かならずよんで ね!

医療人類学研究会宣言

 The Osaka Maoists Manifesto, June 1st, 1988. by The Medical Anthropology in Osaka Group

池田光穂

我々は医療人類学研究会の機関誌としてこのニュース レターを創刊するにあたり、この分野の対象の幅の広さと方法論の多様性について痛感する。このような多様性を医療人類学の分野の豊饒性の表れであると見な すのか、あるいは雑多な掻き集めであると判断するのかは、この分野への関わりへのスタンスの取りかたによって異なってくるだろう。我々はこの分野が決して 豊かな出自のもとにあるとは思わない。しかしながら無政府的な医療人類学「業界」の野放しにも賛同できない。

なぜ医療人類学が我々の社会に登場してきたのか?あ るいは、その社会的な要請を必要とする一群の人々がいるのか?という問いかけを最初に試みてみよう。医療人類学をひとつの学問領域として規定する際に問題 となることは、それが一般通念の上での専門職集団の成立、つまり学会として学問的な正当性を主張でき得るかということだ。日本において医療人類学を標榜す る人々は、米国で生まれた Medical Anthropology の影響をかなり受けている。つまり舶来の思想をいち早く取り入れて土着的発展を促さねばならぬという焦燥にも似た衝動に突き動かされている風潮を看取るこ とも可能だ。勿論我々はこの米国製の医療人類学を日本にそのまま移植することには懐疑的であるし、また不可能であるとも思っている。医療人類学が西洋近代 社会の文化的な価値の影響の下で成立したことは、彼の地で発行されているこの種の教科書や手引書のスタイルが見事に物語っている。国際シンポジウム「医療 人類学の可能性」が昨(1987)年末日本で開催されたが、日本の学問的土壌へのこの分野の移植への努力とその評価をめぐる賛否両論は、期せずして「日本 における医療人類学の可能性」を検討せざるを得なくした。このシンポジウムを手放しに賛美する一部の脳天気な人々を除いて、そこに参加した若手研究者達の 気持ちはかなり複雑であった。文化人類学、民俗学、トランスカルチャー精神医学等の学会の重鎮や著名人を集めただけの「顔見せセッション」であり、医療人 類学が現実の医療にどう関わっていくかという実質的な議論が無かったと言うのがその主だった意見である。しかしこのシンポジウムはマスコミに報道され、医 療人類学という学問の効用への期待とこの名前がひとつのイベントとして商品になり得ることが明らかになった。いずれにせよ医療人類学が日本の思潮の中で論 議の的となる事態は今後起こり得るだろう。しかしそれを海外からの思想を垂れ流し的に直輸入したり、日本の文化的な価値観を引き摺りながら文化特異的な 「日本医療人類学」を造り上げて行くことにも抗したい。

我々は日本の医療人類学のあるべき姿を模索すべく活 発な論争の場を提供していく。この分野に関わりを持とうとする全ての人々に医療人類学研究会は開放されている。しかしそれは医療人類学に関する言説を八方 美人的に採用することではない。我々は総合学説や学際研究を謳いながらも単なる寄せ集めにしか過ぎない野合集団がどのような末路をたどったのかを知ってい る。

我々はまず「医療」をめぐる活発な議論を展開してい かねばならない。通文化的な「医療」という概念は存在しないのにもかかわらず、医療という極めて西洋近代的な概念をこの分野に冠したことに、すでに医療人 類学の二重拘束的な状況が始まっている。つまり西洋医療概念というものは単なる世界の「医療」のひとつのヴァリエーションにしかすぎないと主張しながら、 一方では通文化的な医療概念を措定することに血道を上げているのである。しかし我々はあえてこの「医療」という言葉と意味とその背景にあるものについてこ だわり続けていきたい。その際に肝要なことは、まず現象学や文化人類学的な認識が指摘しているように、用語や概念の無批判な濫用をいましめることである。 そして他方ではラディカルな政治経済学派が主張するように、いったい誰がそのイデオロギーによって支配を強化しているかという懐疑を持つことである、勿論 <敵は我々の内部にもいる>が。つまり我々の言う医療人類学はまずひとつの批判理論でなければならない。批判の対象は山積みされている。それは生態学理論 であり、呪術者の意味的世界や象徴論であり、国際的な医療援助であり、ハイテク医療や臓器移植でもあるのだ。医療は生身の人間が具体的に参画することであ る。だからと言って参画当事者以外は口を挟むなという言説を我々は許してはならない。または我々も医療というものに言及する際に、「これは理論的である故 に現実的なるものとは一線を画する」という言辞的な居直りをすることを止めよう。本人の自覚、無自覚にかかわらず、あることへの言及には既にそのものへの コミットメントという姿勢が内包されているのだ。

しかし我々の医療人類学は退屈な知的および実践的苦 行を強いるものではない。医療人類学の様々な問題群を理論、応用的実践、さらにそれらをつなぐ行為理論を縦横に用いて新しい解決策を提示する実に野心的で 興味深い分野なのである。第一に学会の重鎮などというものが無いので権威を気にせず発表していけるという利点を強調したい。もし重鎮面する人がいたら、そ れは単に発表のプライオリティーという旧来の価値観に捕らわれているか、医療人類学の興隆のヘゲモニーを執ることに何か旨みを得ようとしているのである- この文章を読んで眉をひそめた人はすでに権威主義に侵されており、すぐに治療が必要です-。もっともこのようなことを強調するのはあくまでもこの分野への 参画の宣伝文句であり、現実の世界は厳しい。医療人類学のパラダイムの成立後において研究能力を問われる競争の過程があり、学界内の学問レベルの不均等発 展が生じることは避けられないだろう。我々自身のア・プリオリな戦闘的学問観にも問題はあろうが、しかし論争による真に興味深い成果を我々は垣間見たこと があるだろうか。日本における陰湿な非難の応酬に終始する論争に引導を渡し、生産的な成果を生むべき論争の場を我々は提供したい。他の研究者の陰口を叩く 元気があるならば、それを論破のエネルギーに転化せしめよ!

医療によって二重拘束的に規定されたかたちで医療人 類学は成立した。しかしながら医療人類学がそれゆえに理論的限界があるというふうな「死の宣告」をしないでほしい。我々に対して社会文化的に規定された 「医療」という概念を、今度は我々が「新しい医療」という概念に再定義しなおすのだ。このような野心的な試み医療人類学研究会はおこなおうとしているので ある。

『医療人類学』編集部・医療人類学研究会(編集長:佐藤純一、副主 任:池田光穂)

1988年7月1日 大阪市


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