今村充夫『日本の民間医療』研究ノート
On Michio IMAMURA's "Folk Medicine in
Japan," 1983
今村充夫(いまむら・みちお:1921- 2015)
民 俗学者、歌人。1921(大正10)年6月25日朝鮮京城生まれ。京城公立中学校卒。旧制國學院大學予科から学部国文学科卒。旧制福井県立小浜小学校教 諭。新制若狭高校、石川県立各高等学校の教諭・教頭を経て、石川県立郷土資料館副館長、分館長。国立石川高等専門学校講師(1996年当時)
加能民俗の会会長、石川県歌人協会会 長、石川県立郷土資料館(石川県歴史博物館の前身)副館長、日本民俗学会名誉顧問、金沢市文化財保護審議委員。国立民族学博物館国内資料調査委員。折口信 夫に師事。1983年(今村62歳)の時に『日本の民間医療』弘文堂を公刊する。『日本の民間医療』は5年後に歌集『北の黒潮』を公刊するが、それを除け ば最後の単著となる。
歌歴は、國學院予科時代に「鳥船社」、釈迢空、折口(旧・藤井)春洋、に師事。折口父子没後、香川進(代表)と山本友一が指導する「地中海社」に1957年に入社、同社金沢支社長。藤田福夫「日本海短歌会」会員、古川達夫「海溝」に在歴。1980年「星座短歌会」代表、「防風林短歌会」「日本歌人クラブ」の要職を経る。
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このページは彼の最後の学術書『日本の民間医療』について検討する。
参考文献リストからみて、彼は、日本の医学史について言及しているが、その典拠の多くは富士川游(1865-1940)と服部敏良(1906-1992)によるもので、同時代あるいは1980年当初まで の日本の医学史・医史学研究からの文献を使っていないようである。
「現代人の健康保持と医療に対する考えには何か盲点と偏りが感じられるように思う。つまり健全な本質的なものを外しているのではなかろうかと思
われる疑問をはさむものである。この点に関し民間医療が古来の病理観に基づき、長い年代の多くの人々の体験をおとして伝承された効果をもってきた面をとら
えて現代人の反省の具にできるものではないかと考えた。/それにしても民間医療は民間伝承の範疇に属しているからどうしても日本民俗学の一部門で論ぜられ
ることが至当である」( p.237)
章立て
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1. 日本の医・薬史
2. 民間医療の地位と発想
3. 民間医療(1)
4. 民間医療(2)
5. 民間医療と保健
6. 現代医学と民間医療
参考文献
あとがき
柳田国男の顕彰と、その弟子、眼科医で民俗学者であった長岡博男をたたえている。
「長岡博男(ながおか・ひろお:1907-1970)明治40年4月1日生まれ。金沢の眼科医。柳田国男(1875-1962)にまなぶ。昭和12年から金沢民俗談話会を主宰。 24年加能民俗の会をつくった。眼鏡のコレクションと眼鏡史関係資料の収集で知られる。昭和45年6月16日死去。63歳。石川県出身。東京医専(現東京 医大)卒。著作に「日本の眼鏡」「加賀能登の生活と民俗」」https://goo.gl/cr5Vbv
1976年に全六巻で刊行された、明玄書房の『日本の民間療法』に「多大な影響を受けた」(p.238)に書いている。また、同叢書の『中 部の民間療法』の編者ならびに執筆者である関係で、その編集作業のプロセスのなかで、これまでの彼の研究の蓄積を一書にまとめる契機になったのかもしれな い。
書肆(弘文堂)の編集者は、重松英樹氏である。
リンク
文献
その他
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