はじめにかならずよんでください

人類学と栄養

Anthropology and Nutrition: A Note on George M. Foster and Barbara G. Anderson' Medical Anthropolpgy, 1978

"Happiest Man in China", taken in 1901 by British anthropologists after deciding to document the Chinese. The Chinese didn't know photos were a "serious matter" and decided to be goofy, hence the pose and smile.

解説:池田光穂

医療人類学
第15章 人類学と栄養

適正な栄養とは何か

 世界の40億の人々のうち、何百万人もが栄養失調や低栄養の状態にある。正確な数値はない。というのも飢餓状態にある人々に関する調査はなく、また適正 な栄養と不適正な栄養とは広帯域であり、明確な一線で区別できるものではないからである。その基準がどのようなものであろうと、飢え(しばしば飢餓)は世 界の多くの国々で健康状態の改善を進める上での最も大きな障壁となっている。栄養失調は感染に対する抵抗力を弱め、多くの慢性疾患を招き、激しい労働を続 けることを不可能にする。また離乳期における蛋白—カロリー欠乏症は永久的な脳障害につながると多くの専門家は考えている。栄養失調の問題の多くは、非工 業国が急増する人口に見合うだけの食糧を生産できないために起こっている。農業技術の改良を通じて、世界の食糧生産力を増大させることで、カロリーと蛋白 質の絶対的な不足から起こる栄養失調状態を減少させることができる。しかしまた栄養失調は食物と健康との関係についての広汎ではあるが間違った信念や、手 に入る食物を十分に活用することをはばむ信条、タブー、慣習などのために起こっている。もちろんこのような間違った食習慣のために起こる栄養失調は、第3 世界に限ったものではない。それは、我々の国でも広く見られる現象である。世界中の栄養問題は食糧不足だけでなく文化的な形態のために起こっているという 認識のもとに、国際的あるいは内政的な開発諸機関は食糧増産だけでなく、伝統的な食習慣を変革して、手に入れられる食物から最高の栄養水準を達成すること を目指している。

 それは非常に困難な仕事である。食習慣というのは、全ての習慣のなかでも最も変えにくいものであるから、好き嫌い、何が可食物で何がそうでないかに関す る信条、食事と健康状態あるいは年中行事との関係についての確信などは、人生の早い時期に決定される。ほとんどの人々は幼い頃からの食習慣を壊し、非常に 異なった食習慣を身につけることには、大変な困難を感じる。他の多くの習慣と同様に、食習慣は全体的な文化のコンテクストの中においてのみ理解しうる。し たがって、食習慣を改善するための効果的な栄養教育は、食物が様々な機能を果たす社会的制度であるという理解をその基盤に持たねばならない。

 文化的コンテクストにおける食事の研究—これらの実際的な問題に示されるような—は明らかに人類学者の役割と思われる。というのは人類学者は医療に関す る信念と実践の研究を通じて、その初期のフィールドワーク以来、研究した諸民族の食習慣や食に関する信念についての情報を集めてきたからである。そして医 療に関する信条と実践への興味が、健康に関する具体的な問題と結びついた時、医療人類学が誕生したように、食に関する信念や実践に対する興味が現実の世界 的な栄養問題と結びついた時、ここに栄養人類学という新しい分野が誕生した(Pelto and Jerome 1978と比較せよ)。この栄養人類学委員会(医療人類学委員会にある)の代表者であるノージ・ジェロームはこの新しい分野を最近次のように定義した。 「栄養人類学は栄養学と人類学の両方の分野を包含する。栄養人類学が扱うのは、人間の栄養学的状態に影響を与えるような人類学的な諸現象である。したがっ て様々な環境のもとでの栄養的なばらつきに対する人間の進化、歴史と文化、適応などが栄養人類学における主な対象となる」(Kotona-Apte 1976:8)。

 この章では栄養人類学の2つの重要な側面を考察する。それは、(1)食物の社会的、文化的、心理学的特質(すなわち食物の栄養学的役割ではなく、社会的 文化的役割)、(2)食事の社会文化的、心理学的次元が、特に伝統的社会において、栄養学的適正さという問題とどのように関わってくるか、の2点である。 このように我々のアプローチは厳密な栄養学的科学的視点ではなく、人類学的視点を反映している。

文化的文脈における食物

 人類学者は食習慣を、料理、好き嫌い、民族学的な知恵、信仰、タブー、生産や準備や消費にまつわる迷信等の全ての複合体としてとらえる—言いかえれば、 一つの主要な文化的カテゴリーと見なし、他の様々な文化的カテゴリーと相互に影響を与え、関係のあるものと考える。もちろん彼らは食物が生命にとって必要 不可欠なものであり、それが結局生理学的な現象であることを認識している。しかし少なくとも文化人類学者は文化における食物の役割に注目し、社会的関係を 再確認し、信仰や宗教を正当化し、多くの経済的形態を決定し、日常生活の大きな部分を支配するような表現的行為としてのその役割に興味を持っている。言い かえれば医療システムが健康と病気を越えた役割を演ずるように、食習慣も単に人体に栄養を分け与えるのみならず、社会的な役割を演じているのである。まず 最初に食物のこのような役割や、ある文化的特質に注目してみよう。

1 文化は食物を決定する

 「食物とは何か?」という質問は、一見ばかげているように見える。食物とは、畑で育ち、海から取れ、マーケットで売られ、食事どきに食卓に現れるもので ある。しかしこの質問は栄養の問題を理解する上で重要である。食物とは文化的な現象であり、単に生命を維持するために生物—ヒトも含めて—に利用される生 化学的性質をもつ有機物ではない。むしろ、全ての社会の成員にとっては、食物は文化的に決定される。食べてもよい物として、それは承認と真性の文化的刻印 を必要とする。非常な飢餓状態においてさえ、手に入る全ての栄養物を食物として利用している集団はない。宗教的なタブー、迷信、健康観、歴史的な出来事な どのためにいくつかの栄養的には望ましい物が全ての食事から除外されている。それらは「不可食物」として分類される。言いかえれば「栄養物」と「食物」と は違うという認識が重要なのである。栄養物とは、生化学的概念であり、それを消費する生物に栄養を与え健康な状態に保つことが可能な実体である。一方食物 とは文化的概念であり、「これは我々の栄養物として適している」という声明である。何が食物であり何が食物でないかについての我々の確信は非常に強固なた め、栄養改善のため伝統的な食生活を変えるように人々を説得するのは大変困難である。

 合衆国においては、多民族的起源のため、また広汎な生産システムのために、我々は驚くほど多くの種類の食物を手に入れることができる。恐らく世界中の社 会のうちで—少なくとも中・上流階級については—アメリカほど多種多様な食物が消費されている社会はないだろう。それでもなお他の文化のメンバーにとって 重要な栄養物であり、我々もそれを知ってはいるが、普通我々が可食物とは判断しない栄養物がたくさんある。例えばウマ、イヌ、ヒバリやウグイス等の小鳥、 カエル、サンショウウオ、ウニ、タコ、海草、ドングリ、アルマジロ、ガラガラヘビ、トンボ、アリ、イモ虫、バッタ、リュウゼツラン回虫、メキシコの「飛ぶ 南京虫」ジュミル(jumil)などである。このリストはまだまだ続けて書けるし、実際ほとんどのアメリカ人が決して口にしない「食物」だけで栄養的に適 切な食事を作ることができるのである。

 個人的な好みによって、各人が消費する食物の種類はさらに減らされる。なぜなら我々の文化が、可食物と承認する全てのものを好む人はいないからである。 我々が気づいているように子供の頃の体験は、大人になってからの嗜好と深い関係がある。つまり子供の頃から馴染んでいる食物はずっと好まれるが、大人に なってから知った食物は受け入れられにくい。もちろん新しい食物を食べてみることに喜びを持つ人もいるが、多くの人は慣れ親しんだ献立を最も好むようであ る。合衆国での研究によると「最も嫌われている」食物は、バターミルク、アメリカボウフラ、ナス、キャビア、ひき割りトウモロコシ、カキ、カブラ、リン バーグチーズ、豚足、豚の脳や肝臓、腎臓、心臓、胃などの内臓であった(例えばHall and Hall 1939, Wallen 1943)。

 栄養的な環境を十全に利用することに気乗り薄なのはアメリカ人だけではない。ジェリフェとベネットが指摘しているように、「人間はどこに住もうと、どん なに不利な状況のもとでも、手に入る事実上の可食物のうちのほんの一部しか食べていない」。その一例として彼らは「栄養的にひどく困窮しているタンガニー カ(タンザニア)のハツアの狩猟民」のケースを取り上げ、彼らが「動物の血としとめた動物の心尖を几帳面に捨てて食べようとしない」ことを指摘している (jelliffe and Bennett 1962:175)。

2 食欲と空腹
 
 食物が文化的に規定されるだけでなく、いつ食べるか、何からできているか、どのように食べるかなどの食事の概念もまた文化的に規定される。栄養状態の良 好な人々の間では、文化はいつ彼らが空腹であるか、その空腹を満たすために何をどれくらい食べるべきかを命令する。朝起きた時ほとんどのアメリカ人はヨー ロッパ人が感じるよりも、たくさんの食物を必要とするように感じる。正午頃になると多くのアメリカ人の胃は—たっぷりした朝食にもかかわらず—強い空腹の サインを発する。一方メキシコ人の胃は午後3時か4時までおとなしくしている。その時刻になるとメキシコ人の胃は同じような苦悩のサインを発する。そのメ キシコ人の胃は夜の9時か10時になると軽い食事を要求する。胃の持ち主によると「高度なため」(メキシコ・シティで7200フィート)と説明する。しか しボゴタでは胃は同じ時刻に重い食事を要求し、それは「高度なため」(8700フィート)であるらしい。

 言いかえれば食欲と空腹は関連はあるが別の現象である。満たされることを要求する食欲とは、文化的な概念であり文化によって非常にばらつきがある。それ と対照的に空腹感とは生理学的な概念であり、栄養的な損失を意味しているだけである。

 多くの社会において、食物を十分に定義しようとすれば、食事と食事時の概念についての考察を抜かすことはできない。合衆国では普通、栄養価を持つ全ての ものは食物と考えられ、いつ食べる物かという点は無視されている。もっとも午前と午後のコーヒーは—栄養価のあるクリームと砂糖が入っていても—普通「食 物」を含んでいるとは見なされていないが。他の社会ではこの対照はもっと鮮やかである。例えばメキシコの農村地方では「食物」とは食事時に摂られるものの ことである。間食、例えば季節の果物、ピーナッツ、砂糖漬けのカボチャ、その他の珍味類がテーブルの上に置かれており客人に供されるが、それらは「食物で はない」。それらは食べられ楽しまれる何かではあるが、食事時の料理とは概念的に区別される。メキシコで初期の栄養調査が行われた時、この農村での慣習的 な区別が十分には理解されていなかった。昨日何を食べたかと聞かれた時、聞かれた側は正規の食事時に食べたものを挙げた。このため幼虫や昆虫などの珍味類 を含めて、栄養価もあり重要な食品が分析から除外され、その結果事実よりもバランスの悪い食生活が浮かび上がってきた。

3 全ての社会は食物を分類する

 全ての集団において、食物は様々な方法で分類される。例えば正式の食事や間食として何が適当かが、地位や威信、社会的行事、年齢、病気と健康、象徴的な あるいは慣習的な価値観などに対する考え方に従って分類されている。例えばアメリカ人は、それぞれの食事に何が適しているかについて大変強い信念を持って いる。もちろん大食漢で朝食に牛のヒレ肉を食べる人もいるだろうが、彼らでさえスープやサラダやチョコレート・プディングは朝食に向いていないと言って断 るだろう。また卵はいつの食事にも素材としては受け入れられるが、調理法は違う。目玉焼きは朝食にしか向かないがオムレツにするとどの食事にも向く。アメ リカ人が朝食に対して抱いている信念は非常に強いので、恐らく世界で唯一、我々は「朝食用食物」という言葉を持っている。

 地位への関心は、特に食習慣を変えるに際して重要な役割を演じる。例えば農村のメキシコ人は空腹な時にはトルティーヤを好むが、白パンははるかにステー タス・フードと見なされており、特に朝食に白パンを食べる場合はそれが著しい。カスラーとデギヴはアメリカ南西部の下層階級の黒人と白人の間で、白い食物 は黒い食物よりも高く評価されていることを指摘した(Cussler and deGive 1970:112)。これは世界各地で見られる現象であり、階級意識を持つ、持たないに関係がない。例えば精白されていない茶色い米より栄養的には劣るに もかかわらず、白い米に人気が集まるのはこの威信に関する考え方のためと考えられる。発展途上国の人々にとって、洗練され、包装され、大々的に広告されて いる食物は抵抗できない魅力を持っているようである。これらの食物が伝統的な料理よりも栄養的には劣っている場合にさえも。先進国ではまた、栄養的な現実 と関係のない地位に関する考え方の影響を受ける。例えば豚や羊に比べて牛肉がほとんど世界的に好まれている。

 恐らく全ての民族は、健康と病気との関係、ライフ・サイクルの各段階との関係において食物を分類している。人類学者が調査した社会において、出産前後の 食事制限が指摘されており、食事制限は病気の際の社会的なルールである。アメリカでは「軽い」食物と「重い」食物が区別され、前者は病人や回復期にある人 にふさわしく、後者は健康な者に許される贅沢品と見なされている。フランス、そしてそれほどではないがイタリアではある種の食物に対して「男性性」「非‐ 男性性」という性質を付与するという考え方が見られる。男性的な食物は、濃い色、強い香料、「重さ」、体を「興奮させる」ような性質等によって特徴づけら れ、これならばもちろん男性に特にふさわしい食物である。非‐男性的な食物はそれとちょうど逆に、「軽く」、白く、軟らかく、例えば牛肉と赤ワインに対す る仔牛と白ワインのようなものである。これらは女性と子供によりふさわしい。

 食物の分類法のうちで最も広く行き渡り、特に健康観との関連で重要なものは、4章の体液論にも出てきた「熱—冷」2分法であろう。おのおの文化が個々の 食物にどういう性質を付与するかは様々であるが、共通の理念はバランスよく食べ、熱いものや冷たいものの摂り過ぎを避ければ、健康を最も良く維持できると いうものである。例えばある北インドの村では熱い食物として、干しエンドウ、粗糖、水牛の乳、卵、魚、そして特に肉、玉ねぎ、にんにくの熱い料理を含んで いる。牛乳は肉や魚とともに摂ると熱を発生するので良くないと信じられている。規則的・習慣的に過度に熱い食物をとり続けると、性質が「熱く」なり怒りっ ぽくなる。冷たい食物には葉野菜、にんじん、ひしの実、凝乳などが含まれる(Hassan 1971:62)。また後で述べるように、こうした熱—冷2分法に基づくタブーは病い、乳幼児期、妊娠、産後などの時期に深刻な栄養問題を引き起こすこと がある。

4 食物の象徴的役割

 食物は生命に必要不可欠であるのは明らかである。食物はまた社会的交際にも必要不可欠である。個人と集団、または集団間での関係を象徴的にうまく表現す る方法が、食物によってできなかったとすれば、社会生活がどのようにして成り立ちうるか、理解し難い。

a  社会的紐帯の表現としての食物

 おそらく全ての社会において、食物(時には飲物)の提供は愛情や友情の提供を意味するであろう。差し出された食物を受け取るのは、示された感情を認識し それを受け入れることを意味する。おあずけをくわすこと(母親がいたずらな子供を叱る時のように)や、文化的に食物の提供が期待される場面で食物を提供し ないことは、怒りあるいは敵意を表している。同様に差し出された食物を拒むのは、愛情や友情の提供を拒むことであり、提供者への敵意を意味する。英語には この象徴性を定式化した「飼い主の手を咬む」という諺がある。人は友達や恋人とともに食事をしている時、最も安心し、ほとんどの社会では公的なまた私的な 食事はこの感覚を象徴的に表している。普通我々は敵と食事をともにすることはない。まれにあるとすれば、ともに食べるという単なるその行為は少なくとも食 事中は対立関係が中断されることを意味している。

  チンツンツァンで、ある母親は長女が結婚して村を出て行き、たまにしか会えないのでひどく悲嘆にくれていた。彼女の末娘は数件向こうに住んでおり、そこへ 食物や珍味類や何か特別なものをちょくちょく届けることが彼女にとって大きな喜びとなっている。そして時たま彼女はまる一日かかっても、遠くに住む長女に 何か特別なものを作って持って行かなくてはならないと思うのである。
 チンツンツァンでは夢が食物の表現的な側面によって最大の関心事をよく示しているように思われる。主婦が最もよく見る夢は、家に客を呼ぶことになり一生 懸命に食物を用意するが、結局支度が間に合わず客をもてなすことができないという夢である。社会的適応に対する自信喪失がこの主題の中に表れているといえ る。他に女性によくある夢では、食物をすすめられるが味が感じられず何も食べた気がしないという夢がある。彼女は明らかに、他人から差し出された愛情や友 情に十分に応じることができないのではないか、という恐れを表しているのだ。

 農村のメキシコ人の間では、顔見知りで好意を持っている相手から提供された、起源や中身や調理法のわかっている食物は安全を象徴する。一方、見知らぬ人 (例えば村人が大都会への短い旅でばったり出くわしたような)が用意した、知らない材料からなる奇妙な見知らぬ食物は危険を象徴する。大都市にただ不慣れ な村人が、たまに出かけた場合に、彼らの抱くもっとも大きな先入観は食物に関するそれである。そしてもし彼らが小さな食堂や市場で親しみやすそうなあるい は同郷の料理人や経営者に出会ったりすると、しばしばかなりの無理をしてでも、繰り返しそこを訪れ安心感を得ようとする。都市を訪れた村人の話の共通の テーマに、見知らぬレストランで出されたタマーリやスープに赤ん坊の体一部が入っていたというのがある。このカニバリズムのモチーフは、馴染んだ環境から 引き離された時に人が感じる基本的な不安を表している。

b  集団の団結を表現する食物

 アメリカ人は家族や友情のきずなを維持するという食物の役割を認識している。少なくとも観念的には大きなテーブルの回りに集まりともに食べるという行為 は、家族の団結を象徴している。例えば初期のもっと素朴だったアメリカでは、日曜日の礼拝の後、祖父母、両親、子供達で囲むディナーは家族の一体感を強く 意識させるものであった。また、より広い意味で食物は民族的国家的なアイデンティティの象徴と見なされている。しかし全ての食物がこの種の象徴的意味を担 うわけではない。最もその意味が強いのは、その集団固有の食物、あるいは固有と信じられている食物であり、多くの国で食べられ、多くの民族に知られている 食物にはそのような意味はない。アメリカの感謝祭のごちそうは、国家的団結を象徴するという食物のこの機能をよく表している。つまり我々は七面鳥を食べな くてはいけない。それは北米原産でピルグリム号の祖先たちが狩った鳥であるから。そしてプリスマ近くの湿地に生えるクランベリー、インディアンが最初の移 住者に栽培するように教えてくれた新世界の穀物から作るコーン・プディング、アメリカ原産種のカボチャから作るパンプキン・パイを食べなければいけない。 アメリカ人はロスト・ビーフとジャガイモと肉汁で同様に満足できるが、感謝祭にはそれではいけない。アメリカの民族的なあるいは年齢的な諸集団は、その集 団のアイデンティティを象徴する食物を見つけ出す。例えば黒人のソウルフード、メキシコ系アメリカ人の南西部風トウモロコシ料理、多くの若者の健康食、自 然食、長寿食などである。

 現代の世界において土着の食物を象徴的に使用することは、しばしば国家的民族的きずなを再確認するための仕掛けとなっている。メキシコでは、モレ・ソー スのかかった七面鳥、トルティーヤ、豆、つぶしたアボガドのガカモール(guacamole)など、新世界、特にメキシコ原産の材料を使用した料理は行事 の際の食事を特徴づけている。モレ・ソースは特に興味深い。それはバニラ、チョコレート(ともにメキシコ湾原産)、ピーナッツ(西インド諸島)、征服前の メキシコ人が根づかせたトマトとチリ・ペッパーからできている。その他の象徴的な食物にはアラブ諸国の羊肉、西アフリカのヤシのワイン、ペルーのホット・ ペッパーや土着トウモロコシのコクロス(choclos)、ライムジュースに漬け込んだその地方の魚(ceviche)、サハラのクスクス (couscous)などがある。

C  食物とストレス

 他の文化的な工芸品よりも、食物はそれを用いる人のアイデンティティを強く反映する。したがってストレスに満ちた状況においても、人に安心感を与えるの である。多くのアメリカへの移住者はしばしばかなりの出費と努力をしても、できる限り祖国の食生活のパターンを守っている。一方海外のアメリカ人は冷凍さ れ、缶詰にされ、包装され、彼らが使い慣れた食品を置いているアメリカン・スタイルの店を見つけて喜ぶ。安心感を与えるという食物の心理的効果は、人が不 幸や強いストレスのもとでは普段よりたくさん食べ、間食をたびたびするという共通の習性からもよくうかがえる。

 バージェスとディーンは、食物に対する態度は、ストレスの感覚のみならず危険の察知を反映すると示唆している。生命の危険や情緒的防衛といった内的なス トレスとうまく折れ合っていく2つの方法は、彼らによると、一つは外的な危険を過大評価することであり、もう一つは内的な不安を外的な影響のせいにするこ とである。様々な種類の魔術的な企ては外的な危険をはぐらかしなだめるためか、ある危険を拮抗させるために行われる。「臨床的にある特定の症状にある時 に、《熱くする》あるいは《冷たくする》食物を与えるという療法は、このバランスをとるというテクニックの一種と考えられる。同様にある種の食物を避ける という療法は、危険な影響と見なされているものを遠ざける無意識的な魔術的テクニックであり、栄養学的なテクニックではない」(Burgess and Dean 1962:68)。

  またキューリエは、メキシコの熱—冷2分法を健康観との表面的な関連からのみでなく、その隠れた象徴的意味から解釈している。「冷たさは生存の危機的局面 と関連があり、暖かさは安堵と関連がある」と彼は言っている(Currier 1966:256)。この意味から言って、多くのアメリカ人が何の栄養学的根拠もないのに、暖かい食物のほうが冷たい食物よりも栄養的に望ましいと信じて いるのは興味深い。そして、我々は1日に最低1回は温かい食事が摂れるように相当な苦心をし、多くの人は1日の始まりを暖かい朝食で迎えると、その日1日 の労苦に立ち向かうことができるように感じる。

d  言語における食物の象徴性

 諸言語は様々な度合いで、食物と人格の認識と情緒的状態との間にある深い心理学的対応を反映している。英語では恐らく他に比類がないほどに、食物の性質 を示す簡単な形容詞が、人の性質を描写するのにそのまま用いられる。例えば冷たい、暖かい、甘い、酸っぱい(sour)、苦い、塩辛い、ぴりっとした、 酸っぱい(acid)、刺激的な、酸っぱい(tart)、硬い、柔らかい、ぱりっとした、甘口の、強い、弱い、新鮮な、腐ったなどのように。また食物の調 理法(始まりと終わりのある一時的プロセス)を示す言葉は、気分(一時的であり、永続的な人格的特徴とは対照をなす)を描写するのに用いられる。例えば、 ぐらぐら沸かす(“boiling mad”)、ぐつぐつ煮る(“simmering with anger”)、ふかす(“all steamed up” about something)、燃やす(“burned up”about something)、煮込む(“stewed”また何か心配事について“stew”する)、焼く(“half-baked”)、とろ火で煮る (coddleつまり過保護にすること)など。他に個人的特徴を描写するのに用いられる用語としては、「ミルクとハチミツ」のような顔色とか、「肉とジャ ガイモ」のような男とか、「ミルク・トースト」などがある。

 英語はまた食物や食べる行為と情緒的な状態との象徴的な絆を示す、他の表現に富んでいる。例えば我々は食物に飢えるのと同様に、「愛情に飢え」たり「友 情に飢え」ることがある。肥満の原因の一つは、孤独な人々が愛情や友情の代償として食物をとるためだと認識されている。自分が間違っていたことがわかって 恥ずかしかったり当惑した時、我々は「言葉を食べ」たり(前言を取り消す)、「カラスを食べ」たり(降参する)、「ハンブルパイを食べ」たり(屈辱を受け る)する。何かを恋い求めていることがはた目にも明らかな時、我々は「何があなたを食べているのか?」と聞かれたり、「心を食い尽くしている」(思いつめ る)と評されたりするだろう。失望した時には我々は「かたまりを喉に詰まらせ」るし、品位が汚されるような状況に直面し、それに対して何もできない時に は、我々は「プライドを飲み込む」。だまされやすい人々は「釣り針にひっかかる」(“bite” or “take the hook”)、また、我々は何かに「うんざり」(“feed up”)したとき、「かみつくような」(“biting”)意見を言ったり、かみつくような返答をした覚えがあるだろう。

  英語以外の言葉については、性格や気質を描写するのにこの食物の象徴性がどの程度用いられているかは定かでない。というのは、人類学者も言語学者もこのよ うな用法に関心を示さなかったように思われるからである。我々のフィールドノートには、インドネシア語とスペイン語からのいくつかの例がある。インドネシ ア語では「見かけが素晴らしく美味しそう」、「納豆のように熱狂的な」(あるいはキャッサバ《すなわち、なまけもの》)、「冷たい人」、「甘い顔をしてい る」、「酸っぱい顔をしている」、「既に多くの塩を食べて来た」(すなわち、成熟していること)、「小さなチリ・ペッパー」(賢くて小さい人の描写)等の 表現がある。スペイン語では人は「甘い」、「酸っぱい」、「苦い」、「幸せな」(saleroso)、「不運につきまとまとわれている」 (salado)、「味気ない」(すなわち、退屈な)、「冷たい」、「暖かい」、「柔らかい」などと表現される。

栄養学的適正さに対する文化的障害物

 人口の急増が見られないところでは部族民や農民は、同じ場所に長く定住し、ふつう周囲の環境を活用してバランスのとれた食生活を達成するのにかなり成功 している。もちろん彼らは手に入る全ての栄養的資源を「食物」としているわけではないが、試行錯誤を通じて力と健康を維持するために何が必要かを学んでき た。主食と季節的な珍味、例えば果物、薬草、木の実、幼虫、昆虫などを組み合わせることによって彼らはしばしば満足すべき水準の食生活に到達している。こ れらの部族民や農民族達が往々にして学ばなかったことは、食事と健康、食事と妊娠との関係、離乳後の子供に必要な特別な食物についてである。もちろん世界 の栄養失調は食料の絶対的な不足が原因であるが、文化的な信念やタブーが「手に入れられる」食物の利用を制限するために、この問題は悪化させられている。 したがって健康改善の計画を立てるにあたっては、食糧をより多く供給する方法だけではなく、手に入る食物を最も効率よく利用する方法が見出されなければな らない。

1 食事と健康との関連の認識不足

 前述したような食物に関する基本的で慣習的な知恵は、いかに食物を最も効率よく利用できるかという点に関する理解のギャップによって特徴づけられてい る。これらのギャップのうちで最も重要なのは、食物と健康とのポジティブな関係がしばしば認識されていないということであろう。適正な食事というものがそ の質ではなく、量的側面から捉えられ、十分な主食があれば適正と考えられ、多種類のバランスのとれた食物が必要だとは考えられていない。したがって望まし い食物が存在するところでも栄養失調は存在する。

 例えばシャーマンによると西ウガンダのアドホラ族には「食物にはそれぞれ異なった栄養素が含まれているという考え方はない。アドホラ族は栄養・・・・・ と健康の間に何の関係も認めない。・・・・・アドホラの信念には、ある特定の食物の《欠乏》のために病気が起こり得るという考え方はない」 (Sharman 1970:81)。またハサンは、北インドのシナウラの村において、「一般に、重要なのは食物の適正な量であると信じており、質という考え方はある種の “強精的な”食物と認識されているものに限定されていて・・・・・健康を維持するための食物とエネルギーを得るための食物との区別はなされていない」こと を見出した(Hasan 1971:57)。南洋での栄養問題の実態に詳しいジェリフェとベネットは「スーパー・フード」(すなわち、他の食物で補われなければ、満腹感は得られて も栄養失調となる主食のこと)の問題を取り上げている。ブガンダでは「栄養失調を防ぐ様々な栄養物が手に入るにもかかわらず、それを十分に利用しようとし ないために、幼い子供の間に蛋白—カロリー欠乏症が多く見られる」ことを指摘している(Jellife and Bennett 1962:174-175)。彼らによると、手に入る食物を利用しようとしないのは、「スーパー・フード」(すなわちバナナの一種)だけが本当の食物でそ の他のものは何の重要性もないという信念のためであるらしい。

 奇妙なことには伝統的な民族は、しばしば良い食事と良い健康状態との間にポジティブな関係を認めないのに、食事と病気とのいわばネガティブな関係につい ては認めていることが多い。つまり病気の際に、最も必要な食物が患者の食事から取り除かれる。サンタ・マリア・カウクェのグァテマラ人の村の食物と健康と の関係を描写する中で、ソリアンとスクリムショウは、おそらく非常に広く行き渡った間違った考え方を述べている。それは健康は人がいろいろの種類の食物を 選ぶことを許すが、不健康は選択範囲を制限するという考え方である。「サンタ・マリアでは人々は子供を健康にするためではなく、子供が健康だからたっぷり と食事を与える。健全な食欲は健康と関連づけられる。・・・・・しかしほとんどどのような程度の病気も、食事の一部が取り除かれるという結果に終わる。子 供達にとっては不幸なことに、この取り除かれる部分に良質の蛋白質が含まれており、全ての種類の蛋白質を含んでいるという場合がほとんどである。こうし て、豆やトルティーヤとともに肉やミルクをもらっている子供が下痢でも起こせば、これらが食事から取り除かれ、代わりにほとんど炭水化物のみからなるア トール(atole)や粥を与えられることになる」(Solien and Scrimshaw 1957:100 傍点筆者§)。蛋白質に富む食物、特に肉やミルクは回虫のいる子供の食事から取り除かれる。というのは、それらが「虫を起こす」と信じられているからであ る。もちろん食物は病気の直接の原因とは考えられていないが、ある種の食物は状態を悪化させるだろうと考えられる。このようにして「妊娠中や産後において さえ、食物は積極的に健康を増進させるという性質のためではなく、母親や子供(母乳を通じて)を《痛め》ないように注意深く選択される。こうして《有害 な》食物が除かれ、《無害な》食物が許される」(同書)。

 多くの社会においてある種の食物を禁じる理由として、年齢やその人の状態が挙げられるだろう。例えば西アフリカのある地方では子供に卵が、泉門の閉鎖が 遅れるという理由で(例えばナイジェリアのヨルバ)、また卵を食べた少年は泥棒になるという理由で(同じくヨルバ)、また卵を食べた少女は堕落するという 理由で(ガーナ)、禁じられている(Hendrickse 1966:344)。一例として、父親が養鶏業を営み週に何百個と卵を売るのに、ひどい蛋白質欠乏症の子供に決して卵を与えようとしなかったというケース がある(同書)。

 マレーシアの西海岸のマレー人の間では、産後の女性はひどく弱りやすく、特に空気からの「冷たさ」や「冷たい」食物に弱いと考えられている。したがって 全ての「冷たい」食物が出産後40日間の「焼けつくような日々」(roasting period)の間禁じられる。冷たい食物の中にはほとんど全ての野菜、「熱い」ドリアンを除く全ての生の果物、全ての酸っぱいもの、調理していないも の、揚げたもの、多くの魚、カレー、肉汁、その他のソースが含まれている。産後の女性に許されるのは、卵、ハチミツ、イースト、タピオカ、調理したバナ ナ、焼いた魚、黒コショウ、コーヒー(すなわちこれらは「熱い」食物である)に限定される。これらの制限のために彼女の食生活は望み得るよりも不適切なも のとなっている(C.Wilson 1973)。

2 子供の栄養に関する認識不足

 部族民や農民の伝統的な食生活の知恵との第2に重要なギャップとは、離乳前後の子供が特別な栄養を必要とするということをしばしば見落としていることで ある。栄養の所要に関して、子供たちはあまりにもしばしば、単に小さな大人と見なされている。ヘンドリクスは熱帯アフリカにおけるこの問題を指摘してい る。「よちよち歩きの子供が、肉、魚、卵などをほとんどもらっていないという事実は、幼児は蛋白質に対する特別な要求があるということを認識していないた めに起こる、と言うような無関心を引き起こすことはないだろう。そして、そのような地方的なタブーがこれらの食物を幼児がとることを制限するだろう」 (Hendrickse 1966:344)。西ウガンダのアドホラ族に限って言えば、シャーマンは「子供が特別な食物を必要とするとは考えられておらず、子供ために用意される食 物はない」と記している(Sharman 1970:82)。そしてジェリフェとベネットも同じことを指摘している。「多くの地域では、子供には特別に用意された食物と一日に3、4回の食事が必要 だという考え方は聞かれない。なぜならば人々は成長と食事、栄養失調とある種の食物の欠乏との間の西洋人が習慣的に行う関連づけをしないからである」 (Jelliffe and Bennett 1962:175)。

 他の幼児期における栄養上の危機は、子供のいやがることは何も押しつけてはいけないというしばしば見られる信念のために起こっている。特別な乳児食や離 乳食が必要であるという考え方が見られない。世界の各地では、母親が子供に「体にいいから」とある食物を無理強いすることはまれである。子供は大人のよう に食べたい物を選び、嫌な物を拒むことが許されている。乳幼児の栄養状態の向上を阻むこの障壁は、グアテマラでの例にもよく表れている。「新しい幼児食 は・・・・・もし子供がそれを好めば、そして両親が好ましく思わないような結果と結びつかなければ受け入れられるだろう。一方、子供がそれを嫌がるか、そ の食物を初めて食べさせてみた時に吐いたり、下痢をしたり、いかなる種類の痛みでも訴えれば、その新奇な食物はもはや与えられない」(Solien and Scrimshaw 1957:100傍点筆者)。

 このような栄養に関する無知は—特に子供の食事における蛋白質の欠乏という結果に終わる無知は—クワシオルコール(Kwashiorkor)として知ら れる蛋白—カロリー欠乏症を引き起こすことが多い。1930年代初期にイギリスの生理学者シスリー・ウイリアムズによって最初に確認された、この病気の徴 候は(アフリカの子供の間では)、赤っぽい髪、成長不良、浮腫、蒼白、そして無気力である。そして適切な治療が行われないとふつう病気の子供は死亡する。 病名はガーナ海岸地方のガー語に由来し、「次の赤ん坊が生まれた時に年長の子供がかかる病気」を意味する。奇妙なことに、ウイリアムズの早期の研究にもか かわらず、この問題の重要性は1950年代に至るまで広く認められることがなかった(Cook 1966:330)。臨床的なあるいは半臨床的な形態で、クワシオルコールは、現在熱帯のその他の多くの地域に見られ、今日ではこの病気は発展途上国の乳 幼児の健康を脅かす危険のうちでも恐らく最も、そして多分最大のものと見なされている。

 インドの西ベンガル地方で子供達の間にクワシオルコールやその他の栄養欠乏症を数多く観察したジェリフェは、貧困に由来するその地域の基本的な食生制限 をより悪化させていると思われる、文化的な「障壁」のいくつかを記述している。これらの「障壁」の一つに、生後6カ月の男児と7カ月の女児に対して行われ る遅れたマクヘ・ブハト(mukhe bhat)、つまり米食養育の儀式がある。この儀式までは乳児は母乳か、少量の牛乳、サゴ、大麦等で薄められた母乳で育っており、これは蛋白質も含めて生 後6・7カ月の小さな生命の栄養的な所要にかなっている。しかしそれ以降、補助的な食品がこの基本的な食事に徐々に加えられなければ、乳幼児の健康はむし ばまれていくだろう。このマクヘ・ブハトは重大な社会的な、また家族の儀式であり、また費用もかさむ。この儀式は母方の叔父または祖父が膝の上に乳児を寝 かせ、煮た米と苦い食物、酸っぱい食物、緑の野菜、そして魚などの入ったカレーとを混ぜ合わせたものを口に入れてやることで完了する。これらがショクリ (shokri)、つまり慣習的に危険と考えられている食物であり、成長期の子供が必要とする全ての要素を含んでいる。

 もしも子供が適切な時期にマクヘ・ブハトの儀式を通過しなければ、その健康が危険にさらされることは目に見えている。それならばなぜこの儀式は必ずしも 正しい時期に行われなかったり、儀式を終えた子供が即座にショクリで育てられなかったりするのだろうか。それは貧困、吉日でないこと、適当な家族の不在等 のために遅らされることがある。儀式を終えた子を持つ母親の中には、乳児は歯が生えていないからまだショクリで育てられないという者もいる。正統派ヒン ズー教の女性では、汚れに対するわずらわしさが一役買っているようである。ショクリで育っていない子供の便は慣習上清浄とされている。だから母親は乳児が 排便した後、子供をきれいにしてやるだけでよい。しかしショクリの便は慣習上不浄である。このため母親は赤ん坊をきれいにした後毎度サリーを着替えなくて はならず、ベッドの布が汚れた場合には全ての寝具を洗わなくてはいけない。食事と健康との関係に無知な母親にとっては、これら全てのことがショクリで育て ないための十分な理由な理由と思われる。

 西ベンガルにおける乳幼児の適切な栄養を阻む他の「障壁」は、「熱い」、「冷たい」に関する分類に根ざしている。卵、肉、ミルク、ハチミツ、砂糖、タラ の肝油等、ガラム(garam「熱い」)と分類される食物は、熱い気候の間(1年の内ほとんど)、また子供がガラムと分類される病気にかかっている間は与 えられない。それらの全ての方法において文化的実践というものは、すでに深刻になっている栄養に、追い打ちをかけるような可能性についての制限を加える。 これは西ベンガルの貧しい村の母親たちの間で行われている(Jellffe 1957)。

 似たような文化的「障壁」は世界の各地に見られる。例えばウィースはハイチにおける体液病理学的な信念が、授乳期の母親の食物を著しく制限していること を見出した。貧困のために、女性が手に入れられる主食は最善の場合でも厳しく制限されているが、熱—冷式の制限のために普段は食べられる主食類の多くが授 乳中の母親には禁じられる。ハイチの農村地帯における栄養問題の緩和を目指しているヘルス・ワーカー達は、これらの「障壁」の性質を見落としがちなようで ある(Wiese 1976)。

 クワシオルコールの攻撃が、ふつう離乳後母親が再び妊娠した時に最も起こりやすいというのは注目すべきことである。この時まで乳幼児は多分かなり適切な 蛋白質を母乳から得ている。しかし、今や一人ぼっちで投げ出され、子供は苦境に陥る。この問題は父親や兄が女性や幼児より先に食事するという広く行き渡っ た習慣によって、さらに悪化させられている。彼らは得られる食物の中から蛋白質に富む部分を選んで食べ、女性や幼児には栄養価の低い部分が残される。長期 にわたる蛋白質欠乏の結果は、もし子供がクワシオルコールから回復できたとしても、恐るべきものである。今日、医学者達は、離乳期における蛋白質の不足は 脳に取り返しのつかない損害を与え、生涯にわたる知能の低下を招くと考えている。

 クワシオルコールの適切な治療が、その原因は心理学的なものであるという信念によって、妨げられる場合がある。これは、そのガー語の意味するところ、つ まり兄弟間の競争と年長の子供の敗北という意味からも明らかである。チピル(chipil)に対するメキシコと中央アメリカ(66ページ参照)における説 明も同様である。離乳したばかりのはいはい歩きの赤ん坊が、怒りっぽくなったり、無気力や無関心を表したり、泣いたり、短気やかんしゃくを起こすと—全て クワシオルコールの症候群—、母親は彼らはチピルにかかっている、つまりもはや乳を与えてくれない母親に対して怒り、年下のキョウダイをねたんでいると説 明する。医者ならばクワシオルコールのためと考えるこのような行動は、ウガンダではオブワシ(obwosi)と呼ばれる。これは少し違った方法で説明され るが、兄弟間の競争という、心理学的説明がやはりその根底に置かれている。オブワシはまだ生まれぬ子供の嫉妬によって起こると信じられており、この子供が 母乳を毒すので先に産まれた子供は離乳させなくてはいけないと考えられる(Burgess and Dean 1962:25)。

 クワシオルコールには多くの場合、心理的剥奪という要素があることは疑いを入れない。ウガンダにおける研究では、クワシオルコールのために入院した子供 の半数以上に母—子分離が見られた。それどころか、これらの入院した子供達は、母親が関心を注ぎ、付き添ってやると、母親が無関心な場合よりも、早く、完 全に、回復した(Geber and Dean 1956)。

 健康状態の改善という観点から見ると、チピルやオブワシとして説明されたクワシオルコールが、兄弟間の争い、蛋白質の欠乏、あるいは両方の組み合わせの 内どれによって引き起こされるかは問題とはならない。問題は地方的な原因論においては、病気は「全く」心理学的な言葉で定義され、この問題と食事とが関連 づけて考えられていないところにある。したがって母親が栄養学的な説明を受け入れ、喜んで彼らの伝統的な育児法を変えることが出来るかどうかは疑問に思わ れる。

C.  文化変化における栄養問題

 農村での長い定住生活において、かなり満足すべき水準の食生活を達成していた民族の生活が、換金作物、賃金労働、都市への移住などの導入によって崩壊す ると、しばしば食生活の悪化が起こる(Foster 1973:61-63)。バージェスとディーンの発見はその一般的な法則を示している。「もちろん収入の上昇に比例して食生活が向上するという一般的な傾 向は見られるが、逆に悪くなる場合もあり、特に自給生活から貨幣経済への移行時にその傾向が著しい。ココアや綿花、タバコといった換金作物が伝統的な自家 用穀物に取って代わる時、また家族が賃金労働のために伝統的な仕事を捨てる時、キャッサバのような劣った食物、または購入できる食物が、いつものより良い 食事に取って代わる」(Burgess and Dean 1962:17)。例えば南太平洋ではコプラの値段が上がると、栄養水準が下がる。というのは、島民は魚を捕らえ、作物を育てるのをやめて、缶詰の肉や 魚、砂糖、精製小麦などを購入するからである(同書)(1)。

 換金作物と栄養水準との間に見られる同じ関係をマルキオーネがジャマイカにおいて観察しており、並はずれた予想外の展開でもって、この論点を納得させて くれる。彼が1970年代の初期に、研究活動を行った教区では自給農業への全面的依存はまれで、収入は賃金労働や農作物の売却によって増加していた。全国 的な規模で食品価格が上昇すると、世帯は食費に収入の70〜90%を割かねばならず、経済事情のために半自給的な農業形態が増加する。より「原始的な」こ の経済システムへの復帰は、すでに深刻なものとなっている栄養失調の問題をより悪化させるだろうと予想された。しかし実のところ、半自給的生活をしている 農村地帯の貧しい家庭において、栄養失調、特に子供のそれは目立って減少したことをマルキオーネは見出した。自給農業の増加によって、この改善をほぼある いは完全に説明しうることは、食物の獲得方法に目立った変化のない都市部において、栄養失調率が変わらなかったことによって立証される (Marchione 1977:66-67)。 

 デュボスは食生活の悪化を、「生物学的知恵の喪失」という意味での経済的「進歩」の付帯状況として捉え、それは西洋とそれ以外の世界の両方に当てはまる と指摘する。「良い栄養物を嗅ぎ分ける本能などは存在しない。あるのは、試行錯誤からの、またある与えられた状況のもとで潜在意識的に得られた経験から の、ある種の体験的な知識だけである。しかし、この種の潜在的な栄養に関する知恵は、状況が変わるとすぐに失われる、特にその変化が急速すぎた場合には」 (Dubos 1971:55傍点筆者)。

 第2章で見てきたように、このような知恵の喪失は、農村から都市へ移住した、あるいは村に残っているが商業的な広告に左右されてベビーフードとして都市 の産物を購入できる母親に、その傾向が最も著しい。例えば、アフリカの多くの地域では、「教育と急速な都市化は、今の世代に対する慣習や伝統の支配力を弱 めている・・・・・母乳による授乳期間は、伝統的な社会におけるほど長いことはめったにない・・・・・賃金労働に従事する母親が、かつてなかったほど急増 し、その労働条件に合わすために授乳期間を短くしたり授乳をやめてしまったりしなくてはならない」(Hendrickse 1966:343)。乳幼児は親戚と共に残されるが、しばしば彼女たちは人工栄養の働きについて全く訓練されていないし、準備もできていない。「育児を間 違った方法で行ったためにどんな結果になるかはアフリカの病院を訪れれば、一目でわかる。このような人工栄養によって育てられた乳幼児は、栄養の所要が正 しく満たされることはめったにないため栄養失調となる。一方、育児法に関する間違った衛生学が、彼らは再発性の胃腸炎であると決めつけ、このため栄養不足 と死を招いてしまう。母乳栄養から人工栄養に切り換えることに伴う危険を認識しているアフリカ人の母親はほとんどおらず、また経済的な逼迫や専売的なブラ ンドによる《ベビーフード》の広告からの影響などのために、人工栄養は増加しつつある」(同書)。ジェリフェは西ベンガルにおいて、類似した現象を見出し た。そこでは社会的経済的に下層階級の母親の間で、広く宣伝されている乳幼児向けの粉末の炭水化物乳に、金を「浪費」する傾向が強まっている (Jelliffe 1957:137)。

 文化的な変動に伴う食生活の悪化というパターンの奇妙な一変形が、北インドのシナウラの村で観察されている。ここでは、インドのカースト制度における、 より高い地位に昇りたいという欲望のために、低いカーストの成員が菜食主義—最も高い階層の習慣—に転じ、その栄養状態を悪化させるという結果に終わって いる(Hassan 1971:58)。

食物の文化的相関が意味するもの

 栄養失調に苦しむ人々の栄養水準を改善しようとする人々にとって、その食生活上の欠乏を臨床的に分析することが、まず第一歩であることは疑いを入れな い。しかし改善家達はまた、食物の社会的機能、象徴的意味、食物に関する信念などについて知ることなしには、成果を上げることはできないであろう。もしも 推奨された食事が熱—冷2分法による制限に関する強い信念を犯すとしたら、この信念は普段の食事のみならず、妊娠、産後、病気といった人生の危機におい て、特に強い支配力を及ぼすのであるから、バランスのとれた食事を勧めても、ほとんど役立たないことになる。例えば、牛乳を食物とは考えない民族や、ラク ターゼ欠乏症のために少なくとも乳幼児期以降は牛乳を飲めない民族に、それを飲めと命じても何の意味もない。しかし地方的な信念はまた、積極的に、改善計 画に役立たせることもできる。ズール族と働き、また民族的動機に基づいて働いたカッセルは、ズールの人たちが古代の食事を良い食事であると理解させた時 に、現代の食事を改善させるたくさんの変化を喜んで受け入れたと報告した(Cassel 1955)。

 何百万という栄養失調の人々の間で、貧困と適切な食物の絶対的な不足は、栄養的な改善の可能性を阻んでいる。しかし、文化的な営為が、基本にある不足を いかにしばしば悪化させているかを見出すのは残念なことである。これらの慣習意識とその慣習を変えるために乗り越えるべき「障壁」に関する知識が、手に入 る食資源を人々が最大限に活用するのを助けるためには不可欠である。そしてこの点こそ、人類学が研究と指導の両面において栄養学に貢献できる部分である。

原註
(1)全ての文化的な「規則」に関して、もちろん、例外はある。例えばゲルファンドは、栄養上の疾病にかかっているローデシアのマショナの病院患者は、都 市よりも農村出身者がずっと多いことを見出した。また調査によって、都市部のショナは農村部のショナよりも良質の蛋白質と他の栄養学的に望ましい食物をた くさん消費していることが明らかになった(Gelfand 1971:193-204)。


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医療人類学
第15章 人類学と栄養

適正な栄養とは何か

 世界の40億の人々のうち、何百万人もが栄養失調や低栄養の状態にある。正確な数値はない。というのも飢餓状態にある人々に関する調査はなく、また適正 な栄養と不適正な栄養とは広帯域であり、明確な一線で区別できるものではないからである。その基準がどのようなものであろうと、飢え(しばしば飢餓)は世 界の多くの国々で健康状態の改善を進める上での最も大きな障壁となっている。栄養失調は感染に対する抵抗力を弱め、多くの慢性疾患を招き、激しい労働を続 けることを不可能にする。また離乳期における蛋白—カロリー欠乏症は永久的な脳障害につながると多くの専門家は考えている。栄養失調の問題の多くは、非工 業国が急増する人口に見合うだけの食糧を生産できないために起こっている。農業技術の改良を通じて、世界の食糧生産力を増大させることで、カロリーと蛋白 質の絶対的な不足から起こる栄養失調状態を減少させることができる。しかしまた栄養失調は食物と健康との関係についての広汎ではあるが間違った信念や、手 に入る食物を十分に活用することをはばむ信条、タブー、慣習などのために起こっている。もちろんこのような間違った食習慣のために起こる栄養失調は、第3 世界に限ったものではない。それは、我々の国でも広く見られる現象である。世界中の栄養問題は食糧不足だけでなく文化的な形態のために起こっているという 認識のもとに、国際的あるいは内政的な開発諸機関は食糧増産だけでなく、伝統的な食習慣を変革して、手に入れられる食物から最高の栄養水準を達成すること を目指している。
 それは非常に困難な仕事である。食習慣というのは、全ての習慣のなかでも最も変えにくいものであるから、好き嫌い、何が可食物で何がそうでないかに関す る信条、食事と健康状態あるいは年中行事との関係についての確信などは、人生の早い時期に決定される。ほとんどの人々は幼い頃からの食習慣を壊し、非常に 異なった食習慣を身につけることには、大変な困難を感じる。他の多くの習慣と同様に、食習慣は全体的な文化のコンテクストの中においてのみ理解しうる。し たがって、食習慣を改善するための効果的な栄養教育は、食物が様々な機能を果たす社会的制度であるという理解をその基盤に持たねばならない。
 文化的コンテクストにおける食事の研究—これらの実際的な問題に示されるような—は明らかに人類学者の役割と思われる。というのは人類学者は医療に関す る信念と実践の研究を通じて、その初期のフィールドワーク以来、研究した諸民族の食習慣や食に関する信念についての情報を集めてきたからである。そして医 療に関する信条と実践への興味が、健康に関する具体的な問題と結びついた時、医療人類学が誕生したように、食に関する信念や実践に対する興味が現実の世界 的な栄養問題と結びついた時、ここに栄養人類学という新しい分野が誕生した(Pelto and Jerome 1978と比較せよ)。この栄養人類学委員会(医療人類学委員会にある)の代表者であるノージ・ジェロームはこの新しい分野を最近次のように定義した。 「栄養人類学は栄養学と人類学の両方の分野を包含する。栄養人類学が扱うのは、人間の栄養学的状態に影響を与えるような人類学的な諸現象である。したがっ て様々な環境のもとでの栄養的なばらつきに対する人間の進化、歴史と文化、適応などが栄養人類学における主な対象となる」(Kotona-Apte 1976:8)。
 この章では栄養人類学の2つの重要な側面を考察する。それは、(1)食物の社会的、文化的、心理学的特質(すなわち食物の栄養学的役割ではなく、社会的 文化的役割)、(2)食事の社会文化的、心理学的次元が、特に伝統的社会において、栄養学的適正さという問題とどのように関わってくるか、の2点である。 このように我々のアプローチは厳密な栄養学的科学的視点ではなく、人類学的視点を反映している。

文化的文脈における食物

 人類学者は食習慣を、料理、好き嫌い、民族学的な知恵、信仰、タブー、生産や準備や消費にまつわる迷信等の全ての複合体としてとらえる—言いかえれば、 一つの主要な文化的カテゴリーと見なし、他の様々な文化的カテゴリーと相互に影響を与え、関係のあるものと考える。もちろん彼らは食物が生命にとって必要 不可欠なものであり、それが結局生理学的な現象であることを認識している。しかし少なくとも文化人類学者は文化における食物の役割に注目し、社会的関係を 再確認し、信仰や宗教を正当化し、多くの経済的形態を決定し、日常生活の大きな部分を支配するような表現的行為としてのその役割に興味を持っている。言い かえれば医療システムが健康と病気を越えた役割を演ずるように、食習慣も単に人体に栄養を分け与えるのみならず、社会的な役割を演じているのである。まず 最初に食物のこのような役割や、ある文化的特質に注目してみよう。

1 文化は食物を決定する

 「食物とは何か?」という質問は、一見ばかげているように見える。食物とは、畑で育ち、海から取れ、マーケットで売られ、食事どきに食卓に現れるもので ある。しかしこの質問は栄養の問題を理解する上で重要である。食物とは文化的な現象であり、単に生命を維持するために生物—ヒトも含めて—に利用される生 化学的性質をもつ有機物ではない。むしろ、全ての社会の成員にとっては、食物は文化的に決定される。食べてもよい物として、それは承認と真性の文化的刻印 を必要とする。非常な飢餓状態においてさえ、手に入る全ての栄養物を食物として利用している集団はない。宗教的なタブー、迷信、健康観、歴史的な出来事な どのためにいくつかの栄養的には望ましい物が全ての食事から除外されている。それらは「不可食物」として分類される。言いかえれば「栄養物」と「食物」と は違うという認識が重要なのである。栄養物とは、生化学的概念であり、それを消費する生物に栄養を与え健康な状態に保つことが可能な実体である。一方食物 とは文化的概念であり、「これは我々の栄養物として適している」という声明である。何が食物であり何が食物でないかについての我々の確信は非常に強固なた め、栄養改善のため伝統的な食生活を変えるように人々を説得するのは大変困難である。
 合衆国においては、多民族的起源のため、また広汎な生産システムのために、我々は驚くほど多くの種類の食物を手に入れることができる。恐らく世界中の社 会のうちで—少なくとも中・上流階級については—アメリカほど多種多様な食物が消費されている社会はないだろう。それでもなお他の文化のメンバーにとって 重要な栄養物であり、我々もそれを知ってはいるが、普通我々が可食物とは判断しない栄養物がたくさんある。例えばウマ、イヌ、ヒバリやウグイス等の小鳥、 カエル、サンショウウオ、ウニ、タコ、海草、ドングリ、アルマジロ、ガラガラヘビ、トンボ、アリ、イモ虫、バッタ、リュウゼツラン回虫、メキシコの「飛ぶ 南京虫」ジュミル(jumil)などである。このリストはまだまだ続けて書けるし、実際ほとんどのアメリカ人が決して口にしない「食物」だけで栄養的に適 切な食事を作ることができるのである。
 個人的な好みによって、各人が消費する食物の種類はさらに減らされる。なぜなら我々の文化が、可食物と承認する全てのものを好む人はいないからである。 我々が気づいているように子供の頃の体験は、大人になってからの嗜好と深い関係がある。つまり子供の頃から馴染んでいる食物はずっと好まれるが、大人に なってから知った食物は受け入れられにくい。もちろん新しい食物を食べてみることに喜びを持つ人もいるが、多くの人は慣れ親しんだ献立を最も好むようであ る。合衆国での研究によると「最も嫌われている」食物は、バターミルク、アメリカボウフラ、ナス、キャビア、ひき割りトウモロコシ、カキ、カブラ、リン バーグチーズ、豚足、豚の脳や肝臓、腎臓、心臓、胃などの内臓であった(例えばHall and Hall 1939, Wallen 1943)。
 栄養的な環境を十全に利用することに気乗り薄なのはアメリカ人だけではない。ジェリフェとベネットが指摘しているように、「人間はどこに住もうと、どん なに不利な状況のもとでも、手に入る事実上の可食物のうちのほんの一部しか食べていない」。その一例として彼らは「栄養的にひどく困窮しているタンガニー カ(タンザニア)のハツアの狩猟民」のケースを取り上げ、彼らが「動物の血としとめた動物の心尖を几帳面に捨てて食べようとしない」ことを指摘している (jelliffe and Bennett 1962:175)。

2 食欲と空腹
 
 食物が文化的に規定されるだけでなく、いつ食べるか、何からできているか、どのように食べるかなどの食事の概念もまた文化的に規定される。栄養状態の良 好な人々の間では、文化はいつ彼らが空腹であるか、その空腹を満たすために何をどれくらい食べるべきかを命令する。朝起きた時ほとんどのアメリカ人はヨー ロッパ人が感じるよりも、たくさんの食物を必要とするように感じる。正午頃になると多くのアメリカ人の胃は—たっぷりした朝食にもかかわらず—強い空腹の サインを発する。一方メキシコ人の胃は午後3時か4時までおとなしくしている。その時刻になるとメキシコ人の胃は同じような苦悩のサインを発する。そのメ キシコ人の胃は夜の9時か10時になると軽い食事を要求する。胃の持ち主によると「高度なため」(メキシコ・シティで7200フィート)と説明する。しか しボゴタでは胃は同じ時刻に重い食事を要求し、それは「高度なため」(8700フィート)であるらしい。
 言いかえれば食欲と空腹は関連はあるが別の現象である。満たされることを要求する食欲とは、文化的な概念であり文化によって非常にばらつきがある。それ と対照的に空腹感とは生理学的な概念であり、栄養的な損失を意味しているだけである。
 多くの社会において、食物を十分に定義しようとすれば、食事と食事時の概念についての考察を抜かすことはできない。合衆国では普通、栄養価を持つ全ての ものは食物と考えられ、いつ食べる物かという点は無視されている。もっとも午前と午後のコーヒーは—栄養価のあるクリームと砂糖が入っていても—普通「食 物」を含んでいるとは見なされていないが。他の社会ではこの対照はもっと鮮やかである。例えばメキシコの農村地方では「食物」とは食事時に摂られるものの ことである。間食、例えば季節の果物、ピーナッツ、砂糖漬けのカボチャ、その他の珍味類がテーブルの上に置かれており客人に供されるが、それらは「食物で はない」。それらは食べられ楽しまれる何かではあるが、食事時の料理とは概念的に区別される。メキシコで初期の栄養調査が行われた時、この農村での慣習的 な区別が十分には理解されていなかった。昨日何を食べたかと聞かれた時、聞かれた側は正規の食事時に食べたものを挙げた。このため幼虫や昆虫などの珍味類 を含めて、栄養価もあり重要な食品が分析から除外され、その結果事実よりもバランスの悪い食生活が浮かび上がってきた。

3 全ての社会は食物を分類する

 全ての集団において、食物は様々な方法で分類される。例えば正式の食事や間食として何が適当かが、地位や威信、社会的行事、年齢、病気と健康、象徴的な あるいは慣習的な価値観などに対する考え方に従って分類されている。例えばアメリカ人は、それぞれの食事に何が適しているかについて大変強い信念を持って いる。もちろん大食漢で朝食に牛のヒレ肉を食べる人もいるだろうが、彼らでさえスープやサラダやチョコレート・プディングは朝食に向いていないと言って断 るだろう。また卵はいつの食事にも素材としては受け入れられるが、調理法は違う。目玉焼きは朝食にしか向かないがオムレツにするとどの食事にも向く。アメ リカ人が朝食に対して抱いている信念は非常に強いので、恐らく世界で唯一、我々は「朝食用食物」という言葉を持っている。
 地位への関心は、特に食習慣を変えるに際して重要な役割を演じる。例えば農村のメキシコ人は空腹な時にはトルティーヤを好むが、白パンははるかにステー タス・フードと見なされており、特に朝食に白パンを食べる場合はそれが著しい。カスラーとデギヴはアメリカ南西部の下層階級の黒人と白人の間で、白い食物 は黒い食物よりも高く評価されていることを指摘した(Cussler and deGive 1970:112)。これは世界各地で見られる現象であり、階級意識を持つ、持たないに関係がない。例えば精白されていない茶色い米より栄養的には劣るに もかかわらず、白い米に人気が集まるのはこの威信に関する考え方のためと考えられる。発展途上国の人々にとって、洗練され、包装され、大々的に広告されて いる食物は抵抗できない魅力を持っているようである。これらの食物が伝統的な料理よりも栄養的には劣っている場合にさえも。先進国ではまた、栄養的な現実 と関係のない地位に関する考え方の影響を受ける。例えば豚や羊に比べて牛肉がほとんど世界的に好まれている。
 恐らく全ての民族は、健康と病気との関係、ライフ・サイクルの各段階との関係において食物を分類している。人類学者が調査した社会において、出産前後の 食事制限が指摘されており、食事制限は病気の際の社会的なルールである。アメリカでは「軽い」食物と「重い」食物が区別され、前者は病人や回復期にある人 にふさわしく、後者は健康な者に許される贅沢品と見なされている。フランス、そしてそれほどではないがイタリアではある種の食物に対して「男性性」「非‐ 男性性」という性質を付与するという考え方が見られる。男性的な食物は、濃い色、強い香料、「重さ」、体を「興奮させる」ような性質等によって特徴づけら れ、これならばもちろん男性に特にふさわしい食物である。非‐男性的な食物はそれとちょうど逆に、「軽く」、白く、軟らかく、例えば牛肉と赤ワインに対す る仔牛と白ワインのようなものである。これらは女性と子供によりふさわしい。
 食物の分類法のうちで最も広く行き渡り、特に健康観との関連で重要なものは、4章の体液論にも出てきた「熱—冷」2分法であろう。おのおの文化が個々の 食物にどういう性質を付与するかは様々であるが、共通の理念はバランスよく食べ、熱いものや冷たいものの摂り過ぎを避ければ、健康を最も良く維持できると いうものである。例えばある北インドの村では熱い食物として、干しエンドウ、粗糖、水牛の乳、卵、魚、そして特に肉、玉ねぎ、にんにくの熱い料理を含んで いる。牛乳は肉や魚とともに摂ると熱を発生するので良くないと信じられている。規則的・習慣的に過度に熱い食物をとり続けると、性質が「熱く」なり怒りっ ぽくなる。冷たい食物には葉野菜、にんじん、ひしの実、凝乳などが含まれる(Hassan 1971:62)。また後で述べるように、こうした熱—冷2分法に基づくタブーは病い、乳幼児期、妊娠、産後などの時期に深刻な栄養問題を引き起こすこと がある。

4 食物の象徴的役割

 食物は生命に必要不可欠であるのは明らかである。食物はまた社会的交際にも必要不可欠である。個人と集団、または集団間での関係を象徴的にうまく表現す る方法が、食物によってできなかったとすれば、社会生活がどのようにして成り立ちうるか、理解し難い。

a  社会的紐帯の表現としての食物

 おそらく全ての社会において、食物(時には飲物)の提供は愛情や友情の提供を意味するであろう。差し出された食物を受け取るのは、示された感情を認識し それを受け入れることを意味する。おあずけをくわすこと(母親がいたずらな子供を叱る時のように)や、文化的に食物の提供が期待される場面で食物を提供し ないことは、怒りあるいは敵意を表している。同様に差し出された食物を拒むのは、愛情や友情の提供を拒むことであり、提供者への敵意を意味する。英語には この象徴性を定式化した「飼い主の手を咬む」という諺がある。人は友達や恋人とともに食事をしている時、最も安心し、ほとんどの社会では公的なまた私的な 食事はこの感覚を象徴的に表している。普通我々は敵と食事をともにすることはない。まれにあるとすれば、ともに食べるという単なるその行為は少なくとも食 事中は対立関係が中断されることを意味している。
  チンツンツァンで、ある母親は長女が結婚して村を出て行き、たまにしか会えないのでひどく悲嘆にくれていた。彼女の末娘は数件向こうに住んでおり、そこへ 食物や珍味類や何か特別なものをちょくちょく届けることが彼女にとって大きな喜びとなっている。そして時たま彼女はまる一日かかっても、遠くに住む長女に 何か特別なものを作って持って行かなくてはならないと思うのである。
 チンツンツァンでは夢が食物の表現的な側面によって最大の関心事をよく示しているように思われる。主婦が最もよく見る夢は、家に客を呼ぶことになり一生 懸命に食物を用意するが、結局支度が間に合わず客をもてなすことができないという夢である。社会的適応に対する自信喪失がこの主題の中に表れているといえ る。他に女性によくある夢では、食物をすすめられるが味が感じられず何も食べた気がしないという夢がある。彼女は明らかに、他人から差し出された愛情や友 情に十分に応じることができないのではないか、という恐れを表しているのだ。
 農村のメキシコ人の間では、顔見知りで好意を持っている相手から提供された、起源や中身や調理法のわかっている食物は安全を象徴する。一方、見知らぬ人 (例えば村人が大都会への短い旅でばったり出くわしたような)が用意した、知らない材料からなる奇妙な見知らぬ食物は危険を象徴する。大都市にただ不慣れ な村人が、たまに出かけた場合に、彼らの抱くもっとも大きな先入観は食物に関するそれである。そしてもし彼らが小さな食堂や市場で親しみやすそうなあるい は同郷の料理人や経営者に出会ったりすると、しばしばかなりの無理をしてでも、繰り返しそこを訪れ安心感を得ようとする。都市を訪れた村人の話の共通の テーマに、見知らぬレストランで出されたタマーリやスープに赤ん坊の体一部が入っていたというのがある。このカニバリズムのモチーフは、馴染んだ環境から 引き離された時に人が感じる基本的な不安を表している。

b  集団の団結を表現する食物

 アメリカ人は家族や友情のきずなを維持するという食物の役割を認識している。少なくとも観念的には大きなテーブルの回りに集まりともに食べるという行為 は、家族の団結を象徴している。例えば初期のもっと素朴だったアメリカでは、日曜日の礼拝の後、祖父母、両親、子供達で囲むディナーは家族の一体感を強く 意識させるものであった。また、より広い意味で食物は民族的国家的なアイデンティティの象徴と見なされている。しかし全ての食物がこの種の象徴的意味を担 うわけではない。最もその意味が強いのは、その集団固有の食物、あるいは固有と信じられている食物であり、多くの国で食べられ、多くの民族に知られている 食物にはそのような意味はない。アメリカの感謝祭のごちそうは、国家的団結を象徴するという食物のこの機能をよく表している。つまり我々は七面鳥を食べな くてはいけない。それは北米原産でピルグリム号の祖先たちが狩った鳥であるから。そしてプリスマ近くの湿地に生えるクランベリー、インディアンが最初の移 住者に栽培するように教えてくれた新世界の穀物から作るコーン・プディング、アメリカ原産種のカボチャから作るパンプキン・パイを食べなければいけない。 アメリカ人はロスト・ビーフとジャガイモと肉汁で同様に満足できるが、感謝祭にはそれではいけない。アメリカの民族的なあるいは年齢的な諸集団は、その集 団のアイデンティティを象徴する食物を見つけ出す。例えば黒人のソウルフード、メキシコ系アメリカ人の南西部風トウモロコシ料理、多くの若者の健康食、自 然食、長寿食などである。
 現代の世界において土着の食物を象徴的に使用することは、しばしば国家的民族的きずなを再確認するための仕掛けとなっている。メキシコでは、モレ・ソー スのかかった七面鳥、トルティーヤ、豆、つぶしたアボガドのガカモール(guacamole)など、新世界、特にメキシコ原産の材料を使用した料理は行事 の際の食事を特徴づけている。モレ・ソースは特に興味深い。それはバニラ、チョコレート(ともにメキシコ湾原産)、ピーナッツ(西インド諸島)、征服前の メキシコ人が根づかせたトマトとチリ・ペッパーからできている。その他の象徴的な食物にはアラブ諸国の羊肉、西アフリカのヤシのワイン、ペルーのホット・ ペッパーや土着トウモロコシのコクロス(choclos)、ライムジュースに漬け込んだその地方の魚(ceviche)、サハラのクスクス (couscous)などがある。

C  食物とストレス

 他の文化的な工芸品よりも、食物はそれを用いる人のアイデンティティを強く反映する。したがってストレスに満ちた状況においても、人に安心感を与えるの である。多くのアメリカへの移住者はしばしばかなりの出費と努力をしても、できる限り祖国の食生活のパターンを守っている。一方海外のアメリカ人は冷凍さ れ、缶詰にされ、包装され、彼らが使い慣れた食品を置いているアメリカン・スタイルの店を見つけて喜ぶ。安心感を与えるという食物の心理的効果は、人が不 幸や強いストレスのもとでは普段よりたくさん食べ、間食をたびたびするという共通の習性からもよくうかがえる。
 バージェスとディーンは、食物に対する態度は、ストレスの感覚のみならず危険の察知を反映すると示唆している。生命の危険や情緒的防衛といった内的なス トレスとうまく折れ合っていく2つの方法は、彼らによると、一つは外的な危険を過大評価することであり、もう一つは内的な不安を外的な影響のせいにするこ とである。様々な種類の魔術的な企ては外的な危険をはぐらかしなだめるためか、ある危険を拮抗させるために行われる。「臨床的にある特定の症状にある時 に、《熱くする》あるいは《冷たくする》食物を与えるという療法は、このバランスをとるというテクニックの一種と考えられる。同様にある種の食物を避ける という療法は、危険な影響と見なされているものを遠ざける無意識的な魔術的テクニックであり、栄養学的なテクニックではない」(Burgess and Dean 1962:68)。
  またキューリエは、メキシコの熱—冷2分法を健康観との表面的な関連からのみでなく、その隠れた象徴的意味から解釈している。「冷たさは生存の危機的局面 と関連があり、暖かさは安堵と関連がある」と彼は言っている(Currier 1966:256)。この意味から言って、多くのアメリカ人が何の栄養学的根拠もないのに、暖かい食物のほうが冷たい食物よりも栄養的に望ましいと信じて いるのは興味深い。そして、我々は1日に最低1回は温かい食事が摂れるように相当な苦心をし、多くの人は1日の始まりを暖かい朝食で迎えると、その日1日 の労苦に立ち向かうことができるように感じる。

d  言語における食物の象徴性

 諸言語は様々な度合いで、食物と人格の認識と情緒的状態との間にある深い心理学的対応を反映している。英語では恐らく他に比類がないほどに、食物の性質 を示す簡単な形容詞が、人の性質を描写するのにそのまま用いられる。例えば冷たい、暖かい、甘い、酸っぱい(sour)、苦い、塩辛い、ぴりっとした、 酸っぱい(acid)、刺激的な、酸っぱい(tart)、硬い、柔らかい、ぱりっとした、甘口の、強い、弱い、新鮮な、腐ったなどのように。また食物の調 理法(始まりと終わりのある一時的プロセス)を示す言葉は、気分(一時的であり、永続的な人格的特徴とは対照をなす)を描写するのに用いられる。例えば、 ぐらぐら沸かす(“boiling mad”)、ぐつぐつ煮る(“simmering with anger”)、ふかす(“all steamed up” about something)、燃やす(“burned up”about something)、煮込む(“stewed”また何か心配事について“stew”する)、焼く(“half-baked”)、とろ火で煮る (coddleつまり過保護にすること)など。他に個人的特徴を描写するのに用いられる用語としては、「ミルクとハチミツ」のような顔色とか、「肉とジャ ガイモ」のような男とか、「ミルク・トースト」などがある。
 英語はまた食物や食べる行為と情緒的な状態との象徴的な絆を示す、他の表現に富んでいる。例えば我々は食物に飢えるのと同様に、「愛情に飢え」たり「友 情に飢え」ることがある。肥満の原因の一つは、孤独な人々が愛情や友情の代償として食物をとるためだと認識されている。自分が間違っていたことがわかって 恥ずかしかったり当惑した時、我々は「言葉を食べ」たり(前言を取り消す)、「カラスを食べ」たり(降参する)、「ハンブルパイを食べ」たり(屈辱を受け る)する。何かを恋い求めていることがはた目にも明らかな時、我々は「何があなたを食べているのか?」と聞かれたり、「心を食い尽くしている」(思いつめ る)と評されたりするだろう。失望した時には我々は「かたまりを喉に詰まらせ」るし、品位が汚されるような状況に直面し、それに対して何もできない時に は、我々は「プライドを飲み込む」。だまされやすい人々は「釣り針にひっかかる」(“bite” or “take the hook”)、また、我々は何かに「うんざり」(“feed up”)したとき、「かみつくような」(“biting”)意見を言ったり、かみつくような返答をした覚えがあるだろう。
  英語以外の言葉については、性格や気質を描写するのにこの食物の象徴性がどの程度用いられているかは定かでない。というのは、人類学者も言語学者もこのよ うな用法に関心を示さなかったように思われるからである。我々のフィールドノートには、インドネシア語とスペイン語からのいくつかの例がある。インドネシ ア語では「見かけが素晴らしく美味しそう」、「納豆のように熱狂的な」(あるいはキャッサバ《すなわち、なまけもの》)、「冷たい人」、「甘い顔をしてい る」、「酸っぱい顔をしている」、「既に多くの塩を食べて来た」(すなわち、成熟していること)、「小さなチリ・ペッパー」(賢くて小さい人の描写)等の 表現がある。スペイン語では人は「甘い」、「酸っぱい」、「苦い」、「幸せな」(saleroso)、「不運につきまとまとわれている」 (salado)、「味気ない」(すなわち、退屈な)、「冷たい」、「暖かい」、「柔らかい」などと表現される。

栄養学的適正さに対する文化的障害物

 人口の急増が見られないところでは部族民や農民は、同じ場所に長く定住し、ふつう周囲の環境を活用してバランスのとれた食生活を達成するのにかなり成功 している。もちろん彼らは手に入る全ての栄養的資源を「食物」としているわけではないが、試行錯誤を通じて力と健康を維持するために何が必要かを学んでき た。主食と季節的な珍味、例えば果物、薬草、木の実、幼虫、昆虫などを組み合わせることによって彼らはしばしば満足すべき水準の食生活に到達している。こ れらの部族民や農民族達が往々にして学ばなかったことは、食事と健康、食事と妊娠との関係、離乳後の子供に必要な特別な食物についてである。もちろん世界 の栄養失調は食料の絶対的な不足が原因であるが、文化的な信念やタブーが「手に入れられる」食物の利用を制限するために、この問題は悪化させられている。 したがって健康改善の計画を立てるにあたっては、食糧をより多く供給する方法だけではなく、手に入る食物を最も効率よく利用する方法が見出されなければな らない。

1 食事と健康との関連の認識不足

 前述したような食物に関する基本的で慣習的な知恵は、いかに食物を最も効率よく利用できるかという点に関する理解のギャップによって特徴づけられてい る。これらのギャップのうちで最も重要なのは、食物と健康とのポジティブな関係がしばしば認識されていないということであろう。適正な食事というものがそ の質ではなく、量的側面から捉えられ、十分な主食があれば適正と考えられ、多種類のバランスのとれた食物が必要だとは考えられていない。したがって望まし い食物が存在するところでも栄養失調は存在する。
 例えばシャーマンによると西ウガンダのアドホラ族には「食物にはそれぞれ異なった栄養素が含まれているという考え方はない。アドホラ族は栄養・・・・・ と健康の間に何の関係も認めない。・・・・・アドホラの信念には、ある特定の食物の《欠乏》のために病気が起こり得るという考え方はない」 (Sharman 1970:81)。またハサンは、北インドのシナウラの村において、「一般に、重要なのは食物の適正な量であると信じており、質という考え方はある種の “強精的な”食物と認識されているものに限定されていて・・・・・健康を維持するための食物とエネルギーを得るための食物との区別はなされていない」こと を見出した(Hasan 1971:57)。南洋での栄養問題の実態に詳しいジェリフェとベネットは「スーパー・フード」(すなわち、他の食物で補われなければ、満腹感は得られて も栄養失調となる主食のこと)の問題を取り上げている。ブガンダでは「栄養失調を防ぐ様々な栄養物が手に入るにもかかわらず、それを十分に利用しようとし ないために、幼い子供の間に蛋白—カロリー欠乏症が多く見られる」ことを指摘している(Jellife and Bennett 1962:174-175)。彼らによると、手に入る食物を利用しようとしないのは、「スーパー・フード」(すなわちバナナの一種)だけが本当の食物でそ の他のものは何の重要性もないという信念のためであるらしい。
 奇妙なことには伝統的な民族は、しばしば良い食事と良い健康状態との間にポジティブな関係を認めないのに、食事と病気とのいわばネガティブな関係につい ては認めていることが多い。つまり病気の際に、最も必要な食物が患者の食事から取り除かれる。サンタ・マリア・カウクェのグァテマラ人の村の食物と健康と の関係を描写する中で、ソリアンとスクリムショウは、おそらく非常に広く行き渡った間違った考え方を述べている。それは健康は人がいろいろの種類の食物を 選ぶことを許すが、不健康は選択範囲を制限するという考え方である。「サンタ・マリアでは人々は子供を健康にするためではなく、子供が健康だからたっぷり と食事を与える。健全な食欲は健康と関連づけられる。・・・・・しかしほとんどどのような程度の病気も、食事の一部が取り除かれるという結果に終わる。子 供達にとっては不幸なことに、この取り除かれる部分に良質の蛋白質が含まれており、全ての種類の蛋白質を含んでいるという場合がほとんどである。こうし て、豆やトルティーヤとともに肉やミルクをもらっている子供が下痢でも起こせば、これらが食事から取り除かれ、代わりにほとんど炭水化物のみからなるア トール(atole)や粥を与えられることになる」(Solien and Scrimshaw 1957:100 傍点筆者§)。蛋白質に富む食物、特に肉やミルクは回虫のいる子供の食事から取り除かれる。というのは、それらが「虫を起こす」と信じられているからであ る。もちろん食物は病気の直接の原因とは考えられていないが、ある種の食物は状態を悪化させるだろうと考えられる。このようにして「妊娠中や産後において さえ、食物は積極的に健康を増進させるという性質のためではなく、母親や子供(母乳を通じて)を《痛め》ないように注意深く選択される。こうして《有害 な》食物が除かれ、《無害な》食物が許される」(同書)。
 多くの社会においてある種の食物を禁じる理由として、年齢やその人の状態が挙げられるだろう。例えば西アフリカのある地方では子供に卵が、泉門の閉鎖が 遅れるという理由で(例えばナイジェリアのヨルバ)、また卵を食べた少年は泥棒になるという理由で(同じくヨルバ)、また卵を食べた少女は堕落するという 理由で(ガーナ)、禁じられている(Hendrickse 1966:344)。一例として、父親が養鶏業を営み週に何百個と卵を売るのに、ひどい蛋白質欠乏症の子供に決して卵を与えようとしなかったというケース がある(同書)。
 マレーシアの西海岸のマレー人の間では、産後の女性はひどく弱りやすく、特に空気からの「冷たさ」や「冷たい」食物に弱いと考えられている。したがって 全ての「冷たい」食物が出産後40日間の「焼けつくような日々」(roasting period)の間禁じられる。冷たい食物の中にはほとんど全ての野菜、「熱い」ドリアンを除く全ての生の果物、全ての酸っぱいもの、調理していないも の、揚げたもの、多くの魚、カレー、肉汁、その他のソースが含まれている。産後の女性に許されるのは、卵、ハチミツ、イースト、タピオカ、調理したバナ ナ、焼いた魚、黒コショウ、コーヒー(すなわちこれらは「熱い」食物である)に限定される。これらの制限のために彼女の食生活は望み得るよりも不適切なも のとなっている(C.Wilson 1973)。

2 子供の栄養に関する認識不足

 部族民や農民の伝統的な食生活の知恵との第2に重要なギャップとは、離乳前後の子供が特別な栄養を必要とするということをしばしば見落としていることで ある。栄養の所要に関して、子供たちはあまりにもしばしば、単に小さな大人と見なされている。ヘンドリクスは熱帯アフリカにおけるこの問題を指摘してい る。「よちよち歩きの子供が、肉、魚、卵などをほとんどもらっていないという事実は、幼児は蛋白質に対する特別な要求があるということを認識していないた めに起こる、と言うような無関心を引き起こすことはないだろう。そして、そのような地方的なタブーがこれらの食物を幼児がとることを制限するだろう」 (Hendrickse 1966:344)。西ウガンダのアドホラ族に限って言えば、シャーマンは「子供が特別な食物を必要とするとは考えられておらず、子供ために用意される食 物はない」と記している(Sharman 1970:82)。そしてジェリフェとベネットも同じことを指摘している。「多くの地域では、子供には特別に用意された食物と一日に3、4回の食事が必要 だという考え方は聞かれない。なぜならば人々は成長と食事、栄養失調とある種の食物の欠乏との間の西洋人が習慣的に行う関連づけをしないからである」 (Jelliffe and Bennett 1962:175)。
 他の幼児期における栄養上の危機は、子供のいやがることは何も押しつけてはいけないというしばしば見られる信念のために起こっている。特別な乳児食や離 乳食が必要であるという考え方が見られない。世界の各地では、母親が子供に「体にいいから」とある食物を無理強いすることはまれである。子供は大人のよう に食べたい物を選び、嫌な物を拒むことが許されている。乳幼児の栄養状態の向上を阻むこの障壁は、グァテマラでの例にもよく表れている。「新しい幼児食 は・・・・・もし子供がそれを好めば、そして両親が好ましく思わないような結果と結びつかなければ受け入れられるだろう。一方、子供がそれを嫌がるか、そ の食物を初めて食べさせてみた時に吐いたり、下痢をしたり、いかなる種類の痛みでも訴えれば、その新奇な食物はもはや与えられない」(Solien and Scrimshaw 1957:100傍点筆者)。
 このような栄養に関する無知は—特に子供の食事における蛋白質の欠乏という結果に終わる無知は—クワシオルコール(Kwashiorkor)として知ら れる蛋白—カロリー欠乏症を引き起こすことが多い。1930年代初期にイギリスの生理学者シスリー・ウイリアムズによって最初に確認された、この病気の徴 候は(アフリカの子供の間では)、赤っぽい髪、成長不良、浮腫、蒼白、そして無気力である。そして適切な治療が行われないとふつう病気の子供は死亡する。 病名はガーナ海岸地方のガー語に由来し、「次の赤ん坊が生まれた時に年長の子供がかかる病気」を意味する。奇妙なことに、ウイリアムズの早期の研究にもか かわらず、この問題の重要性は1950年代に至るまで広く認められることがなかった(Cook 1966:330)。臨床的なあるいは半臨床的な形態で、クワシオルコールは、現在熱帯のその他の多くの地域に見られ、今日ではこの病気は発展途上国の乳 幼児の健康を脅かす危険のうちでも恐らく最も、そして多分最大のものと見なされている。
 インドの西ベンガル地方で子供達の間にクワシオルコールやその他の栄養欠乏症を数多く観察したジェリフェは、貧困に由来するその地域の基本的な食生制限 をより悪化させていると思われる、文化的な「障壁」のいくつかを記述している。これらの「障壁」の一つに、生後6カ月の男児と7カ月の女児に対して行われ る遅れたマクヘ・ブハト(mukhe bhat)、つまり米食養育の儀式がある。この儀式までは乳児は母乳か、少量の牛乳、サゴ、大麦等で薄められた母乳で育っており、これは蛋白質も含めて生 後6・7カ月の小さな生命の栄養的な所要にかなっている。しかしそれ以降、補助的な食品がこの基本的な食事に徐々に加えられなければ、乳幼児の健康はむし ばまれていくだろう。このマクヘ・ブハトは重大な社会的な、また家族の儀式であり、また費用もかさむ。この儀式は母方の叔父または祖父が膝の上に乳児を寝 かせ、煮た米と苦い食物、酸っぱい食物、緑の野菜、そして魚などの入ったカレーとを混ぜ合わせたものを口に入れてやることで完了する。これらがショクリ (shokri)、つまり慣習的に危険と考えられている食物であり、成長期の子供が必要とする全ての要素を含んでいる。
 もしも子供が適切な時期にマクヘ・ブハトの儀式を通過しなければ、その健康が危険にさらされることは目に見えている。それならばなぜこの儀式は必ずしも 正しい時期に行われなかったり、儀式を終えた子供が即座にショクリで育てられなかったりするのだろうか。それは貧困、吉日でないこと、適当な家族の不在等 のために遅らされることがある。儀式を終えた子を持つ母親の中には、乳児は歯が生えていないからまだショクリで育てられないという者もいる。正統派ヒン ズー教の女性では、汚れに対するわずらわしさが一役買っているようである。ショクリで育っていない子供の便は慣習上清浄とされている。だから母親は乳児が 排便した後、子供をきれいにしてやるだけでよい。しかしショクリの便は慣習上不浄である。このため母親は赤ん坊をきれいにした後毎度サリーを着替えなくて はならず、ベッドの布が汚れた場合には全ての寝具を洗わなくてはいけない。食事と健康との関係に無知な母親にとっては、これら全てのことがショクリで育て ないための十分な理由な理由と思われる。
 西ベンガルにおける乳幼児の適切な栄養を阻む他の「障壁」は、「熱い」、「冷たい」に関する分類に根ざしている。卵、肉、ミルク、ハチミツ、砂糖、タラ の肝油等、ガラム(garam「熱い」)と分類される食物は、熱い気候の間(1年の内ほとんど)、また子供がガラムと分類される病気にかかっている間は与 えられない。それらの全ての方法において文化的実践というものは、すでに深刻になっている栄養に、追い打ちをかけるような可能性についての制限を加える。 これは西ベンガルの貧しい村の母親たちの間で行われている(Jellffe 1957)。
 似たような文化的「障壁」は世界の各地に見られる。例えばウィースはハイチにおける体液病理学的な信念が、授乳期の母親の食物を著しく制限していること を見出した。貧困のために、女性が手に入れられる主食は最善の場合でも厳しく制限されているが、熱—冷式の制限のために普段は食べられる主食類の多くが授 乳中の母親には禁じられる。ハイチの農村地帯における栄養問題の緩和を目指しているヘルス・ワーカー達は、これらの「障壁」の性質を見落としがちなようで ある(Wiese 1976)。
 クワシオルコールの攻撃が、ふつう離乳後母親が再び妊娠した時に最も起こりやすいというのは注目すべきことである。この時まで乳幼児は多分かなり適切な 蛋白質を母乳から得ている。しかし、今や一人ぼっちで投げ出され、子供は苦境に陥る。この問題は父親や兄が女性や幼児より先に食事するという広く行き渡っ た習慣によって、さらに悪化させられている。彼らは得られる食物の中から蛋白質に富む部分を選んで食べ、女性や幼児には栄養価の低い部分が残される。長期 にわたる蛋白質欠乏の結果は、もし子供がクワシオルコールから回復できたとしても、恐るべきものである。今日、医学者達は、離乳期における蛋白質の不足は 脳に取り返しのつかない損害を与え、生涯にわたる知能の低下を招くと考えている。
 クワシオルコールの適切な治療が、その原因は心理学的なものであるという信念によって、妨げられる場合がある。これは、そのガー語の意味するところ、つ まり兄弟間の競争と年長の子供の敗北という意味からも明らかである。チピル(chipil)に対するメキシコと中央アメリカ(66ページ参照)における説 明も同様である。離乳したばかりのはいはい歩きの赤ん坊が、怒りっぽくなったり、無気力や無関心を表したり、泣いたり、短気やかんしゃくを起こすと—全て クワシオルコールの症候群—、母親は彼らはチピルにかかっている、つまりもはや乳を与えてくれない母親に対して怒り、年下のキョウダイをねたんでいると説 明する。医者ならばクワシオルコールのためと考えるこのような行動は、ウガンダではオブワシ(obwosi)と呼ばれる。これは少し違った方法で説明され るが、兄弟間の競争という、心理学的説明がやはりその根底に置かれている。オブワシはまだ生まれぬ子供の嫉妬によって起こると信じられており、この子供が 母乳を毒すので先に産まれた子供は離乳させなくてはいけないと考えられる(Burgess and Dean 1962:25)。
 クワシオルコールには多くの場合、心理的剥奪という要素があることは疑いを入れない。ウガンダにおける研究では、クワシオルコールのために入院した子供 の半数以上に母—子分離が見られた。それどころか、これらの入院した子供達は、母親が関心を注ぎ、付き添ってやると、母親が無関心な場合よりも、早く、完 全に、回復した(Geber and Dean 1956)。
 健康状態の改善という観点から見ると、チピルやオブワシとして説明されたクワシオルコールが、兄弟間の争い、蛋白質の欠乏、あるいは両方の組み合わせの 内どれによって引き起こされるかは問題とはならない。問題は地方的な原因論においては、病気は「全く」心理学的な言葉で定義され、この問題と食事とが関連 づけて考えられていないところにある。したがって母親が栄養学的な説明を受け入れ、喜んで彼らの伝統的な育児法を変えることが出来るかどうかは疑問に思わ れる。

C.  文化変化における栄養問題

 農村での長い定住生活において、かなり満足すべき水準の食生活を達成していた民族の生活が、換金作物、賃金労働、都市への移住などの導入によって崩壊す ると、しばしば食生活の悪化が起こる(Foster 1973:61-63)。バージェスとディーンの発見はその一般的な法則を示している。「もちろん収入の上昇に比例して食生活が向上するという一般的な傾 向は見られるが、逆に悪くなる場合もあり、特に自給生活から貨幣経済への移行時にその傾向が著しい。ココアや綿花、タバコといった換金作物が伝統的な自家 用穀物に取って代わる時、また家族が賃金労働のために伝統的な仕事を捨てる時、キャッサバのような劣った食物、または購入できる食物が、いつものより良い 食事に取って代わる」(Burgess and Dean 1962:17)。例えば南太平洋ではコプラの値段が上がると、栄養水準が下がる。というのは、島民は魚を捕らえ、作物を育てるのをやめて、缶詰の肉や 魚、砂糖、精製小麦などを購入するからである(同書)(1)。
 換金作物と栄養水準との間に見られる同じ関係をマルキオーネがジャマイカにおいて観察しており、並はずれた予想外の展開でもって、この論点を納得させて くれる。彼が1970年代の初期に、研究活動を行った教区では自給農業への全面的依存はまれで、収入は賃金労働や農作物の売却によって増加していた。全国 的な規模で食品価格が上昇すると、世帯は食費に収入の70〜90%を割かねばならず、経済事情のために半自給的な農業形態が増加する。より「原始的な」こ の経済システムへの復帰は、すでに深刻なものとなっている栄養失調の問題をより悪化させるだろうと予想された。しかし実のところ、半自給的生活をしている 農村地帯の貧しい家庭において、栄養失調、特に子供のそれは目立って減少したことをマルキオーネは見出した。自給農業の増加によって、この改善をほぼある いは完全に説明しうることは、食物の獲得方法に目立った変化のない都市部において、栄養失調率が変わらなかったことによって立証される (Marchione 1977:66-67)。 
 デュボスは食生活の悪化を、「生物学的知恵の喪失」という意味での経済的「進歩」の付帯状況として捉え、それは西洋とそれ以外の世界の両方に当てはまる と指摘する。「良い栄養物を嗅ぎ分ける本能などは存在しない。あるのは、試行錯誤からの、またある与えられた状況のもとで潜在意識的に得られた経験から の、ある種の体験的な知識だけである。しかし、この種の潜在的な栄養に関する知恵は、状況が変わるとすぐに失われる、特にその変化が急速すぎた場合には」 (Dubos 1971:55傍点筆者)。
 第2章で見てきたように、このような知恵の喪失は、農村から都市へ移住した、あるいは村に残っているが商業的な広告に左右されてベビーフードとして都市 の産物を購入できる母親に、その傾向が最も著しい。例えば、アフリカの多くの地域では、「教育と急速な都市化は、今の世代に対する慣習や伝統の支配力を弱 めている・・・・・母乳による授乳期間は、伝統的な社会におけるほど長いことはめったにない・・・・・賃金労働に従事する母親が、かつてなかったほど急増 し、その労働条件に合わすために授乳期間を短くしたり授乳をやめてしまったりしなくてはならない」(Hendrickse 1966:343)。乳幼児は親戚と共に残されるが、しばしば彼女たちは人工栄養の働きについて全く訓練されていないし、準備もできていない。「育児を間 違った方法で行ったためにどんな結果になるかはアフリカの病院を訪れれば、一目でわかる。このような人工栄養によって育てられた乳幼児は、栄養の所要が正 しく満たされることはめったにないため栄養失調となる。一方、育児法に関する間違った衛生学が、彼らは再発性の胃腸炎であると決めつけ、このため栄養不足 と死を招いてしまう。母乳栄養から人工栄養に切り換えることに伴う危険を認識しているアフリカ人の母親はほとんどおらず、また経済的な逼迫や専売的なブラ ンドによる《ベビーフード》の広告からの影響などのために、人工栄養は増加しつつある」(同書)。ジェリフェは西ベンガルにおいて、類似した現象を見出し た。そこでは社会的経済的に下層階級の母親の間で、広く宣伝されている乳幼児向けの粉末の炭水化物乳に、金を「浪費」する傾向が強まっている (Jelliffe 1957:137)。
 文化的な変動に伴う食生活の悪化というパターンの奇妙な一変形が、北インドのシナウラの村で観察されている。ここでは、インドのカースト制度における、 より高い地位に昇りたいという欲望のために、低いカーストの成員が菜食主義—最も高い階層の習慣—に転じ、その栄養状態を悪化させるという結果に終わって いる(Hassan 1971:58)。

食物の文化的相関が意味するもの

 栄養失調に苦しむ人々の栄養水準を改善しようとする人々にとって、その食生活上の欠乏を臨床的に分析することが、まず第一歩であることは疑いを入れな い。しかし改善家達はまた、食物の社会的機能、象徴的意味、食物に関する信念などについて知ることなしには、成果を上げることはできないであろう。もしも 推奨された食事が熱—冷2分法による制限に関する強い信念を犯すとしたら、この信念は普段の食事のみならず、妊娠、産後、病気といった人生の危機におい て、特に強い支配力を及ぼすのであるから、バランスのとれた食事を勧めても、ほとんど役立たないことになる。例えば、牛乳を食物とは考えない民族や、ラク ターゼ欠乏症のために少なくとも乳幼児期以降は牛乳を飲めない民族に、それを飲めと命じても何の意味もない。しかし地方的な信念はまた、積極的に、改善計 画に役立たせることもできる。ズール族と働き、また民族的動機に基づいて働いたカッセルは、ズールの人たちが古代の食事を良い食事であると理解させた時 に、現代の食事を改善させるたくさんの変化を喜んで受け入れたと報告した(Cassel 1955)。
 何百万という栄養失調の人々の間で、貧困と適切な食物の絶対的な不足は、栄養的な改善の可能性を阻んでいる。しかし、文化的な営為が、基本にある不足を いかにしばしば悪化させているかを見出すのは残念なことである。これらの慣習意識とその慣習を変えるために乗り越えるべき「障壁」に関する知識が、手に入 る食資源を人々が最大限に活用するのを助けるためには不可欠である。そしてこの点こそ、人類学が研究と指導の両面において栄養学に貢献できる部分である。

原註
(1)全ての文化的な「規則」に関して、もちろん、例外はある。例えばゲルファンドは、栄養上の疾病にかかっているローデシアのマショナの病院患者は、都 市よりも農村出身者がずっと多いことを見出した。また調査によって、都市部のショナは農村部のショナよりも良質の蛋白質と他の栄養学的に望ましい食物をた くさん消費していることが明らかになった(Gelfand 1971:193-204)。



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他山の石(=ターザンの新石器)

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