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プライマリヘルスケア論争

Primary Health Care Controversy

池田光穂

プライマリヘルスケア宣言の翌年の1976年、ロックフェラー財団のワルシュとワレンは包括 的PHCの実施の非現実性を批判し て、選択的(selective)PHCを提唱した。この戦略は包括的PHCへの暫定的な戦略として、より具体的に効率良く保健衛生の状態を改善するため に特定の保健政策を選択的に行う。つまり、地域の死亡率を著しく下げる乳幼児死亡対策(麻疹、およびジフテリア・百日咳・破傷風の三種混合ワクチン接種、 下痢に対する経口補水療法)、効果が顕著に現われるといわれているマラリア対策、母親への破傷風ワクチン接種や母乳推奨などからなる(2)。彼らはその理 念の遂行に際して、効果性を重視し、技術が確立されたものから着手すべきであると主張する。選択的PHCは技術的立場からの批判であるとされるゆえんであ る。

提唱から六年後に「包括的PHCと選択的PHC」をめぐる国際会議がベルギーのアントワープ で開催され、八八年に『社会科学と医療』誌の特集として公刊された(3)。選択的的PHC側のワレンは、ユニセフがとったPHC戦略、コスタリカや中国な どの事例の検討を通して選択的PHCの成功を宣言する(4)。他方、包括的PHCによる選択的PHCへの批判はより政治経済的色彩がつよい。すなわち、選 択的な戦術への偏重は、政府あるいは援助機関から住民への医療の主導権の移行を実現させず、工業医薬品、医療産業などへの依存という医療化を押し進めると 言うのである。現実の医療体制とPHCの関係の中でも選択的PHCは批判される。スミスらは、医療システムを下部構造という枠組みにおける時間的な変遷の 中で考察した。それによると選択的PHCを実施する際に、母子保健、マラリア対策などの縦割の専門業務集団に分れる傾向があり、それらは国家レベルでは協 調関係にあるものの、地方や共同体のレベルになるとバラバラになり、横の連携がとれていないという欠陥があるという(5)。

この選択的および包括的PHCが相互に排除的に批判することに対して、中間的な道を提示する 議論もある。モスレイの主張によると、重要なことは特定の疾病対策ではなく、存在する問題全体にアプローチすることであるという(6)。選択的PHCが成 功を収めるには、包括的で社会変化を巻き込むことが不可欠だという。アフリカのザイールやマリの事例研究においても、選択的PHCの有効性を評価する一方 で、国家と共同体の利益誘導の相違などによるマイナスの効果も指摘され、包括的PHCが理想とする統合の問題に深い関心が寄せられている(以上同誌か ら)。

しかしPHCに対するもっと手厳しい批判もある。カメルーンにおける実態を検討したバン・デ ル・ゲーストは、中央政府、制度的医療の推進者、および住民の三つの次元を通して、はからずも生物医学が中心を占め、PHC政策は理念とは裏腹に歪んで運 用され、否定的機能すらみられることを描写する(7)。政治的安定や経済的発展は健康に寄与するという論法をPHCが採るならば、第一に解決しなければな らないのは政治だ、と彼はいう。

選択的PHCを提唱したワルシュとワレンの論文の冒頭には、当時の世界銀行総裁のマクナマラ による七八年次報告からの引用があり、その理念の影響はその論文にも色濃く表れている。ケネディ政権下の国防長官であり、米国の多角的な核戦略論の構想者 であるロバート・マクナマラは、同時に肥大化する軍事財政を「計画的科学的に管理し、合理的 かつ効果的に予算編成する」手法をペンタゴンに導入したことでも知られている(8)。技術論的批判としての選択的PHCのいう保健施策の「効率」とは、死 亡率で代表される指標の変化で表現されるものに他ならない。投資の効果が見合わないと政策は失敗とされるが、それは投資効果の理論において投下資本がいか に多くの「健康」を引き出すかという技術論であったのだ。

PHCは二十一世紀までに世界の全ての人々に健康をといった。だが、保健施策を通して 具体化される「健康」とは決して一様なものではない。それは、健康そのものが社会的な起源をもつからであり、健康の概念の相対化を抜きにして、新しい PHC論争の進展は求められないだろう(9)。

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