霊犬早太郎伝説
The Hayatarou the Dog, a legend in Japan
■1「むかーし むかし いまから七百年ほど むかしのこと 駒ケ岳にいた 山犬が 光前寺の えんのしたで かわいい かわいい 子犬を 五ひき うみました。 和尚さんは たべものを 運んでやって 「山に帰るときは 一ぴき おいていって おくれやえ」 と 母犬に たのみました。 ある日 母犬は 一ぴきの 子犬をおいて 山へ 帰りました。 「そうか そうか おまえは このお寺に のこるように いわれたんじゃな」と いって 和尚さんは 子犬の 頭を なでてやりました。 子犬が “風”みたいに はやく かけまわるのを みて 和尚さんは “早太郎”という 名前を つけてやりました。 やがて 早太郎は くまや いのしし にもまけない りっぱな 犬に なりました。 それから 何年かたった ある日のこと 一実坊という 旅の坊さんが 遠くから 光前寺を たずねてきました。 「わたしは 遠州で とても悲しい 祭りを 見たのです。それは 白羽の矢が たった家では 祭りの日に むすめを 白木のはこへ 入れて お宮に そなえなければなりません。 そうしないと せっかく 実った 田んぼや 畑の 作物が ひとばんのうちに 何ものかに あらされて しまうのです。 わたしは 祭りの夜 かくれて ようすを 見ていました。 すると ばけものたちが 出てきて 『こよいこんばん おるまいな 信州信濃の早太郎 このことばかりは しらせるな 早太郎には 知らせるな』 『おらんぞ おらんぞ くるもんか』 と 歌いながら むすめを わしづかみにすると さっと 消えて いきました。 わたしは それを見て 早太郎を さがす旅に 出たのです。 信濃の国を たずね歩きましたが 早太郎という人は 見つからず とほうに くれていました。 この村まできて、村人から 光前寺に 早太郎という犬が いることを 聞きました。 人だとばかり 思っていた 早太郎は 犬だったのです。 どうか 早太郎を かして下さい」 と一実坊は 和尚さんに いっしょうけんめい たのみました。 それを 聞いた 和尚さんは たいそう きのどくに思い 早太郎に いいました。 「早太郎 おまえ 行って 助けて あげなさい」 横にすわっていた 早太郎は むねをはって 「ワン」と 返事をしました。 次の日の朝 和尚さんに 見送られて 一実坊と 早太郎は 天竜川ぞいを いそいで 遠州へ 向かいました。 何日も ねずに 村についたときは ちょうど 祭りの日でした。 人身御供になる むすめの家には 村人が 集まり なげき 悲しんで いました。 「むすめのかわりに この早太郎を はこに いれなさい」 と 一実坊が 声をかけました。 「この犬が 本当に わたしを 助けて くれるのだろうか」 むすめは 心配しました。 「また 田んぼや 畑が あらされないだろうか。」 村人たちは 不安でした。 夕方になると 早太郎をいれた はこは 村人に かつがれ お宮に 運ばれました。 やがて 真夜中になりました。 なまぐさい風とともに 「ドシン ドシン」と大きな 足音が 近づいてきました。 ばけものたちは 歌いながら はこのまわりを おどりはじめました。 「こよいこんばん おるまいな 信州信濃の早太郎 このことばかりは しらせるな 早太郎には しらせるな」 「おらんぞ おらんぞ くるもんか」 「こよいこんばん おるまいな 信州信濃の早太郎 このことばかりは しらせるな 早太郎には しらせるな」 「おらんぞ おらんぞ くるもんか」 そのばけものたちの 大きな口は 耳まで さけ 目は まっかに もえ つめは するどく とがっていました。 それから ばけものたちは あたりを 見まわして にんまり わらい 「どれどれ むすめを いただくか」 ふたを あけたとたん 待ちかまえていた 早太郎は 「ウォッ」ととびかかった。 「ウワアッ 早太郎だ」 「ガォーッ ガォーッ」」 「ウォーッ ウォーッ」 早太郎と ばけものたちの たたかいが はじまった。 さけび声は あたりの 山々に ひびきわたり 村人たちは そのおそろしさに ひとばんじゅう ふるえていました。 あたりは シーンと しずまりかえり やがて 夜が あけました。村人たちが おそるおそる お宮へ いってみると そこには 三びきの 年とった 大きなヒヒが たおれていました。 「こいつらが わしのむすめを くったのか」 前の年に むすめを 人身御供にだした 村人が なきくずれました。 「わしらは このばけものを 神様と 思っていたのか。」 村人たちは つぎつぎと おどろきと にくしみの声を あげました。 そのとき 「早太郎がおらぬ 早太郎がおらぬ みなのしゅう 早太郎を さがして くだされ」 と 一実坊がさけんだ。 でも 早太郎の すがたは どこにも みえませんでした。 そのころ 早太郎は 生まれ育った 信濃の国へ向かって きずついたからだを 引きずり よろめきながら 歩いていました。 やっとの思いで 光前寺まで たどりつきました。 和尚さんに だかれた早太郎は 「ワン」 と ひとこえ ほえると 静かに 息をひきとりました。 ばけものと たたかった 早太郎は 『霊犬早太郎』 といわれ いまでも みんなの心の中に いきつづけているそうな。」
【1】早太郎
出典:「信州駒ヶ根の昔ばなし」(社)駒ヶ根青年会議所/作;駒ヶ根市保育協会民話グループ/作
http://library.city.komagane.nagano.jp/story01.html(最終確認日 2011年2月11日)
■2昔のことです。 光前寺というお寺の下で、山犬が三匹のかわいい子犬を生みました。 それを知った和尚さんは、毎日おいしいご馳走を、たくさん運んでやりました。 月日がたち子犬はだんだん大きくなり、 母犬といっしょに、お寺の庭をかけ回って楽しく遊ぶようになりました。 ある日、母犬は三匹のかわいい子犬を連れて帰ろうとしたとき、 一番利巧そうな子犬を一匹お礼としてお寺へ残していきました。 その子犬は、灰色をしていて、強そうで、走ることがとても早かったので、 和尚さんは「早太郎」と名前をつけてかわいがっていました。 在る寒い日の夕方のことです。 お寺のうら山へおそろしい怪物が出てきて、 遊んでいた子どもをさらって逃げようとしました。 それを見つけた早太郎は、風のような速さと、すごい力で、怪物と戦い、 子どもを助けました。 そのことがあってからは、村の人たちも、 やさしく強い早太郎をみるとだいたり、なでたりしてかわいがってやりました。 そのころ、遠州(静岡県磐田市)では、秋祭りの晩になると、 かわいい女の子のいる家に、白い矢がとんできて屋根にささり、 矢のささった家では、 女の子を、白木の箱に入れてお宮へ供えなければなりませんでした。 それをしないと田畑の作物が一晩のうちに荒らされてしまうのでした。 とうとうお祭りの夜がやってきました。 お坊さんが、白い木の箱に入れた女の子の様子を見ようと、 太い木の陰に、そっと隠れて見ていると 「今宵、今晩、信州信濃の早太郎はおらぬか。 このことばかりは早太郎に知らせるな。」 と何回もうたいながら、大きい怪物が現れ、 白い木の箱の中から、女の子をわしづかみにすると、 ものすごい早さで消え去って行きました。 その様子を見たお坊さんは、 おそろしい怪物のうたったうたを忘れることができず、 一日も早く信州信濃の早太郎を捜そうと思い、 旅をしている六部という人に頼んでみました。 頼まれた六部は「信州信濃の早太郎はおらぬかい。」 「信州信濃の早太郎はおらぬかい。」 と早太郎捜しの旅に出かけました。 六部は毎日あちら、こちらと捜し回って、 やっとのことで、宮田のお茶屋にたどりつき、 ひと休みをしてお茶を飲んでいるとお茶屋のおばあさんが、 早太郎の話を聞かせてくれました。 話を聞いた六部は、喜びいさんで、お茶もそこそこに光前寺へ行き、 早太郎を貸してくださいと、和尚さんに頼みました。 六部から怪物の出る話を聞いた和尚さんは 「早太郎がんばっておいでよ」 と犬の頭を優しくなぜなぜ六部に渡しました。 早太郎を借りた六部はおおよろこびで遠州(静岡県)へ帰っていきました。 さて、冷たい風が吹くお祭りの夜のことです。 かわいい女の子の身代わりに早太郎を白い木の箱に入れて、 神様の前に供えておき、お宮のえんの下のすみでじっと様子を見ていると、 大きい怪物が待ちかねたように、太い杉の木から飛び降り、 あたりをキョロキョロ見渡して、 「今宵、今晩、信州信濃の早太郎はおらぬか、 このことばかりは早太郎に知らせるなよ」 とうたいながら、白い木の箱に近づいて行きました。 怪物がふたをあけたとたん、 早太郎は箱から飛び出して怪物にとびかかっていきました。 怪物も負けずに「ウワー、ウワー」と、 すごい叫び声をあげて早太郎にとびかかりました。 しかし、早太郎はうなり声ひとつあげずすごい速さと力で闘い続けました。 怪物は体中、血だらけになりだんだん弱っていきました。 早太郎も少しけがをしていましたが、 最後の力をふりしぼって、怪物ののどにかみついていきました。 怪物は「ギャー」といってばったりたおれ、 動かなくなってしまいました。 お祭りの夜があけたので、、村の人たちが、おそるおそるお宮へ行ってみると、 早太郎の姿は見えず、年とったサルが血まみれになって死んでいました。 早太郎は、血まみれのまま、遠い遠い信州の光前寺までやっとのことでたどりつき、 えんがわにいた和尚さんの顔を見ると「ワン」と一声ほえ、 ばったりたおれて死んでしまいました。 和尚さんは、死んだ早太郎の体を、やさしく、やさしくなでながら 「早太郎よくたたかった。強かったな。」 とほめてあげました。 そして、太い杉の木にかこまれた本堂の左横に穴を掘り、 永い永い眠りにつかせてあげました。 (伊那毎日新聞社「伊那の伝説と昔話」より) 早太郎は、「へいぼう太郎」、 あるいは遠州見附では「しっぺい太郎」と呼ばれています。 駒ヶ根市と磐田市はこれを縁にして、 姉妹都市を結んでいます。
【2】「早太郎の伝説」
出典:早太郎の伝説
http://www.komagane.com/hayataro.htm(最終確認日 2011年2月11日)
■3「昔むかし、光前寺に早太郎というたいへん強い 山犬が飼われていました。 その頃、遠州(静岡県)見付村では、田畑が荒らされないようにと毎年祭りの日に白羽の矢の立てられた家の娘を、いけにえにとして神様にささげる人身御供と いう悲しい習わしがありました。 ある年、村を通りかかった旅の坊様は、神様がそんな悪いことをするはずがない、その正体を見とどけようと、祭りの夜に様子をうかがっていると、大きな怪物 が現れ、「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」などと言いながら娘をさらっていってしまいました。 坊様は早太郎に助けを求めようとすぐ信州へ向かい、光前寺の早太郎をさがし出すと借りて急いで見付村へと帰りました。 次の祭りの日には、早太郎が娘の身代りとなって怪物と戦い、それまで村人を苦しめていた怪物(老ヒヒ)を退治しました。 早太郎は傷つきながらも光前寺までたどりつくと、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように一声高くほえて息をひきとってしまいました。 現在光前寺の本堂の横に早太郎のお墓がまつられています。 また早太郎を借り受けた旅の坊さまは早太郎の供養にと「大般若経」を写経し光前寺に奉納いたしました。 この経本は現在でも光前寺の寺宝として大切に残されております。」
【3】霊犬早太郎の伝説
出典:「霊犬早太郎の伝説」(宝積山光前寺・公式ホームページ)
http://www.kozenji.or.jp/mainframe.html(最終確認日 2011年2月11日)
■4「光前寺には昔よリ霊犬早太郎の伝説が伝えられ ています。今よりおよそ七百年程前、光前寺に早太郎という大変強い山犬が飼われていました。その頃遠州府中(静岡県磐田市)見付天神社では、毎年祭りの夜 に一人の子女を神前に人身御供として供える悲しい習わしが続けられていました。これを救おうと社僧一実坊弁存は、神仏に祈願して祭りの様子をさぐり、子女 をさらう怪物が信州の早太郎を恐れていることを知りました。信州に訪ね入った弁存は、光前寺に早太郎をさがし当て、早太郎を借り、子女の身代わりとなった 早太郎の力によって怪物(老ヒヒ)は退治され、村の災難は除かれたのです。一実坊弁存はこの報恩のために大般若経を書写し天神社から光前寺に奉納されまし た。以来、早太郎こそまさに不動明王の化身であり、災難除、厄除の霊犬なりとして広く信仰をあつめ、今なお目付より報恩の参拝が続けられています」
【4】霊犬早太郎伝説
出典:天台宗別格本山・宝積山光前寺のしおり(2011年2月に現地で入手)
■5「今からおよそ680年ほど前のお話です。 光前寺に早太郎という大変強い山犬が飼われていました。 その頃、遠州府中(静岡県磐田市)見付村では、田畑が荒らされないようにと毎年祭りの夜、白羽の矢が立てられた家の娘を、いけにえとして神様にささげる人 身御供という悲しい習わしが続けられておりました。 ある年、村を通りかかった旅の坊さま(社僧一実坊弁存)は、神様がそんな悪いことをするはずがない、その正体を見届けようと、神仏に祈願して祭りの夜に様 子をうかがっていると、大きな怪物(老ヒヒ)が現れました。 その怪物は、「信州の早太郎はおるまいな、早太郎には知られるな」などと言いながら、娘をさらって行ってしまったそうです。 旅の坊さまは、娘をさらう怪物は信州の早太郎を恐れていることを知りました。 坊さまは、早太郎に助けを求めようと、すぐに信州へ訪ね入り、光前寺に早太郎を探し当てると、早太郎を借りて、急いで見付村へと戻りました。 早太郎は遠州府中の見付村に行き、次の祭りの日には、早太郎が娘の代わりとなって怪物と闘いました。早太郎は、それまで村人を苦しめていた怪物を見事に退 治しました。そして村の災難は除かれたのであります。 早太郎は、傷つきながらも自力で光前寺の和尚さんの元に戻り、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように一声高くほえて、そして息を引き取りました。 早太郎を借り受けた旅の坊さま(弁存)はこの報恩の為に「大般若経」を書写し、天神社から光前寺に奉納いたしました。この経本は現在でも、光前寺の寺宝と して大切に残されております。 以来、早太郎こそ、まさに不動明王の化身であり 、災難除け・厄除けの霊犬なりとして、広く信仰を集め、今なお見付より報恩の参拝が続けられております。 現在、光前寺の本堂の横に、早太郎のお墓がまつられています。
【5】霊犬早太郎伝説
出典:「光前寺」
http://www.genbu.gr.jp/genhp/files/kasou/topic/kouzenji/kouzenji_hayatarou.html
(最終確認日 2011年2月11日)
■6「この説話は、当寺や、その他各地で語られてい るものであるが、その内容は類型的である。また、早太郎の名は、伝わる地方により異なり、遠江国では悉平太郎(しっぺいたろう)という。駒ヶ根でも、疾風 太郎(しっぷうたろう)という別名が伝わっている。 昔、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われていた。その頃、遠江の見附村では、毎年田畑が荒らされ、その被害に困った村人は矢奈比売神社の祭りの 夜に村の娘を人身御供として神様に差出し、これを鎮めていた。 延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと祭りの夜にその正体を確かめると、現れた怪物が「信 州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていった。僧侶は、早速信濃へ行き、光前寺で早太郎を探し出し和尚から借受けた。そ して次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって怪物(老ヒヒ)と戦い、見事退治した。 戦いで深い傷を負った早太郎は、光前寺までたどり着くと和尚にひと吠えして息をひきとったと言われている。 早太郎を借り受けた僧侶は、早太郎の供養のために大般若経を光前寺に奉納した。これは寺宝として経蔵に保管されている。また、本堂の横に早太郎の墓がまつ られている。 遠江国見附村は、現在の静岡県磐田市見付である。この話が縁となり、 1967年(昭和42年)1月12日から駒ヶ根市と磐田市は友好都市関係となっている。」
【6】早太郎説話
出典「光前寺」(ウィキペディア日本語)
http://ja.wikipedia.org/wiki/光前寺(最終確認日:2011年2月11日)
■7 その昔、花園天皇の治世だったというから今か ら700年程前の話である。信濃駒ケ岳のふもとにある光善寺で、どこからともなくやってきた一匹の雌の山犬が五匹の子犬を産んだ。寺の和尚も、この山犬の 親子の暮らしぶりを見守っていたのだが、子供たちが母犬と区別できないほどに育った頃、母親と四匹の子供は山へと帰っていった。しかしどうしたことなの か、五匹の中でもひときわたくましく利発だった子犬だけが寺に残っていた。何かと親子に目をかけていた和尚は、少し不思議に思ったものの、この一匹が寺に 残ったことをたいそう喜び、これを「しっぺい太郎」と名づけて慈しみ育てた。 同じ頃、遠州の見附宿あたりのこと。村人に人身御供を要求し、これに従わなければ近隣の田畑を荒らして凶作をもたらす神がいた。秋祭りの頃になると、毎 年のように村の家の戸口に白羽の矢を立てるのである。矢を立てられた家は娘をこの悪神に差し出さなければならなかった。村人たちは、背に腹はかえられぬと 仕方なくこの悪神の要求に従ってはいたが、やはり娘を贄に差し出さなければならなくなった家の者の悲しみは言い様も無いほどだった。 ある年のこと、この悲劇を見かねた見附天神社の社僧・一実坊弁存は、何か手立ては無いものかと物陰から人身御供の様子を伺っていた。果たして、正体不明 の怪物が、白木の箱に入れられた娘を求めて弁存の前に姿を現した。いや、見えたのは怪しげな影だけだったと言った方が正確かも知れない。しかし、その怪物 は奇妙な歌を歌っていた。 「今宵今晩この事は 信州信濃の光前寺 しっぺい太郎に知らせるな」 その直後、人身御供の娘の悲痛な叫び。 弁存は、怪物の恐れる信濃光前寺のしっぺい太郎を探すため旅に出た。 旅を続けた弁存は、ついに光善寺のしっぺい太郎の噂を耳にする。が、彼が探し続けた勇士・しっぺい太郎は、あろうことか犬なのだという。これには弁存も 落胆したが、太郎を知る人はみな口々に太郎を誉めた。弁存もついに、「せっかく長い道のりをやってきたのだから」と太郎の顔だけでも見ていこうという気分 になった。そして、太郎と対面を果たした弁存は、その聡明さと精悍さに感じ入り「これならばあるいは…」と認識を改め、光前寺の和尚にいきさつを話した。 和尚も弁存の話に不思議な縁を感じ、怪物退治のために太郎を貸し出してくれた。 そして、その年の秋祭り。弁存は太郎を白木の箱に入れ、少し離れた場所から様子をうかがっていた。同じく箱を運んできた村人たちも、弁存と同じく何が起 こるのか、固唾を飲んで見守っていた。やがて、去年の同じ日に弁存が聞いたあの歌が聞こえてきた。怪物は、ひとしきり箱の周りをうろうろしていたが、やが て箱のふたを取ったようだった。その瞬間、箱の中に潜んでいた太郎は猛然と怪物に体当たりした。がたがたと激しい物音に混じって、二つの声が聞こえてき た。一つは太郎の咆哮だった。もう一つは怪物の叫び声だろう。暗くてはっきりとしたことは何もわからない。弁存と村人たちは、血も凍る思いで暗夜の格闘の 成り行きを見守っていたが、やがて二匹の死闘は終わったようだった。しかし、その場に居合わせた者は恐怖のために戦いの結末を見届けに行く事が出来なかっ た。そして夜が明ける頃、意を決した弁存が昨夜の戦いが行われていたあたりまで行ってみると、血の海に倒れこんだ怪物の躯を見つけた。怪物は、年経た猿の 化生だった。しかし、そこに太郎の姿は無かった。 同じ朝、昨夜が見附の秋祭りの期日であることを知っていた光前寺の和尚は、矢も楯もたまらず寺の山門の前に立っていた。すると、東雲の道を何かが近づい てくるのが見えた。はじめは小さな黒い点だったそれは、寺に近づくにつれて犬の形になっていった。太郎だった。その足取りはよろよろとしておぼつかないよ うだった。ようやく和尚に抱きすくめられても、太郎には以前と同じく和尚にじゃれ付くだけの力は残されていなかった。全身に深手を負いながら、それでも恩 のある和尚のところまで帰って来たのだった。太郎は、和尚に抱かれながら息絶えた。和尚と村人は、光前寺の境内に太郎を手厚く葬った。 しっぺい太郎、あるいは早太郎と呼ばれる霊犬の伝説は以上のようなものだ。長野県伊那地方から静岡県遠州地方にかけて、類似した多くの伝説が残されてお り、その一つ一つは他の類話と微妙に異なっている。ここで紹介したパターンがスタンダードというわけではないので、念のため。 静岡県磐田市 見附天神社にて(写真付) 現在、静岡県磐田市の見附天神社で飼われている悉平(しっぺい)太郎三世。磐田市と光前寺のある長野県駒ヶ根市の仲を取り持つ親善大使である。先代・二 世も親善大使だったが、代替わりしたようだ。 おそらく山犬ではないだろうが、ただの愛玩動物とも違うなかなかワイルドな風貌をしている。不用意に近づこうものなら遠慮会釈なく吠え掛かってくるし、 さすが気高い霊犬の名を受け継いでいるだけのことはある。 ただ、そこは親善大使である。不審者は一喝するが、カメラを構えたら目線をくれた。しかも自分の名前も一緒にフレームインするように配慮してくれたらし い。左のショットは、太郎の協力なくしてはありえなかった。 見附天神社の隣には、太郎を祀る霊犬神社もある。 静岡県磐田郡水窪町 青崩峠付近にて(写真付) 静岡県水窪町奥領家地区。青崩峠付近で国道152号線に接続するヒョー越え林道の路傍には、しっぺい太郎の墓と伝えられるものがある。上記の話では太郎 は光前寺にたどり着き、育ての親である和尚に看取られながら死んでいるが、しっぺい太郎伝説は、南信から遠州にかけて多くのバージョンが存在する。この しっぺい太郎の墓も、数多く存在する伝説を今に伝える史跡のひとつと言える。 昔は人の往来も多い街道筋(秋葉街道)だったようだが、現在では少々寂しい場所になっている。静かに眠るのはこういう場所こそ都合が良いのかも知れない が、こんな所で倒れ葬られるよりは、やはりよく懐いていた和尚の下で死なせてやりたいと思うのが人情だろうか。 長野県駒ヶ根市 光前寺にて(写真付) 見附天神社と同じく伝説に登場したもう一つの舞台、長野県駒ヶ根市光善寺にある霊犬早太郎の墓。上の話では便宜上「しっぺい太郎」としている霊犬だが、 長野県側ではもっぱら「早太郎」と呼ばれる。 「しっぺい太郎」は、漢字を当てると「悉平太郎」となる。「悉(ことごと)く平らげる」とは怪猿退治の霊犬に相応しく随分と勇ましい名前だが、「しっぺ い」という音からは何となく「疾風」という単語を連想するし、「早→疾風→しっぺい」の転訛というか掛詞から生まれた音に、勇ましい字面「悉平」を当てた 名前なのだろうか。 もちろん、それとは逆の「しっぺい→疾風→早」の可能性を否定するものではないし、ここで考察したのとは別の変化を遂げた可能性も多分にある。 長野県駒ヶ根市 光前寺にて(写真付) 左側は光前寺本堂にある早太郎の木像。右側は同じく光前寺の早太郎石像。光前寺には像や墓の他にも、弁存が早太郎の遺徳を偲んで奉納した大般若心経六百 巻が伝えられている。 さて、上で犬の名前の訛化について触れたが、太郎が倒した怪物もちょっとした「言葉遊び」に縁のある妖怪である可能性がある。 中国に「カクエン」という猿の妖怪がいる。漢字では「獲猿」とか「攫援」と書く。それぞれ「(獲物を)獲る猿」、「援を攫う」の意味だ。援は媛に通じ、 要するに女性のこと。総合すると女性を攫う猿の妖怪といったところか。 実はこの妖怪、子孫を残すために人間の女をさらい、自分の子供を孕ませると伝えられている。一連の霊犬伝説に登場する怪猿が、人身御供に娘を要求したく だりを連想させる。
【7】しっぺい太郎と早太郎
出典:「しっぺい太郎と早太郎」
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/shippei_taro.htm(最終確認日:2011年2月11日)
■8悉平太郎(しっぺいたろう)の話 見付天神裸祭は、毎年盛大に行われていますが、その昔は泣き祭りといって、人身御供の行事が行われていたそうです。 毎年八月の初めになると、どこからともなく、白羽の矢が町家の棟高く突きささっています。矢を立てられた家には、必ず年頃の娘がいましたが、この家を年 番といって、そこの娘を生きたまま柩 (白木の箱)に入れて、8月10日の真夜中に見付天神へお供えする「しきたり」(習慣)になっていました。 里人は、今年も泣く泣く年番の娘を白木の柩に入れて、多勢でかつぎあげて、一点の灯火も見えない真っ暗の山道を天神社へ向い、社前に降ろします。あと は、韋駄天走り(とても早く走る)に逃げ帰ります。やがて、天地鳴動(地ひびき)して怪神が現われ、柩をかき破り、娘を眺めて大きな声をあげてこれをもて あそび、遂に食い殺してしまいます。人々は、このような悲しいできごとを毎年繰り返しながら、泣き祭りを続けていたのです。 延慶の年(1308年)に、雲水(僧)が見付の宿へ来て、この泣き祭りの話を聞いて哀れに思い、何とかこのようなことがなくなるようにできないものか と、苦心難行の修法をしました。その結果、これは妖怪の仕業であることがわかりました。そして修法の中で妖怪たちの話声をちらっと聞きました。 「信濃の国の悉平太郎に知らせるな。悉平太郎がこわい」 これを聞いた旅の雲水は、里人たちの応援を得て、悉平太郎を尋ねる旅に出ることになりました。信濃の国へ行って悉平太郎という強い人を探しますが、どう にもわかりません。村人の悲しさを考えて、更に根気よく探しているうちに、光前寺(駒ヶ根市)に飼われている骨格のたくましい猛犬だということがわかった ので、寺僧に会って、詳しく泣き祭りの話をして、悉平太郎を借り受けたいとお願いをしました。 寺僧は、 「悉平太郎が里人のお役にたつことならば、お貸ししましょう」 と承諾してくれたので、悉平太郎を伴って見付へ立戻りました。 次の年の八月になって、又民家の屋根棟に一本の白羽の矢が立ちました。雲水はじめ村人たちは、必死になって娘をかくし、柩には悉平太郎を入れて、例年の ように見付天神の社前へ置いて早々に帰りました。村人たちは、見付天神の山の様子を息をころして伺っています。 やがて山内鳴動(山の方で地ひびき)して、妖怪が現われました。みりみりと柩を破るやいなや、中にいた悉平太郎は猛然ととび出して、妖怪に襲いかかりま した。悉平太郎と妖怪の格闘の響き声がものすごく聞こえてきます。長い格闘の末、静かになり、ついに妖怪はかみ殺されてしまいます。 翌日村人が、恐る恐る見付天神へきてみると、年経た狒々(ひひ)が血に塗れて巨体を横たえています。周囲を見回すと、いかにものすごい闘いであったかを 示すように、いろいろなものが散乱していて、目をおおうようなありさまでした。その横では悉平太郎が負傷をしていましたが、幸いにも生きていました。村人 は、悉平太郎の立派な働きぶりに感謝するとともに、ていねいにお礼を言って光前寺へ送り届けたといいます。このあと、大般若経六百巻を書き写して、お礼に 奉納したともいいます。 磐田では悉平太郎と呼んでいますが、駒ヶ根地方では早太郎、又は疾風太郎とも呼んでいます。 悉平太郎については後日談がたくさん残っています。一説では、重傷を負いこの地に倒れたので人々は、見付天神横へ山神として祀ったともいいます。又、秋 葉街道犬居、阿多古大宮付近にて死亡したという話もあります。光前寺には「霊犬早太郎の碑」があって、無事帰山したものという話が伝わっています。 昭和九年に現在の矢奈比売神社社殿が改築された際、霊犬像の碑文に、この物語が刻んであります。 市営つつじ公園の中には霊犬神社があり、悉平太郎の物語を伝えています」。
【8】霊犬悉平太郎伝説
出典:「霊犬悉平太郎伝説、見付天神・矢奈比賣神社、公式」
http://mitsuke-tenjin.com/shippeitarou.aspx(最終確認日:2011年2月11日)
リンク
文献
その他の情報