ニュルンベルク裁判
Nuremberg Trials, Trial
of the Major War Criminals Before the International Military Tribunal,
IMT
ふつう、ニュルンベルク裁判と呼ばれているものは、Trial of the Major War Criminals Before the International Military Tribunal, IMTであり、それに続くニュルンベルク継続裁判、すなわち、ニュルンベルクを占領 統治していたアメリカ合衆国による12の裁判(英語:Nuremberg Military Tribunals, NMT. 1946年12月9日から1949年4月14日まで)とは区別される。他方、広義のニュルンベルク裁判は、その両方をふくむ総称でもある。ニュルンベルク裁判は、1945年11月20日から1946年10月1日までおこなわれた。
詳細はウィキペディア「ニュルンベルク裁判」(Nuremberg trials) に譲るが、被告と訴追内容と判決についての情報は、当該箇所から引用する。
●私の関心のあるテーマだけを「ニュルンベルク裁判」(Nuremberg trials) よ り抜粋する。
●裁判全体の評価
「ニュルンベルク裁判がホロコーストをはじめとする人道的事件に対して、充分な措置を行えなかったという批判も存在している。マイケル・マ ラス(Michael Marrus) やジェフリー・ロバートスン(Geoffrey Robertson)はホロコーストやポライモス(Romani genocide, Porajmos)等を正当化したナチズムを断罪した裁判として高く評価しているが、ローレンス・ダグラス(Lawrence Douglas) やピーター・ノヴィック(Peter Novick)はホロコーストに注意を喚起するために、裁判は充分な役割を果たさなかったと批判している。」
●カティンの森事件
「カティンの森事件は、今日ではロシア政府も当時のソ連が虐殺を実行したと認めている事件であるが、ニュルンベルク裁判当時は、ソ連検事は 虐殺の責任をドイツに押し付けようとした。1946年7月1日に裁判でカティンの森事件について討議が行われた。しかしこの告発は証拠不十分であるとし て、裁判から除外された」
●ドイツ国内には「絶滅収容所」存在しなかった
「ダッハウ強制収容所などドイツ国内にあったとされていた大量殺害を行うためのガス室を備えた絶滅収容所の存在も現在では否定されている。 「ダッハウでも、ベルゲン・ベルゼンでも、ブッヘンヴァルトでも、ユダヤ人その他の囚人は、ガス処刑されなかった。ダッハウのガス室は『完成しておらず』 稼働していなかった」とされる[50]。 ニュルンベルク裁判で、大量ガス殺戮の現場証拠として法廷に提出されたのは、アウシュヴィッツ収容所の物的証拠ではなくダッハウ収容所のシャワールームの 水栓であった。 裁判では、ダッハウ収容所はシャワー室を改造したガス室の存在した絶滅収容所だと断定され、絶滅収容所はドイツ各地に存在したとされた。反対尋問は許され ず600万人のユダヤ人虐殺が認定された。 しかし現在では、イスラエルの学者でも、ダッハウ収容所で大量ガス処刑が行なわれたという者はいないし、ドイツ国内に絶滅収容所があったという者もいな い。ナチの戦犯追及に尽力したユダヤ人活動家、サイモン・ヴィーゼンタールも、ドイツ国内には絶滅収容所はなかったと述べている。 現在、絶滅収容所であったとされているのは、ソ連軍が占領して調査した東ヨーロッパの収容所である。これらの収容所は戦後しばらく、ソ連が立ち入りを禁止 したために、西側の調査団は調査を許されなかった。そのため、ソ連が解放した収容所の実態についての議論が尽きない状態になっている。」
●「人間から作った石鹸」の虚構
「ニュルンベルク裁判では、ソ連検事が「人間の死体から石鹸を作ることが行なわれた」と告発し、裁判の判決も「犠牲者の死体の脂肪から石鹸 を商業生産する試みがなされた」と断定した。だが、この「人間石鹸」は、戦時中の連合国の反ドイツ宣伝から出たものであり、その宣伝によれば、ドイツはユ ダヤ人の死体から石鹸を作っており、その証拠にユダヤ人ゲットーに配給されている石鹸には「RJF」(Reines Jüden Fett, ユダヤ人の純粋脂肪)というイニシャルが刻まれているというのである。しかし、この「RJF」は、戦時中に石鹸と洗濯用品の生産・配給に責任を負った機関 「帝国産業油脂洗剤局」(Reichesstelle für Industrielle Fett und Waschmittel) の略語「RIF」の誤読であった。 今日では、正統派の「ホロコースト史家」も脂肪から造られた「人間石鹸」の実在を否定している。マイクル・シャーマーはなぜ人はニセ科学を信じるのか』に おいて、「人油石鹸については化学的に否定されている。生体内で作られる脂肪酸の炭素鎖の長さは偶数になるはずだが、人油石鹸と言われているものを調べて みると奇数のモノの比率が高い。石油から合成している証拠である」と述べている。 第一次大戦時にすでに「ドイツの死体製油工場」について反ドイツ・プロパガンダ宣伝が既に行われており、その内容は「ドイツは人間の死体から脂肪をとり石 鹸を作っている」という第二次世界大戦で行なわれた反ドイツ宣伝とほぼ同じ内容であり、このプロパガンダがそのまま利用された[51]。 ユダヤ系のホロコースト研究家ラウル・ヒルバーグ教授も、カナダでのツンデル裁判で「手短に答えれば、私は人間の脂肪から石鹸がつくられた、ということを 信じていない」と述べている。またホロコースト史家のイスラエル・ガットマンは「今日ではそれが大規模に行われたことはない」と述べている。なおホロコー スト否定派はどちらも否定する傾向があり、そうした者は思想犯として訴追されている。」
●アウシュヴィッツの犠牲者数の確定
「1945年1月27日、ソ連軍がアウシュヴィッツ収容所に到達し、約7,500名の収容者がソ連兵士によって解放された。ニュルンベルク
裁判でソ連検事は、アウシュヴィッツで「400万人」が虐殺されたと告発した。アウシュヴィッツ収容所の所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスも裁判で
「250万人がガス室で殺され、そのほか50万人が飢えと病気で死亡した」と証言している。しかし、現在ではこの人数は公式に否定され、ヘスの裁判の際には最大でも150万人を超えないと認定された[52]。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所跡にある慰霊碑に刻まれた死亡者数は、ソ連崩壊後の1995年に「400万人」から「150万人」に改められた。世界遺産に登録したユネスコの2007年6月28日のリリースには「120万人」と記載されている。これらの数字についても疑問視している研究家もいる。
ラウル・ヒルバーグ「約100万人のユダヤ人が殺された。25万以上の非ユダヤ人が死亡した」(1985年)。ユネスコの数字とほぼ同じ。
ジェラルド・ライトリンガー (Gerald Reitlinger)「80万 - 90万人」(1953年)
ジャン=クロード・プレサック (Jean-Claude
Pressac)「63万人から71万人」「そのうち47万人から55万人がガス処刑されたユダヤ人であった」(1994年)
フリツォフ・マイヤー (Fritjof Meyer)「50万人」「そのうちガス処刑による犠牲者は35万人であった」(2003年)
アーサー・R・バッツ (Arthur R. Butz)
教授らホロコースト修正主義者たちはもっと少ない数字を挙げている。アウシュヴィッツの死者の総数は「15万に達するが、そのうち約10万がユダヤ人で
あった」、大半のユダヤ人は殺されたのではなく、とくにチフスの疫病によって死んだのであり、殺虫剤ツィクロンBはガス処刑にではなくチフスを媒介するシ
ラミを駆除するために使用されたと主張している。ドイツにおいてこのような論調は、1995年に制定されたドイツ刑法130条をもとに厳しく規制されてお
り、おもに修正主義者の著作が繰り返し焚書(禁書?)処分にされている。さらに、実際に毎年10,000名から15,000名のドイツ人が思想犯として訴
追されている[53]にもかかわらず、このような議論はますます激化している。」
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文献
その他
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