はじめによんでください

テサロニケ人への第2の手紙

The Second Epistle to the Thessalonians, Β΄ Επιστολή προς Θεσσαλονικείς

池田光穂

「テ サロニケの信徒への手紙二(テサロニケのしんとへのてがみ に)は新約聖書正典中のいわゆるパウロ書簡に含まれる一書で、使徒であるパウロがテサロニケの信徒たちに宛てた書簡の一つである。ただし、先行する『テサ ロニケの信徒への手紙一』(以下、第一テサロニケ書)がほぼ異論なく真正パウロ書簡と認められているのに対し、この『テサロニケの信徒への手紙二』(以 下、第二テサロニケ書)は真正書簡か擬似パウロ書簡(第二パウロ書簡)かで、なおも議論が続いている。また、本来の主題は誤った終末論に惑わされることな く、落ち着いて日常の労働に励むことの大切さを説くことにあったのだが、後にはそこから離れ、中世の終末論や反キリスト像の発展に大きく影響した文書であ るとともに、共産主義と親和的なスローガン「働かざる者食うべからず」に結びつくこととなった文書でもある。(つづく) ウィキペディ ア

第1章
1:1パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
1:2父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
1:3兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感謝せずにはおられない。またそうするのが当然である。それは、あなたがたの信仰が大いに 成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互の間に増し加わっているからである。 1:4そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあな たがたを誇としている。 1:5これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦 しんでいるのである。 1:6すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとっ て正しいことだからである。 1:7それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。 1:8その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、 1:9そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。 1:10その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろう――わたしたちのこのあかしは、あなた がたによって信じられているのである。 1:11このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神があなたがたを召しにかなう者となし、善に対するあらゆる願いと信仰の働きとを力強く満たして下さ るようにと、あなたがたのために絶えず祈っている。 1:12それは、わたしたちの神と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあっ て栄光を受けるためである。

第2章
2:1さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。 2:2霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かさ れたり、あわてたりしてはいけない。 2:3だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。 2:4彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。 2:5わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。 2:6そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。 2:7不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。 2:8その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。 2:9不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 2:10また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれな かった報いである。 2:11そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、 2:12こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。
2:13しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選 んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、 2:14そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。 2:15そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。
2:16どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、 2:17あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。

第3章
3:1最後に、兄弟たちよ。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、また、あがめられるよ うに。 3:2また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われるように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではない。 3:3しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。 3:4わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信している。 3:5どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さるように。
3:6兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、 遠ざかりなさい。 3:7わたしたちに、どうならうべきであるかは、あなたがた自身が知っているはずである。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかっ たし、 3:8人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。 3:9それは、わたしたちにその権利がないからではなく、ただわたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのである。 3:10また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。 3:11ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。 3:12こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じまた勧める。 3:13兄弟たちよ。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。 3:14もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがよい。彼が自ら恥じるようになるた めである。 3:15しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。 3:16どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。主があなたがた一同と共におられるように。
3:17ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書く。これは、わたしのどの手紙にも書く印である。わたしは、このように書く。 3:18どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。

http://bible.salterrae.net/kougo/html/2thessalonians.html





【ウィキペディア日本語の饒舌な記 事:続き】

バ チカン写本。左端が第二テサロニケ書(3章11節-18節)

「こ の記事名に用いた「テサロニケの信徒への手紙二」は新共同訳聖書に基づくもので、ほかに「テサロニケ人への後の書」(大正改訳)、「テサロニケ人への第 二の手紙」(口語訳・バルバロ訳・岩波委員会訳)、「テサロニケの人々への第二の手紙」(フランシスコ会聖書研究所訳)、「テサロニケ人への手紙 第二」(新改訳)、「フェサロニカ人に達する後書」(日本正教会訳)などとも訳されることがある。なお、ネストレ・アーラント第28版での書名は、ギリシ ア語: ΠΡΟΣ ΘΕΣΣΑΛΟΝΙΚΕΙΣ Β'となっている。 概要 伝統的にはパウロの書簡と看做されていたが、近代以降、パウロの真正書簡に属するかどうかについては議論がある。文献学的アプローチを採る学者からは否定 的見解が提示されており、このためしばしば擬似パウロ書簡に分類される。 そのテーマは、終末が訪れていると信じて浮き足立つテサロニケの信徒たちに対して、キリストの再臨に至る筋道を示すことで、それがまだ来ていないことを確 認するとともに、(いつ来てもよいように備えつつも)落ち着いて日々の労働に励むことの大切さを諭すことにある。 第一テサロニケ書との重複箇所も少なくないが、独自性を発揮している「不法の者」に関する描写は、ヨハネの黙示録などとともに後代の反キリストのイメージ の発展に影響を及ぼした。 また、日々の労働の大切さを説いた言葉「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」(口語訳)はキリスト教の労働観に影響を及ぼしただけでなく、 20世紀にはレーニンによる改変を経て、「働かざる者食うべからず」という不労所得による搾取を否定するスローガンとしてソ連などの共産主義諸国の憲法に も盛り込まれた。これが日本国憲法の勤労の義務に繋がったという説もある。 著者 第二テサロニケ書の第1章1節には、著者としてパウロ、および同行者のシルワノ、テモテの名があるが、著者問題については、パウロが生前に執筆した真正書 簡とする説、パウロの死後に別人が執筆した擬似書簡とする説のほか、パウロの生前にその意を受けて近しい人物が第一テサロニケ書の真意を敷衍したと見る 「代筆説」などもある[1]。 正典中のパウロ書簡をすべて真正書簡と見なすカトリックのバルバロ訳聖書や福音派の『新聖書辞典』(いのちのことば社)は、当然これも真正書簡と見ている [2]。エフェソ書や牧会書簡について真正書簡・擬似書簡の両論が併記されているフランシスコ会訳聖書の解説でも、この第二テサロニケ書については、「現 代のほとんどすべての聖書学者」が真正パウロ書簡と認めていると述べられている[3]。同じく、エフェソ書や牧会書簡がほぼ真正書簡とは見なせないことを 明記している『新約聖書略解』(日本基督教団出版局)でも、第二テサロニケ書について「今日大多数の人々」が真正書簡の立場を採用していると述べられてい た[4]。 また、擬似書簡の立場をとる辻学も、真正書簡とする説が根強いことは認め、ことに20世紀末から21世紀初頭の「北米で出版されている注解書はほとんどが そうである」と指摘している[5]。保坂高殿も擬似書簡の立場をとるが、牧会書簡などと比べた時には、擬似書簡と見なすことの確実性が落ちることは認めて いる[6]。 他方で、擬似パウロ書簡とする立場をとるギュンター・ボルンカムは「今日多くの研究者によって」擬似パウロ書簡と位置づけられていることを指摘し、認識の 正当性を主張していた[7]。ドイツ語圏の動向については松永晋一も、ヴェルナー・キュンメル(ドイツ語版)、アルブレヒト・エプケ(ドイツ語版)などを 除けば「多くの研究者」が擬似書簡の立場としている[8]。『旧約新約聖書大事典』(教文館)のテサロニケ書の記述はヴィリー・マルクスセン(ドイツ語 版)の記述が土台になっているが、そこでも真正書簡説を擁護するのは「今日ほんのわずか」とされている[9]。真正書簡説に立っていた山谷省吾も1972 年の註解書でマルクスセンの見解などを踏まえつつ、有力になりつつあるのは擬似パウロ書簡説であるとしていた[10][注釈 1]。 また、新アメリカ聖書のカトリック・スタディ・バイブル(オックスフォード大学出版局)では、擬似書簡と見る説が「近年ますます推進されている」[11] と述べられている。上智大学の編纂した辞典(事典)では、1950年代の『カトリック大辞典』で真正書簡説が採られていたのに対し[12]、21世紀の 『新カトリック大事典』では擬似書簡説に差し替わっている[13]。カトリック教会の聖職者では、ベネディクト会のミュンスターシュヴァルツァッハ修道院 長のアンゼルム・グリューン(ドイツ語版)も、第二テサロニケ書がパウロ以外の著作であると明言している[14]。 擬似パウロ書簡を支持する論者の中には、田川建三のように論拠の幾つかを挙げた際に「まっとうな学者はほぼ皆さん」がこれと同じ立場であるとする者もいる [15]。他方で、自身が擬似書簡の立場に立つバート・D・アーマン(英語版)は、「大勢の優秀な学者が、真っ二つに分かれて議論している」この書簡は、 擬似書簡の中でも「その作者を巡って最も熾烈な論争が繰り広げられている」とした[16][注釈 2]。文庫クセジュのレジス・ビュルネ(フランス語版)の概説書のように、どちらが優勢かを記さずに純粋に両論を併記するにとどまる文献もある[17]。 なお、擬似パウロ書簡の立場に立つ論者の中でも、実際の著者については、パウロの思想をよく理解し、尊重していた人物と見る説が多い一方[18]、そうし た思想の継承に懐疑の目を向ける論者もいる[19]。パウロの弟子であり執筆者の一人となっているテモテを著者とする説もある[20]。 執筆年代 この書簡も新約正典の他の文書と同じく、内容から執筆年代を推測するほかはないが、以上に見てきたように、この書簡が真正書簡であるか擬似書簡であるかが 定まっているとは言い難いため、どちらの立場をとるかによって推定される年代は大きく異なってくる。 パウロの第2回伝道旅行。第二テサロニケ書が真正書簡なら、この旅程のいずれかの時期に書かれた。 伝統的アプローチを採る学者は、本書簡は第一テサロニケ書から時をおかずに(おそらくコリントで)書かれたと考えている。というのも第一の手紙に書いたキ リストの再臨について誤解している人々がいることを知ったパウロがその誤りを正すために書いたと推測できるからである[21][22]。パウロは自分が述 べたキリストの再臨がいまにも訪れるというわけではなく、それに先だって「滅びの子」が現れると述べている。こうした「矯正」を目的とする執筆だったとい う見解は『ムラトリ正典目録』(2世紀末ないし3世紀初頭)でつとに示されていた[23]。 パウロが第2回伝道旅行でテサロニケに着いたのは西暦49年[24]もしくは50年[25]とされ、そのあとにベレヤ、アテネ、コリントと移ったパウロ が、派遣していた弟子テモテからテサロニケの様子を聞いて執筆したとされるのが第一テサロニケ書で、50年[24]ないし51年ごろ[26]とされる。第 二テサロニケ書はそれから間もなく、数ヶ月以内の時期に書かれたと推測されている[26][4]。使徒言行録第18章から第20章の叙述に従えば、パウロ はコリントに1年6か月滞在した後にテサロニケのあるマケドニア属州に赴いているので、直接口頭で指導せずに手紙を書いたのは、マケドニアに赴く前だった からと見なされるのである[27]。 なお、真正書簡と見る立場には、第一テサロニケ書よりも第二テサロニケ書の方が先に書かれたという説も、1640年のグロティウス以来、一定程度見られる [28]。それらの立場では、パウロがベレヤやアテネに滞在していた時に執筆されたと見なされている[29]。また、「代筆」説の場合、実際の執筆者とし ては(この手紙冒頭にも名の挙がっている)テモテやシルワノの名を挙げる論者もいるが、そこまで特定できるかどうかには疑問も投げかけられている [18]。 擬似書簡と見る側の年代推定には幅があり、その論拠も様々である。まず、第2章1節から12節の中で「不法の者」が「神の宮」(神殿)に座する事態が未来 の出来事とされていることを踏まえ、エルサレム神殿崩壊(西暦70年)よりも前の成立を想定する者がいる[注釈 3]。他方で、その表現はあくまでもダニエル書などにも見られた伝統的な黙示文学のモチーフに倣ったもので、現実世界の動きと直結させるべきではないとす る見解もあり[30]、年代決定の参考情報にしている者にも同様の慎重さを示す者はいる[31]。 ほかの手がかりとして、作成の動機を挙げる者もいる。前述のように擬似書簡説に基づけば、作成の動機はパウロが第一テサロニケ書で強調していたすぐにも (パウロが生きているうちにも)来るという終末を先送りにすることにあったとされるので、パウロの没後間もない頃に浮き足立っていた信者たち を鎮めるために、その時期に執筆されたと考えられるのである[32][33]。これらの立場では、擬似書簡の中で最も初期の部類に属する可能性が取り沙汰 されている。 もう一つの論点が、「終末の遅延」に関する意識である。第二テサロニケ書が「終末の遅延」の認識、すなわち本来ならば来ているはずの終末がまだ来ていない という認識のもとで書かれたかどうかについても議論があり、これに否定的な場合、擬似書簡の立場を取る論者にも意図的に「終末の遅延」という表現を避ける 者がいる[31]。他方で、第二テサロニケ書に「終末の遅延」を見出す論者は、1世紀末ごろの作成をしばしば想定しているが[34]、福音書に見られる意 識との比較などから、西暦80年代の成立と想定する者もいる[35]。 下限となる指標については、90年頃に編纂されたパウロ書簡集 (Corpus paulinum) に含まれていたことを挙げる者や[36]、マルキオン聖書(140年頃)に含まれていたことを挙げる者[32]などがいる。 執筆地と宛先 執筆地について、古い写本には末尾に「アテネから」「ローマから」などと書き加えたものもあるが[37]、前出の通り、真正書簡の場合に有力視されている のはコリントである。他方、擬似書簡の場合には不明だが、テサロニケの教会に宛てられていることから、少なくとも主たる活動場所がテサロニケであった可能 性はあるとされる[38]。 また、主要な古い写本では、宛先がテサロニケであることは一致している[37][39]。ただし、擬似書簡の可能性も取り沙汰されるいくつかの論点に対応 して、第一と第二のテサロニケ書は、テサロニケ教会内の異なるグループに宛てられているとするアドルフ・フォン・ハルナックのような説もある[40] [41]。また、ベレヤやフィリピが実際の宛先だったと仮定する論者たちもいる[42]。もっとも、これらの説については、その根拠の薄弱さを指摘する意 見もある[43][9]。ウィキペディ ア・日本語

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