かならずよんで ね!

儀間比呂志と創作のための想像力について

The Great Okinawan Print Artist Mr. Hiroshi GIMA (1923-2017) and his creative imagination with all Okinawan people from future to Past

池田光穂

後に沖縄出身の偉大な芸術家・版画家・絵本作家になる儀間比呂志(ぎま・ひろし:Hiroshi GIMA , 1923-2017)は、1923年3月15日に那覇市に生まれる。

比呂志少年は幼少の時から絵を描くことが好きだっ た。彼は18歳の時に、南方のテニアン島に渡る。当時はすでに皇民化教育と総力戦体制が敷かれ、沖縄方言であるシマクトゥバや沖縄民謡である島唄が、本土 から駐留する軍人に対して通じないということで、禁止ないしは公的なところでは使わないような抑圧的な状況だと、後に述懐している。

儀間は、1943年の20歳の時に兵役への招集がかかり徴兵検査を受けて海軍に入隊する。1945年の敗戦時には横須賀におり、その後、東京から乗った復員列車の終着駅は大阪であり、そのまま大阪に滞在していた。

1946年大阪市立美術館に新設された附属美術研究 所の洋画部に入る。その間、生活費を稼ぐために大阪(道頓堀?)の街頭で似顔絵描きを続ける。1951年まで、赤松麟作、須田国太郎、小磯良平らの指導を うける。そのなかで版画家の上野誠(うえの・まこと:1909-1980)から木版画の手ほどきをうける。1957年から行動美術展に出品し、1959年 行動美術展新人賞、1966年会友賞を受賞する。

1956年沖縄タイムスの新川明(あらかわ・あきら:1931- )と共同で、取材活動をつづける。1960年「詩と版画・おきなわ」出版。

1965年『沖繩県史(23巻別巻1)』は, 1965年より1977年にいたる間に,琉球政府 及び沖繩教育委員会の編集,発行により刊行されたが、創刊直後の『沖繩縣史』にある、沖縄戦時代の語りから触発されて、戦前・戦時・戦後の沖縄の状況を知 る人たちへの取材をつづけて作品を生み出した。

以下、年譜風に記載する。

1923 那覇市に生まれる

1941 南方のテニアン島に渡る

1943 兵役への招集がかかり徴兵検査を受けて海軍に入隊

1944 10月沖縄では「陸軍防衛招集規則」により17歳〜45歳のまでの男性に防衛招集がかかり「鉄血勤皇隊」が組織される。これを指示していたのは、第32軍沖縄守備隊で台湾の防衛を担当していた。

1945 横須賀におり、その後、東京から乗った復員列車の終着駅は大阪であり、そのまま大阪に滞在

1946 大阪市立美術館に新設された附属美術研究所の洋画部に入る。その間、生活費を稼ぐために大阪(道頓堀?)の街頭で似顔絵描きを続ける。

1951 附属美術研究所を退所。赤松麟作、須田国太郎、小磯良平らの指導をうける。上野誠(うえの・まこと:1909-1980)から木版画の手ほどきをうける。

1955 堺市展にて会頭賞受賞

1956 沖縄で第一回展

1957 行動美術展に出品をはじめる

1958 行動美術展にて激励賞受賞。

1958 『琉球風物版画集』私家版 1958

1959 行動美術展にて新人賞受賞。

1962 『琉球風物版画集』を限定出版。

1966 行動美術展にて会友賞受賞。

1966 『沖縄 版画風土記』私家版

1969 『儀間比呂志版画集・沖縄』

1970 木版画に専念

1971 『ふなひき太良』(岩崎書店)刊、毎日出版文化賞受賞。

1972 『へこき三良』(岩崎書店)。『かえるのつなひき』福音館書店 こどものとも

1974 『儀間比呂志の沖縄』(講談社)刊。

1975 『鉄の子カナヒル』(岩波書店)刊。サンケイ児童出版文化賞受賞。『赤いソテツの実』岩崎書店)、『ねずみのハーリー』福音館書店)刊。

1980 中山良彦と沖縄戦版画集『戦がやってきた』(集英社)で沖縄タイムス社芸術選賞絵画部門大賞受賞。

1981 りゅうになりそこねたハブ』福音館書店 こどものとも

1982 『儀間比呂志が沖縄について彫って語る本』みやざき書店

1985 新川明と絵本『りゅう子の白い旗』刊。

1987 『次良の猫 版画ミュージカル』清風堂書店出版部

1989 『沖縄 新版画風土記』海風社 南島叢書。『おにとアンカンぼうず』福音館書店 こどものとも

1991 『赤牛モウサー 沖縄の絵本』岩崎書店 絵本の泉

1994 版画集『儀間比呂志の沖縄』(海風社)

1995 『沖縄戦 朝鮮人軍夫と従軍慰安婦 沖縄戦版画集』清風堂書店

1997 『マジムンのうた おきなわのえほん』ルック。『やんばるのカメさん』福音館書店 こどものとも

1999 絵本『沖縄のわらべうた』(沖縄タイムス社)

2000 『飛びアンリー 沖縄の鳥人』海風社 南島叢書

2001 『儀間比呂志絵本の世界 1971~2000 ニライ・カナイへの夢』海風社 南島叢書。『琉球に上陸したジョン万次郎 絵物語』文・版画 神谷良昌原案・翻訳 沖縄タイムス社

2003 絵本『南風(ぱいかじ)よ吹け~オヤケ・アカハチ物語』

2004 『エイサーガーエー おきなわのえほん』ルック

2005 『ツルとタケシ 沖縄いくさ物語 宮古島編』清風堂書店

2006 『みのかさ隊奮闘記 沖縄いくさ物語 八重山編』ルック

2008 『テニアンの瞳 南洋いくさ物語』海風社 南島叢書

2009 ロックバンドMONGOL800と詩画集『琉球愛歌』を出版。

2013 『津堅赤人 沖縄むかし話』文・絵 琉球新報社

2017 4月11日肺炎のため、大阪府内の病院で死去。94歳

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資料

■上野誠(うえの・まこと:1909-1980)

「日本版画協会理事上野誠は[1980年]4月13日午後3時15分肝硬変のため千葉県松戸市の東葛クリニックで死去した。享年70。1909(明治42)年6月7日長野県長野市に生まれ、29年長野中学校を卒業、東京美術学校に入学したが、32年に中退、木版画の制作を始めケーテ・コルヴィッツKäthe Schmidt Kollwitz, 1867-1945]に私淑した。37年国画会第12回展の「石炭を運ぶ人」をはじめ、戦前は国画会版画部に出品した。41年鹿児島の指宿中学教諭とな り、以後終戦まで教諭として岐阜県・長野県を移転、その間42年の国展に「戦況ニュース」を出品した。45年新潟県に移り、玩具デザインをするかたわら、 48年第2回アンデパンダン展に「自由を求むる労働者」、51年の第4回展に「平和をかたる」等を出品、52年上京して本格的な制作活動に入り、同年第5 回アンデパンダン展に「原爆展ポスター画稿」を出品、この頃より戦争や原爆の悲惨さを訴える作品を多く手がけるようになる。57年の第1回展より6回展ま で出品した東京国際ビエンナーレ、アンデパンダン展、平和美術展、日本版画協会展などを発表の場として、「ケロイドの脚」(55年)、「焼けた五重塔」 (57年)、「ヒロシマ三部作(男・女・鳩)」(59年)、「原子野連作A-H」(68~76年)などを発表、61年には長崎に旅行している。このような 作品は海外での評価も高く、59年のライプチヒ国際書籍版画展では金賞を受賞したほか、69年モスクワ、76年ブルガリアで個展を開くなど国際的な活躍を していた。」出典=東京文化財研究所「上野誠」)

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文献

その他の情報

Maya_Abeja

Mitzub'ixi Quq Ch'ij, 2017

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