War and Responsibility of the Intellectuals in post-war Japan
十五年戦争の命名者は、鶴見俊輔(1922-2015)であ り、1956年に『中央公論』1月号に「知識人の戦争責任」で最初に使用し、1965年ごろ以降使われるようになった。1980年代に江口圭一(1932 -2003)が、そ の名称の膾炙に大きく貢献したという。1970年代中ごろからは「アジア太平洋戦争」の名称が増えたという。
ここでは、まず鶴見の「知識人の戦争責任」について考える。
頁(1956) |
頁(1991) |
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1 ・「責任をとるというのはどういうことか」 ・私たちの接骨に不自然なところがある ・責任を追及する4つの論法 1)岡っ引き論法:権威主義的方法 |
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2)私小説的方法:発生論的方法の個人主義的一変種 3)問題解決方法:いまだなされず 4)歴史的方法:進歩的思想家によって多用。自分の責任について言及しないために私小説的追及方法から批判 2 ・猪狩正男の文章『コチレドン』所収、1955年 |
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・『きけわだつみの声』は、甘やかされた坊ちゃんの声 ・猪狩の方法は、今日の言論人の戦争中の言行をしらべ告発すること ・15年戦争中に知識人による抵抗はなかったと猪狩は断罪 |
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・他方、当時の若者たちは、当時の知識人の変節後の「偽善的知識人」のペースに巻き込まれている、ことを憂う。 ・猪狩の怒りは、往時の知識人の変節を非難するもの 3 ・猪狩説=戦争責任は國民全体にあること。とりわけ知識人にある。 ・知識人は言論によって人を驚かすことなく、民衆が平和運動に参加する時に必要な実際的勇気を、知識人もまた身に着ける必要がある ・「私は猪狩正男の考え方、正しいと思う」と鶴見。 ・戦争責任は「主として実践倫理の問題」であり、認識論の問題ではない。 |
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・昭和16年(1931)以前に大学教育を受けた知識人は、「世界史の動きの中で、満州事変以後の日本が正しい方向に行っていると判断せざるをえないような訓練はうけていなかったはず」。 ・普遍的な問題ではなく、世界から切り離された国民の問題をだけを取り扱う方法を信じるようになったのは、単純に愚かなことからくるのではなく、「かれらの頭がはつきりとまちがいと判断している勢力に対して自分の頭の働きをゆだねる実際的な決心をしたからである」(=知識人の故意的な誤りの行為) ・抵抗がなかったことをあげつらうのは無益。 ・「効果のないことにこだわって、自分の判断をはっきりと口にし、文章にすることをやめてしまつたことに、日本の知識人の問題がある」。 ・権力を与えられたときにはじめて、実際に口に出す(ことを誤り)。 ・「権力の座に末席をあたえられていなくとも、自分の判断をはつきり(活字にできなければ口で)いうことが、知識人の本来の実際的義務なのだ」 ・被抑圧者階級に知識人を入れよ。 ・進歩的知識人は、被抑圧者の中に自分たちを無差別に組み込んでしまうことが「インチキ」である。 ・知識人は、日本が戦争に浮かれている時に、外国の文献から自らの集団のことについて、知悉することが実際にあったが、「自分で自分に魔術をかけて」、魔術破りを行使しなかった。 ・その意味で、大衆が戦争に巻き込まれたことにたいして、知識人は責任をもつ。 ・それぞれの専門家集団に応じて、固有の責任がある。 ・さまざまな選択の可能性について、これから、往時をふりかえって戦争責任に関する批評運動をおこなうべきだ |
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・このようなことがなされない限り、日本再建はしないほうがいい。 ・権力をもつ占領軍の戦争責任の取らせ方は、1)絞首刑と、2)追放令だ。 ・1)の殺す儀式は、人間を取り扱うという点でふさわしくない。追放をおこなうことは意味がある。 ・変化をもって同じようなことが繰り返す(=戦争)ことを排除する意義はある。 ・権力のない人の、責任の取り方は、追放令ではなく、自発的な自発性が必要だ。 ・一度間違いを犯した人とその能力の組み合わせに4通りある。 1)節操(-)、有能(+) 2)節操(+)、有能(-) 3)節操(+)、有能(+) 4)節操(-)、有能(-) ・これらの4種類の人間には、さまざまな責任の取り方がある。 ・戦後すぐには、沈黙をまもっていた知識人が、過去の自分の反省なくカムバックして、指導の任にあたっている。ただし、有能さと合理性は、同一ではない(そう思われるだけだ)。 |
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・15年戦争時に、合理性を支えた知識人は、有能で節操のある人だった。 ・有能さが優先しているが、節操を維持することは重要だ ・有能な人は、時代に即応し変化するものだが、節操のあることは変化にまどわされず大筋を貫くことである。 ・不変化という意味で、共産党は、ノンコンフォーミズムを貫いて、その意義は重要である。 ・保守勢力のなかには、そのような不変の能力をもつものがいない(これは日本の特質である) ・日本の共産党の不変は、世界の共産党の不変と同じではない(日本の特徴かもしれない)。だが共産党の人間が政治家として有能か否かの判断は留保する。 ・共産党と一線を画しておこなわれる、戦争反対の社会運動は、戦争責任を自覚しているとは言えぬ。 ・共産党に反発しているが、戦争反対を主張する、本多顕彰(真宗僧侶、英文学者;1898-1978)、福田恒存(ふくだ・つねあり:1912-1994)、三好十郎(劇作家・詩人;1902-1958)らの活動には「まだひっかかるものがある」。 |
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