かならずよんで ね!

魔法医学の起源

On the Origin of Magical Medicine in Japan, 1940s

池田光穂

林俊一(Toshikazu HAYASHI, 1914/1913-????)は、第二次大戦敗戦の前年6月に『農村醫學序説』(1944, 1946,1972)を公刊する。今日の用語でいう農村医学あるいは農村地域における公衆衛生(Rural Medicine, Rural Public Medicine)のパイオニアの著書のひとりである。

農村の医療状況に関する著作は、南崎雄七『農村の衞生と醫療』(1933)を嚆矢とするが、興味深いことに同年には、帝國女子醫學藥學専門學校藥學科編『日本民間藥集覽』という調査報告がなされている。また、この時期には、キリスト教社会運動家で「日本農民組合」創設者の賀川豊彦(1888-1960)が、農村部において内務省社会局の指導のもとに「醫療利用組合」の組織化を試みている時期である。その時期に同・社会局庶務課調査係は『農村ニ於ケル醫療状況』を報告書を作成し、農村衛生という用語が定着しだしたと思われる。

この農村の公衆衛生に関する医学的まなざしの手法とその問題解決への対策は、日本以外の海外の植民地や占領地(朝鮮、台湾、中国、インドネシア等)にも、萌芽的であるが援用されるようになる。

林は1942年に『農村の母性と乳幼兒 : 秋田縣下に於ける社會衛生學的調査』を朝日新聞社から公刊する。その時期に、林は他の調査スタッフとともに、東北農村の医療にまつわる「迷信」が、彼が奉 ずる近代医療(「現代の医学」1941:329)の進展を妨げていることを認識すると共に、そのことへの配慮に注目すべきであると指摘している。また、さ らに、迷信の多くが農村の嫁に信じられていることを、その社会的カテゴリーに帰することなく「家長型家族」によるものであり、また、都会への憧憬をもつ 「農村的心性」(林 1944:336)への考慮なしには、十分に医療が遂行できないと、正しく指摘している。

「農民の無智と迷信により支持され存続させられた魔法的医学が彼等の生命を左右する場合も尠(すくな)くなかった」(林 1944:329)

「魔法医学を代表するものは邪教、二三の宗派——例 へば天理教、法華宗など——巫子、「物知り」寺、等数多い。此等は疾病の原因を超自然的なものに帰し、神様や妖魔の仕業とする迷信、或いは誤れる信心深さ を地盤として居る。従って疾病を治す手段は呪文、祈祷、護符或いは特別の水を頂くとか、神様の御告をうかがうとか云う程度のものである。/農村では難治の 結核患者や精神病者殊に迷信深い老人や婦人が、かかる魔法医学にすがりつくことが多い」(林 1944:331)。

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Mitzub'ixi Quq Ch'ij, 2018

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