人類学教育を徹底化する
Cry for idiot-anthros!!! : 人類学中毒の解毒剤03
The apparition of Our Lady of Guadalupe
最近、大学教育における文化人類学のヘゲモニーは衰退しつつあると危惧する声がある。
そのための処方は、(1)既存の人類学者ががんばり社会的にアピールするようにがんばる(業 績をあげる)、(2)人類学教育の重要性を大学教育や科学研究費給付機関にアピールしてゆく、(3)人類学の標準的な教育をさらに推進するために共通の教 科書をつくる、ということなどがガッカイなどで考えられているらしい。
しかし、これはどこか虫のよい話ではある。
私のように人類学はすばらしい、人類学によって人生が変わった!という原理主義的な人間であ るなら、この考えにはつぎのようないやらしさがある。つまり、世の中には、人類学を講じて(=教育して)生計をたてる人類学者と、人類学を教えてもらう人 間という2種類がいて、後者の消費者への呼びかけを強化することばかりに力点が置かれているような気がする。
人類学が素晴らしい学問なら、すべての人間が人類学者になれば、もっとすばらしい社会がくる のではないだろうか?
えっ! オマエは上のほうで、ジンルイガクシャにはいけ好かない連中がいると言った舌の根の 乾かぬうちに、こんなことを言うのか? 世の中がジンルイガクシャだらけなら、もっとひどい世の中になるのでは?と指摘されそうだ。
心配ご無用、口数は多くなるけれど、バイオレンスになる連中は少ない、批判と反省の学問だか ら、手を出すことよりも口を出すほうが好きなので、世の中は五月蠅くはなるけれど、口先以外の武器はなくなるはずだ。
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