Book review of Nakamura, Karen. 2013. A Disability of the Soul: An
Ethnography of Schizophrenia and Mental Illness in Contemporary Japan.
Ithaca: Cornell University Press.
この内容は、英語にて発表された、Book review: A Disability of the Soul: An Ethnography of Schizophrenia and Mental Illness in Contemporary Japan Author: Karen Nakamura, Social Science Japan Journal 18(2):294-297, Summer 2015, DOI: 10.1093/ssjj/jyv019 の日本語版草稿です。正式のものとは異なっている場合もありますので、ご了承ください。
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同じ文化人類学という分野で研究する私にとって、心ゆさぶられる書である。
本書は、著者カレン・ナカムラが、2005年5月に日本の北部の島(北海道)の寂しい町、浦河(うらかわ)の駅に降り立つところから始まる。そ こで、浦河赤十字病院の精神神経科と、それと密接な関係をもつ「べてるの家(Bethel House)」――精神障害などを抱えた人達の地域活動を支えるNPO、回復者による支援組織、有限会社、社会福祉法人組織、支援組織等の複合組織 (conglomerate)で会衆派(Congregationalist)に起源をもつプロテスタント協会が支える――に集う人達の民族誌 (ethnography)を描くことを彼女は試みる。民族誌とは、インタービューや参与観察(participant observation)を通して研究対象になった人々の生活の実態が描かれた記録のことである。
本書の第1章は、到着(Arrival)に始まる冒頭の漸近法的描写(asymptotic description)にはじまり、べてるの家の人たちが紹介される。第2章は、日本の精神医学史の粗描が粗描される。すなわち、古代から続く日本文化 における心の位置づけ、明治維新以降後の精神医学の導入、私宅監置(confinement to domestic cell)の現状報告と、その後の精神病院法の制定、第二次大戦後の私立病院に大量に入院患者が収容される社会的入院(social hospitalization)、そして保健医療改革を通しての精神病病床数の大幅激減などの現状などが解説される。精神病病床数の大幅激減は、精神障 害者の社会復帰への第一歩であったが、同時に根強い社会的偏見や受け入れ体制の不備などがあり、各地での試みは容易には成功をみていない。べてるの家の試 みが、全国の精神保健福祉士(Psychiatric Social Worker)に注目される理由になっている。
第3章は、北海道開拓とキリスト教ミッションの関係が紹介される。そこでは北海道先住民であるアイヌと入植した和人との複雑な関係が言及される が、これは日本語で書かれる著作にはなかなかみられない有益な指摘である。なぜならば、日本人が北海道の福祉施設に集う人たちを描く時に、そこに集まる人 たちが複雑な民族の出自関係をもつという前提を持たないからである。このことは、この北海道がかつて蝦夷地と呼ばれ、アイヌ少数民族の固有の土地であった ことを歴史的に忘却(historical amnesia)するという傾向があることなのだ。この章で私にとって印象的だったことは、開拓植民時代におけるアイヌ先住民にもまた開拓民においても、 プロテスタント・ミッションが現地の社会福祉事業において重要な意味を果たしたことを再確認したことである。
第4章では、べてるの家とそれに関連する施設での活動が紹介される。ここで重要なのは、日本のべてるの家に関心のある医療関係者と福祉関係者 が、必ず注目する彼らの自己肯定的なスローガンである。そこでみられるべてるの家の哲学的信条は次のようなものがある。すなわち、障害であることを恐れた り否定しては自立の道が断たれる。そのためには障害すなわち精神を病むことが肯定されなければならない。このプロジェクトの実施的指導者、ソーシャルワー カーの向谷地生良(Ikuyoshi, Mukaiyachi 1955-)の言う「悩む力 ability to worry(nayamu chikara)」が障害者に備わっていることであり、彼の多数ある著作の一冊の書名にもなった「安心して絶望できる人生(Anshinshite Zetsubō Dekiru Jinsei)」を生きることである。これは、欧米の読者のみならず、すでに病気を克服することが推奨される、あるいは義務にもなる道徳(ethos)を 受け入れた我々多くの日本人にとっても、逆説的な物言いである。他方、否定的な障害者のスティグマを張られ、妄想や幻聴という苦しみに耐え、かつ社会の中 でしたたかに生きてゆくためには、被抑圧者(oppressed [people])が身に付けなければならない弱者の武器庫(arsenal of the weak)に保管されている生き方の思想かもしれない。この4章で紹介された思想は、6章「べてるによる治療(Bethel Therapies)」で具体的な実践としての「治療」――ただしこれは医学概念上の治療ではなく集団療法という社会ドラマのことである――として当事者 研究(self-directed research)というユニークな方法などが紹介される。第5章は赤十字病院の精神科医カワムラ博士を中心に、精神医学とべてるの家、そして地域社会と の複雑な関係が描写される。地域社会は、べてるの家に対してはさまざまな地域交流の場を通して友好的な面と、障害者一般に対する不信感という両面性をもっ ていることがそこから窺われる。
それぞれの章には、精神障害を抱えた5人のストーリーが語られる。障害者の間でもっとも強烈な個性をもちシンボリック・マネージャたる働きをな すキヨシさん、まさにベテルの顔とも言える男性である。これには「べてると共に歩む(Walking Together with Bethel)」短い自伝が挿入されている。思春期の多感な時期に発症したリカさん。そこで語られる彼女の苦悩は障害者のそれであると同時に、同世代の女 性の日々の悩みと通底するものがあり、読む人を柔らかい共感に引き込む。コーヘイ(Kohei)さんのUFOに乗って地球から脱出すると大騒ぎになったエ ピソードは、べてるの家について書物から情報を得ている人には良く知られている有名な話である。37年間精神病に入院してなかなか退院してべてるの家での 共同生活に入ろうとしないユズルさん。いつも元気だったが、難治の遺伝性の代謝疾患により精神に変調をきたすようになったゲン(イチ)とその夭折。仲間の 落ち込み、そして、死後ゲンの両親を訪ねるカレンの旅路の記録。どの話も、並みの文学作品にも勝るとも劣らない物語が挿入されている。また書籍には、英語 サブタイトルの入った「ベテル」(41分)「ある日本人の葬式(A Japanese Funeral)」(12分)と補足的映像が入ったDVDが添付されている。前者の長尺の作品は、この本全体の映像編と言えるものだ。そして、後者の短い 映像はゲンが突然この世を去った時に撮影されたものである。後者は日本人の葬式と表現されているように、それ自体がプロテスタントによる葬儀の民族誌映像 の記録になっている。本書で遺憾なく発揮されたカレンの才能が映像作成にも開花していることが見て取れる。
調査は継続的ないしは断続的に2008年までおこなわれ、2012年に本書の出版ために、ある許諾を登場人物たちに求めるために著者は再度、浦 河に戻っている。それは、旧交の暖めるものでもあったが、同時に、使用される写真の利用の許諾の他に、登場人物の実名を記載することを求める旅でもあった (p.215)。
実名記載への試みは、精神障害者のドキュメントの出版としては、従来の慣行からみて極めて異例な事態である。数多くの精神障害者のドキュメント には、その患者の死後に、学説史的関心のためにその氏名(実名)が明らかにされることはあっても、生存中の氏名が公開されることは極めて稀なことであっ た。そして、それは「人権の保護」という言葉のもとで、実質的に聖域化していた。しかし、この種の調査に伴う「プライバシーの秘匿」による保護という手段 が、しばしば「被調査者たち」の匿名化を通して、逆に実名で登場する著者が「精神病者たちを表象(represent)する」圧倒的な力によって、物語の あるタイプの登場人物として成型されて、固有性のもった存在としては扱われてこなかった。精神病者以外の被調査者の実名化は、このような表象化の権力批判 以降、より広く行われるようになってきた。しかし、スティグマの暴露とみされる精神障害者の実名化には、まだまだ匿名化という「保護」措置によって、立ち 遅れたままであった。人類学者である私が好む誇張表現(hyperbole)を使って表現すると、カレンが21世紀の民族誌でおこなったことは、18世紀 末のフィリップ・ピネルによる精神病者の鎖からの解放に比肩すべき事柄なのだと。言うまでもなく、このことに読者の「プライバシーの保護をおこなうべき だった」という反論は出てくるだろう。カレンのそれに対する応答する責任(respons[e-]ibility)は、この書物を通してべてるの家に関わ る人のすべての真実を、その発話の責任を通して伝えたいというのである(p.21)。
7章と「出発(departure)」と8章「べてるを超えて:後書(Beyond Bethel: A Postscript)」は、それぞれ短いながらも本書を締めくくる重要な章である。それは、べてるの家が、精神障害者が病棟から出て社会復帰するための 施設でありながら、べてるもまたみんなが居心地のよいコミュニティになりつつあることを示す。べてるの活動がマスメディアなどでとりあげられ報道されるに つれて、日赤浦河病院もそしてべてるの家もまた、そこに入院したり会員になりたい待機者が多数待つという自体になった。だが、浦河のべてるの家のような受 け入れ施設が、日本の全国各所にできるという機運はまだない。べてるの家のモデルは、成功例ではあるが浦河ネイティブ・モデルのみしかないのが現状なの だ。本書で表現されているように「ベテルは出たい時にいつでもチェックアウトできるがだれも離れられない」("you can check out any time, but you can never leave.")のだ。そんなジレンマをカレンは向谷地と話し合っている。カレンもまた調査が終われば、チェックアウトして自分が教鞭をとるエール大学に 戻らなければならない。
本書A Disability of the
Soulの表紙には、比較的長く逗留し調査対象になった人たちと魂を交流した後に訪れる辞去のための立ち去る時のべてるのスタッフと女性たち――彼女たち
とは日本流のピザを沢山たべあったはずである――が手を振る写真が使われている。カレンと共に一緒に民族誌を読む旅をしてきた読者は、本書を読み終え、表
紙を閉じた時に、その旅が終わったことを感じるのだ。
■章立て
Chapter 1. Arrivals
Chapter 2. Psychiatry in Japan
Chapter 3. Christianity in Japan and the Establishment of Hokkaido
Chapter 4. The Founding of Bethel
Chapter 5. The Doctor and the Hospital
Chapter 6. Bethel Therapies
Chapter 7. Departures
Chapter 8. Beyond Bethel: A Postscript
Notes
Life Story 1. Memory and Catharsis: Kiyoshi's Story
Life Story 2. Coming of Age in Japan: Rika's Story
Life Story 3. UFOs and Other Mass Delusions: Kohei's
Story
Life Story 4. 37 Years of Institutionalization: Why
Did Yuzuru Never Want to Leave the Hospital?
Life Story 5. Peer Support and a Meaningful Life:
Gen's Story
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Chapter 1. Arrivals
Life Story 1. Memory and Catharsis: Kiyoshi's Story
Chapter 2. Psychiatry in Japan
Life Story 2. Coming of Age in Japan: Rika's Story
Chapter 3. Christianity in Japan and the Establishment of Hokkaido
Chapter 4. The Founding of Bethel
Life Story 3. UFOs and Other Mass Delusions: Kohei’s
Story
Chapter 5. The Doctor and the Hospital
Life Story 4. 37 Years of Institutionalization: Why
Did Yuzuru Never Want to Leave the Hospital?
Chapter 6. Bethel Therapies
Life Story 5. Peer Support and a Meaningful Life:
Gen's Story
Chapter 7. Departures
Chapter 8. Beyond Bethel: A Postscript
Notes
References
Index
■メモ、あるいは、使われなかった断片
統合失調症者の人たちと、それに寄り添う、支援者たちの姿は、(そうでないという自己認識のある)多くの日本の読者にとっては、異国の別世界の ような印象を持つだろう。
当事者研究=self-directed research
統合失調症への病名変更:2002年「日本精神神経学会総会によって英語の schizophrenia に対する訳語を「統合失調症」にするという変更」
CDに関する論評は、回避する(予定)、ないしは簡単に触れるのみ
ヴァルター・ベンヤミンによると19世紀のうちに東欧を含むヨーロッパ全域で物語がもつ描写がもつ時間的秩序が、急速に、小説がもつ描写の時間 的秩序ほうに移行して、物語は衰微しつつあるようになった。しかし、市民階級が支配権を獲得するにつれて、物語の権威の秩序のみならず小説の権威を揺るが すかのようになってきた。それが新聞がもつ伝達形式である情報である。
私たちの文化人類学分野の研究者は、文化を比較する際に生じる人々の疑問に答える時に世界の多くの民族誌を引用して、(1)文化現象を説明する
際には、単純な差異の比較に驚くばかりでなく、なぜそのような差異が生じたのか、それぞれの現象が他の活動とどのように関係しているのかについて「文化に
内在する論理」から説明しようとする。そして、その豊富な民族誌資料から(2)それらの現象がいかに多様で豊かな広がりをもっているのかを境界づけ、その
範囲のなかで「文化間で共通する論理」を探究しようとする。この2つの論理は、相互に矛盾した方法論――前者は同一文化内で説明する禁欲を、後者は文化を
横断するようななるべく広く知ろうとする欲望に従順にという――のモーメントを研究者に要求する。
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