On Leprosy ex-Patioent in the Sorokdo Island, South Korea
年譜(「国立小鹿島病 院沿革」等を参照した)
1907 「癩予 防に関する件」制定。放浪患者を隔離。
1910 朝鮮総督府の設置
1916 2月24日小鹿島(Sorokdo;ソロクト)慈恵医院設置(総督府の衛生顧問は山根正次)の決定(朝鮮総督府令第7号)
1917 定員100名で収容を始める
1917 5月17日開院式(開院記念日)
1925 4月1日地方官制改正、小鹿島慈恵医院法制化(朝鮮総督府勅令85号)
1926 9月19日小鹿島慈恵医院拡張反対住民騒擾事件発生
1930 台湾総督府、楽生院(→「樂生療養院(Losheng Sanatorium)」)を開設(1934年勅令「らい予防法」公布)
1931 「癩予防法」制定。隔離の対象となる患者 の範囲が広まる
1932 朝鮮癩予防協会の設立。1月13日慶尚道出身と全羅道出身患者達間のキョンチョン(慶全)の争い
1933 3月13日小鹿島慈恵医院拡張のため、島全体を買収、買収面積 総1,487,595坪、定員三千名収容のため、第1次拡張工事着工
1934 台湾で勅令「台湾癩予防法」公布/9月29日朝鮮総督府令98号により(小鹿島慈恵)全羅南道小鹿島慈恵医院の国立化を決定、同10 月1日小鹿島更生園に改称し、園長周防正季が赴任。
1935 朝鮮癩予防令(政令第4号)
1935 5月小鹿島神社建立、監禁室設置。9月15日光州刑務所小鹿島支所開庁。10月21日第1次拡張工事落成式。
1936 4月1日精管手術を前提に夫婦同居 許容。12月千名増員 収容のため第2次拡張工事を着工。
1937 10月第2次拡張工事竣工
1939 1月さらに千名増員収容のため、第3次拡張工事着工
1939 11月25日第3次拡張工事完工、患者6,200名収容。
1940 4月1日中央公園完成
1942 小鹿島更生園園長刺殺事件(園長「周防正季(1885-1942)」の殺害。犯人・李春相(イ・チュンサン)[日本名:星山春相] 1943年2月19日に処刑)
1945 8月21日「小鹿島虐殺事件」(犠牲者83名)
1945 8月24日 日本人職員撤収
2001 6月22日ハンセン病補償法(「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」)の成立。
2003 同法による補償請求
「2つの療養所つまり「小鹿島厚生園」と「台湾楽生院」の入所者(以後「原告側」と略す)はハンセン病補償法による補償をするようにと日本
政府に請求した(2003年12月25日に小鹿島厚生園・合計117名、2004年8月23日に台湾楽生院25名)。ところが日本政府(厚生労働大臣)は
「小鹿島や楽生院は補償法の言う国立療養所には当たらない」として、その補償請求を全て棄却した(小鹿島は2004年8月16日、楽生院は同年10月26
日)/そこで、原告側はこの棄却処分(不支給決定)の取り消しを求めて相次いで(小鹿島は2004年8月23日に、楽生院は同年12月17日に)東京地裁
に提訴した。そしてその判決が2005年10月25日言い渡されたが、判決は真っ二つに分かれた。小鹿島は棄却処分を取り消さない(訴えを認めない=補償
法による補償はしない)、楽生院は棄却処分を取り消す(訴えを認める=補償法による補償をする)、ということになったのである。/これを受けて小鹿島の原
告らは10月26日、棄却処分を取り消さないとした25日の東京地裁判決を不服として東京高裁に控訴した。また川崎厚生労働相は2005年11月8日の会
見で、棄却処分を取り消すとした台湾訴訟について東京高裁に控訴することを正式に表明した。/その後原告側は台湾訴訟の控訴の取り下げを求めると共に、両
訴訟の政治的判断による早期解決を求める活動を進めた。この間にも高齢の原告団の中には、亡くなる人が続出していて、一刻も早い解決が必要な状態であっ
た。……/原告側弁護団は上記与党の改正案を受け入れる旨の声明を発表、政府の迅速な対応を求めていたが、同年1月31日改正案は衆院本会議で可決、続い
て2月3日参院本会議で全会一致の可決を見、2月10日「改正ハンセン病補償法(ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律―平成18
年2月10日法律第2号)」が成立するにいたった。/これにより、楽生院は合計29名全員(当初の25名に4名増加した)に補償金が支給され、原告側は
2006年3月17日東京高裁で台湾訴訟の訴えを取り下げた。しかし小鹿島は入所者の資料が散逸しているため、入所年月の特定などが困難を極めたが、
448名(提訴当初の117名が増加した)中426名に支給されている(2009年2月9日現在)」ウィキペディア「らい予防法違憲国家賠償訴訟」より
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滝尾英二(2001)『朝鮮ハンセン病史:日本植民地下の小鹿島(ソロクト)』未来社。
章立て
序にかえて——小鹿島病院と長島愛生園:00 -Eiji_takio_leprosy_korea_col_jap2001.pdf
1.隔離政策の展開:01-Eiji_takio_leprosy_korea_col_jap2001-2.pdf
2.植民地支配とハンセン病:02-Eiji_takio_leprosy_korea_col_jap2001-3.pdf
3.「断種」と優生思想:03-Eiji_takio_leprosy_korea_col_jap2001-4.pdf
4.「皇室の御仁慈」の意味するもの:04-Eiji_takio_leprosy_korea_col_jap2001-5.pdf
5.補考:05-Eiji_takio_leprosy_korea_col_jap2001-6.pdf
6.あとがき
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章 立て
序 にかえて——小鹿島病院と長島愛生園
1. 隔離政策の展開
2. 植民地支配とハンセン病
3. 「断種」と優生思想
4. 「皇室の御仁慈」の意味するもの
5.
補考
6. あとがき
■ 現在の地図
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リンク:小 鹿島病院生活資料館より(ウェブサイト『恨生(はんせん)』)
リンク
文献
その他の情報
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