かならずよんで ね!

私の考えるフェミニズム(1997)

 On feminism

本部 幸(Yuki HONBU)

Saintess Feminist KM, Graduate Student of the Kumamoto University, Faculty of Letters

【おことわり】

この論文は、私(池田光穂)が熊本大学文学部文化人類学研究室(当時)に助教授として在職中の時代に指導した、本部幸(ほんぶ・ゆき)さんの 調査実習報告書によるものです。最初、私のパソコンのアーカイブから出てきた時に、最初は自分の文章だと勘違いしてしまいました。それぐらい文体が、私の ものと酷似しているのです。しかし、それが後半にいたると、その著者(彼女)の主張や語彙がすこしづつ凌駕していきます。私は人間文化の普遍化の可能性 や、男性と女性の二元論の克服などいう用語法や処方せんを提示するタイプの研究者だからではないからです。想像するに、私は彼女の論文構想の着眼点に着目 し積極的に指導し、また、文章の推敲にもコミットしていたようです——また当時はそれほど論争にはなっていなかった従軍慰安婦問題を積極的に取り上げる ——「自分のことと受け止める」ような思考実験の重要性——ように指導した記憶もあります。そのような彼女が誰であるのかは、私自身推測可能なのですが、 まだ確信がもてません。この論文を公開し、彼女にこの論文の公開の重要性を呼びかけるとともに、このネットで「それは私です」とメールを書いていただけれ ば幸甚です。

彼女には以下のような手紙を認めています。

本部幸(ほんぶ・ゆき)さま
 拝啓 大学を卒業され社会人として新鮮で刺激的ながらも日々の苦労も絶えないことと思いますが、お元気のことと存じます。
 さて、いきなり用件に入りますが、今年の学生の調査実習を基にした私の研究室の論文集を製作することになりました。つきましては今年書かれたMさんの卒 業論文を、多少編集し、本部幸「私の考えるフェミニズム——『従軍慰安婦』問題を手がかりにして」と改題して掲載したいと思います。そこで、本部さんにこ の企画に関する承諾をいただきたいと思っております。コピーを製本する報告書で、あまり立派なものではありませんが、完成の折りには送付します。以下略——1997年6月4日
****
2018年3月18日に、本部さんがFBに登録されていることを知り、メッセージのやりとりをして、公開に同意していただきました。また、作者名も「自分 の大切な作品」なので公開オッケーの許可をいただきました。本部さんに感謝します。もちろん著作権は、本部さんに帰属します。

   序論

 今日、しきりに「男女平等」が言われ、また1986年4月1日から施行されている「男女雇用機会均等法」により、女性の社会進出が改めて奨励されてきて いる。女性の権利、人権は確かに保証されたかのように見える。しかし、長引く「経済不況」という社会状況の下、「男女雇用機会均等法」は期待されている働 きを十分に機能させているだろうか。また、日本社会において認められた女性の権利、人権は、女性にとって本当に意味をなすものであるだろうか。

 この問いに対する答えは、私自身の「就職活動」体 験により得ることができた。残念ながら、日本における「男女平等」は建前だけの、内容を伴わない、うすっぺらなものであるようだ。どんなに、テレビ、雑 誌、新聞などで「女の時代」ということが言われようとも、「男女平等」をうたう企業であっても、それは女性の側に立ったものではなく、あくまで男性の側か らの男性理論に立った「女の時代」であり、「男女平等」にすぎないのだ。 男女同権主義、女性解放運動、女権拡張など、さまざまに訳されるフェミニズム は、景気低迷のあおりを受けている女性の間で、これまでにも増して、大きな意味をもつものになってきている。しかし、フェミニズムそのものに関して振り 返ってみる場合、果たしてその思想は、主体である女性の間に正確に認識されているのだろうか。

 フェミニズムというと、「女性の権利拡張」や、女 性への差別を無くし、女性の社会進出を確実なものとする「男女平等」など、とかく女性の側だけの利点となるような、女性が男性化することを目的としている 事のようにとらえられがちであり、実際多くの人々(男性も含めて)がそのように思っていると思う。フェミニズムをテーマに取り上げたこの私も、初めのうち はフェミニズムに関してあまり良いイメージをもっていなかった。「でしゃばりな女の集団」−これが私のフェミニズムに対するイメージだった。しかし、論文 を書くに当たり、様々な文献を読み進んで行くうちに、これまで私が、フェミニズムに対して否定的なイメージを持っていたということこそが、フェミニズムの 持つ問題点であることに気がついた。なぜ、私がフェミニズムに対して、否定的なイメージを持ったか。それは、私の中に「女はこうあるべきだ」という女性の 理想像が既に作り上げられていたからである。

 伝統的な日本の考え方における女性の理想像は、 「良妻賢母」だと言われてきた。これは、明治20年代後半からの、「日清戦争直前の国民的統合と、産業革命に即応する労働力育成」[永原 1994: 151]の一環として、井上毅文相によってなされた子女教育にその端を発する。その教育の目的は、主に「教育勅語に基づく教育の浸透と、国民的自覚の徹 底」と「貞淑の徳を涵養すること」[永原 1994:151-152]に置かれ、歴代の文部大臣らにより女学校教育は良妻賢母主義であると規定された。こ のように、明治期に始まった子女教育は、「国家に能動的自発的に奉仕する文明的国民の創出であり、その国民創出のための一助としての良妻賢母の養成を求め るもの」[ひろた 1994:11]であった。時代の流れた現在に至っても、女性は常にこれを念頭に置き、生きて行かなければならない存在とされる。ここ から出てくる「女=妻=母」、女という存在を「母性」の鎖で縛り付けてしまう「母性」の概念。フェミニズムにとって長い間、おもりとなっている「母性」、 これまでフェミニズムにおいてなおざりにされて来た、「母性」概念。

  フェミニズムについて考えて行く場合、「母性」の問題は、避けては通れない、また、これこそがフェミニズム、特に日本のフェミニズムの将来の行く末を握る カギであると私は思う。このことを抜きにしては、日本のフェミニズムはフェミニズム運動が持ち得る普遍性を獲得できないのではないだろうか。

  この女性に求められる「母性」が、日本においては、女性を国家と男性の下に抑圧してきただけではなく、戦時下においては、わが子を兵士として戦場へ送り出 し、自らが「母性」の枠に入ることで、他の女性に異性としての女性の役割、つまり男性の性的欲求を充足させる役割を負わせる状況を生み出したのである。こ の点について私は、「従軍慰安婦」を取り上げる。

 フェミニズムの思想を考える時、日本という限られ た領域の中のみで問題を論じていくことは、真の女性の解放を意味しない。何故ならば、世界は様々な国や民族の関係で成り立っており、その関係における女性 の解放こそが、フェミニズムの目指すものであるからだ。

 私は以下において、「母性」観念を軸に、差別の重 層構造問題の一つとして、「従軍慰安婦問題」を取上げ、両者の関係からフェミニズムの問題点を明らかにし、思想としてのフェミニズムの持つ可能性について 探って行きたいと思う。
 
  第1章 フェミニズムとは

   1,フェミニズムの定義
 フェミニズムについて考える場合、まず、フェミニズムがどういったものであるのかという定義づけが必要になってくる。フェミニズムの誕生以来、様々な方 向からの見解が提示されているため、「フェミニズムとは、これこれこういうものである」と一つの見解にまとめてしまうのは難しい。しかし、それぞれのフェ ミニズムの理論には、「女性の自由・平等・人権を求める思想」という共通の考えがみられる。このことからわかるように、フェミニズムは、18世紀欧米で形 成された自由主義思想を背景としてその歴史の第一歩を踏み出した。

 その誕生から現在に至るまでの約200年の歴史の 中で、フェミニズムは思想形成の主体や、観点、背景、問題意識などを様々に変化させることにより、数多くの流派を誕生させることになった。それぞれの流派 に個別にあたる前に、フェミニズムがどのような思想形成を行って来たのかを、その歴史の流れを大まかに区切ることにより振り返ってみる。

 まず始めは、既存の男性理論(思想)の中に女性の 解放を模索し、欧米の婦人参政権運動に端を発する第一期フェミニズムの時期(19世紀後半〜20世紀前半)に始まった。ここではロックやミルの自由主義思 想、マルクス、エンゲルスの社会主義思想などの男性思想が理論的武器として用いられた。しかし、これらの思想を実生活での実践にまで降ろした場合に、法に おける男女平等と実生活における不平等とのギャップ、解放というよりはむしろ疎外という状況に女性はたたされてきた。そのような問題性から、次に「男性理 論そのものが内包する差別性を告発し、その理論によって正当化されてきた男性中心の社会や文化、主体のあり方を、ラディカルに告発する」[大越  1996:10]第二期フェミニズムの時期(1960〜80年代前半)が登場するに至る。第二期フェミニズムでは、60年代後半からのウーマン・リブ運動 がその起爆剤となったことは見逃せない事実であろう。この時期、女性中心思想の形成が重要視されたが、「女性中心思想」という一定の枠の中に女性を押し込 めてしまう権力体勢からの脱出を目指したのが第三期フェミニズム(1980年代後半〜)の運動である。

 第三期フェミニズムにおいては、「性差別および他 の諸差別を内包して成立している男性中心文化体制の全体構造を、問題化」[大越 1996:12]する方向へと向かっている。第三期のフェミニズムがこの 方向を提示したのには、第二期フェミニズムでの問題点でもあった差別の重層構造を見落とした状態での性差別の解消がある。

 これまで述べてきた第一期から第三期までの運動の 流れは、明確な時代区分ではなく、問題意識の変容をあわらした便宜的なものであり、実際には各時期の思想が重層化していると見たほうがよい。では、この流 れの中に、どのようなフェミニズムの潮流があったのか、大越愛子『フェミニズム入門』(1996)をもとにリベラル・フェミニズム、マルクス主義フェミニ ズム、ラディカル・フェミニズム、エコロジカル・フェミニズム、ポストモダン・フェミニズムの5つについて、個別にみていきたい。

    2,リベラル・フェミニズム

  18世紀に誕生したフェミニズムは、まず、女性による近代自由主義の実現を目指すリベラル・フェミニズムの形をとって現れた。「女性と市民の権利宣言」 (1791)を作成したオランプ・ド・グージュ、『女性の権利の擁護』(1792)を著したイギリスのメアリ・ウルストンクラフト、『女性の隷従』 (1869)の著者ジョン・スチュアート・ミルなどが、リベラル・フェミニズムを支えた主な人物として挙げられる。

  男性と平等な女性の権利を主張するグージュ、女性の人間的自立を主張し、男性と同等な理性的教育とリベラル・フェミニズムの基本姿勢でもある、女性の経済 的独立にその解決を求めるウルストンクラフト、「全くの話、不自然とは、ふつうそういう習慣がないことを意味し、日常的におこなわれていることはすべて自 然に見えるものである。女性の男性への隷従は世間一般の習慣であるから、いやしくもこれに背反することはすべて不自然に見えるのも当然である」 [Millette 1976:181]と、「自然」という言葉で不公正を肯定することを批判するミル、それぞれの段階を経て、リベラル・フェミニズムは 女性の主体的努力の必要性と、実践的運動を主張した。その結果がイギリス、アメリカでの女性参政権運動、売春禁止運動である。

 しかし、法の上での男女平等と、実生活における不 平等のギャップは、リベラル・フェミニズムの問題点として残され、第二期フェミニズム(主にラディカル・フェミニズム)による批判の論拠となっているもの の、女性の主体的権利獲得運動を結果としてもつことができた点は評価すべきであると思う。

    
  3,マルクス主義フェミニズム

  西洋近代において形成された解放思想の中、欠く事のできない思想としてマルクス主義がある。その担い手としてのマルクス、エンゲルスは「資本主義社会の階 級的矛盾を理論的に解明し、実践的な解放闘争を説くマルクス主義思想を提起した」[大越 1996:38]。

 フェミニズムとの関わりをみていくと、エンゲルス (1)は、『家族、私有財産および国家の起源』(1884)で女性差別の起源を、原始母系制共産社会での生殖をめぐる性分業にあるのではなく、生産力の増 大により私有財産が発生し母系性の崩壊が起こり、父権制が確立することで、女性の家内奴隷制が始まったと歴史的に検証した。また、性差別は資本主義体制に おける女性労働者の増加と革命的闘争による階級の解体を通して未来的に解決されるとした。しかし、男性労働者や革命家への性的なものも含む女性の献身が正 当化されたという矛盾をはらんでいる。マルクス主義は、女性差別を起源を階級支配に求め、性間の関係や性別分業、また家父長制や家族の問題を取り上げてこ なかった。このような矛盾や、マルクス主義者たちの実生活での女性差別の言動は、女性理論家たちをあらたなマルクス主義フェミニズムの形成、つまり資本主 義の搾取構造の分析要因に階級と性を取り入れる方向に向かわせた。

  ここで注目すべきは、「再生産労働」が資本主義体制の労働の中に見いだされたことである。大越は、生産労働と再生産労働を分断し、それをジェンダーで囲 い、性差を利用した二重搾取体制を形成したのが資本主義体制であり、その結果、性別役割分業家族において、経済力を持たない女性の地位が下落し、男性の支 配は強化されたと述べている。[大越 1996:41]
  久場嬉子は資本主義社会における女性抑圧が、女性を母性イデオロギーによって「産む性」として家族に結びつけ、女性総体に再生産労働をゆだねておくという 資本主義社会の構造的特質によるものである[久場:1986]と指摘している。

 マルクス主義フェミニズムにおいては、マルクス主 義をその思想の源泉としながらも、マルクス主義の見落としてきた、また越えることのできなかった限界(特にフェミニズムの関連として再生産労働や女性差別 の問題ー資本主義搾取体制の解明)に挑戦していくものとしての可能性を期待されている。
  
  4,ラディカル・フェミニズム

  代表的な第二期フェミニズムであるラディカル・フェミニズムは、フェミニズムの歴史の中で、大きな意味をもつものではないだろうか。その誕生の背景には、 リベラル・フェミニズムでの理論(法の上での平等)と現実(実生活での不平等)のギャップへの批判があり、60年代後半からのウーマン・リブ運動により、 個人的な問題(日常的問題)の中に政治的な問題があることの認識を分かち合う意識変革の実践として、意識覚醒(consciousness rasing)が編み出され、これにより女性の様々な問題が明らかにされていった。中でも最もラディカルな問題意識は、男と女の個別的な愛と性の関係の場 にこそ、歴史的、構造的な男女の権力関係という政治的なものが作動しているというものだった。『性の政治学』(1970)の著者ケイト・ミレットは、「政 治」という用語を、一群の人間の他の人間への権力構造関係とし、性の領域に男性の女性支配システムとしての「家父長制」が貫通していることを、そして『性 の弁証法』(1970)の著者シュラミス・ファイアストーンは、男女の個別的な愛と性の関係の場における権力関係について、次のような見解を示している。 「われわれの社会では、女性は、ただ《セックス》の対象であり、それが広くゆきわたっているために、女性は自分のことをエロティックだと考えるまでになっ ている。このことが、直接の性の快楽を男性にのみ与えるように機能し、結果として、女性の依存性を強めている。女性は、彼女たちを楽しんでいる男性との代 位的な同一視によってのみ性的に充たされるのである。エロティシズムが、性階級制度を維持している」
[Firestone 1979:185]。

 このように、男と女の個別的な愛と性の関係の中 に、性抑圧の権力構造が告発されていく過程において、この問題は女性の性的快楽の告発へと進化していった。彼女たちにとって第一の課題は、フロイトの男性 中心主義にたった性道徳との対決であった。アン・コートは、フロイトの理論が内包していた男根中心主義(phallocentrism)が、女性の快楽を 簒奪し、女性を受動的存在へおとしめ、女性を去勢するイデオロギー的機能をもったことを明らかにした。

  さらに、家父長制下の性の理論的枠組みの解明は、レイプ・パラダイムと、強制的異性愛制度の問題の解明(2)へと進んだ。両者とも、その問題の根源は、性 愛に貫通している差別関係にあり、不可視の権力バリアに捕らわれていることである、と大越は指摘している。[大越 1996:52]

 ラディカル・フェミニズムは、その問題の根源を、 これまではあえて触れようとしなかった男と女の性愛の関係の中に求めている点で、女性が男性の支配システムにからめとられていった過程を、それが、現在女 性問題として挙げられている様々な事象に通じているという点で、最も認識しやすい方法論を提示しているのではないだろうか。
    
  5,エコロジカル・フェミニズム

  足立によれば、エコロジカル・フェミニズムは、近代主義、近代社会批判としてあり、その批判視座に近代主義的自然認識そのものへの疑問を提出しているとい う。[足立 1986:171-172]人間と自然の相互関係という概念に関しては、フェミニストは深い関心を持つが、問題が自然と女性の関係ということ になると、「女性原理」や日本においては特に「母性」との関わりもその視点に入り込んでくるために、エコロジカル・フェミニズムについて様々な論争を生 み、複雑化しているのが現状である。

  その中で独創的な思想は、ラディカル・フェミニズムに由来する、「女性と自然の親和性に立脚して、西洋の自然支配的な、哲学的科学的伝統を批判する」[大 越 1996:69]エコ・フェミニズムである。女性原理派エコ・フェミニズムにおいては「女性原理」は、「男性原理」に対抗し 、それにとってかわる可能性を持つ原理とされている。しかしながら、女性=自然ととらえてしまう女性原理派エコ・フェミニズムに対しては、ソーシャリスト (社会主義)・フェミニズムから二元論のわなに陥るにすぎないという批判が生じている。そのため、自然−文化二元論を超越するエコ・フェミニズムの形成が 模索されている。「現代のエコロジーやエコ・フェミニズムは、単純に自然環境破壊の問題を扱うだけではすまず、世界規模の自然破壊の、とりわけ第三世界の 環境破壊の元凶となっている開発帝国主義との対決を行わなければならない段階にきている」[大越 1996:75]。

  日本においては、青木やよいがエコロジカル・フェミニズムを唱道しているが、彼女の女性=再生産原理という本質主義的傾向は、「母性」との関連も含めて、 様々な論争を生んだが、これについては第二章で触れることにする。
    
    6,ポストモダン・フェミニズム 

 西洋形而上学のロゴス(言葉)=ファルス(男根) 中心主義の解体実践に取り組んだフランス・フェミニズムに端を発するのが、ポストモダン・フェミニズムである。フランスの代表的フェミニストであるジュリ ア・クリスティヴァ、リュス・イリガライなどの方法論によって、西洋形而上学の解体実践が試みられた。

  クリスティヴァは、既成の性的差異概念について厳しく批判し、「近代男根体制の支配下にある性差二元論主体を解体し、自ら内部の多様な可能性を解放し、多 形倒錯的なエロスを享楽する快楽主体を形成していくこと」[大越 1996:81]を実践した。        

 イリガライは、これまで家父長的男根体制により抑 圧され、隠されてきた複数的快楽に基づく女性主体のありようを明るみに出すことにより、男根的同一体制を打破するという挑戦を試みている。大越は、イリガ ライの男根体制解体のための基本戦略を、男根中心の交換市場において、母、処女、売春婦という交換価値を付与された、他者のための存在としての商品となる 過程を通して、男の性、生活、社会のために献身する存在へと一元化されていた、女の複数的主体性の回復であると述べている。[大越 1996:83]

  彼女らの男根中心的な性別二元論体制を厳しく批判し、男根体制を脱した性的差異の可能性を提起するという解体実践は、フェミニズムの中にポストモダンを切 り開いたとして評価されているものの、その相対主義により、フェミニズムやさらには「女性」さえをも解体してしまう危険性が懸念されている。この克服のた めに現在、フランス・フェミニズムの再評価が、そしてまた、「女性の身体」を特権的に語ることの政治的、戦略的意味を重視する戦略が模索されている。

  このように、これまでは主に西欧でのフェミニズムの歴史的流れと、それぞれのフェミニズムの特色について解説してきた。日本のフェミニズムは、西欧のフェ ミニズムと決して無関係ではなく、むしろその影響を受けつつ形成されてきたのである。第2章では、日本におけるフェミニズムの展開について解説していく。

  第2章 日本におけるフェミニズム 

    1,日本のフェミニズム展開の視点

  日本のフェミニズム論は初めから日本固有に芽生えたものではなく、先にも述べたように、18世紀欧米で形成された近代自由主義を背景に誕生し、その影響を うけながら出発した。日本フェミニズムの展開は、欧米のフェミニズムの発展過程と深い関わりがあると言えよう。このため、日本のフェミニズムは、欧米の フェミニズムの借り物であるとか、輸入思想である、という批判がしばしばなされてきた。しかし、明治期における文明開化を出発点として、始めは「輸入思 想」であったフェミニズムが、日本の思想風土の中で、時代の変化や文化、社会の影響を受けながら次第に日本独特の、フェミニズムが形成されるに至った。
 日本のフェミニズムを考える場合、まず、第二次世界大戦をはさんだ戦前と戦後という二つの大きな区分に分けることができるが、その中で「戦争」は、日本 のフェミニズムを考えていく上で鍵となると私は思う。戦前とことなり戦後は、民主主義という体制のもと文化、経済、政治ともに発展してきた。しかし、これ らを背景とし、戦後50年という月日を経て展開されてきた日本フェミニズムは、現在もなお、戦前フェミニズムでの問題を抱えたままであることを、その歴史 的展開の検討を通じて考えたい。
  私はこの章で、大越愛子『フェミニズム入門』(1996)をもとに、戦前戦後を通じてフェミニズムの主要な概念となってきた「母性」概念を中心に、日本の フェミニズムが持つ問題点について考えてみたい。
    
  2,啓蒙的婦人論

  明治初期、日本が近代化、欧米化を目指して行動を始めた時代、森有礼や、福沢諭吉などの啓蒙知識人によって、婦人論としてのジェンダー問題が、政治問題に 劣らぬ問題としてとりあげられた。しかし、彼らがジェンダー問題を取り上げたのは、「男女平等」という視点にたったからではなく、女性を、近代国家形成に 不可欠である国民主体の確立のために利用するというねらいがあったからである。そのため、この時代の啓蒙主義婦人論は単なる近代国家ではなく、天皇制近代 国家形成に必要な臣民の育成を担う存在、家を守る存在として、主婦を啓蒙していくという、初期明治政府の国家政策に即した母性役割を強調した。この主張は 後に、「良妻賢母」という主義へと変質していく。

  明治中期になると、女性自身による啓蒙的女性論への模索が、自由民権運動の領域で始められるものの、自由や民権を叫ぶ自由民権運動家自身は、真の自由や民 権を求めてはいなかったようである。それは、かれらの日常生活における女性蔑視の態度に表れている。 女運動家たちは、啓蒙的女性論への模索のために、自 由民権運動の領域に入って行ったにもかかわらず、結局は、運動内の男性中心主義を発見し、それを隠すための道具として利用されたのである。

 啓蒙的婦人論が女性に与えたものは、新しい女性の 人格や在り方ではなく、「お国のための存在」という「良妻賢母」を、女としての第一の在り方とする、女の社会的解釈にすぎず、ここにおいて「母性」は、天 皇制近代国家形成という国家政策に搾取されている。

3,『青鞜』フェミニズムと母性主義フェミニズムー平塚らいてうを中心に

 家父長制の中で抑圧されてきた女性の「自我」と、 「愛と性の自由」の要求、言い換えれば、「近代的自我の確立をめざし、近代的恋愛の実践」[大越 1991:163]が、平塚らいてうを中心として進めら れた『青鞜』フェミニズムである。女性の内面的自我、女性の生と性についての問題を抱える女性たちのつながりを実現したことは、ラディカル・フェミニズム の先駆けとも言え、また、先にも述べたように、男性中心の家制度への反逆から始まり、女性の愛と性の自由を掲げた点でラディカルであったといえよう。

 『青鞜』においては多数の女性たちが、貞操論争、 堕胎論争、廃娼論争など様々な問題を提起したが、ここでは特に、平塚らいてうの母性主義について見ていきたい。

 平塚が、女性の「愛と性の自由」を追究していくこ とに影響を与えたのは、エレン・ケイの「母性思想」である。平塚が、『青鞜』創刊(1911年)の2年後の1913年には、ケイの「恋愛と結婚」を訳載し 始めたことからも、ケイの影響の大きさが分かると同時に、日本のフェミニズムと母性主義のつながりが、はからずも指摘される。ケイは、「母性主義の立場に 立って社会改良運動に関与し、恋愛結婚や生命主義を主張し、女性の独自性を強調した」[大越 1996:112]。そのため平塚も女性の経済的独立よりは むしろ、女性の家庭における愛、そして生命の源泉としての母役割を強調し、女性は母であることにより、個人的存在から出て、社会的、国家的存在になるのだ と、「母性の絶対的価値」[鈴木 1989:57]を唱えた。この立場からなされた与謝野、山川らとの間での母性保護論争は、平塚の母性主義、母性思想の 運動化である新婦人協会を経て、女性主義と結び付いてゆく。さらに、彼女の母性思想は、国家、民族の利益とつながり、戦時下、優生思想へと転化してしまう のである。

 平塚の労働婦人への視点、優生思想と優生保護の視 点からの性病持ちの男性の取り締まりには、すべての女性にたいする視点が欠落している。それは、平塚自身が、中流階級以上の階級に属していたことにもよる だろう。この女性主義、母性主義の問題点は、山川によって当時既に指摘されているが、全く無視されてしまったため、現在に至るまで引きずられている。
  戦前の日本のフェミニズムにおいての母性主義、女性主義の優勢は、1918−19年の与謝野晶子、平塚らいてう、山川菊栄らの母性保護論争により明確にさ れた。母性をめぐる、与謝野の個の論理、平塚の種の論理、山川の階級的論理は、与謝野、山川の生産中心主義の論理、平塚の再生産中心主義の論理と分けるこ とができると大越は指摘している。[大越 1996:119]
 生産中心主義の男性原理に対抗するものとして掲げられた、再生産重視の女性原理は、生産中心体制を覆すことはできず、20世紀ナショナリズムの台頭に よって、民族再生産のための論理として利用され、女性は国家へと吸収されてしまう。

 平塚は、母性の国家的貢献を強調し、「男性中心の 個人主義敵弱肉強食の社会」[大越 1996:121]の変革を、母性の社会的使命として掲げる、母性主義フェミニズムを唱えた。平塚の母性の国家的貢献 の強調は、八紘一宇の思想をもつ、彼女の天皇制、天皇観によってなされたものである。

 平塚の思想的後継者でもある高群逸枝は、再生産主 義を女性固有のものととらえ、性的差異を強調する本質主義にたった。高群の母性主義フェミニズムは種の論理によって貫かれているため、男性原理に基づく強 権国家を否定するものの、非常時には、母性的な種の理論が、男性の個の理論の弱さを補い、国家を支える力となるという、天皇制母性主義国家思想を形成し た。種の論理は、帝国主義段階にある世界の救済理論にまで飛躍し、母性主義国家の戦争を肯定するにいたる。生命の絶対的肯定にたち、強権の否定を原点とし ていた母性主義は、見事に国家にからめとられたのである。ここで、はじめて本質主義に内在する危険性が顔をだしたのである。   

                                      
    4,社会主義婦人論

 日本独自の社会主義婦人論の道を示したのは、与謝 野晶子と平塚らいてうが行った母性保護論争(1918-19年)において、両者の立場に鋭い論評を与えた山川菊栄である。

 経済的自立をもって女性の自立とし、国家の生殖へ の介入を否定する与謝野の思想に対して、山川は、それが労働の権利獲得に偏り過ぎたあまり、生活の権利について無関心になってしまったと批判した。また、 『青鞜』フェミニズムの中心人物でもある平塚らいてうの、母性は国家的、社会的役割をもつが故に、国家による保護を求めるべきだという母性保護思想に対し ては、子をもつ女のための生活の権利を要求しており、それは全人類の生活の権利の平等に至っていない点が問題であると指摘している。

 山川は、女性の労働権と生活権を搾取し、資本主義 的搾取体制を批判しながらも、同時に階級闘争を唱える社会主義者においても、性差別を棚上げにして、全てを階級問題に還元するという、男性優位主義がみら れると批判した。

  平塚に代表される女性文化派の、女性=平和主義者という思い込みへの批判から、この女性中心的フェミニズムが性差別、階級差別、民族差別の問題を見落とし ていることを見抜いている山川の視点は、戦前でありながらも、現時点での日本のフェミニズムの問題点を既に指摘しており、大変鋭いものがある。

5,戦後民主主義フェミニズム

 戦後民主主義フェミニズムがこれまでの他のフェミ ニズムと決定的に異なるのは、女性参政権の賦与や、教育における男女平等の明文化、「家制度」の解体などが、男女平等政策として、つまり国からのフェミニ ズム化としてなされたことであろう。これに対し、日本の女性たちは批判的になることもなく受け入れていった。戦前のフェミニズムの代表者たちもその例外で はなかった。そうすることで、日本のフェミニズムは、戦時下、母性主義の名において、戦争に加担した責任を追及されることから逃れ、戦後は新たな世界平和 というテーマを女性の役割の中に見いだしたのである。従って、戦前はナショナリズムと結び付いた母性主義が、戦後は民主主義とむすびつくという事態を招く のである。  その象徴と言えるのが、母親運動であろう。1951年、日教組(日本教職員組合)の「教え子を再び戦場に送るな」の運動がきっかけとなり、後の1955年 6月、第一回日本母親大会が開催される。第一回母親大会宣言には、「戦争のために、母である喜びと誇りを打ちくだかれ、戦争はいやだという、このあたりま えな母の心を口に出すのさえ禁じられてきました。私たちは、子どもたちを戦いに送りだすのに、別れの涙を流すことさえ許されず、歯をくいしばっているだけ でした。そして、戦争の悲しみのなかに、多くの国々の青年をも母親たちをも、まきこんでしまうような恐ろしい結果を招きました」[日本母親大会  1996:157]とあり、第一回世界母親大会宣言には「あらゆる国の人々は、各人の民族的独立を尊重しつつ、自由に生活する権利をもっています」[世界 母親大会 1996:167]とまである。確かに、母親たちは被害者であった。それと同時に、加害者でもあったのは事実だ。

 しかしながら、ここには自らも“銃後”の女として 戦争に加担した加害者であるという認識はなく、自国の侵略戦争を棚にあげ、真の被害者である戦場での「従軍慰安婦」への視点は全く見られない。子供を戦争 で国にとられた被害者意識を基盤とした、母親の立場からの平和願望しか見えてこない。このように、「母親は常に犠牲者で被害者であり、国家は弱者を虐げる 加害者であるとする構図ができあがった」[大越 1996:126]のである。 日本女性の戦争責任の問題が残されたままの、そして戦前の良妻賢母主義を 引き継いだままの戦後民主主義フェミニズムは、男女平等、フェミニズム化が政策としてなされたという以外に、フェミニズムにとっては意味のないものであっ たように思える。

6,ウーマン・リブ

  日本のウーマン・リブは、戦後民主主義的女性像つまり、良妻賢母を引きずりつつ、男性の願望に応える理想的女性像に対する全面的拒否を出発点としていると いう点で画期的である。60年代後半からの世界的なフェミニズムの潮流、第二期フェミニズムとの関わりはあるが、日本のリブ運動は、70年前後の新左翼運 動で問われた「自己否定」「自己批判」の追究を契機とする独自性を持っていたと、大越は述べている。[大越 1996:128] 私的領域の中でも極私的 領域である性的領域におけるセクシズムの告発は、愛と性の領域で男性が優位に立つ事の原因を、「自己否定」「自己批判」の追究からくる方向として、男性原 理を内面化させられていた女自身の、その存在形態の解剖の中に求めた。

 日本のウーマン・リブの代表的存在の田中美津は、 「内なる女意識、性否定意識を徹底的にえぐり出すことを、その思想的出発点とした」[大越 1996:130]。

 女性の主体性形成とエロスの回復を目標とし、女を 「やさしさとそのやさしさの肉体的表現としてのSEXの両方をあわせもつ〈女〉」[ぐるーぷ・闘うおんな 1995:45]と定義したウーマン・リブの女 性たちにとって、総体の部分でしかない「母性」の意味を、問い直していくことは、避けられない問題であった。その結果、戦時下における日本的母性の朝鮮人 慰安婦への加害責任(母性の加害性)を次のように告発するに至った。「国のため、家のための大義名分のもとにやさしさとやさしさの肉体的表現としてSEX を合わせ持つ女としての自らを裏切って銃後の支えをなしてきたのだ。そして前線では慰安婦が貞女の夫の排泄行為の相手=便所として性管理を通じて男を軍隊 の秩序に従順にさせ、人殺しに有能な〈天皇陛下の赤子〉として育てていったのだ」「しかし、両者を同一線上で語ることは我々にはできない」「なぜなら、皇 軍慰安婦の大部分は狩りたてられてきた朝鮮の人妻や娘たちであったのだから」[ぐるーぷ・闘うおんな 1992:217]。

  ここに戦前、戦後のフェミニズムを通して、暗黙の前提とされてきた「母性」がはらむ問題点が初めて指摘されるに至ったのである。しかしながら、これらの指 摘にも落とし穴がある。例えば大越は、母性の加害性の追及は、男性原理を排した、再生産原理の発見へと達するが、これに基づいて、女の主体性の根拠を「女 の子宮の自然」におこうとする「女の自然」主義幻想は、母性主義をも引き寄せる危険性をもつと、批判している。[大越 1996:135]

7,エコ・フェミ論争

 日本におけるエコロジカル・フェミニズムを唱道す る青木やよいは、『フェミニズムとエコロジー』(1986)において、自然宥和的な再生産原理、言い換えれば、女性原理的でエコロジカルな身体観の復活を 説いた。しかし、彼女の女性=再生産原理とする本質主義的傾向が、フェミニストたちの中に論争を巻き起こすことになる。これがエコ・フェミ論争であり、そ の主要な論点の一つはエコ・フェミの「近代主義批判」「反近代主義」への批判であり、もう一つはエコ・フェミの「母性主義」への批判であると、桜井は述べ ている。[桜井 1990:126]ここでは特に、「母性主義」への批判を主に見ていきたい。

 上野千鶴子によってなされる批判は、男性によって つくり上げられた「女らしさ」や「母性」などの象徴体系の一部の「女性原理」に女性を囲い込み、その中に女性差別問題を埋没させてしまう危険性があるとい うものである。また、女性原理=母性原理というように、女性原理が母性原理に結び付けられることに、母性主義復活への警戒があった。
  このように、エコロジカル・フェミニズムは、その本質主義的傾向の危険性が批判により指摘されたが、エコロジカル・フェミニズムが開いた、自然破壊批判、 第三世界の先進工業国による生活破戒の告発の視点は、エコ・フェミ論争の影に隠れてしまい、エコロジー危機に対するフェミニズムの対応はほとんど議論され なかった。この点で、エコ・フェミ論争は、まだ論争の課題を残していると言えよう。
  
  8,日本のフェミニズムにつきつけられた問題

  これまで、日本で展開された主なフェミニズムを、歴史の流れに沿って見てきたが、これらによってすべての女性の真の解放を達し、女性差別を廃し得たとは言 えない。女性の解放をめざしてなされた運動が、実際はそれまで以上に巧みに女性を縛り付けるものへとなってしまっていたり、また、問題の根源にまで目をむ けた運動ではなかったために、新たな問題を生み出すことになってしまっている。

 日本のフェミニズムは、自身を縛り付け、抑圧して きた男性原理、男性中心主義、男権支配については激しい抵抗を試み、厳しい視点で接してきたが、性差別による抑圧だけでなく、民族差別や部落差別をひきお こしている天皇制が生み出す差別の重層構造や、自らの中にすくう差別意識については、ほとんど目を向けてこなかった。戦時下においてはこの姿勢が、女性が 母性の観念によって国家へと吸収されていく道をつくってしまったと言えよう。

 差別の重層構造への問題意識の欠如と、日本的母性 の加害性は、「戦時下」という過去の過ちの中に忘れ去ってはならないものである。日本のフェミニズムはこのことを問題化しないかぎり、壁を越えることはで きない。

 私は、その最もよい例として、「従軍慰安婦」問題 をとりあげ、差別の重層構造、日本的母性との関係について第三章で述べていきたいと思う。

    
    第3章 「従軍慰安婦」問題と日本的母性

    1,「従軍慰安婦」とは

  戦時下、日本国家がつくり出した性的奴隷制ともいえる「慰安婦」制度は、民族差別、性差別、植民地主義などとからみあって、女性の人権を著しく侵害した国 家的犯罪、戦争犯罪、性犯罪である。戦後、50年を経た現在でもなお、その時の流れに葬り去られる事なく、色濃く残る重大な問題である。何よりもまず、考 えなければならないのは、この憎むべき犯罪が私達の国、日本が行ったのだという事実に対する認識のなさと、そこからくる政府の無責任な態度である。

 続々と名乗りを上げる朝鮮人元「従軍慰安婦」たち に対する、責任逃れともいえる代替措置検討の方針は、自分の国の事ながら、大変恥じるべき行為である。軍・政府の関与は、民間からだされた証拠資料により 明らかであり、また日本政府もそれを認めたにもかかわらず、被害者に対する謝罪も保証も拒否している。

 これは、日本政府だけの問題ではなく、私達一人一 人に課された問題としてとらえなければならない。戦後の日本は、「敗戦国」という国際的地位の性格により、とかく被害者の意識ばかりを増長させてしまい、 自らの犯したアジアにおける植民地支配、戦争責任についての反省と謝罪の意識は希薄であった。その最たるものが、「従軍慰安婦」問題ではなかろうか。  
 「慰安婦」制度は、日本軍が兵士の性病感染による軍隊の戦力減少と、占領下において兵士の暴行による民心の離反を防ぐためにつくりだした、軍による性の 統制と、管理売春制度の確立であったと、千田は述べている。[千田 1982:27](3)

 ではなぜ、「慰安婦」の矛先が、朝鮮人女性へと向 けられたのか。その理由としてまず挙げられるのが、時代背景として、当時、朝鮮半島は植民地であったことである。日本人の占領意識から発せられる、朝鮮人 蔑視の差別意識がその根底にある。そして、兵士の性病予防の観点から、性病を持たない健康体として、処女性は重要視される。「慰安婦」の中には、日本人女 性もいたが、彼女たちのほとんどが、もともと日本において体を売ることを商売としていた経験者であったため、性病経験者であり、年齢も高かった。また、日 本国内において、必要とされる「慰安婦」の数を満たすことは物質的にも無理であり、社会的問題もあった。これに対して、朝鮮人女性は、強い儒教思想の下の 貞操観念があったため、性病の心配のない健康な体をもっていた。このような理由により、朝鮮人女性は、日本の占領政治のもと、あるものはだまされて、また あるものは誘拐同然に連れ去られ、本人の意思は全く無視され、強制的に「従軍慰安婦」とされていったのである。

 吉見によれば、実際には日本軍が進行、侵略したほ とんどすべての地域に「慰安婦」施設が設けられたため、朝鮮人や日本人の女性だけでなく、中国、台湾、インド、ビルマなど様々な国、地域の女性たちが「慰 安婦」とされていたのである。[吉見 1995:77]

  「従軍慰安婦」の問題は、その制度成立の背景、募集の方法、施設での非人間的な扱い、戦後に至ってはその補償問題など、女性差別、民族差別、階級差別など の様々な差別が幾重にも重なり合って、女性の人権を踏みにじり、さらに現在にいたるまで、それらの女性を精神的、経済的、社会的にも抑圧し続けているとい う点で、すべての女性が自分自身の問題として取り組まなければならないものである。

  特に日本の女性は、子供を戦争に取られたという被害者意識ばかりをもつ傾向にあり、「慰安婦」問題に関しては、マスコミや新聞で盛んに取り上げられ、議論 されている現在においてさえ、日本の女性には自身のこととしてとらえる問題意識が希薄であり、また直接に関係していないという理由で、同情に近い視点でし かこの問題をとらえていないのではないだろうか。ここには、日本女性の在り方として、現在でも女性心理の根底を流れる日本的母性の影響があると思う。次に 日本的母性と「慰安婦」問題の関わりについてみていきたい。

    2,「従軍慰安婦」問題と「母性」

 日本の女性によるフェミニズムの第一歩ともいえる 『青鞜』フェミニズムは、それまで触れられることのなかった愛と性の領域に、女性であることの意義を見いだそうとした点で革新的であり、女性の新たな生き 方を提示したかに見えたが、国家と男性という他者のための存在からは抜けきれなかった。それは『青鞜』後半から始まる、母性保護論争にも見てとれる。
 現在でも、女性たちの間ばかりではなく、日本国民全体の指向としてある、女=母という観念は、女性の「個」の確立にとって障害となっているのではないだ ろうか。子をもつ母となることを否定しているのではなく、母となるかならないかという選択しか女性にはないという状況を当たり前のように生み出している、 日本の文化というイデオロギー(4)が問題なのである。 

 お国のために、丈夫な子を産み育て、立派な兵士と して戦場へ送り出し、主なき家を守っていくことが、母である女としての努めであるという、戦時下の母性主義は、世界の状況すら変わったものの、現在でも受 け継がれている。女性を、他者へ奉仕する存在としてしか、また、母性か異性かという総体の部分としてしかとらえていない日本の文化イデオロギーが異国の戦 場にまで持ち込まれたとき、「従軍慰安婦」のような悲劇がおこる。

 「良妻賢母」となることに徹し、お国を支え、子供 を兵士として送り出した母と、日本軍が進行した各地で、天皇の下賜品として物同然に扱われた「従軍慰安婦」との違いは一体何だったのだろう。両者の肉体 的、精神的、社会的抑圧の度合いには、計り知れないほどの大きな差はあるけれども、母性かセックスの対象としての異性かでしかとらえられていない点で、両 者は、女性の在り方の両極に位置する、被抑圧者としての女性の究極の形態を示しているのではないだろうか。

 「慰安婦問題」について考える時、元「従軍慰安 婦」として多数を占める朝鮮人女性や、その他のアジア各地の女性たちの、人間的に侮辱された体験を、同じ女性の立場から考えることは非常に大切である。な ぜなら、それは女性に対して行われた男性による抑圧の究極の形態であるからである。だが、私達日本女性はその前に、自分自身のとった母性主義の方向につい て考えなければならない。

 母性主義は、「女は母となるべきである」と規定 し、女の価値を母となること、「良妻賢母」となることに置いたばかりではなく、母という存在になり得なかった女性(障害者、売春婦、子供をもてなかった女 性など)に対しての否定的価値観をもうみだした。この母性主義が、現在の女性の中にも潜んでいるままで、また、世代を重ねて再生産されている状態で、「従 軍慰安婦」問題を、同じ女性である自分自身の問題としてとらえることができるのだろうか。ここからでてくる「従軍慰安婦」問題への意識は、自分とは異なる 境遇に置かれた女性への「同情」の域を脱し得ないと思う。「従軍慰安婦」問題と母性の問題は、紙一重であるけれども、この日本的母性が、「従軍慰安婦」を 生み出したことに、決して無関係であったとは言えない。お国のためという形で、日本の侵略戦争を支えてきたのだから。日本的母性は、「男性支配的な社会構 造の再生産に加担」[上野 1991:107]する性質を持っているので、女性にとっては、被害性も加害性ももつものであることは見逃せない。

 政府の元「従軍慰安婦」への責任逃れともいえる無 反省な態度は、単に国としての「恥」であるばかりではなく、日本においては搾取、抑圧の対象としてしか見られていない私達女性のみじめさの象徴でもある。 「従軍慰安婦」の問題が、政治的立場からではなく、人道的立場でとらえられない限り、問題の解決はもちろん、私達日本女性だけではなく、すべての女性がも たされている、搾取、抑圧の対象としてのみじめさを消し去ることはできないだろうと思う。
 
  3,「従軍慰安婦」問題とフェミニズム

 元「従軍慰安婦」らによる証言や日本政府に対する 訴えは、私達に様々な問題を投げかけた。戦後50年を経てもまだ未解決であること、「従軍慰安婦」制度そのものがもつ問題と、制度成立の背景、成立にまで 至った原因、朝鮮人女性を中心に構成されたことなど、フェミニズムの立場からも検討していかなければならない事柄を、数多く指摘している。

 「従軍慰安婦」制度は、先にも述べたように、国家 と男性による、女性の抑圧と人権侵害の最たるものである。それにもかかわらず、日本のフェミニズムがこのことに関して触れて来なかったのはなぜか。戦後、 まず盛り上がりを見せたのは、戦争に子供をとられた母親たちによる「母親大会」であった。子供を守ること、婦人の権利の獲得、平和をテーマに開催されたこ の大会には、あの平塚らいてうも称賛の言葉を寄せている。だが、これらのテーマからもわかるように、彼女ら自身のとった母性主義の方向に対する視点はな く、悪いのはすべて軍部であり、天皇をも戦争の被害者として含む、女=母の姿しか見えて来ない。

 母親大会をフェミニズムの視点から批判すること は、少々無理のあることかもしれないが、多くの女性がこのことに賛同していたことを考えると、戦後、女性の間で盛り上がった運動としては無視できないと思 う。またこれが、戦後から現代に至る間、女性の中に、自身の問題として戦争責任をとらえなくてもよいという意識を植え付けたのではないだろうか。

 戦前も戦後もそうだが、日本のフェミニズムには、 社会構造全体を視野に入れた社会批判の姿勢が欠如していた。女性を母という領域に縛り付け、国家や男性の抑圧の下、従属させてきた女性差別、また民族差別 や階級差別、部落差別などの根源は、「天皇や天皇制を基調とする差別の重層構造」[大越 1996:152]にあるという見方には至らなかった原因は、日 本的母性にあったのではないだろうか。

 だが、朝鮮人元「従軍慰安婦」によってつきつけら れた訴えは、日本政府だけに向けられているのではなく、これまで日本のフェミニズムがなおざりにしてきた差別の重層構造に対する意識を批判するものであっ たと思う。

 「従軍慰安婦」の問題は、それぞれの問題要素が複 雑に絡み合っているため、様々な側面からの解決が望まれる。

 外交的側面からは、アジアの中の日本の問題とし て、社会的、政治的側面からは、日韓両国の未解決の問題として、そして女性の立場から考えるとき、フェミニストだけの問題ではなく、私達日本の女性が一人 一人、自分の問題として「従軍慰安婦」問題をとらえることにより、真に解決されるものではないだろうか。

 世界の女性との連携を目指している日本のフェミニ ズムにとって、「従軍慰安婦」問題は、これまでの壁を乗り越え、新たな道を開いていくためにまず取り組まなければならない問題である。


  第4章 私の考えるフェミニズム
            
    1,「良妻賢母」について

 「女の子なんだから、料理ぐらいできなくては」 「そんなことしたらお嫁に行けなくなるわよ」「女の子はそんなことしちゃいけません」「女らしくなさい」…生まれてこのかた、一体何度、このような言葉を 聞かされただろうか。最も、幼いときには、何の疑いもなく、「女の子なんだから」という言葉の持つ価値を信じていた。だが、人前では女の子らしく振る舞っ ていた私も、心の中では、「次に生まれるときは、絶対に男がいい」と思っていた。それは、やはり子供ながらにも、「女の子」であるということで、すること なすこと全部に制限が付いてまわることに、不自由を感じていたからだと思う。

 女の子への「良妻賢母」教育は、現在でもその価値 を疑う事なくなされているが、「良妻賢母」の思想が形成された背景について、私達女性は知らないままでよいのだろうか。フェミニズム論が盛んになってきて いる現在、これまで女性が置かれてきた状況に、様々な角度から異議を唱える人々がでてきたし、私達もその人々の思想に触れることができるため、以前よりは 多くの女性が、自分の置かれている状況を意識している。しかし、すべての女性がそうある訳ではなく、やはり「良妻賢母」は再生産され続けているのである。 親や学校の教育ばかりではなく、私達を取り囲む社会環境すべてが、女を「女」にしていく。疑問を感じるすき間さえないほど、女性への内面化は強化されてい るのだ。

 「良妻賢母」という観念は、女をその限られた領域 に縛り付けてしまう点で問題があると思う。先にも述べたが、女は母となるためだけに生まれてきたのではないし、ましてや国家や男に搾取されるための存在と して生まれて来たのでもない。だが、日本の社会構造や文化イデオロギーは巧みにできているので、女性はこの「良妻賢母」のオリのなかから、なかなか出られ ないし、出たとしても社会の風当たりは強くなる。結果として一般的に女は、「良妻賢母」の道を、程度の差はあれ進んで行かざるを得ない。

 なぜ女には「良妻賢母」なのか。それは、これまで 見てきたように、性差別を基盤に形成された、男性に搾取されることが当然であり、他者のためにつくす事の中に自己を見いだして行く、男性にとっては実に都 合のいい存在として、そして母性とセックスとしての異性どちらかの対象として、位置付けられているからである。

    2,ジェンダーと性ジェンダーとは、生物学的性差=セックスに基づくものではなく、文化の中の権力関係において、社会的に形成され、組織化された性差のこ とである。では、ジェンダーと性についてはどう考えるか。言葉、身振り、心理など様々な面においてそれぞれの文化に固有の「男らしさ」「女らしさ」を獲得 してゆくというジェンダーの側面からすると、それぞれの性もその影響下にあるといえよう。特に、日本において女性の性は、男権中心的な強力な家父長制の下 で、国による管理と搾取、抑圧の対象として位置付けられてきた。それは、「良妻賢母」としての性と、娼婦や「慰安婦」としての性ではないだろうか。

 「性と思想と行為は深くその国の歴史と文化、宗教 に根差しており、さらに現在の政治、経済のシステムと結びついて、管理、利用され、助長されている」[山下 1991: ]のである。
  人間の文化は、生物学的存在様態を基盤としながらも、存在様態に様々な意味を与えることによって、権力システムを構築していった。その権力システムの形成 に利用されたのが、このジェンダーと性であると大越は指摘している。[大越 1996:17]ジェンダーは、男女に文化的差異を意味付ける構造化作用を、 性は、性的欲求を権力支配関係に組み込む装置としての作用を果たした。これらの働きにより、性差別は正当化され、女性は様々な面から抑圧されてきたと言え るだろう。

3,女が女として生きることとは

 では、女が女として生きていくとはどういうこと で、どうすればよいのか。私が考えるに、それは女=母ではなく、女=「良妻賢母」でもない。ましてや、これは当然とも言えるだろうが、女=男(化)でもな い。残るものは、女=女しかない。

 女=女とはどういうことか。私は、「女は〜である べき」という規制や制限を取り払った上で、自分の進む道を決めて行くことだと思う。未だに男性中心的で、差別の重層構造の上にがっちりと形成されている社 会において、規制や制限を一挙に取り払っていくことは簡単な事ではないし、すぐさま実行に移せるものでもない。まずは、私達女性の意識を変えていく事が必 要である。それには、なぜ、今自分がこのような社会状況の中に当然のように置かれているのか、その根源を探ることが必要だろう。これにより、いかにくだら ない、理由にもならない様な理由のために自分の現在があるという事を認識できる。その後に、様々な選択肢の中から、自分の意志で自分の進む道を決定して行 けばよいと思う。言うなれば、女性の「個」の確立である。
 これまで女性は、自分の生と性を男性によって決定されてきた。これは、他者のための存在となることの中に、自己の在り方を求めてきた姿勢に表れている。 それを、自分自身の力で、自分自身の中に、自己の在り方を求めていくことに変えるのだ。それに加えて、これまで母となるしか許さなかった、社会構造を問題 にしていくことが必要である。

 だが、ここで注意しなければならないのは、女であ ることをつきつめていくあまり、女性原理に閉じこもってしまうことである。これでは逆に、女性を「女」という狭められた領域の中に押し込んでしまうだけ で、何の解決にもつながらないと、大越は指摘している。[大越 1991:190] 
  目的地に行くためには、自分が今、どの辺りにいるのかを把握しなければたどりつけない。女=女であることの認識も、これと同じだと思う。

    4,子供を産むということ

 子供を産むということは、つまり母となることを意 味する。それは同時に、「男性支配的な社会構造の再生産に加担」[上野 1991:107]することも意味する。考えてみれば、女性は子供を産むことに関 しても、決して社会的抑圧から自由ではない。子供を産むこと=母であるがゆえに、やはりここにも顔をのぞかせてくるのが「良妻賢母」の観念である。「女に 生まれたからには、子供を産まなくてはならない」「結婚したからには子供を持たなくては」という、半ば脅迫的な思いに女性がつき動かされるのは、「良妻賢 母」の観念からきていると思う。
  私は、子供を産むことに関しては、悪いことではないと思う。というよりも、このことは、良い悪いで片付けてしまえる事ではないのだが。問題は、どのような 過程を経て、子供を持つにいたるか=母となるかである。

  単に、「良妻賢母」観念の脅迫から、子供をもとうとすることは、これもまた、自分の意志によらずに他者のための存在になることを意味する。子供を持つこと に限らず、女は自分の意志でやっていると考えている、日常の自分の行動が、実は、「良妻賢母」の観念や男性支配的な社会構造などからの脅迫によって自身の 中に、既に内面化されてしまっている事を、自覚しなければならない。またこの脅迫が、産まない女には否定的な見方を、産めない女には差別を生み出している ことも忘れてはならない。ここで顔を出すのが、母となることに女の価値を見いだそうとする、母性主義である。

 産むか、産まないか、産めないかによって、女の価 値を決定し、産めない場合は特に、女であるのに、社会からは女でないとされる。女性問題でどこにいってもつきあたるのは、男性支配的な社会構造、差別のう えに成り立つ社会構造である。

 子供を産む事から考えた場合も、女が女として生き るには、この日本の文化イデオロギーに成り立っている社会構造の解体が不可欠であるようだ。

  5,フェミニズムの思想

 これまで男性に飼い慣らされて来た、女性の意識の 変革と、日本的風土に成立する社会構造の解体が、日本のフェミニズムが取り組まなければならない課題ではないのだろうか。先に述べた「従軍慰安婦」の問題 が解決に至らないのも、これらのためだと思う。

 もうひとつ、日本のフェミニズムの課題として挙げ るならば、これは、女性の意識の変革に近いかもしれないが、フェミニズムをフェミニストだけのものにしておくのではなく、広く、一般の女性にも解放すべき であると思う。フェミニズムの思想の広がりを考えれば、女性だけではなく、未だにフェミニズムを「男性を敵視する思想」としかみていない男性にも正しく解 放することが必要であろう。

 男性は気づいているのだろうか。男権中心的な文化 の傾向にこだわり、それを推し進めて行くことは、女性を縛り上げているだけではなく、実は男性もそうであることを。また同じく、女性は気づいているだろう か。いつの時代も常に搾取され、抑圧される被害者である自身が、同じ被害者であるはずの女性にとって加害者となっていることを。

  日本のフェミニズムは、日本の文化の下、様々な障害や問題を持ちながら独自のフェミニズム論を展開してきた。現在、それらの問題が完全に解決されたとはい えず、むしろ、フェミニズムの多様化により、問題は益々深く、難しいものになってきているのではないだろうか。「従軍慰安婦」の問題もその一つであると思 う。

 「従軍慰安婦」問題には、日本のフェミニズムが取 り組まなければならない問題の、すべての要素が含まれている。女性差別(蔑視)、民族差別、戦後責任、女性による女性への差別、日本的母性の加害性など。 政府は、「アジア女性基金」の設立により、元「従軍慰安婦」の女性に対し、一律200万円の支払いをすることで問題を解決しようとしているが、この政府の 姿勢は、国家自らが犯した犯罪性を認めないばかりか、彼女たちの名誉回復でもある謝罪と補償を意味していない。人道的立場からの問題解決への取り組みは見 られない。

 「従軍慰安婦」問題の解決への、政府の対応を見逃 すことは、日本のフェミニズムには許されない。それは、先にも述べたように、これまで日本のフェミニズムは、常に正しい視点で女性問題に取り組んできたと は言えないからである。今、この問題に取り組まなければ、日本のフェミニズムはまた同じ過ちを犯してしまうだろうし、その存在さえ危うくしてしまう。自身 の過去への批判と反省、世界との連帯を目指す上での具体的取り組みとして、また日本女性だけではなく、日本社会全般にフェミニズムへの理解を広げていくた めにも、真剣に取り組まなければならない。                                                                                           結論

 「従軍慰安婦」問題に関しては、確かに日本的「母性」観念の加害性が認められた。よって、この日本的「母性」観念を、日本のフェミニズムがそのままにし ておくことは、「従軍慰安婦」問題の根源をあやふやにしてしまう危険性をもっているとともに、新たな、女性間の差別を生み出してしまう危険性も持ってい る。「慰安婦」問題とフェミニズムに関しては、特に戦後は、日本女性は、子供を戦争に取られたという被害者意識ばかりを増長させ、自身の戦時下においての 母性主義傾倒への批判の視点が欠如していた。このことは、後の日本のフェミニズムの在り方を規定してしまう恐れがあった点で、無視できない事実である。

 また、「従軍慰安婦」への問題意識は、日本のフェ ミニズムの中から、全体の意識として発生したというよりも、被害者からの告発によっての問題化であったという方が正しいかもしれない。

  「従軍慰安婦」問題は、日本のフェミニズムの問題のすべての要素を、その中に含んでいると言える。そのことから考えても、この問題は、「従軍慰安婦」問題 のフェミニズムの側からの解決の可能性ばかりではなく、問題解決によって、日本のフェミニズムの新たな方向を示す可能性も持っていると言える。

 女性はどのように生きて行けばよいのか、という事 に対しては、何事にも他者のための存在としてあたる、女性の意識が変革されなければならないと思う。女=母という以外、他の選択を許さない日本的母性から 女性が脱するには、まず、その被害者である女性が、被害者であり、加害者であるという意識を持つことが必要である。女性に身近な所にある、男女間の賃金格 差の問題や、女性の社会進出を阻む就職、昇格差別、女性の性の商品化などの問題は、直接関係しており取り組みやすいが、問題はその先、もっと深いところに あることに、意識を向けなければならない。それは、フェミニストはもちろんのこと、それ以上に一般の女性たちに意識されなければならない問題である。その ためには、フェミニズムの理論が、女性を中心として、これまでよりもさらに多くの人々に、正しく理解される必要がある。

  これまでは主に、女性が様々な分野において社会参加することにより、抑圧されてきた女性の権利を取り戻すことができると考えられてきた。しかし、以前にも 増して多くの女性が社会に進出した現在でも、男女間の差別はなくならない。女性の権利は、単に男性と同等に社会参加することによっては得られなかった。そ れが、男権中心的社会における社会参加であり、その中で女性が、男性と同等の「女性の権利」に固執する事は、逆に自身を「女性」という枠の中へと追い込ん でしまったともいえるだろう。

 女性が、これまでの抑圧から解放されて生きて行く には、自分の今置かれている現状を認識し、意識を変革することに加えて、男−女という二元論的認識を越えた上で、人間−人間の関係を確立させていくことが 必要だと思う。

  脚注
 
 (1) 今日では、理論的にはあまり顧みられなくなったが、エンゲルスはモルガン           (L.H.Morgan) の機能的連関に着目した、親族用語体系の科学的分析に多大な影響     を受けている。これは、モルガンの進化学説が生産と技術の発展をとくに強調した ためで     ある。[松園 1992:668]
 (2) 大越によれば、ラディカル・フェミニストは、レイプを男性の女性憎悪に基づく暴力的支     配に由来すると考える。それは、女性の身体の略 奪だけではなく、女性を恐怖に陥れるこ     とで、人格を破壊し、隷属的心理へと導くからである。性暴力は家父長制文化の中では、     「男らし さ」を確立する主要手段とさえ了解され、性暴力を公認している。このような性     的不平等が、男根中心的な性的快楽の核心であるとするならば、女性 が男性との性的快楽     の共有を望む時、女性は性愛に貫通している差別関係を甘受するしかない。女性は男性に     隷従するか(異性愛)、男性 を拒否するか(同性愛)の二者択一しかない。ここに、強制     的異性愛制度が見えてくる。[大越 1996:52-53]
 (3) 「従軍慰安婦」の具体的経緯については、『従軍慰安婦〈正篇〉』(千田夏光著、三一書     房、1982)に分析されている。ここでは、 「従軍慰安婦」の具体的制度について検討する     のではなく、日本の母性との関係を考察したい。
 (4) 今村によれば、イデオロギーとは「具体的な諸個人を、秩序を担い、秩序を維持し、さら     に進んで秩序に服従する「主体」をたえず構築し つづける」[今村 1998:65-66]もので     ある。日本の文化イデオロギーは、女性をこのような「主体」として、たえず構築しつづ      ける。  


  文献リスト
  青木やよい
      1986『フェミニズムとエコロジー』新評論。                       井上輝子・ 井上輝子・上野千鶴子・江原由美子編
      1995『日本のフェミニズム1 フェミニズム理論』岩波書店。
      1995『日本のフェミニズム2 リブとフェミニズム』岩波書店。
 
 今村仁  
      1988『現代思想を読む事典』講談社,pp.65-66。
 上野千鶴子
      1991『女という快楽』勁草書房。
  大越愛子
      1996『フェミニズム入門』ちくま書房。
 鹿野政直
      1995『婦人・女性・おんな』岩波書店。
  韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編
      1993『証言−強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』
                従軍慰安婦ウリヨソンネットワーク訳  明石書店。
  久場嬉子
      1995「マルクス主義フェミニズムとその理論的射程」
      井上輝子・上野千鶴子・江原由美子編
     『日本のフェミニズム1 フェミニズム理論』岩波書店,pp.155-169。
 ぐるーぷ・闘うおんな
      1992「女は生殖器を持つ労働力か…中絶禁止法・労基法改悪粉砕へ向けて!」
      溝口明代・佐伯洋子・三木草子編『資料日本ウーマンリブ史 』松香堂,pp.217。
   1995「便所からの解放」井上輝子・上野千鶴子・江原由美子編
     『日本のフェミニズム1 リブとフェミニズム』岩波書店,pp.39-57。
 桜井裕子
   1990「エコロジカル・フェミニズム論争は終わったかーエコロジー危機とフェミニ           ズム」江原由美子編『フェミニズム論争』 勁草書房,pp.119-146。
 鈴木尚子編
      1985『論争シリーズ2 資料戦後母性の行方』ドメス出版。
  鈴木裕子
      1989『女性誌を拓く1−母と女−平塚らいてう、市川房枝を軸に』未来社。
     1989『女性誌を拓く2−翼賛と抵抗−今、女の社会参加の方向を問う』未来社。
   1994『フェミニズムと朝鮮』明石書店。
 
 千田夏光
   1982『従軍慰安婦〈正篇〉』三一書房。
  千野陽一編
      1996『資料集成現代日本女性の主体形成 第三巻                           
                発言しはじめた女性たちー1950年代後半』ドメス出版。
 永原和子
      1994「良妻賢母主義における「家」と職業」女性史総合研究会編
          『日本女性史4 近代』東京大学出版,pp.149-179。
  ひろたまさき
      1994「文明開化と女性解放」女性史総合研究会編
          『日本女性史4 近代』東京大学出版,pp.1-37。
 ファイアストーン,S.
      1979『性の弁証法』林弘子訳 評論社。
  ミッチェル,J.
      1975『女性論』佐野健治訳 合同出版。
 ミレット,K.
      1976『性の政治学』藤枝零子 自由国民社。
 山下明子編
   1996『日本的セクシュアリティ フェミニズムからの性風土批判』法臧館。  
 吉見義明
      1995『従軍慰安婦』岩波新書。

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