病気と縁起担ぎ
Superstitions and folk illness
信仰が人間の情緒・感情・行動にかかわる体系である とすれば、信仰体系は個々人の生存に直接かかわる問題だということになる。そこから、神話、世界観、宗教、儀礼を含む象徴体系が、人びとの内面的世界と照 応しあうことになる。先に述べたシャーマニズムの事例を取り上げるまでもなく、多くの社会では、身体と身体内部の秩序の混乱(病気)が宇宙的秩序の混乱と 同一視される。たとえば、シャーマン、産婆、治療師、呪医(medicine man)のような職能者が、宗教家や特殊技能者であると同時に宗教的能力をもつ宗教家とみなされることが多いのは、宇宙的秩序の乱れを防ぐ、あるいは修復 する能力があると考えられているからである。そうした文化的秩序の修復の過程を癒(いや)しと呼ぶなら、私たちの日常生活の中にある行動と思考そのもの が、癒しの過程に似ている。
茨城県のある地方では、病気に関する事柄において3 という数字にかかわることを嫌う。たとえば病院に入院した患者が、入院から3カ月目の日を病院で迎えないように、退院、あるいはそれが叶わないならば一時 的外泊を、患者の家族が医師や看護婦に懇願することがあった。
方違(かたがえ)も患者の入退院、とくに退院時にし ばしば見られる。方違とは、方位には吉凶があり、凶方に向かう際には、直接そこには行かず、別な方向に一旦留まって、目的地の方角を変えることをいう。例 えば、入院先の病院から自宅の方角が凶方である場合、退院の際にすぐに自宅に戻らず、方角の異なる親戚の家などに一度泊まって、そこから帰宅するのであ る。この際の吉凶の方角とは、本人の運勢暦によったり、個別に相談した占いなどの結果決めている。また仏滅の日に退院するということも嫌われている。仏滅 とは、中国の陰陽五行思想の影響を受けて発達した日本の陰陽道(おんみょうどう)にいう六曜星、すなわち先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口における4番 目の日をさす。おなじ六曜星の大安とは正反対に、仏滅とは凶日と見なされており、「物みな滅び、すべて空しくなる日」という。このような理屈を知らずと も、暦をみて人びとは、縁組、家屋の落成、会社の創立の際は、おしなべて仏滅を避けるのは周知のことである。
入院している患者を見舞う人も縁起をかつぐ。病院の 前や病院の中の花屋には見舞いにふさわしい種類の草花だけしか置いてない。また、仮に見舞いにふさわしくない草花があっても、店員はどのようなものがお見 舞いにふさわしいか、そうでないかを念入りに説明してくれる。例えば、鉢植えは「根付く」といって患者さんの見舞いには薦められないというふうに。
不幸にも病院で亡くなった患者がいた病室——個室で あることが多い——も「鬼門」になってしまう。故人を知っている周りの入院患者は、そこに自分のベッドを移すことを嫌がる。そして、当然のことながら病院 スタッフも、それを知る患者のベッドを、一時的にせよ無配慮にそこに動かすようなことはしない。受け持った患者たちがたまたま偶然にも軒並に死ぬというこ とに遭遇した看護婦さんが、御祓いや占いを受けにゆくことがある。大きな病院において婦長さんという看護の要職にある人たちが、非公式にこぞって御祓いを 受けにゆくことが恒例化しているところもある。むろん、このような人たちはある意味で真面目に宗教的儀礼を受けているのであるが、その効果について真剣に 信じているとも思えないようなふしがある。ちょうど初詣に際して、別の第三者から真剣に祈願したかと真顔で問われれたならば、私たちは当惑せざるを得ない が、ちょうどその程度の安易さでお参りするのである。
観察の眼を病院の建物に向けて見よう。そこでは、4
や9にまつわる数字が避けられている。もっとも4階や9階という名称が——ちょうど西洋における13階が欠けているように——見つからないということでは
ない。エレベーターには4階という表示はあるのだが、病室が501、502‥‥と500番代から始まっているという具合いなのである。病室のベッドの配置
もそうである。建物の構造上、北を頭にすることは避けられないこともあるのだが、実際はベッドが北枕にならないように上手に配列されていることもある。
リンク
文献
その他の情報