Ils ne savent pas ce qu'ils font
スラヴォイ・ジ
ジェク『為すところを知らざればなり』ノート
「兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神に ささげる祈は、彼らが救われることである。わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら、 彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである」(ローマ人への手紙 10:1-3)
"With the disintegration of state socialism, we are witnessing this eruption of enjoymnet in the re-emergence of aggressive nationalism and racism. With the lid of repression lifted, the desires that have emerged are from from democratic. To explain this apparent paradox, says Slavoj Zizek, socialist critical thought must turn to psychoanalysis. For They Know Not What They Do seeks to understand the status of enjoyment within ideological discourse, from Hegel through Lacan to these political and ideological deadlocks. The author's own enjoyment of "popular culture" makes this an engaging and lucid exposition, in which Hegel joins hands with Rossellini, Marx with Hitchcock, Lacan with Frankenstein, high theory with Hollywood melodrama." - Nielsen BookData.
「人類学的調査の遠征隊についての周知の実話がある。風変わりな仮面をかぶって恐ろしい戦闘の踊
りを踊ると言われている、ニュージーランドのジャングルに住む野蛮な種族と接触しようという遠征
隊の話である。彼らはその種族に出会うや、踊ってくれと頼んだ。そしてその踊りは解説書とぴった
り合っていた。こうして、探検家たちは原住民の奇妙な恐るべき習慣についての望みどおりの資料を
手に入れたのだった。しかしながら、ほどなくして、こんな野蛮な踊りなどまった存在しないこと
が判明した。原住民は探検家たちの希望に合わせようとしただけであって、討論の中で彼らの望んで
いることを発見し、彼らのためにその発見したものを複製して見せたのであった等々。これぞまさし
く、ラカンが主体の欲望は大文字の他者の欲望であると言った時のものである。探検家たちは自分た
ち自身の欲望を原住民から受け戻していたのだ。彼らにとって不気味にも恐るべきものと見えた倒錯
的な奇妙さこそ、彼らのために演出されたものだったのである」(ジジェク 1996:1779)
章立て |
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序論 ある笑い話の運命 |
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第1部 多からいちへe
pluribus unum 第1章 大文字の他者について 1.大文字の主人—記号表現の誕生 2.いかにしてゼロを一と数えるか |
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第2章 淫らな同一性 1.不可能性 2.反省 |
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第2部 弁証法と弁証法への不満 第3章 ヘーゲル的ララング 1.我々の眼差しを覗き込むような眼で 2.欠席裁判(=判断) |
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第4章 大文字の他者について 1.ヒステリーと確信と懐疑 2.形式の側面なるもの |
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第3部 第5章 終わりよければすべてよしか? 1.なぜ弁証法は4つまで数える術を身につけるべきなのか 2・イデオロギーの「失われし環」 |
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第6章 大文字の物をめぐる大騒ぎ 1.物神崇拝ー型の異形 2.「王は物である」 |
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Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099