者のように下位文化の概念が複雑な社会の理解に役立つと考える者にとっては、学生と教授を2 つの異なった文化の成員と見なすのが論理的である。これはベッカーと彼の共同研究者によって採用されたアプローチである。彼らは学生文化を「学生としての 役割に関連する事柄に関する、学生間の集合的な理解の体系」(Becker et al. 1961:46)と定義している。これらの著者はこの用語のいくつかの合意に言及している。第一に、学生の「パースペクティブ」(問題的な状況における思 考、感情、行為の仕方)に一貫性と調和が存在する。第2に、その用語は、学生集団によって保持されるパースペクティブは、彼らが学生であって、いまだ専門 家でないという事実に密接に関連していることを強調する。最後に、学生たちは医学という経歴への準備をしているけれども、「彼らのパースペクティブに決定 的に影響を与えるのは医学的なものではない」(同書、46)。彼らは青年医師としてではなく、学生として行動する。
 他の文化と同様に、学生の文化も一団の人々が共通の環境を共有し、同等の問題に直面し、類似のあるいは同一の活動に従事し、同じストレスの下に生活する ことから生まれる。人類学者は一般に文化を人間集団が生活の問題に対処することを可能にする適応の規制と見なす。これと同じように学生の文化も、医学生を 医学教育の迷路と落とし穴の中で教え、案内し、指導し、彼らが最も確実に訓練を終えることが出来るような決定と行為を行うのを助ける対処処置と見なすこと が出来る。ブルームがまとめているように、学生は「世界を学校の内部に、しかしながらそれとは別に組織する」ことがカンサス研究において発見されたのであ る。「この学生の文化は、少なくともある程度は秘密結社である。『クールにやる』―すなわち、教師に対しては黙従と協力の顔を提示し、学校での生存のため に行動するが、彼ら自身の私的世界では、より独立的で批判的である」(Bloom 1965:155)。
 カンサス研究とは対照的に、マートンと彼の共同研究者によって行われた研究では、もっと平等主義的な学生―教師関係があり、学生は間もなく十分な専門的 パートナーになる、成長しつつある同僚と見なされているということが示唆されている。彼らが見いだした学生社会は、カンサスの場合とは異なった機能を果た しているように思われる。カンサスの学生社会が学生の世界と教師の世界の分離を強調しているのに対して、ニューヨークの学生社会は、学校の情報伝達網を維 持するように活動し、「基準を明確化し、学生と教師が共通に保持している規範に基づいて行動を統制する」(Bloom 1965:155)。
 批判者の中には、以上の2つの解釈の差異は2つの学校間の現実の差異の反映であると示唆している者もいる。ベッカーと彼の共同研究者はこの説明を否定 し、カンサスは典型的な医学部であって、そのコーネルとの差異はこの問題に関して重要ではないと主張する。人類学者にとっては、ニューヨークとカンサスの 間の人種的、宗教的、経済的差異や農村―都市の差異が医学部の学習環境に反映されていないというのは信じ難い。一方、ブルームの州南部医学センターの研究 は、学生―教師の対立がニューヨーク市にも存在することを示唆している。それによると、学生は彼らの高等教育や成人教育の経験という期待が実現されないこ とに失望していた。学生と教師の双方が「防衛的なタイプの引きこもり行動を」を示した。教師の側におけるそれは、研究において「業績が自分自身の学問の明 確な規準によって測られ、[授業においてのように]一組の不明確な制度的規準という気まぐれに支配されない」(Bloom 1973:2)ということを強調することであった。授業活動は、学生の専門的能力を育成するという目標に限定されていることをブルームは発見した。次に、 学生たちの側でも引きこもりを示したが、それは「匿名の情熱」と「波風を立てない」という戦略を意味していた。
 人が学生―教師関係を概念化したいとどれほど願おうとも、全ての医学部に、医師志望者を訓練期間中に援助する点で多様な機能を果たすいろいろな学生の 「文化」あるいは「社会」が存在することは明らかである。

3 さめた関心と理想主義の喪失

 ほとんどの医学生が最初は自分自身について理想主義的に考える。彼らは、お金を稼ぐことよりも「人々を助けること」に関心を示す。けれども、医学校で学 年が進んで行くにつれて患者に対する過度の情緒的関与を避けなければならないことに気づくようになる。死、慢性的病弱、身体的無能などの厳しい現実のため に、医師が患者に常に強い愛着を持つことは不可能と言わぬまでも難しい。1年の解剖実習で初めて死体を見せつけられ、時々教師が落ち着き払った残酷さでそ れを学生に与えるのを経験した時から、学生はいわゆる「さめた関心」(Fox 1959)というものを学び始める。患者の診断と治療において客観的であるためには患者の苦しみに捕らわれないこと、すなわち関心は持っても情緒的に関与 しないことが一番いいと医師は考える。おそらく、こういうわけで医師は自分自身の家族の成員の処置を滅多にすることがなく、その仕事を信用のおける同僚に 委任するのであろう。
 調査者の中には、「さめた関心」の獲得には学生の冷淡主義の増大が伴っていると考える者もいる。例えばエロンは、医学生が訓練のための4年間を進んで行 くにつれて「冷淡主義」尺度の得点が高くなり、「人道主義」尺度の得点が低くなることを発見した(Eron 1955)。この見解はその専門職の内外で広く共有されている。しかしながら、そもそも初めからその見解は疑問視されていたし、それは今日では本当に妥当 ではないということを示す証拠も増えつつある。1950年代後半のカンサス研究の結果も、医学生の表面的な冷淡主義は一般的なものというよりむしろ状況的 なものであり、学生が医学の実践についてのはじめの理想主義を決して失わないことを示唆していた。学生は「死と人間の苦しみを無視する傾向がある。なぜな ら、彼は学生であって診療を行っている医師ではないのでどちらについても何かをなしうる位置にはないからである。したがって、学生は患者をそれから何かを 学習することが出来る物体と見なす傾向がある」(Becker and Geer 1963:173)。時がたつにつれて学生は診療を行う医師として何が出来て何が出来ないのかという点でますます現実主義的になる傾向があり、かくしては じめの特定化されていない理想主義を修正していく。著者たちは次のように結論している。「学生は(素人見方からすれば)医学校の4年間に冷淡主義のうわべ を獲得するかもしれないが、彼らはまた、そのうわべの下の医学校に進んだときの理想主義を実行する方法についての特定化された概念を獲得し、診療を行う医 師になった時にこれを行うよう試みるのである」(同書、173、Becker and Geer 1958も見よ)。
 ベッカーよりずっと後の研究では、態度と価値の尺度が利用され、それが2つのクラスの学生に対して1年生のはじめと4年生の終わりに実施された。その研 究は、人道主義―冷淡主義の尺度が現実に起こっていることについて偽の印象しか伝えていないことを示唆している(Perricone 1974)。むしろ新しい証拠によれば、医学校で学年が進むにつれて医学生の社会的関心は高くなるのであって、その逆ではない。「実際、多くの医学校の教 師が自分の学生によって《人間化され》ているように思われる。すなわち、医学校は社会科学と行動科学の講座を提供し始めているが、それは、保健ケアの提供 の問題に対するより適切で、より直接的なアプローチを、という新しい要求に応えるものである」(同書、546)。

4 医学における専攻選択

 医学校に入学するほとんどの学生が一般診療に進むことを希望しているか、あるいは可能な専門科目のうちどれを専攻するかまだ決心していないかのどちらか である。けれども、その大多数は卒業前に後者の進路に進むことを決定する。一つには、これは駆使したいと思う医学的知識の全てを獲得するのは不可能であ り、それより一つの分野に打ち込んだ方がよいという自覚からである。また一つには、それは特定の医学の専門科目への知的挑戦のためである。心理学者と医師 は、一般医療を含む専門科目の選択を予測することに特別の関心を持ってきた。決定に影響すると思われる2つのタイプのデータがその研究で用いられている。 すなわち、いろいろな専門科目を選ぶ学生の個人的特性といろいろな専門科目の医師の持つパーソナリティについての学生の認知である。 
 前者のアプローチの実例は1967年の秋に6つの医学校に入学した630名の学生についての研究である。その研究は、一般診療を選んだものの半数が1万 未満の人口を持つ都市の出身者であるのに対して、他の経歴を選んだもののわずか5分の1が「小都市の青年」であることを明らかにした。また、一般診療のグ ループはプロテスタントの割合が最も多かった。これと対照的に、一般医を志望するわずか1パーセントがユダヤ人であった。この相関はおそらくユダヤ人の大 多数が大都市の出身であるという事実の反映である。専門科目として精神医学を選ぶことは大都市出身と相関していた。さらにそれはおそらく驚くべきことだ が、カトリック信仰あるいは宗教団体に加入していないことと相関していた(Paivia and Haley 1971)。外科あるいは内科を選択する学生は他の学生と2つの重要な点で異なっていることが発見された。すなわち、前者の学生の方に以前医療の場面で働 いたことのあるものが多く、その約4分の3に医師との個人的交際があり、その医師が彼らの医学についてのイメージと経歴選択に影響を与えていた(同書)。
 もう一つの研究は、大学で学んだ課目と選択された医学の専門科目との間の相関関係を調べている。とりわけ、将来の精神科医は大学で自然科学を学ぶことが 他の級友より有意に少なく、将来の小児科医は有意に多いことが発見された(Geertsma and Grinols 1972)。専門科目選択の理解に対する「個人的特性」アプローチは、興味深い政策上の問題を提起する。もし確認された変数と相関が広範に一貫性があるこ とが証明されるなら、そのとき医学校への入学者の選抜過程を通していろいろな専門分野に進む学生の割合を操作することが可能となるはずである。例えば、外 科を選ぶだろうと思われる特性を持つ志願者を選択的に差別することによって、外科医の数の近年の急速な増加を遅くしたり、止めたり出来るかもしれない。医 学校への入学に対するこのようなやり方には政策的な次元とともに倫理的な次元が存在することは明らかである。
 いろいろな専門科目の医師の特性について学生の認知に関する研究の例は、広く引用されているブルーンとパーソンズの論文である。この研究は、オクラホマ 大学での質問紙調査に基づいているが、そこでは、一般医が人々や患者に深い関心を持ち、友好的なパーソナリティの持ち主であると認知された。これと対照的 に、外科医は尊大で、傲慢で、攻撃的で、活力に満ち、自分自身の威信に主な関心があると判断された。内科医は、医療の問題を評価する時に広範囲の要因に敏 感であるが、知的問題には適度の関心を示すのみであるという性格を与えられた。精神科医についての学生の認知は一般の人々の認知と異なっておらず、情緒的 に不安定で混乱した思考をするものというものであった(Bruhn and Parsons 1964)。当然ながら、ある専門科目に進むことをすでに決定している学生は、自分の選んだ専門科目を学生一般よりも好意的に見ていた。例えば、精神医学 に進むことを予定してる学生の方が、「精神医学を専門科目に選んでいない学生よりも、精神科医を知的問題に関心があると見なす」者が多く、「情緒的に不安 定で混乱した思考をする者と見なす者が少ない」(同書、45)。
 それ以後の研究では、コロラド大学に入学したばかりの1年生の医学生が、5つの医学の専門科目―精神医学、小児科、一般医療、内科、外科―に、(1)地 位(2)(典型的な実地医家のパーソナリティの)「社会的魅力」(3)「考えられる自己との類似性」に関して順位をつけるように求められた。その結果は全 般的に他の研究の調査結果と一致している。外科が最高の地位を与えられ、それに内科、小児科、精神医学、そして一般医療という順番で続いた。しかし「地 位」と「社会的魅力」は同じものではなかった。社会的魅力の尺度では、一般医療が1位を与えられ、それから小児科が2位、内科が3位、精神医学が4位、そ して外科が最下位という順番であった。これは医学生が感じている、外科に対する両義的感情を如実に表している。最後に、認知された「自己との類似性」に関 しては、小児科が第1位で、それに一般医療、内科、精神医学、そして外科と続いた。選択する専門科目によって学生を分けて分析すると、ブルーン―パーソン ズ研究と同じく、それぞれの専門科目グループは自らの選択する専門科目に対して最も好意的な味方をすることが発見された。すなわち、コロラド研究において も、それぞれの専門科目のグループは、他の専門科目グループのいずれよりも、自分の選んだ専門科目に、高い地位、社会的魅力、自己との類似性を与えた (Fishman and Zimet 1972)。
 
 結論

 この章を終わるにあたって、2つの主張が出来よう。第一は、明らかに医療人類学者は米国における医学教育についての研究とほとんど関わりがなかった。け れども、おもしろいことに、人類学的調査技法がこの種の調査に非常に適していることが証明されている。例えば、マートンの初期の研究、『学生―医師』には 次のように書いてある。「特に現在の調査の初期の部分で、そしてある程度はその調査の全ての部分で、現地の観察者は医学校と教育病院とそれに関連している セクターについての社会人類学的研究に相当するものを行ってきた。現地調査者は学生、教師、患者、そして関連するスタッフの行動を、自然の状態ですなわ ち、社会的場面で観察した。彼らは講堂と研究室で観察を行った。また、許されれば回診中の医師と学生に同行し、そこでの社会的相互作用について書き留め た。さらに、学生と患者との間に、そして学生と教師の間に発展する関係の種類を観察することに時間を費やした。これらの長時間に及ぶ観察は数千ページの フィールド・ノートに記録され、学生の経験の頻発するパターンについての詳細な報告となった」(Merton et al 1975:43傍点筆者)。
 同じく、『白衣の青年』においてベッカーとその同僚は純粋に民族誌的な調査について述べている。「我々にはテストすべき、一組のうまく組み立てられた仮 説も、これらの仮説に関連する情報を獲得するように意図的に設計された資料収集の道具も前もって特定された一組の分析手続きもなかった」(Becker et al 1961:17)。さらに、「我々は、学生が何を学ぶのか、そしてそれをどのように学ぶかという問題に集中した。これらの仮定の双方が我々に、前もって決 定された変数が位置づけられ、それらの変数の影響が分離され、測定されるような理論図式ではなく、これから変数が発見されなければならないような、開いた 理論図式を用いて研究しなければならなかった」(同書、18)。参与観察が主な調査技法であり、その強調点は「学生の文化」に置かれていた。
 ベッカーよりさらに後で、ブルームは医学校における権力と対立に関する調査について述べながら、「最も重要な問題はその制度の集合的性格に関係してお り、その制度の中の個々の測定がより簡単な項目には出ないということがわかった」(Bloom 1973:11)と書いている。さらに続けて、「このような問題に答えるための第一段階は、必然的に環境に身を浸し、意見と行動の流れに従うという民族誌 の伝統の中―観察し、面接し、参与すること―にあるように思われる」(同書、12傍点筆者)。
 以上の社会学者の調査経験は、適切な調査技法は狭隘な専門への同一化によってではなく、研究すべき問題によって決まること、そして医療人類学者は、過去 の関心の欠如にも関わらず、アメリカの医療制度の研究に有益に参加できることを示唆している。
 第2の主張は、当然明らかなことだが、医学教育についての古典的な社会学的研究のほとんどが1950年の中期から1960年代の中期にかけて行われたと いうことである(Fox 1974:198)。けれども、1960年代の中期から今日までの間に、医学教育において劇的な変化が起こりつつある。特に、今日の教育は多数の「路線」 を統合する点でより柔軟性があり、より多くの選択科目と自由時間を許容し、一般に医療実践の社会的側面により多くの関心を払っている。フォックスは、新し いタイプの学生もまた存在するのかどうかという疑問を発し、それに対して存在すると答えている。我々は彼女の共感的な描写からの詳細な引用を価値のあるこ とと信じる。
 「少数民族集団と非特権的な社会階級出身の青年を医学校に入学させるためになされた努力にも関わらず、新しい医学生は白人で、中産階級の人間であること が多い。彼は、大学にいた時と同じようにブルー・ジーンズか流行の色合いのスポーツスラックスとネクタイなしのシャツを着て、医学校に進学する。彼の髪は 普通もじゃもじゃではないが、長い。また、ちょっとした口ひげを生やしているかもしれない。患者を見始めると、彼はしばしばネクタイをつけ初め、そして時 には上着を着始める。また、髪の長いのを幾分短めにし、髭を剃ることも多くなるかもしれない。
 「新しい医学生は医学校に受け入れられることを熱烈に望んでいるけれども、1950年代の医学生とは異なり、一般に《決定の遅い者》である。大学の後半 に医師になる決心をするのもまれなことではない。《遅れた》決定のために、彼は医学校予科課程をサマー・セミナーか1年集中大学院課程で受けなければなら なかったかもしれない。とにかく、彼は大学生として、医学校への進学資格である非常に高い平均成績を取るために一生懸命に、そして競争して勉強した。彼は 攻撃的なまでに成績にこだわっているけれども、自分自身の、級友の、教師の、医療専門職の、両親の、そしてさらに一般的にアメリカ社会にある業績指向を嘆 いている。・・・・・
 「そのような学生は、地域医療、公衆衛生、家族医療、精神医学、そして小児科(小児科、それは《全体論的》であり、《新しい世代と将来の世代》の世話を 含んでいるからである、と彼は説明する義務を感じている)などの分野に関心のあることを言明して医学部に来た場合が多い。結局のところ、これらの分野は彼 が実際に進む分野ではないかもしれない。しかし、それらは、彼が大学から一緒に持ってきた医師活動についての対人関係的、道徳的、そしてパースペクティブ を表現している。彼は、平和、市民権の拡大、貧困を減らすこと、環境保護、人工統制、そして全ての人々の《生活の質》の改良などの人道的で社会的な目標に 積極的に身を委ねる。彼は、医学と医師の役割へのこのような献身の基礎となっている原理を拡張する。彼の考えでは。健康と保健ケアは出来る限り公平に分配 すべき基本的人権である。彼の理解するように、この理由から医師は患者の病の身体的側面だけではなく、心理的及び社会的側面にも関心を払うべきである。ま た、《人類の全体的健康についての純粋な関心》を持つべきである。さらに、健康に悪影響を及ぼしたり、医療ケアのシステムが健康を維持、回復させるのに最 適に機能するのを妨げるような、社会の中で作用している要因のいくつかに率先して対処すべきである。医師の社会的献身は普遍主義的であるけれども、恵まれ ない人々や剥奪された人々に対する特別の義務もある、とその新しい学生は信じている。
 「新しい医学生はまた、医師、医師の患者との関係、そして医療チームの医師とそれ以外の成員との関係について抱えている考え方の点で頑固なまでに平等主 義的である。学生は医師の側での《全知の》あるいは、《全能の》態度と行動を否認する。・・・・・医師は、《疾患に罹患したヒト》、すなわち自分の医学的 状態とそれに処方された処置を理解できない人としてでなく、《人間として》、《彼らの感情と意見への敬意》をもって、アプローチすべきであると主張す る。・・・・
 「患者との関係についての《さめた関心》というモデルは、新しい医学生が賞賛したり、その模範になりたいと思う種類のものではない。むしろ、彼は患者に 対する感情に最高の価値を置く。彼はこの関係においてある程度の客観性を維持する必要を認めるけれども、彼はそれを残念に思っている。彼にとって、感じる ことは人間的で思いやりのあることであり、それは威厳を与え、癒すことである。そして、感じれば感じるほど良いということである。いかに科学的で知性的な 傾向がある学生であっても、患者が医師の援助を求めるような問題に過度に概念的で技術的な仕方でアプローチすることによって、自分の自己を患者から(そし て自分自身の人間性から)引き離すことはあまりにも安易なやり方だと信じている。・・・・・
 「最後に、新しい医学生は医師としての能力に対する訓練、知識、技術、そして経験の重要性を低く評価する気はない。けれども、彼はまた医師の価値、信 念、そして献身が、患者を助け、保健ケアのシステムを改良し、《社会を改善する》医師の能力の重要な部分であると主張する。・・・・・そしてまた、医師は ただの《善良な人間》以上のものでなければならない。彼はまた生と死の、苦しみと悪の、正義と平等の人間の連帯とそして、彼が選んだ専門職と人間の条件を 基礎づけている究極の意味の、これらの《哲学的》問題にも関心を持たねばならない。
 「これは、新しい医学生が医学部に持ち込む、批判的かつ実践主義的かつ思弁的なイデオロギーあるいは世界観である。それがどれほど支配的なのか。それが これから普及するかどうか。それが医学校という環境と70年代の社会的情況との相互作用の中で新しいタイプの医師を生み出すかどうか。これらの疑問は、時 間の経過とともに、専門家過程と、そしておそらくその研究の中で明らかにされるだろう」(Fox 1974:217-219)。(1)

原註
(1)the National Academy of Sciences, Washington, D.C.の許可を得て、『保健ケアの倫理』、pp.216-219から再録した。



このページは、かつてリブロポートから出版されました、フォスターとアンダーソン『医療人類学』の改訳と校訂として、ウェブ上においてその中途作業を公開 するものです。

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他山の石(=ターザンの新石器)

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