同書は1968年12月に和田寿郎(Jyurou WADA, 1922-2011)を著者として、青河書房(出版当時は東京都大田区北馬込、 2018年現在不詳)から出版されたものである。装丁は長谷川裕。販売価格は420円。和田心臓移植は、同年の8月8日におこなわれ、レシピエントの宮崎 信夫君(Nobuo MIYAZAKI, 1951-1968)は10月29日に食後に痰を詰まらせた後「急性呼吸不全」で死亡している。そのため、この本は、宮崎君との邂逅や彼の死後の彼の記憶 へのオマージュと、その直後からはじまった和田寿郎への医学的かつ社会的非難——「いろいろ騒がれてるが」(大野精七)「誤解と中傷の渦中」(和田 1968:207)——への反論と、和田のそれまでの自伝的記録(155ページ以降)と、 和田の支援者(専門家および市民)によるメッセージから構成されている。したがって、この本は和田心臓移植手術に対する批判やコメンタリーに対する「自己 弁明」と「他者からの擁護メッセージ集成」とも言える書物である。
まず、以下に書物の目次と、それに引き続き、このページの著者(池田)によるコメンタリーを記載する
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裏表紙:石井国夫作詞作曲の「宮崎信夫君の死を悼む」の楽譜と歌詞
献辞「この小記録を、自ら望んで心臓移植を受けた、勇気あふれる故宮崎信夫君と、悲しみのなかに、令息故山口義政君の心臓提供に同意された山口 一家と、この手術に心からの協力を惜しまなかった、札幌医大病院の職員の方々につつしんで捧げる」
カラー扉:河見達二『心臓移植』と題された半抽象画。作者の母より和田に寄贈された旨の記載
「信頼と希望の83日」——宮崎君のメッセージ
「ぼくは心臓の移植手術をしてもらわなければ、自殺していただろう。 ぼくは死なずに、窓から空が見える。先生、ぼくしあわせだ——宮崎君のこのことばほど、彼が手術に期待したものがなんであるかを、あざやかに語っているも のはない。影の地帯から光の中へ、自らの勇気で踏み出した喜びは、宮崎君にしかわからなかっただろう。83日という期間はあまりにも短かったが——」
序文 大宅壮一 1(ページ数、以下同)
本書によせて 大野精七(札幌医科大学初代学長)3
私は心臓移植をつづける 6
信夫君とわたし 13
信夫君とわたし1
信夫君とわたし2
人類愛に火をともそう 85
人類愛に火をともそう
かわいい学童報道陣に囲まれて
未来への鼓動 113
マスコミの激流にもまれて 131
マスコミの激流にもまれて
わたくしはポンコツ屋ではない
青春の反骨と心臓と 153
心臓移植の諸問題 177
心臓移植のれい明
心臓移植の現況と将来
将来に託される人工心臓とは?
医学的にみた心臓移植の問題点
脳死判定について
(特別寄稿)心臓移植の課題 ロバート・バジャー(ボストン大学胸部外科教授)
全国民の祈りと希望を乗せて 205
和田グループを励ます手紙
信夫君を悼む手紙
生への誓い〜往復書簡
わが子、信夫に代わって
信夫君の激励に訪れた方々
いのちの証言 239
研究論文および発表・参考文献 253
あとがき(青河書房編集部) 254
奥付
達口孝(旭川の中学教諭で1961年[和田から?]手術を受けている)作詞・作曲「あゝ!! 札幌医大胸部外科」
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■励ましの手紙
「和田先生、つつしんでご苦労さまを申しあげます。 世間ではいろいろとかつてな議論がなされているよう でございますが、今回のことにかぎらず、新しい分野 に取り組むには、賛否両論あるのは当然で、それに耐 えぬく図太い神経こそ必要のようでございますね。ど うぞ、非難の無責任な発言にだけは負けずに、いっそ うの研究を推し進められますことを、心からお願い申 しあげます。わけのわからぬ医事評論家などが、かっ てな意見を語っているのを見聞きするたびに、腹が立 ってしかたがありません。/ わたくしの父親も医師でございましたが、わたくし の三歳のときに急性肺炎で亡くなりました。和田先生 のこのたびのど心労をみておりますと、なにか他人ご ととは思えずペンをとりましたようなしだいです。 手術成功ぬ際は感じなかった心臓預託のことも、宮 崎さんの死亡を機会にわたしのハートのことも改めて 考慮したいと思うようになりました。その際は、ぜ ひ、和田先生に使っていただきたいと思っておりま す。/ かわいいむすこさんを亡くされたようなお気持ち で、さぞかしお力おとしと推察いたしますが、おから だだけはくれぐれもおたいせつに、ご自愛のほどをお 祈りいたします(横浜 女性)」(和田 1968:223-224)。
※和田の著作にもたびたび、移植に反対する医事評論家が登場する。これは、「和田心臓移植を告発する会」の石垣純二(Jyunji ISHIGAKI, 1912-1976)であるように思われる。
「……宮崎信夫さんは、その短い一生の間に、たった一度だけでも、ほんとうの勇気というものを発揮することができたのです。きっと、きっと、悔いのない気持ちで仏さまにおなりになったにちがいありません。あるいは、「ぼくが、日本の心臓移植のとびらを
開いたんだ」と、心臓病で亡くなられた先輩たちに取り固まれていばっておられるかもしれません」(東京都 女性)(和田 1968:221)。
■宮崎君の死に寄せた歌三首(松江市 高村長政)(和田 1968:225)
もろ人の願いむなしく少年は十八歳にてあわれ逝く
心臓の移植をうけし信夫君天命なりとゆきませ永久に
少年を救わんとせし和田教授臓器移植は尊くありぬ
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