はじめにかならずよんでください

Notes on George M. Foster and Barbara G. Anderson' Medical Anthropolpgy, 1978

解説:池田光穂

医療人類学
第13章 変貌する世界における人類学と医学・―歴史の教訓

 これからの2章で、我々は、人類学者と医療従事者が多くの面で相互に協力しあい、また長期にわたり関係をもち続けてきた国際的な公衆衛生の分野について 検討する。さて、本章においては、科学的医療行為を大部分あるいは全く伝統的医療に依存してきた社会へ導入する場合のダイナミックスについて人類学者が学 んできたいくつかの事実について述べる。我々の方針は本質的には過去のことであり、「問題」は、厳密には、国際的な仕事に携わる医療従事者の定義によるも のとする。

 第14章では、引き続きこれらと同様のトピックスについて話を進めるが、ここでは現在及び未来の問題に変わる。我々は特に、十分に正しくは理解されてい ないと思われる現代の傾向と保健計画および政策との密接な関わり合いに関心がある。これらの傾向には、一方では大いなる評価を得られつつある科学的医学の 画期的な成果があり、他方では、特に都市においてであるが、(おそらく変則的に)代替的な医療システムの急速な拡張がある。つまり、健康の問題は、(正式 な医療従事者の眼から見て)科学的医学対伝統的医学のそれではもはやない。代わって、問題は、医療従事者のみではなく、その消費者つまり患者によって決定 される保健上のニーズに直面した際の科学的、伝統的、そして代替的な医療システムの役割の一つ、それも可能な役割となるのである。

公衆衛生上の「問題」

 感染症を予防・治療する力、マラリアや天然痘などのような過去の疫病を撲滅する力、あるいは、乳児死亡を減らしたり、外科手術により治癒してゆく力の中 で科学的医学に比肩するものはない。文化的程度はどうであれ、科学的医学の恩恵を受けた人々のほとんどは、少なくとも幾つかの病いについてその優秀性を認 めている。大部分の人々は科学的医療に大いに接近している。インド政府のアーユルベーダ協会に対する支援のような例はあるにしても、世界のほとんどの国々 の健康増進策は主として科学的医学に基づいている。

 たとえば合意はできなくとも、科学的医学に対する広範な支持があることから見て、訓練された要員や金銭面以外に現代医学の普及において問題があることは 不思議だと考えられるかもしれない。しかし、科学的医学のプログラム、特に予防医学プログラムを、土着システムが未だに強固な地域に導入した時には大抵の 場合多くの抵抗があった。国際的な医学専門家達の当初の大いなる希望は再三再四打ち砕かれた。というのは、驚いたことに、表面的には技術的に堅実なプログ ラムが完全に失敗したかあるいは成功したとしてもそれはほんの一部でしかなかったからである。西洋人は自民族中心主義で自分たちの文明が他のあまり複雑で はない社会よりも技術的に優れているのは自明であると思う傾向があって、自分たちよりも遅れている「あまり幸せでない」国々の人々は、チャンスがあれば、 自分たちの方法を採用したがっていると思っている。西洋の医療従事者達は、何に対してでも科学的医学の優位性について、よりいっそう自民族中心主義的であ り―全く逆の証拠があるにもかかわらず―その機会さえあれば全ての人々は科学的医学の優位性を認めると堅く信じていた。

 結果として、ほぼ50年間、国際的な公衆衛生計画と医学の専門家達はより望ましい健康は、科学的にしっかりしたプログラムの内容とその実行に依存し、そ のプログラムによって恩恵を受ければ人々は熱心な支持者になるという考え方に大きな影響を与えてきた。1916年に合衆国の南部で十二指腸虫がどのように コントロールされ、最終的にどの程度撲滅させられるかについて証明したあと、ロックフェラー財団は、疾病をコントロールする方法が世界の他の地域でどれほ ど応用され得るかについての証明を、セイロンで大がかりに着手した。プログラムの技術的な部分は堅実なものであった。例えば、人口調査、感染源を突き止め る衛生検査、試験地区での全ての人々の糞や血液試料の顕微鏡検査、罹患した人々の治療そしてトイレ設置のキャンペーンである。しかし、6年後そのプログラ ムが終了したとき、十二指腸虫はまだはびこっており、それは今日に至っても風土病である。西洋流の十二指腸虫コントロールと治療に関する臨床的な優位性 は、その疾病の撲滅には不適当であることがわかった。茶農園の労働者からは、感謝どころか、逆に盛んな妨害を受けたのである(Philips 1955)。

 それから星霜を重ねた1942年、アメリカ国内情勢研究所(国際開発局の前進)が、ラテン・アメリカの諸政府と協力して公衆衛生プログラムの作成に着手 したときも、同様の自民族中心主義が優勢であった。ラテン・アメリカの国々のより好ましい健康とは、合衆国的方法の採用、特に臨床的・治療的・個人的部門 としての医療と予防的・公衆衛生的・公的部門としての医療の2分法で得られると考えた。アメリカのユニークな公的機関であるパブリック・ヘルス・センター は、妊娠及び出産後の母と乳児に対するサーヴィス、免疫プログラム、伝染病のコントロール、歯科医療サーヴィス、環境衛生サーヴィス、さらに同様の活動を 提供し、プログラムのかなめ石として採用された。アメリカ人にとって驚きであったのは、新しいプログラムに対する大衆の受けとめ方は、熱烈という状態から ほど遠かったことである。真にサーヴィスを必要としている多くの人々は全く来ないで、他の人々は、初めの訪問の後は約束をさぼったり、抜けていってしまっ た。有効なサーヴィスの利用度は、当初計画していた受容量をはるかに下回った(これらのプログラムについての詳細な検討はFoster 1952参照)。

  全世界の国に現代医学をもたらそうと計画された、第2次世界大戦後の世界保健機構(WHO)の設立や大がかりな国際保健官僚機構の発達につれて、同じ間違 いが引き起こされた。初めて通文化的な健康問題に直面する時、科学的医学の訓練を積んだスペシャリスト達は、その国独自の伝統を無視しては、自分達の方法 の「明らかな優越性」は、それだけでは十分に受け容れられないことを信じ難かった。

 最近、幸運にも、以前は伝統的医学にのみ頼っていた人々が科学的治療を求める選択権を与えられた時どうなるかについて我々は多くのことを学んできた。我 々は、彼らに新しい試みに踏み出すのをしばしばためらわせてきた文化的・社会的・心理学的そして経済的な障害について知っているし、また彼らを全面的にあ るいは部分的に科学的医学の方向に転向させたいくつかの経験も知っている。変化に対する抵抗の一部は、我々の発見では、人々それ自身の社会的文化的形態の 中にある。つい最近、我々はまた、科学的医療の質および制度上の形態は信頼を得るような優秀性により常に特徴づけられてきたわけではないということを悟っ たのである。

 それでも、科学的健康増進プログラムや医療サーヴィスについて記述されてきた問題や欠点にも関わらず、科学的医学が日々優位になりつつあるという事実が ある。たとえ、伝統的医学がある分野で有効ではあっても、その威力を失いつつあるのである。村人たちは25年前には(チンツンツァンにおけるように)あっ たとしてもごくまれにしか医師にかからなかったが、それが今日では日常的に医療サーヴィスを受けており、伝統的治療法に頼るのはほんのささいな問題か、 (以前とは逆のパターンで興味深いのだが)期待してやってきたのに、その医師がすぐに治してくれなかったときである。以下、我々は人類学と医学の専門家達 が世界の人々に対して、科学的医学を普及させた複雑なプロセスについては学んできたことを記述してゆく。議論された「問題」のいくつかは、歴史的意味で問 題であり、今日ではもはやほとんどなくなっている。他の「問題」(例えば、医療サーヴィスの慢性的な質の悪さ)は、科学的医学の適用以前の問題であり、解 決が要求される。

新しい医療サーヴィスを受け容れる集団の抵抗

 部族民や農民は、彼らの価値観や信条体系から、また社会的構造から、さらに認識過程から科学的医学を認めようとはしない。全ての人々が自民族中心主義的 なのである。彼らは、伝統的なやり方や信仰に愛着を感じているし、それらが他のやり方と同等、否それよりも良いとさえ思っている。食事・健康・病いと関係 する信仰や価値の複合に関して、これは特に正しいと思われる。健康への信仰、身体のイメージ、そして病気の概念は、より広い世界観の一部である。そして、 この広い世界観がほとんど問題とされることがないのと同様に、その全体を形づくる個々の要素もまた問題なく受けとめられている。もし、幽霊や魔女や森の妖 精が人々にとって超自然的なものだとしたら科学的なトレーニングを受けた保健教育者が講義することによって、このようなものが疾病の原因でないことを彼ら に納得させることは難しい。健康や病気に対する基本的な見解が幼児期より彼らが努力して学んできた体液病理や熱―冷の均衡の理論に基づいている人々は、細 菌理論を放棄した教養のあるアメリカ人と違って健康な生活を送るための環境に対するこの解釈を捨てようとはしない。

 臨床的な意味では、科学的医学が非西洋的医学よりも優れていると主張するのは(第7章で示したように)容易である。しかし、ヤングが指摘するように、非 西洋医学は「機能」しないとするのは、少なくとも非西欧医学の信奉者達のレンズを通して見た時には正しくはない。「機能」を定義するのに、ヤングは人々が 望むことが起きることと、人々が期待することを生じさせることとの間には大きな違いがあると指摘する。その2つが意味することは、時には一致することがあ り、望まれ、期待された治療法は、患者を健康体に回復させる。もちろん、そういかない時もあるが。しかし、何がなされるべきであるかという家族・友人の期 待に沿い、診断が正しかったと期待された通りの臨床的な証拠を生み出したという意味では、治療は「機能した」のである(Young 1976:7)。伝統的医学は、それを信ずる人々の心理学的かつ身体的な安らぎを維持する上で、大きく積極的な役割を果たしてきた。

1 対立モデル

 手短に言えば、あらゆる人々の健康と病いに対する見方は、彼らの最も内奥にあるものの一部分であって、圧倒的多数の証拠によってふさわしい説明があると 指摘されるまでは、安易に退けるべきではない。ボルガーを引用すると、病いについての信条が本質的に欠けている心には、科学的な健康の情報や実践という 「新しい酒」を注ぐ事ができるという誤った仮説、つまり、「空の器」モデルという問題ではない(Polgar 1963:411)。部族民や農民の変わりつつある健康行動の変化を理解したり、伝統的見方の変化を援助する試みにおいて、人類学者は一方では民間医療と 未開医療の間の、他方では科学的医療と未開医療との「闘争」として対立モデルを用いてきた。我々は、伝統的医学は、全ての面で対立しながら、科学的医学に よる攻撃の下に、少しずつ優勢な地位を失いつつある防御者であるという目で見る傾向がある。一般的に、以前の体験が伝統的体系のもとにあった人々に対して 科学的医療が、初めて有効になったとき、健康と疾病の原因についての伝統的信条と直接対立すると解釈される治療実践は最も大きな抵抗にあうといえる。リ チャード・アダムスは、グァテマラのインディアン村での古典的な例を紹介しているが、そこでは血液は限りあるもの、つまり「更新されざるもの」「再生され ざるもの」とし見られている。血液は、力の源泉だと見られており、ケガや病いで失われれば、病気に対する抵抗力は永久に弱くなってしまう。健康に関する研 究でチームを組んでいた医師達が調査のために子供達の血液を採ろうとした時、彼らは大変な抵抗にあった。明らかに自分達の子供を弱らせようとしている外部 の者が、どうしてよりよい健康などと言えるのか、簡単には彼らには理解できなかった(R.Adams 1955:446-447)。血液が再生されないものとする見方は、世界の大部分の国においてそうなのである。ラテン・アメリカでは、血液銀行や輸血が合 衆国ほどうまくいっていないという理由の一つに、この見方があると考えられている。人々は、大抵はその貴重な血液を採られるのがいやなのである。

 妖術への信仰が強い社会では、悪人が、感染魔術の素材に利用しては困るというので、自分達の糞尿や老廃物(それは、身体から出たものである)を注意して 隠そうとする。彼らにとって、公衆衛生技官が提唱する公衆便所という形で、糞尿の存在をはっきり示そうとする考え方は全く馬鹿げていると思うのである。南 アフリカ、ダーバンのズール族の間で試みられた社会医学に関するプロジェクトでは、家庭菜園や堆肥をおく穴のプロジェクトはほぼうまくいったが、タテ穴式 トイレはうまくいかなかった。「大人や子供達は、自分たちの小屋のすぐ近くで排尿するのが見られたが、幼児や幼い子供の場合を除いて、排便はいつも家(小 屋)からいくらか離れた所でされ、その際茂みが好まれた。とにかく、皆の目に触れない場所である限り十分であると考えられていた。羞恥心、さらに多分より 重要なこととして、排泄した人が自分であると知られたくないので、この保護が要求された」(S. and E. Kark 1962:26)。なぜタテ穴式便所が使われないのかという質問に対して、答えははっきり妖術の恐ろしさを示していた。「誰かが、人々にその排泄物を通し て妖術をかけると未だに信じているので、彼らは、一つの場所で排泄したがらない。こうした信仰のため、こうした信仰のため、彼らにタテ穴式便所を建てさせ るのは至難である」(同書)。

2 認識の2分法

 患者の一般的な医療信条に慣れていない医師達は、病気に直面した時にしばしば陥る誤った判断に惑わされることがよくある。例えば、インドのタミール・ナ ドゥのフェローレという地方では、下痢とひどい脱水状態に陥った幼い子供が時々病院に運ばれてくるが、中には運ばれてこなかったり、手遅れになるケースも あった。研究成果によると、下痢には2つの異なったタイプ、つまりベディ(bedhi)とドーシャム(dosham)があるということである。ベディと は、「生理的な」下痢、つまり過度の体熱により引き起こされるもの、アユルベーダ体系でいう「熱」に分類される食物を摂ることが原因であると普通見られて いる。ベディの場合、病院へ行くことは適切な方法であると考えられている。これに対し、ドーシャム下痢では、儀式的冒涜に関する見方にその起源を発してい る。それは、流産してしまった女性を見た後で、母親が子供に授乳する時に最も当たり前に認められる。ドーシャムにかかったと思われた子供は、入念な洗礼の 儀式により治療され、その儀式とは病院で受けるような類の治療ではもちろんなく、それゆえに、そうした子供たちは、滅多に医師のところに連れて来られない (Lozoff et al.1975)。

 フェローレ地方における下痢の記述は1世紀以上前に初めて示された認識の2分法の現代的な実例である。1950年代の初期、ラテン・アメリカで公衆衛生 プログラムを学んでいた人類学者達は科学的医療サーヴィスを目の当たりにした伝統的医学の継承者達が病因のはっきりした病いが医師により癒されるか、ある いは予防され得ると感じ、その結果、最初に不信感をもっていたにもかかわらずそうした医療サーヴィスを求めたものである。しかしながら、他の原因による病 いでは、家庭治療やクランデロスによる処置の方がはるかに優れていると感じられていた。というのも、一般的な医師には、そうした場合を見分けることができ なかったし、それゆえに治すことも期待できないと信じられていたからである。邪視やススト(susto,恐怖)のような魔術的あるいは情動的な病因をもっ た病いは、現代医学を学んだ医師による治療は不適切だとほとんど常に判断されていた(Foster 1952)。抗生物質や外科手術によりすぐに治る感染症は、他のカテゴリーのものになってしまった。エラスムスはエクアドルで次の事実を知った。それは、 医師はジフテリアや結核、性病、虫垂炎等を治療できるある最適任者であるとクランデロス(curanderos)さえ認めていたこと、さらに彼らが、 「ヨーズ(yaws)*1のキャンペーンを賞賛し、それが医師によってのみ治療できる病気であるというはっきりした確信を」持ったことを知った (Erasmus 1952:416,417)。
 医師が治すことのできる病いとできない病いとの間のこの基本的な2分法は、その後世界の多くの地域で観察された。こうして、北部インドで「全く動くこと ができない機能障害」(例えば、普通感染症)は医師の方に回され、一方「慢性的だが寝込むほどではない機能障害」(例えば、退行性の再発する病気)は村で 治療される傾向にあることをグールドは見た(Gould 1957)。

 認識の2分法の2番目のタイプは、「我々の」疾病と「彼らの」疾病との間にあり、それも記述されている。マドソンは、この違いをはっきりさせようとし て、南部テキサス出身のメキシコ系アメリカ人のクランデロスを引用している。「なぜ、神が邪視やエンパチョ(empacho)、泉門解離、恐怖その他多く の疾病で私達を苦しめるのか私にはわからない。だが、神は慈悲深いお方だ。神は、いろいろな試練を私達に与えられたが、同時にその治し方も教えたもう た。・・・・・苦しみは、私たちにやってきて、私たちはそれを理解するのみである。(同じ)「人種」(La Raza)である私たちだけがそれらを癒すことができる。・・・・・神は、私たちを罰するために疾病をおくるが、同時に悔いることを学ばせ、苦しみを軽く する。神の大きな関心は、ラ・ラサに対する大きな愛情として反映する。あなたは、あなたが最も愛情をかけている身を誤った子供達を罰する。それゆえ、白人 がこのような神が遣わした試練を被らないことは不思議ではない」(Madsen 1964:79)。

 アリゾナ州のピマ・インディアンも同じような信仰を持っている。カーシム・マムキダーグ(ka:cim mumkidag)つまり「滞在する病気」とは、「ピマ族だけを苦しめるインディアンの病気であり、ピマ族のシャーマンによってのみ診断され、土着の儀式 的な治療者によって治されるのである」(Bahr et al. 1974:19)。これらは道徳的な秩序に関連した病気でもあり、その病因について信念を持つことによって正しい行動をとる気が鼓舞されるのである。滞在 する病気は、邪悪や思慮分別のない人間の行動によってその「掟(way)」が妨害されるに到った神聖な、あるいは危険をはらんだ対象物(体)の「強さ」が 原因となっている。「危険な対象物(体)の《掟》に対して罰を犯す場合には、患者は創世紀よりピマ族に規定されていた規則に対して、不適切なことに関わっ たのだといわれている。カーシムの病気は、神に選ばれた人種であるピマ族に特有なものとされていた」(同書、21)。

 スコットランド人の伝道医師バーカーは、自分のズール人患者の中に同じようなパターンを見つけた。つまり、それらの疾病は、アフリカ独特の疾病であり、 外部の人々にはわからないという強い信念である。バーカーは、次のように言っている。「結局、我々の問題がユニークであると信ずることは非常に人間的なの である。我々はよく、私の胆嚢とか私の胃とか私の虫垂とか、まるで甘やかしエサをやっている愛玩犬を扱っているような意味合いでしゃべっている」 (Barker 1959:88)。彼の初期の研究では、患者が自分自身で認識するほとんどの病気は、優れてアフリカ的なものであると考えていた。「あなたは、助けられな かったでしょうよ」と女達は、彼に子供達の死についてコメントしながら話した。「子供は、人々の病気の一つを持っていた」。これらの「人々の病気」のうち の普通の症候は、下痢・嘔吐・咳嗽・高熱であり、そうした兆候は「アフリカ的特権とも言うべき信仰の神秘的な部分を何も示してはいなかった」(同書、 88ー89)。少しずつではあるが、バーカーとその医師である妻とは、患者の信頼を勝ち得てゆき、患者の方も、ますます「アフリカ的」病気を治療してもら いにやって来た。しかし、このことは彼らの排他性に関する信念が弱まったことを意味していたわけではなく、アフリカ的疾病の治療を学んだバーカーの技量に 対する感謝状だったのである。

3 入院に対する抵抗

 人々は、時として入院することに抵抗を示す。それは、病院が死ぬために行く場所であると歴史的に受け取られていただけでなく、病院医療が伝統的な患者ケ アとしばしば対立するからである。多くの部族や農民は、出産後の胎盤を炉床の灰の中に埋めたり、流れる水の中に入れたりして儀式的な処分をする。チンツン ツァンでは、炉床の3つの石の下にある胎盤は、子供をその先祖の家に象徴的に結びつける。最初に病院やクリニックに行くとき、胎盤の処分についてどんな指 示が出るかを心配して、多くの母親は、受診を拒否した。こういった信仰の強い患者を抱える幾つかの病院では、胎盤は儀式的処分のため、母親の親戚に届けら れる。

 病院における処置には、恐怖を抱かせるものもある。クラークは、カリフォルニア病院でのメキシコ系の老婦人について述べているが、彼女は、かつて病いの 急性期に、ある人のいい看護婦にシャワーを浴びるように指示された。ベッドに戻ってきた時、彼女は「悪い空気」に打ちのめされた。病院のスタッフが驚かさ れたことは、彼女が「適切なケア」を受けることことのできる場所である家庭に帰ることをその時主張したことであった(Clark 1959a:202)。この婦人にとっては、チンツンツァンでは、シャワーを浴びることは、安易にすべきではなく、体が十分に回復したときのみ安全なこと だった。クラークは、また分娩後の食物タブーがどれほどメキシコ系アメリカ人の女性の出産のための入院に水をさすかを述べている。メキシコ人の村人の間で は、分娩後ある期間は母子にとって危険であり、母親の食事は厳しく制限される。鶏肉が重視され、フルーツジュースやある種の野菜は、「冷えすぎる」と妊 娠・出産時の発熱後ではすぐにはやっていけないものとされている。母親たちは、病院では自分たちが危険だと信じている食物を摂らされるのではないかと心配 している(同書、167,227)。

4 役割行動についての異なる認識
 
 伝統医学に信頼を寄せていた人々に対して科学的医学が一番最初に有効であるとされたとき、まず見られた最も重要な抵抗の一つは、適切な役割行動に関して の患者と医師間の異なる期待に由来するものである。この相違とその結果としての数多く生じた相互の困惑とは、第6章における「治療的面接」の節で部分的に 追求された。他のいくつかの例も、さらに問題を説明するのである。例えば、クラークは、カリフォルニアにおけるメキシコ系アメリカ人の健康問題を論議する 際に、いかにアングロ系の医師たちが、非人間的な客観主義、専門的「能力」、権威的態度(それは信頼を包含するのだろうか?)、さらに患者がせねばならぬ 役割としての適切な行動を「教え込む」権利を教えられるかを指摘している。メキシコ系アメリカ人の患者の期待は、しかしながら全く違っている。人々は、重 要な場面の全てに「参加」すると考えられる、家族を伴って医師を訪れる。この状況は患者達を安心させるが、狭苦しい空間と医者の忙しいスケジュールをほと んど“有効”に使うことに貢献していないのである。少なくとも、幾つかの病気は患者が必要な予防手段を講じなかった(養生をしなかった)せいだとアメリカ 人の間では考えられていたので、医師達は、ある症候については適切な養生をしなかったためであると言うかもしれない。しかしながら、メキシコ系アメリカ人 は自分が病気になったことで罪の意識や責任を感ずることはない。「医療従事者には、患者は何か悪いことに関係があり、病気であることに幾分責任があると考 えられており、憤りや敵意を持ってその言葉は受けとめられている。患者とその家族にとって、そうした見解は不当であるか、さらには悪意のあるものとして映 る」(Clark 1959a:230)。足にできる潰瘍は、ペニシリン製剤に対して反応するが、それを注射する手には反応しない。しかしながら、患者は注射をする人には反 応し、その結果が効果的であることがわかっていても、歓迎すべきでない治療を受ければその後その医師を訪れる気はしないだろう。

 この内容において、象牙海岸のアプロンについてのアランドの叙述は的を射ている。「西洋の薬物に対する信頼は医師に対する信頼よりも大であるように思わ れる。・・・・・西洋での治療と関わりのある儀式はほとんどない。検査室の設備はあまりなく、検査は普通ぞんざいに行われ、この結果、医師そのものが医療 について不要な付属物のように見えてくる」(Alland 1964:720)。他の地域では、伝統医療の継承達は、西洋医学は受け入れるが、それをやろうとする人々に対しては嫌な気持ちを持つ。グルードは北部イ ンドで、現代医療を行おうとする人々は、「村で自分たちを受け入れさせるような親密な関係を築くことがほとんどできなかった。なぜなら、めったにそういう 気持ちにならないからだ」と指摘している(Golud 1965:202)。開発途上国では、医師は不可思議な、あるいは超自然的な病いの原因を同情的に聞くならば、自分たち自身や自分達の科学の面目を失墜さ せると感じている。時に彼らは伝統的な信条に対し、軽蔑の念を積み重ね、こうして臨床的技術のゆえに彼らのところにやって来ようとする患者を遠ざけてしま うのである。文化間あるいは階級間における治療というものは、患者が受診する際に患者が抱く医療信条と、治療の期待を医療者が理解できれば、治療は最も効 果的になると多くの医療人類学者は信じている。1950年代初頭、ラテン・アメリカで公衆衛生プログラムを研究したスミソニアン研究所の人類学者は、民族 医学について知る重要性を強調した。「もしも、公衆衛生技官が民族医学の概念の普及の必要性を理解しているならば、多くの場合、信仰は医師の邪魔よりもむ しろ助けになる。良いことや役に立つことは、悪いことや役立たないことから分けるべきであり、様々なプログラムはこのことを心に留めて作成された」 (Foster 1952:10)。人類学者の民族医学への理解が治療的予防的行動についていう場合に厚生技官(公衆衛生技官)を助けるものであり、その結果として彼らは 伝統的医学にのみ慣れ親しんできた患者を理解できるようになるわけで、技官が患者の信仰(伝統医学への思い入れ)を理解していることがはっきりすればさら に信頼感は深まるだろうと指摘した(同書)。

 最近、米国の異文化間及び異人種間の背景の中で働く人類学者も同じ結論に達した。ハーウッドは、ニューヨークに住むプエルトルコ人について語り、次のよ うに記している。「患者とその病いの養生法について効果的に意志を通いあわせるためには、医師は患者がどのように病気や病因や一般的な治療学について捉え ているか、ある程度知らなければならない。・・・・・異なる社会的文化的背景にある患者を効果的に治療していくためには、医師は彼らの医療上の信仰や実践 についての特別な理解を、発展させなければならない」(Harwood 1971:1153)。スノウもアメリカ内の少数民族に関して同様の考えを表明している。「医師は患者が病いと闘うのにどうしてきたかを知ることが大切で ある。もしもそれが問題なければ、これからの治療計画や医師の意見にまかせてもよい」(Snow 1974:94-95)。そして、精神分析医でありかつ人類学者であるウィントロブは、アメリカの黒人や一般の少数民族について、こう記している。「文化 的にでき上がってきた信仰や人種的および社会的階級といった背景が治療者のそれと異なっている患者の行為に対して敏感であることは、医学的であろうと心理 学的であろうと、患者の病いをどう見てゆくかという点で本質的なものである。そして、データを取り上げるにあたり、個人的なストレスや内的要因がどうであ れ、民族信仰と民族医学を考慮せねばならない」(Wintrob 1973:325)。

5 予防医学と健康維持の概念

 伝統的医学の継承者の特別な病因論的見方や治療的インタビューに対する彼らのイメージがどのようなものであれ、彼らは主要な前提を共有している。それ は、病いは痛みや不快さを通してあらわれてくるということである。いささか奇妙ではあるが、事実彼らにとって重い病いがそうとは知られずにゆっくり進行 し、手遅れで助からぬ時になって初めて気づく、とは信じ難いのである。人が気分よく、身体機能が正常に働いている時、このことが元気かどうか問いかけ得る 全てなのである。医療の力を必要とするのは、快適な気分の時ではなく、当人の身体が正常に機能していない時なのである。予防医学は、大筋において生体を防 御する免疫機構や早期に効果を上げると考えられる治療法を発見し、増やしていくこととされ、病いがあらわれる前に手を打つという考えに基づいているため、 伝統的医学の継承者は、この領域では最高の治療者とはなり得ない。

 健康に関するこうした前提において、伝統医学の継承者―恐らく全ての産業期以前の人々―は、ずっと広い世界観を持っており、健康の維持や西洋流の方法に はほとんど価値をみない。欧米人は、健康の維持の重要性について、2世紀をかけて学んできた。機械の定期的で入念な点検は産業の基本である。我々は、自分 自身の生活の中でも自動車は定期的に修理せねばならず、家は定期的にペンキを塗れば長持ちし、衣類は修繕すればまだまだ着られるということを学んできた。 我々はしばしばこうした決まりを無視したり、怠けたりするが、自分の責任は自分でとるという合意でそうしているのである。我々は幼少時より、健康維持の重 要性を印象づける格言を教えられている。「今日の一針、明日の十針」「今日出来ることを明日に延ばすな」「1オンスの予防は、1ポンドの治療に匹敵する」 などがそうである。我々の心に深くしみこんでいるこうした健康維持の大切さについての基本的な前提があるため、我々は人間の身体を健康に維持してゆくこと (すなわち、予防医学)は健全な考えであるという主張する資格があるのである。予防医学は、我々のより広い世界観と調和し、それが堅実な方法であることは 当然であると考える。

 伝統的かつ、開発途上の社会ではこれと反対の考え方が真実である。新しい工場の中で機械を維持してゆくのは常に大変だし、屋根は雨もりがするまで修理さ れないし、高速道路は修復されずに再建されるものであり、サハラより南のアフリカ地域では、着古した衣服を修繕すれば、しないよりかえってボロが目に付 く。健康の維持は、社会のスムーズな歩みに欠かせないものであるという基本的合意を欠いているならば、その祖先が過去に何世代も前に予防医学を実践し始め た人々よりも、産業期以前の人々が予防医学を通して健康を維持することを受け容れ難いことは驚くにあたらない。予防医学の主要な形態は、伝統医学の継承者 のより広い世界観とは一致せず、彼らは欧米人がそうしたのと同じような素早さでそれを受け入れることはないだろう。

科学的医療官僚主義における抵抗

 国際公衆衛生技官が文化的な面から物事を考えはじめた時、土着の人々は、彼らが恩恵を受けたのと同じように西洋医学の恩恵を感じないと理解したが、そう なると、これまで述べてきたような「文化的」「社会的」障壁が対象となる集団にはあるという結論に飛びついた。初期の国際公衆衛生プログラムを遂行するべ く働いた人類学者も同様の見方をしていた。もしも受け入れ側の人々の社会的、文化的形態が研究されたなら、そこに関係ある人々にはっきりと理解されるプロ グラムを計画することは可能だと我々は信じた。我々は、彼らが西洋医学を理解しておらず、もしもその明らかな有効性を理解しやすいようにすれば喜んで受け 容れるだろうと考えたのである。ポスパーチュリント・メキシコ人の母親達は、アメリカ人女性が普段食べている食物の多くを恐れるかどうか。これらの食物の 中で彼らが安全だと考え、栄養食として成立する食物を挙げてみよう。サルバドルの村の女性達は、敷き布団の下で、夫のシャツを裏返しにすることでお産が楽 になると本当に信じているだろうか。ならば彼女らが病院でシャツを身につけることを認めよう。医師の指示は、病いに関して伝統医学の説明に従ったり、ある いはその説明を土台として作られているように表現されていないのであろうか。適切な表現は、科学的医療の完全さをいささかも損じない理にかなった目標であ る。

 公衆衛生技官及び他の医療従事者は、一般に彼らとともに働く人々の習慣や信仰について人類学者が語ってきたことを受け入れてきた。結局、問題は患者が 「彼方のこと」と認識していることである。医師は他の多くの人と同様に、自分達のやってきたことで不備な点は外部の要因によると考える傾向にある。間違い なく、文化的要因と対象集団の信条および態度を配慮して立案された大学の公衆衛生および医学教育のプログラムは、科学的医療が最善のものであり、人々がた だ愚かなために受け入れられていないという仮定に基づいたものよりも成功を収めた。

 しかし、時が経つにつれて、我々は次第に不安な考えを受けとめるようになってきた。つまり少なくとも科学的医療を広めていく中で出てきた抵抗の多くは、 対象となる人々と同様、医療の専門性と健康管理主義に根を持っているということである。医学の臨床上の仮説、治療者の地位、その官僚主義的機構、医療サー ヴィスにかける時間、これらの全て、そしてそれ自身が生み出すより多くの要因によって科学的医療は受け入れられないのである。(1)
 
1 間違った計画の立案

 国際的な計画の多くは、西洋諸国で最も広く行われているやり方が開発途上国でも行われるべきモデルであるという仮定に基づいている。リフキンは、「施設 を増やすことで健康状態が改善されるとか、高度に熟練した人間の力が保健ケアを提供する唯一の方法であるとか、医療ケアは健康教育と予防活動を含めた社会 的要因を除外しているとか、疾病と病院に基づいた諸システムとは健康のニーズに無条件にふさわしく見合うものであるといった信条」をあげている (Rifkin 1973:249)。同様に、ブライアントはセネガルのダカール大学の例を挙げながら、開発途上国における医学校について疑問を投げている。多くの基礎的 な施設は優秀である。しかし、フランス人の影響力は、この基礎の優秀さのほとんどを十分に説明づけるものであるが、同時にその一方で不安な問題も提起して いるのである。例えば、入学するクラスの規模およびその構成はフランスで行われているのと同じような厳しい試験制度によって決められている。結果として、 1964年度入学のクラスでは、28人の入学者のうちセネガル人はたった3人だった。さらに、医学カリキュラムは全てフランスで計画された。それはフラン スの医学校用に文部省が定めたものと同じものである。ブライアントは問いかけている。「進歩し、工業化された国で立案されたカリキュラムは、あまり進歩せ ず工業化されていない国にとってふさわしいものであろうか? セネガルの地区の健康問題に直接関わる医師にとって必要な態度、技能そして認識はその状況に とってより的を射た教育プログラムの作成を正当化するという点でフランス(あるいはアメリカやイギリスでも事情は同じであるが)で必要とされるものとは随 分異なるのではないか」(Bryant 1986:63-64)。

 ブライアントは、その解答は、その地方のニーズに応えたカリキュラムを作っていくことであると固く信じている。彼の論点を挙げてみると、彼は西洋医学の 教育を受けたセネガル人医師の一日について書いている。そこで医師はある病院を任されており、一人の看護婦と助手および各1名の看護婦のいる7つの施薬所 に助けられて10万人の人々に奉仕しているのである! その医師は、1日にだいたい150人ほどの患者を診察する。1日に5〜6人の患者が1週間程度の入 院となり約10人の女性が分娩にやってくる。そこには、産婆はいないし、レントゲン写真も水道も、簡単な手術用設備もない不十分な医療である。しばしば施 薬所を訪れるのに時間がとられ、そこでの医療サーヴィスは極めて初歩的なものである。ある地方でセネガル人医師が最大限役立つためには、ヨーロッパの都市 では不要とされる多くの技術を持っていなければならないのは明らかである。

 ブライアントは、医師によって指導され、専門的な仕事のために特別にトレーニングを受けた種々の医療従事者によって構成され、1つの単位として機能する ような「ヘルス・チーム」が開発途上国での健康問題に対して回答を与えると確信している。彼が語るには、主要な問題は、医師が初期診断者として、治療者と してのこれまでの役割を維持する意志を持つことと同時に、明らかに医療チームの方針とはうまくかみあい得ないような役割をも維持しようとすることである。 その代わりに、ブライアントは、「医師は、限られた資源を個人の医師として少数の者に奉仕するよりも、もっと多くの人間の広い範囲のヘルス・ニーズに応え られるよううまく段取りをつける役割をこなさなければならない。しかし、この考え方が受け入れられるには、まだまだ広い範囲での抵抗があり、それは根本的 に、現在の医療従事者や医師の役割はこうあるべきだという専門的考え方の多くと対立している」と言っている(同書、141ー142)。

 優れた医師の偉大さの一部は、助けを求めている者に対して、自分を無制限に与えるような責任を認めることにあるとブライアントは言う。しかし、これは、 同時に他人と活動をともにしない医師の態度の基本にもなっている。なぜならば、このことは医師以外の誰も援助することはできないという気持ちと絡み合って いるからである。「この考え方のおかしな面は、医師が治療の診断と処方という特殊な行為に価値を置いていることである。医師は、健康プログラムを推進しよ うと、あらゆるレベルの医療従事者を熱心に使う。・・・・・しかし、《診断する》及び《処方する》という言葉が、専門的な支配欲の強い感情を呼び覚ますの である」(同書)。医師が患者を一人の人間として援助をしなければならないという考えは、実際大部分のヘルス・サーヴィスの形態を決定し、保健制度の計画 を変えようとする努力を妨げることもあるとブライアントは言う。「このように、医師の役割は、人口全体の健康のニーズにより決定されねばならないという論 理が語られる一方で、この論理を遵守することが、病気は医師のみが診断し、治せるという職業意識を全面に押し出すことで妨げられることにもなる。医師であ るという職業意識のこの立場は、保健医療サーヴィスの設定と遂行の上で、これを無力化させる働きがあり、限りある保健資源を効果的に活用していく上での最 も深刻な障害の一つである」(同書、143)(2)。

2 臨床医学対予防医学

 開発途上国における不適切な西洋型モデルのもう一つの責任は、臨床的・治療的・個人的分野としての医療と予防的・公衆衛生的・大衆的分野としての医療と の間におけるアメリカ的区別である。アメリカの歴史や私企業の重要性、多くの医学校、医療サーヴィスに支払いをする大勢の患者達について考えると、こうし た二元的体制は、長年の間道理にかなったものと見られてきた。それは、アメリカ全体の文化的経済的パターンの現実の機能として発達してきた。しかし、それ は神が与えたものではなく、自然そのものであり、あらゆる時代のあらゆる人々に対する解答であった。大部分の発展途上国では、個人で医師にかかることので きる者はほとんどいない。彼らの大部分の治療の必要性は、政府の診療所で無料あるいは助成金を受けながらか、社会保険の恩恵を受けながらか、あるいは治療 と予防の医療サーヴィスが結びついたような他の方法を通して満たされるのである。

 しかし、30年以上も前にアメリカの助力によって最初の共同プログラムがラテン・アメリカでスタートした時、それは母子の健康と、環境衛生や免疫のよう な予防サーヴィスを備えたヘルス・センターが最も重要だという仮定に基づいていた。予防医学に基づく健康プログラムのメリットがどのようなものであれ、平 均的なラテン・アメリカの人々は、自分たち自身あるいは自分たちの子供の病気を治してくれると期待しているので、医師と看護婦にまず興味をもつ。その人達 のために、ヘルス・センターが設計されたのだが、医療サーヴィスの枠は制限され治療行為が相対的に軽視している状況に出くわした時、そのプログラムに対し て彼らは非常に批判的であった。例えば、病気の子供は、あらかじめいわゆる「丈夫な子供診療所」(Well baby clinic)に登録され、ヘルス・センターの「管理」下にある場合にのみ医師の診察を受けられることがわかった時、批判はいっそう厳しいものとなった。

 予防医学は疑いもなく、寿命を逃したり健康水準を高度に引き上げる上で治療的医療よりも貢献してきた。確かに、開発途上にある世界では、健康というレベ ルでの主要な改善は、臨床的な医療サーヴィスよりも公衆衛生に負うところが大きいであろう。しかし、病いの予防と治療とは同一過程の一部分であるし、有効 な治療を通じて人々は現在の予防手段が有効であることがわかってくるのである。健康ケアに関するアメリカ的な制度モデルが他の国々の健康問題に対する回答 であると仮定することは自民族中心主義の最たるものである。幸いにも大部分の開発途上国のヘルス・サーヴィスではこのことに気づいており、その国のアメリ カ人でもない医療従事者が、「社会的」あるいは「地域」医療の発展の前衛となっている。
 
3 医療従事者の個人的優先権

 科学的医療に基づく健康プログラムの3番目に重要な問題は、自分たちの優先権がまた対象集団のそれと同じであると医療従事者がしばしば仮定していること である。医療従事者が研究上の目標と健康上の目標の中にある個人的な価値観と彼らが援助しようと思う人々の価値観とをはき違えていることをわかっていない ことを我々は何度も見てきた。さらに、皆が直面している問題をあらゆる角度から眺めた時、健康問題が、経済的・家族的諸問題、その他多くの問題と優先順位 を「競って」いることは明らかである。忙しいアメリカ人達は、年に一回の医学的検査の重要性について十分にわかっていながら、貴重な時間を競っている他の 行動に優先権を与えてしまうので、受診が延び延びになる。

 公衆衛生を専門とする医師は、アメリカ人女性に見られる子宮頚部がんの頻度の高さに注目していて、定期検診での膣スメアのパパニコロー細胞診と早期の手 術とで高率に死を避けられることも知っている。しかし、医師は大部分の女性の無関心さに驚いた。彼女達は、医師が子宮頚部がんの制圧に傾ける情熱には興味 を示さず、結果として、全ての女性に年1回の検診をさせることは諦めざるを得なかった。しかし、もしも誰かが平均的家庭の主婦にとって直接かかわる優先権 のリスト―それは、食料品店の請求書のこと、学校でうまくやっていない子供達のこと、十代のずる休みとおそらくはマリファナ法に触れること、情熱のさめた 夫、忠告を与えるのにためらわない義理の母のこと―を作成すれば、どのような事柄であれ、すぐには打撃を受けそうもないことのために行う年一回の検診 チェックは、低い優先権にあることは明らかである。

 個々人の健康優先順位のリストの中でも、医師の持つ個人的優先権はかなり下のようだ。開発途上国では、公衆衛生に従事する技官は、当然ながら、予防手段 に重きを置く。しかし、平均的な人々のリストでは、予防法は例外なく治療法の下にくる。つまり、彼らが健康のニーズを認識した時、初めて注意が向けられる のである。ロックフェラー財団が、十二指腸虫を駆除するためのキャンペーンをセイロンで行ったとき、これが明らかになった。「村人達は、彼らの別のことに はるかに多くの医療ニーズがあったために、十二指腸虫症の病気に集中する事にいらついた。・・・・・村人達は、十二指腸虫を駆除する退屈なお決まりの仕事 を続けるよりも、傷口や膿瘍に包帯を巻いたり種々の急性疾患の看護をする方に関心があった」(Philips 1955:289)。そういう行動でエネルギーを消費すべきではないという内務省の警告があったにもかかわらず、フィールドの指導者達は、十二指腸虫を駆 除する仕事に支持を得るためにあらゆる訴えを処置せねばならないことがわかった。

 ペルーのイカ・バレーにあるアレナル村に純良な飲料水を持ち込もうとした試みの話しも、同じである。その地区の保健局は、水の供給を保護するために、経 済的かつ技術的に単純な方法の開発に従事しており、村の井戸にコンクリート・カバーを取り付け、手動ポンプを設置することを提案した。保健局の衛生技師が 単純な装置を作り、メインテナンスは村人が引き継いだ。しかし、1年後、村人達は、水を引くためにロープと手おけの使用に戻ることになってしまった。。メ インテナンスの問題が非常に難しいとわかったのである。その失敗の理由は様々である。おそらく、ポンプを維持してゆくことよりもより重要な問題があったの だろう。「確かに、アレナル村は乏しい資金でポンプを修理したり井戸の管理人に給料を支払うことができた。しかし、そうしたらそれは重要な村の祭典(守護 神祝祭、独立記念の祝祭その他)の資金を流用することを意味する。アレナル村の人々は新しい手ポンプを以前のロープと手おけの装置よりも喜んで迎えたが、 村の祭典はポンプよりも重要だったのである」(Wellin 1966:123-124)。

 同じような話は、インドのオリッサ州の部族集団にもあり、そこでの全国マラリア撲滅計画は、乏しい成果を上げることしかできなかった。「彼らは、日常生 活の他の要因、つまり農業や道路建設、問題の排水に関連した要因に気を取られている。彼らは、問診時、《発熱》というが、それを憂慮すべき問題としては見 ておらず、ゆえに協力しようとしないのである」(Dhilon and Kar 1963:20-21)。

 対象となる集団のメンバーが、彼らを援助しようと考えている専門家と同一の健康の優先順位をもつかそうなるよう努力しなければ、特別な目的を持つ企画に 関心と協力を得ることが難しいのは明らかである。

4 意志決定に関する誤った仮説

 開発途上国での医師―患者及び保健教育者―被教育者間の関係においていつもある問題は、患者あるいは潜在的な患者はどんな種類の医療援助を求めるのかに ついての意志決定をする、と医療者達が考える傾向があることにある。実際、伝統的世界における医療上の意志決定は一般的には集団による決定であり、それに 地位・階級・年齢・性や伝統的役割のような事項が伴ってくるのである。今日のインドネシアにおいて一般の保健診療所のネットワークを通じて行われる医療 サーヴィスを用いて、家族計画をわかりやすく説明することは、政府の主要な活動である。しかし技術的には、優秀であるにもかかわらず、家族計画はせいぜい 中程度の成功を収めてきただけである。家族計画の受け入れが低率である理由の中には、対立する全ての証拠にもかかわらず、このステップを踏む意志決定をす るのは女性であるという仮定があった。妻の希望は家庭内ではほとんど問題視されないが、その後の家族計画教育と実践は妻に大きく向けられる。家庭内におい て、主要な決定は夫によってなされ、子供や孫に関する問題では祖父母の考え方もまた大いに重視される。

 意志決定するのは誰なのかについての同じような誤った仮定はしばしば開発途上国における新しいヘルス・センターでの母子保健サーヴィスを特徴づけてき た。母親や母親になろうとしている者は、はっきりとした教育目標を望んでいるように思われる。しかし、伝統的な形態を重んずる家族における老女達はしばし ば自分自身のことを、妊娠や出産、乳児のケアに関しての知恵や知識の宝庫であり、このような事柄に関するエキスパートとしての役割が広く受け入れられてい ると考えている。驚くまでもなく彼女達の多くにとっては、新しいヘルス・センターは、直接的な競争者であり、家族の中での自分たちの地位と力とを脅かす出 しゃばった政治活動と見られもする。そこで、徹底的に反対されるのである。年輩の女性の役割が実際的な力を持つような家族では、若い母親と同様に新しいシ ステムを説き伏せなければならない。

5 医療サーヴィスにおける欠陥
 
 その他の要因でも、科学的医学と予防プログラムの受け入れは水をさされる。科学的医学は必ずしも良いものというわけではないし、提供の様式が、人々の希 望にかなうものではなく、そこに関わる人々によって反対に見られる副作用を伴うこともあるために、時としてその反応はネガティブなものである。例えば全て の予防手段の中で最も効果的であったものの一つは、(もし、我々が考えられる長期間の成果を差し引いて考えるならば)マラリアを蔓延させる蚊であるアノ フェレスを撲滅するために用いたDDTの残留式噴霧である。世界の大部分の地域では、これでマラリアをなくすことができた。しかし、噴霧に対する反対は、 しばしば強烈である。多くの地域で、死ぬネコが多数にのぼった。ネコたちは、DDTが噴霧された壁に身体をこすりつけ、その毛をなめ、DDTを体内に取り 入れて死ぬのである。ネコは、伝統的社会では、ネズミを捕るという役目があるため、ネコがいなくなることでネズミとハツカネズミが増加して食料に損害を与 えた。インドのオリッサ州の部族民地域では、別の不満が起きた。つまり、噴霧によって、人々が眠る風通しの悪い部屋に悪臭が立ちこめたというのである。南 京虫は、噴霧したあと爆発的に増加すると信じられていた。そして、白っぽいDDTを噴霧することによって、家の壁は不整なまだら模様になったのである (Dhilon and Kar 1963:22-23)。

 WHOおよびユニセフの職員は、スリナムのブッシュ・ニグロ部族の村でマラリア撲滅プログラムと同じような抵抗を受けた。そこでは、ネコのみならず、犬 や鶏もまたDDTやジェルドリンの影響で死んだのである。さらに、DDTを噴霧した後、ゴキブリが猛烈に増えるという問題が出てきた。ゴキブリは、眠って いる子供をかみ、貯蔵されている米やカッサバやバナナを食べるのである。。あるマラリア撲滅チームの指導者は、翌朝までにゴキブリを確実に死に追いやると 期待された殺虫剤を噴霧して、箱の中に入れた。しかし、ゴキブリはDDT耐性になり、箱を開けた時には生きて、動き回っていた。この例は、プログラムの効 果に対する村人の信頼を何ら勝ち得なかった。最終的にマラリア撲滅プログラムに携わった人々、それは全てスリナムの人々であるが、彼らは地方的基準により 比較的良い報酬を受けた。結果的に彼らは地方の人々からねたまれもし、恐れられもした。彼らは多少収入もあったので、既婚女性の気を引き、あまり豊かでな い自分の夫よりも好まれるということもあった(Barnes and Jenkins 1972)。

 他の場所のことだが、不適切な冷却により効果をなくしたワクチンのことが記述されている。子供がたぶん予防されていると思っている病気にかかれば、親達 は、免疫だけでなく他の現代的な医学的処置に対する信頼を失う。公衆衛生技官もまたがっかりするだろう。バナージが同僚と共に研究したインドの村々では、 天然痘ワクチンが一般的に(普遍的にではないが)受け入れられることがわかった。それでも、「両親がうっかりしてワクチンを接種されずにおかれた子供達の 数は、ワクチンを接種する立場の人間や上司がうっかりして摂取されなかった子供達の数に比して、極めて少数なのである」(Banerji 1974:11)。

 当初、医療サーヴィスの利用上何ら関わりを持たないと考えられる他の官僚的な政策は、それらのサーヴィスの中での欠陥部分と見なされる。インドネシアに おける家族計画を見れば、ピルの調達に苦労したことがはっきりする。アメリカ合衆国の援助を受けた政府が最低の値をつけた者に次の請負業務を提供するので サイズも形も色もしばしば変わるのである。標準の製品のように思われていたものが、予期せぬ変化を遂げるので、村の女性は、家族計画のプログラムに不信を 抱くようになった。

 こうした例は、伝統的医学を継承する人々の中へ現代医学を受け入れさせることをしばしば妨げるいくつかの要素を表している。それらは、伝統的医療システ ムが全く変わらないままであったり、その支持者達によって固く守られたり、現代医療の代表者達が、伝統的医療を継承する人々にヘルス・ケアを行うことにつ いて何も学ばなかったといった印象を表そうとしているのではない。その逆である。伝統的医療の信奉者たちへ科学的医学を広めることを特徴づける歴史的なか つこれからも引き続いて考えていかねばならない問題であるにも関わらず、より多くの人々は土着の治療者のところへ行く代わりに訓練を受けた医師へ行くよう になるのである。逆に、自分達とは全く異なる社会的、民族的背景を持った患者の中で、医療行為を行っている医師達は、予期されるように、このギャップのも つ意味について、一世代前の医師よりもよく理解している。新しい治療の役割への期待は、医師および患者の双方から学び得るし、また学ばれている。多くの例 で見られるように、トレーニングを積んだ医師は、社会的経済的階級の低い患者や異なった文化的背景を持つ患者と接するにあたり、患者の気持ちによりよく共 感し、理解できるのである。ますます多くの人々が、彼らの質問と指示をできる限り地方におけるものの考え方やその地域の言葉に近い表現でするようになって いる。。

 ゴールドシュミットは、タイのある地方の最近の研究において、医師たちが使わねばならぬいくつかの言葉がたとえ「無礼なもの」として彼らを悩ませるもの であっても、「経験を積んだ医師達は、患者の理解できる言葉を使うように努めること[の必要性]に賛成している」ことを指摘している。一方彼らは、「礼儀 正しい言葉を使うことによって、容易に人々を惑わす間違いを引き出す」ことも心得ている(Goldschmidt 1972:11)。さらに、ゴールドシュミットはまた、観察したタイ人医師の多くが、貧しい患者の社会文化的問題に大きな理解を示し、これらの問題を持つ 患者を一生懸命援助しようとしばしば試みていることも見ている(同書)。

 チンツンツァンでは、現在、村人達はしばしば抽象的に医師への不信を表しているが、同時に他方では、その技術面や患者達に示した親切さについて、個々の 医師をほめ、その出会いに満足を表明している。。

6 専門家としての役割の矛盾

 コーエンは、上述の「官僚的障害」とは幾分次元が違ってはいるが、倫理的かつ政策的なジレンマが、それでもなお全ての人々が望んでいる良い医療ケアをつ くり上げていく上で大きな問題の一部分になり得ることに注意を促している。多くの非合法的居留外人が合衆国では働いており、その数は2億あるいはそれ以上 にものぼる。彼らは貧しく、英語を少ししか話せないかあるいは全く話せない。そして、自分の立場を守るために、非合法な状態がわかってしまう役所やいろい ろなサーヴィスを避けながら自分を目立たないようにしている。これらの人々の多くが重労働者であり、よりよい生活をしようと合衆国にやってくる。彼らは、 違法ではあるが、犯罪人ではない。

 彼らの健康問題は、少なくとも社会経済的に低い階層のアメリカ人と同じくらい重大であるが、そうしたアメリカ人が医療サーヴィスを受けられない事情がい くつかあるのに加えて、法律的に非合法である居留外人は、真相が暴露されることや、国外追放の恐れによっても思いとどまらせる。コーエンは、こうした状況 は、「利他主義の表出やそのようなグループに対して与える形態や機能に関する基本的な問題を起こす」と言っている(Cohen 1973:184)。アメリカ人の中では、ますます(それは未だ普遍的にまではなっていないが)全ての人々が等しく医療サーヴィスを受けられるようにとい うイデオロギーが同意されつつある。しかし、法を破ってこの国に入ってきた人々にそのような医療サーヴィスを提供したら、税金が増えるかもしれないと彼ら は考えるのである。

 コーエンは、多くの医療専門家達が直面する倫理的ジレンマにいかにして対処してきたかについて述べている。彼らは、医療サーヴィスを必要としている者達 に手をさしのべるべきであるという道徳的義務を認識しており、さらに、彼らはまた望ましいクライアントであるのかそうでないのかを区別する官公庁の規定に よってその行動を制限されている。コーエンは、不法入国者達が目立たないような行動をとることが、「自らの職業に対する理想と官公庁のガイドラインに示さ れている社会的規範との間にある潜在的な矛盾からヘルス・ケア提供者を守る」傾向にあると考えている。潜在的に存在する医療サーヴィスを受けることを希望 している人々が自分を隠すことは、専門家としてその理想を十分に実行せねばならないという責任から厚生技官を解放しているように思われる。それは、まだ考 慮中の医療システムを司っている、様々な規則との対立を避けるのに役立つ」(同書:188)。

 不法入国者達は、公衆衛生機関との接触を出来るだけ少なくしようとする傾向があるので、厚生技官は、「良きサマリア人の原則」をどうしても実行せねばな らぬといことからかなり免れる。不法入国者の高い移動性ゆえに追跡調査のための家庭訪問がしばしば無効に終わるので、不満をもつ医療専門家達は、事実、彼 らの問題となる行動を(法的に)正当化するする責任を免れることになる。これらは、倫理的かつ政治的な問題であり、それに関わる全ての人を満足させるよう な解答は、容易には見出せない。

原註
(1)国際的保健計画の歴史的な内容におけるこの点についての検討は、フォスター(1976a)を参照されたい。官僚的保健機構の中で解決可能な問題を探 す代わりに、対象となる人々に対する健康プログラムの中で出てくる問題を扱う傾向は、国際的健康プログラムに限らない。合衆国東部のある大都市であまり医 療されていない近隣保健診療所における研究の中で、ジョーンズは、「その地区の多くの人々を対象とする地域保健政策は、人々がヘルス・センターで受けるひ どい扱い―それは、共通の不満となっているのであるが―により、ある程度説明され得る」ことがわかった(D.Jones 1976:225)。その問題は、当初保健技官には、対象となる集団においては共通の態度に根付いたものと見られていた。しかし、「事情がはっきりしてく るにつれて、問題の一部は、貧乏な人々に対する健康問題の専門家達の態度につながるものであることがわかった」(同書、226)。そして、問題の一部は、 健康な世界が貧しい人々には、どのように映るのかということについての、健康問題の専門家達の単なる考えのなさから生じていたのである。診療所は、「想像 上の」病院として受けとめられており、多くの人々は、病院内に独立した外来患者の診療部門が存在し得ることを信じず、その設置を支援するどのような働きか けもしなかった。他の病院でも、うまくことを運べなかったが、外来診療部門を持つ病院では、そこへ患者を導くようないかなる目印もなかったし、受付けの何 人かですらそのような診療部門の存在を知らなかったし、そのことについて話すのを億劫がった(同書、226)。

(2)健康問題に関する役割について多くの観察者は、医師をも含めて、この図式がその初期においては疑いなく真実であったが、今日では誇張して描かれてい るように感じるかもしれない。医師達は、急性の、あるいは中程度の医学的問題を持つ患者の、診断と処置の多くの部門を他の医療従事者に喜んで委託するだけ でなく、それを希望することさえしていて、その傾向はますます高まっている。変わりゆく看護の役割(第11章)について議論してゆく中で、我々は臨床看護 の専門家達が、初期の頃には、医師によってのみ使われていたICU(集中治療室)での責任をどのように考えているかを知ることができた。「医療助手」の養 成課程もまた、多くの医学校で設けられた。この新しい役割を持つ男女の雇用は、時間を割きにくい医師によりますます受け入れられてきている。看護のような 医療上の実践は、急テンポで変化しており、これは疑いもなく発展途上国における健康ニードの計画に反映されることでもあろう。

訳註
*1 スピロヘータの一種による皮膚、皮下組織、骨などを侵す慢性疾患で、熱帯地方に分布する。フランベジア。

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医療人類学
第13章 変貌する世界における人類学と医学・―歴史の教訓

 これからの2章で、我々は、人類学者と医療従事者が多くの面で相互に協力しあい、また長期にわたり関係をもち続けてきた国際的な公衆衛生の分野について 検討する。さて、本章においては、科学的医療行為を大部分あるいは全く伝統的医療に依存してきた社会へ導入する場合のダイナミックスについて人類学者が学 んできたいくつかの事実について述べる。我々の方針は本質的には過去のことであり、「問題」は、厳密には、国際的な仕事に携わる医療従事者の定義によるも のとする。
 第14章では、引き続きこれらと同様のトピックスについて話を進めるが、ここでは現在及び未来の問題に変わる。我々は特に、十分に正しくは理解されてい ないと思われる現代の傾向と保健計画および政策との密接な関わり合いに関心がある。これらの傾向には、一方では大いなる評価を得られつつある科学的医学の 画期的な成果があり、他方では、特に都市においてであるが、(おそらく変則的に)代替的な医療システムの急速な拡張がある。つまり、健康の問題は、(正式 な医療従事者の眼から見て)科学的医学対伝統的医学のそれではもはやない。代わって、問題は、医療従事者のみではなく、その消費者つまり患者によって決定 される保健上のニーズに直面した際の科学的、伝統的、そして代替的な医療システムの役割の一つ、それも可能な役割となるのである。

公衆衛生上の「問題」

 感染症を予防・治療する力、マラリアや天然痘などのような過去の疫病を撲滅する力、あるいは、乳児死亡を減らしたり、外科手術により治癒してゆく力の中 で科学的医学に比肩するものはない。文化的程度はどうであれ、科学的医学の恩恵を受けた人々のほとんどは、少なくとも幾つかの病いについてその優秀性を認 めている。大部分の人々は科学的医療に大いに接近している。インド政府のアーユルベーダ協会に対する支援のような例はあるにしても、世界のほとんどの国々 の健康増進策は主として科学的医学に基づいている。
 たとえば合意はできなくとも、科学的医学に対する広範な支持があることから見て、訓練された要員や金銭面以外に現代医学の普及において問題があることは 不思議だと考えられるかもしれない。しかし、科学的医学のプログラム、特に予防医学プログラムを、土着システムが未だに強固な地域に導入した時には大抵の 場合多くの抵抗があった。国際的な医学専門家達の当初の大いなる希望は再三再四打ち砕かれた。というのは、驚いたことに、表面的には技術的に堅実なプログ ラムが完全に失敗したかあるいは成功したとしてもそれはほんの一部でしかなかったからである。西洋人は自民族中心主義で自分たちの文明が他のあまり複雑で はない社会よりも技術的に優れているのは自明であると思う傾向があって、自分たちよりも遅れている「あまり幸せでない」国々の人々は、チャンスがあれば、 自分たちの方法を採用したがっていると思っている。西洋の医療従事者達は、何に対してでも科学的医学の優位性について、よりいっそう自民族中心主義的であ り―全く逆の証拠があるにもかかわらず―その機会さえあれば全ての人々は科学的医学の優位性を認めると堅く信じていた。
 結果として、ほぼ50年間、国際的な公衆衛生計画と医学の専門家達はより望ましい健康は、科学的にしっかりしたプログラムの内容とその実行に依存し、そ のプログラムによって恩恵を受ければ人々は熱心な支持者になるという考え方に大きな影響を与えてきた。1916年に合衆国の南部で十二指腸虫がどのように コントロールされ、最終的にどの程度撲滅させられるかについて証明したあと、ロックフェラー財団は、疾病をコントロールする方法が世界の他の地域でどれほ ど応用され得るかについての証明を、セイロンで大がかりに着手した。プログラムの技術的な部分は堅実なものであった。例えば、人口調査、感染源を突き止め る衛生検査、試験地区での全ての人々の糞や血液試料の顕微鏡検査、罹患した人々の治療そしてトイレ設置のキャンペーンである。しかし、6年後そのプログラ ムが終了したとき、十二指腸虫はまだはびこっており、それは今日に至っても風土病である。西洋流の十二指腸虫コントロールと治療に関する臨床的な優位性 は、その疾病の撲滅には不適当であることがわかった。茶農園の労働者からは、感謝どころか、逆に盛んな妨害を受けたのである(Philips 1955)。
 それから星霜を重ねた1942年、アメリカ国内情勢研究所(国際開発局の前進)が、ラテン・アメリカの諸政府と協力して公衆衛生プログラムの作成に着手 したときも、同様の自民族中心主義が優勢であった。ラテン・アメリカの国々のより好ましい健康とは、合衆国的方法の採用、特に臨床的・治療的・個人的部門 としての医療と予防的・公衆衛生的・公的部門としての医療の2分法で得られると考えた。アメリカのユニークな公的機関であるパブリック・ヘルス・センター は、妊娠及び出産後の母と乳児に対するサーヴィス、免疫プログラム、伝染病のコントロール、歯科医療サーヴィス、環境衛生サーヴィス、さらに同様の活動を 提供し、プログラムのかなめ石として採用された。アメリカ人にとって驚きであったのは、新しいプログラムに対する大衆の受けとめ方は、熱烈という状態から ほど遠かったことである。真にサーヴィスを必要としている多くの人々は全く来ないで、他の人々は、初めの訪問の後は約束をさぼったり、抜けていってしまっ た。有効なサーヴィスの利用度は、当初計画していた受容量をはるかに下回った(これらのプログラムについての詳細な検討はFoster 1952参照)。
  全世界の国に現代医学をもたらそうと計画された、第2次世界大戦後の世界保健機構(WHO)の設立や大がかりな国際保健官僚機構の発達につれて、同じ間違 いが引き起こされた。初めて通文化的な健康問題に直面する時、科学的医学の訓練を積んだスペシャリスト達は、その国独自の伝統を無視しては、自分達の方法 の「明らかな優越性」は、それだけでは十分に受け容れられないことを信じ難かった。
 最近、幸運にも、以前は伝統的医学にのみ頼っていた人々が科学的治療を求める選択権を与えられた時どうなるかについて我々は多くのことを学んできた。我 々は、彼らに新しい試みに踏み出すのをしばしばためらわせてきた文化的・社会的・心理学的そして経済的な障害について知っているし、また彼らを全面的にあ るいは部分的に科学的医学の方向に転向させたいくつかの経験も知っている。変化に対する抵抗の一部は、我々の発見では、人々それ自身の社会的文化的形態の 中にある。つい最近、我々はまた、科学的医療の質および制度上の形態は信頼を得るような優秀性により常に特徴づけられてきたわけではないということを悟っ たのである。
 それでも、科学的健康増進プログラムや医療サーヴィスについて記述されてきた問題や欠点にも関わらず、科学的医学が日々優位になりつつあるという事実が ある。たとえ、伝統的医学がある分野で有効ではあっても、その威力を失いつつあるのである。村人たちは25年前には(チンツンツァンにおけるように)あっ たとしてもごくまれにしか医師にかからなかったが、それが今日では日常的に医療サーヴィスを受けており、伝統的治療法に頼るのはほんのささいな問題か、 (以前とは逆のパターンで興味深いのだが)期待してやってきたのに、その医師がすぐに治してくれなかったときである。以下、我々は人類学と医学の専門家達 が世界の人々に対して、科学的医学を普及させた複雑なプロセスについては学んできたことを記述してゆく。議論された「問題」のいくつかは、歴史的意味で問 題であり、今日ではもはやほとんどなくなっている。他の「問題」(例えば、医療サーヴィスの慢性的な質の悪さ)は、科学的医学の適用以前の問題であり、解 決が要求される。

新しい医療サーヴィスを受け容れる集団の抵抗

 部族民や農民は、彼らの価値観や信条体系から、また社会的構造から、さらに認識過程から科学的医学を認めようとはしない。全ての人々が自民族中心主義的 なのである。彼らは、伝統的なやり方や信仰に愛着を感じているし、それらが他のやり方と同等、否それよりも良いとさえ思っている。食事・健康・病いと関係 する信仰や価値の複合に関して、これは特に正しいと思われる。健康への信仰、身体のイメージ、そして病気の概念は、より広い世界観の一部である。そして、 この広い世界観がほとんど問題とされることがないのと同様に、その全体を形づくる個々の要素もまた問題なく受けとめられている。もし、幽霊や魔女や森の妖 精が人々にとって超自然的なものだとしたら科学的なトレーニングを受けた保健教育者が講義することによって、このようなものが疾病の原因でないことを彼ら に納得させることは難しい。健康や病気に対する基本的な見解が幼児期より彼らが努力して学んできた体液病理や熱―冷の均衡の理論に基づいている人々は、細 菌理論を放棄した教養のあるアメリカ人と違って健康な生活を送るための環境に対するこの解釈を捨てようとはしない。
 臨床的な意味では、科学的医学が非西洋的医学よりも優れていると主張するのは(第7章で示したように)容易である。しかし、ヤングが指摘するように、非 西洋医学は「機能」しないとするのは、少なくとも非西欧医学の信奉者達のレンズを通して見た時には正しくはない。「機能」を定義するのに、ヤングは人々が 望むことが起きることと、人々が期待することを生じさせることとの間には大きな違いがあると指摘する。その2つが意味することは、時には一致することがあ り、望まれ、期待された治療法は、患者を健康体に回復させる。もちろん、そういかない時もあるが。しかし、何がなされるべきであるかという家族・友人の期 待に沿い、診断が正しかったと期待された通りの臨床的な証拠を生み出したという意味では、治療は「機能した」のである(Young 1976:7)。伝統的医学は、それを信ずる人々の心理学的かつ身体的な安らぎを維持する上で、大きく積極的な役割を果たしてきた。

1 対立モデル

 手短に言えば、あらゆる人々の健康と病いに対する見方は、彼らの最も内奥にあるものの一部分であって、圧倒的多数の証拠によってふさわしい説明があると 指摘されるまでは、安易に退けるべきではない。ボルガーを引用すると、病いについての信条が本質的に欠けている心には、科学的な健康の情報や実践という 「新しい酒」を注ぐ事ができるという誤った仮説、つまり、「空の器」モデルという問題ではない(Polgar 1963:411)。部族民や農民の変わりつつある健康行動の変化を理解したり、伝統的見方の変化を援助する試みにおいて、人類学者は一方では民間医療と 未開医療の間の、他方では科学的医療と未開医療との「闘争」として対立モデルを用いてきた。我々は、伝統的医学は、全ての面で対立しながら、科学的医学に よる攻撃の下に、少しずつ優勢な地位を失いつつある防御者であるという目で見る傾向がある。一般的に、以前の体験が伝統的体系のもとにあった人々に対して 科学的医療が、初めて有効になったとき、健康と疾病の原因についての伝統的信条と直接対立すると解釈される治療実践は最も大きな抵抗にあうといえる。リ チャード・アダムスは、グァテマラのインディアン村での古典的な例を紹介しているが、そこでは血液は限りあるもの、つまり「更新されざるもの」「再生され ざるもの」とし見られている。血液は、力の源泉だと見られており、ケガや病いで失われれば、病気に対する抵抗力は永久に弱くなってしまう。健康に関する研 究でチームを組んでいた医師達が調査のために子供達の血液を採ろうとした時、彼らは大変な抵抗にあった。明らかに自分達の子供を弱らせようとしている外部 の者が、どうしてよりよい健康などと言えるのか、簡単には彼らには理解できなかった(R.Adams 1955:446-447)。血液が再生されないものとする見方は、世界の大部分の国においてそうなのである。ラテン・アメリカでは、血液銀行や輸血が合 衆国ほどうまくいっていないという理由の一つに、この見方があると考えられている。人々は、大抵はその貴重な血液を採られるのがいやなのである。
 妖術への信仰が強い社会では、悪人が、感染魔術の素材に利用しては困るというので、自分達の糞尿や老廃物(それは、身体から出たものである)を注意して 隠そうとする。彼らにとって、公衆衛生技官が提唱する公衆便所という形で、糞尿の存在をはっきり示そうとする考え方は全く馬鹿げていると思うのである。南 アフリカ、ダーバンのズール族の間で試みられた社会医学に関するプロジェクトでは、家庭菜園や堆肥をおく穴のプロジェクトはほぼうまくいったが、タテ穴式 トイレはうまくいかなかった。「大人や子供達は、自分たちの小屋のすぐ近くで排尿するのが見られたが、幼児や幼い子供の場合を除いて、排便はいつも家(小 屋)からいくらか離れた所でされ、その際茂みが好まれた。とにかく、皆の目に触れない場所である限り十分であると考えられていた。羞恥心、さらに多分より 重要なこととして、排泄した人が自分であると知られたくないので、この保護が要求された」(S. and E. Kark 1962:26)。なぜタテ穴式便所が使われないのかという質問に対して、答えははっきり妖術の恐ろしさを示していた。「誰かが、人々にその排泄物を通し て妖術をかけると未だに信じているので、彼らは、一つの場所で排泄したがらない。こうした信仰のため、こうした信仰のため、彼らにタテ穴式便所を建てさせ るのは至難である」(同書)。

2 認識の2分法

 患者の一般的な医療信条に慣れていない医師達は、病気に直面した時にしばしば陥る誤った判断に惑わされることがよくある。例えば、インドのタミール・ナ ドゥのフェローレという地方では、下痢とひどい脱水状態に陥った幼い子供が時々病院に運ばれてくるが、中には運ばれてこなかったり、手遅れになるケースも あった。研究成果によると、下痢には2つの異なったタイプ、つまりベディ(bedhi)とドーシャム(dosham)があるということである。ベディと は、「生理的な」下痢、つまり過度の体熱により引き起こされるもの、アユルベーダ体系でいう「熱」に分類される食物を摂ることが原因であると普通見られて いる。ベディの場合、病院へ行くことは適切な方法であると考えられている。これに対し、ドーシャム下痢では、儀式的冒涜に関する見方にその起源を発してい る。それは、流産してしまった女性を見た後で、母親が子供に授乳する時に最も当たり前に認められる。ドーシャムにかかったと思われた子供は、入念な洗礼の 儀式により治療され、その儀式とは病院で受けるような類の治療ではもちろんなく、それゆえに、そうした子供たちは、滅多に医師のところに連れて来られない (Lozoff et al.1975)。
 フェローレ地方における下痢の記述は1世紀以上前に初めて示された認識の2分法の現代的な実例である。1950年代の初期、ラテン・アメリカで公衆衛生 プログラムを学んでいた人類学者達は科学的医療サーヴィスを目の当たりにした伝統的医学の継承者達が病因のはっきりした病いが医師により癒されるか、ある いは予防され得ると感じ、その結果、最初に不信感をもっていたにもかかわらずそうした医療サーヴィスを求めたものである。しかしながら、他の原因による病 いでは、家庭治療やクランデロスによる処置の方がはるかに優れていると感じられていた。というのも、一般的な医師には、そうした場合を見分けることができ なかったし、それゆえに治すことも期待できないと信じられていたからである。邪視やススト(susto,恐怖)のような魔術的あるいは情動的な病因をもっ た病いは、現代医学を学んだ医師による治療は不適切だとほとんど常に判断されていた(Foster 1952)。抗生物質や外科手術によりすぐに治る感染症は、他のカテゴリーのものになってしまった。エラスムスはエクアドルで次の事実を知った。それは、 医師はジフテリアや結核、性病、虫垂炎等を治療できるある最適任者であるとクランデロス(curanderos)さえ認めていたこと、さらに彼らが、 「ヨーズ(yaws)*1のキャンペーンを賞賛し、それが医師によってのみ治療できる病気であるというはっきりした確信を」持ったことを知った (Erasmus 1952:416,417)。
 医師が治すことのできる病いとできない病いとの間のこの基本的な2分法は、その後世界の多くの地域で観察された。こうして、北部インドで「全く動くこと ができない機能障害」(例えば、普通感染症)は医師の方に回され、一方「慢性的だが寝込むほどではない機能障害」(例えば、退行性の再発する病気)は村で 治療される傾向にあることをグールドは見た(Gould 1957)。
 認識の2分法の2番目のタイプは、「我々の」疾病と「彼らの」疾病との間にあり、それも記述されている。マドソンは、この違いをはっきりさせようとし て、南部テキサス出身のメキシコ系アメリカ人のクランデロスを引用している。「なぜ、神が邪視やエンパチョ(empacho)、泉門解離、恐怖その他多く の疾病で私達を苦しめるのか私にはわからない。だが、神は慈悲深いお方だ。神は、いろいろな試練を私達に与えられたが、同時にその治し方も教えたもう た。・・・・・苦しみは、私たちにやってきて、私たちはそれを理解するのみである。(同じ)「人種」(La Raza)である私たちだけがそれらを癒すことができる。・・・・・神は、私たちを罰するために疾病をおくるが、同時に悔いることを学ばせ、苦しみを軽く する。神の大きな関心は、ラ・ラサに対する大きな愛情として反映する。あなたは、あなたが最も愛情をかけている身を誤った子供達を罰する。それゆえ、白人 がこのような神が遣わした試練を被らないことは不思議ではない」(Madsen 1964:79)。
 アリゾナ州のピマ・インディアンも同じような信仰を持っている。カーシム・マムキダーグ(ka:cim mumkidag)つまり「滞在する病気」とは、「ピマ族だけを苦しめるインディアンの病気であり、ピマ族のシャーマンによってのみ診断され、土着の儀式 的な治療者によって治されるのである」(Bahr et al. 1974:19)。これらは道徳的な秩序に関連した病気でもあり、その病因について信念を持つことによって正しい行動をとる気が鼓舞されるのである。滞在 する病気は、邪悪や思慮分別のない人間の行動によってその「掟(way)」が妨害されるに到った神聖な、あるいは危険をはらんだ対象物(体)の「強さ」が 原因となっている。「危険な対象物(体)の《掟》に対して罰を犯す場合には、患者は創世紀よりピマ族に規定されていた規則に対して、不適切なことに関わっ たのだといわれている。カーシムの病気は、神に選ばれた人種であるピマ族に特有なものとされていた」(同書、21)。
 スコットランド人の伝道医師バーカーは、自分のズール人患者の中に同じようなパターンを見つけた。つまり、それらの疾病は、アフリカ独特の疾病であり、 外部の人々にはわからないという強い信念である。バーカーは、次のように言っている。「結局、我々の問題がユニークであると信ずることは非常に人間的なの である。我々はよく、私の胆嚢とか私の胃とか私の虫垂とか、まるで甘やかしエサをやっている愛玩犬を扱っているような意味合いでしゃべっている」 (Barker 1959:88)。彼の初期の研究では、患者が自分自身で認識するほとんどの病気は、優れてアフリカ的なものであると考えていた。「あなたは、助けられな かったでしょうよ」と女達は、彼に子供達の死についてコメントしながら話した。「子供は、人々の病気の一つを持っていた」。これらの「人々の病気」のうち の普通の症候は、下痢・嘔吐・咳嗽・高熱であり、そうした兆候は「アフリカ的特権とも言うべき信仰の神秘的な部分を何も示してはいなかった」(同書、 88ー89)。少しずつではあるが、バーカーとその医師である妻とは、患者の信頼を勝ち得てゆき、患者の方も、ますます「アフリカ的」病気を治療してもら いにやって来た。しかし、このことは彼らの排他性に関する信念が弱まったことを意味していたわけではなく、アフリカ的疾病の治療を学んだバーカーの技量に 対する感謝状だったのである。

3 入院に対する抵抗

 人々は、時として入院することに抵抗を示す。それは、病院が死ぬために行く場所であると歴史的に受け取られていただけでなく、病院医療が伝統的な患者ケ アとしばしば対立するからである。多くの部族や農民は、出産後の胎盤を炉床の灰の中に埋めたり、流れる水の中に入れたりして儀式的な処分をする。チンツン ツァンでは、炉床の3つの石の下にある胎盤は、子供をその先祖の家に象徴的に結びつける。最初に病院やクリニックに行くとき、胎盤の処分についてどんな指 示が出るかを心配して、多くの母親は、受診を拒否した。こういった信仰の強い患者を抱える幾つかの病院では、胎盤は儀式的処分のため、母親の親戚に届けら れる。
 病院における処置には、恐怖を抱かせるものもある。クラークは、カリフォルニア病院でのメキシコ系の老婦人について述べているが、彼女は、かつて病いの 急性期に、ある人のいい看護婦にシャワーを浴びるように指示された。ベッドに戻ってきた時、彼女は「悪い空気」に打ちのめされた。病院のスタッフが驚かさ れたことは、彼女が「適切なケア」を受けることことのできる場所である家庭に帰ることをその時主張したことであった(Clark 1959a:202)。この婦人にとっては、チンツンツァンでは、シャワーを浴びることは、安易にすべきではなく、体が十分に回復したときのみ安全なこと だった。クラークは、また分娩後の食物タブーがどれほどメキシコ系アメリカ人の女性の出産のための入院に水をさすかを述べている。メキシコ人の村人の間で は、分娩後ある期間は母子にとって危険であり、母親の食事は厳しく制限される。鶏肉が重視され、フルーツジュースやある種の野菜は、「冷えすぎる」と妊 娠・出産時の発熱後ではすぐにはやっていけないものとされている。母親たちは、病院では自分たちが危険だと信じている食物を摂らされるのではないかと心配 している(同書、167,227)。

4 役割行動についての異なる認識
 
 伝統医学に信頼を寄せていた人々に対して科学的医学が一番最初に有効であるとされたとき、まず見られた最も重要な抵抗の一つは、適切な役割行動に関して の患者と医師間の異なる期待に由来するものである。この相違とその結果としての数多く生じた相互の困惑とは、第6章における「治療的面接」の節で部分的に 追求された。他のいくつかの例も、さらに問題を説明するのである。例えば、クラークは、カリフォルニアにおけるメキシコ系アメリカ人の健康問題を論議する 際に、いかにアングロ系の医師たちが、非人間的な客観主義、専門的「能力」、権威的態度(それは信頼を包含するのだろうか?)、さらに患者がせねばならぬ 役割としての適切な行動を「教え込む」権利を教えられるかを指摘している。メキシコ系アメリカ人の患者の期待は、しかしながら全く違っている。人々は、重 要な場面の全てに「参加」すると考えられる、家族を伴って医師を訪れる。この状況は患者達を安心させるが、狭苦しい空間と医者の忙しいスケジュールをほと んど“有効”に使うことに貢献していないのである。少なくとも、幾つかの病気は患者が必要な予防手段を講じなかった(養生をしなかった)せいだとアメリカ 人の間では考えられていたので、医師達は、ある症候については適切な養生をしなかったためであると言うかもしれない。しかしながら、メキシコ系アメリカ人 は自分が病気になったことで罪の意識や責任を感ずることはない。「医療従事者には、患者は何か悪いことに関係があり、病気であることに幾分責任があると考 えられており、憤りや敵意を持ってその言葉は受けとめられている。患者とその家族にとって、そうした見解は不当であるか、さらには悪意のあるものとして映 る」(Clark 1959a:230)。足にできる潰瘍は、ペニシリン製剤に対して反応するが、それを注射する手には反応しない。しかしながら、患者は注射をする人には反 応し、その結果が効果的であることがわかっていても、歓迎すべきでない治療を受ければその後その医師を訪れる気はしないだろう。
 この内容において、象牙海岸のアプロンについてのアランドの叙述は的を射ている。「西洋の薬物に対する信頼は医師に対する信頼よりも大であるように思わ れる。・・・・・西洋での治療と関わりのある儀式はほとんどない。検査室の設備はあまりなく、検査は普通ぞんざいに行われ、この結果、医師そのものが医療 について不要な付属物のように見えてくる」(Alland 1964:720)。他の地域では、伝統医療の継承達は、西洋医学は受け入れるが、それをやろうとする人々に対しては嫌な気持ちを持つ。グルードは北部イ ンドで、現代医療を行おうとする人々は、「村で自分たちを受け入れさせるような親密な関係を築くことがほとんどできなかった。なぜなら、めったにそういう 気持ちにならないからだ」と指摘している(Golud 1965:202)。開発途上国では、医師は不可思議な、あるいは超自然的な病いの原因を同情的に聞くならば、自分たち自身や自分達の科学の面目を失墜さ せると感じている。時に彼らは伝統的な信条に対し、軽蔑の念を積み重ね、こうして臨床的技術のゆえに彼らのところにやって来ようとする患者を遠ざけてしま うのである。文化間あるいは階級間における治療というものは、患者が受診する際に患者が抱く医療信条と、治療の期待を医療者が理解できれば、治療は最も効 果的になると多くの医療人類学者は信じている。1950年代初頭、ラテン・アメリカで公衆衛生プログラムを研究したスミソニアン研究所の人類学者は、民族 医学について知る重要性を強調した。「もしも、公衆衛生技官が民族医学の概念の普及の必要性を理解しているならば、多くの場合、信仰は医師の邪魔よりもむ しろ助けになる。良いことや役に立つことは、悪いことや役立たないことから分けるべきであり、様々なプログラムはこのことを心に留めて作成された」 (Foster 1952:10)。人類学者の民族医学への理解が治療的予防的行動についていう場合に厚生技官(公衆衛生技官)を助けるものであり、その結果として彼らは 伝統的医学にのみ慣れ親しんできた患者を理解できるようになるわけで、技官が患者の信仰(伝統医学への思い入れ)を理解していることがはっきりすればさら に信頼感は深まるだろうと指摘した(同書)。
 最近、米国の異文化間及び異人種間の背景の中で働く人類学者も同じ結論に達した。ハーウッドは、ニューヨークに住むプエルトルコ人について語り、次のよ うに記している。「患者とその病いの養生法について効果的に意志を通いあわせるためには、医師は患者がどのように病気や病因や一般的な治療学について捉え ているか、ある程度知らなければならない。・・・・・異なる社会的文化的背景にある患者を効果的に治療していくためには、医師は彼らの医療上の信仰や実践 についての特別な理解を、発展させなければならない」(Harwood 1971:1153)。スノウもアメリカ内の少数民族に関して同様の考えを表明している。「医師は患者が病いと闘うのにどうしてきたかを知ることが大切で ある。もしもそれが問題なければ、これからの治療計画や医師の意見にまかせてもよい」(Snow 1974:94-95)。そして、精神分析医でありかつ人類学者であるウィントロブは、アメリカの黒人や一般の少数民族について、こう記している。「文化 的にでき上がってきた信仰や人種的および社会的階級といった背景が治療者のそれと異なっている患者の行為に対して敏感であることは、医学的であろうと心理 学的であろうと、患者の病いをどう見てゆくかという点で本質的なものである。そして、データを取り上げるにあたり、個人的なストレスや内的要因がどうであ れ、民族信仰と民族医学を考慮せねばならない」(Wintrob 1973:325)。

5 予防医学と健康維持の概念

 伝統的医学の継承者の特別な病因論的見方や治療的インタビューに対する彼らのイメージがどのようなものであれ、彼らは主要な前提を共有している。それ は、病いは痛みや不快さを通してあらわれてくるということである。いささか奇妙ではあるが、事実彼らにとって重い病いがそうとは知られずにゆっくり進行 し、手遅れで助からぬ時になって初めて気づく、とは信じ難いのである。人が気分よく、身体機能が正常に働いている時、このことが元気かどうか問いかけ得る 全てなのである。医療の力を必要とするのは、快適な気分の時ではなく、当人の身体が正常に機能していない時なのである。予防医学は、大筋において生体を防 御する免疫機構や早期に効果を上げると考えられる治療法を発見し、増やしていくこととされ、病いがあらわれる前に手を打つという考えに基づいているため、 伝統的医学の継承者は、この領域では最高の治療者とはなり得ない。
 健康に関するこうした前提において、伝統医学の継承者―恐らく全ての産業期以前の人々―は、ずっと広い世界観を持っており、健康の維持や西洋流の方法に はほとんど価値をみない。欧米人は、健康の維持の重要性について、2世紀をかけて学んできた。機械の定期的で入念な点検は産業の基本である。我々は、自分 自身の生活の中でも自動車は定期的に修理せねばならず、家は定期的にペンキを塗れば長持ちし、衣類は修繕すればまだまだ着られるということを学んできた。 我々はしばしばこうした決まりを無視したり、怠けたりするが、自分の責任は自分でとるという合意でそうしているのである。我々は幼少時より、健康維持の重 要性を印象づける格言を教えられている。「今日の一針、明日の十針」「今日出来ることを明日に延ばすな」「1オンスの予防は、1ポンドの治療に匹敵する」 などがそうである。我々の心に深くしみこんでいるこうした健康維持の大切さについての基本的な前提があるため、我々は人間の身体を健康に維持してゆくこと (すなわち、予防医学)は健全な考えであるという主張する資格があるのである。予防医学は、我々のより広い世界観と調和し、それが堅実な方法であることは 当然であると考える。
 伝統的かつ、開発途上の社会ではこれと反対の考え方が真実である。新しい工場の中で機械を維持してゆくのは常に大変だし、屋根は雨もりがするまで修理さ れないし、高速道路は修復されずに再建されるものであり、サハラより南のアフリカ地域では、着古した衣服を修繕すれば、しないよりかえってボロが目に付 く。健康の維持は、社会のスムーズな歩みに欠かせないものであるという基本的合意を欠いているならば、その祖先が過去に何世代も前に予防医学を実践し始め た人々よりも、産業期以前の人々が予防医学を通して健康を維持することを受け容れ難いことは驚くにあたらない。予防医学の主要な形態は、伝統医学の継承者 のより広い世界観とは一致せず、彼らは欧米人がそうしたのと同じような素早さでそれを受け入れることはないだろう。

科学的医療官僚主義における抵抗

 国際公衆衛生技官が文化的な面から物事を考えはじめた時、土着の人々は、彼らが恩恵を受けたのと同じように西洋医学の恩恵を感じないと理解したが、そう なると、これまで述べてきたような「文化的」「社会的」障壁が対象となる集団にはあるという結論に飛びついた。初期の国際公衆衛生プログラムを遂行するべ く働いた人類学者も同様の見方をしていた。もしも受け入れ側の人々の社会的、文化的形態が研究されたなら、そこに関係ある人々にはっきりと理解されるプロ グラムを計画することは可能だと我々は信じた。我々は、彼らが西洋医学を理解しておらず、もしもその明らかな有効性を理解しやすいようにすれば喜んで受け 容れるだろうと考えたのである。ポスパーチュリント・メキシコ人の母親達は、アメリカ人女性が普段食べている食物の多くを恐れるかどうか。これらの食物の 中で彼らが安全だと考え、栄養食として成立する食物を挙げてみよう。サルバドルの村の女性達は、敷き布団の下で、夫のシャツを裏返しにすることでお産が楽 になると本当に信じているだろうか。ならば彼女らが病院でシャツを身につけることを認めよう。医師の指示は、病いに関して伝統医学の説明に従ったり、ある いはその説明を土台として作られているように表現されていないのであろうか。適切な表現は、科学的医療の完全さをいささかも損じない理にかなった目標であ る。
 公衆衛生技官及び他の医療従事者は、一般に彼らとともに働く人々の習慣や信仰について人類学者が語ってきたことを受け入れてきた。結局、問題は患者が 「彼方のこと」と認識していることである。医師は他の多くの人と同様に、自分達のやってきたことで不備な点は外部の要因によると考える傾向にある。間違い なく、文化的要因と対象集団の信条および態度を配慮して立案された大学の公衆衛生および医学教育のプログラムは、科学的医療が最善のものであり、人々がた だ愚かなために受け入れられていないという仮定に基づいたものよりも成功を収めた。
 しかし、時が経つにつれて、我々は次第に不安な考えを受けとめるようになってきた。つまり少なくとも科学的医療を広めていく中で出てきた抵抗の多くは、 対象となる人々と同様、医療の専門性と健康管理主義に根を持っているということである。医学の臨床上の仮説、治療者の地位、その官僚主義的機構、医療サー ヴィスにかける時間、これらの全て、そしてそれ自身が生み出すより多くの要因によって科学的医療は受け入れられないのである。(1)
 
1 間違った計画の立案

 国際的な計画の多くは、西洋諸国で最も広く行われているやり方が開発途上国でも行われるべきモデルであるという仮定に基づいている。リフキンは、「施設 を増やすことで健康状態が改善されるとか、高度に熟練した人間の力が保健ケアを提供する唯一の方法であるとか、医療ケアは健康教育と予防活動を含めた社会 的要因を除外しているとか、疾病と病院に基づいた諸システムとは健康のニーズに無条件にふさわしく見合うものであるといった信条」をあげている (Rifkin 1973:249)。同様に、ブライアントはセネガルのダカール大学の例を挙げながら、開発途上国における医学校について疑問を投げている。多くの基礎的 な施設は優秀である。しかし、フランス人の影響力は、この基礎の優秀さのほとんどを十分に説明づけるものであるが、同時にその一方で不安な問題も提起して いるのである。例えば、入学するクラスの規模およびその構成はフランスで行われているのと同じような厳しい試験制度によって決められている。結果として、 1964年度入学のクラスでは、28人の入学者のうちセネガル人はたった3人だった。さらに、医学カリキュラムは全てフランスで計画された。それはフラン スの医学校用に文部省が定めたものと同じものである。ブライアントは問いかけている。「進歩し、工業化された国で立案されたカリキュラムは、あまり進歩せ ず工業化されていない国にとってふさわしいものであろうか? セネガルの地区の健康問題に直接関わる医師にとって必要な態度、技能そして認識はその状況に とってより的を射た教育プログラムの作成を正当化するという点でフランス(あるいはアメリカやイギリスでも事情は同じであるが)で必要とされるものとは随 分異なるのではないか」(Bryant 1986:63-64)。
 ブライアントは、その解答は、その地方のニーズに応えたカリキュラムを作っていくことであると固く信じている。彼の論点を挙げてみると、彼は西洋医学の 教育を受けたセネガル人医師の一日について書いている。そこで医師はある病院を任されており、一人の看護婦と助手および各1名の看護婦のいる7つの施薬所 に助けられて10万人の人々に奉仕しているのである! その医師は、1日にだいたい150人ほどの患者を診察する。1日に5〜6人の患者が1週間程度の入 院となり約10人の女性が分娩にやってくる。そこには、産婆はいないし、レントゲン写真も水道も、簡単な手術用設備もない不十分な医療である。しばしば施 薬所を訪れるのに時間がとられ、そこでの医療サーヴィスは極めて初歩的なものである。ある地方でセネガル人医師が最大限役立つためには、ヨーロッパの都市 では不要とされる多くの技術を持っていなければならないのは明らかである。
 ブライアントは、医師によって指導され、専門的な仕事のために特別にトレーニングを受けた種々の医療従事者によって構成され、1つの単位として機能する ような「ヘルス・チーム」が開発途上国での健康問題に対して回答を与えると確信している。彼が語るには、主要な問題は、医師が初期診断者として、治療者と してのこれまでの役割を維持する意志を持つことと同時に、明らかに医療チームの方針とはうまくかみあい得ないような役割をも維持しようとすることである。 その代わりに、ブライアントは、「医師は、限られた資源を個人の医師として少数の者に奉仕するよりも、もっと多くの人間の広い範囲のヘルス・ニーズに応え られるよううまく段取りをつける役割をこなさなければならない。しかし、この考え方が受け入れられるには、まだまだ広い範囲での抵抗があり、それは根本的 に、現在の医療従事者や医師の役割はこうあるべきだという専門的考え方の多くと対立している」と言っている(同書、141ー142)。
 優れた医師の偉大さの一部は、助けを求めている者に対して、自分を無制限に与えるような責任を認めることにあるとブライアントは言う。しかし、これは、 同時に他人と活動をともにしない医師の態度の基本にもなっている。なぜならば、このことは医師以外の誰も援助することはできないという気持ちと絡み合って いるからである。「この考え方のおかしな面は、医師が治療の診断と処方という特殊な行為に価値を置いていることである。医師は、健康プログラムを推進しよ うと、あらゆるレベルの医療従事者を熱心に使う。・・・・・しかし、《診断する》及び《処方する》という言葉が、専門的な支配欲の強い感情を呼び覚ますの である」(同書)。医師が患者を一人の人間として援助をしなければならないという考えは、実際大部分のヘルス・サーヴィスの形態を決定し、保健制度の計画 を変えようとする努力を妨げることもあるとブライアントは言う。「このように、医師の役割は、人口全体の健康のニーズにより決定されねばならないという論 理が語られる一方で、この論理を遵守することが、病気は医師のみが診断し、治せるという職業意識を全面に押し出すことで妨げられることにもなる。医師であ るという職業意識のこの立場は、保健医療サーヴィスの設定と遂行の上で、これを無力化させる働きがあり、限りある保健資源を効果的に活用していく上での最 も深刻な障害の一つである」(同書、143)(2)。

2 臨床医学対予防医学

 開発途上国における不適切な西洋型モデルのもう一つの責任は、臨床的・治療的・個人的分野としての医療と予防的・公衆衛生的・大衆的分野としての医療と の間におけるアメリカ的区別である。アメリカの歴史や私企業の重要性、多くの医学校、医療サーヴィスに支払いをする大勢の患者達について考えると、こうし た二元的体制は、長年の間道理にかなったものと見られてきた。それは、アメリカ全体の文化的経済的パターンの現実の機能として発達してきた。しかし、それ は神が与えたものではなく、自然そのものであり、あらゆる時代のあらゆる人々に対する解答であった。大部分の発展途上国では、個人で医師にかかることので きる者はほとんどいない。彼らの大部分の治療の必要性は、政府の診療所で無料あるいは助成金を受けながらか、社会保険の恩恵を受けながらか、あるいは治療 と予防の医療サーヴィスが結びついたような他の方法を通して満たされるのである。
 しかし、30年以上も前にアメリカの助力によって最初の共同プログラムがラテン・アメリカでスタートした時、それは母子の健康と、環境衛生や免疫のよう な予防サーヴィスを備えたヘルス・センターが最も重要だという仮定に基づいていた。予防医学に基づく健康プログラムのメリットがどのようなものであれ、平 均的なラテン・アメリカの人々は、自分たち自身あるいは自分たちの子供の病気を治してくれると期待しているので、医師と看護婦にまず興味をもつ。その人達 のために、ヘルス・センターが設計されたのだが、医療サーヴィスの枠は制限され治療行為が相対的に軽視している状況に出くわした時、そのプログラムに対し て彼らは非常に批判的であった。例えば、病気の子供は、あらかじめいわゆる「丈夫な子供診療所」(Well baby clinic)に登録され、ヘルス・センターの「管理」下にある場合にのみ医師の診察を受けられることがわかった時、批判はいっそう厳しいものとなった。
 予防医学は疑いもなく、寿命を逃したり健康水準を高度に引き上げる上で治療的医療よりも貢献してきた。確かに、開発途上にある世界では、健康というレベ ルでの主要な改善は、臨床的な医療サーヴィスよりも公衆衛生に負うところが大きいであろう。しかし、病いの予防と治療とは同一過程の一部分であるし、有効 な治療を通じて人々は現在の予防手段が有効であることがわかってくるのである。健康ケアに関するアメリカ的な制度モデルが他の国々の健康問題に対する回答 であると仮定することは自民族中心主義の最たるものである。幸いにも大部分の開発途上国のヘルス・サーヴィスではこのことに気づいており、その国のアメリ カ人でもない医療従事者が、「社会的」あるいは「地域」医療の発展の前衛となっている。
 
3 医療従事者の個人的優先権

 科学的医療に基づく健康プログラムの3番目に重要な問題は、自分たちの優先権がまた対象集団のそれと同じであると医療従事者がしばしば仮定していること である。医療従事者が研究上の目標と健康上の目標の中にある個人的な価値観と彼らが援助しようと思う人々の価値観とをはき違えていることをわかっていない ことを我々は何度も見てきた。さらに、皆が直面している問題をあらゆる角度から眺めた時、健康問題が、経済的・家族的諸問題、その他多くの問題と優先順位 を「競って」いることは明らかである。忙しいアメリカ人達は、年に一回の医学的検査の重要性について十分にわかっていながら、貴重な時間を競っている他の 行動に優先権を与えてしまうので、受診が延び延びになる。
 公衆衛生を専門とする医師は、アメリカ人女性に見られる子宮頚部がんの頻度の高さに注目していて、定期検診での膣スメアのパパニコロー細胞診と早期の手 術とで高率に死を避けられることも知っている。しかし、医師は大部分の女性の無関心さに驚いた。彼女達は、医師が子宮頚部がんの制圧に傾ける情熱には興味 を示さず、結果として、全ての女性に年1回の検診をさせることは諦めざるを得なかった。しかし、もしも誰かが平均的家庭の主婦にとって直接かかわる優先権 のリスト―それは、食料品店の請求書のこと、学校でうまくやっていない子供達のこと、十代のずる休みとおそらくはマリワナ法に触れること、情熱のさめた 夫、忠告を与えるのにためらわない義理の母のこと―を作成すれば、どのような事柄であれ、すぐには打撃を受けそうもないことのために行う年一回の検診 チェックは、低い優先権にあることは明らかである。
 個々人の健康優先順位のリストの中でも、医師の持つ個人的優先権はかなり下のようだ。開発途上国では、公衆衛生に従事する技官は、当然ながら、予防手段 に重きを置く。しかし、平均的な人々のリストでは、予防法は例外なく治療法の下にくる。つまり、彼らが健康のニーズを認識した時、初めて注意が向けられる のである。ロックフェラー財団が、十二指腸虫を駆除するためのキャンペーンをセイロンで行ったとき、これが明らかになった。「村人達は、彼らの別のことに はるかに多くの医療ニーズがあったために、十二指腸虫症の病気に集中する事にいらついた。・・・・・村人達は、十二指腸虫を駆除する退屈なお決まりの仕事 を続けるよりも、傷口や膿瘍に包帯を巻いたり種々の急性疾患の看護をする方に関心があった」(Philips 1955:289)。そういう行動でエネルギーを消費すべきではないという内務省の警告があったにもかかわらず、フィールドの指導者達は、十二指腸虫を駆 除する仕事に支持を得るためにあらゆる訴えを処置せねばならないことがわかった。
 ペルーのイカ・バレーにあるアレナル村に純良な飲料水を持ち込もうとした試みの話しも、同じである。その地区の保健局は、水の供給を保護するために、経 済的かつ技術的に単純な方法の開発に従事しており、村の井戸にコンクリート・カバーを取り付け、手動ポンプを設置することを提案した。保健局の衛生技師が 単純な装置を作り、メインテナンスは村人が引き継いだ。しかし、1年後、村人達は、水を引くためにロープと手おけの使用に戻ることになってしまった。。メ インテナンスの問題が非常に難しいとわかったのである。その失敗の理由は様々である。おそらく、ポンプを維持してゆくことよりもより重要な問題があったの だろう。「確かに、アレナル村は乏しい資金でポンプを修理したり井戸の管理人に給料を支払うことができた。しかし、そうしたらそれは重要な村の祭典(守護 神祝祭、独立記念の祝祭その他)の資金を流用することを意味する。アレナル村の人々は新しい手ポンプを以前のロープと手おけの装置よりも喜んで迎えたが、 村の祭典はポンプよりも重要だったのである」(Wellin 1966:123-124)。
 同じような話は、インドのオリッサ州の部族集団にもあり、そこでの全国マラリア撲滅計画は、乏しい成果を上げることしかできなかった。「彼らは、日常生 活の他の要因、つまり農業や道路建設、問題の排水に関連した要因に気を取られている。彼らは、問診時、《発熱》というが、それを憂慮すべき問題としては見 ておらず、ゆえに協力しようとしないのである」(Dhilon and Kar 1963:20-21)。
 対象となる集団のメンバーが、彼らを援助しようと考えている専門家と同一の健康の優先順位をもつかそうなるよう努力しなければ、特別な目的を持つ企画に 関心と協力を得ることが難しいのは明らかである。

4 意志決定に関する誤った仮説

 開発途上国での医師―患者及び保健教育者―被教育者間の関係においていつもある問題は、患者あるいは潜在的な患者はどんな種類の医療援助を求めるのかに ついての意志決定をする、と医療者達が考える傾向があることにある。実際、伝統的世界における医療上の意志決定は一般的には集団による決定であり、それに 地位・階級・年齢・性や伝統的役割のような事項が伴ってくるのである。今日のインドネシアにおいて一般の保健診療所のネットワークを通じて行われる医療 サーヴィスを用いて、家族計画をわかりやすく説明することは、政府の主要な活動である。しかし技術的には、優秀であるにもかかわらず、家族計画はせいぜい 中程度の成功を収めてきただけである。家族計画の受け入れが低率である理由の中には、対立する全ての証拠にもかかわらず、このステップを踏む意志決定をす るのは女性であるという仮定があった。妻の希望は家庭内ではほとんど問題視されないが、その後の家族計画教育と実践は妻に大きく向けられる。家庭内におい て、主要な決定は夫によってなされ、子供や孫に関する問題では祖父母の考え方もまた大いに重視される。
 意志決定するのは誰なのかについての同じような誤った仮定はしばしば開発途上国における新しいヘルス・センターでの母子保健サーヴィスを特徴づけてき た。母親や母親になろうとしている者は、はっきりとした教育目標を望んでいるように思われる。しかし、伝統的な形態を重んずる家族における老女達はしばし ば自分自身のことを、妊娠や出産、乳児のケアに関しての知恵や知識の宝庫であり、このような事柄に関するエキスパートとしての役割が広く受け入れられてい ると考えている。驚くまでもなく彼女達の多くにとっては、新しいヘルス・センターは、直接的な競争者であり、家族の中での自分たちの地位と力とを脅かす出 しゃばった政治活動と見られもする。そこで、徹底的に反対されるのである。年輩の女性の役割が実際的な力を持つような家族では、若い母親と同様に新しいシ ステムを説き伏せなければならない。

5 医療サーヴィスにおける欠陥
 
 その他の要因でも、科学的医学と予防プログラムの受け入れは水をさされる。科学的医学は必ずしも良いものというわけではないし、提供の様式が、人々の希 望にかなうものではなく、そこに関わる人々によって反対に見られる副作用を伴うこともあるために、時としてその反応はネガティブなものである。例えば全て の予防手段の中で最も効果的であったものの一つは、(もし、我々が考えられる長期間の成果を差し引いて考えるならば)マラリアを蔓延させる蚊であるアノ フェレスを撲滅するために用いたDDTの残留式噴霧である。世界の大部分の地域では、これでマラリアをなくすことができた。しかし、噴霧に対する反対は、 しばしば強烈である。多くの地域で、死ぬネコが多数にのぼった。ネコたちは、DDTが噴霧された壁に身体をこすりつけ、その毛をなめ、DDTを体内に取り 入れて死ぬのである。ネコは、伝統的社会では、ネズミを捕るという役目があるため、ネコがいなくなることでネズミとハツカネズミが増加して食料に損害を与 えた。インドのオリッサ州の部族民地域では、別の不満が起きた。つまり、噴霧によって、人々が眠る風通しの悪い部屋に悪臭が立ちこめたというのである。南 京虫は、噴霧したあと爆発的に増加すると信じられていた。そして、白っぽいDDTを噴霧することによって、家の壁は不整なまだら模様になったのである (Dhilon and Kar 1963:22-23)。
 WHOおよびユニセフの職員は、スリナムのブッシュ・ニグロ部族の村でマラリア撲滅プログラムと同じような抵抗を受けた。そこでは、ネコのみならず、犬 や鶏もまたDDTやジェルドリンの影響で死んだのである。さらに、DDTを噴霧した後、ゴキブリが猛烈に増えるという問題が出てきた。ゴキブリは、眠って いる子供をかみ、貯蔵されている米やカッサバやバナナを食べるのである。。あるマラリア撲滅チームの指導者は、翌朝までにゴキブリを確実に死に追いやると 期待された殺虫剤を噴霧して、箱の中に入れた。しかし、ゴキブリはDDT耐性になり、箱を開けた時には生きて、動き回っていた。この例は、プログラムの効 果に対する村人の信頼を何ら勝ち得なかった。最終的にマラリア撲滅プログラムに携わった人々、それは全てスリナムの人々であるが、彼らは地方的基準により 比較的良い報酬を受けた。結果的に彼らは地方の人々からねたまれもし、恐れられもした。彼らは多少収入もあったので、既婚女性の気を引き、あまり豊かでな い自分の夫よりも好まれるということもあった(Barnes and Jenkins 1972)。
 他の場所のことだが、不適切な冷却により効果をなくしたワクチンのことが記述されている。子供がたぶん予防されていると思っている病気にかかれば、親達 は、免疫だけでなく他の現代的な医学的処置に対する信頼を失う。公衆衛生技官もまたがっかりするだろう。バナージが同僚と共に研究したインドの村々では、 天然痘ワクチンが一般的に(普遍的にではないが)受け入れられることがわかった。それでも、「両親がうっかりしてワクチンを接種されずにおかれた子供達の 数は、ワクチンを接種する立場の人間や上司がうっかりして摂取されなかった子供達の数に比して、極めて少数なのである」(Banerji 1974:11)。
 当初、医療サーヴィスの利用上何ら関わりを持たないと考えられる他の官僚的な政策は、それらのサーヴィスの中での欠陥部分と見なされる。インドネシアに おける家族計画を見れば、ピルの調達に苦労したことがはっきりする。アメリカ合衆国の援助を受けた政府が最低の値をつけた者に次の請負業務を提供するので サイズも形も色もしばしば変わるのである。標準の製品のように思われていたものが、予期せぬ変化を遂げるので、村の女性は、家族計画のプログラムに不信を 抱くようになった。
 こうした例は、伝統的医学を継承する人々の中へ現代医学を受け入れさせることをしばしば妨げるいくつかの要素を表している。それらは、伝統的医療システ ムが全く変わらないままであったり、その支持者達によって固く守られたり、現代医療の代表者達が、伝統的医療を継承する人々にヘルス・ケアを行うことにつ いて何も学ばなかったといった印象を表そうとしているのではない。その逆である。伝統的医療の信奉者たちへ科学的医学を広めることを特徴づける歴史的なか つこれからも引き続いて考えていかねばならない問題であるにも関わらず、より多くの人々は土着の治療者のところへ行く代わりに訓練を受けた医師へ行くよう になるのである。逆に、自分達とは全く異なる社会的、民族的背景を持った患者の中で、医療行為を行っている医師達は、予期されるように、このギャップのも つ意味について、一世代前の医師よりもよく理解している。新しい治療の役割への期待は、医師および患者の双方から学び得るし、また学ばれている。多くの例 で見られるように、トレーニングを積んだ医師は、社会的経済的階級の低い患者や異なった文化的背景を持つ患者と接するにあたり、患者の気持ちによりよく共 感し、理解できるのである。ますます多くの人々が、彼らの質問と指示をできる限り地方におけるものの考え方やその地域の言葉に近い表現でするようになって いる。。
 ゴールドシュミットは、タイのある地方の最近の研究において、医師たちが使わねばならぬいくつかの言葉がたとえ「無礼なもの」として彼らを悩ませるもの であっても、「経験を積んだ医師達は、患者の理解できる言葉を使うように努めること[の必要性]に賛成している」ことを指摘している。一方彼らは、「礼儀 正しい言葉を使うことによって、容易に人々を惑わす間違いを引き出す」ことも心得ている(Goldschmidt 1972:11)。さらに、ゴールドシュミットはまた、観察したタイ人医師の多くが、貧しい患者の社会文化的問題に大きな理解を示し、これらの問題を持つ 患者を一生懸命援助しようとしばしば試みていることも見ている(同書)。
 チンツンツァンでは、現在、村人達はしばしば抽象的に医師への不信を表しているが、同時に他方では、その技術面や患者達に示した親切さについて、個々の 医師をほめ、その出会いに満足を表明している。。

6 専門家としての役割の矛盾

 コーエンは、上述の「官僚的障害」とは幾分次元が違ってはいるが、倫理的かつ政策的なジレンマが、それでもなお全ての人々が望んでいる良い医療ケアをつ くり上げていく上で大きな問題の一部分になり得ることに注意を促している。多くの非合法的居留外人が合衆国では働いており、その数は2億あるいはそれ以上 にものぼる。彼らは貧しく、英語を少ししか話せないかあるいは全く話せない。そして、自分の立場を守るために、非合法な状態がわかってしまう役所やいろい ろなサーヴィスを避けながら自分を目立たないようにしている。これらの人々の多くが重労働者であり、よりよい生活をしようと合衆国にやってくる。彼らは、 違法ではあるが、犯罪人ではない。
 彼らの健康問題は、少なくとも社会経済的に低い階層のアメリカ人と同じくらい重大であるが、そうしたアメリカ人が医療サーヴィスを受けられない事情がい くつかあるのに加えて、法律的に非合法である居留外人は、真相が暴露されることや、国外追放の恐れによっても思いとどまらせる。コーエンは、こうした状況 は、「利他主義の表出やそのようなグループに対して与える形態や機能に関する基本的な問題を起こす」と言っている(Cohen 1973:184)。アメリカ人の中では、ますます(それは未だ普遍的にまではなっていないが)全ての人々が等しく医療サーヴィスを受けられるようにとい うイデオロギーが同意されつつある。しかし、法を破ってこの国に入ってきた人々にそのような医療サーヴィスを提供したら、税金が増えるかもしれないと彼ら は考えるのである。
 コーエンは、多くの医療専門家達が直面する倫理的ジレンマにいかにして対処してきたかについて述べている。彼らは、医療サーヴィスを必要としている者達 に手をさしのべるべきであるという道徳的義務を認識しており、さらに、彼らはまた望ましいクライアントであるのかそうでないのかを区別する官公庁の規定に よってその行動を制限されている。コーエンは、不法入国者達が目立たないような行動をとることが、「自らの職業に対する理想と官公庁のガイドラインに示さ れている社会的規範との間にある潜在的な矛盾からヘルス・ケア提供者を守る」傾向にあると考えている。潜在的に存在する医療サーヴィスを受けることを希望 している人々が自分を隠すことは、専門家としてその理想を十分に実行せねばならないという責任から厚生技官を解放しているように思われる。それは、まだ考 慮中の医療システムを司っている、様々な規則との対立を避けるのに役立つ」(同書:188)。
 不法入国者達は、公衆衛生機関との接触を出来るだけ少なくしようとする傾向があるので、厚生技官は、「良きサマリア人の原則」をどうしても実行せねばな らぬといことからかなり免れる。不法入国者の高い移動性ゆえに追跡調査のための家庭訪問がしばしば無効に終わるので、不満をもつ医療専門家達は、事実、彼 らの問題となる行動を(法的に)正当化するする責任を免れることになる。これらは、倫理的かつ政治的な問題であり、それに関わる全ての人を満足させるよう な解答は、容易には見出せない。

原註
(1)国際的保健計画の歴史的な内容におけるこの点についての検討は、フォスター(1976a)を参照されたい。官僚的保健機構の中で解決可能な問題を探 す代わりに、対象となる人々に対する健康プログラムの中で出てくる問題を扱う傾向は、国際的健康プログラムに限らない。合衆国東部のある大都市であまり医 療されていない近隣保健診療所における研究の中で、ジョーンズは、「その地区の多くの人々を対象とする地域保健政策は、人々がヘルス・センターで受けるひ どい扱い―それは、共通の不満となっているのであるが―により、ある程度説明され得る」ことがわかった(D.Jones 1976:225)。その問題は、当初保健技官には、対象となる集団においては共通の態度に根付いたものと見られていた。しかし、「事情がはっきりしてく るにつれて、問題の一部は、貧乏な人々に対する健康問題の専門家達の態度につながるものであることがわかった」(同書、226)。そして、問題の一部は、 健康な世界が貧しい人々には、どのように映るのかということについての、健康問題の専門家達の単なる考えのなさから生じていたのである。診療所は、「想像 上の」病院として受けとめられており、多くの人々は、病院内に独立した外来患者の診療部門が存在し得ることを信じず、その設置を支援するどのような働きか けもしなかった。他の病院でも、うまくことを運べなかったが、外来診療部門を持つ病院では、そこへ患者を導くようないかなる目印もなかったし、受付けの何 人かですらそのような診療部門の存在を知らなかったし、そのことについて話すのを億劫がった(同書、226)。
(2)健康問題に関する役割について多くの観察者は、医師をも含めて、この図式がその初期においては疑いなく真実であったが、今日では誇張して描かれてい るように感じるかもしれない。医師達は、急性の、あるいは中程度の医学的問題を持つ患者の、診断と処置の多くの部門を他の医療従事者に喜んで委託するだけ でなく、それを希望することさえしていて、その傾向はますます高まっている。変わりゆく看護の役割(第11章)について議論してゆく中で、我々は臨床看護 の専門家達が、初期の頃には、医師によってのみ使われていたICU(集中治療室)での責任をどのように考えているかを知ることができた。「医療助手」の養 成課程もまた、多くの医学校で設けられた。この新しい役割を持つ男女の雇用は、時間を割きにくい医師によりますます受け入れられてきている。看護のような 医療上の実践は、急テンポで変化しており、これは疑いもなく発展途上国における健康ニードの計画に反映されることでもあろう。

訳註
*1 スピロヘータの一種による皮膚、皮下組織、骨などを侵す慢性疾患で、熱帯地方に分布する。フランベジア。




このページは、かつてリブロポートから出版されました、フォスターとアンダーソン『医療人類学』の改訳と校訂として、ウェブ上においてその中途作業を公開 するものです。

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