はじめにかならずよんでください

変貌する世界における人類学と医学—その趨勢とジレンマ

Notes on George M. Foster and Barbara G. Anderson' Medical Anthropolpgy, 1978

解説:池田光穂

 目次

 1  新しい医療システムの受け入れパターン

  1.1 便益の認識—プラグマティズム

  1.2 刷新のための経済的負担

   a  「無償の」サーヴィス

   b  サーヴィスの時間

  1.3 社会的リスク

 2 医療的ケアの選択

  2.1 ヘルス・ケア選択の多様性

  2.2 医療システムは競合的ではない

  2.3 土着信仰と科学的治療との和解

 3  西洋医学の成功

 4 伝統医療の治療者の可能な役割

 5. 増加する代替医療システムの役割

医療人類学

第14章 変貌する世界における人類学と医学—その 趨勢とジレンマ

 前章において、人類学者によって観察され研究された国際保健の問題をいくつか扱ってきた(大部分は保健担当者が定義した)。我々のアプローチは歴史的で あり、我々は人類学者が現在まで調べ、行ってきたことに関心を払ってきたのである。この章では、国際保健について同様の基礎的なテーマを扱っていくが、力 点を過去から現在、未来に起き、健康サーヴィスの消費者と供給者に関する問題と政治上のジレンマについて、疑問点を提起していきたい。そして我々は、特殊 な行動形態を唱道する際に無視されたり、軽く通り過ぎたりされているように見える現在のデータを示し、問題提起をしていきたい。この章で考えるトピックス には、新しい医療システム(もっと適切には、治療者代表システム)を受容へ導くパターンも含まれる。すなわち、ヘルス・ケアを求めるために、どのような手 段が選ばれるか、皆が必要とするプライマリー・ヘルス・ケアを供給することになったような変更の勝利者としての科学的医療の最近の成功、プライマリー・ヘ ルス・ケアの必要性とその接点での伝統医療と伝統的治療者使用に際しての政策的課題、いわゆる代替医療システムの開発とそれ以前の全ての医療システムの関 連についてなどである。

A  新しい医療システムの受け入れパターン

 国際保健問題やケアを必要とする人々へのよりよいケアの提供を考えるときに、我々は伝統医療と科学的医療との単純な拮抗、あるいは両者の強調という観点 から考えてしまう傾向にある。どちらの場合でも、その基本的な仮定は、我々が伝統医療と現代医療という、2つの医療システムしか扱っていないということに ある。これはあまりにも極端な単純化である。もう少しよく考えてみれば、多くの国の人々に利用されているいろいろな医療システムがあり、全てではないにし ても特定の集団が用いているシステムでも急速に成長しているもののあることに気づくであろう。例えば、アメリカ合衆国では、いわゆる確立された医療だけで なく、オステオパシー、カイロプラクティック、様々な民間医療、針療法、心霊主義、その他クリスチャン・サイエンスを含むたくさんの信仰医療が存在するの である。

 これらの治療法の内どれか一つ、あるいは組み合わ せたものを受け入れるときには、色々な因子に左右されることになる。ある患者やグループが一つの医療シ ステムから別のそれへ移ったり、有効なシステムの中から特定のシステムを選んだりするということに関係なく、そこで起こっていることと、個人や団体の全て の刷新とは、同じパラダイムで説明することが出来る。特に次のような場合、人はそれまでの治療法を変えると思われる。

1.治療法を変えることで、彼らが経済的、社会的(例えば地位)、心理的(例えば自己満足)な健康とその他の利益が得られると思われる場合。

2.経済的負担が自己の能力内である場合。

3.社会的負担が想定される利益よりも軽い場合。

 この単純なパラダイムは、公然たる行為や習慣・慣習の変化として理解され、信条体系の変化を説明(あるいは要求)する必要はないのである。事実、これか ら見ていくように保健活動を変化させるには、科学的な根本的が分からなくともできるということは重要である。伝統を重んずる人々は、新しい習慣を古い信念 と調和することにたけている。

 新しい医療システムと実践の受け入れについて、究 明するにあたって、しばらくの間、特に第3世界での科学的医療の成功について考えてみよう。というの は、今まで述べてきたような「障壁」があるにも関わらず、第3世界においては、この種の医療が急速度で勝利を収めてきたからである。事実、この成功は、科 学的医療の普及のために、伝統医療の技術や治療者を用いるときに、考えていく上で有意義な方法である。彼らは、科学的医療が人びとの要求に応じるようには 見えなかったからである。この章の後半で我々は代替医療の成功例をいくつか示し、そうした治療法が一般に普及してゆく意味について議論したい。

1 便益の認識—プラグマティズム

 あらゆる社会において、人々は新しい代替方法を試したり評価する際、刷新することが彼らに利益があるか否かを決定する際には、きわめてプラグマティック になる。これは保健行動に関しても真実であり、そこでは費用便益分析法モードで語ることが出来る。経験的的証拠に基づくと、伝統を重んずる人々が、科学的 医療が今までのものよりも効果的であると考えた場合、あるいは科学的医療を受け入れられるような条件でいく場合、彼らはすぐにそちらに移ってしまう。エク アドルにおける治療医学の受け入れに関して言えば、何年も前にエラスムスが指摘したように、伝統に関する限り、「彼ら独自の民間信仰は、現代的な科学的医 療が経験的な立場から判断されている限り、それに対する抵抗はあり得ない」のである(Erasmus 1952:418傍点筆者)。それに対して予防医学は、その内容が論理的であり、安易な経験的観察が得られないことから拒絶されたということもエラスムス は指摘している。

 他の研究グループによる調査も同じような結果が得 られた。コロンビアのカリおいての108人の下層階級女性の研究で、「生殖・妊娠・中絶については、伝 統や民間信仰が重要であるのに、調査研究中の出産のほぼ55%が保健センターや政府病院で扱われたことがわかった」(Browner 1976:51)。同様のことがメキシコシティにおいて、カシラス・クエルボによって報告された。メキシコ大学のキャンパスの近くにある貧窮地区の都市移 住者の間でも、彼らが治療行為に「多くの」[伝統的な]信仰や知識を盛り込んでいて、それを指導し続けているにも関わらず、他のタイプの医療サーヴィスが 与えられると、彼らはそれを受け入れて試すようになることがわかったのである。彼らは新しい医療サーヴィスを全ての場合に利用し続けるわけではないが、そ れらを試すときにはオープンな気持ちとプラグマティズムがみられる(Casillas Cuervo 1978)。ナバホの人々は複雑な伝統的医療を持ち、彼らはそれに大いにプライドを持っているのに、彼らでさえ「必要なときには、利用できる色々な宗教医 学的な他の方法に対して、きわめて開放的で、プラグマティックで、無差別な態度をとる。白人の医療、伝統的詠唱法、ベイヨーティズム、種々のキリスト教派 でさえも、治してもらうためには、彼らの心の中に代替可能な手段として移るのである」とワグナーは指摘している(Wagner 1978:4-5)。

 ここで取り上げた事項は大部分、治療法について 扱っているが、このことは、個人の意志決定に関する限り、治療医学は予防医学よりはるかに顕著に受け入れ られているということを示唆している。理由は明らかである。科学的治療医学の結果は予防医学のそれよりもずっと簡単に示すことが出来るからである。フラン ベジアや他の危険な感染症にかかった人は、それが抗生物質の投与によって治ってしまっても、これは自分が知っていたどんな薬よりも優れている奇跡の薬なの だろうかと問う者はほとんどいない。重篤な病気が数時間から数日で治ってしまう場合には、原因と結果が簡単に一致するのである。免疫療法や環境衛生の場合 には、病気でない状態の次に、やはり病気でない状態が来るために、原因と結果が容易に一致しない。この事実から分かることは、臨床医学と予防医学を分離す るという伝統的なアメリカの方法は、世界の他の地域では逆の結果を招くということである。予防的処置が治療医学に「覆われて」いる場合や、「一括取引品」 の一部として得られている場合には、予防的処置の有用性が極めて容易に示されるので、簡単に受け入れられてしまうのである。

2 刷新のための経済的負担

 変えたいというモチベーションは決して変更における唯一の因子ではない。ゴール地点までは到達可能であり、負担を払うだけの価値があるに違いないのであ る。ある大学教授が、メルセデス・ベンツをすごく欲しいと思っても、その価格ゆえに、所有というゴールが到達不可能であることはわかっているのである。同 様にして、経済的因子は、科学的医療の受容や拒絶について、かなりの程度まで説明できるのである。医療サーヴィスの「価値」が、少なくとも診察料という形 で、置き換えられるならば、それを利用する者にとってはより注意を引き付ける者になるということは指摘されてきたことだが(例えば、Foster 1962:128-130)、医療費が予想される利益に比べてあまりにも高額であると認められた場合、利用者達は変更を思いとどまるであろう。このことを 考慮しながら、多くの開発途上国での保健サーヴィスは利用者に対して無料であったり、金額がわずかであったりするのである。しかし、無料かそれに近い額で 施される保健サーヴィスも、利用者にとっては決して「無償」ではないのである。

a  「無償の」サーヴィス

 ケアを必要とする患者全てを引き付けることの出来なかった「無償の」サーヴィスの古典的な一例は、結核対策であった。ケニアでは、バス料金が必要なため に多くの患者が診療所まで行くことが出来なかった(Ndeti 1972:408)。インドネシアでは、家族計画サーヴィスが、言葉の上では無償であったが、支出を要する社会的習慣のために、時として十分に利用されな かった。大部分の母親は、子供が4〜5人になってやっと出産制限に関心を持ち始めるのである。彼女達は子供と離れて診療所に行くことはなく、家族計画指導 者に勧められて診療所に出かけるとき、少なくとも幼い子供達は、足を引きずって歩いていかねばならないことになる。従って皆にバス運賃が必要となる。とこ ろが、バスによる外出は確実に「遠出」であり、このようなとき、インドネシア人たちは決まって軽い食料を買う。だから、小さな子供を3〜4人持った母親 は、無償の家族計画サーヴィスを受ける診療所に行くために、1日分の収入を費やしてしまうのである。

 他の付随的なサーヴィスでもサーヴィス自体が無料 であるのに高い出費をもたらすことがある。西ジャワのバンドンの傍らの村は、粗末な泥道を通ってしか行 くことの出来ない険しい谷の底にあるが、女性達は家族計画サーヴィスを受けるために、200ルピーの往復旅費を払って、5マイル進むのにほぼ1時間もかけ ながら、トラックや古びたバスに乗って、保健センターまで登ってゆくのである。そこに着くと、ピルを与えられたり、IUDを装着される前に、妊娠テストを 受けるために150ルピーを支払わなければいけないことを知る。3日後、彼女は再び、200ルピーのお金を払って検査の結果を聞きに来るように言われるの である。2日分の労働賃金のロス200ルピーを加えれば、彼女が家族計画を受けるべきかどうかを単に知るために750ルピーも支払うことになる。この村の 女性のほとんどが、この種のサーヴィスに関心を持たないのは驚くにあたらない。

b  サーヴィスの時間

 非西洋諸国の人々は、「時は金なり」と言うことをあまり意識しないかもしれない。にもかかわらず、彼らはゴールへの到達距離を最短にするように時間を配 分する方法については極めて合理的である。彼らは一つの仕事に時間を食えば、他の仕事の完成が遅れることを十分に知っている。だから、産前・産後のケアの ための保健サーヴィスや他のサーヴィスを政府が奨励しても、たとえそれが彼らが望んでいるものであっても、貴重な労働時間を失うことになる。そこで我々 は、利用者にかかる時間的な負担について言及することが出来る。開発途上国の人々の共通した不満は、政府の診療所が人々にとって不便な時間しか診察をして くれないことである。というのは、ほとんど全ての官僚機関では、診療のスケジュールを、診療される側でなく、診療する側の都合に合わせているために、診療 所は朝の内だけか、あるいは午後早い時間までしか開いていない。

 午後の遅い時間に診療が受けられれば幸いであろう が、ケアを必要とする患者は、開発途上国に多く、彼らは単に運が悪いだけである。彼らが本当に救急医療 を必要としないときであれば、買い物や家族の食事の準備や子供の送り迎えに忙しい女性が、朝のこの時間をルーチンな検査—その価値も全面的には受け入れが たいが—のために犠牲にするのは嫌であろう。随分以前だが、サン・サルバドルの政府の無料産前診療所がほとんど利用されていないことを我々の仲間が調べた ことがある。同じ都市であるのに、夜間同様のサーヴィスを行う私立の有料の診療所の待合い室は満員であった。彼女達が言うには、検査に行くことが出来るの は、夫が帰ってきて子供の面倒をみてもらえるときだけなのである。類似の例で少し変わっているのがモロッコの女性の場合で、彼女達は詮索好きな目を恐れ て、日中診療を受けずに、夜になってようやく女性の医師のいる診療所へ赴くのである。

3 社会的リスク

 「社会的リスク」は、医療システムの変更にしばしば伴う個人の人間関係の再編成や、習慣的な交換パターン、交友関係に帰属する。若い女性ならば、産前・ 産後診断や分娩は村の内外の、医師と看護婦—助産婦チームのある政府の診療所で受けた方が村の産婆の手で取り上げられるよりも望ましいと思うであろう。し かし産婆が、もし自分の伯母であれば、伯母に頼らないことは、個人的な拒絶ととられかねないし、そのことで家族間に大きな裂け目が生ずるかもしれない。マ リオットも同じような「社会的リスク」を報告している。あるバラモンの娘が、マラリアにかかったので、その父と伯父が医師に頼んでキニーネをもらってき た。3日後、医者はキニーネが全く使用されていないことを知った。一家の中で最も権威のある一番年上の伯母が、キニーネを与えることを拒絶したからであ る。かくして西洋医学の治療法が拒否されたのである(Marriot 1955:243)。もし拒否しなければ、伯母が病気よりももっと重篤な家庭内の混乱を引き起こすことになったからである。

 西洋医学によって得られる有利さのために、多額な 金が必要な場合、この種の社会的リスクは伝統を重んずる人々の間では良く見られることであり、このとき 変更は行われない。それでも、現代世界において保健行動に影響を与えるのは、社会的リスクではなく、度重なる経済的負担なのである。例えば、タイでは、医 者—患者関係の主な研究から「病院へ行くか否かの決定は、病気の重さいかんではなく、財政上の問題による」ことがわかった(Hinderling 1973:74)。

3 医療的ケアの選択

 科学的医療を含む新しいタイプの医療的ケアが、保健問題が基本的に大なり小なり、その土地固有のシステムと関連しているようなところの人々に利用される 場合、決断の根底にあるものは、新しいものを受け入れようかそれとも古いものに固執しようかという選択ではない。そうではなく、状況に応じていつでも受け 入れられるような種々の選択(つまり手近にある特定の問題に最も適していると考えられる行動様式)が与えられているのである。このような決断過程の基礎と なる戦略的方法は、「治療実践における手段の階層性」と呼ばれてきた。人々が自分の手段の階層性を作るその方法や、計算の中に持ち込む因子によって、科学 的医療や他の新しい“代替”医療がどれほど伝統的医療を押しやってしまったかについて多くを教えてくれる。

1 ヘルス・ケア選択の多様性

 最近まで、人類学者も国際保健の医療従事者も医療的ケアの決定をたった2つの変数—患者が医者を変えるか、伝統医療の治療を続けるか—によってしか見て いなかった。現在我々は、急速に発達を続ける科学的医療と伝統医療は、驚くほどたくさんの医療的ケアの中のただの2つでしかないということを知っている。 例えば、コスタリカの太平洋側にある人口2万人の町プンタトルレナスでは、患者は「慈善病院の研修医、政府の診療所の医師、個人病院の医師といった正統派 の医師の中から選ぶことが出来る。さらに患者は準正統派として、薬剤師、免許を持つ助産婦、あるいは無免許だが助産婦の同僚などの援助を要求することが出 来る。むろん彼は、正当医学を離れて、ホメオパシーかナチュラリストの治療者を求めても良い。最後に彼は、人間の能力を補充するものや超自然的治療者を必 要とするかもしれない。すなわち、彼の必要とするのは、精霊、聖者、そして神である」(Richardson and Bode 1971:261)。
 同じように、ザンビアのルサカでも、病気の治療のために挙げられた選択要素は、「驚くほど複雑であり、・・・・・血族による診察、白人かインディアンか アフリカ人従業員による診察、部族も言語も異にする雇い主による診察、隣人や友人による診察、・・・・・個人病院・政府病院・診療所を通じて治療を行う 《西洋医学》の医師・看護婦・アシスタントなど」に加えて、ングアンガス(ng' angas)という伝統医療の治療者がある(Frankenberg and Lesson 1976:227-228)。

 そして、インド、タミルナドゥ州のベロルの患者達 は、以下のような徒弟制出身者からアユルベーダや西洋型の医学校出身者まで多岐にわたる範囲の医師の間 から選択しても良いのである。すなわち、キリスト教系の医大病院、政府の病院、地元の霊媒者、悪魔払い、道端や市井の薬草医、様々な訓練を受けた広範囲の 治療者達などである(Montgomery 1976:274)。

 プレスが指摘するように(1971)、人類学者は 現在利用されている様々な医療的ケアの代替品を過小評価しているばかりでなく、少なくとも都市型のケア に関する限り、およそ厳密とは言えない伝統医療の一つのステレオタイプにべったりとくっついて、有害でさえある。伝統医療者に関する固定されたイメージ は、我々みんなが知っている。彼らは患者もその家族も患者の日常生活における個人的・社会的な緊張関係に注意し、身体的徴候の除去に重要な人間関係でのス トレスの除去について考える。このような典型的な伝統医療の治療者は、一人の患者に無制限に時間を費やし、報酬などは全く気にしない、一言で言えば、社会 病理学者と言うことになっている。

 ボゴタの「都市の」クランデロス (Curanderos)を調査したプレスが明らかにしたことは、彼らが伝統医療、民間療法、現代医学などの色々な診断 法を用いていたばかりでなく、彼らが伝統医療者のステレオタイプからもほど遠いということである。プレスによれば、多くの都市に住むクランデロスは、1カ 月に70人ほどの患者を診察し、一人当たり5〜10分で、言葉を交わすのはわずかに1〜2分とのことである。これは社会病理学者の仕事とは全く言い難い。 「もし病が、制裁という社会的ドラマ、文化的同一性、責任からの逸脱などの合図であるとすれば、都市の治療者は主役でもなければ、彼の診療所はステージで もない」(Press 1971:752)。さらに、「あまり例外はないが、ボゴダの治療者は、治すことのプロであり、そのように見られているから、報酬を要求するのである」 (Press 1971:753)。しかもしばしば多額にである。

2 医療システムは競合的ではない

 ヘルス・ケアを選択する際の個々の序列は、様々な医療システム、各々の治療者の個性や人格を背景にして考えるべきものである。治療者の人格や個性につい て次第に明らかにされていることは、少なくとも都市に住む代替医療の治療者達は、伝統医療の治療者に比べて医師的になっているということである。長い間、 人類学者と国際保健の専門家達は、医療システムを競合するもの—特に科学医療と伝統医療—として捉え概念化する傾向にあった。しかしこれは西洋志向の観察 者の心にある自民族中心主義的な考え方である。事実、大部分の患者は、第3世界だけでなく、2つあるいはそれ以上の医療システムの治療をしばしば同時に受 けていても、何の矛盾も感じていない。患者達は、可能な限りの意見とアドバイスを望み、特定の病の扱い方が、自分達の考えたものに最もフイットしたものを 選ぶことを正しい判断としているのである。彼らは自分のかかっている医療システム間の違いやそれぞれの典型について良く知っていて、一連の医療行為がある 場で行われていても、別の方がもっと望ましいと考えることもあるのである。もちろん、治療のための患者の戦略は、しばしば連続的かつ発展的なので、患者達 はある治療者から別の治療者へと渡り歩く。階層性において、重要な役割を演ずるほどの競合は、システム間よりもむしろ個人の内に存在するのである。西洋 型、土着型、あるいは他のタイプの治療者達は、答える資格があると信じられている問題について相談される。

 医療システムの決定は、各々の治療者のタイプを他 のそれと比べて相対的な有意性を計算した後に、冷静な客観性によって下されるものでは決してない。ハサ ンが示しているように、インドの田舎では、村人達は、隣人や親類、同じカーストの者、村の長者のアドバイスに頼るが、時として全くでたらめに選んでいる。 ハサンはラクノウ地区の若い母親の話をしている。彼女の男児が便に血が出たので、近くの診療所へ連れていこうとした。途中で彼女は、村の女に出会った。女 は診療所へ行かないように進め、子供は邪術によって病気になったのだから、医者の薬では治らないと言った。この女のアドバイスに動かされた母親は、祈祷師 のいる村へと戻った。悪魔払いをしたにも関わらず、子供は死んだ。しかし、祈祷師や母親にアドバイスをした女を避難する者はいなかった(Hassan 1967:161)。

3 土着信仰と科学的治療との和解

 多忙なアメリカの医師は、ある特定の処方箋や指示がなぜその患者の主訴を除去するのにふさわしいものなのかという説明にはほとんど時間を割かない。予防 医学の多くの事柄は、人々が「なぜ」と問うことに答えられれば、保健行動はもっと合理的なものになると言う考えに基づいている。我々は、喫煙や肥満や運動 不足などの「危険性」を理解してもらうように人々に「教える」。保健教育もまた、発展途上国において保健プログラムの中で重要であるが、回復とか改善と いった望ましい結果の説明はあるが、伝統医学を重んずる人々を現代医学の方へ導こうとするような西洋の疾病理論の理解を伴っていないのが現状である。重篤 で手の施しようのない病に対して、現代医学の助けを借りることは、科学的な病因説の理解や細菌理論(germ theory)の知識とは全く無関係であることを、グールドはインドにおいて見いだしている (Gould 1965:202)。

 事実、伝統を重んずる人々は、科学的な医療手段と 自分達の病因論体系とを大変うまく結びあわせる。チンツンツァンのドーニャ・ミカエロ・ゴンザレスは、 科学的医学を全面的に信用している。彼女の2人の娘の命は、手術によって救われたし、彼女自身の命も、1回目は糖尿病の早期発見によって、2回目は重症の 心臓病の際に迅速的確な医療的ケアによって救われた。1950年代後半、世界保健機構—メキシコ政府によるマラリア撲滅運動の期間中、ヘルスワーカーは、 血液を分析し、マラリア保菌者と思われる人々に、3錠の薬を与えた。これは採血の後、具合の悪くなったときに飲むようにと与えられたものであったが、マラ リア撲滅キャンペーンの熱心な支持者であったミカエラは、この薬は、採血時に針で開けられた小さな孔から「冷気」が体内に入るのを防ぐものであると信じて いた。彼女の熱—冷信念体系は、現代の薬物によっても揺り動かされることなく、代わりに、新しい薬を正当化して、その効果を強めてさえいるのである。ラテ ン・アメリカのある村では、微生物の理解は進みつつあるけれども、科学的医学が治すことの出来る病を原因とするものとして考えるようになっている。しか し、怒り、恐れ、妬み、羨みによって生ずる邪視や病に対しては、微生物とは無関係であると思われている。確かに彼らは、ほとんどの病の根本にある冷—熱と いう基本的な2分法を捨てることはしない。

 自身の医学や健康に対する考え方が一番正しいのだ という信念は、特定の集団にとって最も重要なシンボルの一つであり、この信念を通してエトス、特殊性、 生命の源などを説くのである。従って、伝統的な健康観を捨て去ることは、新しいタイプの治療法を受け入れるよりもずっと大変なことである。それは、集団の アイデンティティや、ものの見方に対する大きな支えを失わせることを意味する。ここで、新しいものを受け入れると同時に、古いシステムに対する信念をも正 当化するために、あらゆる形の適応と合理化が試されるのである。チンツンツァンでは、こうしたことに喜んでお金を使う人の大部分は、科学的医療を行う医師 に移るが、それでも自分達の病因論と治療法に対する信念は、相変わらず堅固である。「あなた方は伝統医療が最上のものと確信しているのに、どうして科学的 医療の医師の元に行くのですか」と、フォスターはしばしば尋ねた。彼らはフォスターの純真さに驚きながら、こう答える。「なぜかって、一度医者の前に身体 を投げ出して注射を打ったり、薬を飲んだりしたんだ。もう伝統的な治療法には身体は反応しないさ」。科学的医療を行う医者の治療が、伝統的な治療に反応す る身体の能力を破壊してしまったのである。彼らは新しい治療を続けるしかない。だが、それでも今までの医療に対する信念は不動である。デワルトは、科学的 医療の医師が治療者になっているメキシコ州の別の地域でも、同じような合理的説明が試されていることを報告している。今までの治療法に対する信念は、堅固 なままであるが、「病気は今や変わった。薬草に従う必要はもうないのだ」(以前は効果があると信じていたものでも、もう信じることはない)とインフォーマ ントは説明している(DeWalt 1977:11)。

C.  西洋医学の成功

 伝統社会へ西洋医学の導入を扱った医療人類学的文献の多くは、時代遅れであり、もはや今日的ではない。人類学者が、現代医学の受け入れに対する文化的な 抵抗をドキュメントしたり、現代医学のサーヴィスが基礎としている考え方の不備を見つけ出している間に、多くの人々は、この医学を十分に受け入れたのであ る。適度に優れた科学的医療が、患者の受け入れるような経済的・社会的条件で利用されれば、こうした医療サーヴィスは熱心に求められるのである。例えば、 1970年、台北の250人の大学生と、南台湾の60人の労働者・農民の調査では、彼らが西洋医学に強い興味を示していることが明らかにされた。大学生の 内で、77.5%が、最初に西洋医学を頼みにするか、あるいは別の医療システムを合わせて選んでも、西洋医学を優先的に求めると報告している。労働者と農 民における西洋医学志向は、さらに驚くべきことで。92.2%が西洋医学を熱望している(Unschuld 1976:312)。

 伝統医療の治療者(あるいは無免許医)のたくさん いる香港でも同じような傾向があることが報告されている。このリーの報告は、明らかに伝統医学志向・現 代医学批判を打ち出しているが、「大部分の住民は、西洋医学の訓練を受けた医者に意見を聞きたがる」とも言っている(Lee 1975:400)。患者は、西洋医学で用いる薬や治療法の方が、「強壮剤」は別として、予防医学と治療医学において漢方薬よりもずっと効果的であると信 じている、と報告している。中国医学に対するはっきりした志向は、リューマチ、捻挫、骨折—歴史的な殺人者ではないものばかり—においてのみである(同 書、400)。

 同様に、モンガレロの北、インド洋上にある人口 9000の町コタでは、「身体的な病を持った患者達の多くは、最初は現代医学の医者に診てもらって、彼の 治療がすぐに効果を現さないときは、次に伝統医学の治療者の診察を受ける、というのが現代の風潮である」(Carstairs and Kapur 1976:66)。この選択に見られる理由は、学校でも教わった合理主義と医療従事者の影響力というものを内包しているが、「しかし、現代医学の多くの有 益な効果が、伝統医学の治療者の能力をさらに疑問視させているのである。・・・・・そして、伝統医学の治療者が、病の場合、最高の救い主であるということ に同意するものはあまりいない」(同書)。このパターンは、インドの多くの人々を特徴づけている。バナージとその共同者達による調査で、「医療的ケアにお ける主要な問題に対する反応は、西洋医療システムを支持していることがこれは社会的・経済的・職業的・宗教的見解とは無関係である。このような医療サー ヴィスの利用と患者が費用を払い得る能力とは2つの主要な強制的因子である」と報告している(Banerji 1974:6 傍点筆者)。さらに彼は、民間医療やホメオパシー医学の治療を受けている人の例をたくさん挙げているが、「大きな病気にかかった人の中で、効果的で簡単に 利用できて、受け入れやすい西洋医療システムを積極的に拒絶して他の治療法を好んで選ぶような人は、ほんのわずかしかいない」(同書、7)。

 類似のパターンがタイのバンコックにもあって、そ こでは西洋医学の医師が最初に治療者として選ばれ、それがうまくいかなかったときだけ、伝統医学の治療 者の助けを借りるのである(Boesch 1972:34)。現代のチンツンツァンでも、選択の構図は、同じである。30年前、西洋医学の医師はほとんど知られていなかった。だが今日多くの人々 は、たとえお金がかかっても、最初に彼らの診察を受け、患者達が現代医学に期待していたような奇跡を彼らが起こせなかったときだけ、クランデロスに変更す るのである。

 ガーナのボーノでは、様々な理由で病院や診療所が もっと良く利用されている。病院のサーヴィスと便利さが、伝統医療システムのそれよりも優れていると思 われることが多い。一つには、民間医療の治療者は、しばしば専門化されているので、患者は自分の病気を治してくれそうな治療者を求めて長い道のりを移動す ることになるかもしれない。それに対して、病院は便利な場所にあって、サーヴィスも完全であるため、専門的な治療者を求めて長旅をする必要もない。さら に、僧医は神に決められた日、普通は週に2〜3日しか働かないのに対して、病院は毎日利用できるし、救急の場合は夜でも構わない。病院の薬が患者を引き付 けるのは、一般の民間治療薬と違って、既に薬が調合されているので、見つけにくい薬草や樹皮や根を求めてあちこち探し回ることもないし、いつも時間のかか る調合をする必要もない。最後に患者は、伝統医療の治療者がするように個人のプライバシーを公にされることが、病院ではない(Warren 1974-1975:33-34)。以上のことから、ボーノの患者達は、しばしば伝統医療よりも科学的医療の方を選ぶのである。

 ラテン・アメリカ人の間でも同じような傾向が見ら れる。例えば、パスタニッチのユカテク族の保守的なとうもろこし農場では、村人の多くは土地のクランデ ロスに診てもらうのである。それにも関わらず、「それを完全に利用するわけではない。村人は1年の間を通じて、クランデロスよりも多くの費用を医師に払っ ている。たとえクランデロスの診察代が医師の処方箋よりもずっと安くてもである」(Press 1975:196)。東ロサンゼルスのメキシコ系アメリカ人の精神疾患調査では、もっと驚くことに、精神疾患のようなものには、伝統的なクランデロスを利 用するという信念が深く根ざしているにも関わらず、「その重要性は大きく低下している。民俗学的観察と正式な面接の両面から、東ロサンゼルスのメキシコ系 アメリカ人にとって、精神疾患の治療にふさわしいのはクランデロスではなく、一般の医師であることがわかった」(Edgerton et al. 1970:133)。

 要約すると、優れた科学的医療が伝統医学を重んず る人々に利用されるとき、それが親しみやすく協調的なものに与えられ、患者の払える価格で、時間的にも 場所的にも便利であれば、科学的医学は伝統を重んずる人々に第1の選択となる。

D. 伝統医療の治療者の可能な役割

 発展途上国において、西洋医学の受容ということが、(厚生省の定義したように)「いかにして政府の病院や診療所をすすめるか」と言った「問題」ではもは やなくなってきているというのが実状である。問題は、増え続ける需要に追い続けるだけの供給が不十分であるということである。健康のニードを満足させるよ うな専門職員の十分な供給は、現在も近い将来においても無理であろう。問題解決の一つとして、予備のヘルス・ワーカーを広く用いるという手もある。少し前 のイギリスやフランスの植民地では、その土地のものが「手当係」(dressers)や“補助看護人”(infirmiers auxiliaires)として訓練され、地方の診療所のスタッフになったり、訓練の程度によって、簡単な分析検査を含む種々の治療業務を行ったりしてい た。ナバホ・インディアンでは、「ヘルス・ビジター」が公立病院の看護婦の監督下で働いている。それによって、彼女は役割を果たす能力を十分に広げてい る。そして現代中国では、地方の「はだしの医者」(barefoot doctors)が、重症の患者はもっと訓練された医療従事者の元に送るという紹介システム(referal system)の中で、第一線の治療者として働いている。(1)

 これらの例、あるいは同様の例からわかることは、 準専門的な医療従事者は、正式の保健施設のメンバーである(あるいはメンバーであった)ということであ る。彼らは質の高い教育を受け、報酬をやりとり、移民や部落や国家の保健サーヴィスの一員として正規に組み込まれているのである。しかし、伝統医療の治療 者及び治療法に関する限り、発展途上国の保健サーヴィスに対する彼らの公的態度は、無視するものから公然と反対するものまで多岐にわたっている。極めて稀 であるが、インドのアユルベーダ医学には、土着の医療システムがあり、その治療者は政府に正式に奨励されている。インドでさえ、アユルベーダでない広い層 の「民俗」医療は、政府によって無視されたのである。

 しかし、現在、民間医療とその治療者に対する昔か らの無視や反対は、政府の保健サーヴィスにおいて、伝統医学の原理や内容を出来るだけ活用しようという 関心の方へと道を譲っているのである。1970年代の初めに、WHOとUNICEFのような国際連合機関が、家族計画プログラムの補助役として、伝統的な 助産婦を用いたり、全国民にプライマリー・ヘルス・ケアを広めるための正式の計画において、民間医療の治療者を考慮に入れたりし始めた。こうした関心は、 第29回世界保健会議(1976年5月)で可決された決議文の中で正式に認められ、伝統医学とその治療者を適切に登用するプライマリー・ヘルス・ケア・プ ログラムを進めていくように各国に要請された。さらに、この要請に対して、1977年1月、テキサス州エルバリで開かれたパン・アメリカン保健機構主催の ワークショップにおいて正式な手続きがなされ、国民の健康のニードに一致するような代替医学の治療システムの役割と有用性についての調査が、メキシコとア メリカの人類学者に要請されたのである(B.Velimirovic 1978)(2)。

 伝統医療の治療者を認めるかどうかは重要な問題で ある。なぜならば、人の能力の問題に加えて、ある国の全てのヘルス・ケアのニードを完全に満足させるよ うな科学的医療システムはないという事実があるからである。ヘルス・ケアシステムが高度に発達した国においてさせも、ある条件で、多くの人々がカイロプラ クターや信仰治療者、薬草医などの非体制医療の助けを借りることがある。医療ケアの「代替」形態は、少なくとも一部の人々にとって、臨床医や関連ケアサー ヴィスでは満たされないような社会的・心理的、そしておそらく身体的なヘルス・ケアのニードを満足させる。
 民間医療の治療者の支えとなっている社会心理的な機能を特に考えるとき、人類学者達は、非西洋医学のポジティブな面に驚かされる。一方、臨床医達は、一 部の伝統医学の治療法の危険性を指摘し、伝統医療の治療者は治療が複雑になると、患者の生命が危うくなり、専門医に送るのが遅れるという事実にも言及す る。このように異なった見解が、ハリソンによって示された。ハリソンは、「再訓練」された伝統医療の治療者達が、ナイジェリアの保健提供システムの重要な 構成要員になっていると信じている。しかしながら、ハリソンと議論したナイジェリア政府の人々は、伝統医療に対して比較的好意的な精神科医は除いて、伝統 医療者の価値について懐疑的であると指摘している(Harrison 1974-1975:12)。

 伝統医療の治療者を国の正規の医療サーヴィスに組 み込むという考えに対して、否定的な見方が広く行き渡っているにも関わらず、特に土着の助産婦が専門家 として用いられることもある。とうのは、通常大部分の出産は、「正常」であり、主要な問題は、(1)助産婦達に衛生的な方法を教えること、(2)難しい ケースは、政府の保健サーヴィスへ送るということ、の2点なのである。少なくとも、1950年代初期から、エルサルバドルの村の助産婦達は、政府に認めら れ、訓練を受けるようになった。ナバホ・インディアンの間では、土着の助産婦に、同一の訓練を施すことで、小児と母親の死亡率が減少した。また、土着の助 産婦達がタンザニア(Dunlop 1974-1975:138)やリベリア(Dennis 1974-1975:23)で、政府の保健サーヴィスに組み込まれるようになったし、おそらく他の多くの国々でも同様のことが行われているであろう。

 精神疾患も、伝統医療の治療者が正式に承認される 第2の領域である。精神科医のランボーは、仲間達とで作った治療のための「村」について述べている。患 者はそこに送り込まれる。伝統医療の治療者と彼との「非正統的な共同」について、彼は次のように書いている。「人と社会環境を科学的に理解するためには、 他の分野との密接な共同の中で働くことであり、そして西洋医学の基準からは《専門》とはあまり言えないような者達とも公平に、持続的に専門間の共同体を作 ることが大切であるということを、アフリカにおける長い治療を通じて発見したのである」(Lambo 1964:449)。ランボーは、土着の治療者との共同によって、ナイジェリアにおける精神疾患の精神病理学的・精神動力学的な理解、特に社会文化的変動 制に関する理解に役立つと感じたのである。さらに、プロジェクトに登用された伝統医療の治療者達は、患者を扱うことにかなりの経験を有していたのだった。 「彼らは、我々のガイダンスの下で、村の患者達の社会的活動・グループ活動を管理し、指導したのである」(同書、450)。

 土着の助産婦を国家の保健サーヴィスに組み込むこ とが、いくつかの国で成功したにも関わらず、また土地の精神科医を用いたことで得られた有益な結果にも 関わらず、土着の治療者を、科学に基礎をおいた保健サーヴィスに全面的に組み込むことは容易ではない。助産婦の例は特別なケースであり、他の民間医療の治 療者のモデルとしては、使えないのである。妊娠には診断は関係ないからである。土着の助産婦と臨床医は、「病」の原因・経過・結果についての見解は一致し ている。もし土着の助産婦達に、衛生学を教え、難しいお産の場合は、もっと高度に訓練されたい者に送ることを支持すれば、明らかに低費の保健サーヴィスに 貢献することになるであろう。西洋社会において、非器質性精神疾患の治療が外科や急性感染症の治療ほど、科学的ではないとされているので、ランボーが見い だしたように、土着の治療者が正規の保健サーヴィスで重要な役割を演ずるだろうことは納得できるのである。

 他の病に関しても、土着の治療者と近代医学の医者 の共同作業は、より難しい問題を含んでいるが、共同作業が成功した例もある。ナバホでは、国立精神保健 センターが医療従事者のための訓練校設立に25万ドルを費やしたが、薬草療法を用いて、敗血症患者やガラガラヘビに咬まれた者を治した「歌手」のケースが 報告されている(McDowell 1973)。それにもかかわらず、ナバホでは、精神科領域において、伝統医学の勢力の方が強いのである。幸いナバホ族の多くの人々は、自然と調和して身体 的な徴候を治すシンガーと同時に、近代医学の医師の治療も受け入れている。近代医学の医師は、因果関係の第1のレベルに関する者として考えられ、歌手は第 2のレベルにランク付けされている。各々が相手を受け入れている限り、患者は利益を得ることになる。しかし、結核を扱うときに、歌手が最初に担当すれば、 患者はそれほど良くならないであろう。これは、プライマリー・ヘルス・サーヴィスにおいて、土着の治療者を広く用いるときの大きな問題点である。近代医学 の医師と土着の治療者が、病因・予後・適切な治療に関して全く異なった見解を持っているとき、ナバホのような特殊で非典型的な例を除いて、いかにして両者 が共同するのだろうか。土着の治療者が「邪視」とか「憑霊」という言葉を使ったり、生の鶏卵で患者の身体をこすったり、儀式的舞踊や悪魔払いをしたりする ことをすすめる際、近代医学の医師が、連鎖球菌性咽頭炎や血液疾患ではないかと思っているのに、2人がどうして力を合わせることが出来るのであろうか。

 土着の治療者の医療技術を正規に利用することにど んなにメリットがあっても、この考えは、実践ではほとんど進まなかった。この問題は解決する必要はない であろう。というのは、これまで研究したり、意味を考えられたりしなかった次の2つの仮定を基礎に置いているからである。

 1. 伝統医療の治療者は過去においてと同じ技術を持ち、同じ数だけ算出され続けるだろう。

 2. 伝統医療の治療者は、政府の正規の健康プログラムに組み込まれたいと思っている。

 最初の仮定に関していえば、世界の大部分において社会的・経済的・教育的変化が極めて早くやってくるので、今日の伝統医療の治療者の(比喩的な言い方で の)子や孫達は、両親や祖父母と同じ役割を演ずることはほとんどなくなってきている。代わりに、既に彼らは、より魅力のある2つの選択に迫られている。一 つは現代医学を学んで、医学校・看護学校や他の政府の保健施設で訓練を受けることであり、もう一つは、他に言い方がないので我々は、「代替」医療と呼んで いるが、その治療者になることである。代替医療の治療者にはたくさんのタイプがあるが、最も重要な治療者は、信仰治療者(特に精霊主義者)と「注射医」 (injection doctor)である。注射医は普通、正規の医学教育を受けておらず、処方薬が管理されている地域では権威がないが、皮下注射を得意とする人々である。 

 伝統医療は、第3世界の職務としては、ますます魅 力のないものになってきて、過去と同数あるいはヘルス・ケア・サーヴィスに十分な数だけ伝統医療の治療 者がいないし、これからも増えないだろうという考えを示唆する最近の証拠がある。職業としての伝統医療に対する興味の低下は、例えばインドのコタにおいて はっきりと見られ、そこでは23人の治療医のうち、19人までが子供の継ぐべきものとして世襲制となっている。彼らは現代医学の成果を知っているが、同時 に自分達の治療法が臨床医の与える薬の効果を「強くする」と信じていて、現代医学に重要な役割を演じていると思っている。「しかし彼らの誰一人として、子 供に自分の足跡を歩ませたいとは思っていない。“時代は変わった”と彼らは言っている」(Carstairs and Kapur 1976:65)。

土着の治療 者の現象については、人類学の文献で良 く報告されるようになってきた。グァテマラのアィトラン湖畔にあるサンペドロ・ラ・ラグナでは、 1941年当時15人のシャーマンがいたが、1974年にはその内の12人が死亡し、資格の不確かなもの一人が、33年ぶりに治療を始めた(Paul and Paul 1975:718)。近くのサン・ルーカス・トリマンでも状況は同じようである。ウッズとグレイブスは、1966年の調査の結果、「年輩のインフォーマン トは、25年前に36人の土着の治療者がいたことを覚えているが、1966年にはわずか13人のシャーマンがいただけであり」、専門家としてのシャーマン は一人もいない、と報告している(Woods and Graves 1973:12)。同様のことが、エジプトのナッサー・ハイダムの下方に住むヌビア人達の間でも報告されていて、土着の助産婦が少なくなって、一人の助産 婦が死ねば、「跡を継ぐ娘も親戚も誰もいない」ということであった(Fahim 1975:15)。さらに、ボツワナでは、伝統医療の治療者の役割を補充することが、職業としての伝統医療とは相容れないような正規の教育によって、難し くなってきている(Ulin 1974-1975:123)。チンツンツァンでは、過去15年間、医師や看護婦になった若い人々がたくさんいるのに、新しく助産婦やクランデロスになっ たものは、30年以上現れていない。

 現代の保健サーヴィスに伝統医療の治療者を採用す ることの問題が、メキシコの低所得社会で、調査をしていたカシラス・ケルボによって提出された。専門の クランデロスは、しばしば考えられるほどたくさんはいないことがわかった。パートタイムで治療をしている女性が伝統医療の治療者の最も一般的なタイプで あったのである。注目すべきことは、クランデロスの需要は、それほど狭められていないと彼女が感じていることであり、もっと興味あることは、貧しく、教育 をほとんど受けていない彼女達が、近代医学の医師に教え、子供のケアと授乳について、アドバイスを与えているのである(Casillas Cuervo 1978)。

 伝統医療の治療者が政府の正規のプログラムに組み 込まれることを望んでいるのかどうかということについての知見はほとんど得られていない。我々の調査で は、土着の助産婦はより高度に教育された医療システムへの参入を希望、あるいは熱望しているように見える。メキシコ系アメリカ人の住むテキサスにおいて も、助産婦の養成を制度化し、昇格させるように計画されたプログラムに組み込まれたものがいる(Schreiber and Philpott 1978)。これとは対照的に、クランデロスが、ヘルス・ケアの専門家の彼らに対して示している態度に懸念を表明したり、共同してやってゆくことに明らか に懐疑心を抱いていたりすること を、チェニーとアダムスはヒュウストンでの調査によって見出している(Cheney and Adams 1978)。アルバラドは、アメリカ南西部の土着の治療者に対して、極めて共感的であるが、彼らの大部分が、国の医療システムに組み込まれずに、独自の体 系で、非公式なあるいは個人的な治療をしているに違いないと考えている(Alvarado1978)。

 伝統医療の治療者の採用を支持する主な論拠とし て、彼らが一般に年長者であり、仲間に大変尊敬されていて、治療を受けている人々に信頼されていることが 挙げられる。だが、この推論さえも問題にされねばならない。国立インディアン研究所が、メキシコのチアパスのツェルタルとツォツィルのインディアンの中 で、保健活動を始めた時、土着のシャーマンは当然新しいヘルス・サーヴィスに組み込まれ、訓練を受けるものと思われていた。ところが、新しいプログラムを 計画した人類学者も医療従事者も驚いたことだが、この計画に対する強い抵抗がシャーマン達だけでなく、大部分の人々の間からも起こったのである。シャーマ ンを含む、地位の高い年配者は、社会文化的な変化を持ち込む最も効果的な仲介者とはならないことがわかったのである。結局、中国の裸足の医者の場合のよう に、プログラムは、「ヘルス・プロモーター」のような若くて教養のある保健補助員に委ねられたのである(Aguirre Beltrn 1978)。
 
E. 増加する代替医療システムの役割

 人類学と医学の双方の文献において、ヘルス・ケアの「問題」を考えるとき、2つの医療システムに関してしか言及しない傾向がある。すなわち西洋医学と伝 統医学である。その「問題点」は、我々が見てきたように、多くの疑問を生じさせる。すなわち伝統医学を重んじる人々がどのように西洋医学に移っていった か、2つのシステムがどのように共同しているか、もし共同しているなら、非西洋医学の治療者が公式な保健システムにどのようにして取り込まれたか、などで ある。実際こうした見方はあまりに問題を割り切りすぎていて、結局、非現実的な仮定のもとに政治的決定がなされてしまうのである。

 現代のヘルス・ケアの場において、最も驚くことの 一つは、伝統医療のシステムと治療者が、その様式を固持せずに、現代医療の世界とその方法に適応してい る伝統的な(あるいは新しい)患者の期待に応えるように、病因論・治療法・儀式を適応させていくその活力である。現代の代替医療システムの中では、精霊信 仰と他の信仰医療がおそらく最も重要であろう。マックリンが最近指摘したように、現代新世界精霊信仰(それに心霊術)は、ヨーロッパに長く存していたイデ オロギー的要素から起こったのである(Macklin 1974a)。ラテン・アメリカ型の精霊信仰は、フランス人レオン・デンザース・イポリット・リバイユ(1804ー1869)の影響によって、ほとんど完 全なものに作り上げられたようであった。彼は、アラン・カルデックのペンネームで一連の著作を発表したが、それらは、スペイン語圏の国々に広く分布し、今 日でも読まれている(同書、388)。

  精霊信仰(心霊術)は、シャーマン治療と同系ではないが、その類似点(精霊の存在を信じ、トランス状態に入って死者の霊と交信することなど)は注目すべき である。この意味において、精霊信仰は、人を媒介として、人を傷つけるかなり一般的な霊の存在を構造化し、パターン化し、認定する文明側の試みであると見 なすことができる。ラテン・アメリカでは、特に心霊術による治療が近年大幅に流行している。これは少なくとも新しく都市化された土地の人々が、健康と精霊 を必要としていることを表している(Harwood 1977, Kearney 1978, Kelly 1961, Koss 1975, Macklin 1967; 1974a; 1974b; 1976, Rogler and Hollingshead 1961)。

 メキシコとアメリカの境界線に沿って発達している 代替医療システムとしての精霊信仰の重要性は、1977年エル・パソ・ワークショップで扱われた論文の 数からも明らかである。また、アリゾナのツクソンでは、メキシコ人とメキシコ系アメリカ人の住民達の間で最も名高い治療者は、伝統的なクランデロスではな く、クロエ(3)という黒人女性で、彼女の治療法は、ヴードゥ信仰によっている!(Kay and Stafford 1978)。エル・パソとチウダト・ユアレ(ファレス市)との国境領域では、心霊術者と他の信仰医療の治療者が、代替医療の主要な治療者となっている (Agirre 1978)。南テキサスの小集団に対するアルコール・カウンセリングに関する最近の研究でも、信仰医療の重要性を明らかにしている。著者達は、クランデロ スという語を用いているが、伝統的なメキシコの治療者のことを言っているのではないことは明らかである。というのは、治療者においては、霊媒と連絡し合っ て、治療者の心から患者の悪い部分への精神エネルギーを送り込んだり、「悪い振動」(negative vibrations)を取り除くために、身体を洗う儀式を行ったりするからである(Trotter and Chavira 1978)。

 クランデロスや薬根医(root doctors)やスピラトス(spilatos)やアメリカ少数民族の伝統医療の治療者、自然主義的病因論を支持する薬草医や家庭医を犠牲にしてまで、 精霊信仰、信仰医療、その他の宗教的治療法の重要性がなぜ増してきたのかは、あまり明らかではない。しかし、こうした流れに影響を与えている2つの要素が 考えられる。一つは融合の結果、以前の世代の薬草医や家庭医の治療法から、アスピリン、ビタミン、ゲリトール他の法規外の薬物に置き換わったのではないか ということである。

 第2に、矛盾することだが、近代科学における薬物 の成功が、現代の超自然的治療法の成功を説明するのに、大いに役立つのではないかと考えられることであ る。つまり、近代科学の生んだ薬物は、流行する感染症、子供時代の苦痛、多くの病気に共通する不快感などの面で、大多数のアメリカ人を満足させるだけのも のを持っているのである。近代医学の医師は、病気にかかった多くの人々にとって、第1の頼みであり、多くの病気に対してその治療は効果的である。だが、い つもそうとは限らない。多くの慢性病・心身症・精神疾患に対する医師の回答は、必ずしも満足のいくものではない。近代医学の治療法を拒絶するような病気 は、超自然者の治療に委ねられることになる。この場合、伝統的な治療法は、ほとんど用いられることはなく、もっと強力な方法を持つ治療者へと移行させられ ることになる。マリノフスキーがずっと昔に指摘したように、支配される程度が弱いほど、呪術の方へとすがる傾向が強くなるのである。これは、現代アメリカ の超自然的治療において起こっていることであろう。

 世界の多くの地域で、土着の治療者の絶対数が低下 していることは注目すべきことであるが、治療を続けている多くの者は、近代医学の要素を真でも偽でも自 分の治療法に取り込むことで、患者を維持しておくことに成功している。世界の大部分で、土着の治療者は、普通、新薬のために免許のある薬剤師を使ってい る。抗生物質は、処方箋なしで売られてもいるが、伝統医療の治療者や、特別な技術を持つ村の「注射医」(injectionists)が処方して投薬して もいる。「注射医」という用語は、カニングハムがタイにおいて、作り出したものだが、最新の伝統療法を表すのに、普通に用いられるようになった。カニング ハムがタイで見つけた「注射医」は、もとは「村々を渡り歩くもの」とか「半都会人」であり、稀にだが、伝統的な医療とつながりがある。彼らの力は、抗生物 質の呪術に依存し、患者達はプラグマティックであり、治療者がどれだけ治すことが出来るかということに注目している。年輩の「現代医学の」医師と、「過去 の医師」(すなわち伝統医療の治療者)とはしばしばお互いを尊敬し合い、お互いの能力を認め合っているが、注射医に対しては、商売敵として嫌っている。

この競争の影響は、カニングハムが調べた村において 明らかであり、そこでは、4年以上の期間で82所帯、133人の例を調べた結果、政府のヘルス・ステー ションでの治療が102件、注射医によるものが101件、「過去の医師」によるものはわずか6件であった(Cunningham 1970:6-8)。伝統医療の衰退と現代医学及び代替医学の増加を説明するためのもっとはっきりした事実は、なかなか見出せない。

 抗生物質で武装した注射医は、患者を救いもする し、殺しもするが、いずれの場合でも、彼らは心理的な支えを越える何かを持っている。これはメキシコシ ティでバルガスの見つけた魅力ある「偽(にせ)医者」のことを言っているのではない。偽医者は、エックス線がメキシコのポピュラーな医学の場から作られた ということを良く知っていて、自分の治療器具を中古車から作り出していた。患者がライトの前に立つと、モーターが大きな音を立てて動き出し、「感光板」が 別の機械から落ちてくるので、それを車の前に立っている患者の傍らに吊すのである(Vargas 1978)。

 ランディは、この過程を説明するのに「役割適応」 (role adaptation)という語を用いているが、これによって、科学的医学から真でも偽でも色々な要素を取り入れることで、伝統的医療を最新のものとして いるのである。役割適応の概念は、両義的な面を持つ。一方で、「適用」は変化し得る能力を持っている反面、ランディが指摘するように、伝統医療の治療者 が、どんなに柔軟性を持っていても、彼らは文化的には保守的であり続けようとするのである。彼らの役割が、科学的医学の治療者のそれに近づけば近づくほ ど、彼らの役割は、弱点の多いものとなっていくのである。また、状況の変化に直面しても、役割を保持していくための土着の治療者の適用戦術は、「自分の役 割が保持できて、同時に既に立ち入られた文化への阻害を最小限にとどめるような変化を選ぶということに重きを置いている」(同書、118)。しかし、代替 医療の戦略としての、劇的な成功を収めている例が少なくとも一つある。それは科学的医学を支配し、変更を受けた伝統的医療によって治療し続けているのであ る。日本の伝統的医療の異型であり、現在も発達している漢方がその例の一つである。漢方成功の理由の一つが、漢方の治療者が、「最初に現代医学を学んで、 次に医師の国家試験に合格しなければならない」からだと言われている(Otsuka 1976:335)。このような「伝統的」な治療者を、メキシコのクランデロスやシベリアのシャーマン、心霊術師などと比較することは出来ない。

 現代医学と今まで記載してきたような代替医療との 両方によって、とって代わられた伝統医学というものは、世界中に広く見られている。だから、国の保健 サーヴィスで伝統医療の治療者がどんな用いられ方をしているのか尋ねることは、不十分で偏った質問である。正確には、いかなる形態の代替ヘルス・システム とその治療者が正当のものとして認められ、いかにしてその成果が、政府の保健サーヴィスに取り込まれるか、という質問になる。全てのヘルス・ケア・システ ムというものは、それを選んだ傷病者のニードと期待に合致するものである。そうでなければ、そのシステムは生き残ることが出来ない。あるケースが心霊療法 の中心的な治療価値を持ち得るような良い例であれば、もっと伝統的な治療法にとっても有用な例なのである。そのケースは、メキシコのエックス線治療者の役 に立つことにもなるのである。そして、もし現代医学の外部由来の治療法や治療者を正規の保健サーヴィスに取り込むことを考慮すれば、あるシステムがより古 いとか伝統的だという理由で、それが結果的に良い治療法でも別の方を選択するということは独断的であるように見える。だが、それは十分に起こりうることで ある。プライマリー・ヘルス・ケアのニードに応えるような伝統医療やその治療法の役割について真剣に考えているプランナーであれば、手技による心霊術や他 の代替医療を拒絶するだろう。理由はなぜか?プランニングと政策の段階で、伝統医療の見える機能と見えない機能をはっきり区別してしまうからである。今日 第3世界に置いては、伝統医療はナショナリズムの最も強力なシンボルの一つであり、文化の深さとそれを担う者の才能の証となっている。それ故に、伝統医療 は魅力的である。現代の代替医療は、こうしたシンボリックな価値を欠いていて、それを必要とする人々を助けること以外、何の役にも立たない。

 結論として、近い将来リップ・サーヴィスが大いに 用いられることで、伝統医療とその治療者に利益を与えるのではないかと思っている。しかし、それが国の サーヴィスの発展に与えるインパクトは極めて小さいであろう。

原註
(1)合衆国での一般的見解に反して、中国の裸足の医者は、普通、伝統医療の治療者ではない。彼(時として彼女)は、イデオロギー的に結ばれた共同体に よって選ばれた若者であり、必要であれば喜んで時間外でも働き、数週間から数カ月間基本的な訓練を受けたものである。一方、裸足の医者は、科学的医療と同 様伝統医療も用いるように努力する(Hsu 1974, Sidel 1972)。そのモデルが、他の発展途上国にも適しているかどうかについては、反対意見がある[「中国の《裸足の医者》は、イランに輸出できるか」 (Ronaghy and Solter 1974)参照]。

(2)正規の保健サーヴィスにおいての土着の医療と 治療者が現在の世界でどのようなステイタスを持っているかについては、エル・パソの論文集の中のポリス とヘルガ・ベリミロヴィクの総説に詳しい(B.Velimirovic and H. Velmirovic 1978)。

(3)これはスノウ(1973)が報告しているもの と同一の女性である。

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このページは、かつてリブロポートから出版されまし た、フォスターとアンダーソン『医療人類学』の改訳と校訂として、ウェブ上においてその中途作業を公開 するものです。

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医療人類学
第14章 変貌する世界における人類学と医学—その趨勢とジレンマ

 前章において、人類学者によって観察され研究された国際保健の問題をいくつか扱ってきた(大部分は保健担当者が定義した)。我々のアプローチは歴史的で あり、我々は人類学者が現在まで調べ、行ってきたことに関心を払ってきたのである。この章では、国際保健について同様の基礎的なテーマを扱っていくが、力 点を過去から現在、未来に起き、健康サーヴィスの消費者と供給者に関する問題と政治上のジレンマについて、疑問点を提起していきたい。そして我々は、特殊 な行動形態を唱道する際に無視されたり、軽く通り過ぎたりされているように見える現在のデータを示し、問題提起をしていきたい。この章で考えるトピックス には、新しい医療システム(もっと適切には、治療者代表システム)を受容へ導くパターンも含まれる。すなわち、ヘルス・ケアを求めるために、どのような手 段が選ばれるか、皆が必要とするプライマリー・ヘルス・ケアを供給することになったような変更の勝利者としての科学的医療の最近の成功、プライマリー・ヘ ルス・ケアの必要性とその接点での伝統医療と伝統的治療者使用に際しての政策的課題、いわゆる代替医療システムの開発とそれ以前の全ての医療システムの関 連についてなどである。

A  新しい医療システムの受け入れパターン

 国際保健問題やケアを必要とする人々へのよりよいケアの提供を考えるときに、我々は伝統医療と科学的医療との単純な拮抗、あるいは両者の強調という観点 から考えてしまう傾向にある。どちらの場合でも、その基本的な仮定は、我々が伝統医療と現代医療という、2つの医療システムしか扱っていないということに ある。これはあまりにも極端な単純化である。もう少しよく考えてみれば、多くの国の人々に利用されているいろいろな医療システムがあり、全てではないにし ても特定の集団が用いているシステムでも急速に成長しているもののあることに気づくであろう。例えば、アメリカ合衆国では、いわゆる確立された医療だけで なく、オステオパシー、カイロプラクティック、様々な民間医療、針療法、心霊主義、その他クリスチャン・サイエンスを含むたくさんの信仰医療が存在するの である。
 これらの治療法の内どれか一つ、あるいは組み合わせたものを受け入れるときには、色々な因子に左右されることになる。ある患者やグループが一つの医療シ ステムから別のそれへ移ったり、有効なシステムの中から特定のシステムを選んだりするということに関係なく、そこで起こっていることと、個人や団体の全て の刷新とは、同じパラダイムで説明することが出来る。特に次のような場合、人はそれまでの治療法を変えると思われる。

1.治療法を変えることで、彼らが経済的、社会的(例えば地位)、心理的(例えば自己満足)な健康とその他の利益が得られると思われる場合。
2.経済的負担が自己の能力内である場合。
3.社会的負担が想定される利益よりも軽い場合。

 この単純なパラダイムは、公然たる行為や習慣・慣習の変化として理解され、信条体系の変化を説明(あるいは要求)する必要はないのである。事実、これか ら見ていくように保健活動を変化させるには、科学的な根本的が分からなくともできるということは重要である。伝統を重んずる人々は、新しい習慣を古い信念 と調和することにたけている。
 新しい医療システムと実践の受け入れについて、究明するにあたって、しばらくの間、特に第3世界での科学的医療の成功について考えてみよう。というの は、今まで述べてきたような「障壁」があるにも関わらず、第3世界においては、この種の医療が急速度で勝利を収めてきたからである。事実、この成功は、科 学的医療の普及のために、伝統医療の技術や治療者を用いるときに、考えていく上で有意義な方法である。彼らは、科学的医療が人びとの要求に応じるようには 見えなかったからである。この章の後半で我々は代替医療の成功例をいくつか示し、そうした治療法が一般に普及してゆく意味について議論したい。

1 便益の認識—プラグマティズム

 あらゆる社会において、人々は新しい代替方法を試したり評価する際、刷新することが彼らに利益があるか否かを決定する際には、きわめてプラグマティック になる。これは保健行動に関しても真実であり、そこでは費用便益分析法モードで語ることが出来る。経験的的証拠に基づくと、伝統を重んずる人々が、科学的 医療が今までのものよりも効果的であると考えた場合、あるいは科学的医療を受け入れられるような条件でいく場合、彼らはすぐにそちらに移ってしまう。エク アドルにおける治療医学の受け入れに関して言えば、何年も前にエラスムスが指摘したように、伝統に関する限り、「彼ら独自の民間信仰は、現代的な科学的医 療が経験的な立場から判断されている限り、それに対する抵抗はあり得ない」のである(Erasmus 1952:418傍点筆者)。それに対して予防医学は、その内容が論理的であり、安易な経験的観察が得られないことから拒絶されたということもエラスムス は指摘している。
 他の研究グループによる調査も同じような結果が得られた。コロンビアのカリおいての108人の下層階級女性の研究で、「生殖・妊娠・中絶については、伝 統や民間信仰が重要であるのに、調査研究中の出産のほぼ55%が保健センターや政府病院で扱われたことがわかった」(Browner 1976:51)。同様のことがメキシコシティにおいて、カシラス・クエルボによって報告された。メキシコ大学のキャンパスの近くにある貧窮地区の都市移 住者の間でも、彼らが治療行為に「多くの」[伝統的な]信仰や知識を盛り込んでいて、それを指導し続けているにも関わらず、他のタイプの医療サーヴィスが 与えられると、彼らはそれを受け入れて試すようになることがわかったのである。彼らは新しい医療サーヴィスを全ての場合に利用し続けるわけではないが、そ れらを試すときにはオープンな気持ちとプラグマティズムがみられる(Casillas Cuervo 1978)。ナバホの人々は複雑な伝統的医療を持ち、彼らはそれに大いにプライドを持っているのに、彼らでさえ「必要なときには、利用できる色々な宗教医 学的な他の方法に対して、きわめて開放的で、プラグマティックで、無差別な態度をとる。白人の医療、伝統的詠唱法、ベイヨーティズム、種々のキリスト教派 でさえも、治してもらうためには、彼らの心の中に代替可能な手段として移るのである」とワグナーは指摘している(Wagner 1978:4-5)。
 ここで取り上げた事項は大部分、治療法について扱っているが、このことは、個人の意志決定に関する限り、治療医学は予防医学よりはるかに顕著に受け入れ られているということを示唆している。理由は明らかである。科学的治療医学の結果は予防医学のそれよりもずっと簡単に示すことが出来るからである。フラン ベジアや他の危険な感染症にかかった人は、それが抗生物質の投与によって治ってしまっても、これは自分が知っていたどんな薬よりも優れている奇跡の薬なの だろうかと問う者はほとんどいない。重篤な病気が数時間から数日で治ってしまう場合には、原因と結果が簡単に一致するのである。免疫療法や環境衛生の場合 には、病気でない状態の次に、やはり病気でない状態が来るために、原因と結果が容易に一致しない。この事実から分かることは、臨床医学と予防医学を分離す るという伝統的なアメリカの方法は、世界の他の地域では逆の結果を招くということである。予防的処置が治療医学に「覆われて」いる場合や、「一括取引品」 の一部として得られている場合には、予防的処置の有用性が極めて容易に示されるので、簡単に受け入れられてしまうのである。

2 刷新のための経済的負担

 変えたいというモチベーションは決して変更における唯一の因子ではない。ゴール地点までは到達可能であり、負担を払うだけの価値があるに違いないのであ る。ある大学教授が、メルセデス・ベンツをすごく欲しいと思っても、その価格ゆえに、所有というゴールが到達不可能であることはわかっているのである。同 様にして、経済的因子は、科学的医療の受容や拒絶について、かなりの程度まで説明できるのである。医療サーヴィスの「価値」が、少なくとも診察料という形 で、置き換えられるならば、それを利用する者にとってはより注意を引き付ける者になるということは指摘されてきたことだが(例えば、Foster 1962:128-130)、医療費が予想される利益に比べてあまりにも高額であると認められた場合、利用者達は変更を思いとどまるであろう。このことを 考慮しながら、多くの開発途上国での保健サーヴィスは利用者に対して無料であったり、金額がわずかであったりするのである。しかし、無料かそれに近い額で 施される保健サーヴィスも、利用者にとっては決して「無償」ではないのである。

a  「無償の」サーヴィス

 ケアを必要とする患者全てを引き付けることの出来なかった「無償の」サーヴィスの古典的な一例は、結核対策であった。ケニアでは、バス料金が必要なため に多くの患者が診療所まで行くことが出来なかった(Ndeti 1972:408)。インドネシアでは、家族計画サーヴィスが、言葉の上では無償であったが、支出を要する社会的習慣のために、時として十分に利用されな かった。大部分の母親は、子供が4〜5人になってやっと出産制限に関心を持ち始めるのである。彼女達は子供と離れて診療所に行くことはなく、家族計画指導 者に勧められて診療所に出かけるとき、少なくとも幼い子供達は、足を引きずって歩いていかねばならないことになる。従って皆にバス運賃が必要となる。とこ ろが、バスによる外出は確実に「遠出」であり、このようなとき、インドネシア人たちは決まって軽い食料を買う。だから、小さな子供を3〜4人持った母親 は、無償の家族計画サーヴィスを受ける診療所に行くために、1日分の収入を費やしてしまうのである。
 他の付随的なサーヴィスでもサーヴィス自体が無料であるのに高い出費をもたらすことがある。西ジャワのバンドンの傍らの村は、粗末な泥道を通ってしか行 くことの出来ない険しい谷の底にあるが、女性達は家族計画サーヴィスを受けるために、200ルピーの往復旅費を払って、5マイル進むのにほぼ1時間もかけ ながら、トラックや古びたバスに乗って、保健センターまで登ってゆくのである。そこに着くと、ピルを与えられたり、IUDを装着される前に、妊娠テストを 受けるために150ルピーを支払わなければいけないことを知る。3日後、彼女は再び、200ルピーのお金を払って検査の結果を聞きに来るように言われるの である。2日分の労働賃金のロス200ルピーを加えれば、彼女が家族計画を受けるべきかどうかを単に知るために750ルピーも支払うことになる。この村の 女性のほとんどが、この種のサーヴィスに関心を持たないのは驚くにあたらない。

b  サーヴィスの時間

 非西洋諸国の人々は、「時は金なり」と言うことをあまり意識しないかもしれない。にもかかわらず、彼らはゴールへの到達距離を最短にするように時間を配 分する方法については極めて合理的である。彼らは一つの仕事に時間を食えば、他の仕事の完成が遅れることを十分に知っている。だから、産前・産後のケアの ための保健サーヴィスや他のサーヴィスを政府が奨励しても、たとえそれが彼らが望んでいるものであっても、貴重な労働時間を失うことになる。そこで我々 は、利用者にかかる時間的な負担について言及することが出来る。開発途上国の人々の共通した不満は、政府の診療所が人々にとって不便な時間しか診察をして くれないことである。というのは、ほとんど全ての官僚機関では、診療のスケジュールを、診療される側でなく、診療する側の都合に合わせているために、診療 所は朝の内だけか、あるいは午後早い時間までしか開いていない。
 午後の遅い時間に診療が受けられれば幸いであろうが、ケアを必要とする患者は、開発途上国に多く、彼らは単に運が悪いだけである。彼らが本当に救急医療 を必要としないときであれば、買い物や家族の食事の準備や子供の送り迎えに忙しい女性が、朝のこの時間をルーチンな検査—その価値も全面的には受け入れが たいが—のために犠牲にするのは嫌であろう。随分以前だが、サン・サルバドルの政府の無料産前診療所がほとんど利用されていないことを我々の仲間が調べた ことがある。同じ都市であるのに、夜間同様のサーヴィスを行う私立の有料の診療所の待合い室は満員であった。彼女達が言うには、検査に行くことが出来るの は、夫が帰ってきて子供の面倒をみてもらえるときだけなのである。類似の例で少し変わっているのがモロッコの女性の場合で、彼女達は詮索好きな目を恐れ て、日中診療を受けずに、夜になってようやく女性の医師のいる診療所へ赴くのである。

3 社会的リスク

 「社会的リスク」は、医療システムの変更にしばしば伴う個人の人間関係の再編成や、習慣的な交換パターン、交友関係に帰属する。若い女性ならば、産前・ 産後診断や分娩は村の内外の、医師と看護婦—助産婦チームのある政府の診療所で受けた方が村の産婆の手で取り上げられるよりも望ましいと思うであろう。し かし産婆が、もし自分の伯母であれば、伯母に頼らないことは、個人的な拒絶ととられかねないし、そのことで家族間に大きな裂け目が生ずるかもしれない。マ リオットも同じような「社会的リスク」を報告している。あるバラモンの娘が、マラリアにかかったので、その父と伯父が医師に頼んでキニーネをもらってき た。3日後、医者はキニーネが全く使用されていないことを知った。一家の中で最も権威のある一番年上の伯母が、キニーネを与えることを拒絶したからであ る。かくして西洋医学の治療法が拒否されたのである(Marriot 1955:243)。もし拒否しなければ、伯母が病気よりももっと重篤な家庭内の混乱を引き起こすことになったからである。
 西洋医学によって得られる有利さのために、多額な金が必要な場合、この種の社会的リスクは伝統を重んずる人々の間では良く見られることであり、このとき 変更は行われない。それでも、現代世界において保健行動に影響を与えるのは、社会的リスクではなく、度重なる経済的負担なのである。例えば、タイでは、医 者—患者関係の主な研究から「病院へ行くか否かの決定は、病気の重さいかんではなく、財政上の問題による」ことがわかった(Hinderling 1973:74)。

3 医療的ケアの選択

 科学的医療を含む新しいタイプの医療的ケアが、保健問題が基本的に大なり小なり、その土地固有のシステムと関連しているようなところの人々に利用される 場合、決断の根底にあるものは、新しいものを受け入れようかそれとも古いものに固執しようかという選択ではない。そうではなく、状況に応じていつでも受け 入れられるような種々の選択(つまり手近にある特定の問題に最も適していると考えられる行動様式)が与えられているのである。このような決断過程の基礎と なる戦略的方法は、「治療実践における手段の階層性」と呼ばれてきた。人々が自分の手段の階層性を作るその方法や、計算の中に持ち込む因子によって、科学 的医療や他の新しい“代替”医療がどれほど伝統的医療を押しやってしまったかについて多くを教えてくれる。

1 ヘルス・ケア選択の多様性

 最近まで、人類学者も国際保健の医療従事者も医療的ケアの決定をたった2つの変数—患者が医者を変えるか、伝統医療の治療を続けるか—によってしか見て いなかった。現在我々は、急速に発達を続ける科学的医療と伝統医療は、驚くほどたくさんの医療的ケアの中のただの2つでしかないということを知っている。 例えば、コスタリカの太平洋側にある人口2万人の町プンタトルレナスでは、患者は「慈善病院の研修医、政府の診療所の医師、個人病院の医師といった正統派 の医師の中から選ぶことが出来る。さらに患者は準正統派として、薬剤師、免許を持つ助産婦、あるいは無免許だが助産婦の同僚などの援助を要求することが出 来る。むろん彼は、正当医学を離れて、ホメオパシーかナチュラリストの治療者を求めても良い。最後に彼は、人間の能力を補充するものや超自然的治療者を必 要とするかもしれない。すなわち、彼の必要とするのは、精霊、聖者、そして神である」(Richardson and Bode 1971:261)。
 同じように、ザンビアのルサカでも、病気の治療のために挙げられた選択要素は、「驚くほど複雑であり、・・・・・血族による診察、白人かインディアンか アフリカ人従業員による診察、部族も言語も異にする雇い主による診察、隣人や友人による診察、・・・・・個人病院・政府病院・診療所を通じて治療を行う 《西洋医学》の医師・看護婦・アシスタントなど」に加えて、ングアンガス(ng' angas)という伝統医療の治療者がある(Frankenberg and Lesson 1976:227-228)。
 そして、インド、タミルナドゥ州のベロルの患者達は、以下のような徒弟制出身者からアユルベーダや西洋型の医学校出身者まで多岐にわたる範囲の医師の間 から選択しても良いのである。すなわち、キリスト教系の医大病院、政府の病院、地元の霊媒者、悪魔払い、道端や市井の薬草医、様々な訓練を受けた広範囲の 治療者達などである(Montgomery 1976:274)。
 プレスが指摘するように(1971)、人類学者は現在利用されている様々な医療的ケアの代替品を過小評価しているばかりでなく、少なくとも都市型のケア に関する限り、およそ厳密とは言えない伝統医療の一つのステレオタイプにべったりとくっついて、有害でさえある。伝統医療者に関する固定されたイメージ は、我々みんなが知っている。彼らは患者もその家族も患者の日常生活における個人的・社会的な緊張関係に注意し、身体的徴候の除去に重要な人間関係でのス トレスの除去について考える。このような典型的な伝統医療の治療者は、一人の患者に無制限に時間を費やし、報酬などは全く気にしない、一言で言えば、社会 病理学者と言うことになっている。
 ボゴタの「都市の」クランデロス(Curanderos)を調査したプレスが明らかにしたことは、彼らが伝統医療、民間療法、現代医学などの色々な診断 法を用いていたばかりでなく、彼らが伝統医療者のステレオタイプからもほど遠いということである。プレスによれば、多くの都市に住むクランデロスは、1カ 月に70人ほどの患者を診察し、一人当たり5〜10分で、言葉を交わすのはわずかに1〜2分とのことである。これは社会病理学者の仕事とは全く言い難い。 「もし病が、制裁という社会的ドラマ、文化的同一性、責任からの逸脱などの合図であるとすれば、都市の治療者は主役でもなければ、彼の診療所はステージで もない」(Press 1971:752)。さらに、「あまり例外はないが、ボゴダの治療者は、治すことのプロであり、そのように見られているから、報酬を要求するのである」 (Press 1971:753)。しかもしばしば多額にである。

2 医療システムは競合的ではない

 ヘルス・ケアを選択する際の個々の序列は、様々な医療システム、各々の治療者の個性や人格を背景にして考えるべきものである。治療者の人格や個性につい て次第に明らかにされていることは、少なくとも都市に住む代替医療の治療者達は、伝統医療の治療者に比べて医師的になっているということである。長い間、 人類学者と国際保健の専門家達は、医療システムを競合するもの—特に科学医療と伝統医療—として捉え概念化する傾向にあった。しかしこれは西洋志向の観察 者の心にある自民族中心主義的な考え方である。事実、大部分の患者は、第3世界だけでなく、2つあるいはそれ以上の医療システムの治療をしばしば同時に受 けていても、何の矛盾も感じていない。患者達は、可能な限りの意見とアドバイスを望み、特定の病の扱い方が、自分達の考えたものに最もフイットしたものを 選ぶことを正しい判断としているのである。彼らは自分のかかっている医療システム間の違いやそれぞれの典型について良く知っていて、一連の医療行為がある 場で行われていても、別の方がもっと望ましいと考えることもあるのである。もちろん、治療のための患者の戦略は、しばしば連続的かつ発展的なので、患者達 はある治療者から別の治療者へと渡り歩く。階層性において、重要な役割を演ずるほどの競合は、システム間よりもむしろ個人の内に存在するのである。西洋 型、土着型、あるいは他のタイプの治療者達は、答える資格があると信じられている問題について相談される。
 医療システムの決定は、各々の治療者のタイプを他のそれと比べて相対的な有意性を計算した後に、冷静な客観性によって下されるものでは決してない。ハサ ンが示しているように、インドの田舎では、村人達は、隣人や親類、同じカーストの者、村の長者のアドバイスに頼るが、時として全くでたらめに選んでいる。 ハサンはラクノウ地区の若い母親の話をしている。彼女の男児が便に血が出たので、近くの診療所へ連れていこうとした。途中で彼女は、村の女に出会った。女 は診療所へ行かないように進め、子供は邪術によって病気になったのだから、医者の薬では治らないと言った。この女のアドバイスに動かされた母親は、祈祷師 のいる村へと戻った。悪魔払いをしたにも関わらず、子供は死んだ。しかし、祈祷師や母親にアドバイスをした女を避難する者はいなかった(Hassan 1967:161)。

3 土着信仰と科学的治療との和解

 多忙なアメリカの医師は、ある特定の処方箋や指示がなぜその患者の主訴を除去するのにふさわしいものなのかという説明にはほとんど時間を割かない。予防 医学の多くの事柄は、人々が「なぜ」と問うことに答えられれば、保健行動はもっと合理的なものになると言う考えに基づいている。我々は、喫煙や肥満や運動 不足などの「危険性」を理解してもらうように人々に「教える」。保健教育もまた、発展途上国において保健プログラムの中で重要であるが、回復とか改善と いった望ましい結果の説明はあるが、伝統医学を重んずる人々を現代医学の方へ導こうとするような西洋の疾病理論の理解を伴っていないのが現状である。重篤 で手の施しようのない病に対して、現代医学の助けを借りることは、科学的な病因説の理解や細菌理論(germ theory)の知識とは全く無関係であることを、グールドはインドにおいて見いだしている (Gould 1965:202)。
 事実、伝統を重んずる人々は、科学的な医療手段と自分達の病因論体系とを大変うまく結びあわせる。チンツンツァンのドーニャ・ミカエロ・ゴンザレスは、 科学的医学を全面的に信用している。彼女の2人の娘の命は、手術によって救われたし、彼女自身の命も、1回目は糖尿病の早期発見によって、2回目は重症の 心臓病の際に迅速的確な医療的ケアによって救われた。1950年代後半、世界保健機構—メキシコ政府によるマラリア撲滅運動の期間中、ヘルスワーカーは、 血液を分析し、マラリア保菌者と思われる人々に、3錠の薬を与えた。これは採血の後、具合の悪くなったときに飲むようにと与えられたものであったが、マラ リア撲滅キャンペーンの熱心な支持者であったミカエラは、この薬は、採血時に針で開けられた小さな孔から「冷気」が体内に入るのを防ぐものであると信じて いた。彼女の熱—冷信念体系は、現代の薬物によっても揺り動かされることなく、代わりに、新しい薬を正当化して、その効果を強めてさえいるのである。ラテ ン・アメリカのある村では、微生物の理解は進みつつあるけれども、科学的医学が治すことの出来る病を原因とするものとして考えるようになっている。しか し、怒り、恐れ、妬み、羨みによって生ずる邪視や病に対しては、微生物とは無関係であると思われている。確かに彼らは、ほとんどの病の根本にある冷—熱と いう基本的な2分法を捨てることはしない。
 自身の医学や健康に対する考え方が一番正しいのだという信念は、特定の集団にとって最も重要なシンボルの一つであり、この信念を通してエトス、特殊性、 生命の源などを説くのである。従って、伝統的な健康観を捨て去ることは、新しいタイプの治療法を受け入れるよりもずっと大変なことである。それは、集団の アイデンティティや、ものの見方に対する大きな支えを失わせることを意味する。ここで、新しいものを受け入れると同時に、古いシステムに対する信念をも正 当化するために、あらゆる形の適応と合理化が試されるのである。チンツンツァンでは、こうしたことに喜んでお金を使う人の大部分は、科学的医療を行う医師 に移るが、それでも自分達の病因論と治療法に対する信念は、相変わらず堅固である。「あなた方は伝統医療が最上のものと確信しているのに、どうして科学的 医療の医師の元に行くのですか」と、フォスターはしばしば尋ねた。彼らはフォスターの純真さに驚きながら、こう答える。「なぜかって、一度医者の前に身体 を投げ出して注射を打ったり、薬を飲んだりしたんだ。もう伝統的な治療法には身体は反応しないさ」。科学的医療を行う医者の治療が、伝統的な治療に反応す る身体の能力を破壊してしまったのである。彼らは新しい治療を続けるしかない。だが、それでも今までの医療に対する信念は不動である。デワルトは、科学的 医療の医師が治療者になっているメキシコ州の別の地域でも、同じような合理的説明が試されていることを報告している。今までの治療法に対する信念は、堅固 なままであるが、「病気は今や変わった。薬草に従う必要はもうないのだ」(以前は効果があると信じていたものでも、もう信じることはない)とインフォーマ ントは説明している(DeWalt 1977:11)。

C.  西洋医学の成功

 伝統社会へ西洋医学の導入を扱った医療人類学的文献の多くは、時代遅れであり、もはや今日的ではない。人類学者が、現代医学の受け入れに対する文化的な 抵抗をドキュメントしたり、現代医学のサーヴィスが基礎としている考え方の不備を見つけ出している間に、多くの人々は、この医学を十分に受け入れたのであ る。適度に優れた科学的医療が、患者の受け入れるような経済的・社会的条件で利用されれば、こうした医療サーヴィスは熱心に求められるのである。例えば、 1970年、台北の250人の大学生と、南台湾の60人の労働者・農民の調査では、彼らが西洋医学に強い興味を示していることが明らかにされた。大学生の 内で、77.5%が、最初に西洋医学を頼みにするか、あるいは別の医療システムを合わせて選んでも、西洋医学を優先的に求めると報告している。労働者と農 民における西洋医学志向は、さらに驚くべきことで。92.2%が西洋医学を熱望している(Unschuld 1976:312)。
 伝統医療の治療者(あるいは無免許医)のたくさんいる香港でも同じような傾向があることが報告されている。このリーの報告は、明らかに伝統医学志向・現 代医学批判を打ち出しているが、「大部分の住民は、西洋医学の訓練を受けた医者に意見を聞きたがる」とも言っている(Lee 1975:400)。患者は、西洋医学で用いる薬や治療法の方が、「強壮剤」は別として、予防医学と治療医学において漢方薬よりもずっと効果的であると信 じている、と報告している。中国医学に対するはっきりした志向は、リューマチ、捻挫、骨折—歴史的な殺人者ではないものばかり—においてのみである(同 書、400)。
 同様に、モンガレロの北、インド洋上にある人口9000の町コタでは、「身体的な病を持った患者達の多くは、最初は現代医学の医者に診てもらって、彼の 治療がすぐに効果を現さないときは、次に伝統医学の治療者の診察を受ける、というのが現代の風潮である」(Carstairs and Kapur 1976:66)。この選択に見られる理由は、学校でも教わった合理主義と医療従事者の影響力というものを内包しているが、「しかし、現代医学の多くの有 益な効果が、伝統医学の治療者の能力をさらに疑問視させているのである。・・・・・そして、伝統医学の治療者が、病の場合、最高の救い主であるということ に同意するものはあまりいない」(同書)。このパターンは、インドの多くの人々を特徴づけている。バナージとその共同者達による調査で、「医療的ケアにお ける主要な問題に対する反応は、西洋医療システムを支持していることがこれは社会的・経済的・職業的・宗教的見解とは無関係である。このような医療サー ヴィスの利用と患者が費用を払い得る能力とは2つの主要な強制的因子である」と報告している(Banerji 1974:6 傍点筆者)。さらに彼は、民間医療やホメオパシー医学の治療を受けている人の例をたくさん挙げているが、「大きな病気にかかった人の中で、効果的で簡単に 利用できて、受け入れやすい西洋医療システムを積極的に拒絶して他の治療法を好んで選ぶような人は、ほんのわずかしかいない」(同書、7)。
 類似のパターンがタイのバンコックにもあって、そこでは西洋医学の医師が最初に治療者として選ばれ、それがうまくいかなかったときだけ、伝統医学の治療 者の助けを借りるのである(Boesch 1972:34)。現代のチンツンツァンでも、選択の構図は、同じである。30年前、西洋医学の医師はほとんど知られていなかった。だが今日多くの人々 は、たとえお金がかかっても、最初に彼らの診察を受け、患者達が現代医学に期待していたような奇跡を彼らが起こせなかったときだけ、クランデロスに変更す るのである。
 ガーナのボーノでは、様々な理由で病院や診療所がもっと良く利用されている。病院のサーヴィスと便利さが、伝統医療システムのそれよりも優れていると思 われることが多い。一つには、民間医療の治療者は、しばしば専門化されているので、患者は自分の病気を治してくれそうな治療者を求めて長い道のりを移動す ることになるかもしれない。それに対して、病院は便利な場所にあって、サーヴィスも完全であるため、専門的な治療者を求めて長旅をする必要もない。さら に、僧医は神に決められた日、普通は週に2〜3日しか働かないのに対して、病院は毎日利用できるし、救急の場合は夜でも構わない。病院の薬が患者を引き付 けるのは、一般の民間治療薬と違って、既に薬が調合されているので、見つけにくい薬草や樹皮や根を求めてあちこち探し回ることもないし、いつも時間のかか る調合をする必要もない。最後に患者は、伝統医療の治療者がするように個人のプライバシーを公にされることが、病院ではない(Warren 1974-1975:33-34)。以上のことから、ボーノの患者達は、しばしば伝統医療よりも科学的医療の方を選ぶのである。
 ラテン・アメリカ人の間でも同じような傾向が見られる。例えば、パスタニッチのユカテク族の保守的なとうもろこし農場では、村人の多くは土地のクランデ ロスに診てもらうのである。それにも関わらず、「それを完全に利用するわけではない。村人は1年の間を通じて、クランデロスよりも多くの費用を医師に払っ ている。たとえクランデロスの診察代が医師の処方箋よりもずっと安くてもである」(Press 1975:196)。東ロサンゼルスのメキシコ系アメリカ人の精神疾患調査では、もっと驚くことに、精神疾患のようなものには、伝統的なクランデロスを利 用するという信念が深く根ざしているにも関わらず、「その重要性は大きく低下している。民俗学的観察と正式な面接の両面から、東ロサンゼルスのメキシコ系 アメリカ人にとって、精神疾患の治療にふさわしいのはクランデロスではなく、一般の医師であることがわかった」(Edgerton et al. 1970:133)。
 要約すると、優れた科学的医療が伝統医学を重んずる人々に利用されるとき、それが親しみやすく協調的なものに与えられ、患者の払える価格で、時間的にも 場所的にも便利であれば、科学的医学は伝統を重んずる人々に第1の選択となる。

D. 伝統医療の治療者の可能な役割

 発展途上国において、西洋医学の受容ということが、(厚生省の定義したように)「いかにして政府の病院や診療所をすすめるか」と言った「問題」ではもは やなくなってきているというのが実状である。問題は、増え続ける需要に追い続けるだけの供給が不十分であるということである。健康のニードを満足させるよ うな専門職員の十分な供給は、現在も近い将来においても無理であろう。問題解決の一つとして、予備のヘルス・ワーカーを広く用いるという手もある。少し前 のイギリスやフランスの植民地では、その土地のものが「手当係」(dressers)や“補助看護人”(infirmiers auxiliaires)として訓練され、地方の診療所のスタッフになったり、訓練の程度によって、簡単な分析検査を含む種々の治療業務を行ったりしてい た。ナバホ・インディアンでは、「ヘルス・ビジター」が公立病院の看護婦の監督下で働いている。それによって、彼女は役割を果たす能力を十分に広げてい る。そして現代中国では、地方の「はだしの医者」(barefoot doctors)が、重症の患者はもっと訓練された医療従事者の元に送るという紹介システム(referal system)の中で、第一線の治療者として働いている。(1)
 これらの例、あるいは同様の例からわかることは、準専門的な医療従事者は、正式の保健施設のメンバーである(あるいはメンバーであった)ということであ る。彼らは質の高い教育を受け、報酬をやりとり、移民や部落や国家の保健サーヴィスの一員として正規に組み込まれているのである。しかし、伝統医療の治療 者及び治療法に関する限り、発展途上国の保健サーヴィスに対する彼らの公的態度は、無視するものから公然と反対するものまで多岐にわたっている。極めて稀 であるが、インドのアユルベーダ医学には、土着の医療システムがあり、その治療者は政府に正式に奨励されている。インドでさえ、アユルベーダでない広い層 の「民俗」医療は、政府によって無視されたのである。
 しかし、現在、民間医療とその治療者に対する昔からの無視や反対は、政府の保健サーヴィスにおいて、伝統医学の原理や内容を出来るだけ活用しようという 関心の方へと道を譲っているのである。1970年代の初めに、WHOとUNICEFのような国際連合機関が、家族計画プログラムの補助役として、伝統的な 助産婦を用いたり、全国民にプライマリー・ヘルス・ケアを広めるための正式の計画において、民間医療の治療者を考慮に入れたりし始めた。こうした関心は、 第29回世界保健会議(1976年5月)で可決された決議文の中で正式に認められ、伝統医学とその治療者を適切に登用するプライマリー・ヘルス・ケア・プ ログラムを進めていくように各国に要請された。さらに、この要請に対して、1977年1月、テキサス州エルバリで開かれたパン・アメリカン保健機構主催の ワークショップにおいて正式な手続きがなされ、国民の健康のニードに一致するような代替医学の治療システムの役割と有用性についての調査が、メキシコとア メリカの人類学者に要請されたのである(B.Velimirovic 1978)(2)。
 伝統医療の治療者を認めるかどうかは重要な問題である。なぜならば、人の能力の問題に加えて、ある国の全てのヘルス・ケアのニードを完全に満足させるよ うな科学的医療システムはないという事実があるからである。ヘルス・ケアシステムが高度に発達した国においてさせも、ある条件で、多くの人々がカイロプラ クターや信仰治療者、薬草医などの非体制医療の助けを借りることがある。医療ケアの「代替」形態は、少なくとも一部の人々にとって、臨床医や関連ケアサー ヴィスでは満たされないような社会的・心理的、そしておそらく身体的なヘルス・ケアのニードを満足させる。
 民間医療の治療者の支えとなっている社会心理的な機能を特に考えるとき、人類学者達は、非西洋医学のポジティブな面に驚かされる。一方、臨床医達は、一 部の伝統医学の治療法の危険性を指摘し、伝統医療の治療者は治療が複雑になると、患者の生命が危うくなり、専門医に送るのが遅れるという事実にも言及す る。このように異なった見解が、ハリソンによって示された。ハリソンは、「再訓練」された伝統医療の治療者達が、ナイジェリアの保健提供システムの重要な 構成要員になっていると信じている。しかしながら、ハリソンと議論したナイジェリア政府の人々は、伝統医療に対して比較的好意的な精神科医は除いて、伝統 医療者の価値について懐疑的であると指摘している(Harrison 1974-1975:12)。
 伝統医療の治療者を国の正規の医療サーヴィスに組み込むという考えに対して、否定的な見方が広く行き渡っているにも関わらず、特に土着の助産婦が専門家 として用いられることもある。とうのは、通常大部分の出産は、「正常」であり、主要な問題は、(1)助産婦達に衛生的な方法を教えること、(2)難しい ケースは、政府の保健サーヴィスへ送るということ、の2点なのである。少なくとも、1950年代初期から、エルサルバドルの村の助産婦達は、政府に認めら れ、訓練を受けるようになった。ナバホ・インディアンの間では、土着の助産婦に、同一の訓練を施すことで、小児と母親の死亡率が減少した。また、土着の助 産婦達がタンザニア(Dunlop 1974-1975:138)やリベリア(Dennis 1974-1975:23)で、政府の保健サーヴィスに組み込まれるようになったし、おそらく他の多くの国々でも同様のことが行われているであろう。
 精神疾患も、伝統医療の治療者が正式に承認される第2の領域である。精神科医のランボーは、仲間達とで作った治療のための「村」について述べている。患 者はそこに送り込まれる。伝統医療の治療者と彼との「非正統的な共同」について、彼は次のように書いている。「人と社会環境を科学的に理解するためには、 他の分野との密接な共同の中で働くことであり、そして西洋医学の基準からは《専門》とはあまり言えないような者達とも公平に、持続的に専門間の共同体を作 ることが大切であるということを、アフリカにおける長い治療を通じて発見したのである」(Lambo 1964:449)。ランボーは、土着の治療者との共同によって、ナイジェリアにおける精神疾患の精神病理学的・精神動力学的な理解、特に社会文化的変動 制に関する理解に役立つと感じたのである。さらに、プロジェクトに登用された伝統医療の治療者達は、患者を扱うことにかなりの経験を有していたのだった。 「彼らは、我々のガイダンスの下で、村の患者達の社会的活動・グループ活動を管理し、指導したのである」(同書、450)。
 土着の助産婦を国家の保健サーヴィスに組み込むことが、いくつかの国で成功したにも関わらず、また土地の精神科医を用いたことで得られた有益な結果にも 関わらず、土着の治療者を、科学に基礎をおいた保健サーヴィスに全面的に組み込むことは容易ではない。助産婦の例は特別なケースであり、他の民間医療の治 療者のモデルとしては、使えないのである。妊娠には診断は関係ないからである。土着の助産婦と臨床医は、「病」の原因・経過・結果についての見解は一致し ている。もし土着の助産婦達に、衛生学を教え、難しいお産の場合は、もっと高度に訓練されたい者に送ることを支持すれば、明らかに低費の保健サーヴィスに 貢献することになるであろう。西洋社会において、非器質性精神疾患の治療が外科や急性感染症の治療ほど、科学的ではないとされているので、ランボーが見い だしたように、土着の治療者が正規の保健サーヴィスで重要な役割を演ずるだろうことは納得できるのである。
 他の病に関しても、土着の治療者と近代医学の医者の共同作業は、より難しい問題を含んでいるが、共同作業が成功した例もある。ナバホでは、国立精神保健 センターが医療従事者のための訓練校設立に25万ドルを費やしたが、薬草療法を用いて、敗血症患者やガラガラヘビに咬まれた者を治した「歌手」のケースが 報告されている(McDowell 1973)。それにもかかわらず、ナバホでは、精神科領域において、伝統医学の勢力の方が強いのである。幸いナバホ族の多くの人々は、自然と調和して身体 的な徴候を治すシンガーと同時に、近代医学の医師の治療も受け入れている。近代医学の医師は、因果関係の第1のレベルに関する者として考えられ、歌手は第 2のレベルにランク付けされている。各々が相手を受け入れている限り、患者は利益を得ることになる。しかし、結核を扱うときに、歌手が最初に担当すれば、 患者はそれほど良くならないであろう。これは、プライマリー・ヘルス・サーヴィスにおいて、土着の治療者を広く用いるときの大きな問題点である。近代医学 の医師と土着の治療者が、病因・予後・適切な治療に関して全く異なった見解を持っているとき、ナバホのような特殊で非典型的な例を除いて、いかにして両者 が共同するのだろうか。土着の治療者が「邪視」とか「憑霊」という言葉を使ったり、生の鶏卵で患者の身体をこすったり、儀式的舞踊や悪魔払いをしたりする ことをすすめる際、近代医学の医師が、連鎖球菌性咽頭炎や血液疾患ではないかと思っているのに、2人がどうして力を合わせることが出来るのであろうか。
 土着の治療者の医療技術を正規に利用することにどんなにメリットがあっても、この考えは、実践ではほとんど進まなかった。この問題は解決する必要はない であろう。というのは、これまで研究したり、意味を考えられたりしなかった次の2つの仮定を基礎に置いているからである。

 1. 伝統医療の治療者は過去においてと同じ技術を持ち、同じ数だけ算出され続けるだろう。
 2. 伝統医療の治療者は、政府の正規の健康プログラムに組み込まれたいと思っている。

 最初の仮定に関していえば、世界の大部分において社会的・経済的・教育的変化が極めて早くやってくるので、今日の伝統医療の治療者の(比喩的な言い方で の)子や孫達は、両親や祖父母と同じ役割を演ずることはほとんどなくなってきている。代わりに、既に彼らは、より魅力のある2つの選択に迫られている。一 つは現代医学を学んで、医学校・看護学校や他の政府の保健施設で訓練を受けることであり、もう一つは、他に言い方がないので我々は、「代替」医療と呼んで いるが、その治療者になることである。代替医療の治療者にはたくさんのタイプがあるが、最も重要な治療者は、信仰治療者(特に精霊主義者)と「注射医」 (injection doctor)である。注射医は普通、正規の医学教育を受けておらず、処方薬が管理されている地域では権威がないが、皮下注射を得意とする人々である。 
 伝統医療は、第3世界の職務としては、ますます魅力のないものになってきて、過去と同数あるいはヘルス・ケア・サーヴィスに十分な数だけ伝統医療の治療 者がいないし、これからも増えないだろうという考えを示唆する最近の証拠がある。職業としての伝統医療に対する興味の低下は、例えばインドのコタにおいて はっきりと見られ、そこでは23人の治療医のうち、19人までが子供の継ぐべきものとして世襲制となっている。彼らは現代医学の成果を知っているが、同時 に自分達の治療法が臨床医の与える薬の効果を「強くする」と信じていて、現代医学に重要な役割を演じていると思っている。「しかし彼らの誰一人として、子 供に自分の足跡を歩ませたいとは思っていない。“時代は変わった”と彼らは言っている」(Carstairs and Kapur 1976:65)。
 土着の治療者の現象については、人類学の文献で良く報告されるようになってきた。グァテマラのマチトラン湖畔にあるサンペドロ・ラ・ラグナでは、 1941年当時15人のシャーマンがいたが、1974年にはその内の12人が死亡し、資格の不確かなもの一人が、33年ぶりに治療を始めた(Paul and Paul 1975:718)。近くのサン・ルーカス・トリマンでも状況は同じようである。ウッズとグレイブスは、1966年の調査の結果、「年輩のインフォーマン トは、25年前に36人の土着の治療者がいたことを覚えているが、1966年にはわずか13人のシャーマンがいただけであり」、専門家としてのシャーマン は一人もいない、と報告している(Woods and Graves 1973:12)。同様のことが、エジプトのナッサー・ハイダムの下方に住むヌビア人達の間でも報告されていて、土着の助産婦が少なくなって、一人の助産 婦が死ねば、「跡を継ぐ娘も親戚も誰もいない」ということであった(Fahim 1975:15)。さらに、ボツワナでは、伝統医療の治療者の役割を補充することが、職業としての伝統医療とは相容れないような正規の教育によって、難し くなってきている(Ulin 1974-1975:123)。チンツンツァンでは、過去15年間、医師や看護婦になった若い人々がたくさんいるのに、新しく助産婦やクランデロスになっ たものは、30年以上現れていない。
 現代の保健サーヴィスに伝統医療の治療者を採用することの問題が、メキシコの低所得社会で、調査をしていたカシラス・ケルボによって提出された。専門の クランデロスは、しばしば考えられるほどたくさんはいないことがわかった。パートタイムで治療をしている女性が伝統医療の治療者の最も一般的なタイプで あったのである。注目すべきことは、クランデロスの需要は、それほど狭められていないと彼女が感じていることであり、もっと興味あることは、貧しく、教育 をほとんど受けていない彼女達が、近代医学の医師に教え、子供のケアと授乳について、アドバイスを与えているのである(Casillas Cuervo 1978)。
 伝統医療の治療者が政府の正規のプログラムに組み込まれることを望んでいるのかどうかということについての知見はほとんど得られていない。我々の調査で は、土着の助産婦はより高度に教育された医療システムへの参入を希望、あるいは熱望しているように見える。メキシコ系アメリカ人の住むテキサスにおいて も、助産婦の養成を制度化し、昇格させるように計画されたプログラムに組み込まれたものがいる(Schreiber and Philpott 1978)。これとは対照的に、
クランデロスが、ヘルス・ケアの専門家の彼らに対して示している態度に懸念を表明したり、共同してやってゆくことに明らかに懐疑心を抱いていたりすること を、チェニーとアダムスはヒュウストンでの調査によって見出している(Cheney and Adams 1978)。アルバラドは、アメリカ南西部の土着の治療者に対して、極めて共感的であるが、彼らの大部分が、国の医療システムに組み込まれずに、独自の体 系で、非公式なあるいは個人的な治療をしているに違いないと考えてい(Alvarado1978)。
 伝統医療の治療者の採用を支持する主な論拠として、彼らが一般に年長者であり、仲間に大変尊敬されていて、治療を受けている人々に信頼されていることが 挙げられる。だが、この推論さえも問題にされねばならない。国立インディアン研究所が、メキシコのチアパスのツェルタルとツォツィルのインディアンの中 で、保健活動を始めた時、土着のシャーマンは当然新しいヘルス・サーヴィスに組み込まれ、訓練を受けるものと思われていた。ところが、新しいプログラムを 計画した人類学者も医療従事者も驚いたことだが、この計画に対する強い抵抗がシャーマン達だけでなく、大部分の人々の間からも起こったのである。シャーマ ンを含む、地位の高い年配者は、社会文化的な変化を持ち込む最も効果的な仲介者とはならないことがわかったのである。結局、中国の裸足の医者の場合のよう に、プログラムは、「ヘルス・プロモーター」のような若くて教養のある保健補助員に委ねられたのである(Aguirre Beltrn 1978)。
 
E. 増加する代替医療システムの役割

 人類学と医学の双方の文献において、ヘルス・ケアの「問題」を考えるとき、2つの医療システムに関してしか言及しない傾向がある。すなわち西洋医学と伝 統医学である。その「問題点」は、我々が見てきたように、多くの疑問を生じさせる。すなわち伝統医学を重んじる人々がどのように西洋医学に移っていった か、2つのシステムがどのように共同しているか、もし共同しているなら、非西洋医学の治療者が公式な保健システムにどのようにして取り込まれたか、などで ある。実際こうした見方はあまりに問題を割り切りすぎていて、結局、非現実的な仮定のもとに政治的決定がなされてしまうのである。
 現代のヘルス・ケアの場において、最も驚くことの一つは、伝統医療のシステムと治療者が、その様式を固持せずに、現代医療の世界とその方法に適応してい る伝統的な(あるいは新しい)患者の期待に応えるように、病因論・治療法・儀式を適応させていくその活力である。現代の代替医療システムの中では、精霊信 仰と他の信仰医療がおそらく最も重要であろう。マックリンが最近指摘したように、現代新世界精霊信仰(それに心霊術)は、ヨーロッパに長く存していたイデ オロギー的要素から起こったのである(Macklin 1974a)。ラテン・アメリカ型の精霊信仰は、フランス人レオン・デンザース・イポリット・リバイユ(1804ー1869)の影響によって、ほとんど完 全なものに作り上げられたようであった。彼は、アラン・カルデックのペンネームで一連の著作を発表したが、それらは、スペイン語圏の国々に広く分布し、今 日でも読まれている(同書、388)。
  精霊信仰(心霊術)は、シャーマン治療と同系ではないが、その類似点(精霊の存在を信じ、トランス状態に入って死者の霊と交信することなど)は注目すべき である。この意味において、精霊信仰は、人を媒介として、人を傷つけるかなり一般的な霊の存在を構造化し、パターン化し、認定する文明側の試みであると見 なすことができる。ラテン・アメリカでは、特に心霊術による治療が近年大幅に流行している。これは少なくとも新しく都市化された土地の人々が、健康と精霊 を必要としていることを表している(Harwood 1977, Kearney 1978, Kelly 1961, Koss 1975, Macklin 1967; 1974a; 1974b; 1976, Rogler and Hollingshead 1961)。
 メキシコとアメリカの境界線に沿って発達している代替医療システムとしての精霊信仰の重要性は、1977年エル・パソ・ワークショップで扱われた論文の 数からも明らかである。また、アリゾナのツクソンでは、メキシコ人とメキシコ系アメリカ人の住民達の間で最も名高い治療者は、伝統的なクランデロスではな く、クロエ(3)という黒人女性で、彼女の治療法は、ヴードゥ信仰によっている!(Kay and Stafford 1978)。エル・パソとチウダト・ユアレ(ファレス市)との国境領域では、心霊術者と他の信仰医療の治療者が、代替医療の主要な治療者となっている (Agirre 1978)。南テキサスの小集団に対するアルコール・カウンセリングに関する最近の研究でも、信仰医療の重要性を明らかにしている。著者達は、クランデロ スという語を用いているが、伝統的なメキシコの治療者のことを言っているのではないことは明らかである。というのは、治療者においては、霊媒と連絡し合っ て、治療者の心から患者の悪い部分への精神エネルギーを送り込んだり、「悪い振動」(negative vibrations)を取り除くために、身体を洗う儀式を行ったりするからである(Trotter and Chavira 1978)。
 クランデロスや薬根医(root doctors)やスピラトス(spilatos)やアメリカ少数民族の伝統医療の治療者、自然主義的病因論を支持する薬草医や家庭医を犠牲にしてまで、 精霊信仰、信仰医療、その他の宗教的治療法の重要性がなぜ増してきたのかは、あまり明らかではない。しかし、こうした流れに影響を与えている2つの要素が 考えられる。一つは融合の結果、以前の世代の薬草医や家庭医の治療法から、アスピリン、ビタミン、ゲリトール他の法規外の薬物に置き換わったのではないか ということである。
 第2に、矛盾することだが、近代科学における薬物の成功が、現代の超自然的治療法の成功を説明するのに、大いに役立つのではないかと考えられることであ る。つまり、近代科学の生んだ薬物は、流行する感染症、子供時代の苦痛、多くの病気に共通する不快感などの面で、大多数のアメリカ人を満足させるだけのも のを持っているのである。近代医学の医師は、病気にかかった多くの人々にとって、第1の頼みであり、多くの病気に対してその治療は効果的である。だが、い つもそうとは限らない。多くの慢性病・心身症・精神疾患に対する医師の回答は、必ずしも満足のいくものではない。近代医学の治療法を拒絶するような病気 は、超自然者の治療に委ねられることになる。この場合、伝統的な治療法は、ほとんど用いられることはなく、もっと強力な方法を持つ治療者へと移行させられ ることになる。マリノフスキーがずっと昔に指摘したように、支配される程度が弱いほど、呪術の方へとすがる傾向が強くなるのである。これは、現代アメリカ の超自然的治療において起こっていることであろう。
 世界の多くの地域で、土着の治療者の絶対数が低下していることは注目すべきことであるが、治療を続けている多くの者は、近代医学の要素を真でも偽でも自 分の治療法に取り込むことで、患者を維持しておくことに成功している。世界の大部分で、土着の治療者は、普通、新薬のために免許のある薬剤師を使ってい る。抗生物質は、処方箋なしで売られてもいるが、伝統医療の治療者や、特別な技術を持つ村の「注射医」(injectionists)が処方して投薬して もいる。「注射医」という用語は、カニングハムがタイにおいて、作り出したものだが、最新の伝統療法を表すのに、普通に用いられるようになった。カニング ハムがタイで見つけた「注射医」は、もとは「村々を渡り歩くもの」とか「半都会人」であり、稀にだが、伝統的な医療とつながりがある。彼らの力は、抗生物 質の呪術に依存し、患者達はプラグマティックであり、治療者がどれだけ治すことが出来るかということに注目している。年輩の「現代医学の」医師と、「過去 の医師」(すなわち伝統医療の治療者)とはしばしばお互いを尊敬し合い、お互いの能力を認め合っているが、注射医に対しては、商売敵として嫌っている。
この競争の影響は、カニングハムが調べた村において明らかであり、そこでは、4年以上の期間で82所帯、133人の例を調べた結果、政府のヘルス・ステー ションでの治療が102件、注射医によるものが101件、「過去の医師」によるものはわずか6件であった(Cunningham 1970:6-8)。伝統医療の衰退と現代医学及び代替医学の増加を説明するためのもっとはっきりした事実は、なかなか見出せない。
 抗生物質で武装した注射医は、患者を救いもするし、殺しもするが、いずれの場合でも、彼らは心理的な支えを越える何かを持っている。これはメキシコシ ティでバルガスの見つけた魅力ある「偽(にせ)医者」のことを言っているのではない。偽医者は、エックス線がメキシコのポピュラーな医学の場から作られた ということを良く知っていて、自分の治療器具を中古車から作り出していた。患者がライトの前に立つと、モーターが大きな音を立てて動き出し、「感光板」が 別の機械から落ちてくるので、それを車の前に立っている患者の傍らに吊すのである(Vargas 1978)。
 ランディは、この過程を説明するのに「役割適応」(role adaptation)という語を用いているが、これによって、科学的医学から真でも偽でも色々な要素を取り入れることで、伝統的医療を最新のものとして いるのである。役割適応の概念は、両義的な面を持つ。一方で、「適用」は変化し得る能力を持っている反面、ランディが指摘するように、伝統医療の治療者 が、どんなに柔軟性を持っていても、彼らは文化的には保守的であり続けようとするのである。彼らの役割が、科学的医学の治療者のそれに近づけば近づくほ ど、彼らの役割は、弱点の多いものとなっていくのである。また、状況の変化に直面しても、役割を保持していくための土着の治療者の適用戦術は、「自分の役 割が保持できて、同時に既に立ち入られた文化への阻害を最小限にとどめるような変化を選ぶということに重きを置いている」(同書、118)。しかし、代替 医療の戦略としての、劇的な成功を収めている例が少なくとも一つある。それは科学的医学を支配し、変更を受けた伝統的医療によって治療し続けているのであ る。日本の伝統的医療の異型であり、現在も発達している漢方がその例の一つである。漢方成功の理由の一つが、漢方の治療者が、「最初に現代医学を学んで、 次に医師の国家試験に合格しなければならない」からだと言われている(Otsuka 1976:335)。このような「伝統的」な治療者を、メキシコのクランデロスやシベリアのシャーマン、心霊術師などと比較することは出来ない。
 現代医学と今まで記載してきたような代替医療との両方によって、とって代わられた伝統医学というものは、世界中に広く見られている。だから、国の保健 サーヴィスで伝統医療の治療者がどんな用いられ方をしているのか尋ねることは、不十分で偏った質問である。正確には、いかなる形態の代替ヘルス・システム とその治療者が正当のものとして認められ、いかにしてその成果が、政府の保健サーヴィスに取り込まれるか、という質問になる。全てのヘルス・ケア・システ ムというものは、それを選んだ傷病者のニードと期待に合致するものである。そうでなければ、そのシステムは生き残ることが出来ない。あるケースが心霊療法 の中心的な治療価値を持ち得るような良い例であれば、もっと伝統的な治療法にとっても有用な例なのである。そのケースは、メキシコのエックス線治療者の役 に立つことにもなるのである。そして、もし現代医学の外部由来の治療法や治療者を正規の保健サーヴィスに取り込むことを考慮すれば、あるシステムがより古 いとか伝統的だという理由で、それが結果的に良い治療法でも別の方を選択するということは独断的であるように見える。だが、それは十分に起こりうることで ある。プライマリー・ヘルス・ケアのニードに応えるような伝統医療やその治療法の役割について真剣に考えているプランナーであれば、手技による心霊術や他 の代替医療を拒絶するだろう。理由はなぜか?プランニングと政策の段階で、伝統医療の見える機能と見えない機能をはっきり区別してしまうからである。今日 第3世界に置いては、伝統医療はナショナリズムの最も強力なシンボルの一つであり、文化の深さとそれを担う者の才能の証となっている。それ故に、伝統医療 は魅力的である。現代の代替医療は、こうしたシンボリックな価値を欠いていて、それを必要とする人々を助けること以外、何の役にも立たない。
 結論として、近い将来リップ・サーヴィスが大いに用いられることで、伝統医療とその治療者に利益を与えるのではないかと思っている。しかし、それが国の サーヴィスの発展に与えるインパクトは極めて小さいであろう。

原註
(1)合衆国での一般的見解に反して、中国の裸足の医者は、普通、伝統医療の治療者ではない。彼(時として彼女)は、イデオロギー的に結ばれた共同体に よって選ばれた若者であり、必要であれば喜んで時間外でも働き、数週間から数カ月間基本的な訓練を受けたものである。一方、裸足の医者は、科学的医療と同 様伝統医療も用いるように努力する(Hsu 1974, Sidel 1972)。そのモデルが、他の発展途上国にも適しているかどうかについては、反対意見がある[「中国の《裸足の医者》は、イランに輸出できるか」 (Ronaghy and Solter 1974)参照]。
(2)正規の保健サーヴィスにおいての土着の医療と治療者が現在の世界でどのようなステイタスを持っているかについては、エル・パソの論文集の中のポリス とヘルガ・ベリミロヴィクの総説に詳しい(B.Velimirovic and H. Velmirovic 1978)。
(3)これはスノウ(1973)が報告しているものと同一の女性である。


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他山の石(=ターザンの新石器)

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